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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第2章 『つま先のつま先』
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第65話 プロローグ・春夏秋冬



 その『部屋』には、扉がなかった。

 誰もいない、新品のように清潔にされた部屋。


 入り口もないし、出口もない。

 それは扉という意味で収まるものではなく窓も、通気口も、ほんの少しの隙間さえも一切存在しない、完璧なまでに隔絶されていた場所だった。もはや部屋と言えるのかどうかも怪しい。


 でも確かに……そこはそういう『部屋』だった。


 誰も出ることもできないし、誰も入ることもできない。

 しかし問題は、何も無かった。

 その部屋は、そういう部屋だった。




 ────




『灰羽秋』という、男がいた。


 彼はある日、唐突に異世界に召喚された。

 そこに抗いようはなく、半ば強制の形で、生きていた世界を一つ捨てた。


 災難はさらに続いた。

 彼の召喚された場所は本来行き着くところではなく、誤った場所だった。


 そこはあらゆる強者が近づかないと言われる大陸。

 あらゆる災害が、呼吸をするかのように力を周囲に振りまく、『終焉の大陸』と呼ばれる世界だった。


 灰羽秋は、そこにたった一人、身一つで放り出された。


 そんな絶望的状況で。

 しかし、彼は諦めなかった。

 理想を目指して、生きるために、スキルや能力を駆使して命をつないだ。



 ……だがそれでも足りなかった。



 終焉の大陸という世界の『厳しさ』に対して

 あらゆる観点からみて、致命的なまでに『足りなかった』。


 そのことをまるで捨てられたゴミのように、地面に転がって気づいた。

 災害が当たり前のように蔓延る大陸で、なおも『災害』と言うべき暴虐によって。大地にいくつも晒された魔物の死骸と同じように、半身を無くしながら転がって気づいた。


 世界の厳しさが『努力』という生半可なものでは決して届き得ず、足りることがないということを。




 それは生き物としての、『越えられない壁』だった……。



  

 ────




 その扉の無い部屋には、誰もいない。

 そして、『清潔』だった。


 かつて生き物としての壁に当たった男が──

 

 吐いた大量の血反吐も。

 

 身体をいじくり回すために使った器具も。


 自分の身体で検証し実験するために使用した液体も。


 身体を構築するために使った、多種多様な魔物の肉体も。


 様々な色に輝く、力がみなぎった、血糊のついた宝石のような石も──無くて。




 まるでここで行われたあらゆることのすべてを『汚れ』として覆い隠すかのように。

 すべてが徹底的に片付けられて、綺麗にされていた。

 


 部屋には扉がない。

 当然だった。

 なぜならそこはたった一人の男のためだけに作られた『部屋』だから。


 誰も入ってこれずに、誰も出ていけない──それこそが。


 何も問題の無い、部屋だった。

 入る事もなく、出る事もあるべきじゃない。

 使われずにいるべき。そういう部屋だった。




 ──そして。

 


 灰羽秋は、生き物として、越えられない『壁』を越えた。

 それが確かに現象として起こった事実だった。


 彼はやがて徹底的に終焉の大陸へ順応していき、厳しさに対応するように自身を強さで満たしていった。

 それは終焉の大陸に存在する、頂点の魔物と並び立てるほどに。




 灰羽秋は『最強』になった。




 それで話は終わりの──はずだった。







 扉の無い部屋に。

 誰も入ることもなく、誰も出ることもあるべきじゃない。

 使われないでいるべきあるはずの、部屋に。



 『扉』が──現れたのは。



 それからの、出来事だった。



 ◇◇◇







 耳に微かに届く、波の音。

 だけどその音はすぐに萎んで消えていく。

 なぜ波は音をたてるのをやめたのだろう?


 周囲の光景は、まるでその疑問に答えるかのように、広がっていた。



 氷の道を──進んでいた。


 波は、音を立てていた形をそのままに静止する。

 飛び跳ねる寸前の水しぶきすらも巻き込み一瞬で。宙を舞っていた飛沫は、コツリと音を立てて、凍った海の地面に転がる。


 海を凍らせて、その道の上を往くというのは思っていたよりも、デコボコしていて、道としては不安定だった。強引に引き起こしたせいか、波がへこんだりもりあがった形のまま凍りついているのだ。

 



「覚えたかの?」


 真後ろからかかる声。

 それは女性のものだった。平均よりも少し低い気のする声は、風を裂く音の中でも良く耳に届いた。


「あぁ」


 ティアルの方へ視線を向けずに答えた。

 真後ろにいるためティアルの姿は見えないが、密着した身体から、頷いたような振動を感じた。


「ル・ティスミ」


 唐突にティアルは言った。

 その言葉に戸惑うことなく、言葉をすぐに返す。


「春の1月」


「リ・ココリス」

「夏の1月」


「ルコ・コクア」

「秋の2月」


 テンポよく、答えていく。

 ティアルはここで一間あけて、大きめに息をすった。


「リ・ケルニカ、リン・ココリス、ルル・ティスミ、ルン・コクア」


 これまでとは違い、言葉が矢継ぎ早に出された。


「冬の1月、夏の3月、春の4月、秋の3月」


 それでもすべてによどみなく答えきると、「うむ」と満足げな声が届いた。

 腰に回されたティアルの腕の力がほんの少し強くなる。


 どうやらすべての問題を正しく答えられたようだ。だからといって今出された問題は諸手をあげて喜ぶほど高い難易度といわけでもなかった。むしろ簡単すぎて文句をいいたくなるほどだろう──この世界に住む人からすれば。


 なんせ俺が答えていたのは、ティアルの言った、この世界の季節を指す言葉が、どの季節を指しているのかを当てるだけの問題なのだから。本来なら子供でも知っている問題を、出されていたのだ。


 もう一度復習のために、聞いたばかりの話を頭の中で反芻をする。


 『十六ヶ月で一年』のこの世界は『四ヶ月ごとに季節が変わる』とされている。

 前の世界に当てはめていうと


 一月から四月までが『春』──『ティスミ』の季節。


 五月から八月が『夏』──『ココリス』の季節。


 九月から十二月が『秋』──『コクア』の季節


 十三月から十六月が『冬』──『ケルニカ』の季節。


 という感じだ。


 まあこの言葉自体は、はっきりと覚えていなくても春とか秋とでも言えば通じる。

 ただ注意した方が良さそうなのは、この世界の人は『六月』とか『十二月』とか、そういう呼び方はしないということだ。

 

 二月のことを『春の二月』と呼ぶ。

 五月なら『夏の一月』、八月なら『夏の四月』、一六月なら『冬の四月』。


 要するに、この世界で『何月』という言い方は『四月』までが最大なのだ。

 それを越えると季節が次に移り、数字が一に戻る。

 

 これを知っておかないと何月か聞いたときに「秋の一月」と返され、「それって一年でいうところの何月?」みたいな質問をしたとき「(何訳の分からないことを言っているのだ?)」と残念そうな表情を向けられることになる……。実体験なのは言うまでもないだろう。


 ちなみに秋の一月は、前の世界で言うところの九月。『ル・コクア』と言うらしい。


 この季節のとらえ方はどんな場所でも変わらない。もはや季節というより『暦』といっていいだろう。

 しっかりと覚えておいたほうが良さそうだった。



 ──あの日。


 『千夏』を治しきれずに、別の大陸に手段を求めた。

 その日からすでに二回の夜を越えて、今日で『三日目』。

 

 最初は一人の予定だった。


 そのつもりで大陸を出ていったのに、途中で後ろについてくる存在に気づいた。巨大な狼の魔物であると同時に氷の環境魔獣でもある『雹』と、飛んでいる『ティアル』、それに雹が引いたソリに乗った『日暮』だ。


 それから色々あって、現在。

 俺とティアルは雹の背に乗って移動している。


「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」


 雹の足取りは軽やかだ。二人の大人を乗せていることなんて微塵も感じもさせない。

 氷の環境魔獣である雹の力で海を凍らせて、その上を走って大陸から大陸へ渡っていた。

 その速度はとても速く、どんな船よりも速そうだ。


 なんとなく気まぐれに、細く手触りの良い繊細な毛並みをひと撫でする。

 すぐに「バフッ」と機嫌のよさそうな声が前から聞こえてきて、その様子をティアルが見てクツクツと笑った。


「(──本来は、一人で進んだほうが早いんだが……)」


 最初はそうしようとしていたんだが、それをすると氷の災獣である雹の力と、力が被ってしまう。そうやって二重に重なった力は、視界に映る範囲の海を、すべて氷つかせてしまう。その力は海を渡るだけならあまりにも過剰だった。終焉の大陸の影響内である海域ならともかくとして、普通の人が住む大陸までそうやって目につくものすべてを凍らせていくのは良くはないだろう。


 それにティアルはギリギリ大丈夫だったが、日暮にいたってはそれだけで凍死しそうになっていた。


 ならばと、今度は一人で先に行ってしまおうかとも思う。


 だがそうしたらそうしたで、今度は雹が悲しそうに鳴いた。

 乗るというまで延々と、異様に冷たい濡れた鼻で、ペタペタ、ペタペタ。つついてくるのをやめない。

 結局押し負けて、全部を雹に任し、その背に乗って進んで今に至っていた。



「(まあ、結果的には、これでよかったか……)」



 道中、暇だと言って飛べるはずのティアルが雹の背に乗りこむ。そうして話しているうちに異世界の『常識』を教わることになった。これは正直いえばありがたかった。


 日暮がその様子を恨めしそうにずっと見ながら、一人だけ仲間はずれで、雹の引いてるソリにのっているのが若干気まずいが。鞍もない雹の背に乗るのは簡単なようで意外と至難で、彼女のレベルでは振り落とされてしまうのだから仕方が無い。


 とはいえ最初は酔って気持ち悪そうにしてたのに、今では波の形に併せて器用にソリを乗りこなしているのでたいしたものだ。スキルでも手に入れたのかというぐらいの変わり様だ。


「──そうじゃ。

 季節についてなら『魔の季節』については、話しておかねばなるまい」


「魔の季節?」


 ティアルの思い出したような言葉。先ほど教わっていた、季節の続きなのだろう。

 とはいえ『魔の季節』というのは、前の世界でも、終焉の大陸でも。聞き覚えのない単語だ。少しだけ興味がわく。


 ティアルの説明に耳を傾けていく。


 なんでもこの世界には先ほどいった季節とは別に、数ヶ月に一度のペースで、『魔の月』という『魔素濃度が高くなる季節』があるそうだ。


 魔素濃度が高い……それは魔素溜まりが多く生まれやすくなるということで、つまるところ、魔物が多くなりやすい期間を『魔の季節』という。


 その話を聞いて、一つ気になったことがあった。


「魔の季節ね……。

 終焉の大陸にいたころは感じたことなかったけど」


 あのただでさえ極まっている大陸で

 あれ異常に魔物が増えていたらとんでもないことになりそうだけど。


 十年いたんだから、その影響を少なからず観測していてもおかしくないはず。

 しかし思い当たる現象がまるでないのが不思議だった。


 そう言うと、ティアルはすらすらと、疑問に答えてくれた。


「……終焉の大陸にも魔の月の影響は、確かに出ている。出ている……が、あまりにも感じにくいようになっておるのじゃろうな。『1に1』を足すのと、『1万に1』を足すのとでは、違う。一方は自分たちの二倍に感じられ、片方は一万分の一に感じられる。『魔の月』の影響が出やすいのは魔素濃度の低い、安全な地帯じゃ」


「そういうことか」


「それにあの大陸には『魔の月』以上に、魔素に影響を与える魔物がわんさかおるじゃろう。そんな魔物に比べれば、『魔の月』など感じようがあるまい。本来ならそんな魔物、一匹いただけで国レベルの危機的状況を考える、災厄だがの……」


 ティアルが呆れのこもった声で「まぁ、それだけあの大陸が群を抜いて異質ということじゃ」と話を最後にしめた。



「(『異質』……か)」


 閃光のように、『大陸』での日々が脳裏を通り過ぎていく。血の匂いも、切り裂かれた肌の痛みも、魔物の咆哮だって……まるで現実のように思い起こすことができる。この世界に召喚されてからずっとあの大陸で生きて脳裏に刻まれたものだ。


 決して短くない時間を、あの大陸で過ごして生きてきた。

 とてもじゃないが、大陸を出て夜を二回越えた程度で、『過去』にできるようなものではない。



 だからティアルの言葉は──視界の端で高速で過ぎさっていく氷の道のように。

 自分の中に何も残さず、ただ、通り過ぎていった。



 トントンと、肩を叩かれる。

 後ろを伺うように首を後ろに回すとティアルが「見てみよ」と、ある方向に向かって指をさしていた。


 その指は少し離れた上空をさしていた。

 目を向けて見てみると魔物の群れが、ぷかぷかと浮遊しながら、ゆっくりと空中を進んでいるところだった。


「あれは『ウミチカ』の群れじゃ」


 『ウミチカ』と言うらしき魔物は、二枚の紙を合わせて、その間に空気をいれて膨らませたような形の魔物だった。

 ちょっとエイに似ている。元の世界と比べれば珍しい部類だ。しかし終焉の大陸で多種多様な、それでいて化け物じみた魔物たちを見ているからか、その魔物に対して特別な何かは感じなかった。

 ただティアルのことだから、これで終わりでは無いのだろう。


「それで?」


「あの魔物の口元が見えるかの?」


「……なんかパクパクしてるな」


「そう……あの魔物は今まさに『捕食』をしている。

 空気中にはの? 『精霊素』という目に見えないほど微小な精霊が漂っているのじゃ。あやつらはそれを食べて生きる魔物じゃ。『ウミチカ』自体は魔石も小さいし、戦う力も全くない、毒にも薬にもならぬ魔物だがの。しかし環境を推察する『指標』にはなる」


 そういうと、ティアルは空中へ向けていた指をゆっくりと下げていき、今度はそのまま海面を指さした。


「見ておれ」


 ティアルの指の先をおって、言われた通り見ていると、少しして海面に『渦』が現れた


「どんどん範囲が大きくなっていくな……。不思議なのは──」


「渦の中心が盛り上がってる事じゃの?」


 頷く。


 不思議に思ってそのまま見ていると、盛り上がった渦の中心部分から、はち切れたように空中のウミチカめがけて水がとんでいく。それは海から柱が伸びたみたいな光景だった。

 ウミチカはジタバタと慌てて身体を動かし、寸前のところで海の柱から逃げていた。


「……ウミチカを捕食しようとしているのか?」


「と、思うじゃろう?」


 どうやら違うらしい。もう少し観察を続ける。


 海中から伸びた柱は、『伸びたまま』の状態を維持していた。あれが『攻撃』なら、少なくとも避けられている攻撃をそのままにする必要はないはずだ。


 ぴちゃり、と。


 柱の真ん中で水しぶきがあがる。

 その一瞬の光景を、見逃さずに目撃していたおかげで、この光景の意味がわかった


「あの柱も、精霊素を捕食するためのものなんだな」


「ふふふ、そうじゃ。あれには海の巨大な魔物の稚魚が伝って泳いでいる。親が海中から魔法で水柱を作り、そこを稚魚に伝わせて、精霊素を捕食させておるのじゃ。まぁ、ある意味の漁じゃの」


 水の柱は衰えるどころか、本数を増やして、周囲一帯にいくつも同じ光景を作った。かつて終焉の大陸で見た水の災獣の起こす環境の変化に比べれば、柱の太さも水の勢いも、比べるのもおこがましいほどに劣ってしまうが──


 ただティアルの言いたいことは、そういうことではない。

 なんとなく分かってきた。ティアルは季節を教えるのと同様に、『常識』を教えるためにこの光景を見せているのだと。


 やがて海面に稚魚とは別の魔物が現れはじめていた。


「稚魚を狙って現れた魔物じゃ。逆にその魔物を狙って空に魔獣が来ておるな」


 いつのまにかたくさんの魔物が集まっていた。

 最後に締めくくりとばかりに、海面に巨大な陰が映る。これまでで一番気配の強い魔物だ。おそらくあれが水の柱を作っていた、稚魚の親の魔物なのだろう。


 その魔物は口を大きく開けて、すべてを口の中にいれた。

 飛んでいる魔物も、稚魚を狙ってやってきた魔物も。そして──稚魚すらも。


「おかしい魔物じゃろ」

 

 そう言って、けらけら笑うティアル。

 

「あの巨大な魔物の体内には、稚魚だけが通れるような、細くて狭い通り道があるのじゃ。そこを通って稚魚だけは飲み込まれても外に出られるようになっておる」


 精霊素が稚魚に食われ、稚魚が魔物に狙われる。

 その魔物を狙った空の魔物も稚魚を狙った魔物も、すべて稚魚の親に食われる。

 そうした魔物の生態の光景を目にしながら、ティアルは言った。


「秋……。目の前の光景こそが『常識』。

 わかるの? おぬしにも必要じゃろう……」


「……そうだな。必要だな」


 今ティアルは、この光景を通してこう言いたいのだ。


 『これが普通だ』──と。

 その光景を俺に見せることそのものが、その言葉だ。

 それは同時に『終焉の大陸がどれだけ異常なのか』を示したものだった


 生態系を築く暇もなく環境が塗り替えられることも、災害と災害がしのぎをけずるように争いあうことも、そんな災害が稚魚のように死んでいくこともない。終焉の大陸はもっと『普通じゃ無い』し『真っ当じゃない』……自分以外にとっての『普通』を見せられそのことをようやく理解しはじめた。



 本来なら常識のその光景を。

 その当たり前は俺にとっての当たり前じゃないから。

 ティアルも元々は終焉の大陸にいたから、似たような感覚に戸惑ったことがあったのだろう。その事を感じる配慮だった。


「(──そうか)」


 今も氷の道を休みもせずに、終焉の大陸とは真逆の方向へ走り続けている。


 実感を感じずにここまできた。

 だけどもう感じざるをえないところまで来ているのだろう。


「(俺は『終焉の大陸』を、確かに出たんだな)」




 意外と──。




「(……こんなものか)」

 

 終焉の大陸をでてどんなことを思うのか気になったこともあったけど

 実際出てみて思ったのはその程度のことだ。

 沸き立つ感情はあまりない。もしくは全く無いのかもしれない。


 感慨が沸くほどのことでは無かったのか?

 感情なんてもうとっくに無くなってるのか?

 

 ただ全く何も感じていないわけでもなかった。

 終焉の大陸を出た──その事に対して明確に感じていることがたった一つだけあった。その感覚はずっと頭にこびりついて離れずに……もしかしたらそれが原因なのかもしれない。


 そんな風に他人事のように思った。





 傍でティアルと日暮が、横たわった雹のおなかに潜り込むように横になっていた。

 その姿を火と月明かりだけがぼんやりと照らしている。


 さすがに一日中走り通しとはいかずに、夜は氷の道の上で身を休める。

 千夏を完治させるという目的を考えれば、あまり時間に余裕がある旅路とはいかないが、とはいえ急いだところで手段に宛てがあるわけでもない。ならば出来るかぎり急ぎつつ温存するという選択を取るのが無難だった。


 実際のところ【部屋創造】でドアを出せばすぐに居心地の良い場所へと帰れるが……。

 こんなすぐに溶ける氷の上。しかも海のど真ん中に。『RP』を消費してドアを置く気にはならなかった。


 火を、一人で見つめていた。


 闇が溶けたような不気味な海面も、青色と紫色をそれぞれ放つ二つの月が照らしてずっと見つめていたいほどどこか幻想的な光景だけど。でも今は、たき火のゆらめく炎を見ていたい気分だった。


 ──静かな夜だった。


 終焉の大陸の夜に比べれば無音に等しい夜。

 『外』なのに『平穏』というのは、もうここ十年ばかり体験していない出来事だ。

 だからか、夜は決まって、夢でも見てるかのように心が浮ついた。


 心もそうなら、終焉の大陸に馴染みきっている身体もそう。

 ほんの少し身体を横にしようとしただけで、感覚があまりにも敏感になって、海の中の魔物の気配や飛んでいる魔物が揺らした空気の動きが気になって仕方が無くなる。別に眠るつもりすらなくとも、これだった。


 だから夜は、開き直って朝まで起き続けている。

 元々必要ないのだ。休もうと思えば寝なくても休める。それに警戒もついでに兼ねることができるし。


 【漁場】の釣り竿でも持ってくればよかったな。異世界の釣りには元々興味があったし、それなら多少は時間もつぶせただろう。

 【ラウンジ】の大量にある一人用ソファを持ってきていたので、居心地が多少マシなことだけが唯一の救いだった。


 そんな風に、意味のないことをずっと考え続けていた。


 まるで引き寄せられる思考から、逃げるように。

 でも無駄なあがきは長くは続かずに。


 ここ毎晩そうであるように、脳裏にこびりついてやまない感覚が今日もよみがえる。

 ゆらめく炎に映し出される光景。

 あるいはそれは瞳の中に映し出されているのかもしれない。




 『扉』が──開いていく。

 それは本来なら二度と開けないはずの『扉』を開けて

 入った『部屋』での出来事だった。



『ぁ──』



 声が聞こえる。

 いや……。



『あ゛ぁ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁああ゛ああ゛あッッ!!!』



 声なんて、生ぬるいものではない。

 張り裂けそうなほどの、絶叫だった。


 血を何度も吐き出して。

 ガチャガチャと、身体を拘束している器具が音を鳴らす。

 

 ほかに手段は無かったのだろうか。

 すでに『少女』へ施してしまった今でも、疑問に思うことがある。


 そのたびに結論は同じ。

 まるで運命が元々決まっていたかのようにそれ以外の手段が無かった。


 腕が千切れたりしたくらいの傷ならば【治癒魔法】や《大森林》の葉で作った回復薬が使えるというのに、どちらもが前提として多少の『生命力』を必要とするものだった。


 風前の灯火すらも超えて、弱さの限りを尽くしたような少女に

 そんな前提となる『生命力』を求めることはできるはずもなかった。


 そもそも前提から致命的だったのだ。

 少女が傷つきすぎていたのと同じくらい、治療を施す側にも問題があった。


 灰羽秋には自分の身体を治癒して再生するスキルは、いくつももっているというのに。 『他人』を治すことのできるスキルに限って、あまりにも数が少なくて未発達だった。

 そんな状況で手段を選べるはずがない。



 だから選べたのは、『自分にも施した経験があり』なおかつ『人に施すことのできる』手段だけだった。



 それが明らかに人のやっていい領域を逸脱したものだったとしても。

 選べる選択肢がそれしかないのであれば、ためらいはなかった。


 それでも『最悪の事態』は避けるつもりだった。

 少女を治せずに死なせてしまうことの次に

 起こってはならない出来事。

 


 ──【種族】が『変わってしまう』ことだけは、避けなければならない……と。



 そのための最善を尽くした。

 実際その最悪は物理的に起こりえないことを、治療の事前に確認していた。


『【鑑定】』


 だけど念のため、治療中はずっと少女に【鑑定】をかけ続けていた。



 魔人族 LV27


 種族 魔人族


 職業 ???


 スキル

 環境適応 LV1

 虚弱 LV2

 悪食 LV2


 ユニークスキル

 【      】




 治療は順調だった。

 手応えがあって十分に一命をとりとめると感覚で分かった。


 そして、そういう時なのだろう。


 幸運と凶運の──女神が笑う瞬間というのは。

 実際それは、そうとしか思えない出来事だった。



 少女の心臓部分が突如光に包まれる。

 それは『ただの光』ではなく──『虹色』を帯びた光だった。


 ありえない、という言葉がのど元まで出かけた。


 それほど限度を超えた、異常事態だった。

 だけど事態を確認するのが先だと言葉をのみこんで

 【鑑定】で少女の『ステータス』を目に入れる。


 やはりというべきか。

 『ステータス』に『変化』が起きていた。



『…………ッ』


 苦渋に顔がゆがみそうになる。

 それは事前に想定していた【種族】で起こった変化では……なかった。


 エラーを起こしたシステムが、正常に戻っていくかのように。

 その──【ユニークスキル】は発現した。



 【      】



 ──そのスキルには、見覚えがあった。



 【あ?の % 】



 ──少女と出会った理由に、心から納得をした。



 【運?の$浪 】



 その【スキル】は『少女』のことなのだろうか。

 それとも──少女の命を背負ってしまった『自分自身』の事なのだろうか。



 答えはわからない。

 ただどうしようもなく、この【ユニークスキル】を見た時からある『感覚』が頭をよぎって、仕方が無かった。 



 それは『予感』だった。




 マ人族 LV27


 種族 %人族


 職業 ???


 スキル

 環境適応 LV1

 虚弱 LV2

 悪食 LV2


 ユニークスキル

 【運命の放浪者】




 これから何が起きるのかわからない。

 でも何が起きようと決してそれは『生半可』ではなく。とてつもない、大きな出来事になる。

 そんな漠然だが確信を感じる『予感』を。



 少女の治療は成功した。

 想定以上に、最も、最悪な形で。

 




「(それなら、それでいい……)」




 たき火は、とっくに燃え尽きていた。

 少しずつ白んでいく空模様をみて、ソファから腰をあげる。

 朝ご飯をまず先に作っておいて、それからティアルと日暮を起こすことにきめた。



 ──『予感』を感じていようが。

 ──最悪が起きようが。


 関係がなかった。


 何が違うのだろう。その最悪は、その大きな出来事の予感は。

 これまで生きぬいてきた──『終焉の大陸』と。

  

 なんであろうと。

 ただ強く生きて、進む。それだけだった。



 これまでと変わるものなど──何もありはしなかった。



 その日も、氷の道を進み続ける。

 進んでいればやがて終わりがくる。

 旅路が合計で五日目に入った日のことだった



「見えてきたの」


 走っている雹の背中から身を乗り出したティアルが、弾んだ声で言う。

 水平線から高い崖とその上で豊富に茂った緑が目に入ってきた。

 その光景は時間が経つごとに、近づいて大きくなっていく。


 別の大陸の──姿だった。


「ようこそ、というべきかのう、秋よ」


 ニヤニヤとティアルが口にする。 

 しかしすぐに真面目な顔に戻して、見えてきた大陸をみて言った。



「『南シープエット大陸』南部を覆う、広大な大樹海。

 南大陸最大の秘境にして最大の魔境といわれるその名は──『ケルラ・マ・グランデ』」


 

 この日、別の大陸へと上陸を果たした。


大変申し訳ありませんでした。

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― 新着の感想 ―
久々面白い設定の作品見つけてここまで読んだけどふわっとした話しが多くて困惑してる。 大陸の外に出て物語が盛り上がって行く事を願います。
[気になる点] 「稚魚を狙って現れた魔物じゃ。逆にその魔物を狙って空に魔獣が来ておるな」 と、ありますが『魔物』と『魔獣』の違いってなんですか?
[一言] とりあえず65話まで読んだものの、抽象的な話や主人公不在が長すぎてダレる 一応最後まで読むつもりではいるが、どうなることやら
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