Ⅲ
「あれだよな。俺らって闇に比べて仕事効率悪いよなぁ」
突然、何の前触れもなしに風雅が言う。優希は不愉快そうに顔を顰めて「お前が手を抜くからだ。少なくても会長は必死だぞ。ドジだが」と言う。ドジと言われて凄い勢いで顔を上げるのだが、事実なため文句が言えずにしょぼん、とするだけの湊。
なんともだらしがないものである。
羽音は苦笑いを浮べて、一人一人に紅茶を淹れている。湊だけがコーヒーを頼んだが羽音にとってその辺は気にならないようである。
むしろ湊がコーヒーにしてくれとか、自分が言ったものと別なものを頼むと嬉しそうに笑うから、結局のところ世話好きなだけかもしれない。
「そういえば黒須の馬鹿はどうなったんですか? いきなり姿見なくなりましたけど」
ふと何気ない調子で優希が問えば、湊の顔に僅かな影が差す。それを見た優希はすぐに、聞いてはいけないことだったかと後悔する。湊の反応で帰ってくる言葉は大体予測できていた。
「黒須さんは落ちてしまいましたよ。丁度風雅さんたちが入ってくる少し前です。表向きは風雅さんと交代って形でしたけど」
淡々とした、それでいて何かを押し殺したような声。
墜ちるとは光の生徒が闇へと移動することを指し、あまりよくは思われてはいない行為である。
多くの場合は裏切り者として扱われ、闇のほうにも元光の生徒として信用されないため、あまり心地よい思いをするようなものではない。
どよん、としたとでも言うのだろうか? 重い空気が四人を取り巻く。普段はふざけている風雅だって仲間意識は強く、同じ所属の生徒は当たり前、時には闇の生徒まで救ってしまう人間である。
普段は喧嘩ばかりだが、何だかんだ言って優希がピンチになれば即座に駆けつけるであろう。そんな人間。
羽音だって仲間のためならば力を使うことは躊躇わない。もっとも、光の生徒としては人殺しなんてやりたくないのは誰だって一緒である。
普段は毒舌な優希だって、目の前で同じ所属の生徒が殺されたりすれば弱音を吐くのだ。
湊は典型的なお人好しタイプであり、相手が怪我をしていればそれがたとえ敵だろうがなんだろうが力を貸してしまうような人間だ。それ故に沢山の場面で裏切られもするし、そんな性格を利用されて深い傷を負ったりもする。
肉体的にも精神的にも、である。それでも湊が正気でいられるのは意志の強さなのか、それとも何か裏があるのか……それは誰にも分からない。
それでも支えようとする人間は沢山いるし、慕ってくれる人間も沢山いる。それ故に湊もそれらの人に心配を掛けまいと笑っていることが多かった。
「すみません……ああ! もう見回りの時間ですね。僕は今日は……一階ですか。風雅は三階、会長と羽音は二階ですね」
暗い雰囲気を察した優希は慌てて、話を逸らすように言う。湊は薄く笑みを浮かべて小さく頷いていた。まるで優希に感謝でもするように。
羽音もどこか安心したように息を吐いて笑っていた。風雅なんかは沈黙の間に流した汗を苦笑いを浮べながら拭っている。
各自が生徒会室を出て自分の持ち場へと走っていく。少々逃げるような感じもしたが湊は全く気に留めていないようだ。闇墜ちの話が出るたびにこんな感じなので慣れてしまっていると言うのが正しい。
湊は横でビクビクと震える羽音に向かって薄い微笑を向け「二階……南棟には初等部四年までの教室がありますね」なんて優しく声を掛ける。
僅かに顔を上げ湊を見つめ、羽音は首を傾げる。その身長差、約二十センチメートル。上目遣いで自分を見てくる羽音に正直ドキッとするが身長差のせいだ、落ち着け自分なんて、湊は自分に言い聞かせている。
羽音は、いつの間にか闇墜ちの話をすっかり頭から追い出し、初等部生徒会のここが可愛い、だとかここが駄目だなんて言う風に熱弁を始めた。
湊も楽しげに話す羽音の話を聞いてクスクスと笑みを漏らす。羽音は幼い子が大好きなようで初等部生徒会のメンバーや、その他初等部の大勢がお気に入りだったりする。
湊も年下が好きだし、意外かもしれないが優希もそうだ。そう考えると子供好きが集まったものだな、これはいい親の集団になるかもしれない、なんて言う風にすっかり思考を話とは全く関係ないほうに脱線させている自分に、湊は苦笑いを浮べる。
そして、そんな二人がたどり着いた二階廊下。シンと静まり返っていた廊下は南棟、初等部の使っている棟に近づくにつれて賑やかな様子を見せてくる。
楽しそうに談笑する者、教師がいないのをいいことに廊下で鬼ごっこに興じる者達と思い思いに過ごしている初等部の生徒達。よくよく見てみれば、きゃあきゃあと無邪気に騒ぐ集団に混じって今日のテストの出来などを冷静に分析するグループがあったりする。
それを見た湊は満足そうに頷く。羽音は微笑ましい物を見るかのように終始ニコニコ。
そんな二人が通りかかれば、生徒達はピタリと動きを止めて頭を下げる。多くは白い制服の生徒達だ。黒い制服の生徒達は警戒するように湊たちを睨みつけている。
頭を下げる白い制服の生徒達に浮ぶのは羨望と畏怖の念。
二人が生徒会のメンバーだからという理由で無条件に向けられるそれに、湊は正直なところ困っていた。確かに湊は学園に認められて生徒会長をやっている。だからと言って湊は自分が強者だとは思っていないのだ。
それなのに向けられる羨望、畏怖の念などただただ居心地が悪いだけだった。
「はあ、いつまで経っても慣れないなぁ」
ぽつり、湊が零した言葉に、羽音が不安そうな表情で湊の顔を見上げる。
慌てたように湊は首を振って苦笑いを浮かべた。なんでもないです、そんな風に呟きながら。羽音はしばらく納得がいかないとでも言うかのように湊を見つめていたが、やがて諦めたような顔で小さく頷いて、視線を前へと戻す。