第75、5話 テレスト・ラタァラ
「それは……?」
机の上に置かれた瓶。
中には透き通った明るい緑色の液体が入っていて
さらに、底の方に液体と同化をするかのように
かろうじて葉脈と微かな輪郭だけが見分けられる透明な『葉っぱ』が沈んでいた。
その瓶を怪訝な顔つきで見たテレストさんが、硬い声で言った。
「『回復薬』です」
「これが……? 私の知ってるやつとは少し違う……。
いやでも、確かに込められた魔力を感じますね……。
それも……尋常じゃない量の魔力……なんで気づかなかったんだ……?」
質問に答えた途端、食いついたように瓶の中を見つめ
しまいには手にもって下から舐めるように覗きこんだ。
その目はすでに人間を憎む魔族の目ではなく、修行と経験を積み重ねた薬師の目に変わっている。確かに、テレストさんは間違いなく薬師なのだろう。そう思わせる変化だった。
「精霊草……妖精の嘴……テンデジガクの髭でもない……」と呟きながら考えこむテレストさんに「それは《大森林》という魔物の葉から作ったものです」と伝えると「そんな魔物、聞いたことないのですが……」と答えが返ってきた。
……まぁ、そうだろうな。
魔物は特徴の一つとして、脅威とは反対に『恵み』もまた与える。
終焉の大陸という異質な場所だとどうしてもその脅威の方に目が向いてしまうが。
それでもこの世界に転移して、誰とも接することがないながらも、外に出るようになってから早い段階で気がつくくらいには、確かな事実だ。
魔石は、言わずもがな。
牙や爪や角はまるで鉱物のように使えるものがあれば
粘液がオイルのように、肉が身体の増強を促進し
中には魔力を流すと姿が消える魔物の皮なんかもあったりする。
とにかく様々な魔物の部位が、様々な効果を持っていて
さらに加工をすることでより強くなったり、効果が変わったりもする。
前の世界では蚕から絹を入手していたけれど
この世界の魔物の使い道は、さらに多岐に渡り、多様だ。
まぁ実際『使い道がある』ことと『使う』ことはまた別の話。
本当に使うならしっかりと素材の効果の検証や、実験などが必要になる。
今の俺たちにそこまでやる余裕がないし、やったとしてもそれで素材を使いきってしまう。
終焉の大陸では魔物があまりにも豊富で種類も雑多だ。
一度使い切って狙って同じ魔物をもう一度とは行かない。
結局現状、そのまま使うか
【部屋創造】で作られた部屋の【倉庫】に大量にしまわれているものが大半だ。
そんな中、《大森林》の葉だけは唯一効力を研究して、実験して
有効的な使い方を見出せた唯一の素材だ。
なんせ終焉の大陸では珍しく、同じ場所にあり続けて、量も腐るほどある。
難点として屈指の凄まじい魔物たちと環境が確実に襲いかかってくることだが。
「それは俺が自分で素材をとって作りました。
俺が提供できるものの一つが、その回復薬です」
「……私の仲間に、これを飲ませろとでも言うんですか……。
何度も言いますが、私は人間であるあなたを信用しているわけじゃない。
そしてそれは仲間たちも同じです。
私は仲間にこれを飲ませないし、仲間も人間が作った薬を飲みはしない。
それに……私たちに必要なのは『回復』ではない……」
苦々しい顔で、つぶやく。
どうも余りテレストさんやその部族?たちのおかれている状況というのは
かなり悪そうだ。ティアルとの会話や、様子からにじみでている。
とはいえ深入りする気は全く持ってない。
ただ千夏の状態を少しでも改善できるのであればそれでよかった。
だからこそ、『回復薬』を出した。
「その『回復薬』は、テレストさん。あなたが飲むために出したものです。
傷を治す効果以外にも、体力を回復させて疲労を減らす効果もある。
本人の生命力を活性化する……という感じだから病気で弱った人には
逆に無理をさせることになって使えないが……。テレストさんにはよく効くはず」
「……少し口に含めてみてもいいでしょうか」
「どうぞ?」
そういうとテレストさんは瓶を手にとって蓋を取る。
すぐに口に含めずまず顔を近づけて臭いをかぐ。するとその直後驚いたように
すごい速さでこちらを見た。
……? なんだ……?
首をかしげるものの、テレストさんは何も言わずに再び瓶に視線を戻した。
そして慎重に瓶を傾けて、手の甲に数滴だけ落とすと、それを口に含めた。
その変化はすぐに現れる。
やつれ気味だった顔から疲れが見るからに取れる。青い血色はそのままだが
心なしかテレストさんから生えた葉っぱも艶が増している。かなりテレストさん自身かなりすっきりした様子だった。
「……すごい。たったこれだけでぐっすり眠った日の朝のように体が軽くすっきりと……。
たったこれだけでここまでの効果があるなんて、なんなんですか、一体これは。
《大森林》……? 師匠すらも知らない素材で、こんなのが世界にあるなんて……。
なんだか力すらも湧いてくるような気がするんですが……」
《大森林》は環境を一定に保ち続けることで、その領域内を終焉の大陸でも
屈指の危険な場所にしている。
が、それとは別に。
《大森林》の葉。それ自体もまた、まるで領域にいる魔物を強くするかのような効果を持っている。それもまた領域内の混沌に拍車をかける大きな要因になっていた。
偶然……ではない。間違いなく《大森林》自身が意図して
そうなるように選択して進化してきたのだ。──生きるために。
そこにどんな意図があるのか、測り知ることはできそうにない。自分を守るために周りにいる魔物を強くしようとしているのか、あるいは飛び抜けて強い魔物を生まないためにあえて混沌とさせようとそうしているのか……。
なんにせよ事実なのは、ただでさえ強い魔物が蔓延る終焉の大陸で
敵になりかねない魔物に塩を送るような真似をしながらも今この瞬間まで生きているということだ。そこには絶対に自分の存在が揺らぐことがないという自信なんて感情を超えた、法則のような確固たるものがある。
やはり、凄まじい。《現象の魔物》は。
その事実が今もまた、現れている。
テレストさんが力がみなぎるように感じるのは、回復薬の効果なんかじゃなく。
ただ単純に《大森林》とテレストさんに差がありすぎて『レベル』が上がっただけなのだから。
「……これを使って『さっさと薬を作れ』、そういうことですか」
すごい言葉を選ばないな……この人……。
まぁ有り体に言ってしまえばそういうことだけど。
「テレストさん。あなたが自分の事情を優先させたい気持ちはわかるし、理解できる。
でも俺も、だからといって諦めるわけにはいかない。当然の話ですね。
そして本来ならどちらかが妥協をするかあるいは争うしかない状況だが
幸運なことにお互いが損をしない、方法がある。俺が提供できるものは『三つ』。すでに『二つ』示したが、どれもテレストさんにとってもプラスに働くはずだ」
「二つ? もう一つはどれですか」
「もう一つは『俺自身(人手)』です。
『薬を作るのに素人を触らせるわけにはいかない』と言っていたが……あなたの前にいる人間は素人じゃない。スキルも【調合】や【錬金術】をもっているし、本職ほどじゃないにしても、ここで人手が増えるのはとても有効的だ」
「……それで三つ目はなんですか」
「三つ目は『場所』です。
テレストさんが作業をするのにより快適で設備が整った効率的で
より都合のいい場所を用意することができる。
少なくともこれまでの環境よりはマシになると思いますよ」
「…………」
テレストさんは余裕がない。それは本人が言った通りだし見たままもそうなのだろう。
そんな彼は最初、この部屋にガラクタのように置かれた魔道具を当てにしていた。
そこからふと、思ったのは、テレストさんはティアルの家の整備を任されているのもあるだろうが、同時に薬を作りに来ているかもしれないということだ。
それなら相当、余裕がないのだろう。
なんせティアルはテレストさんが薬師であることを知らなかった。
薬師であることを知らないのに、そのための何かを用意することなんてできやしない。
いや知っててもティアルがそれを用意してあげるかどうかは怪しい。そこまで甘い人ではない、ティアルも、また。
だがそれでもここまで薬を作りに来ているということは
自分自身が築ける環境と比較して、『こっち』のほうがマシだと判断したということだ。
要するにテレストさんは、薬を作るための碌な場所や設備を用意できていない。
きっと喉から手がでるほど、欲しいはず。
そして俺はそれを用意できる。それも簡単にだ。
なんせ【部屋創造】ですでに『調合室』を作っているし。
【調合】のスキルも、その部屋の構築で手に入れた。
「まぁ俺から言えるのは、これくらいですね」
「わかりました。飲みますよ、その話。
ただ、それでもどれくらい時間を縮められるかはまだわかりません。
具体的にいつ診れるかの明言はできません。ただ最低でも『1日』はかかると思います」
その答えを聞いて少し驚いた。
「随分、あっさり受けるんだな」
俺は確かに十分な利益をみせることができたとおもう。
でもそれは俺の話を信じるならばの話だ。
テレストさんの初対面の時から感じていた感情は、俺の言った事実を虚実に覆すくらいには、理屈を超えていたと思う。正直にいってこれだけ言っても「人間だから」と話を跳ね除けられる可能性はかなり視野にいれていた。
「──あの回復薬から、『竜の気配』を感じました。
それもとても『慣れ親しんだ竜の気配』です。
毎日竜の気を帯びたこの樹海の植物に触れている薬師の私が
気付かないはずがない。
ただでさえ、それを抜いたとしても植物に寄り添って生きる『花人族』として
他の竜の気配をたとえ見過ごしたとしても、『植物の王』の気配を見過ごすことだけはありえません。一体なぜあなたからそれを感じるのかは、あえて尋ねはしませんが……。それよりも決めたからには時間が惜しいです。さっそく作業に移りたいのですが」
「そうじゃのう。
テレスト、秋の言う通りそこへはすぐに行ける。お主は荷物をまとめておくんじゃ」
「わかりました」
そういって、テレストさんは足早に屋敷から出て行く。
窓から少し離れた場所にある小屋が見え、そこにテレストさんが向かっていた。
本来ならあそこで調合を行なう予定だったのだろう。
窓から視線を離すと、じっとこちらを見つめたティアルと視線があう。
「『ドア』を置くんじゃの?」
「あぁ、まぁここらへんが『置き所』だろうな。
春にもドアを置いてほしいと元々頼まれていたし。
……そういえばここはティアルの場所だったな。許可とかは──」
「良い。むしろわしが頼みたいくらいじゃ。
わしも本格的に拠点を移すためにここへよった意味もあったしの。
屋敷の外に【門】でも【ドア】でも好きに置いてよい」
「助かるよ、ありがとう」
「ちなみにじゃが、この屋敷にあるわしの部屋と、秋から借りてる『客室』を
ドアでつなぐことは、例えばじゃができるのかの」
「できるな。他と同じように、【RP】が必要だけど」
前までは【玄関】を通さないと、『内』と『外』をつなげなかったが
この十年で能力のレベルも『18』まで上がり、その制約は無くなって
すきにつなげられるようになった。
「ならお主らが使うのとは別でそれの設置も頼めるかの。
この家ごと持っててもよいが、少し手間がかかりすぎる。
荷物も多いし、つなげてくれるならばそれが一番有難いの。代価なら当然支払う」
そういってティアルは机の上に、大きく膨らんだ袋を置いた。
置かれたときの音は重厚で、相当の重さがあることがそれだけでわかった。
袋の中には大量の金貨と、終焉の大陸の魔物と同じくらいの魔石がゴロゴロと入っていた。
こっちの魔石の価値やお金の価値がどれくらいなのかわからないから
この量が適切なのかどうかが正直いってわからない。ただ少しもらいすぎなような気もした。
「えーっと……。とりあえずまだこっちの大陸の価値とか
把握してないから対価はあとでいいかな」
「いやその程度なら死ぬほどあるからの。もらっていって良い。
もし多すぎたならばあとで何か要望でも聞いてほしい」
「そうか? わかった。じゃあ今のうちにティアルの部屋にドアを置いておこうか」
「すまぬの。この洞窟も屋敷も自由に使うとよい。
2階や3階には本もかなりの数がおいてあるから、それもの」
「それは錦が喜びそうだ。
いや他の皆も喜ぶか」
ティアルの部屋にドアを置いて、屋敷を出る。
ティアルの部屋に置いたドアは、対価ももらったしティアル専用だ。プライベート空間を通って行き来するようなことはしない。
なので大きな荷物を持ったテレストさんと屋敷の外で合流して、再度、ドアを設置する。
ギョッとするテレストさんを気にすることなく、ドアは無機質に現れる。
現れたドアを開ける。
大陸を出てから六日目の帰宅だった。
「我が君よ、お帰りかね」
ドアを開くと、お馴染みの『ラウンジ』の光景。
今日はそこに使用人の『錦』がいるようだ。ドアが作られるのに気づいたのか、すでに側にいて、歓迎するように手を広げて渋い声を顔にぐるぐると巻かれた包帯でくぐもらせながら言った。
「あぁ、ただいま。錦」
「よくぞお帰りになられた。
我が同胞の──使用人の姿が見えないが、役には立てておられるかな。
是非とも奉仕の先駆けとして頑張っていただきたいものだ、千と冬の二人には」
「──うん?」
……千と冬の二人?