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第63話 無能エピローグ ③

※同日更新があります → 第62話・第63話。

 62話の方から読んでいただけると幸いです。



 『冬』という名前をもらい、部屋の世界に加わった。

 それは灰羽秋が恐ろしいまでの致命傷を負って自らの体を改造し、長期間のリハビリを経て、

 再び外の世界に足を踏み入れ、三人目の彼女と出会った頃の話だ。


 だから部屋の世界と言っても……その頃はまだ"領域"すらも無く。

 現在に比べて、部屋の中はまだまだ狭くて、住人もいなかった。


 たった四人しか、その世界にはいなかった。


 そして逆に言えば。

 それからゆっくりと部屋の世界は少しずつ、広がっていくことになる。


 だから──この言い方はとても、自分勝手で、傲慢かもしれないが。

 それを承知で、あえて言ってしまえば。


 この時から始まった。


 部屋という世界は。

 部屋ではなく、世界へ。

 部屋と世界を兼ね備えた性質のものに、ゆっくりと、変わり始める。


 四人目の自分。

 さらにまた、五人目、六人目、七人目と増えていく中で。

 それはまるで無から形作られていくかのように──







◇◆◇




「どうすれば秋と契約できる?」


 部屋に居着いた当初の頃。

 戦う力の無い自分に出来ることはあまりなかった。


 秋からも外に出るなと言われていた自分は自然と部屋の中で仕事をしているという春にくっ付いて回るようになっていた。秋と契約してもらうためには役に立つところを、見せなければならないからだ。だからその日も二人が外に出ていて、部屋に残った自分たちは部屋の中の仕事をこなしていた。その最中にふと尋ねた言葉だった。


「…………」


「……聞いてるのか?」


「それが人に物を尋ねる態度ですか?」


 淡々とした口調。


「うっ……」 


 辛辣な答え。

 

「能力もない、知識もない、常識もない、力もない、体力もない。おまけに態度もなってないとくれば、本当に『無い』のオンパレードという感じです。無だから、なのでしょうか。無だからそこまで何も無いのでしょうか」


 胸を抉る言葉。

 

「ひどい……」

 

「あなたがこの部屋の外が何の場所なのかさえ知っていれば、私たちにとって有益だったというのに」

 

 ため息まじりに、言われ、さすがに言い返す。


「仕方、無いだろうっ……! 召喚されてもほとんどすぐに戻されたから、知りようが無かったんだ……! それにこんな、恐ろしい場所なんて聞いたこともない。そもそも同じ世界かどうかも、怪しいじゃないか……!」


「ええ、そうですね。あなたがいうようにきっと、仕方が無いことなのでしょう。

 おや、ここにも『無い』がありますね。仕方がない。仕方すらも、無いだなんて。流石、無の精霊というべきでしょうか。ここまで自分が無い事に徹することができるなんて、心から尊敬致します。やはり能の方も、無いのでしょうね」


「うううううぅぅぅぅう…………ぐず」


「ただいまーって。冬、顔ひどいぞ?

 ぐずぐずだ。はぁ。また春か」

 

 

 秋達のおかれている環境と事情は、過ごして行くうちに自然と知っていく。


 別の世界からの召喚、能力で作られた住居、化け物が蔓延る世界。


 はっきり言って自分の預かり知らないものばかりだった。

 能力で作られた住居は、能力という存在も、こうした常軌を逸した類いの能力があることも把握していたが、別の世界から人間が召喚されることと化け物が蔓延る世界については全く自分の知識とつながらなかった。周りの環境を変えるなんておぞましい魔物なんかは特にだ。本当に自分の知っている世界と、同じ世界なのかすらはっきり言って疑問だった。


 だから情報において自分はほとんど全く秋達の役には立たなかった……。

 秋は「そうか」と何事もなさそうにうなずいていたが、内心ではがっかりしていたかもしれない。残念だ……。こんなことならもっと召喚されたときにいろいろなことを知っておけばよかった……。


 そんな中、唯一知っていたのは秋と『三人目』が出会ったときに起きた"現象"のことだった。

 聞いてすぐにピンと来た。生まれたときから知っている知識だ。自分が生まれたときから知っている知識というのはだいたいが『世界の法則』に結びつくようになっている。きっと生まれてから、精霊がすぐに活動できるようにするためだと思っている。


 でもまさか、こんな化け物じみた世界でも自分の知っているそれと同じように、"起きてしまう"だなんて。そういった意味ではやはりそれもまた知識外の出来事であり、自分は彼女がどういう存在なのかを知って感じたのは結局のところ──末恐ろしさ、だった。








 そして生活の方にも、ゆっくりとなじんでいく。



「……本当に行くのか?」


「早くしてください」


「これ行っちゃいけない奴だろう!」


「何を言っているのですか。ただの【農園】です」


「…………草がびっしりと蠢いているんだが」


「【農園】です」


 ガチン、ガチンと。

 巨大な葉についた口が餌を待ち構えるように歯と歯を当てて音を鳴らす。

 そろりと手を伸ばし、葉を触ると。


 ガチン、ガチガチガチガチガチガチガチ──。

 ほかの葉っぱも触発されたかのように一斉に歯を鳴らし、あまりにも獰猛な合唱が巻き起こる。


「嫌だ嫌だ怖い怖い怖い」


「はぁ……これでは秋様と契約だなんて一生かかっても無理そうですね……」


「うっ……それを言われると……」


「奥の奴をお願いします」


「うぅぅ……うわぁぁぁぁ!!」



 その日の夜。

 身体中歯形だらけの自分を見て秋が呆れた表情をしながらも、死ぬ思いで取ってきた食いしん草という葉が使われた料理を食べて春以外の二人とも「おいしい」と言ってくれた。それが嬉しくて、春に仕事をどんどんほしいと自信満々に言ったら後日農園とはまた違う場所へ連れていかれた。


「【牧場】です」


「ここは本当に拙い気がする」


「さっさと行きますよ」


「ここは本当に拙い気がする!!」


「はぁ……、秋様と契約は……」


「行けばいいんだろうっ! ぐぅぅぅっ!!」


 その日の夜。

 結局何もとれずに生息している動物に叩きのめされた(ちなみに動物とは異世界に生息している生き物のことだ)戻ってきた秋にぐずりながら傷を治してもらう。その最中、まるで咲いた花のような笑い声が、いつものように飛んでいた。




「新しい部屋を作ろう」


 ある日、秋が唐突に言った。

 その日は全員予定を取り消して、ラウンジで四人集まった。

 

「春」


「了。【部屋創造】──【部屋作成】……作成致しました」


 唐突にドアが目の前に現れる。

 これが秋の能力、【部屋創造】か……。

 意外と地味にというか、ぬるりと作られる。その効果の絶大さは自分にも理解できるが。


「冬。開けてみてくれ」


「えっ。じ、自分がか……?」


「うん」


「じゃ、じゃあ」


 緊張しながらドアを開けると、その先は『海』だった。


「へえ、またよく出来てるな」


 後ろからのぞきこむように、部屋の中を見た秋が、言う。

 唖然としながら秋に尋ねた。


「これは……?」


「【漁場】」


「海にまっすぐ続く橋しかないが……」


「うん。でも【漁場】」


 なんだろう。話している人物は違うのに、まるで普段からしている会話のようだ。身体が少し震えたのは、なぜかなのか、あんまり考えたくない。

 とりあえず全員で中に入る。春と秋が部屋の中を確認する脇で、自分でないはしゃぐ声を耳に入れながら、ふと目についた網と棒に糸と曲がった針のついた道具(釣り竿という道具らしい)を見つけ春と秋に報告した。


「なるほど。こういう感じかぁ」


「冬──」


「秋! 春にやらせてみよう!!」


 こういうタイプの部屋で痛い目にあってきた自分は、春の言葉を遮り、秋に前のめりで提案した。

 秋が呆れるというか、いっそ逆に関心するみたいな感じで答える。


「よく言えたなぁ、冬。俺が冬なら多分、言えないよ……。怖くて。

 どうする? 春」


「ええ、いいでしょう。元々部屋の点検、機能確認は私の役目ですので」


 すぐにそう答えた春は、押し付けられたというのにも関わらず、涼しい顔で片手に釣り竿を手に持った。その飄々とした態度に、ちょっと負けた気がして悔しい。

 ポチャリと釣り糸を投げ込む。


「かかりました」


「早いな」


 投げ込んだ次の瞬間には獲物がかかり、糸が引かれた。

 春は片手にもった竿を軽く引いて──


 音を立てて釣り竿が折れた。


「…………」


「…………」


 釣り竿の折れた、春の手に握られていない方の部分が、軽く水滴を飛ばしながら海に落ちて沈んでいく。


「なるほど。理解しました」


 残った釣り竿の残骸を見つめながら、春は一人納得顔でうなずく。


「どうやら、【備品】に『RP』を割かなければならないタイプの部屋のようですね。分類では【牧場】よりも、【農園】に近いでしょうか。ただ獲物は生息しているようなので完璧に【農園】と同じとは言いがたいですが。秋様、『RP』を使用し【備品】を補充してもよろしいでしょうか? 円滑に部屋を使用するには必要になると思います」


「あぁ、いいよ。

 今、結構『RP』に余裕があるし」


「ありがとうございます」


 会話を終えると、春が、空中に向かって指を動かし始める。何をしているのか、さっぱりわからない。能力の使用者にしかわからない、何かがあるのだろうか。

 春が操作を終えると同時に、先ほど自分が釣り竿を見つけた場所に、網と釣り竿がまた現れた。先ほどのやつよりも見た目からして、作りがよくなっているのがわかる。

 新しく現れた釣り竿を使って、再び挑んだ。


「かかりました」


「……その釣り糸垂らしてすぐにかかるのは仕様なのか?」


 秋が呆れ混じりに尋ねる。


「どうなのでしょう。今後検証する項目にあげておく必要がありますね。

 ……釣れました」


 難なく、一匹目の魚が釣れる。

 自分たちの立っている橋の上に無造作に魚が放り出される。


 これが魚か……。ちょっと気持ち悪いな。

 初めて見るピチピチとはね続ける生きのいい魚を全員で覗き込んだ。


さけ……か? 鮭っぽいな……」


「【鑑定】してみてはいかがでしょうか」


「…………うん、鮭だ。

 まあ、想定はしていたけれど、でも、異世界で鮭か……」


 微妙そうにつぶやく秋。


「というか【鑑定】してみると、牧場の動物と同じように魚にもランクがあるな。この鮭は『C1』だ」


「それに関しては心当たりがあります」


 淡々と会話をし続けているが、その間も春は次々と魚をつり上げていた。

 全部同じ種類の魚だ。橋の上に魚の小さな山ができそうな勢いなのをみて、「すごい釣れるな」と秋もどこか関心するように見ている。


 はっと、する。


 ……これは自分向きかもしれない。

 牧場の動物や、農園の意味のわからない植物のように、襲われる心配もない。

 涼しい顔して春も釣っているし、これなら自分でもできるはずだ。


 何よりも面倒ごとを春に押し付けたつもりが、春自身のアピールにつながっていて、これでは損しているのか得をしているのかわからない。秋にいいところを見せないと契約をしてもらえないじゃないか!

 春に負けられないと、意気込みながら言葉を口にする。


「次は自分がやる!!」


「そうですか。それではどうぞ」


 春から渡された釣り竿を受け取る。ひまわりのような、楽しさを隠そうともしない声が秋に、新しい竿を求めていた。秋は逆らうことなく、新しく別の釣り竿を作成して渡している。


「ていっ!」


 春の見よう見まねで、釣り糸を垂らす。初めての事だから少し胸が高鳴る。


「……かかった!」


 春みたいに入れてすぐにとはいかなかったが、少し経って獲物がかかった。

 たしか、この後──と春のしていたことを思い出しながら竿を引く。

 このまま、海の上に魚をあげれば──。


「へ?」


 前に、一歩足を踏み出す。

 いや、ちがう── 踏み出させ、られたのだ。

 釣り竿の先にいる魚に自分は引き負けていた。


「えっ、ちょっ、重っ。重っ!

 これ尋常じゃないほど重い!!」


「重いのか……?」


「ええ、私は平気ですが従来の魚の重さに比べるとかなり、重たいです。

 『牧場』の動物たちは質が『強さ』で決まるのに対して

 どうやらこの『漁場』は質が『重さ』で決まるようですね」


 そういうのは先に言ってください!!


「なるほどなぁ。やっぱりそう、素直に取り放題ってわけには、いかないか。

 あ、冬──無理そうなら釣り竿放したほうが」


 秋の言葉が遠くなっていく。

 それから一瞬、音が途絶えた。

 海に落ちたのだ。魚との引っ張り合いに負けて。


 最悪だ。

 泳いだ経験がない自分は当然のことながら、溺れる。


「た、助け……ごぼぼ」


「ほら、冬掴まって」


 秋から伸ばされた手をなんとかつかむ。

 その直後。

 右足に、まるで巨大な鉄球を結びつけられたかのような、尋常じゃない重さが加わる。

 魚に右足が咥えられた!!


「み、右、右足が、魚に!」


「……半端ない重さだな、これ。シャレにならないというか

 ちょっと…………マズいかも」


「えぇー!? いた、いたたた、身体がひきちぎれる!!」


「やっぱそのまま引っ張ると、魚の重さと俺の引く力に、冬がもたないな……。春」


「仕方ないですね」


 秋に代わって春が身体を持って支える。心なしか秋よりも持ち方が雑だ。

 というか痛いというのに、ちょいちょい引っ張ってくるのは、わざとなのか。

 手が自由になった秋は、ぐっと水面に近づき片腕をそのまま、肩まで浸かるほど海に突っ込ませた。その直後、足にかかる重さが大分やわらぐ。きっと直接秋が魚を掴んだのだ。


「春、あげて」


「了解致しました」


 そのまま一気に橋の上に無造作に放り投げられる。

 扱い方が先ほどつり上げた魚と一緒だった。


 放心したように橋の上で寝転がりながら思うこと。

 それは──この部屋の中は、ヤバいところばかりだ、という教訓だった。

 絶対もう忘れない。深く胸に刻み込む。


 起き上がり、春と秋のほうへ視線をむけると二人とも不思議そうに一匹の魚をみていた。

 さっきまで自分の右足にいたヤツだろう。


「種類が違う。鮭じゃないなこれ……【鑑定】。

 かつお、らしい。ランクも『B1』で鮭よりも一回り高い。あとで食べてみよう」


「さっきまで同じものしか取れなかったのに、何か違いがあるのでしょうか?」


「取り方が違うとかか?

 いや、単純に、餌の問題かもしれない」


「なるほど。餌を変えることによって取る種類を変更することができるのかもしれませんね。今後鰹がほしいときは冬を餌にすればいい、と」


 え、餌…………。

 なんて、ひどい会話なんだ。


 溺れかけたというのに冷静に分析を続ける二人の側で、自分はがっくりと脱力し死んだようにその場で転がった。それから気力が戻るまで数時間かかった。









 …………こうして、思い返してみると、碌な思い出がないが。




 召喚されてから部屋の中で過ごす日々は、毎日が新鮮で驚きがあって。

 厳しいこともあるがそれでも、自分にとって楽しく過ぎていく。

 


 人には家族という特殊な人との繋がりがある。

 それは自然から生まれる精霊には一生、縁もなく、理解もできないものだとおもう。

 でも──このとき感じていた暖かいものに包まれたような日々を、自分は家族のそれのようだと、勝手に想像していた。それを家族というには、あまりにも、奇妙すぎたかもしれないが。



 もちろん、秋と契約をするという目的も忘れてはいない。

 どうすれば、役に立てるのか考える日々の中で、そうなったのは自然のことだろうか。



 "領域"というものが部屋の中に出来始め、それが徐々に広がりを見せていた頃。

 使用人の数が一人加わり二人になって。さらにそれから、また新たに一人加わって三人になったころの話だ。



「おかえりなさいませ、秋様」


「あぁ、ただいま…………って、冬か?

 どうしたんだ、急に、その口調」


「やっぱり主となる方には、敬意を払う必要があるかと私は思ったのです!」


「私って……。

 いや、別に……。元のまんまでいいよ。仰々しいし」


「いいえ、やめません! 決して!」


「うーん……なんか気持ち悪いけれど。

 そうしたいっていうなら、まあいいか」


 秋の役に立つにはどうすればいいか。

 その事を考えると自然と、頭は春の事を思い浮かべた。


 その理由は春を観察するようになってから気づく。

 目的は違えど、春が同じ意思を──秋の役に立ちたいという思いを持っているからだ。


 悔しいが秋の役にたつという観点ではこの場所で春の上に立つものはいない。


 だが逆にいえば春のしていることは、とどのつまり、秋の求めるものにつながってくるのではないだろうか。その事に気づいた自分は、その日から自分より先にいる春を真似し始めた。そうすれば秋の役に立てるようになるのではと、そんな安易な思考から。口調もまたその一つだった。


 秋は気持ち悪がっていたけど、不思議としっくりくるというか、自分が自分じゃない感じがして心地がよく、自分にあっている気がした(あの心をえぐるような言葉がない分、口調に関してはきっと、自分のほうが上だ)。





 そしてそれからまた少し時が経ち──ついに秋と契約をすることになる。




 しかしその理由は……。

 残念ながら『役に立つ』という理由よりも、どこか同情めいた理由だった。



 なんせその時は、自分が大きなドジを踏んで、秋や部屋のみんなに迷惑をかけ、いじけていて、挫折しそうになっていた頃だったからだ。

 その頃はよくもう無の空間に戻ってしまおうかと膝をかかえて思い詰めていた。


 そして確か


『やっぱり無にいたほうが幸せなんだ』

 

 そんな言葉をつぶやいたのだ。


 それはでも、心の底から思った事だった。

 何をやっても、あまり結果につながらなくて、外で魔物と戦うときだって何の力にもなれない自分。

 役に立つどころか足を引っ張ってるんじゃないかと思うことなんて、たくさんあった。


 足を引っ張るから。

 力になれないから。


 その場所で生きるのが好きになれば好きになるほどそうした思いが強くなっていく。

 誰もいないから誰にも迷惑をかけない、無の空間で一人いることが自分には一番向いていて、それが一番幸せなのかもしれないと──。


 そんな思考が、ついに言葉になり、確かに世界に存在してしまったとき。


 ──『契約しようか』と。


 秋に、言われた。


 それはたぶん同情が理由だとおもっている。

 役に立たない自分を、部屋においておく理由が秋達にはないから。

 それでも優しい秋は、そんな自分を部屋におく理由を作ってくれるために契約をしてくれたのだ。


 確認はしていない。怖くて、できなかった。

 でもきっとそうだと思う。


 あれだけ、見栄をはっておきながら。

 結局自分は、役に立つからではなく、そんな情けない理由で秋と契約を結んだのだ。

 そうと頭で分かっていながらも、やっぱり秋と契約したいから、断らずに契約してしまう自分が、また卑しくて嫌になる。


 だから自分は、契約のとき誓ったのだった。


 秋の役に立とうと。

 秋の力になろうと。


 いつか自分と契約してよかったと。

 そう、思ってもらうために。










 

────────……





──────……





──……







 ──────少女の泣き声が聞こえる。







 ……いや、違う。




 泣いているのは、私だ。



 まるでこの場所に初めて召喚された、あの日のように。

 みっともなく、縮こまって蹲って、顔を地面に押し付けて泣いていた。

 あの日の涙は恐怖と自己嫌悪だった。

 このときは、そのどちらでもなかった。


「いつまで泣いているのですか?」


 声をかけられる。

 その声が誰にものなのか。

 そこにいるのが誰なのか。

 顔を上げるまでもなく分かった。


 しかしそのまま動かずに、いた。

 顔を上げたくなかったし、返事をしたくなかった。


 はっきりいえば声をかけないでほしかった。

 その理由は……。


 …………。

 なぜ、なのだろう。

 分からない。

 考えたくない。


 ただどうしようもなく、胸に空いた『空洞』が、苦しかった

 

「そうしていれば、世界の何かが変わりますか?」


 どれだけのぐずる音が、その静かな部屋に響いただろう。

 もう既に静粛はたっぷりと味わったとばかりに、無音を切り裂き、そのまま私の心をも切り裂くかのように、その言葉は放たれた。


「冬」


「…………」


「あなたはなぜ、泣いているのですか?」


「…………」


「別に責めたいわけじゃないのですよ、冬。

 ただ純粋に、涙の意味を、理由を教えてほしいのです」


「……っ。悲しいがらに、決まってるだろうっ!」


 苛立って、地面に拳をたたきながら答えてしまった。

 口調だってようやく、なじんできたというのに、また昔のように戻っていた。


「……そうですか。そうですね。

 何かがなくなるのは、誰かがいなくなるは……とても寂しく、悲しいことです」


 春はいつもより、少し調子を落とした声でそう言った。

 そうだ。寂しくて、辛いことだ。


 喪失の日。

 世界が、確かに、欠けてしまった日。


 何も無いところから、ここまできた。

 無の空間で一人でずっといるところから、召喚されたあの日から、ここまで。


 ──だから


 何もないところから、ずっと足されるだけだった自分は知らなかった。

 培われるものばかりに目をむけて。


 何かがなくなることを、考えも、しなかった。

 それが、こんなにも、だなんて思わなかった。

 だから頼むからもう、一人にしてくれ……。

 

「悲しくて泣いているのなら、良かったです。

 『泣き続けていれば何かが変わる』だなんて、あまりにも弱くて脆いことを、思いながら泣いていなくて、本当に」


「…………」


「それではもう一つ聞きたいのですが。

 さきほど質問に答えるとき、なぜ苛立っていたのですか?」


「……ッ!」


「冬」


 声が発せられる場所が、近くなる。

 顔を上げずにでも、布が擦れる音から分かった。立った姿勢から屈む姿勢になって、その分、蹲っている自分との距離が縮まったのだ。

 でもそんなのあまりにも取るに足らない距離だ。


「聞いてください」


 そんな短い距離すらも縮めて、伝えたい事とは一体なんなのだろう。


「『涙を流す』という行為に、世界の何かが変わるという意図が──それはたとえ変わってほしいという意図とも言えない儚い望みのようなものだったとしても、そういったものが、涙に、微塵足りとも含まれてはなりません。涙に意図があってはならない。なぜならそれは堪え難いほどまでに、"弱い"からです。どうしようもなく、法則として、世界はそうなっています」


 静かな、音のない空間。

 名前のない、その部屋の中で。

 その声はいつも交わす言葉より、ずっと気遣うような声だった。 


 なのにいつもよりも胸をえぐるように、突き刺さる。


「うっ……うぅぅぅ……」


 さらに、涙があふれだす。

 それは何故なのだろう。

 なぜ自分は、泣いているのだろう。


「もう一度、聞きます、冬。

 あなたは『悲しい』から泣いているのですか?

 それとも『弱い』から泣いているのですか?

 もしあなたが、悲しくて泣いているというのであれば、私はここから出ていきます」


 たぶんきっと、悲しいといえば本当に、出て行くのだろう。

 これが最後の問いだというかのように、春はその言葉を最後に言って、口を閉じた。


「涙の意味を、教えてください」


 数分の時間が空く。

 その間、これまで過ごしてきた日々と、それが確かに喪失したのだという、事実が頭を駆け抜けていた。

 ゆっくりと顔を上げる。きっとぐずぐずだろう顔を、まっすぐに春へと向けて答える。


「悲しい、から」


「…………」


 春は何も言わない。

 ただ真っ直ぐに自分の瞳を射抜いていた。


「悲しいのは、彼女がもう、いないから……」


「…………」


「だ、だから──」


 張り裂ける思いで、その言葉を口にする。


「も、元の日々に戻りたいと、思った……。

 現実が、夢であれば、嘘であればいいって、そう思った」


「…………」


「泣いていれば、優しい誰かが、あるいは世界がそうしてくれるかもしれないと、思った。

 そう思ったのは。じっ、自分が……弱い……からだ……。

 自分は──弱くて、泣いている……」


「……そうですか。

 ならばこれから、どうしますか?」


「戻りたい……」


 ぎゅっと、絨毯を握りしめて言う。


「あの日々に戻りたい……っ!」


「……それはできません。

 なぜなら無くなったものは確かにもう無いからです」


「なら……っ!」


 互いに強い視線が交差する。


「もう一度、作る。

 はじめからでも、最初からでも。何も無いところからでも。

 それはきっと、やっぱり求めていたものとは別物かもしれないけど、でも作りたい……。だって」


 視界が滲む。

 涙の理由。その最後の一つが、まだあった。

 

 悲しいから。

 弱いから。

 そして──幸せだったから。


「…………あの日々の中に、自分の幸福は、あったから」


「……悪く、ないです。

 少なくともこれまでのあなたよりも、今のあなたのほうがずっと強く感じられます。

 ですが冬、それはとてつもなく、厳しい道のりになることを理解すべきです。

 険しく、厳しい道のり。そこをたどる覚悟があなたにありますか?」


 涙をぬぐい、ここは、ここだけは涙を止めて答えた。


「あるに、きまっている……!」


「そうですか……」


 そう言うと、春は再び立ち上がる。

 いつもの淡々とした調子にどことなく満足感を浮かべて。


「なら目指しましょう──共に」


「……え?」


「一緒に、目指すのです」


「一緒に……」


 一度止めたはずの涙が、再び流れ落ちる。

 その涙の意味はなんなのだろう。

 同じ道を目指す仲間ができた嬉しさからなのか。

 それとも新しく道をあゆみはじめたことで、確かにこれまでの日々が終わったのだと納得してしまった悲しさからなのか。


 あるいは──。


「うっ、うぅぅぅぅ…………」


「弱い涙はもう、今日がこれで最後です、冬。

 私たちはもっともっと強くならなければならない。

 私たちの望みのためにも。私たちの──主のためにも」



 望みのために。

 主の──秋のために。

 強く。


 ──ぽたり。

 下を向いて泣いていると、ひとしずくだけ、こぼれ落ちた。

 視界のすみでこぼれおちたそれは、自分のものではない。


 一体どこから、誰から。

 そんなの考えなくてもわかる。


 見上げると、春の顔は反対に向けられていて、表情を目に入れることができなかった。

 でもその反対に向けられた顔は、何も飾られていない部屋の壁に向かっていた。

 何も飾られていない──いや、違う。


 ゆっくりと、何も無いその壁に現れ、飾られていく。

 誰の手も煩わせずに、それ自身が飾られることを望んで、飾られていく。


 絵だった。


 まるで満面の笑みを浮かべた少女のように。

 太陽に向かって大きく咲き誇る、黄色い花が、描かれた絵。

 

 その絵をみて、やはり涙が出る。

 その涙は、純粋に悲しくて、溢れ出たものだった。


 











 ◇







 ────現在。





 雪が降る、門出の日。

 絶大な力で海を凍らせ、作り上げた氷の道を走って海を渡っていく我らが主。

 灰羽秋の背中姿は、あっという間に小さくなってしまった。


「行ってしまいましたね……」


 すぐ側に置かれた開かれたままのドア。

 その縁のギリギリまで寄って立ち、同じ光景を眺める人物に自分は声をかけた。

 灰羽春はこちらに視線を向けずに、秋の消えた方向を見ながら、口を開いた。


「感傷に浸る必要は、ありません。

 秋様は【部屋創造】の能力ですぐ帰ってこられるのですから」


「そうですね……」


 そう、秋は帰ろうと思えばすぐに帰ってこれる。

 【部屋創造】の能力で作られるドアの先には同じ空間が広がっている。

 だからドアを自由に作れる秋は、ドアさえ作ってしまえば、どんなに遠く離れたところでも、ものの数分で帰ってくることができる。


 ……でもそれには致命的な問題がある。

 帰ってこようと思えば帰ってこれる──それは逆にいえば帰ってこようと思わなければ、秋は帰ってこないということだ。


 当たり前の話だ。

 ドアを作るのはあくまで秋の意思。

 だから秋が思わない限り部屋と秋はいつまでも結びつくことはない。


 問題とはつまるところ、秋から見た秋に影響する問題ではなく。

 自分たちから見た、自分たちに影響する問題でしかない。


 でもやはり、問題は問題なのだ。

 秋が部屋へ行くのは容易くても、部屋から秋のところへ行くのは容易ではない。

 秋が帰ってこないままなら、自分たちはそれを探すことさえ、ままならない。


「(もしこのまま、秋が帰ってこようと思わなければ…………)」


 そんな不安を抱いているのは、きっと自分だけではなく

 あの部屋の中に住んでいる、すべての者たちがそう思っているはずだ



 ──『再び、あの日々を作る』。



 あの日抱いた、意思。それは今日まで変わっていない。


 ただ現状の認識が甘かった。

 事態は自分が思っているよりも、深刻だった。

 自分がすごした、あの厳しくとも楽しい幸福の日々は。

 とても脆いものの上に奇跡的に成り立っていたものだった。


 自分の手のひらを見つめると、自然に、ついこの間の出来事が思い浮かぶ。

 手を伸ばしても、掴めない取手。

 秋はあまり自分の部屋にいないし、いても呼べばすぐにでてくるからこれでまで試そうとも思わなかった。


 だから気づかなかった。秋の心に。

 その部屋が秋の心だというのなら、掴めない取手は秋の態度そのものだ。

 誰もその部屋には入れない。入れないどころか触れられない。


 他人の拒絶。

 いや拒絶なんて言葉すら生温い。

 それはもはや、取手のない扉のように、どうにもしようがないものだった。


 本来なら、契約を求めたあのときに。

 あの強い拒絶をみたときに気づくべきだった


 ──『厳しい道のりになる』。


 あの日。

 春がいった言葉の本当の意味を、自分はこの間まで理解できていなかったのだ。

 見つめていた手のひらを、ぎゅっと、強く握りしめる。


「この間のことを、思い出しているのですか?」


 不意に春から声をかけられる。


「……ええ」


「まだ『意思』は変わっていませんか」


 意思──目的。

 たとえ秋に拒絶されている事実を知ったとしても。

 自分の心は変わらない。目指すものは変わらない。


「もちろん」


 だからそう答えた。


「そうですか。ならこの間私が言った、言葉を思い出しなさい」


「言葉……」


  

 自分が掴めない取手のことに気付き

 春に尋ねた日に、言われた言葉。



 ──新しい、『風』が吹き込んできました。



 バサリ、と。

 音を立てて大きく開く。

 それは翼だった。


「さて、ではわしも行くとするかの。

 ククク……これからどうなるのか。考えるだけで、胸躍る」


 そう言い残して、地面から空へ向かって、飛び立ったのはティアル・マギザムード。

 進んだ方向はもちろん、秋と同じ方だった


「わ、私も」


 その姿を同じように見ていた坂棟日暮が、秋の作った氷の道を走っていこうと駆け出す。

 ……まさか、秋と同じようにして行くつもりか?

 さすがに無茶すぎる。


 彼女とは初めてみたときからなぜか妙なシンパシーを感じていた自分は

 さすがにこのままいかせるのは、見殺しにするようで気分悪く、声をかけて止めようとした。


 しかし声を出す前に、別の声が遮った。


「雹、頼みましたよ」


「バウ!」


 少し奥のほうで、座って待機していた雹は待っていたとばかりに、しっぽを大きく振りながら立ち上がる。


 大きな体躯で数歩前へ進むと、雹の後ろをズルズルとついてくる、カゴのようなものが目に入った。後で『ソリ』と教えてもらうそれはしっかりと雹自身に結びつけられていて、よほどのことがない限り雹の後ろをついていきそうだった。


 雹はトコトコと今にも無茶をしようとする坂棟日暮のほうへ向かって歩き、口に無造作に加えると、くるりと柔らかく身体をひねらせ、背後をついてくるカゴに乗せた。「えっ、何、何!?」という叫び声がこちらまで聞こえてくる。


「行きなさい」


「バウ!」


 そして雹は春の号令と共に、秋の進んだ氷の道をかけていく。

 直線の道を走るのが楽しいのか、ものすごい速さだ。


「わ、わ、わ。早い、早すぎる。

 ちょっと待って、ちょっと…………! 座り方だけでも……痛い……!」


 不規則な形に凍った波の上。そのお世辞にも整ってるとは言いがたい道をガタガタと音をたてて、飛んだり跳ねたりしながら、雹のうしろをソリも進んでいく。しばらく辺りを轟いていた悲鳴も、やがて、雹と坂棟日暮の姿が遠くなるにつれて聞こえなくなっていく。


 ……自分じゃなくてよかったな。あれ。

 少しだけそう思ってしまった。


「(確かに、何か新しい何かが、起こりつつあるのかもしれない)」


 そう思う。


「冬」


 秋も、ティアル・マギザムードも、坂棟日暮も、雹も、誰もいなくなり。

 この場には既にもう二人だけ。

 気温は変わらないのに妙な寒暖の差を感じ始めたころ、春は口を開いた。 


「"あの日"あなたは覚悟があると、そう言いました」


「……ええ」


「私は外へ出る事が出来ません。

 だから大陸の外で秋様についていくのは、あなたの役目です。

 覚悟が試されるのは、これからですよ」


 そういって春は、部屋の中へと入っていく。



 ──新しい風。


 確かにそれは吹いているのだろう。

 でもその風にすべてを任せるつもりはない。


 自分が、やらなければならない。

 それは確かだ。


 そしてそう思っているのは、自分だけではない。

 それもまた確かだ。


 すべてはこれからだ。


 自分も。

 そして──『部屋の世界』も。


「…………」


 一度だけ秋が居なくなった方向を見つめてから、ドアの中へと入った。

 

 バタリ、と。

 音を立てて閉まるドア。


 まるで『蓋』のようだ。

 蓋とは中にあるものを閉じ込めるためのもの。


 もしそれが、本当に何かの『蓋』なのだとすれば

 その蓋はまるで────溢れ出る『世界』を抑えるかのようだった。



 

【新着topic(new!)】




【名詞】


『精霊』

世界に存在する種族の一つ。かなり特殊な種族らしい。

上位の存在となると讃え敬われるほどの力を持つ。

自然から生まれて精霊同士で集まったり、人と契約したりして気ままに生きる存在。



【部屋創造】



『漁場』

【部屋創造】の能力で作られた部屋の一つ。

どでかい海にドンと敷かれた一本の橋がただ続いている。ゴブリンのお気に入りなのかよく見かける。

海にはたくさんの魚が泳いでおり、釣り竿や網を使って手に入れる。ただしおいしい魚ほど重い。生半可な釣り竿や網だと簡単に壊れてしまうので注意が必要。餌に漁場の奥深さがあるとかないとか。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 謎のままに登場して謎のままにされていた登場人物にきちんとスポットライトを当てて解を提示してくれる [一言] すぐにわかりやすく設定などを説明してくれるなろう文法の中では異色の存在 でもそれ…
[気になる点] グーグル翻訳から [一言] 主人公と一緒に存在すら知らない少女が亡くなりました。共感すらできません。
[気になる点] 冬が進化の事を知てる 秋は進化の事お知らないかのような考えを第2章で度々書かれている 秋はなせ知らない?冬の話を聞き流したのか?
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