Ⅵ
無駄に広い廊下に苛立ちを感じながら、湊は一直線に目的地に走り続ける。
そうして走って、走って走って、たどり着いたのは目的地への最後の曲がり角。劈くような悲鳴に湊は思わず足を止めた。
そして警戒しながらもゆっくりゆっくりと足を進めて目に入ったのは紅。
床も、色鮮やかな花が生けられた花瓶も、真っ白だった壁も一面が鮮紅に染め上げられている。透明な硝子にさえべったりと張り付いたその生命の色に湊は思わず顔を顰めてしまう。
いつ見てもなれないその色から視線を逸らして子の光景を作り上げた犯人であろう青年を睨みつけた。
その青年の服装は少し可笑しいものだった。室内だと言うのに膝まではあろう黒のコートを身にまとい、フードを深く被っているのだ。
その胸元には六芒星のバッチが付けられている。そこに闇高等部生徒会副会長と刻まれているから、その青年も派閥が違うとはいえ同じ高等部の生徒であることは容易に察することが出来た。それでも湊が着ているようなブレザーを着ている様子は一切ないようだったが。
一つにまとめて前にたらされた腰ほどまである髪はサラリと流れていて、フードから覗く目は鋭く湊を捉えている。見えている肌は滑らかな白。
その細い首には赤、青、黄の三色の石が埋め込まれた蝶のネックレスがかけられている。よく見れば、レイピアを握っている方の腕にも同じデザインのブレスレットが付けられていた。
「……ああ、来たのか」
そういいながらコートの青年、霧月 蓮<ムヅキ レン>は紅に濡れたレイピアの切っ先を湊に向ける。湊よりも五センチ程度背の低い青年は、それでも凄まじい威圧感を放っていた。
興味がなさそうな声色とは裏腹にその瞳は苛烈なほどに鋭い嫌悪を湊に向けている。今にも引き裂いてしまうことをよしとするような目に、湊は思わず息を飲んで、一歩後ろへと下がった。
そうして気付く。切りつけられていた生徒達の中で、唯一無傷の生徒が他の生徒を守るように抱きしめて小さく「助けて」と呟いたことに。その弱弱しい助けを求める声に、湊は制服の下に隠し持っていた拳銃を取り出す。
震える下級生達を見て逃げることが出来るほど湊は冷たくは出来ていない。
「なるほど、誰よりも闇に近かったアンタが光にいると……これは滑稽だな」
五月蝿い、口の中で呟きながら湊は拳銃の安全装置を外す。銃如きじゃ相手に敵いはしない、そう分かっていても能力を使うのを躊躇ってしまった。相手の能力を理解しているから、下手に能力を使えば危ないことも分かるのだ。
蓮は向けられる銃口に答えるようにスイッとレイピアを構えなおす。今のところは湊が能力を使わない限りは蓮も能力を使う気はないようである。
湊の後ろから微かに響いてくる足音に顔を顰めながらも、蓮はその視線を湊から離しはしない。
「こういう風に戦うのは初めてでしたね? ……貴方は随分戦闘慣れしていそうだ」
小さく息を吐いて湊が言う。皮肉のつもりであったが蓮はクスリと笑って「まぁな。伊達に場数は踏んでいない」なんて言う風にあっさりと肯定してしまった。
グッと口を結んで引き金を引こうとする。しかし、蓮が動くのはそれよりも早かった。
膝下まであるロングコートを着ているというのに、それを感じさせないほどの身軽な動き。銃口を向けようとしても、軽やかに動くその人物に中々照準を合わせることが出来ない。
ヒュンッと風斬り音。目の前を横切るレイピアを見て、湊は僅かに体が震わせた。怖い、素直にそう思う。湊は立場柄、闇との戦闘は何度も経験したことがある。しかし、多くの場合相手は低級から中級程度の能力者や無能力者で、蓮のように本気で下手に能力を使えない相手とは滅多に戦ったことは少ないのだ。
紅零の能力掌握の力も確かに恐ろしいが、あちらは所詮劣化コピー。元の能力ほど強力じゃないし、自分の力をコピーされたところで弱点は知っているのだから、そこまで脅威になるわけでもない。刹の方は能力でいろんな武器作り、それを自分の手足のように自在に扱って戦うし、相手の動きを何らかの能力で縛ってしまう。
だが所詮はその程度。動きを縛られたところで能力は使えるし、様々な武器を使われたところで能力で防いでしまえば致命傷を負うことはない。それが湊の持論である。
月華と湊は戦ったことはないが、だからこそ不気味に思う。能力自体は紅零と同じものであるが、それをどう用いて戦うのかの情報が湊の中にないからだ。