第84話 何か、全く別の何か①
沿岸部に近づくにつれ、街だった名残を感じる場所が増えていた。
今いる場所もそうだ。鬱蒼と生えた木々の間には、時折ねじ込まれたように廃墟となった建物が立っている。
地面には微かに整備されていた面影があり、他の未開な場所に比べれば断然歩きやすかった。
だが──。
唐突に行われた攻撃は仲間の一人を奪うだけにとどまらず、そんな道も粉々に破壊した。
そしてつい一瞬前まで視界を攻撃の残骸が埋め尽くしていたが、唐突に起きた強い風によってそれらも吹き飛ばされた。
しかし名残を残すかのように、天使の羽と、土埃と、道だった破片が微かに宙を漂っている。
隊員の誰もが現状の把握すらままならなかった。
そんな中で一人、ウォールグルトだけは目の前にいるのが『魔族』だとわかった瞬間には、駆け出し、まるで猛獣のように飛びかかり襲いかかっていた。
──【決死】。
ほとんど切り札といっていい【ユニークスキル】すらも即座に発動させて。
『出し惜しみ』はいらなかった。そんな余裕を感じさせない格上の相手だと一目で分かったからだ。それに元々、隠すべきようなスキルでもない。
【決死】は『レベルの差』が大きければ大きいほど、ほんの少しの時間、身体能力が上がると共に、レベル差の分だけ高い威力の一撃が放てるスキル。
つまり相手との『レベルの差』を把握するのにも適しているということだ。むしろ一番槍に相応しい。
「──思い切りがいいですね」
天使族の男──ファウツァ=ラァレレリはウォールグルトの一撃を避けた直後に、余裕を見せつけるような口調でそう言った。 しかし態度とは裏腹に、実際には攻撃を掠めた髪の部分が微かに宙を舞っている。
「ユニークスキル【決死】。最近そのスキルで巷をにぎわせてる人間が確かいましたね。『決死騎士』……獣人族との戦いにおいて、目覚ましい活躍をしたとか。……フフフ……怖いですね。私が『1LV』だったら、自分が倒れていましたよ?」
相手のレベルを見誤り、間違って格下にでもスキルを使ってしまえば、【決死】は高い威力の攻撃を自分自身に向けてくる。もし魔族の男が言うように、レベル1の相手にスキルを使ってしまったとしたら恐らく立っていられないだろう──が。
それは額面通りに受け取ったらの話だ。
今言った天使の言葉は、もっと醜く、侮蔑的なものが含まれた『挑発』だ。
──世界には、『生まれた瞬間のレベル』というものがある。
何者であろうとも生まれた瞬間があり、同時に、その瞬間からレベルは存在する。当たり前の話だ。
そしてその瞬間のレベルだけは、誰にも、どうすることもできない。レベルの高い者が親なら子もレベルが高く生まれる、なんていうような眉唾な話が『人間社会』には溢れかえっているが、現実には何の関係もありはしないだろう。
むしろそうして現実から視線を逸らすような噂話が、より一層、意識させる。
それが、この世界で受け入れるしか方法のない『世界の法則』なのだと。
だからこそ現実から視線を逸らしたくなるような気持ちは自然なものだ。
『レベルが高い者』ならばいい。気にしないだろう。だが『レベルが低い者』ならばたまったものではないのは当然だ。
そして特に『人間』という種族であるなら、なおさらだ。
『生まれた瞬間のレベル』は『種族ごと』に定まったものだ。それは平均的なもので、個人で多少上下に幅があるものの、そこから大きく逸脱することはほぼない。『種族レベル』と呼ばれる世界に存在する目に見えた格差であり、明確な理不尽だ。
そして目の前の天使族を含めた魔族たちは、一番種族レベルが低く弱いとされる『花人族』ですら『100LV』より低いレベルで生まれてくることはないという。
つまりこの天使の男が口にした「私が『1LV』だったら」なんて仮定はこの世界で絶対にありえない。
むしろその可能性がこの場であるのは人間の方だ。
人間の種族レベルは……たった『10LV』だ。そして多少上下することで『1LV』で生まれてくることも珍しい話ではない。
つまりそれだけ魔族と人間には生まれた瞬間から理不尽な差が存在している。魔族は生まれた瞬間から、努力した大人の人間よりも高いレベルを持っている……そんな相手から絶対にありえないような『自分が1LVだったら』という話をされるというのは──
『ありえる』側からしたら侮辱極まりない話だ。
ウォールグルトは隊員たちが殺気だっているのを肌で感じる。
だが感情を昂らせたからといって戦いはどうにかなるものではない。むしろ相手もそれを狙っている可能性すらもある。
落ち着く時間が必要だ。それにできれば情報も欲しい。
「ずいぶんと取るに足らないはずの人間の事情に詳しいのだな。ところで──よく避けられたな。 今の【決死】の一撃を」
ウォールグルトは天使の言葉に、答えを示した。
「いえいえ、大したことではないですよ」
「あぁ、確かに大したことのない一撃だ。貴様程度との『レベル差』ではあまり威力は期待できないだろうと思っていた。前に『魔王』に放った一撃は、人生で経験したことのないほどの威力を出せたがな」
「フフ……これはやり返されちゃいましたか?」
「それでさっき言っていた『私の獲物』、というのは何のことだ?
『花人族』か? やはり、いるのだな、この森に」
「………………」
天使は答えない。ただ不気味に浮かべた笑みを深めるだけだった。
しかし薄く開いた目の奥から見える、殺意の色は、より濃くなっているようだ。
「貴様を見て確信した。我々が見つけた『厄災の花』。あれは自然に繁殖するようなものじゃない。──貴様の仕業だな。この森に起きている『異常』は」
「フフ、フフフフ」
急に天使は笑い出す。
「アハハハハハ──」
笑い声と共に、天使の周囲に壁を作るかのように、爆風が巻き起こる。
「ッ! ──『風魔法』の攻撃です!」
部隊の魔法師が叫ぶように言う。
即座に天使に斬りかかるが、そこにはすでにいなかった。
周りの隊員たちは巻き起こった風の勢いに押され、斬りかかることすらできていない。
「どこにいった──」
「隊長、上です!」
言われるがままに見上げると、上空には浮かぶように飛んでいる天使がいた。
一瞬の出来事にもかかわらずすでに顔が見えるか見えないかほどの距離をあけられている。やはり一筋縄ではいかない実力をもった魔族だ。油断はできない。
ウォールグルトは即座に隊員を集めて、指示を出した。
◇
「仕方ない、ですよね……」
そう呟いたファウツァ=ラァレレリの声は、とても憂いを帯びていた。
「今回は計画に『必要』なのですから。つまり、これは、そう」
しかしその反面、浮かんだ表情は、満面の笑み。
「──『必要経費』なのです。
前回は私は人間に『無駄な消費』をしてしまいました。それは人間から仕掛けられた『陰謀』ッ!、貴重な時間を奪う、卑劣な策略なのです。
ですがッ! 今回は違います。今回は私のほうが『陰謀側』です。ですから『無駄』じゃない! どれだけ人間に時間を割いたとしても! 殺したとしても! フフ、やった! ハハ、アハハハハ!!!」
地上から、魔法がいくつか飛んできていた。
『火の魔法』で発動できる『火球』だ。先ほどの人間たちの中にいた、魔法を使える者の攻撃だろう。しかしあまりにも雑で子供じみた魔法だ。そんな魔法を羞恥なく使える事実にむしろ驚きを感じる。舐めてる飴玉を口から飛ばす子供のような攻撃だ。
「──人間ッ! やはり殺したくて仕方がないッ!!
【換装】ッ!」
天使族の『固有スキル』を発動する。
すると一瞬にして全身を堅牢な『鎧』が包み込む。柔らかい優しげな天使の印象が消え、代わりに天に仕える使徒をも思わせるほど、荘厳な雰囲気を纏う騎士の姿があった。手にも武器として『槍斧』が現れている。
そして、地上に向けて『魔法』を発動した。
放つ魔法は『火球』だ。こちらに向かってきている人間の魔法と同じ。
同じ魔法なのは当然ながらあえてだ。『格の違い』を明確にするために。
目の前に、作り出した『火球』が現れる。一瞬でとてつもない熱気が周囲を覆う。
このまま飛ばさずにいることもできるが、熱い。攻撃の魔法はこれが鬱陶しい。さっさと地上に向かって魔法を放つ。
放った魔法は、人間が放ったものよりも断然大きく、速く、密度も高い。
そうなれば負ける道理などあるわけがない。途中で人間から放たれていた魔法にぶつかる。人間が放った魔法は複数なので、一発では数では負けている。しかしそのすべてをその一発でかき消し、地上へ襲いかかった。
──人間は、可哀想な生き物だ。
こうして空から魔法を放ち続けているだけで、一方的に始末されてしまうのだから。
そう思っていた。
だが魔法が地上に当たるという寸前に、蹴り飛ばされたかのように魔法があらぬ方向へ弾き飛ばされる。飛んでいった魔法は辺りで一番高い廃墟の建物に当たって、大量の瓦礫を辺りに撒き散らしながら爆発し霧散した。
魔法が本来落ちたであろうはずの場所では、『決死騎士』が空を見上げるようにして、こちらを睨みつけている。
──流石です、ウォールグルト隊長!!
──まだだッ!
──え?
空を見上げる決死騎士の側で、同じように視線を上にあげる魔法師の表情が、たちまち絶望に染まっていく様を視界に捉えながら、絶え間なく魔法を『放ち続ける』。
人間とは魔法に対しての尺度が違うのだと、人間たちは思い知っただろう。人間の魔法師は強力な魔法を見て『こんな強力な魔法は一発止めれば終わり』だと無意識に思い込んでいた。だが実際にはこの程度の魔法なんて、いくらでも放てる。人間と魔族の明確な差を今この瞬間ようやく理解したことだろう。あの魔法師も。
そうして地上に魔法がいくつも降り注ぎ、辺りに爆音が響き渡る。
「フフフ。アハハハハ」
『鳥人族』は蜘蛛に恐怖を抱く理由を『血』だと言っていたが 、その部分だけはきっとわかり合えるだろう。話の大部分は共感できなかったものの。
今まさに、それを感じている。
とはいえ、蜘蛛への恐怖ではないが──。
脈々と受け継がれてきただろう天使族の血が望んでやまない『人間族を殺したい』という強い欲求。
普段はそれに取り憑かれた同族たちを『時間の無駄』だと一蹴してきた側だ。しかしやはり呪縛からは逃れられないのか。目的のために必要なことで無駄じゃない。いくらでもやっていい。 そういう状況になってしまうと、やはりだが──
「(楽しくて仕方がない……!)」
──ブォン。
「ギョエッ!?」
唐突に、凄まじい衝撃が頭部を襲った。
あまりの衝撃に鎧の頭部が取れて落ちていく。
その様子を、ズキズキと痛む頭を抑えながら、視界に捉えていた。
それと同時に落ちていっていく、『投げられた』だろうものも、また同時に。
「『手斧』を投げられた……? 空を飛べないからと言って、こんな『馬鹿力』で原始的な攻撃をしてくるとは……。人間如きが、やりますね。効きましたよ……決死騎士……」
いや──。
違う得物の攻撃でここまで強い威力を出せるだろうか?
ということは他の人間に手練れがいた?
さっき見たときには、決死騎士以外にここまでの攻撃を繰り出せるほどの実力がある者がいるようには思えなかった。
そもそも── 。
痛みが和らいでいく頭が、少しずつ状況を思い出す。
そんな記憶の中には、微かに聞こえた手斧が飛んできた音……その『方向』なんかもあった。
ふと、思う。
「(『飛んできた方向』が人間のいた場所と、違う……)」
気づいた途端に急いで『その方向』へ顔を向ける。
そこにあったのは、この辺りで一番高い『崩れた廃墟』だった。
いや、正確には今もまだ崩れ続けていて、瓦礫が落ち、土埃が立ち上っている。
その建物をみて、頭に光景が思い浮かんだ。
地上にいる人間たちに放った魔法が、決死騎士によって弾かれた時の光景だ。
そうだ、思い出した。建物は決死騎士に弾かれた『火球』が当たった建物だ。
「(人間がやった攻撃じゃない?)」
なら、一体誰が攻撃を?
注視しながら建物を見ていた。
煙は今もなお、しつこく上がり続けている。
──ぞくり。
「?」
妙な悪寒を感じる。それが何かは分からず、煙を注視していると
一瞬その姿を煙の中から捉えることができた。
「これは、驚きました」
そこにいたのは『三体のゴブリン』だった。
だが──。
「『異様』、ですね……」
そう、思ってしまった。
片腕に刻まれた模様からは人のような『文化』が。挙動や顔つきからは発達した『知能』が。そして何より、ゴブリンでは見たことがないほどの強靭な体躯は一目見ただけで研ぎ澄まされていることがわかる。
しかもそれらすべてが、ゴブリンとは無縁の、かけ離れた真逆のものだ。
それらをだが、実際に備えて目の前にいる。そのことに困惑せずにはいられない。なぜならそれは『ありえない』からだ。
建物にいるゴブリンたちは、見ているのか睨んでいるのかわからない目つきで視線をこちらへ向けている。
──なるほど。
そこでふと、ある考えに辿り着き、ゴブリンたちに向かって魔法を放った。
魔法はゴブリンたちがいる場所へ向かい、着弾する。建物のことなど考えずに魔法を放ったため、魔法は建物ごと飲み込んで、耐えきれずにゴブリンを巻き込むようにして倒壊した。
こちらに向けて攻撃をしてきた。
それはつまり人間たちがゴブリンを使役して援護させたのだろう。
そうだ。そうでなければ説明がつかない。
あんな生まれてこの方みたことがない異様なゴブリンが存在する理由の説明が。
「……ついに堕ちるとこまで堕ちましたか。人間たち、は──
──ァァアァア!?」
突如地面に身体が引っぱられる。そして、いつの間にか自身の足に太い縄のようなものが巻き付けられているのに気付いたのはその後だった。
最悪だ。油断した。ゴブリンに気を取られすぎた。
地面に向かって伸びる縄は、地上からとても強い力で引っ張られており、脱出は困難だった。
結局、抵抗する余裕がないほどの速度で、地面に叩きつけられた。
幸い、翼をクッションにしたため衝撃による損害はなく
落ちた瞬間に仕掛けてきた卑怯な攻撃も、当然、受け止めている。
卑劣な人間のしそうなことだ。だが油断したところで、所詮は人間なので気をつけていればどうということはない。
武器をぶつけ合ったまま、こちらを睨み付けている『決死騎士』の身体を蹴り飛ばす。衝撃で後方へと吹き飛んでいくが、その程度でダメージになるわけもなく、平然と着地して再び立ち上がっていた。
た。
そしてそんな決死騎士の背後に、彼の仲間の人間がずらずらと現れる。
全員がこれまでつけていなかった『鎧』を装備していた。決死騎士自身も、同様だった。
「全員、下手に手を出すな。『天使族』は近接戦も手強い。自分が主軸になって戦う。距離を取りつつ援護を入れろ。分かったな」
「「了解!」」
そんなやり取りをする傍らで、立ち上がる。
そして俯いていた顔を上げる。
すると「ひっ」と人間の集団から小さな悲鳴が上がるが、血が頭に上りすぎていたため気付くことはなかった。
ただ胸の内からこみあげてくる『怒り』のままに、叫ぶように言った。
「よくも『その鎧』をッ、『天使族』である私の前で、つけられたものだな!!
このクソ人間共がッ!!
魔物の餌にすらならないほどバラバラにして殺すッ!」
一瞬で、姿が消す。
その直後、凄まじい風と、武器と武器が撃ち合う激しい音が、同時に起こった。
上位魔族と、決死騎士が、本気で互いの命を奪うために切り結んでいた。
本格的に戦闘が始まった──その時だった。
「隊長ッ! 背後から『ゴブリン』がッ」
隊員の一人が叫ぶ。
気が抜けない戦いの最中の話しかけられ、流石に苛立ちを隠せずに怒鳴るように答えを返した。
「──ッ! それぐらいなんとかしろ!」
「で、ですが何か、普通とは様子が──
わ、わかりました!」
雰囲気に押され、隊員は引き下がる。
話している間も、凄まじい攻防が続いていて、余裕がないのは一目瞭然だったから。
そんな中、ファウツァ=ラァレレリは考えていた。
「(──あのゴブリン達……。人間が使役しているわけではないのか? だとしたら、余計にわけがわからない……逃げ出さずにあえて戦闘に入ってくるというのも、謎ですが──)」
ここにいる目的は何か。
それを考えれたとき、決してゴブリンが現れたのは悪いことではない。そう思い直した。
「(この人数の人間が、ゴミ同然とはいえ、『鎧』を纏っているのは少し想定外であり厄介だ。一人の現状だと少し手を焼くのは間違いないのであれば……せいぜい足止め代わりにでもなってもらいましょう)」
今もなお響き続けている攻防の音に、凄まじい攻撃の音が新たに加わる。
それはほんの数秒後の、出来事だった。