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王様とわたしの秘密の賭け事  作者: 美汐
第五章 月との距離
33/59

月との距離 4

 その日は満月だった。

 わたしが部屋の窓の外からその月を眺めていると、目の前に大きな影がかかった。


「名月だな」


 リーシンが窓の外で、そうつぶやいていた。


「今日は外で月でも眺めて過ごすか」


 そんなことを言って、彼はこちらを振り向いた。月影に隠された表情はよく見えなかったが、微笑を浮かべているようにわたしには見えた。


 リーシンの招きに従って、わたしは部屋の外に出て、彼とともに庭園のほうへと向かっていった。

 庭園の池は、月明かりで水面が光って見えた。その中心には、蓬莱に見立てた島が見える。

 辺りは、コオロギなどの虫たちの鳴き声で満ちていた。

 わたしはリーシンのあとに従って、池にまたがる橋を渡っていった。リーシンは、その橋の真ん中付近まで来ると、そこで立ち止まった。

 くるりとこちらに向き直り、彼は優しげに笑った。


「月明かりで、手燭も必要ないくらいだな」


 確かに、彼の手元で淡く光る蝋燭の明かりより、空の月明かりのほうが明るく感じた。


「綺麗……」


 わたしは心からそう思った。

 澄んだ夜空にぽっかりと浮かぶ月は、静謐な美しさで満ちている。人の手ではどうやっても再現できないそれは、どんな名だたる芸術品よりも美しい。


「本当に」


 リーシンもそう言って、月を仰いだ。

 美しい満月の下、わたしたちは同じように天を見つめている。


「月は、仙界とも通じるという話を知ってるか?」


 リーシンが突然そんな話をしだした。


「仙界? 蓬莱みたいな?」


「ああ。そうだ。生身の人間の行き着けぬ場所。月世界も、そういうもののひとつとして、仙界と呼ばれる」


 月を見上げながらそんな話を聞いていると、自分が不思議な世界に浮かんでいるような、神秘的な気持ちになった。


「昔から人間は、手の届かぬ遠いものにあこがれを抱いてきた。そこが理想郷であると信じ、あがめてきた。……きっとそれは、人の宿命なのだろう」


 密やかに話すリーシンの声は、夜空の虚空に消えていく。それはどこか寂しくて、悲しい響きをともなって聞こえた。


「手の届かないものの象徴……」


 それでも人は、それを求めてやまない。

 美しく、どんな宝石よりも光り輝くその姿を手に入れたいと望む。


「きっと、だからこそ、それは永遠に神聖であり続けることができるのだろう。手に入らないからこそ、その美しさは永遠であり続ける」


 ふと、リーシンがこちらに目を向けた。


「手に入らないからこそ……」


 わたしはそのとき、彼が泣いているように見えた。

 青い静謐な月の光が、彼を包む。

 まるで彼のことを、抱き締めるかのように。

 彼のことを、なぐさめるかのように。

 彼はすぐに、顔を向こうに向けた。


「賭けの期日まで、少しの間だが、こうして過ごすことを許して欲しい」


 そんなことを言う。


「おれの身勝手で、いろいろと迷惑をかけたこと、すまないと思っている」


 なぜ今、そんなことを言うのだろう。

 どうしてそんなに優しい言葉を、わたしに言うのだろう。


「だけどどうか、おれにあともう少しだけ、お前と過ごす日々を」


 月の光が彼を包む。

 その姿はとても美しく、神々しくさえあった。

 彼は言う。


「おれはその日々さえあれば、もうなにもいらない」


 月と人。

 その距離は、遠く。どこまでも遠く。


「もうなにも望まない」


 遙かに、手が届くことはない――。






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