第80話 人形に導かれるまで①
ベリエット帝国、44代目、『橙色の勇者』──
幌健介は森の中にいた。
茂みに隠れ潜み、息を殺す。顔のすぐ側にある枝を伝って、拳ほどの大きさのムカデが横切った。しかし幌は一切動じずに、身を一切動かず、視線をそらさず、ただじっとしていた。
幌は茂みの隙間を覗くようにして、少し先に広がる光景を見つめる。
その光景は異様だった。
とてつもないと口だけを動かして呟く。
ムカデが横切ったときには動かなかった幌でも、思わず動かしてしまうほどの光景。
その光景は自分よりも早くにこちらの世界に来て勇者となった同じ日本人の男が起こしている光景だった。
──ケルラ・マ・グランデの大樹海に隣接した人間の街は最近ある問題に悩まされていた。
普段森の奥に住み着いているはずの、いくつものゴブリンの群れ。
それが街の近くの樹海部分にまで出てきて、住み着き始めてしまったことが大きな問題になりかけていた。
労力と犠牲を払って安全を確保している樹海の『表層』と呼ばれる場所が、ゴブリンが現れるようになって縮小している傾向にあることだ。表層は戦う能力があまり高くないものには貴重な場所だが、彼らが樹海で活動できる範囲が狭くなってきている。食材となる植物や魔物を採取したり、木材を調達するなど街の生命線を支えるのに彼らの活動は極めて重要だった。
幌は今、まさに問題となっているゴブリンの集落の一つにいる。
視界に広がる『異様な光景』は、その集落の中で今まさに起きていた。
集落の外で身を潜ませながら待機している幌は、その光景を視界に捉え続ける。
「ィ…………」
この場所の、群れの規模は大きかった。
へたすれば三桁に近い数が過ごせそうなほど、集落の面積も膨れあがっている。
間違いなく、街から一番問題視されていただろう群れの一つであるはず。
──その群れにいるゴブリン全員が地面に『ひれ伏して』いた。
文字どおり目に見える範囲すべてのゴブリンが、もはや『平伏す』すらも通り越して、少しの隙間もなくピタリと身体を地面に『押し付けられている』。見た目から何かに強制させられているようには見えない。それでも明らかに何かの力が働いているのは間違いないと思えるほど、それはおかしな光景だった。
地面に押しつけらたゴブリン達は全員が苦しげに表情を歪ませている。にもかかわらず、鳴き声を一切あげることがなかった。だから辺り一帯は、繰り広げられた光景とは裏腹に静けさに満たされている。心に沸き立ちそうな薄気味悪さを、幌は少し深めの呼吸で押し殺す。
視界に広がる光景の中には、それを作り出した元凶の人物も同時に入っていた。
その集落の中で唯一ただ一人、平然と立っている男──
その男はとても仕立てのいい、服を着ていた。
それは『ベリエット帝国』の『勇者』だけが着ることを許されたものだった。
そのことを証明するかのように、肩には『參七』という文字が『緑色』に縁取られてついている。
──『37代目緑色の勇者』。
緑色の髪の男は、両手を地面と平行の位置まで掲げながら、ひれ伏すゴブリンを気に留めず集落の中を平然と歩いて進んでいた。決して豊富にあるとは言えない髪は、多少吹いている風ごときではなびかない。歩くたびにふくよかな身体が少し上下にはずんだ。
そうして男は集落の中心部分まで進んで、そこで立ち止まる。
直後に、張った声をあげた。
「幌く〜ん。このまま『押さえて』おくからさぁ。
いつも通り『処理』の方、やってもらえるかなー?」
「──了解」
緑色の男の言葉に、幌は短く簡潔的な返事をする。
そして、その返事と同時のことだった。
ゴブリンの一体の頭部に『穴』が開く。
押しつぶされた中でも、もがこうとして微かに動いてたゴブリンの身体は、そのあとゆっくりと完全に停止した。頭に開いた穴から、消えた命を追うように遅れて赤黒い血が流れ出る。最初のゴブリンがその状態になった頃には、すでにもう三体のゴブリンの頭部に穴があいていた。
落ちた果実を一つずつ確実に足で潰していくように、淡々とゴブリンの群れが『処理』されていく。すべてのゴブリンが完全に沈黙するまでに、そう長い時間はかからなかった。
「お疲れ、幌くん。大丈夫だった?」
一仕事を終えたことで緊張が軽く緩むのを感じながら、立ち上がる幌に声がかかった。
「あぁ。いつも楽をさせてもらっている。
流石だ、『小笠原』さん」
「いやぁ〜幌くんは毎回ほめてくれるから嬉しいねえ。若い世代はいいよ。代が増すごとに素直な子が増えてきてる気がするしさぁ。あっはっは」
和やかな雰囲気で、お腹に片手をあてて、陽気に笑い声をあげる先達の勇者──小笠原の方へ、森から出た幌は歩いて近づいていた。
その短い時間に、ふと前の世界のことを幌は思い出す。思い浮かんだのは親戚にいたある一人の男だ。その男は仕事の評判はよく、話してみると博識で理知的だった。由緒ある家なため多く機会があった親戚付き合いの中で彼と出会い、交流を重ねるごとに幌は彼に好ましい印象を持つようになっていったが、妹と母が彼を嫌がった。あまり整ってはいない顔立ちや、清潔感を感じない見た目。重ねた年齢の割に女性経験がないことも災いしていたのかもしれない。
さすがにあまりにも嫌がる様子が失礼に思い、注意しようかと思っていた矢先だった。彼が幌の思惑に気づいて一言声をかけてきた。
──『大丈夫、オジさんの宿命だから』。
そういって少し儚げに笑った男が、一瞬、小笠原に重なってみえた。どこか似ているところがあるのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、ふと、鼻につく臭いが思考を奪う。足元に広がるおびただしい量の赤黒さから漂う不快な鉄臭いにおいだ。これだけ死体が転がっていれば、当然のことだった。
小笠原が和やかに話し、陽気に笑ったのは、この光景の中でだった。
そのことに気がついたとき、先ほどの『似ている』なんて考えは一瞬で消え失せていた。思い浮かんだ親戚の男は死体がゴロゴロ転がっている場所で陽気で喋るような人物では、当然ながらない。
いや、そもそも『似ている』などという考えが、意味のない考えだった。
世界が違うのだから、何もかもすべてが違う二つを照らし合わせることなど出来るはずもなく、またする意味も必要もない。
そう思い直した幌は即座に思考を打ち切って、足下に魔物の死体が転がる血に塗れた地面の上を淡々と歩いた。
この世界にきて十年経ち、その年月で自分がどれだけ順応し、前の世界からどれだけ変わったかという思考も、あるいは感慨も、沸くことはなかった。
「でもさぁ、今回は少し、しくじっちゃったよ。何体かが能力の範囲から逃れててさぁ。効果がかかってなくて、逃げられちゃった。思ったよりも広かったねえ、ここの群れ。面目ないよ幌くん、せっかく褒めてもらえたのにさぁ」
「……処理しすぎもかえって別の脅威を招く恐れがある。ほどよく処理出来たと思えばベストな結果だろう」
「うんうん、そうだねぇ。そう考えておこうか。これで大分ゴブリンも駆除したねえ。
少しは『テールウォッチ』の人も楽になったかな」
「心労は、多少軽減したはずだろう」
幌が答えると、小笠原は満足げに二回大きくうなずく。
「あそこの人たちも、かわいそうだからねぇ。自分たちの国を乗っ取られたあげくに、こんな危険地帯に隣接する場所に押し込められちゃって。こっちにきてびっくりしたよ。『ウォンテカグラ』って。いつのまにか元の国の名前すらなくなっちゃってるんだもん。でもさぁ、どんだけまぬけならそんなことになるのかな? やっぱこっちの世界の人間て、頭が悪いよねえ。それに野蛮だし……。それもこれも全部、ステータスがいけないと思うんだよ。こんなゲームみたいなことばっか考えていたら、頭悪くなるよ。渡辺くんとか取り憑かれたように、ステータスステータスいつも言ってるけど、大丈夫かなぁ。あれ以上頭悪くなったら、本当に死んじゃうよ。前に『一日一時間まで』って注意したんだけどちゃんと守ってるかなぁ?」
「…………」
一人で喋り続ける小笠原の傍らで幌は黙々とゴブリンから魔石を取り出していた。
小笠原の話が一区切りついたときには、魔石が三つほど取り出し終わっていた。
「幌くんは毎回毎回、真面目だねえ」
しゃがんで作業をしている幌の上から、のぞきこむような姿勢で小笠原は言った。
「ゴブリンの魔石なんてクズだから、なりたての冒険者か一般人しかいちいちとらないよ」
「……命を奪ったのなら、できるかぎり余すようなことはしたくないだけだ」
「いやぁ、立派だなぁ。幌くんは。真似できないよ」
「……とはいえ、いちいち羽虫から採るようなことまではしないがな」
「この世界、人以外の生きてるものは基本みんな魔物だからそこらへん飛んでる虫もすり潰せば魔石が出てくるからね。塩の粒よりも小さいけど。そんなの集めたところで、本当の意味で何も使えないからねえ」
「その点この程度の魔石ならば、まだ役に立つ。
少なくとも俺の【能力】にとっては──魔石は『価値』になる」
すべてのゴブリンから魔石を取り出し終わる。
幌は大きな自身の片手に、今回取り出した魔石をすべて乗せていた。一つ一つはそんなに大きくはないが、数がそこそこいたため小さな山ができている。
魔石を乗せていない方の手には、袋を握っていた。すでに袋の口は空いていて、少し手を傾けると、さらに大きく開いた口からすでに採取していたたくさんの魔石が入っているのを覗くことができた。
その袋の中に、幌は取り出したばかりの魔石を入れていく。
ゴブリンの胸からえぐりだしてとったため、魔石には血がついたままだったが構うことはなかった。どうせ、今から『消費』することになるからだ。
「来い、【価値人形】──『十華』」
そう言うと、虚空にボンッと弾けるような音が軽快に鳴って、小さな子供か小人みたいなものがその直後に現れていた。特徴的な帽子をかぶっていて、人の赤子のように保護欲を誘う可愛らしい見た目だった。
現れたそれはそばにいる幌に、トテトテと早歩きで寄ってくると「どうしたの?」とでも伺うように、首を小さく横へ傾げた。
小さく揺れる『天秤』を模した帽子を、幌は一度だけ目に入れて、膝をついて身を低くした。体格のいい幌の体では、そんなことをしたところで、見下ろす形になってしまうのは変わらない。ただ立っているときに比べてこちらの方が、見上げている側の首の角度がだいぶ楽になっているような気がした。
幌は、目の前にいる『それ』と、目を合わせる。
『それ』は『能力』だ。
幌自身の能力で出現させることができる、価値を対価に願いをかなえる人形。
──【価値人形】。
幌は『人形』を出すことができる。出した人形はやってほしいことやほしいものなど、『願い』を告げると、対価として何かを求めてくるので、それを渡せば願いを叶えてくれるという単純な効果の能力だ。わざわざ人形とせずとも、人と人が古くから行ってきたもっとも単純で原始的な取引の形そのものだ。果たしてわざわざ能力に頼む必要があるのかと一見思えるが、それでも人とは違っていつでも好きな時、確実に頼むことができるのはいい点だと幌は思っていた。
それに加え人形たちがいうには願いは『何でも叶えてくれる』そうだ。人に頼む場合にはどれだけ対価を積もうがどうあがいてもできないということは確実にある。が、人形にはそれがない。それが『本当』ならば、大きな利点だと幌は思っていた。
しかしながら能力が発動してから十年近く経つ今でも『どれほどの対価』で、『どれほどの願い』を叶えてくれるのかについては手探りだ。それに『願いがどう叶うか』まではコントロールできないため、能力に振り回されることも多く、いまいち便利なのかどうかの判断ができないまま、現状まで続いている。
「十華、願いを聞いて欲しい。対価はいつも通り、これで十分だろう」
目の前にいる人形の名前を呼び、人形の前にたんまりと魔石の入った袋を置いた。開いた袋の口からは、当然ながら先ほど入れたばかりの血のりのついた魔石が入っていた。
この十華は、魔石を渡せば、願いを叶えてくれる人形だ。
魔石を差し出したので、これで願いは叶えられる。
そう思うと、自然と動作や声に、真剣味が滲み出てしまうのを幌は感じていた。実際、視線も鋭さと力が増していた。
だがそれも当然の話だ。
これから口にしようとしている願いは、今ここにくるまでのすべてが詰まっている。本来なら、ここからはるか北の大地にある『ベリエット帝国』にいるはずの幌たち勇者がこの『最南の大陸』の、『最南最大の危険地帯』に、わざわざいる理由。それはまさに願いそのものだった。そしてこれから、ここまできた過酷な道のりの結果が左右されるとなれば、真剣にならざるをえなかった。
なによりも──
『南の樹海へ行きたい』。
そう言い出したのは幌からなのだから。
「十華──」
『目的』を。
叶えてほしい『願い』を。
人形に伝えるために、幌は重い口を開く。
すでに対価は渡しているのだからあとは願いを言って叶えてもらうだけ──。
──フルフル。
しかし願いを言う前に十華は首を横に振った。明確な拒絶の意思だった。
幌はその事実に驚き、目を見開く。動揺する感情を一瞬で抑え、人形に尋ねた。
「何故だ……? 十華……。『対価』が足りないのか?
しかし、いままでは魔石を渡せば喜んで聞いてくれていたはずだ。それに断るにしても、まだ『願い』すらも聞いていないのに断ることなど、今まで一度もなかったが……」
考えこみはじめる幌に、横から声がかかる。
「ダメだよぉ、幌くうん〜」
「小笠原さん……ダメというのは、何がだ?」
「その『魔石』だよ。ほら、さっきとったやつさぁ、『血』がつきっぱなしだよね?
子供にこんなもの渡すなんて。教育上よく無いよ?」
「教育上……? 子供……?
…………『能力』なのにか?」
「えぇ……幌くん……。気が付いてなかったの?
その子魔石を渡せば願いを聞いてくれるんじゃなくて単純に『キラキラしたもの』が好きだから、それで願いをきいてくれてるんだよ。だからそんな血に汚れたやつなんかあげたって願いなんか聞いてくれないよ。魔石にこだわる必要もないし。そもそも人形とか能力とか関係なく、何かをお願いしようって相手に、血も洗わずに渡すなんて、人の常識としておかしいよねえ」
「それは……確かにそうだ……。すまない、十華……。申し訳ない。
しかし『キラキラ』したものを渡せばいいというのは、本当か?」
「幌く〜ん、『能力』とか『スキル』とかそういった力はねぇ、生きていようがいまいが、ちゃんと理解しようとしないと、それだけ出来ることが文字通り本当に変わってきちゃうんだから、気をつけないとダメだよぉ。よく観察して、上辺ばかり見ずに本質に気づいて知っていかないとさぁ。とりあえず一度試してみなよ」
幌は小笠原のアドバイスを聞いて、素直に魔石を洗い流してみることにした。
これから樹海の奥へ本格的に入っていくというのに、貴重な水を果たしてこんなことに使っていいのか……。もし効果がなければ全くの無駄になってしまう。
そんなことを洗い流しながら思いもしたが、洗ってる途中で十華が両手を地面につきながら、キラキラ目を輝かせてそばで眺めているのをみて、その心配はなさそうだと確信した。
そして改めて──綺麗になった魔石をすべて袋にいれて十華に渡すと、さっきと違い十華は願いを聞く姿勢になった。そのことに内心複雑な心境になりながらも、頭を切替えて幌はやっと願いを口にする。
「この森で──『坂棟日暮』に繋がる手がかりを探してほしい」
そういうと、十華は二回大きく頷いて、トテトテと森の中へ入っていく。まだ見つけていないため、十華は歩きだ。走っていない人形は歩幅が見た目通りでかなり進むのがのんびりなため、それから幌と小笠原は制服を脱いだり荷物を背負ったりなどの準備をはじめた。
「さて、いこうか。幌くん」
「……あぁ」
そして十華を追うように、樹海の深部へと入っていく。
「…………キラキラなものか……」
そう、小さく呟きながら。