Ⅸ
「残念だな。シルフィードは空気に溶け込んでしまっていて普通の人間には目視なんか出来ないぞ。俺もぼんやりと見るので限界なんだ。……もっと力や素質のあるやつなら完全に目視できる形で呼び出せるんだろうがな」
よくそんなのを使役して戦闘の場に出そうと思ったな、そんな言葉を飲み込んで、湊は自らのネックレスを握る。
相手は四大精霊クラスを軽々と召喚してくるような術者だ。正直なところ勝てる気はしなかった。でも別に今勝つ必要はない。優先すべきは羽音たちと合流するまでの時間稼ぎである。
握ったネックレスに埋め込まれた石が僅かに輝くのを確認して深く、深く息を吐く。正直なところ蓮はおろか、学園に在籍するほかの召喚術師とも戦った経験は無いからどこまでやれるのかは分からない。
どちらにせよ攻撃に転じるには一度落ち着くべきだ、そう考えて湊は視覚掌握の力で自分の周りの視覚情報を歪める。気配は感じ取られるだろうが、まともに視覚が働かないのだ、うかつに攻撃してくる訳がないと考えての行動だった。
だがそんな甘い話があるわけもなく。見えない刃に切り裂かれるように朱が走っていく体に湊は思わず顔を歪める。悪態を付こうにも、こればかりは自分の甘さが招いた結果だ。甘んじて受け入れるしかない。
「……精霊から情報を拾えば問題ないんだよ、バーカ」
「僕が甘かったことを痛感してますよ。まさか精霊との情報共有まで出来るようになってるとは」
吐き捨てるように言う蓮に言葉を返せば、フードの下、その端正な顔が歪められた気がした。これは思っていた以上にキツイ。そんな風に考えながら湊は深く息を吐いた。
正直なところ湊が蓮と戦うのは初めてで、蓮の能力を実際に見たのも幼い頃、まだ力を使いこなせずにいた頃のことなのだ。その影響か、どうしてもこの程度だろうと決め付けてしまう。それが蓮の今までの努力を馬鹿にする行為だとは気付かずに。
ガツン、後頭部に衝撃。クラリ揺れる視界に、それでも何とか踏ん張って蓮を睨みつける。そうして、手に握っていた金のナイフを放つ。
しかし放ったナイフは蓮に届くことも、地面に落ちることもなく、ふわり、ふわりと空中に留まった。変わりに蓮から放たれるのは無数の炎の刃で。咄嗟にポケットに手を突っ込んで成長させた植物はあまりにも呆気なく燃え尽きてしまった。
「……なんだ、光のリーダーは、お前はその程度か」
心底呆れたような声。その声に湊はグッと手を握る。正直なところ、トップを勤める技量じゃないことを湊は自覚している。だってこの学園には外じゃ手に負えないような異能力者ばかり集められているのだから。
そんなものと対等に渡り合える存在なんか、こちらからお断りだ。そう心の中で呟いて湊はその顔を上げた。
「……くだらない。俺も、お前も」
冷たい、淀んだ目。暗い暗い闇を湛えた目がそこにはあった。その目を真っ直ぐと見返すことが出来なくて、湊は視線を落とす。
「……さっさと、終わりにしよう」
小さな声。コツン、と静かな足音が近づいてくる。
蓮のいう“終わり”の意味が分からぬほど湊も鈍くはなかった。轟々と風が吹き荒れる。端っこに固まっていた生徒達は今にも泣きそうで、身を寄せ合っている。
ギリッと歯軋りをして、湊は一歩後ずさる。
「兄さん!」
飛び込んできた幼い声に蓮がピタリと動きを止めた。その場に飛び込んできた白金は湊と蓮の姿を捉えるなり無数の針を放つ。
いかにも気弱そうな目には、強い光が宿っている。
チラリと様子を確認して、飛び込んできた少年、涼はほっと息を吐く。まだ、だれも死んでいない。
「……っち、新手か」
低く舌打ちをして、涼に視線を向けた蓮は飛んでくる針をすべて風で叩き落す。心底うっとうしそうな目は射抜くような鋭さを持って涼を捉えている。
でも、涼は後ろに引くことはしなかった。
小さな体で、滑り込むように兄と蓮の間に入って、真っ直ぐと蓮を見返している。その体は小さく震えていた。
ユラリ、と蓮が手を動かす。それを合図に一層吹き荒れる風は刃のように、涼の肌を傷つけていく。
「ごめん、なさい。消えてください!」
頬を伝う赤を拭うこともせず、涼は声を上げた。凜、と響いた幼い声に、まるで答えるかのように風が止む。
それを確認して蓮はあたりを見回した後、興味深そうに涼を見た。その弧を描く口元は先ほど湊と対峙していたときのものとはまったく違う。
その蓮の様子を見て、湊はグッと手を握った。
「……兄さん、もう少しで羽音さん達が来ます。余計なことは考えないで下さい」
「ごめん、気をつける」
普段はおどおどして人の顔色を窺うばかりの弟が、なんだか今日は別人のように感じて、湊は黙って頷いた。弟に諭されるなんて情けないなんて思いながら。
深くため息をついて勢いよく蔦を伸ばす。その蔦はあっさりと蓮の四肢に絡み付き動きを止めた。恐らくシルフィードはもういないのだろう、そう考えて湊は目を細める。
涼の能力、打消し。指定した物を打ち消す能力。能力を打ち消すことも出来れば、摩擦力や重力の類も打ち消すことが出来る能力である。但し涼の場合は日に十回程度しか使えず、同時に打ち消すことが出来るのも一つだけだ。
例えば自分にかかる摩擦力ととある能力者が使っている能力をそれぞれ打ち消したい場合は、それぞれを個別に処理して二回分の能力を使用しなくてはならない。それ故にあまりパッとしない印象をもたれている能力の一つである。実際は初等部の生徒会に入れるほどの能力なのだが。
……四大精霊の召喚を打ち消してしまえるほどの力なのだから。
「れーん、油断したです?」
不意に聞こえた声に、鋭い光。バタバタと切り落とされた蔓はあまりにもあっさりとその拘束を解いた。
サラリと少年にしては長い髪を揺らして蓮の横に並ぶのは刹。その表情は無邪気な子供の笑みで。キラリと煌く刀さえなければ愛らしく感じたかもしれない。
何の前触れも無く現れた刹は交戦する気は無い様で手に持った刀は静かにその鞘に収められる。警戒するような涼の鋭い視線も気にも留めることは無く、刹は蓮に顔を向けるだけだ。
「……紅零か?」
「違いますですよー。たまたま通りかかったら蓮がピンチだったから助けあげたのです!」
そうか、そう呟いたっきり蓮は何も言わなかった。静かな目でまるで舐めまわすかのように涼を見た後その視線を逸らす。いつの間にやらその手に握られていたレイピアは姿を消している。
「仕留め損ねたな。まぁいい。戻るぞ」
「えー? まぁぞろぞろ来たら不利ですもんねー」
呻き声をあげる生徒を一瞥。それだけで蓮はクルリと向きを変えて歩き出す。刹も不満げな声を上げはしたがあっさりその後についていく。もとより刀を収めていた時点で交戦の意志が無いことは分かっていたが。
バタバタという足跡の後に真っ白な羽が散る。どうやら漸く駆けつけた羽音たちが被害生徒の治療に当たり始めたようである。ほうっと息を吐きながらも湊は蓮たちの歩いていった方向を見つめる。
「にーいーさーん!? 何で勝手に突っ走って戦闘始めちゃってるんですか! 相手は高位の召喚能力者ですよ。下手をすれば大怪我じゃすまないのですよ!?」
憐と羽音が被害生徒の治療に当たっている中で涼は湊への説教を始めていた。その目は安堵からか潤んでいて、声もどこか震えている。怪我をしていた生徒はどうやら一人、それも基礎治癒力の高い吸血鬼だったから治療は容易であるようだ。
湊はそちらの方を気にしながら涼の話を聞き流すばかりで、仕舞いには弟に説教をされながら頬を引っ張られるなんて情けない図が出来上がっている。
残りの回復を羽音に任せて戻ってきた憐やはり呆れた顔で「まぁ、みー兄は馬鹿だからねぇ」なんていって肩をすくめて見せていた。