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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第2章 花人族と魂のありか
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第77話 地上組

あらすじ


テレストという花人族の薬師にあった秋は、千夏をみてもらうために薬作りを手伝った。

最初は苦戦したが驚異的な成長を見せながら薬作りに参加し、無事作り終えた秋は寝込んでいる千夏の様子をテレストに診てもらうことに。


一方その頃、秋達と別れて日暮たちは地上を進んでいた。



 疑問が、あった。

 それは秋への疑問。秋の『居場所』についてだ。

 秋は今『どこに存在している』のだろう、ということ。


 ──森の中を歩き続けていた。


 終焉の大陸を出てからずっと、多少の休憩はあっても外に出っぱなしというのは変わらない。だから正直なところ足どりは重たくて。でも、足手まといになりたくなさで必死に歩を進めた。魔物は一向に出てくる気配がなく、思わずぼんやりとしてしまう。

 そしてそれは、そんなタイミングで、ふと思った疑問だった。


「何を考えてるんですかぁ〜っ?」

 

 側を歩く千さんが、声をかけてきた。

 秋とティアルと別れた私たちは、地上から魔族の手がかりを探すために一緒に森を進んでいる。千さんを見るたびに思うのは、着ているメイド服が未開の森とはあまりにも不釣り合いで、とても浮いているということだ。さらにこんな道なき道を進んでいるというのに、汚れが一切ついていないのも……。すごいけど、不気味さに拍車をかけていると思う。

 暇だから声をかけてきたのだろうか?

 

「ペースが落ちてますよっ」


 違った。


「千夏を治したら、秋はどうするのかなって、考えてたんです」


「……どう、というのはっ?」


「えっと……秋は終焉の大陸からここまで来ましたけど……。でもそれは必要だから、そうしただけですよね? だから秋の気持ちというか、心というか、本質的な意味ではその……」


 少し悩み、それに近い言葉が思い浮かぶ、


「秋の『魂』みたいなのは、まだ……あの大陸に居続けている気がするんです。だから必要だからここにきいるけど、必要がなくなっちゃったら、秋はまた終焉の大陸に帰ってしまうかもしれないって……」


「あ〜っ、なるほどですねっ!」


 なんとなく脳裏に春さんの顔が浮かんだ。

 漠然と私と同じことを思っているはずだと、妙な確信があった。

 でもこんな思考、余計なお世話なのかもしれない。もっと考えるべきことが、私には山ほどあって。そっちを先に考えるべきなのかと思うと、自己嫌悪になって少し落ち込む。


「いいんじゃないんですかっ? それでっ!」


「えっ?」


「戻りたいなら、戻ればいいと思いますっ! 千もはじめて『あそこ』以外の場所に来ましたがっ、最初はわくわくしましたけどすごく退屈な場所ですよっ、ここはっ!

 やっぱり秋様の美しさは……『あそこ』でこそ輝くと思いますっ!」


 少しだけ驚いた。

 使用人の人は秋にとても従順だが、同じくらい春さんを慕って従っている。

 それこそなんでも肯定したり、考えに同意するほどまで。そんなイメージがあった。


 でも完璧に同じ考えなのかといったら、そうでもないのかもしれない。

 少なくとも春さんは違う意見を持っているはずだと思った。


「それよりもぉ〜、先に『何か』いますねっ。

 たぶん『人』だと思いますけどっ。 話声の振動がしますしっ!」


「え……?」


 元々は魔族の『花人族』と接触するために、秋と別れて地上の森を進んでいた。

 だけど教えてもらった集落の場所はすでに壊滅状態だった。結局なんの成果もなく、彼女の住処があるらしい『洞窟』の入り口を目指して今進んでいる状態だ。

 

 だから……心の隅にずっと、一抹の不安があった。


 ティアルは自分の住処にいけば『一人の魔族が確実にやってくる』と説明をしていたが、完全に村が壊滅していることを知らなかった。

 だったらその一人の魔族とやらが、ティアルの言うように、本当に住処に現れるというのも怪しくなってくる。


 不安というのは、秋たちにも全く成果がなく接触がないかもしれない……ということだ。

 もし今、一番最悪の事態を考えるならば、それだと思う。そう考えると……少しでも何か成果を携えて合流したほうがいい。

 そして千さんの情報は、その『何かの成果』に繋がる可能性がある。


 ならば……。


「私は、いってみるべきだと思う」


「そうですねっ、いいと思いますよっ。

 行ってみましょうかっ。こっちですね〜」


 千さんの先導で森を進む。

 結構な距離を進むと、うっすらとだけど、確かに人の声らしき音が耳に届き始めた。


 ……────!


 最初にわかったのは、それが大きな声をしているということだった。

 騒いでいる、もしくは言い合いをしているのかもしれない。何を言ってるのかまでは、定かではないけど。既にどの方向から聞こえるのかははっきりとしている。それこそ千さんの主導なく自分でそちらに向かえるほどまで。

 音の方向へ向かって、茂みの中を進んでいく。しかしやがてそれがはっきりと聞こえるほどになってきた時点で、無意識のうちに音をあげないように気をつけていた。何か不穏なものを感じていたのかもしれない。



「暴れんなっ! オラッ!」



 それが──最初に聞き取れた言葉だった。

 直後に鈍い大きな音が続く。同時に「ウッ……」と漏れ出るような声。

 耳に届いた音は、濃厚な暴力の気配に満ちていた。


 私は焦るように、茂みを少し急ぎ気味で、移動した。

 そして茂みの隙間から光景が覗ける場所までたどり着く。


 のぞいて見えたのは人間の男女が三人いるところだった。

 中腰で何かを囲むようにしている後ろ姿が最初に目に入った。何を囲んでいるのかは見えづらい。

 ただ想像は簡単にできた。なにより今も小さく聞こえる、「ぅぅ……」という呻き声が、囲まれている場所の中心から聞こえてきていた。

 そこには見える『三人』だけではなく、三人に囲まれた『別のもう一人』がいる。


 頭に熱がこもるような気がした。その人がどういう状態なのか、なぜそうなのか、考えるだけで。

 私は『メモリーカード』を出現させ、片手で握った。そして即座に茂みから駆けて出るため、身を乗り出す──ことはできなかった。私の服をつまんでいた千さんによって止められた。苛立ちながら振り返ると、千さんは人差し指を口に当てて、不気味に笑っていた。


「おいっ、さっさと薬で動けなくしちまえ。

 また暴れないうちによ」


 そうこうしているうちに、三人の人間の男女が会話をしていた。 

 ごそごそと何か怪しげに動きながら。その会話も不穏さを隠そうともしないものだった。


「あいよ〜。へへっ、『レアな種族』が手に入ったぜ、なあ?」

「……まだ手に入ってねえって。持ち帰って一息ついてようやく手に入ったっていうだよ……っておいっ、どんだけの薬使おうとしてんだよッ!

 多すぎだろ、バカがッ。一日動けなくなる程度でいいんだよ!! 死んじまったらパアだろうがっ!」

「あ〜っとっと。……へへっ、わりぃわりぃ。

 死んだら金にならねえもんな〜」

「気をつけろ、馬鹿が」


 そういって彼らは何かの道具……? それと薬を使って倒れている人を動けなくしていた。この時点で私は『どちらを倒すべきか』が明確になっていた。


「薬が回りきったら『穴蔵』に戻るぞ。」


 男は言う。その言葉に聞き覚えがあった。


「へへっ、どうするよ、こいつ。そのまま奴隷として売るのもいいけどよ

 ただそのまま売るんじゃもったいなくねえか?」

「……この間の……魔族に売り渡せばいい……。こいつらが森にいないか、探してた……」

「あの 『種』をくれた野郎か」


 ──……種?


「あぁ〜、あれはスゴかったよなぁ〜。

 あっという間に森が『ヤク』だらけになってよぉ!!」


 うっすらと、その会話にひっかりを感じた。

 だがそれ以上に、頭に血が上る会話だった。頭を回すよりも、怒鳴るのを堪える方に意識が向いてしまう。


「だが、あれも結局金にはなんなかった。『この森ならよく育つ』つって渡されたのを植えてみれば……育ちすぎて採取どころの話じゃねえ。くそが、あやうくこっちまで巻き込まれて死にかけた。あの一帯にある『穴』だってもう使えやしねえ。あのやろうに渡すなら、べらぼうにふっかけてやらねえと割にあわん」

「……ならよぉ〜。コイツに仲間の場所を吐かせてやろう。そんでこいつの仲間もとっつかまえてだな。そいつらを売りさばけばいいっ。どうよぉ〜俺の名案は〜!」

「……ははっ、それはいいかもな。そうしよう。それでたんまり金だ!

 そらっ、もう薬が回ってるぞ。担いで穴蔵に撤収だっ!!」

「「了解っ」」


 その会話を最後まで聞き終える前に、すでに茂みから駆け出していた。

 そして勢いのままに、一番手前にいる男の足を切り上げるように斬りつける。

 肉を断つ生々しい感触を手に感じながら、ほんの少しの鉄の香りがした。


「いってええええ!!」

「あんだぁ〜〜〜!? コイツはっ!」

「敵……!」


 足を切りつけた男が地面に足を抑えながら崩れ落ちるのを、見届けることなく、さらに横の男に斬りかかる。だがその攻撃は、短剣で止められてしまった。さらに残ってるもう一人の女から、横方面から襲われそうになったため、飛び跳ねるように後ろに引いて避けた。


「『地下人』……」


 私がつぶやくと、短剣を持って対峙している男が反応する。

 へらへらと笑いながら、余裕があるような態度だった。


「あぁン……? 知ってンのかぁ〜俺たちのことを。

 どっかの要人かァ、お前。 あんま知らねえはずなんだがなァ〜『上の人間』はよ。

 『地下にある世界』なんて都市伝説くらいにしか思ってねえはずなんだよなぁ〜」



 ※


 ケイコク LV430


 種族 人間族


 ※

 

 ミンテイ LV301


 種族 人間族


 ※

 

 ザラ LV225


 種族 人間族


 ※


 男が言葉を発している間に、【鑑定】を行う。

 全員、そんなに高いレベルではない。でも一人だけ私のレベルに近い人間がいるが、その男は最初に足を切りつけた男だ。最初に倒しておいたのは、いい判断だったかもしれない。


「いてえ、なぁっ……くそがっ。

 いきなり襲いかかってくるなんて、どういう思考をしてやがる。頭がおかしいのか?」


 ……と思っていたけど。 

 その男が平然と立ち上がり、対峙している二人の中に加わった。結構深く、足を斬ったと思っていたけれど、全くなくなっている。その様子をみると、顔をしかめたくなる。


 人と戦うたびに実感する。

 この世界で人を無力化させるハードルの高さを。

 何かのスキル? 能力? それとも神器?

 なんにせよ、傷を治す何かがあるのは確実だ。確実に意識を奪わない限りは無力化することは難しい。


「落ち着いて戦うぞ。そうすれば、勝てる。

 さっきの感じだと、俺らよりレベルは高そうだが……この人数差を真っ向から覆せるほどの差じゃあない。俺の見立てだとな」


 一番レベルの高い男の声に、残りの二人が頷く。

 さらに男はニヤリと薄ら笑いを挑発するように私に向けて、言葉を付け加える。


「それに間違いない。コイツは『バカ』だ」


 同調するように、残りの二人も嘲笑の笑みを浮かべる。


「あんな絶好な、不意打ちをしておいて狙うのが『足』だなんて……笑えるぜ。安心で安全な街から、出ない方がいいんだぜ、アンタのようなクソバカは。覚悟ができてねえやつは、覚悟ができてないやつなりの『巣』に、閉じこもっていればいい。そういう『地上のやつ』を俺たち『地下』が上手に扱ってやるっていうのに……。でも俺はすごい優しいからな……。お前も殺さずに捉えて、厳しくて辛い『お外』になんて出ることがないよう、優しい奴隷商に売ってやるぜ」


 そう言って一番レベルの高い男が、何かを投げた。

 それと全く同じタイミングで、残りの二人が私との距離を詰めるように走り始める。


 男の投げつけてきたものを避けるのはとても容易かった。

 ちょっと身体を横にズラすだけで背後に向けて、傍を通り抜けていく。ただそれが一体なんだったのか、気にはなったが振り返って確かめる余裕はなかった。避けたと同時に、詰め寄ってきていた二人の攻撃を捌かなくてはならなかったからだ。


 淡々と、森の中で金属がぶつかりあう音が響きわたる。

 ベリエットから支給された剣を、能力で再生させながら使っている私の武器は、この世界でもそこそこ高い品質の部類に入る物だ。でも相手もそれに負けないものを持っていた。それは戦いを生業に生きる人なら当然のことだが、逆にいえば当然としている彼らは戦いを生業に生きているということだ。


 日々戦っている人物の相手を……しかも二人がかりに攻撃されて、捌くのは私の腕では無理があったのか。

 少しずつ、激しい攻撃を受けるのに後ろに下がる必要が出てきた。

 ジリジリと、後方に位置を下げられていく。


 ──そして数歩分後退したときだった。


 グラリ、と。

 身体の体勢が崩れた。


「なッ……!?」

 

 驚きに声をもらす。

 なぜ体勢が崩れたのか。

 それは思っているように地面を足で捉えられなかったからだ。無意識に思っていたタイミングよりも、数秒遅く足を地面が捉えた。想像よりも地面が『深かった』。


 この場所の地形を計りかねた?

 未開の場所なのである程度、地形に起伏はある。でもそんな深く足が沈むほどの、荒れはてた場所でもない。


 それよりも……どちらかというと……。

 それはまるで──急に穴ができたかのような……。


 とっさに足元を見ると、地面には釘に近いものが刺さっている。

 そしてそれを中心に地面がドロのように『溶けていた』。

 それは最初に男が投げつけたものだった。私に当てるためじゃなく、ここに追い込むことが目的だった。


「戦いはやっぱり『初見殺し』が一番だ。そうだろ?」


 これまで戦いに参加していなかった男が、体勢が崩れたこのタイミングで、攻撃に参加してきた。他の二人も当然、手を止めるなんてことはしない。むしろそれぞれの攻撃を邪魔せずに、それでいて私が嫌がる絶妙な方向から、それぞれの攻撃が同時に襲いかかろうとしていた。


 避け……きれない……。


「(だったら──)」


「──あン……?

 なんなんだよコイツは……ッチ……イカれてるのかてめえッ!?」


 攻撃の後に、男が苛立ち混じりの声を漏らす。残りの二人も、驚いていた。


 私は一人の攻撃を、剣で受け止めた。

 この時点で残り二人の攻撃を、少なくとも武器で受け止めることはできない。


 だから──攻撃を『受け止めなかった』。

 捌き切れなかった攻撃のうちの、長剣の方は腕を差し出した。

 攻撃は剣を持ってない方の腕に斬り込んでいった。だけど骨を断ち切れきれずに途中で止まったが、その衝撃が骨を伝って全身に伝わり全身が殴られたような感覚だった。


 もう一つの短剣の攻撃は、刀身が見えなくなるほど、深々と脇腹から突き刺さっていた。

 全身を伝わった衝撃とは逆に、こちらは集中した激痛だった。


 全身を走る痛みに、歯をくいしばる。

 でも覚悟はしてた。あまり有利と言えないこの戦いで勝つにはそうするしかない。

 それに痛みは慣れてる。


 それよりも今この瞬間を逃してはいけない。

 相手が驚いている今が、反撃のチャンスだった。

 

 男の怒鳴り声を、聞き終えるまでの間に、私は一人の相手を蹴りつけていた。

 その相手は短剣を私の身体に突き刺してきた女だった。鑑定したときに一番レベルが低く、『300LV』近い差があったはずだ。

 

 ありったけの『レベル差』を、こめた一撃。

 『レベル』なんて、理解できないことのほうが多く、決して万能でもありはしない。過信なんて到底できはしないけど。


 でも数値に『差』がある者と戦闘を行うなら、そこにある『差』は必ず何かの『根拠』で覆す必要がある。たった一つだけ極めた『スキル』でも、膨大な財力によって手に入れた強力な『神器』でも、練りに練った相手の意表をつく『作戦』でも、あるいは純粋に『数』を集めるのでも……なんでもいい。


 とにかく『覆す何か』が、必要だ。

 

 もしそれが出来なかったとしたら……。

 覆しきれなかった『差』は、むき出しになって襲いかかってくる。無機質に、明確に、暴力的までに。純粋な『レベル』と『レベル』を比較するだけの戦いとはそういうことだ。

 だからレベルが低い人は、そういう状況をもっとも回避しなければならない。


 召喚させられた頃、先輩の勇者に散々そのことを理解させられた……。 


「(……今とは違って『くらう方』だったけど)」


 蹴りはナイフを刺してきていた相手の腹部へ、カウンターとして綺麗に入った。

 まるでボールのように、相手は後方へ吹き飛んでいく。そしてそのままとてつもない音を立てて木にぶつかって、倒れた。

 起き上がる様子はない。


「ザラッ!」


 二人のうちの一人が、意識を失った仲間の方へ向かっていく。


「おいッ! 目を相手から逸らすんじゃ……ぐっ、なんだ!?」


 最後まで目の前に残った一人の顔に、体勢を崩すきっかけになった泥を蹴り飛ばして当ててやった。

 そうして生まれた隙をつき、腕の深くまで斬り込んでいた剣を剣で払いのけて、背後の木の陰まで逃げて一瞬隠れた。【メモリーカード】を二枚取り出して、「セーブ」と「ロード」という二言だけを呟いて木の陰から再び出ていく。


 【セーブ&ロード】の能力で、身体は一瞬で『戻す』ことができる。三枚だせる【メモリーカード】のうち一枚には必ず、全快のときの私の身体を記録するようにしていてそれを【ロード】できれば、多少の身体の傷は関係なく戦える。


 だから痛みも、傷も、もうない。一瞬で消えた。体内にあった短剣まで。

 すべてが消えて通常の身体に戻っている。唯一体力だけは元には戻らないけれど。


 一瞬で傷を治して木の陰から出て行くと、泥を拭い視界を取り戻していた男が「なっ!」と驚いた声を漏らした。だが気に留めずに私は、男に向かって一枚の【メモリーカード】を投げつける──その直後に【ロード】と、叫ぶように言った。


 くるくると回転しながら男に向かって飛んでいた一枚の【メモリーカード】が、声に合わせて大きな『木』を空中に再生する。それも【メモリーカード】がもっていた勢いを保ちつづけたままに。ほんの一瞬の間で、とてつもない質量が、とてつもない速度で、回転しながら飛んでいる状況が作り上げられた。


 ブンブンと大気を激しくかき回すような音を立てて、大きな木が迫りくる状況に、男は一瞬でぎょっとした顔を浮かべた。


「う、うおおおおおおおおおッ!!!!!」


 驚きで硬直する身体をまるで鼓舞するかのように叫びながら、男はとっさにしゃがんで回避する。

 残念ながら木は男には当たらず、その真上を通り過ぎていった。

 そして──奥で蹴飛ばされて気絶した仲間に、かけよっていた別の男が回転する木に当たって吹き飛んでいた。冗談みたいに飛び上がって、どさりと地面に倒れていた。飛んでいた木もその直後に、いくつかの木をへし折りながら停止していた。


「クソがぁっ……!」


 残った最後の一人が、切り掛かってくる。でも間違いなく苦し紛れの攻撃だ。

 このまま戦っていけば、必ず勝てる。もう人数差の有利はない。

 相手の攻撃を避けて返しで攻撃を入れるように剣を振ろう。そう思ったときだった。


 男の姿が何かの陰に隠れる。

 それはまるで攻撃を防ぐために、盾をかかげて身を隠すような動きだった。

 でも男は最初から盾なんて持ってない。また何か特殊な道具で盾を出現させたのか。


 ──そうではなかった。


 それは『人』だった。

 この場に『最初からいたもう一人』の人物。

 薬を使われて横たわっていた人。その人を盾にして、男は私に攻撃を仕掛けていた。


 このまま切りかかるわけにはいかない。

 そう思って、身体を硬直させてしまった私に、男の剣が真っ直ぐに伸びてくる。明らかに致命的な首筋に向かっていた。くらえば【ロード】で治せる限度を超えている。


「(まずいっ……!)」


 男は盾がわりに使っている人物の陰に、自身の身体をとても上手く隠していた。

 だから手前にいる人物を傷つけずに、男に反撃して攻撃を止められる自信が私にはなかった。かといって、攻撃が速い『突き』の攻撃に対して、少し出遅れた反応で、その攻撃を払って止められるかどうかは勝算が低めの一か八かになりそうだった。

 

「(……どうすればいい?)」


 ……──。

 

 頭の中で、小さく声が囁く。

 その瞬間、唯一この状況を打開する『方法』が浮かんだ。


 男の顔が目に入る。

 よく見れば……男はこの戦いが始まった最初の時とは、全然違う目つきで私を睨みつけていた。

 奴隷にしようだなんて、余裕を持っていたときなんかとは違う。

 はっきりと殺す事を強く意識して、視線を、『まっすぐ私に向けてきている』。


 ……──せ。


 男は私を真っ直ぐに見ている。

 それは盾として掲げている人の陰から『はみ出して』いるということだ。『目』という人体の急所が、狙える位置にあるということ。

  

 その目を『剣で突きさす』こと。

 それが今この瞬間繰り出せるもっとも勝算の高い動きだ。

 『突き同士』の攻撃のし合いになれば、確実に私の方が速い。それは『レベルの差』という事実に裏付けられている。


 ……でもその攻撃はきっと手加減できない。

 もし男の脳天まで剣をつき入れる覚悟がなければ、『遅れる』。

 少しでも死ぬ手前で剣を止めようだなんて、思惑を持って攻撃してしまえば、男の攻撃のほうが速く私にたどり着くだろう。


 それは──

 

「(──殺さないと、殺されるということ……)」


 持っている剣に渾身の力を込めて突き刺そうとする。


 ……でも。

 剣を持った手は、動かなかった。

 動かせなかった。


 ──殺せ。


 身体が突きを放つ前の姿勢で震えたまま、動かない。

 もはや男の攻撃は防ぎきれないところまで達していた。


 男の剣が首筋に達した。

 その瞬間、ぷつりと意識が途切れた。



 ◇



『どうして、殺さないんだい?』


 暗い闇の中で、『男の声』が聞こえる。

 それはずっと、私の頭の中でささやき続けてた声。

 それが今はもっとはっきりと声を発して、喋っていた。


『いい加減、わかるだろう? 日暮ちゃん』


 闇の中で、私はゆっくりと顔を上げる。


『君はいつも”命”を重く見て、ありがたがろうとするね。でも考えたらわかるはずさ。

 ねえ日暮ちゃん。まずその事実が、世界で揺るぎのない事実だったならば果たして”命は大切”だと言葉にする必要が、あるのだろうか?』


 ずっと、その声が聞こえるたびに考えていた。

 果たしてそれは私が言われた言葉の記憶なのか。

 あるいは勝手に作り上げた幻想が、想像で勝手に喋っているだけなのか。


『みんなで必死になって、まるでそう思い込みたいかのように

 言葉にする必要が……ねえ、日暮ちゃん』


 どちらにせよ……。

 その言葉が『誰』が発しているのかだけは、はっきりとしていた。


 コツリ、コツリと。

 靴音が響く。少しずつ近づくように。

 それと同時に、言葉もより鮮明となって聞こえてくる。

 そしてその姿も、ゆっくりと現しはじめた。


『”空気を吸って生きている”なんていちいち言葉になんかしないだろう。当たり前のことだよね。あまりにも口を挟む余地がない、みんながわかりきってる揺るがない事実を、いちいち言葉になんかしやしないんだ。言葉にすることこそが、この世界において”命”なんて代物は薄っぺらくて軽いものだという事実の裏付けなんだよ。なくなったって意外と困らない。その事実をちゃんと認識しないと』

 

 翻る長いコートのような制服。

 『ベリエット帝国』の『勇者』のそれだ。


 新人の勇者に、必ずつけられる『先達の勇者』。その男は私についた男だ。

 死んだ彼女の代わりにやってきた、同じ世界からやってきた日本人の一人。

 制服についた肩章は『弐五』と数字が書かれており、その代数を『黒色』が縁取っていた。


『君は三人の盗賊に対して一人で突っ込んだ。正直なところ、これですらバカだ。でもこの時点では状況は決して不利に傾いちゃあいない。相手は人数が勝っているが、君はレベルが勝っているからね。そして互いに相手を”生かすつもり”で戦闘が始まった。だから状況は、簡単に言っちゃえばイーブンだ。あはは、バカだよね。相手も、わざわざ自分らよりレベルの高い相手を奴隷になんてしようとしなければ、勝てたのにさ、ははは』


 男は嘲笑めいた笑い声をあげるが、その笑みを真っ直ぐに私に向けた。


『……まぁ、それは君にも言えることだけどね。なぜわざわざ、”イーブン”なんて危険な状態で戦いに臨むんだい? 理解しづらいな。最初の不意打ちのあとに盗賊の男が言った”バカ”はまさにその通りだよ。たった一つの姿勢を変えるだけで簡単に有利に傾けられるものを、無視して負けるなんて、こんな馬鹿らしいことはなくないかな? 相変わらず見ててムカつく負け方をするなぁ、はは』

 

 男は私に密着するほど近づき、耳元で囁くように言った。


『君は”脆弱”だ。しかもその弱さは、鼻について、人を苛立たせる。

 ”ぬるい”からだ。何もかもが”本気”じゃない。そもそも本気になんてなれやしないんだろうけどさ。手を抜いているお前みたいなやつが綺麗な言葉をいって、人に同情して他人を助けようだなんて烏滸がましいよ。自分から逃げているお前ごときが。だから結局人任せになるのさ。見なくてもわかる。そういうやつは自分では何もできないからね。

 お前みたいな脆弱な人間にとって思考は脆さしか生まない。だから考えなくていい。疑問に思わなくていい。答えを見つけようとしなくていい。そういうのは忘れて、諦めて、言われたことだけやってればいい。僕の言う通り動くんだ。口答えせずに、でしゃばらずに、余計なことをせずに。そういう風に生きてる人がたくさんいるだろう。君も同じなんだ。背伸びをしちゃだめだ。それが君の身の程なんだ。分かったかい、日暮ちゃん。僕を苛立たせないでくれ。頼むから。君は本当に見ててムカつくからね……あは、あはは──』


 ──はは、はははははは……はは……は……。

 

 笑い声が響き渡る。

 しばらく続いた声が、ゆっくりと止まっていく。それは充電の切れていくおもちゃのようだった。


 不思議になって見ると、男の胸にいつの間にか剣が深々と突き刺さっていることに気がついた。背中まで貫通するほど深く刺さっていて、傷口や口や目から、だらだらと血が流れ出ている。

 

 誰がその剣を刺しているのか。男の背後を見ても誰もいない。

 ならば……そう思って自分の手元を見てみると、いつのまにか剣の柄を握りしめていた。

 その剣を刺しているのは、私だった。剣を伝って流れる血が、手にまとわりつくようについていた。


 驚いて思わず手を引く。

 すると男から剣が抜けた。支えを失った身体が地面に倒れる。

 すでに地面に広がる血だまりに、べちょりと音を立てて。崩れ落ちた。


「ち、違う……わ、私じゃ……」


『いや、お前だ』


 血だまりの中で崩れ落ちた、死骸が答える。

 その姿を見て、目を見開いた。そしてガタガタと身体が震えはじめた。

 死骸は、いつの間にか全く別人の姿に変わっていた。ベリエット帝国勇者のそれじゃない。


 でも……見覚えのある人物だった。

 少し太った身体も。卑しい顔つきも。身体にできたまだできたばかりの生々しい傷跡も。

 手に持っている血糊の滴る剣も。


 手の平に残る人を斬った感覚すらも蘇るかのようだった。

 すべてがあの瞬間に。私が人を殺めた、その瞬間に。


 そこにいた死骸は──私が斬った他国の貴族だった。

 

 視線を感じて、顔を上げる。

 死骸の側に一人の少女が立っていた。

 頭には飾りにも見える本物の獣の耳が生えている。

 顔がとても整っていて、大人になり切れてないほどの、少女。


 まるで人形のように綺麗だった。

 でもだからこそ、つけられた物々しい首輪と感情の抜け落ちた表情が、浮き上がって見えた。


 少女は主人が斬られたというのに、顔色を全く変えずに、そこに佇んでいた。

 ただじっと、私を真っ直ぐに見つめて。言葉すらも発さない。


 気づけば吸い込まれるように、私もその瞳を見つめ返していた。なんの感情もない瞳だ。でも秋のように『無機質』な美しい瞳じゃない。黒い沼のような、闇のように深くまで沈んで濁りきった感情の瞳。秋が透明ならば、ただひたすらその瞳は、『どす黒い』ものだった。


 その瞳に、私自身が写っていた。

 その瞳を覗き込んで、そこに映る私の瞳を見て、気づく。

 私が少女と『同じ瞳』を、していることに。


「──したい……」


 無意識に、呟く。

 その直後に自分が何を今言ったのか。思い返しても思い出せなかった。


『日暮!』


 呼ばれて、振り返る。眩しさに一瞬目がくらみ、一瞬で景色が変わる。 


「戦闘中にぼうっとして……もうっ、訓練だからって気をぬいちゃダメなんだよ?」


「かなでさん……」


 そこにあった顔を見て、懐かしいような泣きたくなるような気持ちになる。

 

「日暮、返事は?」


「……はい、気をつけます」


「よし! じゃあ今日の訓練はこれで終わり!

 夜ご飯は何にしよっか?」


 そう言って、かなでさんは歩いていく。

 私もそこに続いて歩こうとするけど、身体が動かなかった。


「ま、待って……」


 そうするとかなでさんが立ち止まって、振り返った。

 その顔は……霞んでいて見えなかった。いや顔だけじゃなくて姿がもうはっきりとは見えなくなっていた。


 でもなぜだかその表情が笑みをうかべてるだろうことだけは、はっきりとわかった。


「日暮、大丈夫だよ。きっと日暮なら大丈夫」


 とても優しい声だった。


「辛いことも、苦しいことも。

 問題も、障害も。

 取り返しのつかないことや、拭いきれないことも。


 いつだって自分の弱さは抱えきれないほどあって……。

 なのに、一気にすべてを良くしたり、完璧にそれをどうにかできることなんてなかなかなくて……。世界は誰かを優しくするためになんて、これっぽっちも考えて出来てなくて。そのことに打ちのめされそうになるよ。


 ……だけど。


 それでも一つ一つ向き合って、考えて、乗り越えていこう。日暮なら、それを諦めずにいられるから。私は日暮の持ってる『力』を信じてるよ。世界で一番『確かな力』を。

 諦めないで、日暮。諦めなければ『未来』は……『未来』だけは……日暮の味方を必ずしてくれるから。頑張って、日暮──」 



 ──さぁ、前を向いて。


「──……ッ!」


 そこで自分の状況を思い出した。

 戦闘中にもかかわらず、意識が戦闘に向いていない。そのぞっとするような事実を。


 急いで意識を戻す。

 どれだけの時間そうしていたのかわからない。目の前には戦っていた男が変わらずにいることと、鋭い目付きも向けられたままなのは変わっていない。

 ただ剣は真っ直ぐに私の首元まで伸びきっている。あの戦いは間違いなく、目の前の男が勝ち、私は負けた。それは明確だった。

 

 そんな今この瞬間、疑問に思うことは一つだけだ。


「(なんで……殺されてない……?)」


 そう思って、冷静な頭で男を観察して気がついた。


 カタカタカタ──と。


 小刻みに剣を持つ手が震えていた。

 顔からは冷や汗が滴り落ちていて、目も戦っていた時とはよく見てみればどこか違う。目付きの鋭さの形は同じ。

 違うのは瞳の奥だ。殺すという意思がそこにはない。

 それよりも……まるで何かに怯えているかのように見えた。


「なんなんだ……アンタは……」


 男は少し震えた声で、私の顔を睨みつけるように、言葉をしぼりだすように言った。


「……?」


 何を言っているのかわからない。


「に、人間じゃねえ……。

 何の……『種族』なんだ……」


 わからないから、返事もできない。


「俺を……殺すのか……?」


 いや──そもそも『誰に』言っているのだろう?


 違う……。

 『私』じゃない。

 その言葉も、視線も。私に向けられたものではない。

 ゆっくりと、振り返る。男の視線をなぞるように。


「──♪」


 そこには笑みを浮かべた、千さんがいた。


「一体なんなんだ……。人間じゃない……それに見た目通りでもねえ……。

 さっきの『姿』は……」 


 ──『姿』……?

 気になってもう一度千さんを見るが、変わった様子はない。

 今まで通りの森で浮く、メイド服姿のままだ。


「くそっ!」


「あっ」


 唐突に目の前にいる男が、盾にしていた人物を私にぶつけるように思い切り投げ捨て逃走した。

 薬が効いて動けない人を受け止めるが、その間に、木にぶつかって気絶していた方が意識を取り戻していたのか、未だ意識がないもう一人の仲間を引きずるように引いて森の中へ入っていこうとしていた。


「ま、待てッ!」


 私は受け止めた人を地面に寝かせて、立ち上がろとした所で、千さんに止められた。


「なんで、止めるんですか! 今、見逃したらまた──」


「逆、ですよねっ!」


「は?」


「あなたが、『見逃された』んですよねっ。

 『彼ら』が、『あなた』を、『見逃してあげた』んですっ。

 ですよねっ?」


「それは……。でも今逃したら結局別のところで誰かを……。

 千さんも、戦ってたじゃないですか!」


「えぇ〜っ? 私がですかっ!?」


 くすくすと、可笑しそうに笑う。

 その様子に少しだけ苛立ちを感じた。


「私は、戦ってないですよ。いつ、私が彼らに、攻撃をしましたかっ?

 ほんの少し、威嚇をして、脅してあげただけですっ! 必要に応じて、自分を恐ろしく見せることで相手を追い払って、無用な戦いを避けることなんて、そこらへんの野生の魔物でもやっていることですよっ! というか、やって当然のことですっ」


 笑顔で千さんはいった。口調も楽しそうに。

 でも薄く開いている目の奥は全くそんなことはなく、一切の微笑ましさも楽しさも感じさせずに、じっと私を捉えて離さない。


「それに……私が戦うことを決めたならば、相手をまず絶対に、逃したりなんてしませんよっ。間違いなく殺しますっ。敵対するということは、そういうことじゃないですかっ。戦いから生き残った者は、それだけで生き残ることが戦う前よりも上手になりますからっ。自分に敵対心を持った相手が、『強くなる』なんて、この世界でそれ以上に恐ろしいことはありませんよっ!」 

 

 ”常識ですっ”と最後に付け足して、千さんは言った。私はその言葉に口をつぐむしかない。この世界でどこよりも厳しい『終焉の大陸』を生き残っている人物の言葉を、訂正や異議を唱えることができる人は果たしてどれだけいるのだろう。 

 

「それよりもですねっ。いいですかっ?

 実は私、気になることがあるんですよっ!」


「気になる事?」


 もう逃げられてしまった以上、どうにもならない。

 頭を切り替えて、立ち上がり千さんとの会話を進める。


「……この人の事ですか?」


 今も地面に力なく横たわり続けている人物を見て、言う。

 そういえばこの人……魔族なのかもしれない……。身体のあちこちから『植物』がはえている。私たちの探していた目的の種族の人だろうか。それならば結果はどうあれ大きな前進になったはずだ。


「あっ! そっちもなんですけどっ。

 でも、そうじゃなくてですね〜っ。『あなた自身』についてなんですよっ」


「私?」


 千さんは人懐っこい歩調で、近づいてくる。

 そしてじっと、私の顔をみつめていたが、そのとき一瞬笑みが抜け落ちてぞっとするような無表情になったのは、気のせいじゃない。疑ってしまうほどの一瞬だったけれど。

 にこりとした笑みで、千さんは言う。


「私たち『使用人』はですね〜っ。

 『二つの目的』を与えられて、あの場所からここまで来る事になっているんですよっ。

 そのうち一つは言うまでもありませんが、『秋様をお手伝いすること』ですっ。そしてさらに『もう一つ』あるわけなんですけどっ。

 ……それっ、なんだと思いますかっ?」


「えっ? ……えっと。……わからないです」


「実はですね〜っ。『あなたを守る』こと、なんですよっ。

 それが私たちに与えられた『二つ目』の目的ですっ」


「……私を?」


「そうなんですよぉっ。不思議……ですよねっ?

 春様はすごく優しくて、頼もしくて、でも時々可愛らしくってっ。

 私たちは春様に『育てていただいた』も同然ですから、秋様と同じくらい大好きで、尊敬してるんですけどっ。でもぉ今回の指示はなんだかよく分からないんですっ。どうしてそんなことしないといけないのかぁ、とっ。

 正直、春様が何か、『間違えて』しまったのかもしれない……なんて思っちゃったりしてっ。でもきっと意味があると思って、さっきの戦いを黙って観察してみていたんですけどっ。


 う〜ん……。


 やっぱり千には、よく分かりませんでしたねっ。

 なのでもう直接聞こうと思ってっ。あなたはなんで春様がそんな指示を出したのか、お分かりになりますかっ?」


 ……分かるわけがない。

 そもそも私自身が今初めて、春さんがそんな指示を出していることを知って、驚いている。意外だし、私自身が理由を知りたいくらいだ。


「……わかりません。私には」


「そうですかっ。そうなると……困りましたねっ?

 そうなってくると、あなたの存在が、春様や秋様に悪影響をもたらして判断を鈍らせている……なーんて可能性も、考えられてしまうわけなんですよぉっ〜」


「…………」


 う〜ん、困りました……と頭に手を当てて考える仕草をしながら悩み込む。


「まぁ、でもそういうことなのでっ。指示をですねっ。与えられてはいるんですけどぉ〜っ。余り期待はしないでくださいねっ。秋様にお手伝いをするタイミングがあればそちらを当然優先しますしっ。それに『守る』っていうののも、千はいまいち理解できませんっ。自分の弱点を増やすかのような、命を危険に晒す行為ですしっ。

 それに守らなきゃいけないほど『脆弱』なものなら、どう足掻こうと、いつか『淘汰』されることは免れられないと千は思うんですよっ。遅いか速いかの違いでしかないのであればやるよりやらないほうが割く力は少なく済みますっ。でしたらそっちのほうがいいと思いませんかっ?」


 そういって少しの間、視線を合わせる。

 だけど返す言葉が最初からなかった私は、次第にその視線に圧されて目を伏せることしかできなかった。

 そんな私の横を、千さんは通り過ぎていく。


「あなたは、『花人族』さんですかっ?」


 振り返ると、千さんがしゃがみながら横たわっている男に声をかけていた。

 ただその男は、薬が効いていて身体を動かせない。だから返事はしたくてもできないだろう。


「う〜ん。意識はあるんですよねっ。瞬きは……あっ、できそうですねっ。

 じゃあ瞬きで返事をしてくださいっ。実はですねっ、私たちはあなた方花人族さんにお願いしたいことがあるんですっ。なのでもし集落とかがあるなら私たちをそこに連れていってもらえませんかっ」


 千さんが尋ねると、すごい勢いで男は瞬きをする。

 ……そういえば、この人はさっき戦っているとき盾のようにされて私と対峙する位置にいた。

 それは要するに、千さんに恐怖していた男と同じ光景を見ていたことになる。


 よくみれば倒れてる人は、かなり血の気を引いた顔をしている。それは薬のせいだけではなさそうだった。


「では、動けるようになったら案内してくださいねっ!

 ならばそれまで廃屋の中にでもはいって休んでおきましょうか」


 そういって、千さんは平然と倒れている男を片手で持って、歩き出す。

 頭があまり回らない。それなのに色々なことが頭に思い浮かんで、ぐちゃぐちゃしていて気持ちが悪い。体力も限界で休憩は正直なところありがたかった。

 

 そうして私たちは森の中で捨てられた廃墟をすぐに見つけて入り休息をとる。

 助けた花人族の男が起き上がったのは、次の日だった。

 まだ朝になるまえの薄暗い時間のことだった。



 ◇◆◇



「俺は花人族の『セルカ』。昨日は助けてくれて助かった。ありがとう。あのままだったら俺はあいつらに連れていかれていた。危ないところだった。それで、アンタら俺たちの村に行きたいんだって? あんな陰気臭いところでいいなら、俺が案内するよ。今すぐ向かうか?」


 半日ほど廃屋の中で過ごし、日時を跨いで次の日の早朝。

 薬が効いて弱っていたときとはかなり印象が変わった、花人族の男……セルカは起き上がりさま、私たちに向き合ってそういった。幼さがほんの少し残っている、若い青年といった印象の男だった。

 血色も昨日に比べれば随分と良くなっている。身体のところどころから生えてる植物も心なしか昨日より生き生きとしていた。


 彼がいった言葉も、私たちにとっては願ったり叶ったりの言葉だ。

 でも少しすんなりと行き過ぎじゃないか。そんな不安も心の片隅にあった。これまでと現状の、人間と魔族の関係を考えれば、もっと警戒されてもおかしくない。そして彼の仲間たちにとって、私たちの見た目は人間と変わらない。 


 そのことを彼に先導されながら、森を歩いている間に尋ねてみると……。


「見ず知らずのやつを連れてって大丈夫なのかって? 大丈夫だろ、別に。というかアンタがそれを言うのか? 理由は知らないけど行かないと困るんだろ? まぁ全くの見ず知らずってわけじゃないんだ。昨日から、あんたたちのことは見ていた。あんたが最初に俺を助けに入ってくれたのも知ってるし、もう一人の方の事も俺は分かっている。あんたも、人間みたいな見た目をしてるが只者じゃないんだろう?」


 そういってとても尊敬する眼差しを向けられた。私は軽く笑い返して、目を伏せた。

 確かに只者じゃないかもしれないが、『勇者』という魔族と敵対する方にだとは、彼も思ってないだろう……。少し後ろめたさを感じる……。

 このままこっちの大陸で活動することになるのならば、ステータスや種族を偽装する手段が必要かもしれない……。


「ま、何よりアンタたちは俺を助けてくれたんだ。恩を受けたんだから、返す必要がある。そうだろう?」


 そういってセルカは少しだけ顔を、歪める。


「それにどうせ……いつ滅びるかもわからないんだ。

 何かあったところで、別に関係なんかないだろうさ」


 セルカは吐き捨てるように言った。

 その様子に、込み入った事情が垣間見えた。でもそうじゃなければこんな未開の樹海の奥で暮らしはしないのかもしれない。

 なんとなく廃墟となっていた村を思い出して、尋ねてみる。


「あの村に行ったのか……。よくあの場所を知ってたな」


 セルカに、ティアルから教えてもらったことを言うと、「なんだって!?」と驚きを浮かべていた。


「あの魔王のティアル様と知り合いだったのか……!? だったらなおさら無下になんて扱えないじゃないか! 危なかった……。昨日助けてもらわずに、たまたま出会って声をかけられてたら、村に案内しようなんて思えたかどうか……」


 そういう点で言えば、私たちにとっても運がよかったといえるかもしれない。

 そんなにいい出来事ではなかったかもしれないけど……。


「あんたたちが知っているかどうかはわからないが、俺たち『花人族』はすごい弱い。だけど代わりに色々特殊な性質や力があったりするんだが、そのなかに『身体に植物が生えている魔物とすごく相性がいい』というのがあるんだ。俺たちはそういった魔物と『契約』をして守ってもらいながら、一緒に生活して暮らしていく。そういう風に昔は生きていた種族なんだ。

 契約を交わした魔物を『神獣』と呼んでその集落にいる全員で敬い、崇めて、世話をする。この森でもそうしていた。契約をしていた魔物は、仲間がつれてきたからよくわからないが何をどうやったのか大層強い神獣様だった。神獣様のおかげで俺たちは、この厳しい樹海を、なんとか暮らしてこれていたんだ。でも森の様子がおかしくなってきて状況がかわった」 


「……おかしい?」


「森の『バランス』が崩れたんだ……。

 バランスっていうのは強い魔物の距離感だ。この森には頭の一つや二つなんて簡単に飛び抜けた化け物みたいな魔物がいる。そういうやつらは大体、でかい木を中心に縄張りを持っているが、これがうまい具合に、お互いの縄張りが干渉し合わないような位置にばらけていて、そのおかげでそいつら同士が争い合わない。そういう森のバランスが出来ていたんだ。たぶん森ができた当時は散々殺しあってきたんだろうが、時間をかけてできたバランスなんだと思う。俺たちと契約していた神獣様も、そのバランスの一つを担うほどの魔物だったんだが……森のバランスが急激に狂ったことによって俺たちの村に神獣様と同じくらい強い魔物が何体も何体も、襲ってくるようになって……。俺たちはボロボロになっていく神獣様を見ていることしかできなかった……。くそっ……。

 あれは森の一部が焼け落ちてとか、そういう小規模なバランスの狂い方じゃない……、もっと大規模の何か、とてつもない何か……そうじゃないと、説明がつかない……」


 でもバランスが崩れた原因までは俺達は分からない、そう歯痒そうに顔を歪めてセルカは言った。ただ私たちはある『花』の姿が脳裏に浮かんでいた。何もかもを静かにする『風残花』。

 そういえば、あの『盗賊』にも何か、引っかかる会話があったことを思い出した。


「そのぉっ、神獣とやらと一緒に戦う人はいなかったんですかっ?」


「……そういう人はみんな最初の方でみんなやられちまったよ。

 そして俺たちは、魔物に勝てるわけもなく逃げ出した。みっともなくな」


 そこで少しの間、会話が止まった。


 私も千さんも彼にかける言葉がなかった。いや……千さんはもともと、あんまり彼の話に興味がなかったのかもしれない。退屈そうに周りを眺めていた。綺麗なものによくかけよっていた千さんだが、こうも薄暗いだけの森の景色が続く場所では、それを見つけるのも難しいだろう。

 

 いつのまにか周囲は『逆さまに生えた木』が視界の大部分を埋め尽くしていた。

 その木は空に向かって根を伸ばしていて、頭上では根っこ同士がこんがらがった糸のように絡み合い覆い尽くしている。その隙間から、登り切ってない朝の日差しでほんのり明るくなった空の様子を覗くことができた。


 でもあまり覗き込むと、躓いて転んでしまいそうだ。

 逆さの木は逆に生えているから、地面を糸で縫ったかのように枝が生えて、葉がついている。

 だからこのあたり一帯はすごく躓きやすく、歩きにくい。


 さらに先へ進めば進むほど闇はどんどん深くなっている。

 僅かな隙間から覗ける空も、今が見納めかもしれない。


「それにしても、魔物が出てこないな……。

 いつもならもっと頻繁に現れて、しつこく追ってきて、撒くのに苦労するんだけど……」


 辺りを回しながらセルカがいう。


「千さんがいるから……だと思う……」


 秋達と別れてから一日近くたっているが、私はまだ一度も魔物に出会ってはいない。私自身にそんな特殊な力や、魔物から離れていくような圧倒的な力なんて当然あるわけがないので明らかに千さんを魔物たちは避けている。もしくは何らかの方法で千さんが処理している。どちらかなのはかよくわからない。

 そんなあやふやな意見だったけど、セルカは納得した様子をみせた。


「……そうか。確かに……そうだよな……。魔物だって馬鹿じゃない。本能的に自分より強いとわかるやつを死ぬとわかりながら襲ってなんてこないよな。花人族なんて最弱な種族に生まれなければ……俺も……」


 徐々に萎んでいく風船のような、弱々しい言葉だった。

 

「……実は『そこ』もそうなんだ」


「そこ?」


「俺たちが今住んでいる場所のことだ。俺たちは神獣様がやられて村を捨てて逃げ出した。そうして行き着いた先は、『能力が高い魔物ほど近づかない』場所だった。

 俺たちの長が言うには、本能的に危険を感じるほど馬鹿みたいに高い魔力が辺り一帯に渦巻いていて、確実に危険な『何か』がいるのがわかる場所らしい。俺たちは一か八かそこに逃げた。その危険なやつ自体にやられる可能性だって十分あるけど、それ以上に目の前にやばいやつらが迫ってきていたからな……。そして運良く『そこ』にたどり着いて、なんとか今日まで生きてる。その危険だと言われる『元凶』にも、俺たちは出会っていないし、その存在を見つけてもいない。だからちょっと気味が悪いんだけどな……」


 そう言ってセルカは、立ち止まった。

 私たちも、合わせて立ち止まる。


 逆さの森が、途切れている。

 高い断崖が、目の前に立ちふさがって森がそこで終わっていた。逆さの木の根っこが断崖にへばりつくように伸びていて、相変わらず頭上は蓋をするように覆われていて、一切の陽の光が差し込まない。


 そしてその断崖には、大きな『洞窟』の入り口があった。


「ここだ。ここに俺の仲間たちは今いるんだ」


 セルカはそう言った。


「(ここは……)」


「…………別に薬が抜けるのを待たなくても、担いで持ってくればよかったですねっ!」


 その言葉の通りだった。

 私たちは彼の案内でここにきたが、そうじゃなくても、ここにはくることになっただろう。

 なぜならこの洞窟を通っていくことが、ティアルに指示された『家へ繋がる地上のルート』だからだ。

 千さんの言う通りにしていれば、無駄な時間を過ごさずにすんだのかもしれない。でもあのときはお互いに目的地が同じだなんて知る由もなかった。


「(ならここに漂う巨大な魔力というのは……)」


「……魔力の量だけなら、使用人の誰よりも多いかもですね〜っ。あの『悪魔女』さん。『部屋の中』は魔力で溢れかえっていて、気づきませんでしたけどっ。あぁっ、もちろん筆頭をのぞいてですけどねっ」


 ということは……魔物が怖がっている存在というのはティアルなのだろう。

 私には魔力を感じる力はない。でも緊張感が肌を通して伝わってくるような圧力を、なんだか感じる。本来は感じることない人物に無理やり感じさせるというのは、それだけで半端なものじゃない。

 魔物もこんな危険な香りのする得体のしれないところなんて、避けてしまうだろう。私だってよける。『元凶』が何かと言われて一番納得のいく答えを見せられたかのようだった。


「……なんだ、どうかしたのか?」


「いえっ、さっさと行きましょうかっ!」


 洞窟の入り口を、千さんはそそくさと入っていく。

 私たちもそれに続く。入り口は巨大だ。でもすぐに三人横に並んで歩けるかどうかの細さまで狭くなりそうだった。それ以上は入り組んでいるのか、先を見通せなかった。でも洞窟の奥はぼんやりと光を発する鉱石があるのか、暗くて見えないということはなさそうだった。むしろさっきいた逆さの森よりもずっと明るい。


「……待て」


 そうして進もうとしたときだった。

 洞窟の奥の岩陰から、一人の男が顔を現す。

 ここにいると言っていた、セルカの仲間の一人だろう。壮年を過ぎた老けた男だ。セルカと同じように体から植物が生えているが、歴史を感じる量と色と長さをしていた。


「セルカ……。また、外へ行っていたのか、お前は……。

 何もできはしないというのに。我々はこの樹海で最も脆弱なのだ。どうせ襲われたりしたんだろう。全く。おとなしく、この安全な洞窟にいるべきなのだ。それどころか、『人間』までつれてきてお前は一体どういうつもりなんだ」


 ……よく見たら肌もセルカと比べて病的なほど青白い。

 花人族の種族的な特性なのだろうか?

 

「うるさい。陽の光を浴びにも行こうとしない、お前らとなんか一緒にするな。俺はこんな暗い、洞窟にひきこもって、枯れ果てていくなんてごめんだっていってるだろ。この人らは俺たちに用があるらしいというから連れてきた。言っとくが見た目通りの種族じゃないぞ」


「うそをつくな、人間じゃなければ、他になんだと言うんだ。馬鹿らしい。さてはお前、ついに我らを人間の『奴隷』にするために売ったのか」


 かなり辛辣な言葉だと思った。

 でも私から見て、妥当なのはセルカではない男の方だった。確執のある人間という種族を、魔族である自分たちの住む場所に案内するというのは、それほど重い事態だ。


「てめえ……。誰が……そんなことをするかッ! そんなおぞましい考え、よくすぐに出せたもんだな。普段から自分が、そうしてやろうと目論んでいるから、そんな想像がすぐに出せるのか? そうじゃないと言えねえよなッ!」


「……なんだと?」


 ──やめなさい。


 会話がヒートアップして、どうすべきか不安になっていたとき、洞窟の奥から発された声が彼らの言い合いを静止させた。そしてさっき現れた男よりもさらに年配の老人が、洞窟の奥から現れる。あごから生えた長い髭のような植物が印象的な、貫禄を感じさせる男の老人だ。


 彼が声をかけて静止を促し、二人の言い合いがとまった。不満な表情を浮かべてはいるが、実際にいうことを聞いている様子をみるに、この老人の方は立場の高い人物なのだろうと思った。


 老人は静まり返った洞窟の中で、手のひらを上に向ける。

 そして手をゆっくりと動かし、私や言い合っているセルカともう一人の男を通り過ぎ、千さんに向けたところでその手を止めた。

 千さんは特に動じる様子もなく、笑みを浮かべている。何を考えているのかわからない。

 

「セルカの言う事は、正しい。この方は『人間』ではない。魔力を感じることができれば、その存在を間違うはずもない。とはいえ、私も生きている間に会えるとはまさか思わなかったが……。あなたのような『辿り至りし者』に……。でも納得がいくというものだ。先日の呼吸を忘れるような、魔力の波動も、これで説明がついた」


「……? そうですかっ」


 ……絶対になんのことかわかってない。

 首をひねりながら、千さんは答えていた。


「……それで我らをお探しだったという話ですが、我らに一体何用が?」


「あぁ〜っ。そうですねっ。用件はですね〜っ」


 そうして千さんが現状をかいつまんで、伝えた。かなりざっくりとした説明だったが、花人族の人たちは真剣に話をきいていた。ティアルのアドバイスは的確だったようだ。


「なるほど。用件はわかりました。それならうってつけの『薬師』が我らの中に一人おります。ただ今は少し、出ておりまして、お待ちいただくことになりますが……」


「そうなんですかっ!? その方はどちらへっ!?」


「……ふむ……それは……そのですな……」


 そこで途端に、歯切れが悪くなる。言いづらいのだろうか。


「ちょっとある人物のところへ、遠出していてですな……。その行き先がですな……なんというか、内密にしなければならない人物でして……申し訳ありませぬ。戻ったら必ずお伝えしますので……」


「そうなんですかっ?

 よく事情はわからないですけど、それなら、しょうがないですねっ。

 先に一度、向かっておきますしょうかっ」


 最後の部分は、私に向けていったもので、視線をこちらへ向けていたため頷いて返す。

 待っている間に一度秋たちと合流をしておこうということなのだろう。

 そういって洞窟の先へと進んでいこうとする千さんの後ろについていく。


「ちょ、ちょっとお待ちくだされ……。なぜ奥に……?

 奥はちょっと困ります……」


 慌てて、すがりつくような勢いで、老人の方が千さんを止める。その様子に千さんは首をかしげる。セルカともう一人の花人族の男が、老人の様子に少し驚いていた。


「そんなこと言われてもぉ〜。

 私たちはこの奥にも用があるんでっ、無理ですっ!」


「……奥へ? もしかして『あの方』とすでにお知り合いなのですか?」


「……? あの方ですかっ?

 私たちはティアルという悪魔女のところへ行きたいんですっ」


「なんと……。なるほど……。すでにご存知でしたか……」


 そう言って、老人は道をあける。

 「ティアル様がいるってなんの話だ?」と小さく側でセルカがつぶやいているのが聞こえてきた。さっきの会話で薄々気づいたが、あまりこの先にティアルの住処があることは、花人族の人には知らされていないのだろう。

 老人は顎からはえる長い植物の茎を触りながら、ゆっくりと話はじめる。


「あの方には、我々は恩がありましてな。少なからず交流もあります。とはいえ何分、色々と目立つお方。中には命を狙う者も、世にはおりますゆえ。できるだけ内密にした方がいいと気を使っていたつもりではおりましたが、我々程度の気遣いなどやはり差し出がましかったようですな……。

 いや、失礼した……。そういうことならば何も問題はありません。むしろ……都合がいいかもしれませぬ。紹介しようとしていた薬師なのですが、彼はちょうど今そこにおるんです」


「あぁ、そうなんですねっ!」


 そうなんだ。それならば秋たちはすでにもう薬師と会っているのだろう。

 一時はどちらもダメだったらどうしようかという状況だと、思っていたくらいだったけれど。蓋を開けたら一番スムーズに事が運んでいたらしい。

 なら千夏はもう大丈夫なのだろう。そのことに安堵した。一日たったし、もしかしたら治療ももう終わっているかもしれない。


「そうですな……。一人、道案内をつけましょう」


「えっ! いりませんけどっ!」


「いえいえ、恩人の知り合いに何かがあっては事です。この洞窟の奥は本当に入り組んでおりますし、進めそうな場所が多岐にわたってあると聞いております。万が一にも迷ってしまうなんてことがあれば、我らは恩人に会わせる顔がありません。実は一人洞窟の中をうろつきまわって偶然、あのお方のところにたどり着いてしまった子がおりましてな。その子をつれていってくだされ」


 そういって、押し切られる形で道案内をつけられた。セルカが呼びにいくと送り出されて、少し待つと花人族の少女が連れられてやってきた。セルカよりも若く見える。私の見た目と、同じくらいの少女だ。

 でもちょっと痩せすぎているような……。体から生えている草も明らかに元気がなく、やっぱり肌も青白い。こうして見てみるとセルカだけが、赤みを帯びた正常な肌をしている。


 その少女は、事情を老人から説明されて、頷いていた。

 そして千さんに目をむける。続けて私のほうへ。

 目と目が、合う。


 その瞬間、はっと、思い浮かんだ。

 

 ──似ている。

 一瞬、獣人の少女の瞳が、脳裏によぎった。


「……テリ、です」


 彼女の名前だろう。

 『テリ』は短くそう自己紹介を終えて、すぐに洞窟の奥へと黙って進み始めた。

 私たちも彼女の後に続いた。



 ◇



 洞窟の中を三人で会話もなく進む。


 洞窟の内部は確かに、想像以上に入り組んでいた。

 狭かったり広かったり、上がったり下がったり、明るかったり暗かったり。

 前を進む二人はなぜか躊躇いもなく進んでいくが、なぜそちらにいくのか私には理解できない。だからもし私が一人ではぐれたら、もう二度と戻れないだろう。そう思って、必死に二人のあとをついていっていた。花人族の老人が念を押して、案内をつけてくれたのは私にはありがたかったと進んでいて思った。


 結構な時間、洞窟を進んだ。

 道のりが安定してきたのか、単調なまっすぐの道を進んでいるときだった。

 ふと、道案内役としてつけられた花人族のテリが私に視線をじっと向けていることに気がついた。 あまりにもじっとみつめてきているので居心地が悪い。でもこちらからは話しかけられずにいると「あの……」と向こうから声をかけてきた。


「薬師に、用が……あるんですよね……。何か理由があるんですか……?」


「あぁ、それは──」


 私はテリに、洞窟を進みながら説明をする。

 それをテリは黙って聞いていて、話を終えると「すごいですね……」と言葉を漏らした。


「人間が魔族の子供のために、そこまでして助けるなんて……その……信じられません……。本当にすごいです……」


 そう言って、テリは秋を褒めていた。

 でもそれは本心で言った言葉なのだろうか。

 言葉とは裏腹に、暗く濁った瞳がそんな疑問を抱かせた。


 テリは目をそらして、会話を止めた。

 直後に微かに「──んで、私たちには──」と言葉を漏らしていたが聞きづらかった。


「でも……」


 少しの時間無言が続いたが、再びテリが口を開いたので耳を傾ける。


「そういうことなら、これから会う薬師は『気をつけた方がいい』かもしれないです……」


「……気をつける?」


 唐突な言葉に尋ね返す。


「その薬師は、子供を殺しているんで」


「えっ……?」


「村のみんなは仕方ないって言ってるけど……私は信用してません。主観的な意見なので、申し訳ないですけど……。でも気をつけるに越したことはないですよね。子供の……ためなんですから」


 暗い瞳を浮かべたテリは、その言葉を立ち止まって言った。

 私もその言葉を立ち止まって聞いていた。


 お互いにじっくり会話をするために止まったわけではない。

 単純に洞窟にもう進むべき道がなかったからだ。


 唯一ある、場違いのような『ドア』をのぞいて。

 それでも秋の能力ほど場違いではない。場違いにあるドアに対しての免疫がかなり出来ていたようだ。


 このドアの先が『ティアルの住処』だ。

 魔王ティアル・マギザムードがいる場所。その情報を求めて、一体世界でどれほどの人が命がけで暗躍しているのか。あまり考えすぎると怖くなるほどだったので、早々にその考えは断ち切った。


 私たちは当然ドアに近づいていく。

 その時だった。


 『────!!』


 開けて入ろうとする前に、何かドアの内側から音がもれた。かなりくぐもった音で、それが何なのかはわからない。ただ大きな音が内側であげられたことだけはわかるような、そんな音だ。


 ──バタン!!


 何か聞こえたな、と思ったその直後には、大きな音をたてて千さんがドアを開けていた。それから躊躇なく中へ入っていく。テリと私は一瞬顔を見合わせて、彼女に続いて中へと入った。


 そして中へ入った直後。



「──あなたは人の命を、何だと思っているんだっ!!」



 怒鳴り声が耳に届く。

 声のしたほうをみると、秋と、もう一人。


 私の知らない男の人がいた。

 中が思っているよりも広く、距離があって遠目からしか見えない。

 でも肌が青白い花人族のようにみえなくもなかった。


「(これは一体……どんな状況なのだろう……?)」


 私はその状況を見て、困惑して、立ち尽くす。


 おそらく怒鳴り声をあげた花人族の男が秋に詰め寄っていた。そして秋の胸ぐらを両手でつかんで、秋を睨みつけている。今ここにきたばかりの私でもわかるほど、その男は怒気に満ちているが、秋はその視線を真っ向から平然と受け止め続けていた。


 二人の側には秋の能力で作られた『ドア』がおいてある。少し離れたところで、何故かある洋館の側にティアルの姿もあった。腕を組んで口を挟まずに見守っている様子だった。私たちが入ってきたとき一度だけ私たちを向けてきたが、すぐに視線を戻していた。


 秋に詰め寄っているあの男がきっと花人族の『薬師』なのだとおもう。

 ただ、なぜその薬師が、秋ともめているのだろう?

 それがわからない。きっと秋は彼に千夏の治療を頼んだはずで、『ドア』があるということは、実際部屋の中に入ったのだろう。それから何があって、どういう理由で彼らはこの状況に至ったのか。


 安易な理由を決めつけて、動くことができず、やっぱり状況を確認しても立ち尽くす以外にできなかった。千さんは秋のそばにいって、背後の位置で使用人然という感じで控えるように立っていたが、それでも口を挟む気はなさそうだった。

 

 秋に掴みかかった男は、少しの間に少し変わった状況なんて気にも止めていなかった。

 私たちがいることにももしかしたら気づいていないのかもしれない。

 

 それどころか男はさらに秋を掴んでいる手に力を入れていた。

 歯を食いしばって、秋を睨みつけている。


 でも蒼白な顔を、時々何かを耐えるように目を塞いでいたりするのをみると、掴みかかっている方であるはずの男のほうが、追い込まれているようにも見えた。

 

 男は、息を荒らげて「やっぱり……!」と感情任せに言葉を漏らす。


「あなたも、やっぱり『人間』でしかないんだ……魔族の命なんて何とも思ってはいない『人間』……私たち魔族の敵でしかない……!! そうじゃなければできないはずだ!! ……あんな……あんなおぞましいことは!!」


 男の睨みつける視線……それを秋は静かに、途切れることなく受け止め続けていた。

 ……だけど果たして、秋の心にまで、届いているだろうか?

 見つめ返す秋の瞳は、まるで洞窟の中を流れる澄み切った水のように、透明で『無機質』だった。確かに男の言葉を聞いているのは間違いないけど、角砂糖を海にいれるようなものでしかなく、その言葉が秋に影響を与えるとは思えない。私ですらそう感じてしまうほどの大きな『隔たり』が、二人の間にはあった。


「くっ……!」


 男もずっと感じていたのか、折れた心のように、膝から崩れ落ちた。

 そして項垂れながら言った。もはや視線は秋のほうにも向いていなくて、ただ地面を無力げに見つめて。


「私に、あの子は治せない……。私にはできない……これからあらゆる『悲愴』の中を、『絶望』の中を生きていくとわかりながら、治すことなんて……なんで……」


 男は何度も狂ったように『なんで』と虚空に尋ねていた。

 そして小さな声で、最後に言葉が続いた。


 「なんで私の前に『あのスキル』が、また」──と。


 男は立ち上がって秋に背を向ける。


「待つのじゃ、テレスト。

 お主は分別をつけて、助けるか助けないのかを、判断するのか?

 それが『薬師』の本懐なのかの?」


「ティアル様……。あまり明確な言葉には、させないでいただけないでしょうか。あの少女は、生きているよりも『死んだ方がいい命』です。私はあの少女のことを心の底から救いたくて、そう結論づけました。そもそも博識なティアル様が、知らないはずがない。あの男から何も知らされていないのでしょうか? 知れば言っている言葉の意味がわかると思いますが」


 ティアルが「む」とつぶやいて秋を一瞬見る。がすぐにテレストと呼ばれる男に戻した。

 テレストはため息をついて、言う。


「患者の症状はそんなに重くありません。放っておけばどんどん悪くなっていきますが……この森で手に入る薬草を使えば十分対処できます。治したいのであれば、治せばいいと思います。ご自身で、ご自由に。


 その腕はありますよね?  正直かなり驚きましたが、流石は『超越者』といったところでしょうか。何でも出来て羨ましいです。


 私の薬の作成を手伝っていただいた報酬として『診断』はしました。その『情報』も内心がどうあれきちんと渡しました。あとはティアル様のもってる書物でも使って調べれば、薬の作成はどうにかなると思います。申し訳ありませんが、私はもう、これ以上は関わりたくありません」


 テレストという男は、大きく膨らんだリュックサックを背負って洞窟側の入り口の方へと歩いていく。

 その背中をティアルが息を吐き出しながら見送っていた。今度は止めることはなかった。秋もそうだった。


 洞窟のドアへ向かう途中で、私の横を男が通り過ぎる。一切の関心もなく、目を向けずに通って行った。

 ただ微かに、漏れていた独り言だけが耳に残った。


 ──全てが上手く、おさまるはずだったのに……。


 案内役のテリも、何度か顔をあちこちにむけて悩んでいたようだが、彼のあとをおって洞窟の奥へ戻って行った。案内役の役割は既に終わっているのでそれを止める理由はなく見送る。


 彼らがいなくなったドアを少し見つめたあと私は、残された秋の元へとかけた。


 まだ状況が掴みきれていなかった。

 でもなんとなく、振り出しに戻った空気を感じた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私「作者さんや、次話はまだかのぉ?」 作者さん「読者さん、1月に読んだでしょ!」 辛いです(泣)
[良い点] 次の展開が読めない、いつもワクワクさせられながら読んでいます!あー、更新が楽しみすぎる [気になる点] 更新がとてもゆっくりなので待つ側としては首が長くなりすぎて裂けそうです。でもこの作品…
[良い点] 好きな作品のひとつです。 自分のペースで、頑張って下さい(*´ー`*)
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