第3話 灰色の彼女
『玄関』だ。
ドアをくぐり抜けた先は『玄関』だった。
……これだけだと「何当たり前の事を言っているんだコイツは」となるかもしれない。
なのでもう少し詳しく言うと、未開の森でゴブリンに追われているとき、ぽつりと『ドアだけ』が突然現れて、そのドアをくぐり抜けると『玄関だった』。
それもただの玄関ではなく、新居のようにピカピカで物一つ置かれていない新品同様の玄関だ。驚かずにはいられない。
だが話はこれだけではない。なぜなら
「何を惚けておられるのですか我が部屋の主様」
新品同様だがあくまで玄関。決して広いとはいえないその空間で俺は、俺を助けてくれたと推測できる謎の女性と向かい合っていた。
特徴なのは『灰色の髪』だ。
腰まで伸びたサラっとした癖のない髪の毛。背丈は俺と同じくらいだろうか。女性にしては、大きい。体はスレンダーだが出るところが出ておらず控えめなボディ。そして、これが最大の謎なのだが彼女は俺の事をなぜか『主様』と呼んでいた。
「その主様っていうのはなんなんだ?」
「そんなことよりも主様。怪我の治療をおすすめします。特に肩と右の臑にある傷は放っておくと確実に悪化致します」
「おぉう……」
そんなことよりもって。
まあ傷がひどいのは確かだし俺の体を案じてくれての忠告なので素直に従っておこう。意識したからか傷の痛みも強くなって来たし。
「あっ、でも治療の方法がないんだが」
「あなた様のステータスにのっている【治癒魔法】の文字は飾りですか?飾りならもう少し目に見えるところに飾ってみてはいかがでしょうか。丁度この『玄関』も新品で物を飾るには都合がいいでしょう」
「……」
どうやら見た目の凛とした印象に比べて彼女の舌は大分辛口のようだ。俺が了承したわけではないが仮にも「マスター」と呼ぶ相手に遠慮なく辛辣な言葉を浴びせてくる。まあ、確かに自分でとったスキルの存在を忘れていたのは確かなのでここは何も言わないでおく。一つの問題を除いて、だが。
「使い方が分からない。取得したばっかだからな」
「了。【治癒魔法】LV1の使い方は傷口に手をかざし「ヒール」と言えば使用が可能です主様。それと次から分からないことがあればスキルにある【鑑定】で調べることをおすすめします。そのようなスキルをお持ちになっているのに使わず窮地に追いやられるのは、愚かです」
「なるほど、確かにそうだ。コレからは気をつけるよ。ありがとう」
そうだな。確かに鑑定があるのだから【治癒魔法】の方法もステータスを鑑定して調べられたかもしれない。今回は彼女に教えてもらったからいいが次に彼女がいるかは分からないからな。鑑定癖をキチンとつけておかないと。
ズキンとした痛みが体に広がる。
そうだ。傷口を治さないと。
彼女に言われた通り、肩の傷口に手を当てる。そして「ヒール」と言うのだっけか?
「『ヒール』」
おぉ……。体の中の何かが手に集まって、放出していく感覚がある。これが魔法か。傷口の部分が心無しか暖かい。でも
「治りは、あんまりだな」
大分力を使っている感覚があるし手応えも感じるのだがそれでも治りはいまいちだ。やっとのことで薄皮一枚つながったという感じか。応急処置程度なため激しく動くと傷口が開くかもしれない。
初めての魔法だったため少しだけがっかりしたのは内緒だ。
「治りが悪いのは当然というものです主様。【治癒魔法】も主様も共にLV1。それに高度な治療を求めるのはねずみに鷹を取れといっているようなものです。愚か。それは愚かというものです、我が部屋の主様」
「確かにそうだな」
そうか。俺もスキルのレベルもレベル1なんだな。この世界は本当にスキルと自分のレベルの高さが重要なのだということが実感できた。
「さて、傷がふさがったことだし質問をしていいだろうか?」
「我が部屋の主様。私めに許可を取るのは必要のない無駄な行いです。無駄は愚か。私の行動を決めるのは何時だって我が部屋の主様、あなた様でございます。手や足にいちいち許可を求める人がいるでしょうか?いないと思います。いたら私がボコってこの世から消してしまうのでやはりそんな変人はこの世にいません。真に愚かです主様」
「分かった。分かったから。とりあえずいいってことで話進めるからな?」
とりあえず強引に話を前に進める。彼女の遠慮のない言葉ですり減る俺の精神を守るためという理由もある。
「何者…という言い方はあまり好きじゃないからこう聞こう。君は『誰』だ?」
彼女の灰色の瞳をまっすぐに見つめて、問う。彼女もまた俺の視線を逸らすことなく受け止めた。キレイな瞳を覗き込めば反射で俺の姿が映っている。
「私は『誰』でもありません主様」
「それは……」
一体どういう意味だ?
「なぜなら私には私を示す『名前』が存在しないから。『役割』ならございます。それは『部屋を管理』すること。部屋は誰かが管理して初めて人が住む空間になりますので。
あなた様の能力【部屋創造】にて産み出された『部屋の管理人』。主様の忠実な部下にして家来、それが私です。逆に言えば今の私はただ『それだけ』の存在です。私はまだ『誰』でもない。なぜなら私には私を示す『名前』が存在しないから」
……やたらと名前の部分を強調してくるな。そこだけ声に意志というか力がこもっていて迫力を感じる。名前がほしいことは予想つくが俺なんかがつけてもいいのだろうか。
【部屋創造】の能力にて産み出されたということは彼女を産み出したのは俺ということか?信じがたい話だ。それに俺の忠実な部下といっていわれても、まるで実感が湧かない。
これは【部屋創造】の能力にも言えるのだが、いきなり今までなかった手や足が増えて、すぐに馴染むというのは無理だという話だ。人には『経過』が必要だからな。
それでも、いつか当たり前のように感じて、手や足のように自分の一部だと思えるときがくるのだろうか?
まぁ、それは今はいいか。こういうのは時が解決してくれる。今は時が解決しないものを優先しなければ。
「君については、なんとなく分かった。なんとなくな。それより勘違いだったら悪いんだが、もしかして名前をつけてほしいのか?それは俺がつけてもいいのか?」
彼女は表情を崩さず無表情のまま俺の質問に答える。
「つけてほしいなんて、一言も言っておりません。私はただ『名前がない』ので『何者でない』と主様に申し上げただけのこと。そう、つけてほしいなんて私は一言も言っていないのです。ただ主様は私みたいな女の子が名前も与えられずただただ機械のように忠実に命令だけをこなしている姿が好みという……」
「仕方ない!俺が名前をつけてやるか!」
全く。人を勝手に血も涙もない性癖の持ち主に仕立てあげないでほしい。
確かに名前は大事だし、出会ったばかりでまだ彼女が部下だという実感はないがそれでも機械のように働く姿よりは人として生きて仕事をこなしている姿のほうが一緒にいて楽しいだろう。俺にとっての『理想』は間違いなくそっちだ。
それにしても名前か。よく自分でゲームとか小説とか創っていたから名前を考えるのは得意だが正直それらの名前は適当だからな。彼女にはなんというかキチンと考えてあげたい気分になる。
俯きながらぶつぶつと小さな声で「名前がないからといって…」「私は名前のない道具…」と呟いている彼女を見て苦笑いする。相当名前がほしいようだ。ほしいならほしいと素直に言えばいいのに。誰に似たのか、彼女の性格は大分ひねくれているようだ。
「『春』だ」
「…?ハル?」
俯き、陰りを見せていた彼女の顔がパッと上を向く。だがその顔を見る限りまだ何のことを言っているのか分かっていないようだ。
「そう。俺の名前と同じ、季節から取った君の『名前』だ。どうだ?春。君の名前は」
「あ、主様にしてはなかなかのセンスだと申し上げます…」
再び俯く春。だがその顔には先ほどと違って、陰りが全くなかった。
「ハル…私の名前は春…」
名前もどうやら気に入ってくれたようだ。顔を合わせてからずっと能面のように同じ表情をしていた顔に初めて感情の篭った表情が浮かんでいる。照れや嬉しさ、そんな彼女の中にうずまいているだろう感情がすべて表情に現れる様は見ていて微笑ましい。つけた甲斐があったな。
「気に入ってもらえてよかったよ春」
「はい…主様…あの、名前ありがとうございます。これからは春として秋様に誠心誠意仕えさせていただきますのでどうかよろしくおねがいします」
「ああ、よろしく頼むよ春。それにお礼を言うのはこっちだ。ゴブリンから助けてくれてありがとな」
本当は『様』付けなんていらないんだけど、短い付き合いだが彼女の性格は何となく分かる。たぶん、「様付けしなくていい」なんていっても頑に聞く耳を持たないだろう。ならば、まあ好きにやればいいさ。好きなように。
気づけば無意識に春の頭に手を伸ばして撫でていた。ハッと自分のやっている失態に気づきやめようとするが思ったよりも春の受けがよく、気持ち良さそうに目を細めているため、苦笑いしながらもう少しだけこのまま撫でることにする。
……なんていうかすごい猫みたいだ。