第83話 元々の小さな波紋
『ファウツァ=ラァレレリ』=なんか企んでる天使族の男
ふと、目の前を蝶が横切った。
まるで自分自身の──『天使の羽』のようだった。
すべてが真っ白に染まっていて、舞い落ちる一枚の羽に見えなくもない。そんな蝶だ。
「(見たこともない蝶ですね……)」
『ファウツァ=ラァレレリ』は純粋な物珍しさで、蝶に目を奪われた。
この樹海に入り浸るようになってだいぶ時間が経った。それこそ、季節の移ろいをこの目で見た程度には。
こんな未開な地、住む環境なんて何ら整っていない場所にしては、破格なほど時間を割いている。その時間で、少しの不備も起きないよう周囲の生態はほぼ完全に把握している。それなのに見たことがない。
何より今いるこの場所は、この樹海でも頂点に近い種族の魔物しか住めない『竜木』だ。そこにあえて近づいてくる魔物なんて、この樹海に住んでいる魔物なら、滅多なことではありえない。
──いったいなぜ……?
深刻な表情で考えて、それからニヤリと表情を一変させた。
「つまり計画は順調! ──と、いうことですね」
そして満足げにそう呟いた。
『読んでいた本』に再び目を落とす。すでに蝶への興味は無い。
だが落とした視線の上側で飛んでいる蝶が見え隠れしていた。邪魔くさいことこの上ない。無視しようにも、あまりにも白いために、点滅した光のように見えるのが不快さに拍車をかける。
睨み付けるように、本から視線をあげた。
「鬱陶しいな……。それに思えば、生意気ですね……。
虫如きが……。その身を『純白』に染めるなんて……。
それは我々『天使族』のものですよ?」
そういって手を払った。本当に軽く払ったような仕草だった。
それにも関わらず、周囲にある竜木の葉がざわざわと大きく揺れる。蝶如きが耐えられるはずもなく、川に流されていくかのようにもみくちゃになりながら吹き飛んで行った。
でも逆に言えばそれだけで、羽がもげたりすることもなく、少し離れた場所で何事も無かったように蝶は飛んでいた。
その様子を、不機嫌に見つめながらも呟く。
「まぁ、視界に入らなければいいでしょう」
と、その蝶への興味を再び失う。
再び本へと視線を落とすが、今度は朝陽が強すぎて邪魔だった。片方で自分の身長ほどある大きな白い二つの翼で、手元が影になるように軽く覆うと、ちょうどいい光加減になった。とはいえ心地良く生きるには、やはり未開の樹海というのはあまり良い環境ではない。
「ファウ様。美しい空と、美しい朝日。こんなにも飛べる種族であることを感謝する日はない。今日も素晴らしい1日の始まりですな」
本に集中していると、声をかけられる。
樹海に住んでいる、『鳥人族』の男だった。
今いる、生活拠点が作られた竜木の太い枝ではなく、すぐそばにある細い枝を足で掴んで止まっている。
「──あなたですか。いつも言っているでしょう。『様』はいらないと」
「しかし未来の魔王様ではないか。それならば今から練習をしておかなければならないだろう。ファウ様は『温厚で慈愛的』と言われる天使族の見本のよう人だ。あなたが魔王になればきっと世界はもっと良くなるに違いない」
「フフフ……。相変わらず調子がいいですね。だから、なるといっているでしょうに。あなた方鳥人族と私は現状『協力関係』。支配関係ではないのですから、やはり様はいりませんよ。……今は」
もはや常套句のようになっていたやりとりを交わす。
「それでだな、ファウ様。実は、贈り物があるのだ」
「贈り物……ですか?」
そういって男から、羽がついた手で持っているものを手渡される。その一瞬……男の腕をみて憐憫の気持ちが湧いた。
『鳥人族』──彼らは『天使族』、『悪魔族』という飛べる魔族らと違い、翼が一つの器官として独立しておらず、腕と翼が一体化している。つまり手を動かしているときには常に邪魔くさい羽が付き纏い、逆に飛ぶ時には必死にその腕を使わなければならない。
「(不憫ですね……)」
あまりにも不便そうな可哀想な羽だ。みるたびに哀れに思わずにはいられない。
しかしそれはそれとして、差し出されたものを受け取って見てみるとそんな気持ちも吹き飛んだ。
「おお、これは──」
「人間が持っていた『新聞』を手に入れたのだ。森の奥地にまできた人間の『冒険者』をまた仕留めたのでな。その人間の荷物の中にあったものを持ってきた。我々には必要のないものだがファウ様ならば喜んでくれるだろうと思ったのだ」
「人間の冒険者を仕留めたとは、すごいですね。樹海の奥地に来るほどの冒険者ならば手練れだと思いますが手こずったりはしないんですか?」
鳥人族の男は自慢気な気持ちを隠しきれない表情で、うなずいた。
「確かに手こずるときもある。だが高位の冒険者は装備が充実してて、仕留めればとても得られるものが多い。治りのいい治療薬や、質のいい武器、魔道具なるものも慣れれば便利なものが多い。さすがに神器ほどのものはまだ見たことがないが、一度『マジックバッグ』なるものを手に入れられた時には一族総出で喜んだものだ。上手いこと奴らの体を掴んで飛べば、高い位置から落として戦いすらせずに済むこともある。冒険者は実に見入りがあるいい獲物だ」
「それは本当に、羨ましい限りですね」
はやる気持ちを抑えきれずに、話の途中で新聞の中身を見てしまい生返事で相槌をうつ。
鳥人族の男は気を損ねることはなく、自分の顎をなでるだけだった。その様子はどこかこうなることを予想していたかような態度だった。
ちらりと、鳥人族の男は視線を動かした。
そこには先ほどまで読まれていただろう『本』が置かれている。
──『最新!現代魔王集約書』。
美麗な見た目をした天使族の男は、新聞のとある場所を食いつくように見ていた。
「フフフ……また《暴虐王》が暴れているようですね。相変わらず近くにはいたくありませんが、遠くで見てる分には面白い方だ。人間たちの慌てふためく様子が文章から滲みでてますよ……フフフ……アハハ……本当に可笑しい。これは『コレクション入り』決定です」
落ちている羽を拾って、目に見えない速さで持っているそれを新聞に向かって振るうと、魔王についてかかれた記事だと思われる部分だけを残して、はらりと紙が落ちていった。
残された紙を、懐から取り出した一冊の手帳を開いて、空白のページに乗せた。すると紙は沈むように空白のページの中へと溶けていった。紙はそのまま消えてなくなってしまったが、書かれた内容は空白のページにそっくりそのまま書き写されていた。
そのページを満足げな顔で少し眺めたあと、手帳を再びしまう。
その直後、鳥人族の男が声をかけてきた。
「相変わらずファウ様は魔王様方々が好きで仕方ないようだ」
「フフ……私だけではありません。多くの魔族たちが、魔王という絶対的な存在に尊敬と憧れを抱いて熱狂しています」
「それでも人間が使う文字まで覚えて魔王の情報を集めようとする人は、そう多くはないのではないか」
「そうでしょうか。ですが魔王とはそれくらいされても当然の存在なのですよ。絶対的な力、突き抜けた能力。そして大勢の人々を、もはや種族の垣根すらも超えて、憎悪、恐怖、羨望、憧憬……そんな感情が入り乱れる渦へと暴力的に飲み込んでいく。それほどの『大業』を成して、初めて魔王は生まれます。『魔王』とは、『勇者』のようにただ運だけで降って湧いた『与えられた者』ではありません。自らの力で『掴み取った者』こそが、『魔王』なのです。そこが、フフフ……すごく、いいんですよ……本当に……。知れば知るほど、熱狂せずにはいることなど不可能です」
「だがファウ様自身が『魔王』になるのであれば、憧れてばかりもいられまい」
「確かに。それもそうですね」
鳥人族の男が落ちていた本を拾って渡すと、礼を言ってその本をしまった。それがこの話が終わりの合図だった。
「──『昨日』は情報の提供をありがとうございます」
少しだけ声の調子を落としながら、礼を述べる。
「いや、礼を言われるまでもない。それが我々の『役目』だ。そうだろう。協力体制なのだ。ファウ様が魔王になれば我々にも利益がある。それよりも『昨日』あれからどうなったのか、知りたい。我らの働きに不備はなかっただろうか」
「働きの方は充分でしたよ。昨日の報告も助かりました。皆さんに頼んでいるのは『花人族の動向を監視すること』だけですが、それこそが『計画』における一番重要な部分です。
とはいえ、一つ欲を言えば、報告に行っている間も別の誰かが監視を続けていてくれると、助かりますかね。昨日の報告はありがたかったのですが、人間どものところに行ったときにはすでに『拐われた花人族』の姿はありませんでした。
私たちの目的は『花人族を手に入れる』ことです。死んで数が減るようなことがあっては本末転倒だ。
捕まったという彼は、うまく逃げ出したと思いたいのですが……」
「むう……。それはすまないな。まだまだ我らの種族はそこまで知能が発達しているものが多くないのだ……。少ない人数でやっているものだから、分けるとどこかで一人の場所が生まれてしまうのだ。一人は危険だ。空を飛べるとはいえ、竜木を巣にしたやつらは手強い上に数も多く、広範囲を群れて徘徊している。なかなか難しいのだ……」
「いえ、私も空を飛ぶものとして分かっていますよ。だから『欲を言えば』、です。他にも花人族の情報を得る手段は用意していますから安心してください」
そういわれて、ほっとした表情を鳥人族の男は浮かべた。
しかし次の瞬間、目の前を通り過ぎるものに目を奪われ、少しの間目で追う。
それは真っ白な一匹の白い蝶だった。
「大分森の様子も変わってきたようだ」
「あなたでも、見たことありませんか?」
「うむ……。これを見るに、計画は順調だということか?」
「順調です。徐々に私たちの手によって、『異変』は起きています。
間違いなく、ゆるやかですが確かに、『環境』は変わっていっているのです」
とても満足げに、優しく笑いながら、そう言った。
「ふむ……」
「もう、時間の問題ですよ。しかもそんなにかからないでしょう。……フフフ。
『花人族』の集落の者たちは、相当疲弊しているようですからね」
「気の毒な話だ」
「フフ、そうですね。気の毒です。未熟な力で、不相応の場所で生きるというのは、哀れで見ていられません。彼らは遅かれ早かれ、いつかこうなる運命だったのです。この樹海は彼らにとってあまりにも厳しいのですから。ですがまだ救いはあります。『私がここにいる』──という救いが。
樹海の環境を変えて、彼らを追い詰めたのは私ですが、何がどうあれ、いつかそれが起こりえたことならば、『完全に滅ぼされるしかない道』よりも、『助かる道』がある方に救いがあります。私たちは彼らを『救ってあげる』のです。
彼らは陽の差さない穴ぐらの中で限界を迎え、絶望にそまったとき、その救いを理解して求めるでしょう。『私たちを助けてくれ』と──」
今現在、ファウツァ=ラァレレリという天使族の一個人でしかない魔族が、すぐに魔王になれる力があるかと問われれば、その答えは『無い』だ。
『1000』近いレベルまで辿り着いた今でも、超常の魔王たちには全く並べない。それどころか足元にようやく並べるかどうかといったところだ。
──力が足りない。
いつでも、どこでも、人が悩むのはきっとそのことだけだ。
だがら花人族を手に入れる。
『人を強化する力』という、種族特有の能力を持っている彼らを手に入れることができればそれだけで物事は前に進む。
もともと花人族というのは強い種族から利用されることを宿命づけられているようなものだ。
魔族の中で唯一、魔王を『輩出』できていない『最弱な種族』、にも関わらず魔族という世界の『列強種族』の末席に加わることができているのはそのためなのだから。
「(ですが……心までは支配することはできません……)」
強制的に発動した心に反した力は脆弱だ。
質に問題がどうしても出てしまう。だから彼らを所有していた、かの国も、彼らが出ていくのを許したのだろう。完全に心が離れてしまっていたのだ。たとえその原因がその国ではなく、『花人族自身』の弱さによるものだとしても。
だからここまで大掛かりな計画になってしまった。
実力で花人族をさらって実力で手に入れるだけならば話は容易かった。
本国に伝えて天使族の仲間をもっと多く連れてくればさらに簡単になるだろう。
しかしそれでは花人族の心は手に入らない。
同胞に協力を頼めば、見返りを支払わなければならないだろう。従えられる花人族を分割して譲渡することを要求してくるかもしれない。そうなると自分に施されるだろう強化の割合は、それだけでぐっと少なくなる。
つまり『魔王に繋がる力を手に入れる』には──『独占』と『花人族の心を掴む』こと。その二つが絶対条件だ。
その条件から導き出した結論が『花人族の救世主』となることだった。
自分たちで彼らを追い込み、自分たちで彼らを救う。
絶好なまでに条件を満たしている。
ならば焦点を当てるべきは『どうやって花人族を追いつめるのか』、その方法だ
だがそれも容易い話だった。
根本から彼らは『弱かった』からだ。
実力が弱いというだけの、話では無い。実力が弱い中にもうまく立ち回って生きる賢いものがいる。ならばその逆もいるだろう。すべてが悪く、弱い立ち回りをするものというのが。それがこの森にいる『花人族』という種族だ。
付き合いのある鳥人族から花人族の話を聞いたときには、逆に『本当に生きて過ごしているのか』と不安になるほどだった。
つまるところ彼らは、元々追い詰める必要もないほど、元から追い詰められていた。
むしろ、そこまで脆弱な花人族を生きながらえさせるほどの、強力な魔獣を飼い慣らしていた事実のほうが、疑問だ。あの集落の『花人族』が成したというのは絶対にありえない。間違いなく誰かに『救ってもらった』のだ。やった人物は相当な手練れであることは間違いなく、興味がわかないでもない。
とはいえその結局、彼らが救ってもらわなければ生きていけない。そのことを示している。
──魔獣を取り上げよう。
それだけで彼らは厳しい環境という、現実と向き合わなければいけなくなる。元々あった救いを無くすだけで自分から勝手に追い込まれていくだろう。
魔獣もこの樹海でトップクラスに強力な個体だったが、しかし無敵ではない。それにたった一体だ。魔獣も無限に戦い続けられるわけじゃない。
花人族がこれほどまでに安定した暮らしができていたのは、魔獣の強さというよりも、樹海が『安定』していたことの方が大きいはずだ。出来た当時は『戦乱』と言ってもいいほど争いに満ち溢れていた樹海も、すっかり野生なりの秩序に溢れて落ち着きを払ってしまっている。花人族はたまたまそこに生まれた、秩序の恩恵を受けてしまったのだ。
わざわざ自分で魔獣を殺しにいくなんてことはしにいかない。
自分自身は彼らの『救世主』でなくてはならないからだ。あそこまで強力な魔獣と戦うとなると、戦っている姿を晒さなければいけなくなる。
だからできれば、もっと間接的にしたかった。
ならば樹海にあった秩序を壊して、再び争いに満ちていた樹海に戻してしまおう。
簡単なロジック、簡単なことだ。
幸いなことに花人族は植物に造詣が深い種族だ。
樹海の秩序を壊すきっかけとなる『厄災の種』は簡単に手に入れることができた。かなり違法性は高い代物だが、未開の樹海に人の秩序も何もありはしない。
とはいえ文字通り『厄災の種』だ。扱いを間違えてしまえば自滅しかねない危険な代物。でも軌道にのるまでは手を加えて育てる必要があるし、何より森のバランスを崩すほどの大規模となると人手が必要になるだろう。
そのために人間を利用した。
人間といっても金さえ払えば魔族だろうと取引きをすると言われる、地中深くに住む気味の悪い一族だ。実際に話してみると、想像以上に気持ち悪い人間たちだったのであまり思い出したくは無い。
金に汚く、地下に住んでいるのも納得の陰気さに、上っ面だけ媚びるだけの表情と振る舞い。それを人間がやっているものだから、本当に堪らない。おまけに仕事はこなしたが最後の最後には余計なことをしてくれた馬鹿でもある。殺しに行ったときに予想外の出会いをしたが、代わりに殺してくれそうだったのでむしろ幸運だった。やつらの存在を自分の中に残さずに済む。
そんなこんなで、多少の紆余曲折がありつつも計画は鳥人族の協力者にいったように『順調』だった。花人族はほどよく追い詰められている。とっくに計画は大詰めで、あとは最後の工程をするのみだ。
「ならば、魔王になったファウ様が見れるのももうすぐということか」
「フフフ……気が早過ぎますね。仮に今回の計画が成功しても『魔王と同等の力を得る』だけで実際に魔王になったわけではありません」
「ふむ? そうか、一筋縄ではいかないのだな」
「そうなんですよね。フフフ……。魔王になるためには、世界に魔王だと認めてもらうほどの『大業』が必要なのです。今現在、魔王の方々も全員、例外なく『時代のうねり』とも言えるような大業を引きおこして魔王になっています──」
話していくうちに、声に熱がこもっていくのがわかる。懐にしまっている『魔王手帳』が、熱を発して心臓を熱くたぎらせているかのようだ。そんなことはありえないのに。
熱さに身を委ねるように、大きく手を広げて、言葉を発した。
「──そう! まさに、この場所で!
大きく時代をうねらし、『魔王』が誕生しました!
一つの人間の国と一つの魔族が滅んだ戦いの果てに、《暴虐王》、《偽りのルルルッカ》、《終焉の申し子》、を筆頭にした数多くの魔王たちが! 彼らは新しい時代の魔王として、今も世界に力と威光を知らしめつづけているのです!」
こみあがる熱さを抑えるために、一度深く息を吐き出す。
再び口を開くと、声は元の調子に戻っていた。
「正直なところこの場所で計画を進められている事に私は『必然』を感じずにはいられません。陳腐な言い方なら『運命』といってもいいでしょう。『計画』は魔王の力を入れるためのものですが、それは『序章』にすぎません。本当に重要なのはその後の『大業』……『時代のうねり』です。だが世界は今、束の間の平穏を迎えていています。平穏……そういえば聞こえがいいですが言い換えれば『停滞』にすぎません。
私が『流れの止まった川』に再び流れを生み出しましょう。いつかそうだったように、また、この場所から」
そう、最早出来事が起こることなど、待ってはいられない。
花人族ほどではないにしても『天使族』は『魔王の輩出』に遅れをとっている。
その種族に魔王がいる──その事実は『種族の格』に繋がる。人数は多ければ多いほど、警戒心も尊敬もたくさん集める。なんであれ印象はあればあるほどいい。それはただの印象に過ぎないが人同士の繋がりにおいて印象というのは実際に影響をうんでいる。魔王の輩出を伸ばしている『獣人族』は人間との戦いの中で魔王の数を増やし、その影響力を伸ばしている。昔のような花人族の次に見下されていた面影は完全にない。
一刻も早く、魔王へなる必要がある──。
それは天使族という種族のために。
何よりも自分自身がそこに憧れた夢を叶えるために。
「ファウ様が魔王になれば、いよいよ、我ら『鳥人族』も『魔族』になる道が拓かれるな」
鳥人族の男からそんな声が漏れる。
「……そうですね」
優しく、微笑みながら答えた。
その笑みは地下人との交渉の時や、ベリエットの勇者と邂逅したときに浮かべていたのと同じものだ。その表情を浮かべたまま、鳥人族の男が語る、国を持ち、種族として繁栄していくという熱のこもった意気込みに耳を傾け続けていた。
──空の大部分は『竜』と『悪魔族』と『天使族』が支配している。
そこに力づくで割り込んでくるのが『強靭な魔物』や『気まぐれな精霊』たちだ。
鳥人族の不運なことは、空を飛ぶ種族だということ。
空だからといって、すべてが自由なわけではない。果たして彼らは空でおこなわれる熾烈な戦いの中に割り込んでいけるだろうか。彼らが繁栄していくとはそういうことだ。
「(何よりも──)」
鳥人族の胸の内から強く感じられる『魔力』。
それは心臓部分にあるだろう『魔石』の気配。
鳥人族の分類は現状、『亜人』で、れっきとした『魔物』だ。
使いにくい羽と一体化した腕。喋りにくそうなくちばし。全身が体毛を覆っていて、足は枝を掴むには良さそうだが地面を歩くには向いていない形をしている。
彼らは『人』ではない。
だから『魔族の資格』は、まだない。
彼らは魔族にはなれない。
「(まぁ私が彼らに約束したのは、『魔族にすること』ではなく『魔族になることへの協力』なのですが)」
とはいえ協力をするという約束は守るつもりだ。
自分自身の配下に加えてあげるのだ。そして訪れる激動の時代で少しでも励めばいい。
そうすれば僅かながらも可能性はあるだろう。未来は誰にもわからないのだから……。
鳥人族の男を、慈しむように見ながら、そう思った。
──バサリ、バサリ。
遠くから羽ばたく音が近づいてくる。
話していた男とは、別の鳥人族がやってきた音だ。
その現れた鳥人族は一人だった。
元々いた鳥人族の男は、不機嫌そうな表情で言う。
「単独での行動は控えろと、言っているだろう」
そう強めに言われて、やってきたばかりでまだ何を喋ったわけでもないのに狼狽えていた。
「それが、その、負傷して」
「……何かあったのですか?」
きな臭さを感じて、本腰を入れて耳を傾ける。
「報告に来ている途中までは、三人、だった。遠くから何かの攻撃をくらって一人が負傷してしまったんだ……。だからもう一人に治療するために怪我したそいつを村まで背負って帰ってもらって、俺だけが報告にきたんだ……」
新しくやってきた鳥人族の者は、『計画』のために森のあちこちで『監視』を任せている者の一人のようだ。
「ふむ。そういう事情なら一人でも仕方がないな。責めてしまってすまなかった」
「いえ……族長」
「その攻撃というのは、どういうものだったのですか?」
「それが……その……。俺にも何が何だかわからなくて……。ただ気づいたときには攻撃を仕掛けられてて、終わっていた、みたいな……。そもそも攻撃かどうかも正直わからなくて……」
ずっと狼狽えたままの彼に、じれったくなりいくつか質問をしてみるが、話はずっと要領を得ないままだった。ただ引き出せた一つ一つの情報をまとめていくと
──遠くから空気が切り裂くような音が聞こえていた。
──最初は耳鳴りのようだったその音は、段々大きくなった。
──ほんの一瞬爆発したように音が大きくなったあと今度は小さくなっていった。
──辺りを不審に思いながら見回していると仲間の一人が真っ逆さまに落ちていた。
──結局姿形は何も見えなかった。
──仲間の傷は何かに打ち抜かれたようなものだった。
ということを、彼は顔色を伺いながら話した。
鳥人族の族長と顔を見合わせながら、少し考え、思いついたことを口に出す。
「可能性として考えられるのは……例えば目にも止まらぬほどの速度で矢を放つ射手、とかですかね。何かどこかから放たれたような気配はありましたか?」
そういって報告にきた鳥人族の彼は、首を傾げて悩んだ様子を見せるが、最終的には首を振った。
「ならば森の異変の、延長でおこったことでしょう。『計画』は環境の変化を起こすもの。今まで見えなかった魔物が現れるようになることもあるでしょう」
「そのような攻撃を放つ魔物には、覚えがないな……。そもそも『計画』は樹海全体に争いを生むことなはずで、魔物自体を変化させたりどうこうするわけでもない。それなのに未知の魔物が唐突に現れるというのは、薄気味悪く感じるが……」
「あなた方もこの広大な樹海すべての魔物を把握しているわけじゃ、ないでしょう? こうして環境が変わったことでこれまで把握できていなかった魔物が姿を現したのかもしれませんよ?」
「むう……。そう言われると何も言い返せないが……。とはいえここ数日、急に何か得体のしれない出来事の報告が立て続けにあるのがどうにも嫌な感じだ……。『謎の莫大な魔力の波』や、『糸で絡めとられた大量の魔物の死骸』。今の報告もそうだ。本当にこれは『計画』によって起きた変化なのだろうか? 身内に負傷者が出てしまっては、族長としては不安を抱かずにはいられん」
さっきまで自信満々に話していた族長が、ここにきて急に不安をにじませるのは身内にけが人がでた責任からだろうか。
「うーん、どうなんでしょうね。強い魔力が発生した報告は聞いていますが、その日は本国へ戻っていて私は感知できなかったので正直何とも言い難いですね。それで魔物の死骸の話は初めて聞きますが、それは単純に『蜘蛛の魔獣』ではないでしょうか? 魔獣が暴れてるだけならば、それこそ私たちがまさに『計画』の本懐部分で何も不自然なことではないでしょう」
「確かに、そうだな……。
近くの竜木にも、一帯を支配している厄介な蜘蛛の魔物が、いる……が……」
「ならその魔物が活発的に動いているのではないでしょうか?」
「し、しかし……奴らは……糸を………………」
話をしていた、鳥人族の族長の言葉が、どんどん歯切れを失っていくことに気がつく。
報告に訪れた鳥人族の者も、よく見ると身体を少し震わせていた。
「どうしたんですか?」
「むう……。すまないファウ様。
我々鳥人族は本能的に『蜘蛛』が苦手なのだ……」
族長も、震えているとまではいかないが、かなり萎縮している様子だった。
「それは初耳ですね。どうしてなのか、理由はあるんですか?」
「むう……。実は話すのも嫌なのだが、ファウ様の頼みだから仕方がない。我々の種族に代々伝わる、恐ろしい言い伝えがあり、それが蜘蛛の魔獣の話なのだ。
それは『空に浮かんでいる蜘蛛の魔物』に我らの種族が滅ぼされかけるというものなのだが、ただの伝承ではなく、過去に実際にあったことらしいのだ。だからなのか蜘蛛という存在の恐怖が血に刻まれていて本能的に怯えてしまう」
「なるほど。『辿魔』の伝承ですか。それも『超獣』の類ですね」
『辿魔』という言葉は進化した魔物すべてを指す言葉だ。
その中でも『単独で何度も進化した魔物』を超越した魔物として『超獣』と呼ぶ。
超越した魔獣……。
大袈裟な名前をつけられてはいるが、実際としてあてはまる範囲は幅広く、その魔物がいるせいで一帯の空が侵入禁止になるほどの魔物がいれば、ただの変異しただけのような進化したかもわからない分類するまでもない個体まで様々だ。
ただこの話に出てくる魔物は、間違いなく前者だろう。
魔物のポテンシャルは、とても高い。強い個体はどこまでも強く、道を塞ぎ、航路を狂わせ、空路を断ち、背に村を乗せるなど人の生活への影響は計り知れない。
「そのときの鳥人族は、飛べることに味をしめて空を謳歌していた。
地をはう他種族を嘲笑い、彼らが必死に歩いているのを悠々と空から追い越していくのを心のどこかに優越感を持っていた。地上の蜘蛛の巣で引っかかる虫けらなんて気にもしたことがなかった」
──だがある日、唐突に、空を支配する厄災の蜘蛛が現れた。
何もない宙に、あまりにも広大な蜘蛛の巣が張り巡らされて、多くの鳥人族が虫と同じように巣に絡めとられて捕食された。
鳥人族の族長はそう言った。
「──これは『戒め』の話なのだ。
『蜘蛛は空にはいない』。
『自分たちは虫けらのようにはならない』。
自分の中にあるそういう『思い込み』……いや、『思い上がり』は戒める必要がある。世界は決して自分如きが計り知れるようなものではない。そう戒めなければ、見誤ったときに人は多くの『代償』を支払うことになる。そう我らの祖先は思って話を残したのだろう……」
「面白い話ですね。確かにそういった側面も世界にはあるかもしれません」
そう言いながらも、あまり感情移入はできなかった。
天使族が『魔物に』追いやられた経験は一度たりともない。どれだけ魔物が強かろうが結局世界を統べる種族は魔族だ。苦戦はしようと。どんな魔物も最終的には勝利を勝ち取ってきた。
未だ魔物の範疇を抜けきれていない、亜人だからこその話だろう。話を聞いてそう感じた。
「もし仮に想像を超えたことがおきてたとしても、心配ありませんよ。私たちは『花人族』の能力と忠誠心を手に入れればそれでいいのです。そのためにやることはもうやったのですから。あとは結果を待つだけにすぎません。何かがおきて樹海がどうなろうと、それならそれで、ここを去ればいいのですよ」
「……そうか。そうだな。確かにそうだ」
族長は思い込むように、相槌を繰り返した。
「それで『報告』はなんですか?」
「む、今のが報告ではなかったのか?」
「いえ、報告にきている間に『事故』が起きたというのがこれまでの話です。最初にここにくる理由となった『報告』は、まだしていなんじゃないでしょうか」
「あっ……そっ、そうだ! す、すぐ側に『人間』が来ているんだ」
「冒険者でしょうか?」
「わ、わからない。でも結構な数の、『人間の集団』だった」
「──そうですか。わかりました。様子を見に行ってきましょう。
邪魔になりそうならば、始末してきます」
ファウツァ=ラァレレリは、鳥人族から詳しい位置を聞き出して、空に飛び立つ。
飛んだ瞬間、視界いっぱいに朝焼けの空が広がった。それはとても美しい景色だったが、内心の曇り空は晴れる様子がなかった。さっき鳥人族の族長に言った言葉は本心なはずなのに、何かが引っかかっている。
「ふぅ……。計画が順調に行きすぎたツケなのでしょうか。
トラブルがここにきて急に増え始めましたね。
ですがきっと運命が私を試しているのでしょう。ならば超えてみせるまででしょう」
魔王になるための試練を。
◇◆◇
『──貴様、勇者か?』
ウォールグルトは目の前の男に、硬い口調でそう尋ねた。
樹海を進んでいるうちにたまたま見かけた男。最初は冒険者と思って近づき声をかけた。
だがその最中に気づく。ならば、聞かずにいる選択肢はなかった。
男こそがまさに今自分たちが樹海にいる目的である人物で、あるならば。
その男は、魔物から魔石を取り出しているところだった。
『……唐突だな。いきなり声をかけてきたうえに、勇者か、というのは』
目の前の『橙色の髪の男』は、立ち上がって、こちらへ振り返りながら答えた。
ウォールグルトに引けを取らないほど、恰幅の良い男だ。
厄介だ、と正面から向き合ってすぐに感じた。
男の人相は攻撃的には見えない。だが聡明そうで、戦うと決めれば躊躇わない。そんな性格がにじみでるようだった。経験上、こういう手合いはレベルに差があっても手を焼く。
男の足元には小さな子供ような物体がうろちょろしていて、若干気にはなったが、話を進めた。
『質問に答えないのか』
『まずは自らの身元を明かしたら相手も答えてくれやすいだろう、とは考えないのか?』
『答えない、つもりだな?』
武器に手を当てながら、少し強く言い放った。
後ろにいる部下たちの放つ空気も、同調するように、一瞬で剣呑なものへと変わる。
『…………』
男は、先ほど魔物から取り出した血のりのついた魔石を、布で拭いていた。
自分たちを前にして随分、余裕のある態度だ。
『あらら、少し離れている間にすごい大所帯になっているねぇ』
新たに男が現れる。緑色の髪をした太った男だ。
小用でも済ませたのか、手を布で拭きながら木の影から現れた。
『その腕につけてる腕章、シープエットのものだね。
僕らに何か用かい? こんな危険地帯の森のなかでさぁ』
『貴様らは、ベリエット帝国の勇者だな?』
『あぁ、うん。それ? そうだよ』
男はあっさりと同意した。もうすこし白を切ると思っていたが意外だった。
『それで、そうだったところで、何なの?
ほら、話を進めてみようよ』
『我々シープエットは貴殿らの南大陸への干渉を許していない。
至急、退去することを求める』
『あ〜……そういう感じ?』
はぁ、とため息をつく緑色の男。
ふざけた態度に背後にいる部下や副隊長が苛立っているのを背中で感じる。
『えーっと、シープエットっていうのは中央大陸にある大国なはずだよねぇ。ならさぁ、南大陸であるこの場所にとやかくいう理由は無いんじゃない?』
『いや、ある。我々シープエットは南大陸における人間国家同盟の盟主である。国々の交渉や調印での立ち合いも行っている。南大陸の国々が危機に瀕しているならば我らも介入を躊躇うことはない。ゆえに貴殿らには、南大陸で活動する場合は我々シープエット盟主国の許可を取らなければならない。ベリエット帝国の主要兵器たる勇者に自由に歩かれるのは、安全の保証を脅かすことに繋がるからだ』
『兵器って、すごい言いようだねぇ……。僕たちは別に人間を攻撃したりなんかしないけど?』
『我々はそう思っていない、という話だ』
『……あのねぇ、いらないんだよねぇ、そういうのさ。こんな危険地帯の真っ只中で、舌戦よろしくなんて、馬鹿馬鹿しいと思わないのかい? 本当のこと言ってあげようか。怖いんでしょ? 南大陸で僕たちベリエット帝国に影響力を持たれるのが。だから君たちはわざわざこんな場所にまで来ているんだよね?』
『…………』
あまりにも歯に衣着せぬ物言いに、黙り込む。
しかしながら、緑色の勇者が放った言葉は、正直に言ってしまいえば一部は事実だろう。少なくともシープエットの上層部の考えにそういった考えがあることは間違い無い。
だがこのまま黙っているわけにはいかない。こちらにはこちらの言い分がある。
それをどう答えたものか──少し悩んでしまい沈黙が生まれる。そのときギシリと歯を食いしばる音が聞こえてきた。
音が聞こえてきた自分のすぐ横を見ると、とてつもない形相を浮かべた『副隊長』がいた。異性を引き寄せる整った顔が、怒りに歪んでいる。
『──この利己主義者どもがッ!』
不味い、そう思ったときには遅かった。
『人間は、敵対する魔族、この世界に蔓延る脅威に対抗するためにも一つにまとまらなければならない! その象徴たる存在こそが、勇者と呼ぶに等しい──だがッ! 貴様らベリエット帝国はさも人間を主導するかのように立ち振る舞い、民衆に詭弁を撒き散らしているが、その実態は欺いた他国から利益を吸い上げ、自国だけを発展させて太らせることに執着した醜い利己主義者だ! 我々人間族を一つにまとめて導く存在の”勇者”だと、貴様らが認められることなど到底ありえない! この偽物共が!』
『……落ち着くんだ、副隊長』
『元々は、あなたが言うべきことだと、思いますが!?
ウォールグルト隊長!』
副隊長が放った言葉は、配慮には欠けている。だが、シープエットにいる大部分の人間が思っている言葉だ。なのにベリエット帝国勇者の言葉に黙ってしまい、不安に思った副隊長は言わずにはいられなかったのだろう。
だが結果的にはこれで良かったのかもしれない。舌戦はいらないと言い始めたのは向こうなのだ。
『まぁ、そういうのはさぁ、僕たちに言われてもどーにもなんないから。国から正式に通達をしてさ、国同士で話し合ってよ。
とりあえずさぁ。君たちが南大陸の人間国家において”自称”盟主としてやってきたのは分かったよ。一応僕は勇者で慈悲深いから、それを前提に考えてあげるけれどね。でもそれにしたって横暴だよ? 確かにここは南大陸だ。でもここは人間の国家ではなく"魔族領"なんだよねぇ。僕たちは。”魔族領の調査”でここまで来たんだけど、まさか”共に魔族に抗う仲”なのに、拒んで追い返すなんてこと、するわけがないよねえ。そんなことをしたらまるで”魔族を庇ってる”みたいに、見えちゃうかもしれないし──』
『ッ誰が──!!』
『ここまでの道中で南大陸のいろんな国や街を通ったけど、いろんな場所でついつい”魔族領へ行く”って任務の内容を言いふらしてしまったんだよねぇ……。みんな気が良くてさぁ、つい、うっかりね。だからさぁ、心配なんだよ。このまま帰ったとき皆聞いてくるでしょ? 帰るときにさ、”樹海での任務はどうでした?”って。そのときにさぁ、僕らはほら、慈悲深い勇者だからね。あんまり嘘がつけないんだよねぇ。うーん、僕たちはこのまま帰って、”上手に嘘”をつけるかなぁ?』
──何が、舌戦は馬鹿馬鹿しいだ。
男のよく回る悪魔のような言葉に、副隊長すらも含めて、隊員たちが全員苦い顔で黙り込んでいた。憎々しげに睨みつけることが精一杯だった。実際、男が今言ったことを実行したとしたら、それは激しく魔族と敵対するシープエットの印象を酷く傷付けることになるのは間違いではない。
『とりあえずこれ以上の要請はさっきも言った通り国を通して行ってよ。届くのに数日、送るのに数日でどれくらいの期間がかかるのかはわからないけどね』
そう言い残してベリエット帝国の勇者の二人はその場を去っていった。
『またしても奴らは、出まかせをッ!
このまま引き下がって奴らに好き勝手させるのですか、隊長!』
その場に残された我々は、これからどうするかを相談することにした。
といっても憤る副隊長に、詰め寄られているだけだった。
『奴らの目的を妨害すべきですッ! ここまでこの樹海に執着する理由、何かあるはずですッ! 出発する前に、暗部が報告していたことを思い出してください!』
『ベリエットから勇者が逃げたという、アレか?』
『そうです! 奴らは魔族の調査といっていましたが、この間までここにいた勇者の数はそんなのでは説明がつかない数だったはずです! 目的は間違いなくそれなはずです! ウォールグルト隊長の感知能力があれば奴らよりも早く見つけ出せると思います!』
『確かにこのままおめおめと帰っても成果が乏しいか……。もし逃走したという勇者がいて捕らえられたとしたら……ベリエットとの交渉の手札にも使えるし、最悪”神器”を得ることもできる。悪くはないな……。感知をするだけでもまずはやってみてそれから決めよう、副隊長』
『了解です、隊長!』
スキル【種族感知】を発動する。
効果も範囲も、優秀なスキルだが唯一の欠点が感知を終えるまでの時間が長いことだ。周囲を隊員たちに囲まれた中でスキルを使うのは非常にやりづらい。
しかしそんな考えも徐々に強くなっていく『感覚』に意識が集中して消えていく。
『(この感覚は──)』
最初に抱いた感情は、困惑だった。
果たして隊員たちにどういったものか、悩む。
『隊長、どうでしたか、いましたか!』
『あぁ、”いた”。この場所にはさっきのベリエット帝国の二人の勇者とは別の勇者がいる』
隊員たちが周囲でざわめく。
しかし樹海に入る前に感知したときには、反応がなかったのはなぜなのだろうか。
追っ手から逃げているうちに奥地に入ったのか。そもそも元々樹海の奥地に暮らしていたのか。何にせよなぜ今の今まで追っ手から逃れられているのか。説明がつかないことが多々あるのだ。
何よりも、最も説明がつかないのが一つある──。
『ならば──!』
『”二人”な』
『ッ!?』
『樹海のここら一帯に、勇者は今、”四人”いる。しかも二人はまとまって動いているが、もう二人のほうの行動はバラバラだ。一人は地上にいるが、どうやらもう一人は地下、にいるようだな。
確か情報を聞いた限りならば逃亡したのは一人だったはずだが、副隊長はどちらだと思う?』
『……わかりません』
『そうだろうな。しかし二つに分かれてるとなるとどちらかにしか行けない。
果たしてどちらにするか……』
『………………』
全員が黙りこくる。
『とりあえずどちらとも、まだ距離がある。ひとまず決断は先延ばしにしてまずは樹海の奥へと進む。それでいいか?』
それが──『二日前』のことだった。
樹海のかなり奥地へと進み、『別の勇者』を感知した場所に近い場所まできていた。
ここまできてまだ結論は出ていなかった。だがもう結論を先延ばしにする限界の地点だろう。
「いい加減、決断すべきです。隊長。
『二人の勇者』──そのどちらに行くのかを」
「…………」
再び副隊長に、詰め寄られていた。
「案内の冒険者の言葉が本当ならば、『時間』がすでにありません。『厄災の花』があふれているのならあっという間にこの樹海は飲み込まれてしまいます。そうなる前に成果を上げて、この樹海から
引き揚げ、本国に情報と成果を献上するべきです」
我々が雇った案内人。樹海の専門家である『BBランク冒険者』の『ヨクン・シーベル』は現在、この場にはいない。
彼はこの樹海が重大な危機に瀕していると言って、その事実を確かめに行くと集団から別れて、別の方向へ向かっていってしまった。本来ならどう考えても依頼の放棄……明確な規約違反だ。しかし彼は森の中にあった銅像のように固まった魔物とその場に落ちていた花を材料に、納得のいく説明を果たした。
彼の単独での行動を認め、彼についてきた二人の助手が彼の代わりを現在果たしている。
最初にいろいろごたごたがありヨクンに懐疑的だった副隊長も、今ではヨクンの実力を認めて、彼の推測が正しいことを前提に考えを巡らせている。ただ人間性が合わないのか、決してヨクンを名前で呼ぶことはないが。
何にせよ、ヨクンには『厄災の花』の真実を把握し戻ってきてもらわなければならない。自分たちの安全にも関わるし、本当であれば南大陸の人間国家が一丸となって対処にあたる必要も出てくる事態にまでなるだろう。そのときにヨクンの情報がとても貴重なものになるはずだ。
──それまでの間に、我々も成果を上げなければならない。
「確かに、ここらが決断する頃合いか。ただ
最後にもう一度だけ、状況を確認させてほしい」
「……わかりました」
そう言って、スキルの【種族感知】を発動する。
──これは、どういうことか。
ため息をつく。
またも悩ましい結果に悩みつく。『勇者』を感知するたびにそうだ。
感知できた勇者の気配は『二つ』だけだった。二つの気配が減っている。
いなくなっているのは、『ベリエットの勇者』のようだった。
状況が掴めない。
果たしてどちらの勇者へ向かえば良い?
いや、そもそも本当にこの状況で『勇者』の捕縛を目指すべきなのだろうか……?
心に迷いが生まれる。あまりにも状況に見通しがつかない。
「(他の選択肢は何かないか──?)」
だからそれは苦し紛れの行動だった。
元々上辺だけの目的として掲げているだけだった──『花人族』の【種族感知】をついでとばかりに行った。
そして──。
「──!」
『いる』。
それが感知した感覚の答えだった。
そしてその感知をしたことにより、迷いが消え一つの『結論』に辿り着いた。
「今、ついでに『花人族』の【種族感知】を行ってみたがここらに『花人族』もいるようだ」
隊員たちにその事実を伝える。驚き、ざわめく隊員たちの様子を無視して、話を続けた。
「さらにその『花人族』の近くに、『二人の勇者』のうちの『片方』がどうやら近くにいる──」
はっとしたように、副隊長は顔をこちらへと向けて言った。
「ならば、そちらの方の『勇者』を追えば──」
「あぁ、『花人族』も同時にたどりつけるだろう」
ただ一つだけ気になることがある。
【種族感知】で感じられた勇者の気配の『一つ』が、『普通でない』ように感じられる。
それはあまりにも感覚的な、漠然とした話だ。
そしてそれは『今回の感知』だけではなく、二日前の『最初から』そうだった。
他の三つは真っ直ぐに種族が『勇者』だと気配が主張しているし、その主張をスキルで捉えて感覚で感知を把握をしている。だが気配の一つだけが微妙に勇者だという種族の主張が『薄い』ような気がするのだ。
かといって主張そのものが薄いわけではない。何か『別の主張』が混じっているような、ひどく『濁っている』ような感じがした。『種族』の主張が濁っているという感覚はこれまでにない初めてのことだ。しかも濁っていると感じる意味もわからない。どうすればそんなことになるのか理解もできない。
「(できれば近づきたくはなかったが……)」
考えこむウォールグルトの側で、副隊長が叫んだ。
「諸君! 我々は『勇者』、そして『花人族』! 両方を手に入れる!
これまで過酷な樹海の道のりだったが、やり抜けば予想以上の成果を携えて、本国に凱旋できるだろう! ここからが正念場だ! しかしシープエットの鎧に誓って我々は必ずやり遂げる──」
そのときだった。
自分たちが今いる一帯が、副隊長の言葉が終わる前に、吹き飛んだ。
衝撃に全員が一瞬呆気に取られるが、次の瞬間に何があったかを瞬時に理解して誰かが叫んだ。
「攻撃だッ!」
そうして全員が戦闘態勢に入る。しかしすぐには動かず周囲を見回し、状況の把握につとめた。
だがその状況もうまくつかめなかった。舞い上がった土煙と葉っぱが、邪魔で視界は濁っているからだ。なのになぜだか、土煙と葉っぱに混じり落ちていく『バラバラになった体』だけははっきりと視界に捉えることができてしまった。
背筋にぞっとするような寒気を感じながら、歯を食いしばり、睨み付けるように土煙にうつる人影の数を数えた。土煙にうつる人影の数は、攻撃される前の隊員の数と『同じ』だった。
だが確かに、隊員の一人が何らかの攻撃を直撃でくらって死んだ。
「気を付けろ! すでに紛れこんでいるぞ!!」
そう叫んだ瞬間だった。
土煙に写る人影の、一つが大きく広がっていく。
直後にとても強い風が巻き起こた。周囲の土煙が一瞬で晴れていく。
一気に見通しがよくなったその場に残されていたのは、広げられた大きな白い翼と、舞い落ちる白い羽だった。
「困りますね……。そんなに高らかに私の獲物に手を出すと宣言されてしまっては……。駆除せざるをえないじゃないですか……」
ファウツァ=ラァレレリは憂鬱そうに、そう言った。
【新着topic】
【名詞】
『辿魔』
進化した魔物。何度も進化した魔物は、熟練の冒険者などが直感で辿魔だと見抜いてしまうらしい。種族ごと進化することもあれば勝手に個体で進化してしまう自己中もいる。
『超獣』
個体で進化を重ねた自己中。大体群れでいるよりも一匹狼のように生きてることが多い。そういう個体は大体人に迷惑かけがち。稀に種族のリーダーとして群れを率いている個体もいる。終焉の大陸ではあまりにも超獣や辿魔が溢れすぎてて果たして言葉を使う意味があるかどうかはティアルあたりが疑問視している。
『魔王』
突き抜けた能力や圧倒的力を持って、周囲に何らかのはたらきかけをすればなれるらしい。勇者とは違って、降って湧くようになれるものではなくてそこが魅力的だとか。まだまだ謎に満ちている。