表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第2章 水面を見上げる魚たち
96/134

第87話 弱いは不変、出会いは必然②

※2話連続更新しています


 押しよせてくる蜘蛛の波から逃げるように、走り出す。


 子蜘蛛の集団は、泥の水たまりが生きて動いているみたいだった。ぐねぐねと、うねるように動き続けていて、出っ張ったり引っ込んだりと常に形を変化させながら、予測の出来ない動きで迫ってくる。それなのに異常に動きが速い。全速力でセルカルから引き離すように逃げているのに、追いつかれるのは時間の問題だった。


「セルカルッ!!」


「あぁ──ッ!」


 同時に遠目に見えるもセルカルもまた、走り出していた。

 正直いえば無事に成体のところに辿り着いてスキルを発動できるかまで見届けたかった。だけど押し寄せてくる小蜘蛛の集団によってあっという間に視界を遮られ、その姿が見えなくなる。


「くっ……」


 そして私は、小蜘蛛の波の中へと飲まれた。


 身体中に、ゴツゴツと何かの物体があたっては通りすぎていく。

 光が遮られて視界は暗闇に覆われていた。でも目を凝らしてみると暗闇の中でも無数の何かが蠢いているのだけははっきりとわかった。

 

 服の上でカサカサと歩く感触が無数にある。一匹一匹が拳ほどの大きさで、手で振り払おうとする。そうして身体を動かした結果、服の上を伝う蜘蛛の数が増えたのを感触で分かり、周囲を覆っているすべてが蜘蛛なのだとようやく実感した。そこやかしこで身体が蜘蛛にあたり、身体を伝う感触がある。いくら振り払ってもキリがなかった。


 むしろ振り払おうと手を動かしたとき、どさくさに紛れて、袖から蜘蛛が服の中へと入り込んだ。

 

 皮膚の上を蜘蛛が伝って歩く感触に、文字通り身の毛がよだつ。


「くっ、この!」

 

 身体を振り回して、服の中の蜘蛛をどうにかしようとする。

 でもそれも直前の行動の結果と同じ。動けば動くほど、まとわり付く蜘蛛の数も皮膚の上を直接伝う蜘蛛も増えていく。


 でもなんとかしなければ、そう思って体を激しく動かしていくうちに──

 気がつけば私は蜘蛛の海の中で溺れたかのように、もがいたいていた。

 

 ふと、一瞬体に痛みが走る。

 それは小さなもので、何かに齧られたような、あるいは針にでも刺されたような痛み。

 その痛みが何度も何度も続いていく。やがてぐらりと、頭が揺れて倒れそうになる。身体を支えようにも力が入らない。


 ──毒だ。


「ロ……【ロード】!」


 手に巻き付けておいた【メモリーカード】の効果が発動し、毒の感覚が消える。

 危ない。思ったよりも毒の効果が出るのが早い。

 もう少し発動するのが遅ければ声が出せずに能力が発動できなくなるところだった。


 だけど、全身に虫が這っている気持ち悪さと鼠にかじられているような痛みはいまだ続いている。それどころか数自体が増えているように感じる。ずっとこの感覚の中を耐え続けなければならないことを考えたら気がおかしくなりそうだった。なので考えるのはやめた。

 

 ただ黙っているわけもなく、剣を振って小蜘蛛を殺していく。

 ぐらりと、また目眩がした。毒が回っている。


「【ロード】」


 這い寄ってくる蜘蛛を握り殺す。


「【ロード】」


 足下にいる蜘蛛を踏み抜いた。


「【ロード】」


 テンポよく【ロード】を発動しながら、もがいていた。

 とにかく必死だった。時間の感覚なんてわかるわけがない。

 でもだんだんと余裕ができてきて、少しずつ感じてきたことがあった。


 それは、この小蜘蛛たちは私に『決定打』を持ち合わせていない──ということだ。

 やっぱり私の能力と、小蜘蛛の戦い方は相性がいい。とても気持ち悪いことさえ我慢できれば死ぬことはない。

 セルカルが契約するまでの間、なんとか時間を稼げる──。


 ドン、と。

 体に衝撃が走って、ぐらりと揺れる。

 これまでのような毒……ではなく。もっと直接的で物理的なものだ。


「がっ……」


 何かを体にぶつけられたような感触に声を漏らす。

 しかもかなり強く当てられたのだと思う。衝撃によって目の前を覆い尽くしていた蜘蛛が吹き飛ぶなんて、相当なものだ。

 ただそのおかげで、暗闇の一部が崩れ、視界が開けた。久々にも思える光と一緒に、周囲の状況が見えてくる。


 正面の少し遠くに、『樹新婦の成体』が『一体』立っていた。

 さらに視線を横にズラすと『別の成体』と竜木の広場から逃げ出すように駆けているセルカルの姿が見えた。


「な……んで……?」


 成体が二体もいる……なぜ……?

 失敗、した……?


 片方の樹新婦は、大人しく木のように動かない。

 そっちが元々私たちが契約の標的にしていた個体だろう。セルカルのいた位置から近く、何より最初から変わらない様子だから間違えようがない。


 ──ならもう片方の正面にいる一体は……?


 いつ、どこから現れたのかもわからない。

 それにこちらへ向けて根のような足を真っ直ぐに伸ばしているのが気になった。

 何メートルと離れた場所にいる私の方へ、綺麗なほど真っ直ぐ伸ばして──。


 ──そして私のお腹を貫いていた。


「え……?」


 驚いてもれた言葉と一緒に、こぽり、と血液が溢れる。

 さっきの衝撃は、新しく現れた樹新婦の成体からの攻撃……?

 自覚した途端に胴体の中にある硬い異物の感触と、痛みが強烈に襲ってくる、


 とにかく、早く【ロード】をしないと。

 そうすれば傷も、貫いている成体の足も消すことができる。


「【ロー……──!?」


 言葉を発している途中だった。

 口が塞がれて、言葉が止まる。何かが口の中へ入った。

 何によって塞がれたのか。


 もぞもぞと……『動く』感触で嫌でも理解した。


「ん゛、ん゛ん゛──!!」


 小蜘蛛が体内の奥へと進んでいこうとするのを感じて、急いで取り出そうとするが、小蜘蛛の群れが続こうと押し寄せて顔を覆っていく。必死で群れる蜘蛛を引き剥がして、蜘蛛が入ってこないように口を閉じようとするも、顔に引っ付いた数も、口をこじあける力も、私の想像を超えていた。


 強烈な嘔吐感に襲われる。なのに吐き出す動作ができないのは拷問のようだった。

 それにもはや声を出せないどころじゃなくなっていた。呼吸ができない。蜘蛛が気持ち悪いなんて次元の話ではなく、脳裏には死がチラついていた。


 ぴくりと、体内の硬い異物が一瞬、動いたのを感じた。

 反射で『それ』を掴んだ。地獄に伸びた一本の蜘蛛の糸に、縋るかのように。

 毒が回って抜けていく力を必死に振り絞って。


 直後に、視界が一気に開ける。

 凄まじい速度の移動で、ぼろぼろとはがれおちるように蜘蛛が落ちて行く。

 同時に暴力的な空気の圧力が身体にかかっていた。


 そして動きが止まったとき、私は地面に足もつけず、宙ぶらりんになって浮いていた。支えているのは私のお腹を貫いている『樹新婦』の脚だけだった。


 そして目の前では今、樹新婦の成体が私へ視線を向けている。

 いや……昆虫の瞳が本当に私をとらえているのかはわからないけれど……。


 ただこうして少しの時間、硬直している事実が『ひきぬいてそこに置いてきたはず』なのになぜかついてきてしまった、なんて困惑を少なからず与えていたかもしれない。そう考えてもおかしくはない時間だった。


 だけどそれも振り返ってみれば一瞬のような時間だったのかもしれない。

 樹新婦は、脚に刺さったゴミを振り払うように、全力で脚を振る。

 さっきとは比べものにならないくらいほど空気に身体を押し付けられる感触と一緒に、お腹に強烈な痛みが走った。ずるりと体内を貫いていた物が抜かれて、勢いをつけたまま支えを失ったことにより、限度が無くなって、身体は大きく森の外へと飛んでいく。


 気がつけば私は、地面に仰向けになって倒れていた。

 衝撃で一瞬きを失っていたのか地面に落ちた記憶も痛みもない。

 でも気づかなければ良かった、と直後になって思う。


 身体が空気を求めていることを思い出して苦しくなる。

 でも身体の傷と受けた毒のせいでもはや身体を動かすことすら、ままならなかった。


 ──あぁ……今回は本当に、死ぬかもしれない……。


 走ってくる足音が微かに耳に届く。


「おい、クソ……大丈夫かよッ……!」


 セルカルだった。


「悪いけど、苦しいだろうが我慢しろよ……!」


 そう言ってセルカルは私の口に手を突っ込んだ。

 そしてひっかっていたものを引きずりだす。


「げほっげほっ……。はぁ──はぁ──」


 必死で呼吸を行う。


「ほら、解毒薬だ。薬師の家からテリに頼んでかっぱらってきた。飲ませるぞ」


 身体が動かない私に、セルカルは瓶から流し込むように解毒薬を口の中へと注いでいく。

 少し咽せたけど、飲んだら僅かに身体に力を入れられるようになった。

 言葉を発するだけならば、ようやくなんとかなりそうだ。早く【ロード】をしないと……。


「うっ……」


「ほら、早く能力使えよ。あの便利な能力を。いいよな。俺もそんな能力があればよかったのによ。……どうした? まだ腹に傷があるんだから早くしないとそ血がどんどんと──」


 あまりの気持ち悪さに吐き出してしまう。


「うおっ…………きたないな……」


 何度も吐き出していると、ぼとりと、吐き出した物の中に小蜘蛛が出てきて落ちる。

 小蜘蛛はまだ生きていて、慌てたように藪の中へと走り去っていった。

 

「うわっ…………気持ち悪いな……」


「ご、ごめん……【ロード】……」


 ようやく能力を発動することができて、何もかもが元どおりになる。

 破れていた服も、おなかの傷も、体の毒も消えた。

 ただ全身に残った気色の悪い感覚だけは未だに感覚がこびりついて消えていない。呼吸もまだ息苦しいような気がして少し荒い。


 本当に体内に蜘蛛が残ってないのか不安になって思わずお腹をさすった。その様子を見ていたセルカルが「本当にすごいな、それ。でも元に戻れたようでよかった」とほっとしたように口にした。でもすぐに渋い表情へと変わってしまう。


「ちくしょう、失敗しちまった……」


「仕方ないと思う。もう成体の樹新婦がもう一体いたんだから。

 それにしてももう一体はどこから……」


「『竜木の上』だ……。木の上で潜んでやがったんだ……。それで唐突に落ちるように現れて俺を襲ってきた。たぶん俺が樹新婦に何か攻撃とかを仕掛けてるように見えて、それに気がついて襲ってきたんだろうな……」


「それじゃあ、作戦を練り直さないと──」


 そう言うとセルカルが雰囲気を変えて、信じられないようなものをみるように目を見開いて私を見た。

 しかしすぐに納得いったように頷く。


「……やっぱり、さっきの戦いは『全力』ってわけじゃなかったんだな?」


 首を振る。


「……あれが、今の私の精一杯だった……。不甲斐ないけれど……」


 そして答えると、セルカルはまたさっきの信じられないという表情に戻ってしまった。


「いや……そんなわけないだろ。だって、『あの方』の仲間なんだろ? 

 だったら、もっと何か『すごい力』とか! 隠してる『奥の手』とか!

 なんかそういうの……あるはずだろ!?」


 あの方、というのは千さんのことだ。

 なぜか花人族は千さんのことを種族全体で崇拝にも近い尊敬を抱いている。

 だから千さんと一緒にいる私も同類に見られてしまっていたようだった。


「あのとき戦って私がやったことは、私が今できる全部で、戦い全体を通してやれることはやったと思う。がっかりさせてしまったならば、申し訳ないけれど……。でも、全力でやった結果が今なのは間違いない、かな……」


 セルカルは心底がっかりしたようにうなだれて言った。


「……だったら、もう無理だろ」


「無理って……セルカルは諦めるの?」


 少しむっとしながら、感情を乗せて言葉を言ってしまう。

 語気も少し強くなっていたが、自分では気がつかずに会話を続けた。


「全力でやって、こうなったんだぞ? もうやりようがないだろ。逆になんでアンタはまだそんなにやる気なんだよ。今ついさっきまであんな惨状だったのに……。よくまたすぐに次のことを考えられるな。俺には正気とは思えない」


 少しの間、会話が止まる。 あまり良い雰囲気の沈黙ではなかった。


「別に、やめたところであんたに悪いことなんか一つもないだろう。むしろ良いことじゃないか。危険なことから避けられるんだから。なのになんでそこまで固執して危険なことを進んでやろうとするんだ」


「でも、そうしないと花人族が」


「花人族の俺が、今諦めようっていってるんだぞ。それがすべてで、もうその時点でアンタには何も関係がないだろう」


「でも……。花人族がいなくなったら、少女も──」


「それだってすでに別の人が別の形で動いているんだろう。あんたのやってることは『保険』なんだから。その人には別の手段がすでにあってなんとかしているかもしれない。そうだったら俺たちはもう用済みだ。そうだろ」


「そんな理屈なんて……」


「──なあ。アンタはずっと『誰か』、『誰か』と……人のことばっかりなんだな。アンタの話には自分自身が全然でてきやしない。アンタの心は、どう言って成し遂げようと思ってるんだよ?」


「…………私は……」


 何かを言おうとして、でも言葉が出てこなくて口を閉じる。

 その様子をみてセルカルはため息をついていった。


「俺たちには無理だ……。不相応だったんだ。

 諦めよう……。俺は諦める」


 そうしてセルカルは背を向ける。

 それは同時に、竜木からも背を向けたということ。


「私は……諦めない……」


 駄々をこねた子供のように呟いてしまう。

 セルカルが立ち止まった。

 

「だからッ! 何でそこまでこだわるんだよッ!!」


 セルカルは苛立ちながら振り返らずに叫ぶ。


「私は、絶対に、諦めないッ!!」


 感情的に、叫んだ。

 なぜ……? わからない……。

 もはやセルカルを説得するためでも、なんでもない。


 ただ思考も感情もぐちゃぐちゃになって、どうすることもできなくなって、それでも振り絞って出てきたのものがそれだった。


「…………ッ!!」


 苛立ちながら振り返ったセルカル。

 互いに向け合った視線が交差したとき、一瞬セルカルの目が何かに怯えるような目をして、一歩引いた。


 ──そして


「わかったよ……。チッ、こんなこと最初から言い出さなきゃよかった。あぁ、わかってるよ。言い出したのは『俺』なんだ。俺なんだよなッ。俺らのためにアンタを巻き込んで、俺らのためにやってもらってるんだよな。知ってるよッ! あぁ、もう仕方ねえ、やるしかないんだろっ、やってやるよ、クソッ!」


 やけくそ気味に、セルカルが折れた。


「おい、手を出せ」


「手……? なんで……?」


「いいから、早くしろって」


 そういって引ったくるように手をとられる。

 袖をめくられるとセルカルは服からしまっていただろう何かを片手で取り出した。


 それは──『花』だった。

 黄色い、綺麗な花で、一瞬向日葵かと思った。だけど異世界なのに向日葵があるわけもなく、実際よく見てみると全然違う、見たことがない花だった。


 セルカルは手に置いたその花を、少しだけじっと見つめていた。

 そして舌打ちを上げて、そのあと直後手の平にのせた花を『握り潰した』。


「えっ」


 驚いて声をあげるが、セルカルは集中しているのか一切反応をしなかった。

 黙って様子を見ていると花を握った手から段々と淡い光が指の隙間から溢れ出しはじめる。花が見えないほどしっかり握り締められているためそこで何が起きているのかは見ているだけじゃわからない。


 セルカルは、花を握っている手を、握られたままだった私の腕の上へと移動させる。


 するとそこで、手の中から溢れる光が、重力へ従うように下へと集まりだした。

 集まっていく光は、より小さく、より強い光となっていく。


 やがて限界まで小さくなったと思ったときだった。『集まった光』が『滴』となって溢れ落ち、セルカルの手の表面を重力にそって垂れるように伝っていく。重力に逆らって、フェンスに残った雨の滴のように、少しだけセルカルの手に留まっているのをみたとき、液体になった宝石を見ているかのようだった。


 やがて滴になった光はセルカルの手から離れて、私の腕にこぼれ落ちた。


 その滴が腕についた瞬間、腕のあちこちに『花が咲いた』。

 いや……。一瞬そう見えただけで実際に咲いたわけではなかった。


 よくみるとそれは花の絵のような、あるいは模様のようなものだった。それが片方の腕を覆うように描かれている。描かれた花の形はさっきセルカルが持っていた花と同じ。それが一輪の花をまるごと押し込んで腕の中で生きてるかのように映っている。花は重ならずに、点々と間隔をあけて描かれていて、それらを一本のうねった茎が繋げて肩の方まで延びていた。


「……すごい……」


 感動して呟く。手で触ってみるがいつもの肌の感覚しかない


「……これが花人族の『固有スキル』の【花紋かもん】だ。文字通り花の紋を描いて色々な効果をあたえるスキルなんだが、その効果は『花』ごとに変わる。俺の花は『身体能力』が『大幅に向上』する。といっても時間制限はあるけどな。でもきっと力になるはずだ。……もっと早くに使えば、なんて言うなよ? アンタがそんなひ弱だとは思わなかったし、それに俺はこの力が本当に嫌いなんだからな」


「……いや。今使ってくれただけでも、十分嬉しい。

 ありがとう、セルカル。

 これでもしかしたら『可能性』が出てきたかもしれない」


「当然だろ……。俺に【花紋】を使わせたんだ。

 それで負けたなんて許さないからな」


 真剣な目を真っ直ぐに向けてセルカルは言った。

 

「わかった」


 その目を真っ直ぐに受け止めて、私もうなずいた。


「よし、ならば急ぐか。もう日が沈みかけてる。夜になったらいよいよ手がだせないぞ」


 気づけば空は綺麗な夕焼け色に染まっていた。

 それどころか視界の端ではうっすらと夜が侵食している始末だ。

 夜になれば樹新婦の成体は活発的に動き始める。そうなる前に終わらせなければならない。


「急ごう」


 私たちは懲りずに、再び竜木の広場へと向かった。



 ◇



 再びやってきた竜木の広場の様子は最初にみたときの光景とほぼ変わっていない。

 成体の木があり、その周囲に小蜘蛛が芝生のように群がっている。

 どちらもまるでさっき戦いがなかったように、植物になり切って大人しくしていた。

 

 ただ変化もある。

 少し離れたところで一本、木が増えている。

 あれが竜木の上から降ってきたという二体目の樹新婦の成体だろう。


 今度は小蜘蛛の群れと一緒にもう一体の成体も、セルカルの方へ行かないように引き付ける必要がある。なので難易度はさっきよりも高い。【花紋】を入れてもらったけれど果たしてそれがどれくらいの効果なのかを試せる時間はなかった。いきなり本番でやるしかない。自信をもって「できる」とは口が裂けても言えない状況だった。


 ──それでも、やらないと。


 位置についたセルカルの方へ向くと、こちらをすでに見ていたセルカルがうなずいた。配置も最初の作戦と変わらず、初動も変わりない。結局のところ小蜘蛛と成体をセルカルがスキルを終えるまで引き付けるというだけの話だ。


 竜木の広場へと踏み出す。


 脳裏にはまだ、生々しいほどさっきの戦いの感触が残っている。

 体内を蜘蛛が歩く感触を思い出して強烈な吐き気がこみあげてくる。


 それらのすべてを無理やり押し込むように、広場の中へ入り、糸根毛を踏み抜いた。最初と同じように小蜘蛛が波うつように襲いかかってくる。セルカルの名を叫ぶと、最初と同じように成体の方へ走り出していた。


 ──『【花紋】は魔力を流すだけで発動できる』。


 セルカルから受けた【花紋】の説明を思い出しながら、発動させる。ふと【花紋】が入った腕を見てみると描かれた花がぼんやりと光っていた。無事発動できた証だろう。実際に体はいつもより軽い。そして力は漲っている。


「(──これなら)」


 私は襲いかかってくる小蜘蛛の集団に向けて、思い切り剣を振る。

 それはただ剣を振っただけの動作で、一見すると意味がないものだ。そもそも数に物を言わせた小蜘蛛の群れに剣という武器がまず向いていない。


 【花紋】のないこれまでの私だったら。


 ぶわり、という音とともに、衝撃のような風が巻き起きる。

 衝撃は土埃を大袈裟に起こしながら、小蜘蛛の波を飲み込んだ。無数の小蜘蛛が衝撃の勢いに負けてバラバラになって吹き飛んでいく。

 これまで剣ではどうしようもなかった小蜘蛛集団の動きが、一瞬だけ止まる。


 ……すごい。


 自分で引き起こしたことに自分で驚きを感じながら、小蜘蛛の波を何度も同じように迎え撃っていると視界の奥で樹新婦の成体が動き出したのを捉えた。


 動いたと言っても樹新婦は、すぐにその場から移動するわけではなかった。何をするのか見張っていると、広場に大量に張り巡らされた糸根毛が繋がっている脚の先端に集まって、束ねられ、固まっていく。どうやらそれは脚を長くするためのものだったようで、あっという間に脚の長さが元の何倍になっていた。

 前回の戦いでは伸ばして届くなんて距離を軽く超えて、攻撃をとどかせていた。その理由がこれだったのだと分かった。


 そして樹新婦の成体は、伸ばした脚を地面と平行するように横に立てた。脚の先端は、狙いすますように、真っ直ぐに私へ向けられている。槍の穂先を向けられたような感覚。それがなんのためかは簡単に想像できた。実際その直後に起きたことは想像通りだった。


 ──キンッ!


 伸ばされた脚は前回同様、私を貫くようにして襲いかかった。それを咄嗟に剣で弾いて、甲高い音が周囲に響く。弾かれた樹新婦の脚が、小蜘蛛集団に当たって被害を与えていた。成体のほうも予想外に脚を大きく弾かれたためか、胴体が若干つられてよろついている。その様子をみて確信した。


「(──これならいける)」


 ふと、視界をひらひらと『花びら』が横切っていく。

 花びらはいくつもの光の粒子となって溶けるように空気へと消えた。


 腕をみるとさっきまで満開に描かれていた花の一つ、その花弁が半分ほどまで散って減っていた。


『この力には”制限時間”がある。【花紋】は使っている時間の経過によって、花びらが散っていくんだ。すべての花が散ったら【花紋】の能力は終わりだ。そこからは自力で戦うしかない』


 セルカルの言葉を思い出す。

 不安要素はある。完全に気を抜くことはできない。

 でも可能性が、ある。


「いける……。成し遂げられる。

 きっと変われるんだ、セルカル。私たちは──

 私は、強く」



 ──秋のように。



 圧倒的な力で『風残花』という障害をたやすく蹴散らす秋の姿を、思いながら心の中で呟いた。

 そしてすぐに襲いかかってくる樹新婦との戦いに意識を没頭させた。





 どれだけ戦っていたのだろう。

 空を占める夕暮れの割合は、すでに夜が圧倒している。

 微かに残る夕暮れの光を頼りに、拮抗した戦いを続けていた。


 そんな状況が変わったのは唐突だった。


 戦っている最中に『樹新婦の成体』が空から落ちてきた。

 今戦っている成体とは別の個体だ。このタイミングで新手が現れるなんて、と絶望感がわきそうになる。だがその樹新婦の成体は私を無視して、私が元々戦っていた成体へと襲い掛かっていた。その様子を不思議に見ていると少し遠くからセルカルの声が聞こえてきた。


「やった……やったぞ、日暮! 契約したッ! できたんだッ!

 ソイツに、その成体の相手は任せろ! そいつに抑えさせて、俺はもう一体にも【神獣化】のスキルをかける! だからそれまでなんとか小蜘蛛の方を頼む! そうすればもう俺たちの勝利だ!」


「わかったッ!」


 小蜘蛛をセルカルから引き離すように動きながら、引き付ける。

 時間を稼ぐのは、成体という負担が一つへったおかげで、確実に行えた。それでも最初のような目にはあいたくないので少し過剰なほどに慎重に立ち回る。


 セルカルからもう一体の神獣化に成功した報告を聞いたときにはもう陽が沈み切っていた。

 とてもはしゃぐような声が聞こえてくる。


「契約できたッ! やったぞ、二体目だ!

 達成したんだ、俺たちは! これでこいつらの力は『俺の』だッ!

 変わったんだ、これで! 俺は!

 そして手に入れた力で、これからもっと変わっていくんだ!」


 嬉しそうにそう報告してくる……が、まだ小蜘蛛はピンピンとした様子で未だ襲いかかってきている。


「セルカルッ! この小蜘蛛はどうすればいい!?」


「小蜘蛛……?」


「契約するのかッ!?」


 戦いながらなため少し荒ぶった口調で尋ねると、はっとしながら慌てて言った。


「……逃げるぞッ!」


「!? ──わかった!!」


 走り出したセルカルに続いて、広場の外へと走り出す。

 なんとも締め切らない形で戦いが終わる。でもようやく何かを成し遂げられたためか気分はそんなに悪くなかった。


 そんなことを思いながら、竜木の広場から逃げて離れた。







「はぁ、はぁ……」


 二人であがった息を整える。

 来た時に通った、獣道のような坂道の途中だった。


 ぐったりと、木にもたれかかるように座った。


 とても疲れた……。

 眠い……。でも当然、今眠るわけにはいかない。まだ帰る道がある。

 ただ今は少し休みたい……。


 そう思っていると、側でセルカルがなんだかそわそわしていた。


「なぁ、ちょっと新しい神獣様の様子を見に行ってきていいか? 

 逃げ切っといてなんだけど、気になるんだよ。本当に契約できたのか、言うことをきくのか不安になってくるし……。今後のことも考えないといけないしな。戦う前みたいに遠目で見てるだけだから、ちょっと行ってくるわ」


「なら私も……」


「いや、あんたは休んどいてくれて構わない。ここらなら竜木も近いしそんなに魔物もやってこないだろうから」


「でも、本当に大丈夫?」


「おいおい、忘れたのか? 何かあったって今の俺には神獣様が……手となり足となる樹新婦の成体が二体味方してくれるんだぜ。何かあったとしても自分でなんとかするさ」


「……そうだね」


 少し考えて、そう返した。確かにそんなに問題もなさそうだ。


「じゃあ私はここで少し休んでるから。

 確かに、少し疲れた……」

 

「あぁ! ゆっくりしてろよな!」


 そう言ってもう一度竜木の広場の方へと向かうセルカル。 

 その背中を見送る。月と、星の、白い光に照らされた道は意外と明るく、思っているよりも長く姿を視界に捉えられた。そして姿が見えなくなって、正面に視線を戻すと、道から外れた森の深い穴の底のような闇がこちらを見ていた。今にも何かが這い出てきそうで恐ろしい。


 少しの時間ぼうっとしていると、ふと、視界を一枚の花びらが舞う。

 それは戦闘中に何度もみたものだった。


 【花紋】を入れられた片腕を見てみると、あれだけたくさん咲いていた花が最後の一輪だけになっていた。その残った花も、今散った花びらが最後だったようで、溶けるように【花紋】が消えていく。どこか物寂しさを感じながらその様子を見つめていた。




 ──『俺は変わったんだ』。




 戦いが終わったとき、セルカルがそう言っていた。

 私は……どうなのだろう。

 

「私は……何か、変わったかな……?」


 この戦いを終えて、何かが変わっただろうか……。

 強く、なれたのだろうか。


 『変わっていないね』。


 頭の中で、私についていた『二人目』の先輩勇者が答えた。


 『変わっていませんっ』


 人物が切り替わり、続けて千さんが同じことを答える。


 『変わらない』


 そして、テリも。


 「変わらないな」


 頭の中で、続くように否定される。

 それが私の想像なのだとしても……。

 実際に尋ねれば答えはきっと同じような気がした。


 やっぱり私は、何も変わっていないし、変われていないんだ……。

 確かに、成し遂げたられたのに。

 でもそれなら、どうしたら私は変われるのだろう。


 どうしたら、もっと、強く──



「…………?」


 ふと、気になる。

 


 『最後の言葉』は……誰が言ったのだろう?



 立ち上がり周囲を軽く見回す。

 だが周囲で特に変わった様子はなかった。

 そのことに、少しほっとした。


 そして、もう一度元の木に再び腰かける。

 そう、しようとしたときだった。


 ──ゾッとした。


 木に腰かけようと根本へ視線を向けたときだった。

 そこから、ちらりと、こちらを覗き見ている存在に気がついた瞬間。

 身体のだるさのすべてが吹き飛ぶほど、とてつもない驚きを感じた。

 

 なぜなら『それ』は今ここで見るべきではないものだったからだ。


 それほどありえなかった。

 同時にありえてはならなかった。


 それは魔物ではない。

 だけどこの瞬間だけは魔物であればよかったと心底思う。

 でも違う。私は『それ』を知っている。

 

 それが──『人形』であることを知っている。


 何も喋らずにこちらを見つめる視線に耐えがたい焦燥を覚えながら、受け入れがたい真実を受け入れるように、震えた唇で私はそれの名前を言葉にした。


「じゅ、『十華』…………」


 今現実に起きている出来事を、拒絶するように身体が震える。

 それが恐怖なのか、不安なのか。それすら考える余裕も……もうなくなっていた。

 

 ざっ、ざっ、と。

 森の中を進んで歩む足音が、ゆっくりと耳に届き始めた。


 無意識に近づく足音から距離を取るように後ろへ下がっていた。だけど途中でつまずいて尻餅をつくように転んだ。しかし姿勢すらも変えられず、臀部をみっともなく地面にこすりながら後ろへ下がり続ける。


 それなのに、視線は音が聞こえてくる森の闇に釘付けだった。


「変わらないな──坂棟」

 

 重厚な男の声が発せられて聞こえてくる。


「随分と、探したぞ……。

 まさか生きているとは、誰も思っていなかった。

 だが見つけたぞ。だいぶ遠回りをしたがな……」


 ゆっくりと声の主が、月明かりに照らされる道の中へと入ってくる。

 その姿があらわになっていく。

 

「久しぶりだな。飯はちゃんと食べているのか?

 調子は……相変わらずのようだがな」


 44代目──『橙色の勇者』、幌は世間話をする調子で言った。


 それなのに──。

 彼が服の内側に手を入れ、何かを取り出す。

 それは世間話する相手に見せるには、まるでそぐわないものだった。


 『拳銃』だった。


 彼は銃口を流れ作業のように私へ向ける。

 そして直後に、引き金を引いた。

 一切の躊躇いを見せることなく、一瞬で。

 

 森に発砲音が響く。


 同時に、額に衝撃が走った。




【新着topic】


【時系列の整理】


:秋と出会う(1日目の朝)→地下人と出会う→ファウツァと出会う→日暮と出会う(1日目の夜)


その他:ゴブリンとファウツァの戦い(2日目の朝)


【名詞】


『花人族』


魔族に含まれる種族の一つ。世界でも珍しい他者を強化するという力をもつ。神獣と呼ばれる魔物を使役して、その力を強化し戦い守ってもらう。そのかわりに様々なお世話をする。そうやって古来から暮らしてきたが魔族の国に併合され強制的に移住させられたのをきっかけに文化が途絶え始めて弱体化が著しくなった。陽射しを浴びないと1ヶ月ほどで栄養がとれなくなり枯れて死ぬ。家族とは別に咲く花の種類ごとにコミュニティがある。どんなことをしてるのかはそれぞれ教えてくれない。


【固有スキル】


『花紋』


花人族の固有スキル。自分の体に咲く花を使って他者に何かしらの恩恵をあたえる。花人族同士でかけあってもできないという致命的な機能的欠陥がある。そのかわり同じ個体に何人も花紋を刻むことができるため花人族の全盛期は全身花だらけの魔物が異常に強力すぎて誰も手をだせなかったとか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] めちゃくちゃバフもらった状態でセーブするしかないなこれは
[一言] セルカルは、弱い花人族が嫌いだけどとかはわかるけど、神獣の力を『俺の』力だと言ってしまう時点で、歪んだコンプレックスと弱いからこその強さへのあこがれを感じたが、正直神獣化へは日暮の力が不可欠…
[良い点] セーブ&ロードの使い道が見えたのでは? [気になる点] 花紋のような効果がついたときにセーブしてちゃんと効果保存されるのかな? [一言] 既に誰か言ってそうだけど、ナルトの八門や北斗の刹活…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ