後宮での生活 2
王から選ばれた女性が、それを断ったという話を聞いたことがない。もしかすると、そういう例も過去の歴史上ではあったのかもしれないが、わたしは知らなかった。
王の求めに応じない。それはすなわち王に逆らうということと同義である。
それは許されないことなのだ。
王は国の頂点に立つ権力者。それに逆らって生きていくことはできない。きっとわたしが王妃になることを拒めば、わたし自身はもちろんのこと、親類縁者にまで影響が及ぶに違いない。
それはやはりできることではなかった。
王に従うしかない。
わたしの運命はやはり、王の手のうちにあるのだ。
「メイリン様。夕餉の支度が整いましたので、お部屋にお持ちしてもよろしいでしょうか」
部屋の外から、そんなシェンインの声が聞こえてきた。
確かに外は、もう夕暮れに染まっているようだ。窓から部屋に朱い光が差し込んできている。
「はい。お願いします」
わたしがそう伝えると、戸が開き、シェンインを始めとする女官たちがいくつもの膳を部屋へと運び入れてきた。
「ありがとう」
わたしがそう言うと、彼女たちはわたしに向かって平伏した。そしてシェンイン以外の女官たちは、そそくさと部屋をあとにしていった。
わたしは上等な絹で編まれた円座に座り、前に並べられた膳を見つめた。これはもしかしなくても、きっとロウシュンさんやレイメイさんたち宮廷料理人の手によって丹誠込めて作られた品々だろう。いくつか見覚えのある料理を目にし、わたしは思わず目頭が熱くなった。
「メイリン様。お食事の際、お邪魔でなければわたくしは隅で見守っておりますが、よろしいでしょうか」
シェンインの言葉に、わたしはこくりとうなずいた。
今は誰かがそばにいてくれたほうがいい。慣れない場所に、一人は心細い。
わたしはあまり食欲はなかったが、一所懸命に作ってくれただろう料理に手をつけないで返すことははばかられ、できるだけ口に運ぶことにした。
食事はとてもおいしかった。味見でしか口にしたことのない料理が、わたしのために用意されていることが不思議で仕方なかったが、とにかく涙が出るくらいにそれらの料理はおいしかった。
やがて食事も終わり、膳がすべて片付けられると、わたしはシェンインに言った。
「いろいろ訊ねたいことがあるの。このあと、いいかしら?」
「はい。もちろんでございます」
わたしは部屋の端っこのほうにいたシェンインを、自分のそば近くまで呼び寄せた。
「王妃になるといっても、まだ婚姻の儀が行われたわけではないし、まだわたしは正式に王妃となったわけではないのでしょう?」
「はい。そのとおりでございます。今はまだ、王様との婚儀の約束がなされた状態で、婚儀の日を待っている状態になりますね」
「それで、その婚姻の儀というのはいつになるのかしら?」
「そうですね。まだ正式な式の日取りは決まっていないようですが、だいたいひと月あまりあとになるかと思われます」
「ひと月後……」
その婚儀が終わればわたしは正式に王の妃となる。それは、完全なるこれまでの生活との離別を意味していた。
それまでに、どうにか気持ちの整理をつけなくてはいけない。
「ねえ、シェンイン。でも、こんなわたしが王妃になんかなって、大丈夫なのかしら? わたしは貧しい村の出身で、貴族の方たちのような教養や、礼儀作法も知らないわ。それに、あの婚約の発表のときだって、どう考えても王様一人が独断でことを決めたみたいだった。このこと、皇太后様や国の高官の人たちはどう思っているのかしら」
わたしの質問に、シェンインは少しだけ困ったような顔をした。
「そうですね……。あまりに突然のことでしたから、メイリン様がご心配なされるのも無理はないと思います。こんなことは異例中の異例ですから。周りの同意が得られていない状態での王様の独断ということは、もしかすると皇太后様も知らないことだったのかもしれません。今後、なにかしらの不都合が生じる可能性もありますが、そのときはささやかかもしれませんが、わたくしが全力でメイリン様をお守りします」
シェンインのその言葉に、わたしは少しだけ勇気づけられた。いろいろとやっかいなことが起こりそうだが、彼女がそばにいてくれればなんとか耐えていけるような気がした。
「それと、必要な教養や礼儀作法のことについては、わたくしめにおまかせください。担当女官として、これからメイリン様を立派に教育して差し上げます。まずは明日から、礼儀作法を徹底して学んでいきましょう」
シェンインはここが力の見せ所とばかりに顔を輝かせていたが、受ける側の立場のわたしは気が重かった。
王妃になるとは、いろいろと大変なものであるらしい。