第82話 勇者は探し、魔族は謀り、泳ぐ
長々と話をしていたが、それで変化があったのは結局のところ十華から百蘭についていく対象が変わっただけだった。
半日ほど樹海を歩いた今も、何に案内されるのか、何を得られるのか。未だ分からないままに樹海を進み続ける。だがそれすらも十華に案内されていたこれまでと同じだ。
百蘭に願ったのはまだ朝方のほうだったので、時刻はまだ夕方にすらなっていない。
たどりつくまでどれくらい時間がかかるのかもわからないのが精神的に負担がかかる。さすがに時間まで十華に案内されたのと同じ日数がかかるとなるとなると……相当きついことになるだろう。
「ふんふんふふーん♪」
そんな幌の懸念とは裏腹に、前方には百蘭がピクニック気分のように鼻歌まじりに進んでいた。
先導するのが十華から百蘭に変わったことで、大きく変化したのは進むペースだ。てくてくと短い足で歩いていた十華と違って、百蘭は空中を飛んで進んでいる。なぜ飛べるのかは能力者の幌にもわからない。千林と違い、百蘭には羽がないはずなのだが。とはいえ今更口に出すほどのことでもなく、小笠原も幌もお互いになれていた。
ただ前に一度尋ねたみたときには、本人は「魔法よぉ〜」とは言っていたが。
しかしよくみると微かに、百蘭が飛んでいた場所に、半透明の星やハートの形が浮かんでいる。それを見ると明らかにこの世界にある魔法とはかけ離れているように思えた。その事実に首を捻っていたところに、小笠原が「【能力】って結構そういうものだよ」と言われて以来幌はもはや疑問に思うのをやめた。
「はぁ……」
少し後ろから聞こえてくるため息の音が聞こえ、軽く振り返ってみると小笠原が歩いていた。その表情には若干の不機嫌さが滲み出ている。
幌は小笠原が抱いている不機嫌さの理由にすぐに思い浮かべることができた。原因は先導を百蘭に変えて樹海を再び進み始めてから、すでに三度も魔物に襲われていることだろう。
森の奥地へいくにつれて、魔物の強さも生息数も増えている。明らかに厄介さが増している。しかも襲われたうちの二度は魔物を討伐するに至ったが、一度だけ数が多い、一体一体が強い群れの魔物に当たってしまい逃げなければならないこともあった。そうして走った時間が少なからず、小笠原の機嫌を損ねたのは間違いない。小笠原は運動が嫌いで、中でも走ることは特に嫌っている。それでも身内との訓練のときや、十華が走りだしてしまったときなどは走らされても表情には出さない男だが、魔物に襲われるというストレスも加わったせいで許容量を超えてしまったのかもしれない。
とはいえ幌にとっては、魔物に襲われたのは悪いことではなかった。
いくばかの『食糧』と、『魔石』が手に入ったからだ。特に『魔石』は、もう一度十華に願いを叶えてもらえるほどの量が手に入ったのが大きい。願いは魔石でなくとも『キラキラしたもの』であればいいとわかったが、町ではないこの場所で唐突に発覚したところですぐにどうこうできるわけでもなく、十華が対価として認めてくれるようなもので調達しやすいのは結局のところ魔石だった。
「幌く〜ん、足元、気をつけた方がいいかもしれないよ」
少し考え込みながら歩いていると、背後の小笠原から声をかけられて、ピタリとその瞬間に体を止めた。
反射的にだった。なぜ小笠原がそんなことを言うのか、原因はわからなかった。でもそうしたほうがいいと、これまでの経験から体に染み付いた反応だった。
それから幌は、自分に異常が何も起こらないのを把握してから、ようやく状況を確認するために足元を覗きこんだ。そこでは『一本の枝』が、近くの木から真っ直ぐに、地面すれすれの高さで伸びていた。小笠原に声をかけられず、このまま足を踏み込んでいれば上から踏んで枝を折っていただろう。
その『枝』は不自然なほど一直線に、細長く尖った形をしている。上から見ると色が土と同化して見えにくい。まるで罠のように伸びた枝だ。
幌は踏み出していた足を踏み込む前の位置に戻す。それから再度片足を持ち上げて、足で枝を小突くと簡単に折れた。幌は枝が折れた瞬間に、片足を瞬時に引いた。だがその瞬間、靴の先端に何かが『掠る』感触を感じた。
もう一度同じ場所に目を向けると、折った枝は地面に落ちている。確認するまでもない話だ。
だがしかし。同時に、同じ形、同じ位置で、同じように『生えている枝』もあった。落ちた枝と見比べてみると、ほんの少しだけ色が薄い。もう一度上から踏み抜いて枝を折ると、今度は折れたまま何も起こらなかった。
地面に落ちている『二本』の枝。拾いあげて見てみると、枝は中央部分がくり抜かれた構造をしており、まるで管のようだった。
「『針枝樹』だねぇ」
小笠原が、幌の手元を覗きこむように言った。振り向くと普段はつけていない『片眼鏡』をつけている。ベリエットから許可されていくつか持っている、神器の一つ。『解析の神器』だ。
小笠原は今、片眼鏡のレンズに写った膨大な情報を読み込んでいるのだろう。うん、うん、と一人で何か納得するようにうなずいていた。
「なるほどねぇ。『わざと』獲物に折らせるようになっているんだねぇ、この木の枝は。それで根本部分に控えているもう一本の枝が、枝が折れた瞬間に伸びるんだ。まぁ伸びるっていうより、『串刺し』だけどさ。突き刺さった枝は、管状の内部を通って、獲物の血液を養分としてドバドバと木に注ぎ込む、と。
いやぁ、生き物ってさぁ、本当よくできてるよねぇ。ほら見てみなよ、幌くん。奥にも根を動かしてゆっくりと移動する『マウラレレラ』って植物があるよ。魔素を求めて移動するんだってさ。ヒトデみたいだねぇ」
幌は小笠原の話を聞きながら、ふと、思い出し、ブーツの先を見てみる。すると先端の表面部分の革が破けていた。少しその部分を触って、状態を確かめる。どうやら、破れているのは表面だけで済んでいたようだ。
その様子を見ていた小笠原がドン引きしたような声をあげた。
「うわ……。勇者の服装って、かなりの防御力なのに破いちゃうんだねぇ……これ……。えげつないねぇ。軽く見てたけど、この様子だと僕らの服も突き破って、普通にブッ刺さっちゃうかもしれない。油断できないねぇ。低レベルの人間がナイフ突き立ててくるくらいならば、何ともないくらいの装備なはずなのにさ」
幌は二本の枝を捨てて、立ち上がり、小笠原に向き合う。
「すまない、小笠原さん。どうやら完全に気を抜いていたようだ。
注意してくれて、助かった」
「うん。まぁ、樹海に入る前にさぁ、一応一通り生態の資料をよみこんだけれど、こういうのって結局慣れだから、情報として見るだけなのと実際に警戒するのって、やっぱり全然違うし、結構コツがいるからねぇ」
「……そうだな。気を引き締めて、精進する必要があるようだ」
「応援してるよ、幌くん。……はぁ」
小笠原は、ため息をついた。先ほどの不機嫌な様子に戻るかのように。
「でもさぁ……それにしたってこの森は、歩くだけでも神経を削る森だよ。魔物の危険度は『Aランク』相当って言ってたけど、所詮は『指標』だよねぇ。覆る可能性なんて、全然取り残されてる。『群れ』を成していたとか、進化を遂げた『異常個体』だったり、ね。まぁそれを込みで『危険度』という指標は冒険者が使う『ランク』と比較して水準が高く設定されているわけだけどさぁ」
『Aランク』──冒険者のランクでいえば、大体レベルにして『500〜800』辺りだと言われているが、これくらいのレベルになれば頼られる一人前か、もしくは尊敬できるベテランのように世間では見られる。
だが『危険度』の指標は、同じランクという基準を使ってはいるものの、水準は冒険者ランクのそれよりも高い。対象の危険度を高く見積もりすぎてしまうことより、対象の危険度を低く見積もる失敗を優先して無くすためだと言われている。なので危険度でいう『Aランク』というのは、冒険者の『Aランク』の上限域である──およそ『800LV』辺りであれば苦戦することはまずないとされてる『指標』だ。
「僕と幌くんが二人でいれば、実際戦闘は余裕でなんとかなるよ。そして指標にも、大きな間違いがあるとは思わない。けどねぇ……『厄介』なのは『環境』だよ。本当。幌くんじゃなくても、きついと思うよ、ここはさぁ。『世界で一番広大な危険地帯』の名前に負けていないね。滞在すればするほど、そう思うよ」
「……だからこそ、『AAランク』という危険度に設定されているのだろうな」
「そうだねぇ。未だに全体像が掴み切れていない『未知』と、人の意思なんて欠片も気にしない『環境』。こういったものほど恐ろしいものはないよ。本当に、緑竜王ハラトゥザルティは魔族と人の争いを終えるためとはいえとんでもないものを残していったよねぇ。まぁ、竜の力で発生した領域だから、『魔素溜まり』が発生しないだけまだ『マシ』なだろうけどねぇ」
「……そういえば、この森に入ってから『魔素溜まり』を見ていない。テールウォッチまでは、ちらほらと見かけたものだが……」
「そりゃそうだよ、幌くん。ここは『竜の領域』なんだから。『竜の力』はね、『魔の力』を抑えるんだよ。だから魔素濃度が低まって、この樹海は魔素溜まりは発生しないんだ。まぁ魔素溜まりがなくても繁殖で増えてる魔物がわんさかいるから、あんま意味ないけどね。魔物の生態が急激に変わらないくらいかなぁ、違いはさぁ」
「(……竜、か。)」
この世界に召喚されてからこれまで、幌は竜の姿を見たことは一度もない。そういう存在がいることは知識として知っていはいるものの。理由として単純にベリエットとは関わりがない、というのもあるのだろうが、世代が古い勇者はそもそも竜の話題にしたくない雰囲気を薄々感じとれることがあった。なので空気を読み、藪から蛇を出すまいと積極的に知ろうとはしていなかった。
「──……小笠原さん」
そんなことを考えていたとき、ふと、幌は頭にあることが思い浮かんだ。
「この先へ進めば進むほど『竜の力』は弱くなるのだろうか?」
「うん? まさか。むしろもっと強くなるはずだよ。緑竜王が樹海を作ったときに、力を発動した『震源地』があるはずだからね。ここにあった国は元々『海洋国家』だったから、海沿いに栄えた大きな街がたくさんあったんだよねぇ。その場所を竜王が無視してこんな辺鄙な場所で力を発動するとは考えにくいから、震源地はもっと奥……大きな街に近い海沿いの方がより竜の力は強まると思うよ」
「なるほど、な。小笠原さん。さっき言っていた『マウラレレラ』という植物は魔素を求めて根で移動すると言っていたが……。俺にはあの植物が──『樹海の奥』へ向かっていたように見えたが、見間違いだったか?」
「──え? そうだったっけ?
どうだったかなぁ……。正直あんま覚えてないなぁ……」
「ちょっと〜! 早くついてきなさ〜い! はやく案内してほしいって言ったのはそっちじゃないのよぉ〜!」
「あぁ、ごめんごめん、百蘭くん。すぐにいくよ」
「…………」
胸に少しのひっかかりを感じながら、森を進んでいく。
それからその日のうちに、陽が沈む前の時間に。幌たちは百蘭に案内されて、『手掛かり』にたどり着いた。
そこには『穴』があった。
◇
「到着よぉ〜! お願いは叶えたから、これで私の役割は終了ね〜!」
空に赤みが増した夕暮れ時に、百蘭は甲高い声をあげていった。そして現れた時同様、ボンと音を立てて消えていく。それは代価と引き換えに『坂棟日暮に続く手掛かりを見つける』という願いが叶えられたことを示していた。
幌と、小笠原は、消えていく百蘭を目の端に入れながらその場に茫然と立ち尽くしていた。
「(この結果は──)」
案内されたその場所にあったのは、『穴』だった。
「(……『はずれ』だったか)」
百蘭に案内され、その場所にあるものを一目見て、幌が抱いた感情は『落胆』だった。
それは本当に、何の変哲もない、ただの穴だった。
『人が中に住んでいそうな大きな洞窟の入り口』──なんてものでもなく、人が一人通れるか通れないか程の、地面を掘ったようなただの『穴』だ。少し深いのか、あるいは先が入り組んでいるのか、奥は暗くて先がどうなっているのかは見えない。しかし見えたところでせいぜい巣にしているだろう小さな魔獣がいる程度にしか、幌は思えなかった。それほど変哲も何もない穴だった。
周囲はその穴以外に変わったようなものはない、これまでと同じ森の中だ。百蘭はこの穴の目の前で『願いを叶えた』といって消えた。まず間違いなく、この『穴』が、代価を差し出して叶えられた、願いの結果だ。しかしどれだけ穴を観察しても、この穴が坂棟日暮にどうつながっているのか幌には理解できなかった。また何か『遠い繋がり』の答えを引き当ててしまったのかもしれない。
「すまない、小笠原さん。やはり──」
幌は、小笠原の方へ振り返りながら謝罪を口にした。しかし小笠原の顔を見た瞬間に、驚き、言葉は途中で止まってしまった。
その男もまた自分と同じように落胆した感情を浮かべていると、幌は想像していた。だが目にはいった表情は、あまりにも想像からかけ離れたものだった。
小笠原はとても真剣に。いやそれを通り過ぎてもはや剣呑な雰囲気で、食いつくように穴を見ていた。そして不意に、口を開く。
「──考えを、改めるべきかもしれないね」
その様子は、『空振り』に終わった結果を残念がるようなものではない。
だがこのただの穴という結果に対して、何が得られたのか幌には分からずじまいだった。
幌は思わず、尋ねた。
「…………どういうことだ?」
「想定していた『前提』を、ね。変えるべきなのだろうね。幌くん。もしかしたら事態は、何か、僕たちが想像できないほどの『計り知れないこと』が起きているのかもしれない。まさかこんなものを提示されるとは思わなかったけどさぁ。でも『これ』を提示された以上、その可能性を視野に入れるべきなのだと思うね」
やはり、そうだった。
幌に何も手掛かりのない状況でも、小笠原にとっては違う。それは間違いなかった。
「幌くうん。これはただの穴じゃないよ。一見そう、見えるけどね。小さな魔獣の巣穴のようにさ、何の変哲もありはしないようにね。でも違う。これはねぇ『地下への入り口』なんだよ」
「地下への入り口……。『地下』……」
地下と聞いて、幌は顔を顰める。
この十年間で幌は治安の維持や犯罪の調査などにも深く関わった活動をしていた。そして犯罪や陰謀、そういったものの陰には必ず存在が見え隠れする組織がある。
「『地下人』、か……。まさか大陸を跨いだこんなところでまで、存在しているとはな。だが『地下』はこの大陸の隅々にまで広がっているというのは、確かに聞いたことがある。厄介だな。
しかしそうなのだとしたら、百蘭は『坂棟日暮の手掛かり』を願った結果として『地下の入り口』を、手掛かりとして『案内』した、ということか」
「現状はそういうことになるだろうねぇ〜」
「……一体どんなつながりが? 百蘭のことだから、何かしらの『手掛かり』があることは間違いないのだろうが。正直なところ、想像がつかないな。手掛かりどころか、かえって理解できないことが増えている気がするが」
「いや、逆に『分かりやすい』よ、幌くん。僕はもう認識を変えたよ」
「どういうことだ、小笠原さん。何かわかったのか?」
「いや、『全く』だね」
そう言ってきっぱりと否定した小笠原を、幌は視線を向け続ける。
「全くわからないよ。この結果がどう坂棟くんにつながっているのかなんてさ。『全てが不可解』で仕方がないね。でも『全てが不可解』だからこそ、なんだよ。『すべてがおかしすぎる』。これまで対価を払って、願いを叶えてきた【十華】くん、【百蘭】くん、【千林】くん。『3人とも』がだ。同じ願いを頼み、全員が『おかしい結果』を提示した。正直なところ、能力の効果そのものを疑いたくなるほどまでにねぇ。
でもさ、能力っていうのは『法則』なんだよ。おかしいかおかしいかを、決めるのは僕たちじゃない。能力に『おかしい』と文句を言うのは、今雨が降っている事実に対して『雨が降るなんておかしい』とケチをつけるようなものさ。『雨が降っている』なら『雨が降っている』んだ。そこに文句のつけようなんて、ありはしない。本来ならばね。
でも現状の示された結果を僕らはすべてが『おかしい』と感じている──幌くん。だからね、僕は今こう思っているんだよ。『自分以外のすべてがおかしく感じられるとき』っていうのは、得てして逆に『自分がおかしい』ってねぇ。こういう時人は大きな失敗に繋がる何かをしでかしてしまうものさ」
「それは……仮説が現実味を帯びてきたと?」
「いや、幌くんの仮説があってるかどうかはまだ判断できないよ。ただ何であれ、『全くの想定外の出来事』が起きてる可能性が高い、ということさ。そのうちの一つに幌くんの考えが含まれている、って感じかなぁ」
小笠原は解析の神器を片目につけながら、舐め回すように穴やその周囲を見回しながらそう答えた。
「なるほどな。ならばもう少し、何か手掛かりがないものか探してみるべきだろう。しかし、説明をされてもなお、普通の穴にしか見えないな。『地下人』は仕事をしていれば見かけるが、『入り口』を見たのは初めてだ。小笠原さん、例えば俺がこの中に入れば『地下』へといけるのだろうか」
「いや、地下への入り口は地下人しか基本的に使えないよ。そうだったらすでにベリエットの勇者達が雪崩込んで潰すか乗っ取るかしているしね。まぁ、どっかに誰でもいける入り口があるって噂があるにはあるそうだけどねぇ」
「坂棟日暮の話を抜きにしても、厄介な話だな。大陸中に張り巡らされた地下を通って、どこにでもあらわれる」
「本当にねぇ──」
小笠原は片目につけた神器を操作しながら、言葉を続けた。
「何か企みのある、汚いところには、どこだろうと奴らはいる。ゴキブリみたいな奴らだよ。『地下人』なんてのはねぇ。きっとここに入り口がある理由だって、そうなんだと思うよ。何かを企んで、仕掛けて、誰かを陥れようとしてる。やることはどこでも変わらない。金を払えばなんだってやるさ。本当に……ベリエット帝国最大の『汚点』だよ、奴らは。さっさと、全員『殺し尽くして皆殺し』にしてやりたいよ。そう、思わない? 幌くぅん」
そう、同意を求めてくる小笠原に、幌は視線を向けた。
話に『小さな違和感』を感じたからだった。視線を向けると小笠原は薄く微笑んでいた。そして微かに一瞬うなずいて、視線を横にそらして元に戻した。
幌は事態を悟り、自然な仕草で腰に刺さった軍刀の鞘に手をそえながら答えた。
「……確かにそうだな。地下なんて傍迷惑なものなぞ、早く殺し尽くせれば、それだけでどれだけの利益が世界にあることか。なによりベリエットが蒔いてしまった種も、自分で片付けられるというものだ」
「うんうん、確かにそうだよねぇ〜。やっぱ悪事を働くのってまっとうに戦えない弱さの裏返しでしかないからね。所詮、何の取り柄もないカスどもの掃き溜めさ。早いところ潰したいよ、本当にさぁ──」
──キンッ。
小笠原が言い終えたのと同時のことだった。二つの金属音が鳴った。それは幌と小笠原の背後から襲いかかってきた二つの攻撃を、それぞれが凌いだ音だった。
防ぐのは容易かった。小笠原の合図のおかげだ。小笠原の言葉は幌にではなく、隠れて聞き耳を立てている襲撃者にむけてのものだった。挑発することで、相手の攻撃をしかけさせた。それがわかっていたおかげで、かなり小さな足音を聞き取ることも、即座に武器を取り出して攻撃を防ぐことも容易かった。
目の前にいる『女』の……『地下人』の攻撃を、だ。
鍔迫り合いをするつもりはなく、幌はすぐさま目の前にいる襲撃者を蹴り飛ばした。それは容易く防がれてしまったが、想像以上の力だったのか、勢いを殺すために瞬時に後ろに飛び跳ねていた。そのことに一瞬襲撃者の女は驚いた表情を浮かべたが、すぐに表情を決して厳しさを悟ったような強張った表情に変わった。
「(単純な『力の関係』は明確になったな──)」
剣を受けたとき瞬間から、相手の攻撃が軽いことは察していた。その軽さは『レベル』や『スキル』などといった《ステータス》の差によって現れるものだ。
幌のレベルである『400LV』代に対して、明らかに低いレベル。さらに幌の持っているユニークスキルの【豪腕豪脚】という純粋な四肢による威力の補正も加わって、スキル面でも優位だ。
つまり目の前にいる女襲撃者と幌の、純粋な力関係が覆ることは、今この瞬間には起こりえなくなった。
「…………」
「…………」
それでもお互いに距離をとったまま動けずにいるのは、それでも覆る『何か』があるのはこの世界では当然のことだからだ。
「ぬくぬく『上』で生きてる人間がぁ〜〜〜っ、俺たち地下の住人のことを、好き勝手言ってくれるじゃねぇかよッ! あぁ!?」
幌の背後で、小笠原に短剣を突き立てている男が叫ぶ声が聞こえた。
「まぁねぇ。これからもずっとそうありたいものだよねぇ。『ぬくぬく』とさぁ。
まぁ、『人間』ではないけどね」
答える小笠原の声には、明らかに余裕がある。
「それよりも指が切断されてるけど痛くないのかい?
そんなに血を流しちゃってさぁ、うわぁ、いたそぉ〜」
「あ? おい……なんで俺の小指が……どこいったんだ?
っていうか、いてっ、いてえ、これ、いてええじゃねえかよぉぉっ!!」
「君は、ボンクラだねぇ。本当に『地下人』かい? 指がちょんぎられたぐらいでそんなに喚いて、悪事をこなせるのか、疑問だねぇ。まぁ、どこの世界でも『使えない人種』っていうのはいるもんなのかなぁ。世知辛いねぇ」
そう言って躊躇なく止めをさそうとする小笠原へ向けて、近くの茂みから何かが飛んだ。
「小笠原さんッ。茂みに、もう一人いる。何かが飛んだぞッ」
即座に伝えると、小笠原が返事をすることなく、飛んできたものを剣で弾き落とす。
その一瞬の隙の間に、短剣男は切断された指に薬をかけていた。小笠原が悠長にそれを見ているわけもなく、防いだ動作のままに、攻撃を入れるが防がれた。茂みから唐突に現れた、3人目の男が、その攻撃を阻んだためだった。
「チッ……」
小笠原の攻撃を防いだ、茂みから現れた男は、不機嫌そうに舌打ちする。
「(最後に出てきた男は、なかなか強そうだな)」
一対一だと苦戦しそうだ、と一目みて幌は感じた。
ただこれで状況は明確になった。新しく現れた男が、戦闘に加わった。人数はこれで全員だろう。
短剣男は治療薬での治療をすでに終えている。そこそこいい薬だったのだろか、傷がすでに塞がっているようだ。短剣を握って再び小笠原の前に戻っていた。小笠原に比べれば二人とも弱いが、同時に二対一で戦えば、どちらが勝つかはわからない。少なくとも勝ちが確信できるほどの飛び抜けた実力は小笠原にはなかった。
「(それを見越して、か……)」
こうして、悠長に戦況を把握していられる理由は、相対している女襲撃者が攻撃を仕掛けてこないからだ。小笠原の助太刀に入ろうとすれば瞬時に攻撃をしかけてくるだろうが、それ以外では動かない。つまりこうした時間を消費するだけの硬直状態が、自分に有利に働くと判断しているのだ。待っていれば、残りの二人が勝利してくれると思っているからこそ現状を維持している。
なかなか的確で、嫌な判断をしてくるものだ、と幌は思った。こういう手合はレベルが低いからといって力を抑えて戦うと思わぬしっぺ返しをくらう。
「よくもやってくれたよなぁ、ぜってぇに、ぶっ殺してやるからよぉ!」
短剣男が激情して、言葉を吐き捨てる。
が、強かそうな男が「落ち着け、ミンテ!」と嗜めた。
「甘くみるんじゃねぇぞ、お前らッ!
こいつら、『勇者』だッ! 『ベリエット帝国』だ!」
女襲撃者と、短剣男の二人が目を見開く。
「幸い、数字は『37』と……『44』だ。大した数字じゃない。
もっと『少ない数』の化け物どもに比べればなぁ。俺たちでもなんとかなる数だ」
「……言うねぇ」
不敵に小笠原が笑うが、男は気にせず声をかけ続けていた。
「いいか、気を抜くんじゃねぇ。もう油断は、いらねえ。懲り懲りだ。あんなクソぬる赤野郎にいいようにやられたのだけでよ。でも俺たちは生きてる。生きてることが勝ちだ。そしてまた俺たちは勝つ。こいつらは殺す。今度は、最初からだ。わかったな?」
言い切ったあとに、少しだけ静寂があった。
男の仲間の短剣を持った男と女襲撃者の二人は、何も言葉を返さなかった。ただ明らかに二人の雰囲気と目つきが変わった──。
「んー……。なんか、そんなことよりもさぁ。
ちょっと、気になることいってたような、気がするんだよねぇ。どう思う、幌くん?」
「そうだな、小笠原さん。なぜ百蘭は俺たちをここにつれてきたのか。心底疑問だったが──もしかしたら想像以上に俺たちは何かの『答え』に近づいているのかもしれない」
「これはなんとしてでも話を聞きたくなってきたねぇ……」
だが彼らは同時に、ベリエットの勇者たちの闘志にも火をつけてしまったことには思い至りはしない。
「──【十華】」
袋を投げながら、幌が言う。
同時にボン、と音を立ててかわいらしい見た目をした人形の十華が現れた。十華は現れたいきおいで投げられた袋をつかんで地面に着地する。
「『願い』だ、十華。この女を『足止め』していろ。できそうなら倒しても構わない」
幌の言葉に、十華が嬉しそうにうなずいた。
そして次の瞬間、ボンと、再び音がなりひびく。それは十華が現れたときの音と同じものだった。だが大きな煙があがった部分が異なっており、そのせいで十華の姿が完全に煙に包まれ、隠れてしまっていた。
女襲撃者は、そんな幌の行動の一部始終を、怪訝な顔で眺めていることしかできなかった。目の前の男が何をしたのかも正直なところ把握できずに。
とはいえへたに動くこともできなかった。結局男がした動作は『袋を投げる』というだけのもので大した隙ではなく、男もこちらから視線を外すことなくいつでも動きに対応できるようにしていた。だから、一連の出来事を厳しい目付きで見守ることしかできなかった。
それでも最初の袋を投げたときに、仕掛けるべきだった、と──
女襲撃者が気づいた瞬間には、もう状況はすでに一変していた。
「ッ……!」
女襲撃者は、咄嗟に攻撃を受け止めた。
するどい一撃だった。
だが、幌は一歩も動いていない。
その一撃は煙の中から放たれたものだった。
だが重く、するどい一撃は、一瞬見えた小人のような体躯の生き物には到底放てるような一撃ではない。
だから『大きく』なったのだ──と、女襲撃者は理解させられた。
どこからか現れた煙が、再びどこかへ消えていく。
煙の中から現れたのは、人だった。小人なんかではない。顔や姿全体に、小人だったときの面影が残っているおかげで、元々の小人と唐突に現れた目の前の人が同じなのだとわかる。
その事実を女襲撃者は察するものの、反応する余裕は一切なかった。
小人だった敵は、両手に持った短めの剣を、激しく、素早く何度も攻撃をしてくるからだ。捌けなくはないが、あまりにも速く、手数が多く感じられる攻撃は、徐々に思考する余地を奪っていく。否応なしに攻撃を捌くために神経を集中せざるをえない状況に追い込まれる。そうしなければ、命が簡単に手からこぼれてしまうから。
だから忘れてしまっていた。
『時間を稼げば戦況が良くなる』という算段がすでに崩れ去っていたことすらも。
「はぁ……面倒だなぁ、もう」
しんどそうに呟く小笠原の小さな声は、激しい剣戟の音にかき消されていた。
短剣男と、強かそうな男の二人の攻撃を同時に捌くのは、面倒だししんどいものだ。ボンクラだと思っていたが中々どうして、戦闘での連携はよく働いていた。
そもそも小笠原は、自分が戦闘に向いているとは思っていなかった。ベリエットの勇者で客観的に評価するとすれば、下の上程度の戦闘力だ。運動も嫌いで、戦闘訓練は幌に頼まれたとき以外はなにかと理由をつけてはサボっている。
元々日本の山奥で林業をしているだけの田舎者だった。いきなり異世界にきて戦えといっても無理がある。
それでも同世代や上の世代の勇者たちに無理やり戦場につれていかれるものだから、経験だけはやたら増えてしまったが。
だからこそ早いところ新しい世代を育てて、一線を退くことを夢見ていた。
「……こいつ、一歩も動かねえで俺たちの攻撃をッ!」
「クソが、余裕ぶっこきやがってよぉ……。
気に入らねえ……。絶対に殺してやる」
攻撃の最中に二人の男が攻撃の手を緩めずに憎悪をこめて声を上げる。
「いやいや。結構しんどいんだよねぇ、これでもさぁ」
攻撃から、目の前にいる二人の男が苛立っていることが伝わってくる。
だが実際挑発でもなんでもなく、小笠原の言っていることは事実だった。動かないで攻撃を捌いているのは、余裕ではなく、単純に体力の消耗をさけるためにこれまで小笠原が身につけた戦闘技術でしかない。
攻撃を捌けてはいるが、このまま延々と攻撃を防御する時間が続く、持久戦にもちこまれると先にへばるのは自分のほうだ。小笠原は戦ってそう感じていた。
ならば能力を使うべきだろうか。だが妙に相手が何かを狙っているような気がしてならない。彼らが苛立っているのも『余裕ぶっている』ことではなく、何かが『目論見通りにいっていないこと』に対して苛立っているんじゃないだろうか。
一番いい手札を切るときは、相手の手札をすべて把握して確実に通ることを確信してからのほうが確実だ。
そう、考えているときのことだった。
「ゴフッ」
短剣男が攻撃してる最中に、後方に吹き飛んだ。
視界の端には、それをした足が見えた。それが誰によるものかは考えるまでもなかった。
「助かるねぇ、幌くん」
「あぁ。それよりも気をつけた方がいい、小笠原さん。後方に何か小さな『ぬかるみ』ができている。気づかずに踏めば足をとられて大きな隙を生みそうだ」
「それ本当? 幌くん。……あぁ、なるほど。
最初なんか投げてきたアレかぁ。
神器……にしては効果がいまいちだね。なら、『魔道具』かな」
「そうかもしれない。とりあえず知っていれば、大したことはないだろう」
「そうだねぇ」
幌はそう言い残して、る短剣男の元へ向かっていった。
短剣男は、一撃を食らってもすぐさま起き上がっていた。
幌は単純なパワーだけで言えば44代目の中では誰よりも強く、頭一つ抜き出ている。上の世代に迫る勢いの、その一撃を、くらったのにも関わらずすぐに起き上がってきた短剣男はなかなか根性があると小笠原は少し思ってしまった。だが顔が青く足取りがおぼついてないのでやはり辛いのだろう。立場が逆転して襲いかかってくる幌の攻撃に今にも崩れそうになっている。
「クソがっ──!」
たった一人、残された3人のうちのリーダー格と思わしき強かそうな男が、急速に接近してくる。
小笠原はその攻撃を咄嗟に受けようとした。が──予想に反して男のした攻撃は武器によるものではなく、ただ馬鹿みたいに勢いのまま小笠原の体につかみかかって、そのまま『押す』というものだった。
「!?」
咄嗟に剣を男の体に突き刺す。男の顔が一瞬苦痛に歪むが、それでも走る勢いは止まらなかった。体を掴まれながら押されるため、無理やり後ろ向きに歩かさられて後退を強いられる。転ばないようにするのが精一杯だった。まるで小さなガキの喧嘩だ。なのになぜ刺されてもその行動を続けるのか、何をしたいのか小笠原には理解できなかった。
──バキバキ、バキバキ、バキバキ。
後方にあった草藪の中にまで押され続けてしまったため、体が茂みを突き進んでいく。その合間に、引っかかる枝を折っていく感触を背中に感じた。ただその最中に、さすがに『何の枝を折ったのか』までは、思考を巡らせる余地はなかった。
何かに引っかかり、男ともつれ合いながら後ろ向きに転がっていく。そのときやけに周りの景色がゆっくりと動いてみえたのは、目の端に自分が『折った枝』がなんだったのかに気づいたからだ。即座に男が何をしたかったのかに気づいて、これからどうなっていくのかを理解させられたから。
そして同時に初めて小笠原はこの戦闘の中でゾッとするような気持ちを抱いた。
「俺らの寝ぐらに続く場所をッ、何の仕掛けもせずにしておくと思ったか!? まぬけがッ!」
口から血反吐を撒き散らしながら、強かそうな男が叫んだ。
周囲にあるのは、たくさんの『針枝樹』だった。折れたら即座に尖った形の枝が出てくる木。ぐるりと囲むように、大量に生えており、そしてすでにかなりの数の枝を折ってしまっていた。
──『一緒に『串刺し』にしてやるよッ!』
男が叫んだ。もはや手段も厭わないと目が語っていた。
折れた枝の断面を見つめながら、小笠原はその声を聞いていた。
枝が、生える。
捕食するように、攻撃性を伴って。
「──【重力増加】」
そんな中で、小笠原は呟いた。
それによって、状況は変化した。劇的な変化だった。
「ガッ──」
目の前にいる男が唐突に地面に押し付けられる。同時に苦しげな声をあげた。そしてその後に、動揺を瞳に浮かべる。自分に何が起きたのかわからなかったからだ。わからなかったが──その一瞬あとには睨み殺すように見上げた。平然と立ち上がっている小笠原を。
その男は、串刺しになっているはずだった。なのに全く、何の異常もなく、そこに立っている。そしてまるで興味がすでにないかのように周りを見回していた。それが余計に腸を煮えくり返した。憎悪だけで人が殺せたらと、このときほど思ったことはなかった。だが身体はやはり、空気にでも押し潰されているかのように動かなかった。
小笠原を串刺しにするはずだった周囲の『針枝樹』の折れた枝は、なぜか頭を垂れるように『真下』に向かって伸びていた。それは今地面に這いつくばっている男と同じように、力に屈して従ったかのような伸び方だった。
さらには折れてなかったはずの枝ですらも、今この瞬間、下向きに大きくしなっている。軋む音を微かにあげて、今にも折れそうだった。【重力増加】によって強まった重力が、今も加わり続けている証拠だった。
「まいったなぁ……。咄嗟に使ってしまったよ。まぁでもこうやって咄嗟に使えるのがいいところなんだよねぇ、『現象型』はさぁ。やっぱり、能力は『現象型』が一番だよ。いちいち『代償』なんて、用意せず『切替』で済むしさぁ。……さて、幌くんは大丈夫かなぁ」
小笠原は草藪を潜って、元の場所へ戻る。
「あ」
幌の姿は、すぐに見つけて声を出した。
周囲一帯は、小笠原の能力によって今も負荷がかけられている状態だ。
当然ながら一緒に戦っている仲間の幌も例外ではない。そこが自身の能力の融通がきかないところだと小笠原は思っているが──
「大丈夫そうだねぇ、幌くん」
幌も変わらずに、地面に押しつけられてる。だが短剣男に絞め技をかけながらの状態で、だった。きっと能力が発動した瞬間に咄嗟でやったのだろう。うまいことケリをつけてくれたようだ。日頃能力を使って訓練しているからこそだろう。やはり優秀な人というのは、心地いいものだと小笠原は再認識した。
「ごめんごめん、ちょっと危なくてさぁ、咄嗟に『範囲指定』で能力を使っちゃったよ」
「俺は問題はない、小笠原さん。訓練でもよく受けているのだしな。
──ただ、俺はともかく……十華が、な……」
「あ……十華くんも戦ってたのかい……?」
周囲を見回すと少し離れたところで大きくなった十華と女の襲撃者が地面に押し付けられていた。苦しげにもがいている女襲撃者のそばで、じっと小笠原を睨み付けている。明らかに怒っているようだった。
「あちゃあ……ごめんねえ、十華くん……」
「小笠原さん。能力を解くのは、敵を拘束してからにしてもらっていいか。
申し訳ないが、今動けるのは小笠原さんだけだ」
「あぁ、うん。そうだねぇ。当然の話だよね。
今やるからさ、ちょっと待っててね」
小笠原は、近くの木に地下人を、3人とも、蔦を使ってしばって拘束した。
強かそうなリーダー格の男以外は、ぐったりした様子だが、リーダー格の男だけは小笠原を睨みつけている。
「そんなに睨みつけなくてもいいんじゃないかなぁ?」
「……殺してやる。ベリエットの勇者が」
「ちょっと聞きたい話があるだけなのになぁ。襲いかかってきたのは君たちのほうからなのにさぁ。素直に話したら、生きて帰れるかもしれないよ?」
「お前らみたいな自分を強いと思っているやつが足元を救われるのが、楽しみでしかたがない」
「頑固だねえ、はい」
小笠原は、抵抗する様子をみせる男に、何かを差し出した。
しかし腕を後ろで縛られた男が、それを受け取れるはずもない。それでも小笠原は手を離してしまうものだから、結局それは縛られた男の足の部分に落ちた。
「?」
それはなんでもないただのシルバーの『指輪』のようなものだった。
渡されたところでよく眺められるわけでも、掴んで嵌められるわけでもない。一見すると何の意味があるのかわからない。
だが男に触れて少し時間が経ったときに、様子は激変した。
「あ……? ッ……?
ッ、なんで、がッ……」
負けてもなお屈しなかった。憎悪の籠もった目で小笠原を睨みつけていた男の顔が、みるみると歪んでいく。みっともなく、きつさを隠そうともしない表情に。
顔面は蒼白に変わり、脂汗が滴りはじめる。その変化を小笠原は張り付けたような笑みを浮かべたまま見つめ続けていた。
「今渡したのはねぇ、『神器』なんだよ。しかも面白い効果をしててさぁ。『発動するスキルや能力の効果を逆転させる』んだって。『逆転の神器』なんだよ。面白いよねぇ」
「ぐッ……あぁッ……」
男はあまりの苦痛で受け答えができない。その様子を見て、小笠原は「やっぱりね」と納得したように呟いた。男の服には血が滲んでいる。それは戦闘中に小笠原によって作られたいくつかの『刺し傷』だ。
その服の血がなぜだか『広がっている』ように、様子を見守っている幌には見えていた。
「『再生スキル』を持ち、なんでしょ? そうじゃなければ自分もろとも『針枝樹』の枝の中に突っ込むなんて、自爆まがいの戦略しないもんねぇ。それに捕まったのにもかかわらず強気なのはさぁ、時間を稼いでたんでしょ? だめだねぇ、さすがに察せられちゃうよ。あんだけ傷つけたのに、時間がたつにつれて血色戻ってきてるしさぁ。
ちなみに、どんな感じなの? 『再生スキル』で治るのと同じ速度で傷が開いていくのはさ。うわっ、痛そうだねぇ」
「……答えるから、俺たちが知ってるのは何でも……だから止めてくれ……」
「…………」
その様子に、残された二人が折れた。
小笠原はにっこりと笑って、それから尋問を始めた。
それから少しの時間が経った。
大分話が進んで、ある程度情報が得られたころ、手持ち無沙汰だった幌は周囲を警戒していた。
「──……」
何故だか落ち着かずに、辺りを幌は見回していた。
やがて、辛抱できず、小笠原にやってることを中断させる形で話しかけた。
「小笠原さん……何か、近くにいないか?
妙な気配がするのか、少し、落ち着かない」
「んー?」
小笠原が、解析の神器を持ち出して片目につける。
周囲を見渡したあと、ある一点を見て、止まった。
「はぁ、最悪だよ……」
「?」
「よく気づいたね、幌くん……」
「……何かいたのか?」
「──本当に。『新世代』のひよっ子如きのくせして
素晴らしい感覚をお持ちのようで。感心しますよ」
その返答は、小笠原のものではなかった。
この場に存在するはずのない、全く別の声。
それが、少しの距離を空けた森の奥から聞こえてきた。
その声が聞こえたあとのことだった。木の背後から、ゆっくりとその声の主は姿を表す。あまりにも薄気味悪く感じたのか、木の影から溶けるように出てくるようにも見えた。
「誰だ……?」
幌は武器を手にしながら、警戒感を隠そうともせずに、森の奥から現れた人物と相対する。その側で小笠原がやってきて、答えた。
「『魔族』だよ──『天使族』のね」
「天使族?」
銀色の髪の──男、なのだろう。
一瞬、考えてしまうほどの、中性的で美形な顔立ちをしていた。体つきをみてようやく男だとわかる。まるで理想像を描いた絵から出てきたといっても信じてしまいそうな見た目だった。天使族の大きな特徴として『美麗な見た目』が筆頭としてあげられるが、確かに納得いくものだ。
しかしながら他の特徴である『大量の魔力』は幌には感知できずにわからない。そして『白い翼』に至ってはあるようにみえなかった。天使族を見た経験のなかった幌は、目の前にいるのが一見すると、人のようにも見えた。
疑念を口にするか一瞬悩むが、小笠原の言うことを信用して幌は言葉を飲み込んだ。
「『魔族』と『地下人』かぁ。
考えうる限り、最悪の組み合わせだねぇ」
ため息をつくように小笠原が呟いた。
「フフ、フフフフ……」
天使族の男が、笑う。
「あなた方ほど『可笑しく』はありませんよ。『ベリエット帝国勇者』のお二方。まさかこんな最南の辺鄙な地で邂逅することになるとは、驚きです。まぁある意味あなた方に『因縁深い』地でもありますが……フフ……『37』……それに『44』ですか……」
最後に独り言のように、幌と小笠原の肩章から代数を読み取って男は呟く。
「それで何か用? 戦う感じならば、別にそれでもいいけどさぁ」
「いえいえ。私が用があったのは、そこの『人間』たちですよ。たまたまそこにあなた方もいて、鉢合わせてしまっただけなのです、えぇ」
「ふーん……」
「…………」
縁起臭い態度に、正直なところ本当かどうか判断がつきにくい。ただ今のところ嘘はついていないように幌は感じた。
「なぁ、あんた、助けてくれよぉ〜〜! 『取引き』をした仲だろう!?」
今もまだ縛られている短剣男が、会話を遮るように唐突に、叫んで言った。
その瞬間のことだった。天使族の男から目を離していなかった幌は背筋に悪寒が走る錯覚を抱いた。
なぜなら天使族のこれまで浮かべていた穏やかだった表情が一変して、みるみると歪み、憤怒にそまったからだ。それは唐突ながらも、強烈な変化だった。
「うるさいゴミ屑どもがッ!!
なんで私がここまで来たと思っているんだッ!! 殺しに来たんだよックソ人間共がッ! 私の獲物に手を出しやがってッ、あやうく私の計画に支障が……っとっと」
思い出したように天使族の男は唐突に平静を取り戻す。
いや、平静なのだろうか。男は虚な目でボソボソと誰にかけるわけでもない言葉を一人呟き続けていた。
「いけない……。『人間』に感情を露わにするなんてまた無駄なことを……。クッ……またも陰謀にはめられてしまった……。いつもそうやって人間は我々『天使族』の感情をかき乱して『無駄な消費』をさせるのだ……。『時間』、『労力』、『思考』……。怒り、憎悪するのも『タダ』じゃない……。我々は人間相手に『消費』をしすぎている……。『ゼロ』にすべきなのだ……それが人間に最も相応しい価値……。そうした人間に向けていた時間を自分自身に……より高みへ向かうことに使うべきなのだ……。そうだ……落ち着くんだ……ファウツァ=ラァレレリ……。誰よりも強く崇高な魔王になるはずだろう、私は……」
そういって男は深く深呼吸をして、最初の顔に戻って、幌と小笠原に語りかけてきた。
「そこの人間たちを『処理』してくれるというのなら、私は大歓迎です、ええ。ただ私たちは普段少なからず因縁がある間柄です。見てしまった以上放置できません、お互いに。そこで提案なんですが、ここは一旦見なかったことにしませんか? 私たちは、今日ここで出会いませんでした。その事実がきっとお互いをより幸福にさせるはずです。少し聞こえてしまったのですが、あなたがたの目的と、私たちの目的は、全く別々の事柄です。お互い今はなすべきことを優先させませんか?」
にこやかに、天使の男はそういった。
幌は小笠原の方をみる。小笠原は少し考えていた。
そして幌を一度見たあと、同意するようにうなずいた。
「……まぁ、いいんじゃない。僕たちも今は魔族とやる準備はできてないからね。それに確かに優先すべき目的であるのも確かだし」
「おぉ、すばらしいですね。また一つこの世界に賢明な判断が増えました。もっとたくさん増えればいいんですが。では私はとっととここを去りましょう。あぁでも、そうだ、一つ助言しておきましょう。目的を達したならば、すぐさまこの森から去ることをおすすめしますよ」
「……それはどうしてかなぁ?」
「『厄災』に巻き込まれたくはないでしょう?」
ピクリ、と小笠原は反応する。
「『37』のあなたならば、理解できるはずです。
ところで『44』は全色ですか?」
その言葉で幌は男が何を言っているのか、理解した。
全色世代が召喚されたときには世界に大きな出来事がおこるという、噂めいた言い伝えのことだ。魔族にまで知られているのかと、少し驚いた。『全色世代』である37代目の小笠原さんは意識していないはずがない話だった。
「さぁ、どうだろうねぇ」
「フフフ……。まぁ新しい『厄災』の誕生を目撃したいというのであれば、別ですがね……」
そういった直後──バサリ、と大きな白い翼が広がる。
白い大きな羽を撒き散らし、周囲に風を巻き起こして男は空へ浮かんで飛びさっていった。
男の最後に残した言葉は、まるで自分が噂に流れる『厄災』にでもなるかのような言い方だ。
幌はそう感じた。
「……あの男の言う通り、さっさと目的を達して帰ったほうがよさそうだね」
「明らかに何か企んでいるが……。
やはりやつに対しての対処は難しいのだろうか?」
「幌くん……『魔族』は厄介だよぉ〜。さっきのちょろい地下人なんかとは一緒にしちゃだめだね。今関わるには明らかに戦力不足だし、帰ってちゃんと報告するのが今僕らができる最良の選択肢だよ」
「そうか……しかし奴がこの森で企んでるとしたら、テールウォッチの人々は、気の毒だな」
「そうだねぇ……。思えば、『予兆』だったのかもしれないねぇ。街のそばだというのにゴブリンたちがこぞって周りに集落を築き始めたのはさぁ。それに今日見た『魔物の死骸』に、幌くんが言っていた『不思議なマウラレレラ』もだ。こうなると色々なものがつながってくるよ。まぁ、何を企んでるのかまではわからないけどさ。
まぁかわいそうだけど、こうなったらテールウォッチの人たちは諦めるしかないね」
──人には『限界』がある。
テールウォッチの人々の顔を漠然とだが思い浮かべることができる。彼らに不幸になってほしいとは決して思わない。
だがどうあがいても自分のできることと、できないことがある。それは球体をすべての角度から同時に、自分の目で確認することができないのと同じように。
本心では何とかしてあげたい。
だが幌は脆弱だった。少なくとも二つの目的を追える実力が、今の幌にはない。
ならば答えられる返事は一つだけだった。やるべき目的が一つだけなのと同じように。
「そうだな」
小笠原の言葉にはっきりと同意を示す。すると小笠原は──
「そこが坂棟くんと幌くんの違いだね」
満足気にそう言った。
【新着topic】
パラメーター
S……ほんとにやばすぎる
A……やばい
B……すごい
C……なかなかできる
D……頑張ってる
E……普通
F……うーん
G……赤子
【キャラクター】
小笠原与那久郎 推定強さ:−B〜B
元日本人のベリエット帝国、37代目緑色の勇者。同世代には市川や三ノ宮といった44代目勇者を出迎えたメンバーがいる。召喚された当日の自己紹介であまりにも訛りが強すぎて何言っているのかわからず、それ以来先輩や同世代からいじられるようになったことにいまだ納得がいっていない。重度なセクハラ発言で女性勇者からの人望が無く、そのためか優しくされると惚れっぽいところがある。大きな手柄をあげるようなタイプではないが誰もやりたがらない雑用を大量にこなしてくれるのでいなくなると困る人材。でも周りはそれをあまり評価してくれないので若干不満をもっている。酒癖があまりよくない。
【能力】
『重力増加』
対象が今感じている重さを増やすことができる。対象の設定にいくつか方法があり、『範囲指定』をすれば一定の範囲内すべてを能力にかけることができるが、無差別でかかるため味方にもかかるなど欠点もある。発動と停止を自由に切り替えられるため使い勝手はいい。