第76、6話 テレストの提案③
『調合室』の中へと入る。
中はとても普通だった。普通の調合室。木目調の棚や机が少しだけ古めかしく感じられる──。
でもその普通さが今はとてもありがたい。素材を置くところ、道具をおくところ、棚、水場。そんな場所の移動が最小限で住むように計算されて作られている。地味だが薬師のために作られた場所だといるだけで感じることができる。
やはり専門的な部屋というのはとてもいい。きっと相当薬師に理解のある方が作ったのだろう。
広さも一人ではやや広く、二人くらいで丁度いい。弟子時代もこういう部屋に、師匠と篭りきっていた。もう少し物が多くて汚かったが……。代わりにこの調合室には私がよくわからない素材がいくつか瓶などにいれられて壁の棚に置かれていた。
「素晴らしい場所です」
荷物を置いて、材料取り出して机の上に積み重ねていく。
初めて来たところだけど、勝手はわかる。
わかるなら早速取り掛からなければ。
──二日ほどは、調合に時間がかかるだろう。
入った直後に、そう試算した。調合室の具合はいい。
ただ灰羽秋……手伝ってくれるという彼がどれほど役にたつかわからない。回復薬は異質すぎて彼の腕を推し量ることができなかった。
でも人手であることはかわらない。腕がなくても一人の人手があれば少なくとも雑用を割り振ることができる。この部屋も相まって、1日は確実に早めることができるはずだ。
机の上に、魔道具も置いていく。
魔道具はティアル様の家から借りてそのまま持ってきたものだ。ティアル様に念のため持って行っていいかお尋ねしたが「かまわずに持っていくがよい」と手を振りながらいった。
そのティアル様は屋敷にお残りになった。
なんでも地上のルートからまた屋敷へ向かってる者たちがおり、ティアル様がいなくなると気配がなくなって道のりがわからなくなるそうだ。
あの洞窟の中は、ティアル様の膨大な魔力が染み込んでいる。
私は魔力を感知できないからわからないが花長は魔力感知に長けた方で、ティアル様と出会う前は随分と洞窟を怖がっていた。『強大な魔物の巣穴』だと言って、近づかないように私たちに促していた。そうやって私たちが避けたように、力のある魔物たちも自分の力と比較して勝てないと思えば近づいてこない。
道具を取り出して用意ができた。
「さっそく取り掛かりましょうか」
「あぁ、わかった」
机の向こう側で、道具を運ぶのを手伝ってくれていた灰羽秋が答える。
だがその直後、何かに気が付いたように彼は自分の足元へ視線を向けた。机を挟んでいたため、私から彼の足元は見えない。ただ彼のさらに背後にある調合室の出入り口が開いているのがたまたま目に入り、「あれ、閉めていなかったかな」とふと疑問に思った。
気になった私は体を横へと傾けて、机をよけるように、彼の足元を見る。
すると小さな女の子が、灰羽秋──彼の足にしがみつくようにいた。
……誰だ。病気の女の子だろうか?
いや、少女は今話では寝込んでいるといっていた。
それにこの女の子は、『魔人族』じゃない。
白い髪といった特徴が全く当てはまらないからだ。
そして同時に──『人間』でもない。
「うにゅー……」
その女の子の漏らした声は、足にしがみつき顔をぐりぐりと押し付けながら出したためか、くぐもっていた。
頭に乗ったような『大きな花』がそんな顔の動きによって揺れていた。帽子をかぶっているかと思うほど、大きく少女の頭を覆っている、一輪の花。
──『飾り』ではない。
一目見ただけでわかる。
まるで飾りのように少女の頭に乗って揺れている花が──『血の通った花』であることに。
人間が体に積んだ草花や造花を身にまとって、同族を装い、子供をさらうために近づいてくることもある。だから私たち『花人族』がその事実を見抜けないはずがなかった。
頭に花が咲いている。
それは人間の種族特徴としてもありえない。
だがそうなると──
一番近いとなると私たち花人族になるが、とはいえ私たちはこんなに大きな花を咲かせない。
せいぜい野原に咲く普通の花ほどだ。
少女の種族が何なのか、私は少しだけそのことがきになった。
「……鞠、邪魔」
「うにゅう……。秋様、帰ってくるの遅い……。
もう、いなくならない?」
「さあ……どうだろうな」
「いなくならないで?」
「そこからいなくならないことを保証することなんて、できはしないよ。誰でもな」
少女は男の言葉をきいて、しがみついた力を無言で強めた。刻まれた服のシワが深くなる。
この場に唐突に現れ、まだ会ったばかりの少女。だけど不思議とその気持ちがわかった。
灰羽秋、彼の言葉は正しい。そしてその正しさを、きっと鞠と呼ばれた少女は理解をしている。
それでも尋ねたのは、そうする必要があったからだ。
いなくならないことの『保証』がほしいのだ。
その『保証』が実は保証になっていないことなんて関係ない。実際は男の言う通りなのかもしれない。
それでも『いてくれる』と一言言ってくれればそれだけで安心することができる。
自分に『執着』をしてほしいのだ。いやそれは自分だけに止まらないかもしれない。
───執着してほしい……。
それは逆に言えば、灰羽秋。彼が『執着』をしていないということ……。
「鞠……今忙しいんだ。正直少しの時間でも惜しい。
仕事はどうしたんだ? 鞠は使用人として重要な仕事があるだろう」
「にゅー押しつけ──。
うにゅー……。仕事を割り振ってきたから仕事ない……。
それより秋様を手伝う」
「鞠が? うーん」
「私はいいですよ。人手が増えてくれるならそれだけで助かります」
「……すまないテレストさん。
まぁ、鞠なら邪魔になることはないと思うから俺同様遠慮なく使ってほしい。
じゃあ、鞠。ちゃんとテレストさんの言うことをよく聞くこと。いいな?」
「はい。テレストさん、よろしくお願いします」
「い、いえ。そんな……こちらこそ」
こちらを向いて丁寧な仕草で、ぺこりと頭を下げてお辞儀をされる。
これまで少しだけ間延びしていた声が、この時だけしっかりとしていた。
その真摯な姿に私は動揺した。
これまでの人生で敬うことはあっても敬われる経験はなかったから。
動揺を隠すように、水場にいって水瓶に貯めにいく。すると背後でかすかに話し声が聞こえる。
「次いなくなったときは……
今度は……鞠がついていく……」
「好きにすればいい」
そんな会話を聞きながら水瓶の中に、水を貯めていき、机へと持っていく。
蛇口から出る水は、綺麗だった。水にはうるさい私たち花人族がいうのだから間違いない。薬を作るのにおいて水はとても重要だ。
鞠と呼ばれた少女と秋は、机の上に置かれた材料を種類ごとに分けていた。
似ていてわかりにくい草も的確に種類を見分けて分けている。たったこれだけのことでも、一人よりも楽に感じられた。
水の溜まった、水瓶を持って運ぶ。
そんなときだった。
唐突に──部屋に、殺気が満ちた。
『殺気』──。
それはいきていれば自然と感じるものだ。薬師の私でも薬草などの素材を取りに行くときがある。戦う力があまりない私は、魔物を隠れてやり過ごすことが多い。あるいは見つかってしまっているのならば、相手が諦めるまでひたすら走って逃げるなんてことも、よくする。
そうしたとき、相手の抑えても漏れ出る殺気を、空気を伝って肌で感じる。
そもそも魔物は世界のどんなところにもたくさんいるし
大きな街などでない限り、生きることは魔物と寄り添うことと同じだ。常に脅威はそばにある。
だからいちいち殺気を感じたからといって、どうということはない。患者の中には意識が錯乱して、攻撃をしようとしてくる人だって、いるのだ。そんなことで意識が左右してはならないし、少なくとも私は多少なりとも耐性がある──つもりだった。
水瓶の割れる音が、鳴る。
割れた水瓶は、私が持っていたものだった。
その水瓶が割れた音を聞いてなお、私の体は水瓶を持ったままの状態で固まったまま動かない。
動いてはならない、と。そう、脳が勝手に判断を下していた。
強大な力を感じた身体が、錯覚しているのだ。少しでも動いたら、存在感を出したら、意識をこちらへと向けられたら、一瞬で命を刈り取られてしまうと。だから身体が一番生き残れる選択を無意識に選びとって、動けないし、動こうとすら思えない。
それが殺気によって意図的にされた、命令のような反射だとしても。
荒ぶる呼吸と動悸を、心の中で必死に漏れ出ないように叱咤し続ける。
溢れる汗が地面にこぼれないように祈り続けている。
調合室に唐突にあふれでた、その気配を──私はよく『知っていた』。
毎日……樹海に移り住んでからその気配を感じなかったときはなかった。
現に灰羽秋……彼からもここにくる前に感じた。
とはいえ、私はそれがせいぜい与えられた『加護』のものだと思っていた。
まさか……『本人』が、いるなんて──。
「ねぇ……」
吐息のような、声。
開いたままのドアのところから、その声は聞こえた。
だけど顔を上げて向けることはできなかった。
「私の森で、ちょっと、はしゃぎすぎじゃない?」
「(《緑竜王》──)
かつて南大陸で魔族と人間の大規模な戦争がおこった。
それは一つの国と、一つの魔族が滅ぶほどのとてつもない大規模なものだ。
それを一人の竜が終わらせた。
多くの子供は無邪気に尋ねる。
──なぜ竜王様は樹海を作ったのですか。
私たちは大人だからこう答える。
──竜王様は魔族と人の戦いを終わらせるために森をお作りになったのだよ。
とてもじゃないが事実は言えなかった。
ただ『鬱陶しいから』という理由で、南大陸の大部分を覆う、未開の樹海が生まれただなんて。
それも大人になっていくうちに、いつか知ることになるけれど。
まごうことなき、世界の頂点に限りなく近い『超越者』の一人……そんなひとが、なぜ、ここに……。
「久々だな、よもぎ。
今日は起きてるのか?」
「夢見が悪くて、起きちゃったわ。
誰かが人の力を勝手に使って、人の森を馬鹿みたいにいじくる、ものだから」
「そうか。
鞠──それは違う。こっちの薬草だ」
「むにゅう……。鞠も【鑑定】のスキル欲しい……」
「【鑑定】がなくても、よく観察すればわかる。
これとこれは、花の形はほぼ同じだが、裏から見れば付け根の部分が全然違う」
とても的確な助言だった。ただ今発揮されるべき、的確さなのだろうか。
どうして……こんな状況で彼らは平然としていられるのだろう……。
「さて……はじめよう、テレストさん。
時間も差し迫っていることだし」
「い、いま……ですか……?」
なんとか振り絞って、声を出す。
「お互い、救わないといけない命がかかっているんだから。
やらないわけにはいかない。どんな状況だろうとも」
確かにそうだ。
何がどうなろうと、私が同族のために薬を作らなきゃいけない事実はかわらない。
目的も、手段も。自分にとって重要な状況は、なに一つかわっていない。
だったら間違いなくやるべきなのだ。たとえ怒り狂った竜王様がそばにいようとも。一人の少女を見捨てる覚悟までして、竜王様がいるからやめますなんて、そんな道理が存在していいわけがない。
私は意を決してゆっくりと顔を上げる。
目があった。
縦に細く刻まれたような瞳孔──それを包む金色の瞳と目があった。
その目をこの世界で知らない人はいない。実際に見たことはないけど、でも知っている。それはそういうものだ。
怒った竜族の特徴はあらゆる種族が等しく子供に教え込むから。絶対に近づいてはならない明確な脅威として。見たら逃げる特徴として。
それを、まさか自分でみるとは、思わなかった。
「ねぇ……私を、無視するの……? 『竜王』の私を……。
ひどいと思わないの? せっかく、契約まで交わしたのだから、仲良くしましょうよ」
空気に満ちる重圧は……部屋に水が注がれていくように、間違いなく増えていく。
だが同じほどの重圧がさらに増えた。それは灰羽秋──彼の横にいる、『鞠』という少女の発したものだった。
顔を伏せていてかげになって表情が見えない。でもそれでよかったとおもう。見てしまえば、視覚でも恐怖を感じただろうから。
「秋様……調教する……?」
少女の声色は、ゆったりとしていて、どこか眠たげなものだ。
なのにも関わらず、有無を言わせない。その言葉には確かに『力の背景』を感じる。
「調教……? ねえ、今私にいったの、それ。
気になるんだけど」
「こいつに足りないのは、調教……。
こいつはただ邪魔がしたいだけ。でも本当は秋様に構ってほしくて、仕方がない……。
じゃれ方が分かってないから、邪魔をする。
迷惑をかけることが、じゃれることだと勘違いする……。
『しつけ』が……必要……」
鞠という少女は灰羽秋としていた作業を止めていく。
言葉が終わったころには仕分けていた素材を、机の上に置いていた。
そして背後に、ゆっくりと振り返って、調合室の出入り口にいる竜王様の方へと向けた。
「鞠は──『調教』が……得意……」
鞠という少女と竜王様が視線と視線を合わせる。
私のいるところから見えるのは竜王様のお顔だけだ。少女は振り返っているから見えない。だが少女の顔を見つめる竜王様のお顔は、怒気と殺気が表情に混じるのが止まらない。私があの目を向けられていたら、それだけで十分死ねる自信がある。
部屋に満ちてていく重圧は最高潮に達し、もはや私はただ巻き込まれて死ぬことも、覚悟するほどのものだった。
どうしてこんなことになったのだろう……。
幸い、死ぬ覚悟は無駄に済んだ。
竜王様が怒りをしずめて、部屋に満ちていた力の緊張がふわりと収束する。
「──チッ。
……の魔物共が……」
そういって、ドアを閉めながら、竜王様は部屋から出て行った。