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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第1章 《  》と『      』
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第58話 《  》と『      』②



 

 


 今までみた事のある、どんな瞳でも、なかった。

 母親の恨みが籠もった目とも、奴隷商の物をみるような目とも、大人たちの侮蔑するような目とも違う。


 とても、澄んだ水のような、瞳。

 あらゆる不要なものを、感情を、その瞳から感じなかった。

 

 でも気味が悪いとかそういうのはなくて。

 檻を出て初めて見た、太陽とか、月とか。

 森とか、湖とか、川とか、お星様に抱いた思いと同じように。


 きれいだって、そう思った。






 光が収まり、目を見開くと、目の前には一人の男の人が立っていた。


 自分と同じようにとても汚れた服を着ている男だった。

 血や泥がこびり付いていて、所々焦げていたり、噛み付かれた跡がある。どんな風に生きているのか、想像はできても計り知る事はできそうにない。


 そして──そんな服とは逆に。


 雨に汚れが洗い流されたからなのだろうか。


 とても綺麗な顔立ちを、していた。

 汚れている服を着ているからこそ。

 その綺麗な顔が、美しい瞳が、強い佇まいがとてもよく、際だっていた。


 神秘さ──その言葉を少女は知らない。でも感覚として理解した。


 

 この人が──『かみさま』と、すぐにそう思った。

 神様に会うために(という名目で)この場所に送り出された少女は

 目の前の災害を見て、そう判断した。


 ビュオッ──と、強い風が通り抜ける。

 身体がよろける。

 とても立っていられる状況じゃなかった。

 

 でも、そんなのはどうでもよかった。

 少女の頭にあるのは、ずっと、ただ一つだけだった。

 何でも知っている、何でもできる。そんな神様に少女は、訪ねたいことが、知りたいことがあった。


「しりたいことが、あります」


 頭から必死に言葉をひねり出す。

 魔人族の男に教えてもらった言葉や、前の檻にいた奴隷の親が子に、言葉を教えているのを盗み聞きした記憶を思い出して喋った。必死に喋った。


 だけど。

 でも。


 神様はいくら言葉を紡いでも、まるで反応はなかった。

 まるで言葉が、この吹きさっていくだけの風のように、通り過ぎてしまっている。


 それどころか──その瞳は少女すらも、とらえていないように見えた。

 いや、とらえてはいる。認識はしている。

 でも、少女に対して、全くといっていいほど意識を向けていない様子だった。


「ぅぅ……」


 少女は狼狽える。

 どうすればいいのか、わからなかった。


 かみさまが応えてくれのは、やっぱり自分の価値が、ないからだろうか。

 ツミブカイから。生まれるべきじゃなかったから。死んだ方がいいから。

 だから、応えてくれないのだろうか。


 いや──そもそも。


 漠然と聞きたいと、そう思っていたけど。

 ここで初めて、少女は疑問に思う。


 『それ』は一体、なんて言葉に表現すればいいのだろう──と。


 正面の檻にいた子供を抱きしめる、子供の母親。

 ほんの小さな笑みを浮かべる子供。


 一人で、檻の隅に置物のように座って、見つめていた。


 そこには確かに、『力』がある。

 だから自分と目の前の檻にいる子供には、こんなにも、明瞭な『差』がある。


 でもそれを、どう言葉にすればいいのかが、わからない。

 言葉に対しての知識もそうだし、その力に対しての知識も、不足していた。


 言葉にすることができなければ、かみさまに尋ねることができない。

 自分が答えを知ることはできない。 


 どうすれば。

 どうすれば──いいのだろう。

 このままじゃ、それを知る事ができない。


 こんなにも知りたいのに、知る事ができない。


 そうしてまごついているうちに、周囲に音が響きわたる。

 元々聞こえていた、風の音に、混じって。



『BooooooooOOOOOOOOOOOO──────』



 そんな音が。


 背後を振り返る。

 そこにあったのは、巨大な、灰色だった。

 大きな、空を覆う灰色が、地面まで落っこちているかのように続いている、灰色。


 そうとしか認識できなかった。


 ついこの間まで、檻の中にいた少女は風が吹くことすらも知らなかったから。

 だから災害を見ても、それが危機的なものであるとわからない。


 そうした無知が──たとえ、それがどうしようもないものだったとしても──やはり、致命的だった。人の事情を考慮するように、世界はできてはいないから。ただ無機質に、強いか、弱いか。それだけを、問いに来るから。


 だからまともに物すら教えられてこなかった少女が、特別な力のない少女が、価値のない少女が。世界で一番弱い存在だと言っても、過言じゃない。そんな少女が、世界でもっとも危険な終焉の大陸にいて、無事でいられるわけがなかった。



 ──悲鳴を、上げる。

 

 無意識にだった。

 生まれて初めてのどを限界まで開き、声を最大まで出した。


 耐えきれないほどの痛みが身体に走る。

 何が起こったのか分からないまま、ただ悲鳴を上げて、立っていられずに宙に放り投げ出される。


 それからどっちが地面なのか、空なのか。

 わからないまま、風に流され、地面を転がった。


 ようやく止まって、少女は全然力がはいらない身体を、ゆっくりと少しだけ起こす。

 少し前に、見えるのはかみさまの後ろ姿。



「もどら……ないと……」



 戻って、聞かないと。

 知りたいことが、ある。

 どうしても、知りたい。


 立ち上がろうとする。

 でも途中で、かくりと力が抜けて倒れそうになる。

 それになんだか、動きづらい。


 少女は違和感を憶える、お腹の辺りに目を向ける。


「ぁ…………」


 赤かった。

 木片が突き刺さり、服にべっとりと赤いものがついている。

 さわった手のひらにそれがべっとりとつき、ごくりと唾をのむ。


 ──これは、知っている。


 何度も、見たことあるものだった。

 少女自身も、何度もこれを──血を流したことがある。

 大抵は止まったけど、でも止まらずにいるとどうなるのか。それを少女は知っていた。


 『死』だ。


 少女はそれも、知っている。たくさん、見たことがある。

 奴隷商に逆らって殺された奴隷、わざと首輪を爆発させて自殺した奴隷、病気をなおしてもらえず病死した奴隷。

 

 だれもがやがて物のように成り果て、動かなくなった。

 少女はその手の平を見て、直感する。

 今、自分にもその『死』が、訪れようとしている──と。


「……ぐすっ…………」


 涙が、出る。

 涙──それは今まで抑圧されてきたものだ。涙だけじゃない。あらゆる感情が、少女にとって押さえ込まなければならないものだった。

 何かを感じたりすれば、すぐに殴られたり、怒鳴られたりするから。

 少女にとって、世界とはそういうものだった。

 物理法則の一つのように、そうだった。


「ぅぅぅ…………」


 でも違う。

 そんな存在は、どこにもいやしない。


 悲しんでも、絶望しても。

 怒鳴ったり、殴ったりする人は誰もいない。


「…………うぅぁぁぁ……ぁぁぁ」


 少女は、泣いた。

 悲しくて、辛くて、心の底から自分の死に絶望して泣いた。


 "ここ"は。

 この世界で最も危険な、この場所は。

 少女にとって、唯一泣いてもいい『場所』だった。


 空から勢いよく、飛んできた木が地面に突き刺さり、土がパラパラと辺りに蒔かれる。

 そんな蒔かれた土の中で、少女は、腹に木片を貫かれながら、初めてそれを知った。


 ──『自由』を。

 初めて認識して、理解した。


 枷も、檻もなく。

 感情を抑圧させる大人もいない。

 どこまでも自由で、どこまでも厳しい──『むき出しの世界』。


 きっとここは、何をしてもいい場所だ。

 だって誰も、自分を恨んでいる母親も、殴りつけてくる奴隷商も、侮蔑を向けてくる魔人族も誰もいない。


 憚るものは、何も、何もなかった。

 ならば──少女の願うものはただ一つだけだった。


「しりたい……よ…………」


 涙を拭いながら、自分の願望を、口にする。

 目の前の檻の中にいた親子と、自分の、自分たちの違いを。


 そうだ。

 自分は、そこに『入れ替わりたかった』のだ。


 目の前の自分と同じ年頃の子供に──『嫉妬』していたんだ。

 生まれてから、一度だってされた事がなかった。頭を撫でられたり、抱きしめられたり、人と寄り添った事がなかった。ずっと一人、檻の隅だけが少女の居場所だった。


 感情を知って。

 自由を知って。

 少しだけ、分かる事が、増える。

 

 でも同じ分だけ、分からない事が、やっぱり増える。

 なぜ、そうなのだろう。

 なぜ自分なのだろう。

 

 それは、ある意味、怒りにも似た衝動だった。 


 『力』が知りたい。


 あの場所に、自分も、居たい……。


「でも…………かみ、さまは……教えてくれない」


 少しだけ顔を俯かせて、つぶやく。

 かみさまは、少女に何かを応えることをしない。気に入らないのか、自分が間違っているのかはわからないけど、でもこのままではきっと、かみさまが教えてくれることはないと少女は考えていた。


 少女はじっと、前を見つめる。


 後ろ姿が見えた。

 吹き荒れる風の中で、強く佇む、かみさまの。


 そして視線を、ゆっくりと横へずらして、あるところへ集中させる。

 そこには少女が今もっとも、求めているものがあった。


 少女は自由を、認識した。

 憚るものは何もないのだと理解した。


 ──ならば。


 教えてくれないのならば。


 『知りにいく』しかない。

 誰に頼るでもなく、自分がそれをするしかない。


 そうだ。

 知りたい『答え』は──すぐそこに。目の前にあるじゃないか。


 出血で顔から血色が失せていく。

 でも逆に、瞳の輝きは、一層強く増していた。

 それは終焉の大陸の魔物たちとは、まったく正反対に。どこまでも有機的に輝いていた。

 

 少女は、立ち上がる。

 強い逆風の中で、激痛を感じながら、『一歩』前へ踏み出した。

 災害魔獣──《人外》の、その手のひらだけを見つめて。


「…………うぅ……っっ」


 距離はそんなにない。

 でもあまりに強い風は少女を進ませることを許さない。それどころか後ろへ押し流そうとする。平然と立っている目の前の人の姿が信じられなかった。


 二歩、三歩と進む。

 風に流され、それでも負けないように進むうちに、自然と、《人外》のちょうど背後にやってきた。

 

 ここなら、少し風が和らぐ。

 でもそれでも超激流の川から激流の川に変わった程度。四つん這いになって不格好な姿勢で、距離を少しまた詰める。


 四歩、五歩と進んだときだった。


「ぐぅ……っ」


 ぼろぼろと地面が崩れ始める。

 表面が風に剥がれ、まともに、地面を摑む事さえままならなかった。

 何か、支えるもの。それを本能的に求めた。


「…………ッ!」


 でも、そんな都合のいいものなんか、ありはしない。

 ありはしないから──だから、少女は木片を見つめた。

 自分の身体を貫き続けている、その木片を。


 そして、両手で摑む。

 地面から手を離したことで、風に背後に飛ばされそうになる。

 ふわりと、身体が浮く感覚と同時に──。


 木片を自分の腹から思い切り引き抜き、そして地面に突き刺した。


「ぅぅ……ッ!」


 堪え難い、痛み。

 ドクドクと傷から血がとめどなく流れでる。

 追い打ちをかけるように、風に混じった凶器のような破片が、肌を、肉をえぐりにかかる。


 気を緩めれば、簡単に、意識も手の力が抜けそうだった。


 でも。


 知りたい、と。

 少女は思う。それだけを思う。

 もはやそれだけしかなかった。それが少女の命だった。


 木片を地面から、引き抜き、また少し先に突き刺して、摑んで這いずるように前へと進む。


 六歩、七歩。


 八歩……と。


 ようやく少女は、その手をつかめるところまでやってきた。

 たぶんきっと、後にも先にも、人生で一番険しく厳しい八歩を乗り越えて。


 少女は震える手をのばす。

 ずっと望んでいたものに向かって。

 災害魔獣──《人外》の手の平をつかんだ。




 ──笑っていた。


 目の前の檻にいた親子だけじゃない。

 奴隷から解放されてから、魔人族。人間。たくさんの人を見る機会があった。

 その多くの人が、笑って生きていた。

 

 なぜなのだろう。

 どうしてなのだろう。

 少女にとって世界とは、そんなものを浮かべられる場所ではなかった。

 だから理解できなかった。

 理由もわからなかった。


 でも、思う。

 心の底から、思う。


 自分も、そう、生きたいと。

 笑って…………

 ──『幸せ』に、生きたいと。


 そのために、知らなければならない。

 この『力』こそが、たぶんきっと、とても重要なのだ。

 直感だけど、でも、少女はそのことを疑わなかった。


 だから、たどり着けた。

 手と手が触れる。


 はらはらと、止まっていた涙が、再びあふれだす。

 これが、知りたかった『力』の正体なのだろうか。

 わからない。


 わからないけど、でも、涙が止まらなかった。

 今確か手のひらから感じるもの。

 それは確かに、今まで感じていたものとは、真逆の感覚だった。



「………………あたたかい………………」


 






 ◇◆◇ 





 災害魔獣──《人外》は。



 いや──。

 


 『灰羽秋』は、考える。

 意識を、思考を。感情的に──巡らせる。


 災害魔獣、《嵐》がすぐそこまで近づいている中。

 吹き荒れる暴虐の風のなかで。


 手をつかんでいる、少女をまっすぐに見つめて考える。


 初めて少女だけをその瞳にとらえた。

 少女と、秋。

 二人の視線が交差する。



 ──この目を、どこかで……。


 

 少しだけ視線を横にずらすと、秋の手を握っている、反対の少女の手。

 そこには血と土がついた、木片が握られていた。

 その木片を見て、思い出した。


 少女の浮かべた瞳はあのときみたものと、とてもよく似ている、と。

 いや瞳だけじゃない。目の前の少女自体が、よく似ている。


 弱くて、馬鹿で、何もない。

 失ってばかりいる、一人の赤い髪の少女。


 坂棟日暮という少女のことを、秋は思い出す。



 初めて日暮と戦った時。

 あの時、こう声をかけた。


 『逃げてしまえばいい』と。


 振り返ってみると、気に入らなかったのだろう。

 彼女の『あきらめられない弱さ』が、ひどく気に入らなかった。だから、あきらめさせようとした。あきらめることこそが、強さだから。強くなるためにはそうするべきなのだ。


 だが彼女は、『あきらめなかった』。


 ──『私は、まだ戦える』


 そう言って、坂棟日暮は立ち上がった。

 能力で剣を再生させながら。


 とても、不格好だと思った。

 不格好で、醜く、弱い。心からそう思った。


 なのに何故だろう。とても、心に響くものだった。

 折れた剣が能力で再生していく姿が、折れたはずの、心が蘇っていく姿に重なって見えた。


 美しかった。

 終焉の大陸の現象の魔物たちとは、また違う。

 現象でも、無機質でも、強くもない。


 なのに、坂棟日暮と、そしてこの──。


 秋は自分の手を握る、少女を見つめる。







 『選択の時』だった。

 少女を見捨てる時でも、《嵐》と戦うことを決意したときでもない。


 『今』。


 少女に手を握られた、この瞬間こそが。

 灰羽秋に訪れた、科された、秋自身が選ばなければならない選択の時だった。



 目の前に二つの『道』がある。



 少女の手の平を突き放すか。

 少女の手の平を握り返すか。

 

 生命か、現象か。

 感情か、無機質か。


 選択とはきっと、どちらが『幸せ』なのかを基準にして選ばれる。


 いや──。

 もう一つ、ある。


 秋の顔に出来ていた黒いヒビが、少しずつ消えていく。

 肌が再生され、元の、秋の素顔があった。


 その顔には、表情があった。

 とても現象とは思えない、あまりにも感情的な、表情が。


「──……けない……」


 小さな声でつぶやく。

 手のひらを摑んでいる少女を見つめて。


「離せるわけ…………ない…………」


 まるで、苦渋を舐めさせられたかのように。

 とても歪んだ顔で呟いた。



 離せなかった。

 離せるわけが、なかった。


 灰羽秋は少女と関わらずにいることはできても。

 関わってしまった手を突き放すことはできなかった。


 一見似たようにも見えるけれど、根本的な性質が大きく違う。

 違うのは、関わり。


 少女を見捨てることはできるのは、『公平』のためだ。

 群炎豹を自分の手で殺し、それだけじゃなく、たくさんの魔物たちを血肉を啜って生きている自分が、その行為を肯定するためには、少女もまた同じように弱肉強食という法則に委ねられるべきという、そんな考え。 


 例え少女が死んだとしても、その死に最初から最後まで灰羽秋は関係なく、少女は弱いから死ぬ。それは公平で、都合が良い事だった。秋が少女を助ける理由は、何もないのだから。


 でもこの手を離すのは、わけが違う。

 死ぬとわかっていながら、手を離すのは。その死には確かに秋自身の意図がある。

 微妙なことだけど、でもその結果の性質が、やっぱり全然違うのだ。


 それに、分からないのだ。


 強く生きることだけが、自分だと、秋はそう思う。

 でもこの瞬間に、おいて。


 『強さ』が、わからなかった。

 自分の根本が、わからなかった。


 この小さな少女を、見捨てる事が強さなのか。

 それとも、この手を摑んだ少女を救ってみせる事が強さなのか。


 わからない。

 だから、考えたくなかった。

 終焉の大陸の世界のように、わかりやすく、シンプルで純粋な、美しいままでいたかった。


 だけどもう、そんなもの無いのだ、と。

 どこかで感じていた。


 公平さなんて、どこにもない。

 少女に手を掴まれた事によって、灰羽秋は、少女の命に強制的に『関わらされた』のだ。


 群炎豹を殺した秋が、少女を救う。あるいは殺す。

 どちらにせよ……。

 ここから先は──離すも掴むも、感情で選ばなければならない。


 少女の強い意志の籠もった目とは裏腹に。

 秋の目は、見ようによっては──泣きそうにも見えた。


『BoooooooooooooooOOOOOOO────』


 すぐそばまで近づいている《嵐》が、鳴く。

 秋と少女の場所に、とてつもない速度で岩が降ってきた。


 同時に、ふわりと手から感じる感触がなくなる。既に限界を越えていたのだろう。少女が意識を失い、力が抜けた。放っておけばすぐにでも、風が少女をさらってくれるだろう。


「…………【爆破ファイア】」


 接近していた岩が直前のところで爆発する。

 それでも、小さくなった岩の破片が、風に乗って秋達を襲う。

 岩の破片が身体に当たる衝撃の中──秋は、力尽きた少女を、守るように腕の中に抱いていた。


 

 選択とはきっと、幸せを基準にして選ばれる。


 いや──


 もう一つ、選択の選ばれ方がある。

 それは、より強い力に『選ばさせる』事だ。

 より強い力は、弱い方の選択をねじ曲げさせる事ができる。それが力というものだ。



 理屈を、こねくり回すのは、やめにしよう。

 今この瞬間の、正確な事実。

 ありのままを飾らずにシンプルに告げるとすれば。



 『負けた』のだ。



 災害魔獣《人外》は。

 灰羽秋は。


 終焉の大陸の1000LVを越える高レベルの魔物の群でもなく

 あまりにも変わる環境の変化にでもなく

 この大陸の頂点に位置する現象の魔物にでもない。



 名前すらもない、薄汚い、『27LV』の少女に。



 選択を、ねじ曲げられた。

 手を掴まれたことによって。

 強い『力』によって。


 この大陸にのさばる魔物たちの災害じみた力と同じくらい

 とても強い──力によって。

 



 灰羽秋はすでに、決断していた。

 この少女を助けると。


 ならばもう、ここにいる理由は、何もない。

 とにかく急いで《嵐》から離れなければならない。

 ただでさえ危険なのに、ここはあまりにも《嵐》に近すぎる。


 少女を腕に抱いたまま、《嵐》に背を向けてその場を後にする。

 災害魔獣──《嵐》は。





 そんな秋の姿を、ただ無機質な瞳で見つめていた。








 ◇◆◇ 





 災害魔獣──《嵐》は、考えない。



 だからこの思考はただの機能か。

 あるいは《嵐》がまだ現象ではなく魔物だった頃の残滓なのだろう。


 

 《嵐》は、風の内側から、外側をずっと見続けていた。

 これから戦うだろう、強靱で強大な、一匹の魔物を見つめていた。

 どちらかが消える、そんな覚悟を持って。


 だがその魔物が突如、不可解な行動を取り始めた。


 光──虹色でも巨大でもない。ただの《嵐》からみれば、小さすぎる光が現れてからだ。


 その光が消えた後にいたのは──何か分からない……。

 認識するに足り得ない、弱くちっぽけな何かだ。

 《嵐》は全く、その存在を気にもとめなかった。


 なのにその弱くちっぽけな何かが、自分と並びえる魔物──《人外》に近づいた途端、《人外》の何かの歯車が狂った。

 その事に疑問はわかなかった。

 ただありのまま、現象としてすべての光景を無機質な瞳にとらえていた。

 背を向けてこの場から立ち去ろうとする、《人外》の姿も、また同じように。

 

 《嵐》にあるのは、ただ一つだ。

 ──生きる。ただそれだけ。


 《人外》は自分の命を、脅かしうる存在だ。

 《嵐》はそう、認識している。

 ならばこの時、背を向けた《人外》を襲わない意味が、《嵐》にはあるだろうか?


 あるわけがない。

 全く持って、あるわけがなかった。


 《嵐》は自分の起こす嵐を『強める』。

 ただでさえ、猛威をふるっていた嵐が、より激しく、より強大に、大きくなる。


 風に乗ったいくつもの礫が、《人外》の背中に突き刺さる。

 だが《人外》は物ともせずに、この場から急いで立ち去ろうとしていた。


 ──おかしい。


 《嵐》は考えない。

 だからこの思考はきっと──魔物だった頃の、微かな残滓だ。


 何故わざわざ礫を受ける。何故この場から離れる。

 何故、戦わない。

 すべてが不可解で、理解できない。

 何かそうすることに、『勝機』があるのだろうか。

 

 わからない。


 ただ先程現れた、ちっぽけで弱い何か。

 それを守ろうという意志が、《人外》の行動から感じられた。


 《嵐》は《人外》から目をそらし、自分のすぐ側に出来た、『ある物』を見つめる。

 それは虹色に光輝く玉だった。

 少し立てば魔物が生まれるだろう、その源──『魔素溜まり』。


 《嵐》は《人外》を攻撃するのをやめて自分の巻き起こす嵐を

 魔素溜まりにより強くぶつける。

 意図を持って、根拠を持って、魔素溜まりにぶつける。


 パキ……パキ………………。


 魔素溜まりに少しずつ、ヒビが入る。

 割れていくガラスのような危うさを伴っていく。


 それはただ、効率を求めただけの行為だった。

 ただ効率的に、自分の脅威を取り除くための行為。



 災害魔獣──《嵐》は


 

 『──守る──』


 『──そんな甘さが、この世界で許されるのだろうか──』



 何も考えない。

 思わないし、抱かない。


 意識も、意志も、感情も。

 とうの昔に、消え去っている。




 ピキ……ピキピキ…………。



 パキンッ。



 魔素溜まりが、嵐の風に耐えきれずに、割れる。

 暴走した虹色の光が、周囲を眩く照らす。

 《人外》もまた視界の端でそれをとらえていた。


 そして小さく舌打ちをならす。

 

 《嵐》ももう、役割を終えたかのように。

 《人外》と、割れた魔素溜まりに背を向けて、その場を後にする。


 この場は既にとてつもない危険に満ちているからだ。

 だからいるよりはいない方がいい。ただ、それだけの事だった。


 去っていく《嵐》の背後。

 そこでは割れた魔素溜まりから、漏れ出た虹色の光がまるで

 

 ──『柱』のように、その場にそびえ立っていた。



『GOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA』



 そして、暴虐の咆哮が、周囲に響きわたる。




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― 新着の感想 ―
[一言] この重さがとてもいい
[一言] とても感情移入させられてしまいました。 ただ「手をつかむ」というシーンで泣かされるとは思いませんでした。
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