第76、9話 テレストの提案
弟子になったときにはすでに彼は『魔王』として君臨していた。
魔王は、成した偉業や抜き出た特徴から別の名前が自然とつけられる。
ティアル・マギザムード様が南大陸の戦いで《勇者狩り》と呼ばれるようになったように。師匠も同様に呼ばれている名前があった。
ただ彼は他の人とは違う。世界でも類い稀な『武力を持たない魔王』だ。
人を救う。それだけで世界に脅威的だと判断されて魔王となった。
『調停の狂人』と、呼ばれるその人が。
平凡な花人族の一人でしかない私の師匠だった。
「『世界で一番優しい人』がいたとして──」
一度、尋ねたことがあった。
「何故弟子にしてくれたのか」、と。
街でゴロツキの下っ端として、下品で粗暴で何も面白くない会話に、笑って相槌を打つだけだった私が、衝動的に弟子にしてくれと頼みこんだことで、私は世界を変えることができた。そのあとは教えを享受するだけで精一杯だったが、余裕が少し出てきて、ふと疑問に思ったことが理由だ。
普通なら無視するだろう。少なくとも私はそうする。
「なあ。
そいつは……一体どんなやつだとおもう?」
そうして返ってきた『答え』がこれだった。
また話をはぐらされているのもしれないと、内心でむっとした。
「私は、自分がお腹をすかせているときでも
隣にいる同じ境遇の者に自分の持っているパンを
分けてあげられるような人がそうだと思います」
それでも答えたのは、答えが簡単で単純だったから。
私はただ「これがそうだ」と一瞬で思い浮かんだ、彼女のことを、ただ口にすればそれだけでよかった。
師匠は私の答えに、満足げに頷く。
「それは、いいな。あぁ、とてもいい。素晴らしい答えだテレスト。
誰がなんといおうと間違いなく、それはこの世界で『優しさ』に分類される何かだ。その答えが聞けるだけでも、お前を弟子にとって良かったというものだ」
師匠の言葉に、少しだけ嬉しさを抱く。
正しい答えを言えたというよりも、単純に自分が愛してるものを褒めてもらえたことが嬉しかった。そしてそんな彼女の伴侶でいられることも、同時に誇らしく思った。
「だが、正解じゃあない」
崖から突き落とすかのようだった。
声のトーンを落とし表情を変えて師匠はまっすぐに私の答え否定した。
おかげで私の感情も、最初のむっとした時に逆戻りだ。
「間違いなく、それは『優しさ』に分類される。
だが『世界で一番』ではないのだよ、テレスト」
「……ならば、一体誰がどうしたら
世界で一番優しいといえるんですか」
「例えばだ。テレスト、飢えてるときに隣のものに自分の糧を分け与えることが優しさだとして、ではそれをまた別の飢えた人が見ていたらどうだ。さらに糧を分け与えるか?」
「……分け与えます」
少しだけ、言い淀んだ。
それはきっと内心で自分の発言に無理があるとわかってたからだろう。
そして師匠が次いってくる言葉をわかっていたから。
「それは『何人』までだ?」
「…………」
「結局のところ、『優しさ』なんて、自身の視点での話でしかない。
分け与えられればそのことに優しさを感じる。でもこの世界のどこかには、確かに『パンを分け与えられない側』が存在する。それも揺るぎようがない事実で、そいつらから見れば分け与えられたお前らはさぞ憎たらしいと思わないか?」
「……それは、そうでしょうね。
でも……」
そもそもそれを言うなら……。
『世界で一番優しい』なんて、この問答の答えだって、同じなんじゃないだろうか。
実際のところ答えがあるかどうかだって、怪しい。
「世界で一番というのは、要するに、最も客観的な意味での優しさということだ。
あらゆるものを考慮して、あらゆる視点から、振る舞おうとしたとき、優しさというものはとても『自然の姿』に近いものになる。……少なくとも俺はそう思っている。『無関心で無感動で無干渉』──それこそ世界で一番の優しさだ」
ため息をつく。
一体なんの話をしているのだろう、という気持ちだった。
これを考えたところで何がどうなるのか。
わかったところで意味はあるのか。
なんでもいい、というのが正直なところだった。
「そういう話なんだったら
そもそも世界で一番優しくある理由がどこにもないと思いますが」
投げやりにそう返すと、師匠は苦笑いして「確かに」とうなずいた。
「その通りだな。
きっといちいち考えるほうがおかしいのだろう。
世界で一番優しいなんて、そんな抽象的なことなんかよりも、お前のように普通に頑張って、できる範囲で人を助けて……逆に困ったら助けられて……。
そう生きることこそが、一番当たり前で一番尊くて、偉いのだろう。だからお前を弟子にしたんだ、テレスト。
お前ならそんな普通を生きていける。あの腐った街でお前を見た時、そう思ってお前を弟子にしようと思った」
……別に師匠だって幸せになればいい。
それを止める人は誰もいない。私よりも師匠のほうが師匠の行動を止められるものは誰もいない。魔王の行動を止められる人なんかいないんだから。
そう、伝えてみた。
「そりゃ無理だ」
加えた煙管から吸った煙を吐き出しながら、師匠は言った。
暗い瞳で。でもそれは絶望とかではなく、まるで自分にはそんな可能性が微塵もないように。そう瞳と言葉で断言してのける師匠が私はやっぱり理解できないし好きにはなれなかった。
「テレスト。よく観察しておけ。お前が嫌いで理解できないこの俺を。
理解しなくていい。ただ特徴を捉えて、覚えておく必要がある。──近づかないためにだ。
『普通に幸せに生きるため』には、それが必要だ」
──漠然とした忠告だった。
だけどそれはまるで今日この日のために忠告された言葉のようだった。
『灰羽秋』。
彼という人間を理解できたのは、師匠という『前例』とその忠告があったからだ。
出会って間もない誰かを、理解できたなんて思いあがっている話だと思う。
でもそのたったひとつの特徴を、私は間違いようがない。
彼は『世界で一番優しい人物』だ。
ならば──。
ひとつあることを思いついた。
それはすべてがうまくいく『アイディア』だ。
少しだけ、物事のあり方を組み替えるだけで。
誰も損せず、誰もが尊重され、すべてが救われ、丸く収まる。
その『提案』をするかどうか。
するならいつすべきか。
私はそのことに思考を巡らせていた。
◇
「まず……私が薬を作りながら、説明をしていきます。
その後一度お二方に作っていただいて、今後の予定を立てましょう」
正面にいる二人が頷く。
灰羽秋、それとマリと呼ばれる少女。
その様子を確認して、私は薬を作る用意を始めた。
この場所に来てからそんなに時間が経っていないが
色々あったせいで随分と時間がかかった感覚があった。
それでもようやくここまできた。
様々な疑問も、渦巻いてた感情も
調合道具を前にすると洗い流したように思考が調合だけに向けられて澄んでいく。
「これから作る薬は『陽光薬』といいます。
『太陽の魔力』を発生させることで、陽の光が足りていなくて衰弱した私たち花人族の身体を活性化させ栄養を吸収できるようにする薬です」
机を挟んだ向かい側で、二人は真剣な表情で話を聞いている。
「この薬はとてもシンプルで材料は『3つ』だけです」
「うにゅう…………?
さっき分けた草は使わないんですか……」
コテリと首を傾げながら、鞠という少女が訪ねた。
「先ほど分けていただいた材料は『栄養剤』の材料ですね。
身体を活性化させても、肝心の栄養を、効果時間の中できちんと摂取しないと意味がないですから。最終的に『陽光薬』と『栄養剤』を混ぜ合わせることで、薬が完成するんです」
ティアル様からお借りした魔道具で、栄養剤は自動化できる。長くても1、2時間ですむだろう。
問題は『陽光薬』の方だ。
人の手じゃないとできない上に、技術と時間をかける必要がある。
そこまで説明して、机の上に置いてある物を彼らの前に置く。
調合に使う材料の一つだ。
「まず材料に必要なものの一つが、さきほどいただけた『魔水』です。
この純粋な魔力がこめられた魔水に、『太陽の魔力』の性質を宿らせることが目的です」
そこまで言って今度は砂がたくさん入った皿を彼らの前に置いた。
この砂に見える一粒一粒が、洞窟に生息する光を発する虫から採取した『光の魔石』だ。
「……『光の魔石』?」
…………?
灰羽秋が疑問をもらす。ただ何を疑問に思っているのか分からない。
「普通の魔石とは何か違うのか?」
その問いでようやく彼が何を疑問に思っているのかをわかった。
そして驚いた。あまりにも常識的なことを彼は知らないのだな、と。
彼の横で、鞠と呼ばれる少女も、同じように首を傾げている。
その様子に少なからず違和感を覚えたが
とりあえず分からないと言うのなら光の魔石の説明をすることにした。
──『光の魔石』がなんなのか。
それを説明するならば、そもそも『魔石』とは何かを説明をしなければならない。
『魔石』とは、簡単に言えば『とても純粋な魔力そのものの塊』だ。
魔力の宿った素材は他にもある。 『魔力の宿った土』、『魔力の宿った鉱物』、『魔力の宿った血』、『魔力の宿った魔物の部位』など……でもそのどれもが、魔力そのものじゃない。少なくとも魔力以外の土や鉱物があり、そこに魔力が合わさっているものだ。
そうではなく、純粋に混じり気のない『物体化した魔力』……それが魔石だ。
魔石は『生き物』の体内からしか、今だに見つかっていない。
なぜ生き物だけなのか。どういう風に生き物は魔石を体内に作っているのか。一切わかっていない。魔石は未だに未知なことが多く謎が多い。
二人も『魔石』そのものには普段から接してはいるのだろう。だがさらに細かく分類をするまでには至っていないように見えた。少しでも社会で生きてたら魔族だろうが人間だろうが知る機会がないなんてことは、ないとは思うけど……。
彼の言う『普通の魔石』とは基本的に、一番純粋な魔力を発してる魔石のことをさす。
純粋……それは『偏りがない』ということ。
逆に言えばそうでない『特殊な魔石』は魔力に『偏りがある』。
時々魔物に、そんな風に属性に特化した個体や種類が現れたりするのだ。ただ土の塊を生み出して発射させるとか、そういうレベルではない。土の属性に偏った魔物ならば土を変幻自在に変化させ、手と足のように扱い、呼吸のように自然とそれを利用して生きている魔物だ。
種族全体として魔力が偏った魔物を『属性種』と分類するが、他にも突然変異で唐突に属性を帯びた個体が現れることもある。『属性個体』と呼ばれるその魔物は、普通の種の群れの中に紛れていることが多いので、気づかなければそれだけで死亡事故に繋がるから油断できない。
最後に属性に偏った魔石は、『属性石』と一般的に呼ばれている。
「『属性個体』……? 『属性種』……?
うにゅう……『環境魔獣』……」
「……魔石がやたらとカラフルだったのは、そういうことか。
そういうものだと、勝手に思ってたけど」
二人は納得したように別々につぶやいている。
『環境魔獣』……?
聞き覚えのある単語のような気がするが、思い出せない。
ただ物騒な響きのする単語だから、きっと師匠が言っていたのだと思うけど。
「本来は小さな魔石を採取して使用するよりも、大きな魔石を細かく砕いた方が質が良くて使いやすいです。もしそうだったなら、もう少しは作業の難易度を落とすことができてやり易かったのですが……。私たちにはこれが精一杯で……申し訳ないのですが少し苦労するかもしれません」
「にゅー、この間光ってる魔物いた」
「テレストさん、この『光の魔石』ってやつは『白色』の魔石でいいのか?」
「え? えぇ、もしかして魔石をお持ちですか?」
「あぁ──」
──ゴトリ。
そういって彼は当たり前のように何もないところから魔石を取り出して机の上に置いた。それと同時に、私は思わず音を立てて息を飲んだ。
彼が取り出した魔石。それは生まれてからこれまで見たことがないほどの高い質と大きさの魔石だったからだ。赤子の頭ほどもある、美しい白色の魔石。
「…………こんなに質が高いもの、さすがにいただけませんよ。
それにこれほどとなると砕くのにも──」
仲間の命がかかっているとはいえ、さすがにここまでのランクの魔石をもらうのは、躊躇いがうまれてしまう。
薬を必要としている、仲間の花人族たち。その全員程度の命なんて、この魔石のためなら軽く死んでいくだろう。それがこの魔石を『魔物から手に入れるため』だろうと、『奪い合うため』だろうと……。これは、それほどの品だ。
そんな風に困惑していると、彼は片手に持っていた魔石を音をたてて握りつぶしていた。
細かく砕けていく光の魔石が、さらさらとこぼれおち、鞠という少女がこぼれおとさぬよう、いつの間にかもっていた皿で受け止めている
「これぐらいでいいか?」
「……えぇ、ありがとうございます。本当に」
それ以上に言える言葉がなかった。
「いくらでもあるから、気にしなくて良い。それで、最後の材料は?」
「あ、すいません。今取り出します」
私は鞄の中を探って、最後の材料を取り出す。
その材料は鞄から出した途端、私の手から離れ飛び出した。
「……草玉?」
「『テプア』だ」
「そうです。最後の材料はこれです」
宙に浮いたテプアを掴んで、手元へと寄せながら言った。
テプアは日中なのに真夜中よりも暗い場所が存在するような樹海で、太陽の代わりに光を与える植物だ。
「このテプアで薬を?」
灰羽秋の問いかけに私は頷く。
「そうです。『テプア』は太陽に近い光と魔力を発しています。それじゃあ、私たち『花人族』もテプアの光にあたればいいと、話が済めばいいのですが……。
残念ながらテプアの光は太陽と比べればあまりにも微弱で大型の植物や私たち花人族には気休め程度にしか効果がありません。ですが私たちはそこで思いついたことがありました。このテプアの魔力を『強く』すれば私たちにも効果があるんじゃないか──と」
この作業のために持ってきた魔力が通りやすい専用の『箱型の容器』を大量に取り出して机の上において、そこから一つだけ取って自分の前におく。そして中に『魔水』をなみなみと注いだ。
細かく砕かれた『光の魔石』を箱の底に敷くように少しいれ、浮いていたテプアを掴んで水面の上にのせる。テプアは浮かない。
「これで作業の準備は完了です。
今から一度実際の作業に移りますので、見ていてください」
この『調合』の目的は単純だ。 テプアの持つ太陽の性質の魔力の性質を強くして、量を増やした上で、魔水の中に溶け込ませる。 そうして花人族にも効果がでるほど強い太陽の性質をもった『陽光薬』が完成する。
「(……言葉にすれば簡単だ)」
でも実際にやって、成し遂げるとなると──
途端に話が変わるのはどこの世界でもきっと同じなのだろう。
テプアに両手を当てる。
決して力を入れすぎて、水の中にテプアを沈めないように。
赤子の頭に手を添えるように、そっと。
目を瞑ってまず、自分の魔力を感じとった。
魔力……それは空気や血が体を巡るのと同じくらい身体中を巡っている確かな力。
心臓の鼓動の音を感じ取れるように、魔力は感じ取れる。それはテプアも同様だ。
私は自分の魔力で、テプアをまるごと覆って包みこんだ。
すると自分の魔力を伝って、テプアの内部で循環している魔力を感じた。量は微弱だが、流れの強さは魔物にも負けない。
その時点で一度深呼吸をする。
ここからが一番神経を使う重要な作業だ。
身体の魔力を循環させる。
放っておいても勝手に循環する魔力を、意識的に行う。
そうすることで魔力を自分の制御下に置くことができる。
右手から魔力が放出され、左手から再び身体の中へ。
テプアを間に挟んで、何度も繰り返す放出と吸収。その間少しずつ、魔力の流れを微調整していくことで魔力の流れは『ある形』に近づきつつある。
淡く光るテプア。微弱ながらも太陽と同じ光。
その光が少しずつ範囲を広げ始め、やがて『私の魔力』にも乗り移りはじめた。
「にゅう……すごい……」
「……こんなことまで『魔力』はできるのか。
『スキル』や『魔法』を使う程度の力にしか、思ってなかったな……」
「鞠が……さっきくらげちゃんから『水』をもらったのと、根本的には一緒。
でもあれはただの『力技』。『奪った』だけ。
でもこれはすごく丁寧? 細かい? 繊細?」
「『技術』の賜物だな。別の生き物同士の血管を繋ぎあわせて
その血管で血を循環させて生かすみたいな話だ」
「テプアが、テレストさんの魔力を
『自分の魔力』だと『錯覚』してる……。
あまりにも自然に、魔力が一緒に循環しているから……」
……一段落したため一度解説を入れようと思ったが、その必要はなさそうだ。
彼らの言う通り、私の魔力は今現在ある形をしていた。それは『循環しているテプアの魔力』の形だ。全く同じ力、全く同じ流れで、テプアの魔力に寄り添うように一緒に循環させることで、テプアは私の魔力を自分の魔力だと錯覚し、増えた魔力に『太陽の光』を発させようと反応する。私もその反応を受け入れ、結果的に太陽の魔力が私の魔力に乗り移ったのだ。
ただこの時点では、一見テプアの太陽の魔力が増えたように見えるが、そうではない。
テプアの魔力は私の身体を循環しているうちにかき消えていくからだ。テプアの魔力はそれほど微弱なものだ。
どうにかして余剰分のテプアの魔力を『貯めていく』必要がある。
そのためにあるものが『魔水』と『光の魔石』だ。
テプアにしたことと同様、『魔水』と『光の魔石』を巻き込むように魔力を循環させる。ただあくまでもテプアが『錯覚』する『循環の形』であること忘れずに。ここまでくると難易度は一気に跳ね上がる。作り慣れた私も気が抜けない。
全神経を込めて、循環を維持し続ける。そして少し時間が経った時、『魔水』にはうっすらとテプアの光が乗り移って光を放っていた。
そこで手をとめて息を吐く。少しかいた汗をぬぐい口を開いた。
「これが一連の調合の作業です」
「これで薬の完成、なのか?」
「いえ……魔力が宿ったといってもまだまだ微弱なので、同じことを何度も繰り返します。ただ実はこの作業をやりすぎるとテプアが消耗して枯れてしまうんです。ここまできたら一度、軽い明かりの下に容器ごと置いて寝かせておきます。それで少したったら同じ作業をして……と。だいたい一つ五回ほど繰り返せば完成ですね」
完成する頃には夕焼けの空を水に溶かしたような見た目になる。見た目としても美しい。
凄腕の師匠ともなるとなぜか『小さな太陽』が水の中に浮かんでいたが……。効果は凄まじかったもののなぜ出来るのか、どういう原理で出来るのか、はっきり言って意味がわからなかった。私はそんな現象がおきたことはない。いつかできるだろうか?
「今作った量で何人分ですか?」
「箱一つにつき、一人分ですね」
「にゅう……。結構、大変そう……」
灰羽秋からの質問に答えると、鞠という少女が机の上に積み重なった『箱型の容器』を見上げて言葉を漏らした。私一人ならば、睡眠をとらずに続けても三日近くかかってしまう量だ。
「まずは私がやった一連の作業を、お二人にもやってもらいます。これができないと申し訳ないのですが、調薬作業の大部分が行えません。ですが逆に言えばこれさえできればあとは同じことを繰り返すだけです。
難しいと思いますが、先ほどいただいた上質な光の魔石のおかげである程度難易度は緩和されているので頑張ってください。材料は少し多めに持ってきているので少しなら失敗しても大丈夫です」
「わかった」
「わかりました」
灰羽秋、鞠と返事をして作業へと取り掛かっていく。
──果たして、どれだけできるだろうか。
とりあえず1時間ほど様子を見てみよう。
そのときまでに魔水を少しでも光らせることができていれれば十分だ。たとえ私の使った倍の時間を使ったとしても、進むことができれば私にとって大きな助けになる。
作り始めた彼らを横目に、私もまた再び同じ薬を作る作業に入る。
そして一つまた薬を前と同じところまで作り上げたときだった。
「テレストさん、できたので、見てください」
鞠という少女に声をかけられ、私は彼女の元へと歩いていく。
「……驚きました。とても上手にできてますね。
時間もほぼ私と変わりません。これなら十分薬が作れますよ。
あなたも調薬の経験があるんですか?」
鞠という少女は首を横に振る。
「……鞠は、ないです。でも『こういう子』に言う事を聞かせるのは、得意です。魔力の操作は基本ここにいる人はみんなできます。じゃないと淘汰されちゃうから……。この薬を作るならば、鞠は、お力になれます」
「……なるほど、頼りになりますね。
ではこの調子で一緒に薬を作るの手伝っていただけますか?」
「うにゅー、がんばります」
相変わらず言葉の節々に気になることがある……。
そんなことを、少女が箱を置きにいく後ろ姿を見ながら思った。
そして作業に戻ろうとおもったが、ついでなので灰羽秋。彼の様子ものぞくことにした。
といっても彼に関してはあまり心配はしていない。調薬の経験があると言っていたし、計り知れない超越者だ。なんとかなるだろう。
そう思って、少し彼の手元をのぞいたときだった。
「……うっ」
あまりの眩しさに、思わず目が眩んで声を漏らしながら目を覆った。
凄まじい光だ。それに彼自身とてつもない魔力をまとっているのを感じる。
ただこれは──
「……失敗ですね」
「…………」
追い打ちをかけるように彼が使っていたテプアが
しなしなと干からびるように枯れていく。
その光景が薬を作るのに失敗したという事実を、駄目押しのように物語っている。
「(──意外だな)」
どちらかと言えば失敗するなら鞠という少女のほうだと私は思っていた。
私が感じ取れた『超越者』というのは大体何かに特化して優れている。そういう人は得てして結局のところ平均して様々なことができることが多い。
見たところ、彼が失敗している理由は単純だ。『力技』だからだ。
自分のスキルと魔力量での、ごり押し。その行為自体を悪いとは言わないが、テプアに対しての配慮が一切ない。この調薬は、いわばテプアから力を借りるためのようなもの。それじゃあ、ダメだ。
そんなアドバイスを、薬を作っていく彼の横で続けていた。
鞠という少女は順調で、灰羽秋が悪戦苦闘している間に3つ目の一段階目を終えていた。私も彼に教えているので作業が進んでいない。テプアも三つもかれている。このままだと材料的にも、時間的にも余裕がなくなってくる。 このまま続けることはできないので、どこかで彼自身に薬を作ってもらうかどうかを、決める必要があるだろう。
「(……このままだと、厳しいかもしれない)」
最初に比べればかなり前進はしている。
技術がないというよりは単純に相性が悪いのかもしれない。
しかしこのままの状況が続くなら……断らざるをえないことになるだろう。
ただ悪いことばかりではなく、もしかしたらと思わせることもあった。
数を重ねていくうちに、彼自身にある変化がそう思わせる──
「もう少し魔力量を抑えて、循環を広い範囲にしてください」
「…………」
作っている横で、指示をだすが返事はない。
でもそれは聞いていないのではなくて、集中しすぎて声を出せないからだ。
その証拠に彼の調合は私の助言をうけて、変化した。
──凄まじい集中力は当然にしても……。
──助言の一つ一つを余さず吸収しようとしている……。
──魔力を極限まで抑えているというのに、すごい気迫だ……。
彼は時間がたつごとに、目に見える形で『洗練』されていっていた。
洗練……それは『無駄を削ぎ落とす』ことだ。
始めたときは鞠という少女よりも拙かった彼の調合が、 上達だなんて表現では抑えきれないほど最適に変化していっている。
そしてその変化とともに……最初は気のせいだと思ったが……。
まるで彼自身の人間性も削げ落ちているかのように──瞳が『無機質』になっているようだった。
その瞳を見て、私は、闇夜の森の中でさらに森の奥をのぞきこもうとした時のことを思い出した。
ただ──ここまでの変化があっても、うまくいってはいない。
仕方がない話だ。彼自身が意識で抑えられる最小の魔力量であっても、テプアにとっては膨大な魔力だったのだ。
彼自身の『超越』が障害となっている。こういう事態は初めて目にしたが、なんて皮肉な話なんだろうと思う。
人には確かにどうしようもない領域というものがある。上質な光の魔石をもらい、調合に最適な場所も借りて、調合を進めることができる人物にも一人協力をしてもらっている。ここまで与えられて約束が違うだなんて、責められはしない。
そう、内心で結論を出したときだった。
「(……?)」
ふとあることに気づく。灰羽秋におきている目に見える変化。
「(『髪の色』が……変わって……──)」
それと同時に視界の隅で、『淡い光』が発する。
反射的にみると、その光は彼の手元で起きていた。最初に失敗した光とは違う『太陽の魔力』が発する光だ。
「……ふぅ」
彼が一息入れる。
「お疲れ様です。成功しましたね」
まさか成功するとは思わなかった。素直に賞賛すべきことだ。
ただ同時に怖くもある。
それは彼の上達の度合いだ。今回の自体に限って言えばありがたいもの、冷静に考えると『異常』だ調合の腕前がそんなに高くない彼が『魔力量が絶望的に噛み合わない』という難題を大した時間を使わずに乗り越えているという事実が、だ。鞠という少女は『最初からできていた』。対して灰羽秋は『出来なかった』。それを『出来るようにした』。それも私のように一つずつ積み上げて技術を磨いてきた者からみれば、驚くほどの短時間で。
一見見てすごく見えるのは『最初からできる』鞠という少女だ。でも私は出来ないはずだったのに、できるようになった彼のほうがずっと恐ろしい。
──『このままの勢いで彼が上達していったら果たしてどこに行き着いてしまうのだろう』。
そんなことを、思ってしまった。
波の立たない水面のように、静かで淡々と。でも有無を言わず、徹底した姿勢でつき進んでいく。その姿が上達に『底がある』と感じさせない。
そんな底がない突き進む姿勢は『無機質な瞳』を見た時にも感じた。
彼に感じた恐ろしさだった。
とはいえ長い時間がかかっていたが
ここまでできればあとは続けるだけで薬を作れるだろう。
「かなり手こずってしまった。
あんな大言を言っておきながら、ちょっと甘くみすぎていたな。
少し時間をとりすぎて申し訳ない、テレストさん」
「いえ……これでも一人でやるよりはずっと早いですし、おかげで三人で作業を進めることができますから。時間を割いた甲斐がありますよ。このままいけば明日か、下手すれば今日中にも終えることができそうですね。ここからの作業は大丈夫そうですか?」
「あぁ、もう大丈夫だと思う」
「そうですか……。 ところで、『髪の色』が変わってますが大丈夫ですか?」
作業の途中で彼の髪が途中から『灰色』から『黒色』に変化をしていた。
そんな大きな変化だというのに彼は気にしてなさそうに頷く。
「髪の色……?
あぁ、『元』に戻ってるのか……」
彼は自分の髪を見ながらそういった。
そしてすぐに興味をなくしたように「気にしなくて大丈夫」と投げやりにいった。
「そうですか……」
いまいちよくわからないが、彼がそういうならそうなのだろう。
私たちはノルマを達成するために、いよいよ三人全員で、本格的に作業を進めていく。
◇
魔力を循環させる作業は一度中断入れる必要がある。テプアに負担をかけないためだ。
あいた時間を別の薬を進めておくことで時間を無駄にしないようにする。その時間で四個ほど同じように循環の作業を行なった所で、最初に休ませていたテプアが回復するので、作業は五個をひとまとめとして進めるのが、基本的に効率がいい。
五個まとめて完成すると、また最初からになる。
ただ私たち花人族の総数から言って、進めていた薬を三人共作り終えて最初に戻った時点で、全体的な数で言えばほぼ半分ほどだ。
そしてつい先ほど、そこまでいった。
つまり極めて順調な作業の進み具合と言えた。
顔を上げて少し様子を伺うと、鞠という少女は最初から変わらず、順調に作業を進めていて
灰羽秋はいつの間にか私や鞠という少女と同等のレベルで作業を進めている。やはり恐るべき上達のはやさだ。
様子を見ている限り、だいぶ二人も作業に慣れたのか余裕が出ている。
今なら作業を進めながら話をしても、支障はないほどまでに。
「(今、『提案』をしてみるべきだろうか……)」
作業を進めながら、その『提案』をすべきタイミングをはかっていたときだった──
「鞠、千夏は……。
千夏の様子は、今どうなってる?」
先に口を開いたのは、灰羽秋のほうだった。
「…………?」
話を振られた少女は、こてりと、可愛らしく首を傾げた。
少し不思議そうな表情をして顔をあげて灰羽秋の顔を見ていたが、彼は調合から目をそらさず声だけを出していた。
「……鞠は、わからないです。
今は春様がおそばで、看病してる、と思う……けど?」
「……そうか」
「そもそも鞠はまだその子に会ってないから……。秋様、気になる……?
それなら少し様子を見てくればいいと思う」
「いや、大丈夫だよ」
その会話を聞きながら、私は顔を上げる。
「──そうですね。
そろそろ先を見据えて、軽く問診をしておきましょうか」
このままいけば今日中にでも、調合を終わらせられる。
調合が無事に終われば、最初に結んだ約束の通り、私は魔人族の少女の様子を診察することになるだろう。 場合によっては治すことも。
彼は確かに私を手伝って約束通りの成果をもたらそうとしている。
ならば私も、彼の要求に応えるために行動するいい頃合いだ。
なによりも私がしようとしている『提案』に、その少女は深く関わっている。そういう意味でも重要なことだ。
「いくつか質問していくので、答えてもらってもよろしいですか?」
「大丈夫です」
「わかりました。ではまず──」
一つずつ質問を訪ね、得られた答えを頭の中で反芻していく。
少女はどうやら大きな怪我を負ったそうだ。だが治療を施し、怪我自体はすでに回復しているらしい。
ただなぜか、目を覚まさない。
熱が引かずに衰弱する一方。髪が虹色に染まったりなどの異常がみられるそうだ。
それを聞いて私は──
意外とそこまで重い症状ではなさそうだ、と判断した。
一つ一つの小さな症状が重なって、大きな異常に見えるということがある。今回はその例に当てはまるように思えた。当然、実際に少女の状態を見てみないことには結論は出せないものの。
「もしかしたら、魔力の器官に何か異常があるのかもしれないですね」
「ティアルも、確かそんなことを言っていた」
私は彼の言葉に頷きながら答える。
「魔人族というのは魔力や魔法を使うのにとても長けていて、身体の器官の一つ一つがとても魔力が浸透しやすく馴染むようにできています。逆に言えば彼らはそれだけ『魔力』というものにたいして繊細で敏感なんです。
だから、まだ身体が発達していない子供なんかは、急激な『自分自身の魔力の変化』だったり『周囲の環境の魔力の変化』に対して身体的な異常を起こしがちなんです。私もそういう症状を前にいた場所ではよくみたことがあります」
「なら千夏も?」
「たぶんですが、そうだと思います。
正直ここは私でも感じ取れるほど、あまりにも魔素が濃いですから……。
個人的には【治癒魔法】の魔力そのものが負担になった場合が考えられると思っています。大きな傷を負ったそうですが、そういったものを魔力的手段で治すとなると、どうしても込められる魔力の量が多くなってしまい魔人族の子供にそれが負担になってしまうのです」
「【治癒魔法】……か。他には原因として考えられるものはあるか?」
「他、ですか?」
彼自身にあまり治療や治癒に精通した感じはなかったので
てっきり【治癒魔法】をかけたのかと思って話してみたがそうではないのだろうか。
「直接みた訳ではないので大雑把な答えになりますが……例えば自分の魔力の量と体内で循環できる魔力の量がかみあっていないことで起きる症状もあります。他にもありきたりですが唐突になんらかな要因で魔力が増えたとかですかね。どちらも魔力が豊富な子供にはありがちな簡単な症状です。
髪が虹色になるということなので、魔力が少なくなるという方向よりかは、どちらかといえば多くなるほうが原因だと思うのですが……。他の種族だったら体内に生まれつきある『魔石』も考えられますが『魔人族』にはそれが無いですし……」
「……魔石?」
灰羽秋が食いつくように尋ねる。
「そうです。ご存知ないですか?
時折魔物と同じように体内に魔石を持って生まれる人がいるんですよ。なんでも『遠い昔の名残』なんだそうですが。
それ自体は別段害もなく、少し珍しいですが全く見ないというほどいないわけでもありません。生まれたときから普通に魔石が活動していれば、他の人と変わりなく、不自由だってないのです。ただある日突然魔石が活動をはじめて、実は魔石があったことが発覚した、なんてことがあると不調につながる恐れがあります。唐突に全く別の魔力の塊が現れるようなもんですから」
「なんで魔人族はその可能性がないんだ?」
「単純な統計です。先ほど全く見ないというほどではない……と言いましたが、こと魔人族に限っていえば例外で、文字通り全く見ないんですよ」
「……不思議だな」
「そうですね。理由は私もあまりよくわからないんですが、魔人族の方がよく口にするんです。魔石が体内に発生するのは、種族として『辿り着いていない』からだと。だから『昔の名残が現れる』のだと」
「辿り着いていない?
何か目的があるのか?」
「いえ……たぶんですが口ぶりからすると目的というより、何か到達点があるのかもしれません。それで魔石があるというのが、彼らからすると未熟さとして見えるのでしょう。実際魔人族は魔石が発生する他の魔族たちを下に見る傾向があります。一番早く誕生した魔族は魔人族ですので見方次第では間違いではないのですが。まぁ、そうした理由から魔人族は体内に魔石が発生し得ないのですよ」
少女の症状は、細かい症状の一つ一つを丁寧に治していけば間違いなく治ると思われる。
そして一番最初に取り除くべき症状は、魔力の異常だろう。
──運がいい。
ケルラ・マ・グランデの樹海には魔力の異常に効く薬草が多い。
竜の力が蔓延っているからだ。
根本的に竜の力は魔力とは違う力だ。その力には魔力を抑えたり消し去ったりする力がある。古代から魔力異常に対する対処法として使われていた。ケルラ・マ・グランデは魔力異常に対してだけならば素材の宝庫。対処できないものはないだろう。無事に助ける確率は極めて高いはずだ。
そう説明すると、彼は「そうか」と単調な返事を一度だけした。
──随分、冷たい反応だな。
自分が助けたいと思う子供が、実際に救える可能性が高いというのに。
「(……やっぱり『提案』してみるべきだ)」
そうすれば全てが、うまくいく。
私たちにとっても。世界で一番優しい彼にとっても。
誰にとっても都合がいい。
コトリ、と瓶を机の置く。
その瓶には完成した『薬』が詰まっている。
夕焼け時の、空模様を閉じ込めたような太陽の魔力を放った薬。
私たち花人族の生命力を一時的に取り戻す。
しかしずっとそのままは無理だ。
いつか根本的に、問題に向き合うことになる。
でも……花人族に、その問題を解決できる力は存在しない。
コトリ、コトリと続けて瓶を並べていく。
着実に完成する薬の数は増えていく。
やがて花人族のほぼ全員に賄えるといえる量まで、くることができた。
残り数個分──私は自分自身の分を終えたので
今作業を続けている二人が終われば全ての薬が完成する。
もうまもなくすべてが終わる──。
作業を終えて手持ち無沙汰になった私は、彼らの作業を手伝うことはせずに
席に座ったまま言葉を発した。
「少しお話したいことがあるのですがいいですか?
そのまま手を止めずにで構いませんので」
「大丈夫だ」
彼は顔も上げずに、答えた。
「ありがとうございます……。
一つ、聞きたいことがあるんですが、魔人族の少女。
彼女を治したとしてそのあとあなたは少女をどうするつもりなんですか?」
「…………」
彼は短く無い時間、沈黙する。
そして──
「……まだ考えてないな」
結局彼は、そう答えた。
「そうですか……では私たちに預けませんか?」
彼の体が、一瞬動く。
調合の手を止めずに、彼は顔を上げる。
「……それは、どういう意味で、ですか?」
「そのままの意味です。
少女を私たちが預かって、育てることを任せませんかという提案です」
「……なかなか思い切った提案だな、テレストさん。
だが申し訳ないが今のあなたたちに預けたところで、この薬が必要なまでに追い詰められたあなたたちに無事育て上げるまでの生活力があるとは思えないが」
「確かに、そうですね。 私たちの種族は現状とても追い詰められています。はっきりいってギリギリですし、解決の糸口もはっきりみえない。困難な状態にあります。
──ですがそれは脆弱な『私たち』にとっては、です。『あなた方』から見れば、きっと。呆れるほど造作もない程度の問題だと思います」
「……あなた方の問題を、俺が代わりに対処しろってことかな」
少しだけ空気に威圧感が出る。その威圧感のすべては私に向けられたもので、怖かった。
でも当然の話だ。それが向けられるのが仕方ないほど私は『都合がいい』ことをいっているのだから。
でもこの提案は──『全員が得をする』提案なのだ。
「言うまでもないですが、子供を育てるのは想像以上にとても大変です。
ただでさえそうなのに『魔族』と『人間』という組み合わせですよ。種族の垣根を超えて寄り添う……言葉は素晴らしいですが、現実的にそれをするとなると本当にできるのか、周りががそれを受け入れてくれるか、全く別の話になりますよね?
私たち花人族も種族は違いますが人間よりはうまくやっていけると思います。昔と違いたくさんの種族が混じった魔族の国も増えて魔族同士が一緒にいることはおかしな話ではありません。まさか誰とも接させずに、家からも一歩も出さずに育てるなんてことをするわけにもいかないでしょう?」
とはいえ、この場所ならそれもできてしまうかもしれないが。
でもそれが子供に望ましいかといったら、考えてしまうはずだ。
「ただ……まだ出会ったばかりの私に都合がいいからといって『はいどうぞ』と押し付ける。そんなに割り切れるような話ではないと思います。罪悪感だって感じるかもしれません 。ですからたまにです。私たちに手をかせとはいいません。様子を見にきて少女の生活を脅かす脅威があれば、少女に手を貸していただきたいのです。
そうやって、少女に時々あいにきて、何かがあれば守ってあげて、そしてまた去って……」
そもそも彼は一体なぜ、少女を助けたのだろう。
彼のような人間がそういう選択をしただけでも私には奇跡的な確率に思える。
その上でさらに子供を愛して、守って、育てていく。
そんなの無理に決まっている。
「それくらいの距離が、あなた自身、きっと望ましいんじゃないでしょうか?」
そのことを彼自身もわかっているはずだ。
きっと彼も『少女の命』を背負うことに『重荷』に感じている。
少女だって彼のような『無機質の瞳』を浮かべる人物といることが幸福なこととは思えない。
私たち花人族は『少女』を育て、彼という超越した者の庇護を受ける。
少女は超越した人間の側ではなく、普通の魔族の元で普通に暮らしていける。
彼は──自分の人生に望まずにのし掛かった重責を和らげることができる。
気まぐれに時折少女を助けてあげることによって。
「私と私の妻も、『諸事情』で子供がいないんですが……。色々あってずっと少し寂しそうにしているんです。不甲斐ない話ですが、ここ最近は調薬に没頭して一人にすることも多くてですね。子供がいれば少しは気が紛れて笑ってくれるかな、って思うんです。私からの提案は以上ですが、できれば考えておいてください」
「……わかった」
話続けている間に並行して彼は調薬を続けていた。
そして今最後の薬を作り上げて、すべての作業が終わりをむかえた。鞠という少女もすでに作業を終えているからだ。
彼はその最後の、完成した薬を瓶に注ぎ込んで机の上にゆっくりと置く。
「考えておくよ」
離していく手に隠れていた瓶の中身が、ゆっくりと顔をのぞかせていく。
透明な瓶の中には、他と同じように夕焼けの空が閉じ込められていて
そして、小さな『太陽』が水の中に浮かんでいた。