29 お節介による恋の終わり
午後三時過ぎ。
キュラは固まっていた。
八年間想いを抱き続けたはずの、憧れのサディス・ドーマを前に。
氷の彫像のようにかちかちになっていた。
大人になってはじめて見た彼は、想像以上にすさまじい美貌だった。
鋭利な翠緑の双眼、ひとつに結った長い銀髪。身につけているのは、上質な毛織で仕立てられた立て襟の膝丈ジャケットとズボン、ブーツで、上品な風合いの灰色で意匠はごくシンプルなものだった。
彼女はすでに、出会えた歓喜よりも、万年凍土の氷壁を見上げるような絶望感に襲われていた。まず、彼は自分の名すら知らないという。そして。
「八年前の雪祭? 会った覚えはない」
刺々しさを隠しもしない一言に、肝が冷える。
「……っで、でも、ダンス会場でお相手を……っ」
なんとか言えたのはそこまでだった。
それでも、氷点下マイナス百度地帯の猛吹雪に見舞われながらよく耐えたと、近くで見ていたルーは思う。
あまり機嫌のよろしくない、というか、かなりこの状況に不本意な彼は、相手に容赦はない。
「した覚えはない。話はそれで終わりか?」
「……ぅぅ……」
なにかが違う。はげしく違う。
それはキュラとて感じていた。でもそうなると、八年間抱き続けた自分好みのやさしい想い人は、いったい誰なのかわからなくなってしまう。
まだ彼だと思いこみたい気持ちが、その場に彼女を留まらせていた。
それを察したわけでもないだろうが、動く気配のない彼女に、彼は諦めざるを得ない決定的な言葉を告げた。
「俺はダンスは得意ではない。よってしない」
「! ……っそ、そう、ですの……?」
「人違いだろう」
「……んな、気が……してマ、スわ………うぅ」
キュラはもう涙目だ。一刻もはやくこの場から立ち去りたい。
過去の浮かれた自分を猛烈に罵倒したいと、そう顔に書いてある。
それをうしろから眺めていたホリックが苦笑しつつ、彼女の脇に立ちその肩を抱きよせた。
「さぁ、もう気は済んだだろう? 君はこれから家に帰って、心配をかけたご両親に謝らなくては」
キュラはすごすごとホリックに連れられて、部屋をあとにした。
「サディスでも苦手なものあるんだ……?」
「そうだな」
しれっと言ったので、嘘だと思った。
ふつう不得意ならバツが悪そうにするとか、出来ないことへの引け目がわずかなりと出るはずだから。
などと推測していたら、いきなり鼻を指で、ぎゆっと摘ままれた。
「ひだだだだだ!」
額がくっつきそうなほど、ものすごい至近距離で見おろす麗しの美貌が、無表情に怒っている。
「何を考えている? アレが俺と無関係だということぐらい、海綿のようなおまえのスカスカ脳でも理解できたはずだろう」
なんとか彼の指をはたき落として、ルーは反論した。
「だって、八年もヒト違いに気づいてないんだよ! あのままじゃ一生ぐるぐる妄想を追いかけて迷宮入りになっちゃうよ!」
「他人事だ」
「近くにいたら他人事でも気になっちゃうんだよ!」
「それをお節介と言うんだ。おまえは自分の立場を忘れている。何のためにここまで来たのか言ってみろ」
両頬をぐにぐに容赦なくひっぱられたら、しゃべれないっつーの!
思わず彼の腕をばしばし叩きながら、ふと何かを感じてわずかに開いてる扉のほうに目を向けた。
一瞬、ピンク色が見えた気がしたのだが、気のせいだろうか。
なんとか彼の両手を両頬からはずし、まっかに腫れあがったであろうそこを両手でさすりながら、先の問いに答えた。
「クトリの呪詛を解く手がかりとして! 幽玄図書館の入館証をもつアビ・ゼルハム氏を探してここまで来まシタ!」
……あれ? 反応がない。
彼の視線が包帯をまいた額の上で、止まっているような気がする。
「サディス? おいらのおでこに何か」
問い終わらないうちに「今後忘れないように百回復唱しておけ」とのたまって、どさっと椅子に腰をおろした。
「呪文じゃないんだから、百回復唱って……。頭痛くなるからやだよ」
「まだ、おさまらないのか?」
「……考え事をしようとすると、ずきずきする」
お昼過ぎにも薬師のおじいさんに痛み止めの薬をもらったが、あまり効果がないような気がする。
痛み止めの魔法のほうがいいんじゃないかと訊ねたら、痛みはそもそも体の異変を知らせるためにあるので、その原因がわからない場合(特に頭や内臓)に、継続して痛み止めの魔法を使うと症状の悪化に気づくことができなくなるらしい。
だから、使うなら痛みがひどいときのみに使ったほうがいいのだと言われた。
「いつ、ここから発つの?」
もうすこし横になっておきたいので、どれだけ時間に余裕があるのか聞いてみた。
「深夜には発つ」
……出立準備を入れたらあと八時間ぐらいか。
せめて、あと丸一日ゆっくり寝たかった。
そう思いつつも、昨日からろくに食べてなかったことを思いだした。
今朝、ホリックの話を聞きながら焼き菓子を食べただけだ。
キュラに会うまでは寝てたし。しかし、夕食には早すぎる。
小腹が空いたと女中に告げたところ、高級そうなロースト肉や野菜、めずらしい果物をはさんだ豪華なサンドイッチと、蜂蜜のはいったホットミルクを運んでくれたので、それを手早く食べてから寝ることにした。
本日、正午頃と夕方に二話更新予定。




