第60話 エピローグ・人外道
※日暮視点
終焉の大陸。
もしその恐ろしさを無視する事が出来れば
例えばその情景だけを額縁にいれて飾ることさえ出来れば
この大陸はもしかすると──世界で最も綺麗で美しい場所と、言えるのかもしれない。
環境の変化だって、その変化の『内側』にさえいなければ
世界の表情を、自分の知っているものから知らないものまで、これでもかというほど、味わうことができる。
そんなことを、ラウンジから、外を眺めていたとき
考えたことがあった。
でもその話は、やっぱり『例え』にすぎないんだ、って思う。
だって自分が世界の、『内側』じゃないことなんて、ありえないのだから。
だから今私は、部屋の外側に。
つまり、終焉の大陸の大地に立っているのだろう。
秋の髪と、同じ色をした空だった。
濃淡のある、灰色の敷き詰められた曇り空の下。
肌寒い風が吹く、風の中の終焉の大陸、沿岸部。
今日のこの場所は少し枯れた、黄土色の草で敷き詰められていた。なんとなく空と気温が相まって、見ていると物悲しい気持ちになるけれど、青々とした草原よりかは歩きやすいというのが、結構、複雑な気持ちだ。
秋は、私たちよりも海に近い場所で、海を見ていた。
海と、空の景色を交えて、後ろ姿を、見つめる。
私、それにティアルも、冬さんも。
そして秋の作ったドアの中から春さんも。同じようにしていた。
「寒いのう」
と、ティアルが呟く。
確かに、寒い。
私はコートを、着始める。
来るのなら、寒くなるからと言って秋に、渡されていた。
ティアルもすでに、柔らかそうな毛皮で作られたコートを身に纏っていた。
はぁ、と息を吐く。
その息が、白くて、少しだけ驚く。
最初やってきた時からもう寒かったけど
その時よりもまだ気温は下がっているように感じられた。
気温の変化として見れば、結構急激な変化だ。
「どうして、ここなんだろう?」
私は、少し気になっていた事を、ティアルに聞いてみる。
沿岸部と言っても、ここは大陸なわけであって、ぐるりと一周沿岸部が続いている。
なのに、どうしてこの場所から、秋は行くのか疑問に思っていた。
「すでに粗方、見当をつけていたのだろうの」
「検討?」
「わしと、それにこの間の調査団が現れた場所からであろうの。
多少ずれはあるにしても、わしと調査団が現れた場所は粗方同じ、大陸の北側からじゃ。ならば出る方向をそちらに絞るのはまあ、普通じゃな」
「じゃあ、この先は──」
私は頭の中で地図を思い浮かべる。
そもそも終焉の大陸は、ほぼ最南に、地球でいう南極のような場所にある大陸だ。
そこからティアルと調査団が現れた、北へ行く。そこには……。
「もし仮に、寸分違わず真っ直ぐに前に進むのであれば
『大樹海』にたどり着くだろう。まあわしはそこからやってきたのだから、わしが来た方向へ進むなら、当たり前の話じゃがの」
「…………」
大樹海。
そこは私が、ベリエット帝国から逃亡して最後にたどり着いた場所だ。
私はそこで、神器を使い終焉の大陸へとやってきた。
心の中に、複雑な思いを抱く。
私は、私の中の問題を、忘れてはいない。
幅音さんを、救いに──。
パキリと、背後から音が聞こえて振り返る。
その存在を目にいれ、私は自然と身体がこわばった。
冷気が、肌を撫でる。
背後に広がる森から姿を現してきたのは、災獣だった。
「グルル」
極寒の環境を作る、雪のように白い、狼にも似た災害魔獣。
その姿を私は一度見たことがあった。初めて秋と出会った日。私は部屋の外に置いていかれて、その力を目の当たりにした。
「確か、『雹』という名前じゃったか」
「…………」
ティアルが、そう言う。
確かに、そんな名前だった。
でも私は、緊張して同意ができない。単純に声が出せなかった。
私から見ればその魔物は気安く話しかけられる、存在ではなかった。
というかティアルにも、あまり不用意に災獣に触れてほしくない。いつその力の矛先が私たちに向けられるか、わからないのに……。
「こうして見てみると、結構愛くるしい顔をしておるのう」
そんな私をよそに、ティアルは雹とよばれる災獣に近づく。
いや、もしかしたら私が怖がっていることを分かっていて、馬鹿にしているのかもしれない。途中、ニヤリと笑って私のほうへ視線を向けていた。
「触ってよいかの?」
ティアルはそう訊ねる。
その相手が意外で、秋や、春さんや冬さんでもなく
他でもない雹という魔物自身にだった。
雹と呼ばれる魔物はティアルに近づくと、すんすんと鼻を動かし。
やがて、満足したのだろうか。雹という魔物は「バフッ」と一度だけ鳴くと大きな頭をティアルにおしつけた。
ティアルはたぶん、きっと最初は私をからかうためだったのだろう。
でも雹という魔物の毛皮に触れたとたん、目を見開いて、何かが爆発した。
「おぉ…………この毛皮に埋もれる感じ…………。
久しい、久しいぞ…………ぉぉぉぉぉぉぉ…………」
もはやそれは、撫でるとか触るとか、そういう次元じゃなかった。
身体全体で、毛を貪り尽くすかのように、うねうねと毛とティアルが絡み合っていた。
…………………………キモい。
もはや身体の緊張とか、魔王とか、災獣とか、どうでもよくて。
普通に引いた。キモいって、素直にそうおもった。
「何やってるんですか……」
開いたままのドアから、春さんが呆れた目で見ていた。よくみると冬さんも同じ目をしている。秋は…………少し、楽しそうに微笑んでいた。
ティアルと春さんが少し問答をする中で、私は、秋のそんな表情を見ていた。
見ていた理由は……自分でもよくわからない。
少し経ち、秋は私の視線に気付くと、何事も無かったかのように、少し背伸びをしてくるりと振り返った。
広大な海の方へ向けて、私たちの方に背を向けて、言った。
「それじゃあ、行くかな」
と。
何でもない事のように。
いつもと変わらない様子で。
でも周りはその一言で、劇的に変わった。
少しだけ和みつつあった場が、瞬時に元に戻ったのだ。
元に、というのはこの大陸の空気の事。
常に緊張感の漂う、強大な力がのさばる終焉の大陸の独特な、空気。
秋はたった今そんな終焉の大陸から、出ていく。
「やっぱり、災獣の力を借りるんだ」
私はつぶやく。さっき少し驚いてしまったけど、でも一方で予感をしていた。
その魔物がきっとやってくると思っていた。
だから独り言の、ちょっとした確認みたいな意味を籠めての呟きだったけど、返事があった。さっきまで満足げな顔を浮かべていた、ティアルが災獣から離れ、私のそばで同じように秋の背中をみながら、言葉を拾った。
「で、あろうの。わしが出る方法があると思っておったのは、雹の存在があるからじゃ。極寒の災害魔獣であれば、海を凍らせてその上を渡り歩くのも、造作ではなかろう」
「…………」
私も同じ方法を、思いついたのだ。
本来ならば。それは簡単に、気安く考えるべきでない事だ。
海を凍らせながら、その上を歩くなんて。
不思議な力が未知の現象が、数多に存在するこの世界においても、困難極まりない事だ。
偉業であり、異形なのだ。
とてつもない災害のような魔物だからこそ、それは成し得る事だ。当たり前だなんて思ってはいけない。異世界だからって、そんな事が、当たり前であってはたまらない。
だから最初思いつかなかった。ドアから外を見て、終焉の大陸と魔物たちの尋常じゃなさを知って、ようやくその発想ができる。この大陸の魔物なら、そのくらいはやってのけるって。
極寒の災獣、雹が海を凍らせて、その氷の道をたどって秋は終焉の大陸を出る。
それが秋の、大陸を出る方法だ。
──と。
そう、思っていた。
私は──。
きっとティアルも。
秋のことばかり見ていた。
これから出る秋の事だけを。
だから、気付かなかった。
春さんや、冬さんや、雹という魔物が浮かべている、その瞳に。
寂しげでもあり、悲しげでもある。もしかしたらその両方かもしれない。そんな瞳で、秋の後ろ姿を見つめる、その姿に。気づけなかった。
「あっ…………」
間抜けに、言葉ですらない、そんな音を漏らす。
同時に吐き出した息が、白く、煙のように宙に消えていった。
はらはらと泣く、子供の涙のように少しふりはじめた雪が視界に見え隠れする、その先で。
灰羽秋は──
一歩を、踏み出した。
躊躇なく、今もなお波打っている海に向かって。
その一歩に、誰も、入る余地は無かった。
誰も──『雹』という災獣すらも。
あまりにも、無さすぎた。
……パキ……パキ。
海に向かって踏み出した秋。
だけど海に落ちるなんてことはなく、平然とその上に立っていた。
凍っていく海の上に。
波打っていた動きが、その形を保ったまま、静止する。
絶大な力に支配され、屈服するかのように、白く染まっていく。
気づけば白銀一色の視界。
まるで雹という魔物が戦ったときの光景のように。
あまりにも急激に、世界が変わった。この大陸の光景だと思えば、普通なのかもしれない。
でも──その当人は、今何をしようとしている?
大陸を、出ようとしているのだ。
この大陸では普通でも。
外の大陸では──普通では、ない。
ぶるりと、身体が震える。
秋から視線が離せない。
秋の髪も、なぜか白くなっているけど、そんなの些細な変化だった。
ティアルが緊張するように、言う。
最初言葉が詰まっていたのは、その緊張の大きさの現れだろうか。
「ま、さか……ここまでとはの…………」
何に、対しての「ここまでとは」なのか──とは
口には出さなかった。出せなかった。
なぜならきっと、『何に対しても』だからだ。
この言葉があてはまるもの、すべてに対して、言った言葉だろうから。
孤独の性質──そう、春さんは言っていた。
誰にも頼らないし、誰も心から信じないし、自分のことは自分でやって、それ以外はあきらめる。重要な物事ほど秋はそういった傾向があると、春さんは言っていた。
普通そこまで自分に求めることはできない。
どこかで限界が来て、その限界の場所で人と寄り添うことを選ぶはずなのだ。
でも秋は、『出来る』と、春さんは言っていた。
『出来てしまう』と。
海にできた白い氷の道。
それは秋が、秋のために、自分一人だけで作り上げた道。
その道を、一人で淡々と歩んで行く。
そうして一歩踏み出すたびに、また海が凍りつき道が出来て行く。
とてつもない、と心から思った。
まるで終焉の大陸の災獣を、みているような気分だった。
ごくりと、唾をのむ。
──結局のところ。
私は秋のことをほとんど知らないのだと思う。
春さんから話を聞いても、その話に実感を持って理解することはできない。
仕方がないことだ。私たちはまだ、出会ったばかりなのだから。
そう、出会った時間は、まだ、短い。
逆にいえばこれから、重ねていけるということだ。
私はとてつもないものを、いま目撃しているのだろう。
少し世間が震撼するほどなのか、歴史を揺るがすほどのものなのか。
それは想像できないけれど。世界にとってどういう意味をもつのか分からないけれど。
でもこれから少しずつ秋を知っていこう。
そんな決意のようなものを抱く。
だって、少なくとも私は知っているから。
看病してくれた秋の姿が目に思い浮かぶ。
私が前の世界を思い出して、悲しみとか憎しみとか、そんなごちゃごちゃな感情の中にまみれてベッドで泣きはらしていたとき、何も言わずただ撫でてくれた感触と、暖かさを思い出す。
それは紛れもない事実だ。秋の、私の知っている事実。秋の優しさ。
私は一度目をつむる。
暗闇に浮かぶのは、ある光景だ。
浮かぶ光景は、秋と初めて戦った日のこと。
岩を片手で持って振りかぶる秋に追いつめられた私は、思わず癖で、スキルの【鑑定】を使ってしまったのだ。
そして、見てしまった。
気絶する、その一瞬前に。
その文字が今なお、頭からこびりついて離れない。
「(それでも、私は……)」
目の前で起こっている出来事と、その頭に浮かぶ文字を。
重ね合わせながら、決意する。
──私は、秋の事を信頼する。
これから秋が、何をしようとも。
世界が秋を、どう思おうとも。
例え秋が────
※
灰羽秋 LV???
種族 勇者(混人族)
※
────『何者』で、あったとしても。
第一章 よっぽどのバカ 完
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