Ⅶ
ふと湊は足音が大分近づいてきたことに気付く。さて、そろそろ本気で一撃入れてしまわないと勝負は平行線、もしくはこちらが不利になってしまう。そう考えて、湊は半ば強引に体の向きを変えて蓮に蹴りを入れる。
レイピアで防がれるか? なんて心配もしたけれど、蓮は驚くほどにあっさりと蹴りを食らってバランスを崩した。ああ、何だ案外簡単に済みそうじゃないか。そう考えて湊は拳銃の引き金を引く。
「……ッ!!」
「警告します。引いてください。じゃなければ……」
「……殺す、って?」
乾いた音。どうやら銃弾は腹部を打ち抜いたらしい。じわり、じわりとコートの色が濃くなっていく。
僅かに息を飲んだ蓮に銃口を突きつけて湊が言葉を発すれば、返ってきたのは冷ややかな笑みであった。腹部を押さえるその手が赤に濡れていく。
「あー……能力使うわ」
どんどん流れ出ていく赤に、多少の焦りを感じたのだろう。蓮が首にかけているネックレスに触れて宣言する。回復にも使える能力は便利なことで、そんな風に考えながら湊は呆れの含まれた目を蓮へと向ける。
それでも、蓮に能力を使われてしまえば、湊は一気に不利になるわけで。呆れなどはすぐに引っ込み、変わりに後悔が訪れた。
「あっは、それはヤバイ……」
笑みが引きつる。まだ応援は到着しそうにない。それを確認して、湊は手早く拳銃をしまい髪の毛を纏め上げた。
「振り回されながら戦うのも嫌いではありませんが……男である以上は振り回す方がいいですよね!」
半ば叫ぶように言いながら、振るった手には金に輝くナイフが握られていた。その言葉とは裏腹に、その表情は戦いたくないと主張を続けている。
ふっと蓮がネックレスから手を離す。そのネックレスは淡い光を放っている。
羽音だけでもいい、早く来てくれ。心からそう願っても聞こえる足音から考えてまだしばらく時間がかかってしまいそうである。
残り数分。味方の応援が到着するまでの間、いかに能力を使わせないようにするか。そう考えて、湊は頭痛を覚える。明かに無理に決まっているではないか。
雑談をして時間を稼ぐにしたって、蓮がそれに応じてくれるとは思えない。だからといって先手必勝とばかりに襲い掛かれば、呆気なく返り討ちにされてしまうだろう。それほど蓮の能力は強力であった。
正直なところ、湊は蹴りを入れて銃弾を打ち込んだときの余裕はどこへやら、すっかり追い詰められている。
ニヤリ、蓮が笑う。その目は明確な敵意を語っていた。それを見て。湊の頬を冷や汗が伝う。余裕を気取って蓮に話しかけた自分の馬鹿と叫びたくもなったけれど、そんな事をすれば今ここへと向かっている羽音たちに不安を与えるだけだろう。それは避けたいと必死に堪える。
口元だけが嫌にはっきりと見える蓮は、正直なところかなり不気味であった。口元だけしか見えないというだけでここまで不気味になるものなのか……それとも、ただ単に蓮という存在が異質なだけなのか。湊には分からなかった。
「偉大なる四大天使、癒しのラファエルよ、我が名の下に姿を現せ」
蓮の言葉に反応して柔らかな黄色の光が集まる。それが徐々に人の形を作り上げて、目を突き刺すような光が広がる。
思わず腕で目を覆た湊が、次に見たのは蓮の正面に現れた三対の翼を持つ美青年であった。手に持っているのは杖。頭上に浮ぶ金の輪と、背中の翼、そこからこの男が天使と呼ばれる存在であることは一目瞭然である。
ただこの天使は軽装で、旅人のような出で立ちをしている。翼と頭上の輪がなければ、天使とは思えなかったかもしれない。
「……ラファエル」
蓮が静かに天使の名を呼ぶ。そうすれば呼び出された軽装の天使、ラファエルはその翼で優しく蓮を包み込む。ふわりと、優しい風が頬をなでるのを湊は感じた。
四大天使ラファエルの癒しの力。全く面倒な物を、そう心の中で呟いて、湊は目の前で起こっている現象を見つめる。
柔らかでどこか清浄な黄の光が蓮を包みそうして消えていく。いかにも慈愛に満ちた笑みを浮かべたラファエルがそっと蓮から離れた時にはもう傷は塞がってしまっているようだった。
「……ラファエル、下がれ。偉大なる風の精霊シルフィード、同じく炎のサラマンダーよ、我が名の下に顕現せよ」
ヒュッと蓮が手で空を切ればラファエルは静かに光となって空に溶けて消える。変わりに蓮が呼んだ名に答えるかのように強い風が吹いた。湊は思わず風の吹いたほうへと視線を向けるが、そこには何も居ない。
眉を顰め湊は蓮の方へと視線を戻す。そうすれば、蓮の肩にちょこんと乗っている炎を纏った蜥蜴が目に入った。その炎は不思議なことに蓮に牙を向いたりはしないようで、蓮は涼しい顔をしている。
あの蜥蜴がサラマンダーか、そう判断して湊は深く息を吐く。蓮が名前を呼んだもう一体の精霊、シルフィードの姿が見えない。警戒してあたりを見渡す湊を強風が襲う。