Ⅰ
小鳥の声が響いていた。柔らかな日差しが窓から注いでいる。
真っ白なベッドの上、ゆっくりと目を開いた湊の目に入ったのは椅子に座った優希の姿であった。湊の肩の辺りに手を当てて静かに目を閉じている。何時間もそうしていたのだろう。優希の額にはいくつか汗が浮んでいた。
昨日のワイシャツにズボンと言う格好とは違い、湊のものと同じデザインの制服を身にまとっている。真面目な性質なのだろう。湊のようにブレザーのボタンを開ける事もなくきっちりと制服を着ていた。その胸元には六芒星のバッチ。
窓でも開けているのだろう。優希の髪が時折静かに揺れている。
「優希……?」
掠れた声で湊が呼べば、釣り目気味の目が開いて、静かに湊を見つめた。しばらくの沈黙。その後に優希は静かに笑みを浮かべた。
「会長、無断欠席三日分、たっぷり働いてもらいますんで」
やれやれ、もう少し可愛らしい言葉をかけて欲しいものだ、なんて小言を言ってやろうかと思ったけれど、結局湊は何も言わなかった。
体に痛みもないし、傷も塞がっている。それをやったのが恐らく優希であろう事は分かっていたから、湊は言葉の変わりにただただ苦笑いを浮かべた。
その苦笑いの陰で密かにこの人は怒らせると後が怖いし、なんていう風に考えているのは間違っても優希に知られてはいけないけれど。知られた時点で書類整理、残業のオンパレードになってしまう可能性がでてくるのだ。病み上がりでそんなのはお断りだと湊は思う。
「三日とは、会長になってから最長記録ですかね」
小さく息を吐き、体を起こして湊は呟く。制服には赤がこびりついて落ちそうにない。ああ、また新しい制服を用意しなければいけないかと考えて、湊は深くため息をついた。
優希はそんな湊を心配そうとも無表情とも取れる表情で見つめて「窓から飛び降りた上に銃弾食らうなんてアホですか。僕が間に合わなかったら死んでましたよ」なんて冷たく言葉を吐く。
ああ、辛辣。心の中で呟いて、湊はまだ微妙に力が入っていない体に鞭を打ってベットから下りた。このぐらいならすぐに回復するだろう、そう考えて伸びをする。さて生徒会室に行かなくてはそう考えて、湊が歩き出そうとした時扉を開けて部屋の中に入ってくるものがあった。
警戒したように動きを止めて湊は優希を見る。優希は静かに立ち上がってスッと湊の前に立つ。勢いよくベッドの周りのカーテンを開けば、そこにいたのは湊が助けた少年。
きちんと整えられた黒髪に、着崩すことなく制服を身にまとったその姿は非常に真面目な印象を受けるものだ。……手に持っている黒魔術入門なんて本が無ければ完璧である。
少年は優希の影に湊の姿を見つけるとスッと近づいてきて頭を下げる。
「先日はどうも。僕は中等部二年、黒羽 翠です。回復能力を所有しています」
静かに少年、黒羽 翠が名を告げ、自らの能力を明かす。そんなことをしなくても湊と優希は生徒会の人間なので殆どの生徒の能力などは把握しているのだが。まぁ礼儀正しいということにしておくか、と湊は一人頷いた。
翠は続ける。静かな、それでもどこか、心底残念そうな声で「何故、僕を助けた? 僕は死にたかったのに……」と。
思わず顔を見合わせる湊と優希。なんと言って良いか分からないというような表情をした湊を見て呆れたような表情をして、優希は翠の頬を思いっきり引っぱたいた。この行動には翠だけでなく、普段優希を見ている湊でさえ驚いた。
「死にたいなんて軽々しく口にするな。そもそもお前は刹の攻撃から逃げようとしていた。死のうとした奴がそんな面倒なことするか?」
全くの無表情でそう告げた優希は心底不愉快そうに鼻で笑う。それを見た湊は流石だなぁ、と苦笑いを浮かべた。
それっきりそっぽを向いて黙り込んでしまった優希を翠は恨めしそうに睨みつける。
重苦しい空気。そんなもの気にしないとでも言うように湊は静かに翠の頭を撫でた。そっと壊れそうな物にでも触れるような優しい動き。
翠は大げさに肩を揺らして湊の顔を見上げる。
優しげな、それでいて、困惑したような表情がそこにはあった。
「あなたの考えを否定はしません。僕だってどうしようもなく死にたかったときがありますから。でも、生きているとなんだかんだでいいこともあるものですよ」
静かにそう笑った後、湊はゆっくりと歩き出す。優希は翠を睨みつけた後、湊の後を追って歩き出した。翠は何も言わない。
何も言うことなく、二人の背中を睨みつけていた。
**
予備の制服に着替え、生徒会室に戻った湊を待っていたのは心配そうな視線であった。それぞれ割り当てられた席に腰掛けていた二人の生徒が同時に立ち上がって湊に駆け寄る。
一人は優希とともにモニターを見つめていた少女だ。白いメッシュの入った太股まである長い黒髪に、パッチリとした目。
不安げな表情で湊を見上げ、大丈夫なのかと迫るその少女の名は月見里 羽音といった。湊や優希と同じく生徒会役員の一人である。
わーわーと声を上げて湊の心配をする羽音と対照的に、もう一人のツンツン頭の少年はジロジロと湊を見た後、ニィッと笑みを浮かべた。しかしその視線は肩や太股の辺りにこびり付いている赤に向いている。
「あれ、会長、肩と足大丈夫なのか?」
「ああ、はい。傷の方はもう塞がっていますし、痛みもありませんから大丈夫ですよ」
湊の返答に少年はそーかと言葉を返して笑う。安心したような笑みだった。
湊が大丈夫だと分かれば少年はさっさと自分の席に戻って腰を下ろす。
そんな少年、暁 風雅は他の役員に比べ、不真面目な印象を受ける見た目をしていた。制服だけは着崩すこと無く身にまとっているが、逆立った髪の色は明るく、耳には金のピアス。
でもだれもそれを指摘したりはしなかった。この学園に限っていえばピアスをはじめとしたアクセサリーをつけているものは少なくない。
それらの多くは制御装置と呼ばれ、まだ未熟な能力者の能力制御を助けるためのものである。能力制御薬と呼ばれる錠剤もあるのだが、大量生産されるそれよりも、一人一人の能力に合わせて作られる能力制御装置の方が効果があるのだ。
故に多くの生徒がアクセサリー型の能力制御装置を作り、身につけている。よくよく見てみれば湊も制服の下に隠すようにして小さな石の輝くネックレスをつけているし、優希もシンプルなブレスレットをつけている。
学園自体も校則で“能力制御を目的とする場合に限り、装身具を身に着けての登校を認める”と定めているので問題になることはないのだ。
髪色については成績さえ一定のラインを保っていれば何も言われることはない。……成績が落ちた場合? 強制的に元の色に戻されるだけである。
「さぁて、仕事……って誰ですか、こんな嫌がらせチックなことするのは」
心配そうに視界をウロウロする羽音の頭を撫でて湊は笑う。そしてその視線を自分の机にやって呆れたような表情をした。
そこにあったのは聳え立つ書類の塔で。三日も意識不明だったから書類がたまるのは仕方がないにしても全部を一つに積み上げなくても、と湊は深くため息をついた。
湊の呟きを聞いた風雅と羽音の視線はスッと優希に集まる。当の優希は涼しげな表情で備え付けの冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出してコップに注いでいた。
「まぁ、うん……流石鬼畜ですよね」
二人の視線の先にいる優希を見て湊はもう一度深くため息をついて、諦めたような表情をする。
「でも、全部処理済だぜ。付箋で区切ってる。優ちゃんが倒れてる人に仕事を押し付けるのは可愛そうだ、って言って必死に片付けてたんだぜ?」
湊の表情を見た風雅がからからと笑いながら言う。それを聞いた湊は湊で「おや、相変わらずなようで」なんていいながらニヤニヤと笑った。
羽音までもがクスクスと微笑ましそうに笑うと、優希はばつが悪そうに顔を逸らした。お茶の入ったコップを持つ手がプルプルと震えている。
「べ、別にあなたの為じゃないですよ。あなたに仕事残しとくと後々倍返しされそうで嫌なだけです」
必死になりながらそう吐き捨てた優希の言葉に笑うのは羽音だ。湊は静かに席に座って書類を手に取る。丁寧に確認済みの判子が押されていた。
静かに書類を眺め始めた湊に、優希はホッとしたような表情をする。これ以上弄られるのは流石に嫌だったようだ。
「ふふ、やっぱり素直じゃないです」
「な!? 羽音、それはどういう!!」
ワーワーと声を上げて騒ぐ優希と羽音の二人組みに湊は目を細める。
羽音はこの生徒会唯一の女子生徒だ。初めこそ湊の一挙一動を怯えたような目で見て、優希が立ち上がっただけで露骨に怖がったりして。これ上手くやっていけるのかなぁと不安になるぐらいの惨状。
それが今ではごく普通に生徒会の中に溶け込んでいた。今でも優希と風雅が突如始める口論には慣れないようで、泣きそうになりながら湊に助けを求めたりもするけれど、今のように優希をからかったりできるようになった程だ。
このメンバーで活動が始まって一年。初めのころのような余所余所しさは消えて、賑やかな姿が有る。ああ、本当によかったなぁなんて考えて湊は薄らと笑った。