第73話 救われる物語
『終焉の大陸がやってきた日』 世界の英雄──童話百選より
争いの無い平和な時代。その村もまた、とてもとても平和な村でした。
ペスタはそんな村の一人として幸せに暮らしていました。
時折やってくる魔物を倒し
壊れた家を一緒に直し
畑が収穫の時期を迎えれば手伝いを
子供にせがまれれば肩にのせ
喧嘩がおきれば真っ先に止めに入る。
そんな風に日々村で暮らすペスタは人々によく頼られ愛される青年でした。
ある日のことです。
その日もまた、いつもと変わらない平和な日々でした。
ペスタは村の人々の中に混じってお昼ご飯を食べていました。
突如、大きく地面が揺れ、驚いたペスタや村の人々は慌てて家の外に飛び出します。
するとすぐにペスタたちはいつもとは違う周囲の光景に気がつきました。空の色が不吉な、真っ赤な色に染まっていました。
さらに昼であるはずなのに、空には二つの月がぼんやりと浮かんでいて、太陽が見えません。
何が起きたのか、驚いて動揺する村人の中、ペスタは月から目を離さずにいるとその様子が少しずつ変わっていることに気がつきました。たくさんの小さな黒い影が、月の背景を隠していくように、徐々に大きくみえはじめていたのです。
それがなんであるのか気がついたときには、もう手遅れでした。なぜならそれはとてもたくさんの魔族や魔物の軍勢だったからです。空を進むその軍勢が、月と被っていた影の正体だったのでした。
見たこともない魔族や、太刀打ちができなさそうな魔物たちの軍勢を、村人たちは村から見上げながら、立ち尽くします。いつもは勇敢なペスタもこの時ばかりは恐怖で心がいっぱいでした。
『人間達よ、聞くがいい』
周囲に声が響きます。
軍勢の一番前にいる、豪華な服を着た男から言ったものでした。
『──私はこの世界を支配するために"終焉の大陸"からやってきた"魔王"である』
「ま……おう……」
「終焉の……大陸……」
「だ、めだ…………」
恐怖に支配された村人達の口から、絶望に満ちた言葉が漏れ出します。
たくさんの魔物に囲まれてもおびえることのないペスタも、この時ばかりは、村人達と同じことを心の中で思っていました。それは魔王の言った中に含まれたとてもとても恐ろしい言葉…………『終焉の大陸』という一言が原因でした。
それは、この世のあらゆる魔族、魔力、魔法。
すべての『魔』を占める、魔の楽園として人々の間で噂され、人間達の中で世界でもっとも恐ろしい場所だったからです。
「う、うそだ! そんなわけがない!」
村人の一人が叫びます。
しかし魔王は、その言葉を笑いながら否定しました。
『では私の配下である魔族を、魔物たちを、見たことがあるというのか?』
そういって自分の後ろにいる軍勢をみせつけます。
魔王の言うとおり、魔族と思わしき人たちも、引き連れた魔物も。そして見慣れたゴブリンですら、自分たちの知っているもの違いがありました。どこか強く、研ぎ澄まされているのです。そんな魔物や魔族は後に『辿魔』と呼ばれ、恐れられるようになるとはこのときのペスタたちには知る由もありません。
もはやペスタや村人たちは恐れるしかないなか。
その様子を見ていた魔王は、笑いながらいいました。
『私たちはやってきた。ついにやってきた』
そのことばは平和な時代の終わりを告げる言葉でした。
『終焉の大陸は今ここにやってきた』
魔王の背後にいる魔物や魔族が、大きな歓声を上げます。そしてそのままペスタや村人達をめがけて動き出しました。
ペスタは村の仲間たちに逃げるよう叫び、剣をとって村人たちが逃がすつもりで一人戦いに挑みました。そしてなんとか、ペスタは村人たちと一緒に逃げ切ったものの、彼らは生まれてからすんでいた故郷を無くしてしまったのでした。
……──パタリ。
本を閉じる。
子供向けの、くだらない物語だ。
本を開いて、読むたびに、嫌なきもちになる。顔をしかめて、内容につける文句がいくつも心に浮かび上がってくる。
それでもただ消費するしかない、ありあまった空虚な時間が、再び本を開かせる。もう何度も読んだ本なのに、同じ事を何度も繰り返している。
主人公のペスタは故郷をなくした村人のために、このあと国の王様と共に魔王の軍勢と戦う決意をする。だが人間はあまりにも弱すぎて、魔王の軍勢に太刀打ちのしようがないことを理解したペスタは、神様の元をたずねた。神様は平等なので人間に対して優遇するようなことはできない。しかし人間に同情した神様は代わりにペスタに『法則』を与えるための試練を受けさせてくれることになった。
法則とは『レベル』だったり『スキル』だったり。あるいはすべての種で交わすことのできる『共通の言葉』など、劇的に世界を変えうるものだ。人間も魔族も、それが良くも悪くも平等に大きく変わる。その望みにかけてペスタは試練を受けた。
当然試練は楽ではない。だがペスタはその試練の中で竜や精霊の力を借りたり、異世界の勇者を仲間にして、試練を見事にこなし世界に法則を加えた。そうして法則が加えられて大きく変わった世界でペスタは魔王よりも法則を上手に使い、最後には魔王を倒した。
やがて村人たちは故郷へ帰ることができるようになった。皆涙を流して感謝をしてくれたものの、すべてが終わったというのに笑顔が戻ることがなかった。それはまた『終焉の大陸』で魔王がまた生まれて、村にやってくることを恐れているからだった。
「確かにそれは起こりえることだ。そして同時にとても恐ろしい」
「ペスタ様でも?」
すでに英雄となった彼に子供が尋ねる。ペスタは子供と目をあわせて大きく頷く。
「俺も昔も今も、ずっと怖くて仕方が無い。だからこそ、ここまで強くなることができた。恐怖の中を勇気と共に前に進むことができたから。怖いことは仕方がない。それでも勇気を忘れるな。勇気と共に歩めば、例え何度魔王がやってこようと人間が負けることはない」
そういって物語は終わる。
──何度読んでも、違和感のぬぐいきれない物語……。
この物語は、知っている。少なくとも題名は同じだ。終焉の大陸から恐るべき魔の軍勢がやってくる。そこも同じ。
内容は、はっきり言って別物だ。
強欲な人間たちは、あらゆる種族と世界の支配に乗り出す。竜と精霊を騙して力を手に入れ、さらに異世界の勇者も使役し、魔族の力すらも奪い取って魔族を圧倒する。
そんな時魔族の元に、終焉の大陸から魔王が見たことも無い魔族や魔物……辿魔の軍勢と一緒にやってくる。バラバラだった魔族がその王の元でまとまり、強欲な人間に抵抗する。
これが『普通』の内容だ。
一番しっくりくるし、一番馴染み深い。
──私たち、『魔族』にとって。
この絵本が人間に主点を置いているということは、人間向けに書かれた本だ。
今居るこの樹海は元々人間の国があり、その跡地を漁って手に入れた本なので当たり前の話だ。要するに視点が変わればそれだけ物の見方が代わるという程度の話でしかない。それでも最初はここまでかわるものかと、衝撃的に感じたけれど……。
だが逆に、どちらも変わらないものもある。人間も魔族も共通して思い抱いていることが、知っている二つの物語を通して見えてくる。
それは終焉の大陸へと抱く『強大』さの強い印象。
その強大さを魔族は崇めるという形で、人間は試練として描いている。しかしその本質はどちらも『恐怖』でしかない。
この世界の誰もが心の片隅に微かな引っかかりを覚えている。『終焉の大陸』という世界最大の不安要素。これまで一度も歴史の舞台に立ったことがないのにも関わらず、でも忘れることが決してできない強大すぎるその大陸を。
大陸の中で終焉の大陸に一番近い、この『南大陸』では、さらにその引っかかりは大きくなる。終焉の大陸に関わる何かが起こったとして、その影響が真っ先に現れるのが南大陸だからだ。海を渡って終焉の大陸からやってきたと思わしき魔物が現れたことも、過去何度か実際に起こっている。そのせいで『来災』という終焉の大陸から魔物がやってくることを差した言葉まで生まれた。
一番近いといっても相当な距離があるし、本来なら魔素の量があまりにも違うため終焉の大陸の魔物がその範囲から進んで出ることは滅多にないとティアル・マギザムード様はおっしゃっていたけれど。運良く終焉の大陸から出るという発想ができた、底辺層の魔物だろう、と。『終焉帰り』と魔族から高く信仰されたティアル様から直接いただけた感謝すべき情報なのだけど、その底辺層の魔物たちが、この大陸にやってきてどれだけの被害をまき散らしたのかを知っていれば苦笑することもできはしない──。
傍らに本を置く。少し雑に置いたためか、小さな石が、じゃりじゃりと擦れて音を立てた。座っている石からとても硬い感触を感じるものの、もうその感触にも慣れてしまった。だからそのまま立ち上がることもなく、膝をかかえた。
どうくつの中。
ぼんやりと光る岩やコケが辺りにはえているおかげで最低限の光がある。
左右には洞窟の道がある。ただそのどちらの道も、続く先は深い暗闇だ。まるで今の自分たちを示しているかのように。
行くも、戻るも、続くのは闇しかない。ゆるやかな、絶望。
左右にある暗い道から、正面にある小さな湖へ視線を戻す。小さな湖というより大きな水たまりといったほうが正しいかもしれない。そこには数匹の魚が泳いでいて、魚は真っ白に塗りつぶされた退化した目と爛れた皮膚のような醜い顔をしている。
『貧民魚』とよばれる魚で文字通り食い扶持のない貧民がすがる魚として有名だ。この魚が今の自分たちの生活を支えている。その事実が自分たちの種族の現状を、これでもかというほど示していた。
最初はその事実に苛立ちを覚えていたが、もはやそれもどうでもよくなってきた。
石を湖に投げ入れ、ポチャリと水がはねる。貧民魚はその石に喰らいついて飲み込んでいた。投げた石が何なのかをこの魚たちはわかっていないのだ。
私たちの種族は、今この瞬間もそうであるように、ゆるやかに死滅していく。
間違いようのない、厳しく、確かな現実だ。
それでもどうしても考えてしまう。今この現状から、救われることを。
魔族でも文化や慣習は住んでいる場所によって少し異なる。ましてや種族そのものが違うならば異なりはどこまでも大きくなる。
終焉の大陸への信仰だってそうだ。魔力の大きさをあがめる種族もあれば、魔物の強さをあがめるのもいる。
だけど私たちの種族は違う。
傍らにある本に目を向けて、一度だけなでた。それはこの本の内容に自分たちの崇めるものが描かれているからだった。
私たち種族が崇めているのは、この本の物語に出てきた、魔族だ。特殊で滅多にその姿を現すことのない『はじまりの魔族』とよばれる存在。その存在を崇めているのは自分たちが魔族で最も弱いからだろう。だからこそかの種族の強さにひかれてしまう。力だけに収まらない本質的な強さに。
その種族ならば、あるいは私たちを──。
『人間だッ!!』
洞窟内で響き渡る声。それは明らかに異常をつげるものだった。ただでさえ青い身体の血の気がひいているのがわかる。
「ここにいたのか……! 人間だ! 人間に居場所が見つかった! くそっ! 『二人』だ……赤い髪の女と奇妙な服を着た白い髪の女……冒険者には見えなかったが……これから一体どうすれば……もう、逃げる場所なんて」
そう、もう逃げる場所なんてない。
逃げて、逃げて、逃げて。
逃避を繰り返して辿り着いたのが、あまりにも私たちの種族とかみあわない環境の、この洞窟なのだ。
やはり、ダメなのだろう。
救いなんて都合のいいものありはしない。
せめて魂だけでも花園へ旅立ち、救われることをもはや願うしかない。
◇
救いを求めていた私たちの元に現れた人間。
これが私たち種族の命運を大きくかえた。
それは間違いないことだ。
そう、振り返ってみて思う。
ただ一つ。もし私がこの時の私に言える言葉があるならば。
それは確実に、忠告の言葉だ。
────これは決して私たちが救われる物語ではない、と。