第56話 二つの災害
灰羽秋はこれまで、決断してきた。
重要な物事を。
選択を。
幸せのため、理想のためと、そう言って。
両親から離れて暮らし始めたのも、異世界に行くことを決断したのも。
部屋の外へ行くと決めたのも、使用人や住人を部屋に受け入れたのも。
同じ理由だ。
幸せと理想を信じて。
これまで生きてきた。
そして同時に────そんな自分を、どこかで、嘲笑していた。
本当に馬鹿げた話だ、と。
そう。
これは馬鹿げた、ある、一つの話だ。
──『からっぽの命』。
じぶんのことを、そう表現したのは
小さな、誰もいない島で眠り続けている、緑竜王のよもぎだった。
よもぎ。
秋と『契約』を結んだ竜王。
同じように、精霊の冬とも契約を交わしている。
契約とは、簡単に言えば繋がりのようなものだ。
力や意志に繋がりを持って、ある意味、助け合うために、縛り合うためにやるためのものだ。
そんなもの、必要ない。
必要のないものの中でも、特に、そう。
なんだったら、この世界で一番、必要の無いものだと言っていい。
初めて『契約』の話を聞いたとき、秋はそう思った。
だが結果的に見れば二人と契約をしている。
冬の──誰もいない何もない無の空間の中で
ただ一人孤独に過ごし続ける『無の精霊』の契約を。
よもぎの──過去の幸福を夢に見るため
ひたすら眠り続けている『緑竜王』の契約を。
受け入れて、契約を交わした。
繋がりを作って、縛り合った。
必要のないものの、はずなのに。
理由は、二人に共通する、ある言葉だった。
──『幸せ』、と。
二人は言った。
今自分は、幸せなのだと。
無で一人、孤独にいることが。誰も来ない孤島で眠り続けることが。
幸福なのだと主張した。
幸せとは、そういうことではないはずだ。
もっとこの世界には、幸せなことがある。
それを教えてやる──。
契約をしたのは、彼らのその幸せを、否定するためにだ──なんて、いうのは
嘘。
真っ赤な、嘘。
それは一見綺麗な、むしろ綺麗すぎる上っ面を取り繕った偽物の理由だ。
そうではない。
そんな理由ではない。
一見冬やよもぎを思っているようにみえるが
そんな事はこれっぽっちもなかった。
すべては、秋の中の、『ある事実』が原因だった。
『あなたも、私と同じ』──よもぎは契約を交わした時、秋にそう言った。
よもぎは昔契約していた、秋とは別の契約者との日々を幸せに思っている。
つまりそれは幸せを知っているということ。知っているからこそ、よもぎは、それが無くなってしまった現状を、受け入れられずに、過去の幸福に囚われ眠り続けている。
だから正確には、同じではない。
灰羽秋とよもぎは、同じではない。
──秋は。
──『灰羽秋』は。
『知らない』。
そもそも『幸福』が何か、を。
幸福がわからなかったから、『理想』が何かも、わからなかった。
だから出た。
出る事ができた。
元の世界を捨てて、異世界へ。
部屋の中を捨てて、終焉の大陸へ。
──『捨てたものとあまりにも釣り合わない幸福』と、そういって。
何かわからないから。
"それ"を探し彷徨うかのように今いる場所から離れた。
終焉の大陸で海を見つけたときに外を望んだのも、同じだ。
そう──。
これまでずっと、秋は。
幸福が何かを知らずに、それなのに。
幸福を動機にして、選択して、行動していた。
歪だ、と、思う。
馬鹿げた話だ、と、思う。
だから冬とよもぎと『契約』を"交わさざるをえなかった"。
よもぎの口付けを避けるのは、身体能力で言えばとても容易いことのはずなのに。
避けられなかった。
『怖かった』からだ。
幸福が何か断言することができないから。
眠り続けることを、無の空間に居続ける事を
彼らの幸せを認めて、契約しないでいる事ができなかった。
『幸福』とは『諦める』ことなのだと認めることが怖かった。
認めてしまえば──。
彼らの幸せのあり方に、深く『納得』して、『共感』してしまうから……。
灰羽秋は幸福を知らない。
でも幸福にこだわるし、生きることにこだわる。
それは人間としてとても自然で当たり前の事だし
それに、もう一つ理由がある。
それは尊敬する両親の願いでもあるから。
その言葉を言われたのはもう、随分と昔の話。
だからこれはとても古い記憶の一端。
その時、秋は幼い妹を亡くして
その理由を自分のせいにして自暴自棄になっていた。
自分の疲労すらも考えず、とにかくひたすら、強くなることに打ち込んでいた。
身体も、頭も、心も。とにかく自分をひたすら研磨したかった。
そんな秋の気持ちを理解してか、両親は何もいわなかったが
さすがに倒れたとあっては大事だからだろう、初めて両親は病室で秋に注意した。
身体を大事にしなさい。
自分を責めてはいけない。
そんな生き方では死んでしまう。
確か、そんな風に。
記憶が曖昧なのはきっと、理解できなかったからだと思う。
別に、死ぬつもりなんてなかった。
むしろ、どちらかと言えば生きるためにやっていたことだ。
生きるためには強さがどうしようもなく必要なんだから。
むしろなぜこんなにも世界は厳しいのに
どうしてそんな軽い気持ちで、悠長に生きているのだろうって
周囲に対して不思議な気持ちを抱いていたほどだった。
きっといつかどんな形だろうと、理解したはずだ。
『弱肉強食』。社会が平和を謳おうと、上っ面をどれだけ取り繕うとも
やはり滲み出てしまうのだ。
根本的に命というものは、そういうものなのだと。
たまたま。妹の死でその法則に気づけた。
自分のしている事は『生きる』という事を、ありのまま受け止めてそれに対応しただけだ。
強くあるために、努力をしているだけだ。
その程度の、認識だった。
でも確かに言われてみれば
『死ぬなら死ぬで別にそれでもいいかもしれない』と。
当時、どこかでそう思ってたのも事実だった。
だって別に、特別な生きる意味なんてものが、そもそもないんだから。
だから倒れるまで何かに没頭することができたのかもしれない。
出来ない事が出来ていくのは、なんにせよまあ、楽しく、充実があった。
なにより考えたくないことを、考えずにいられた。
病室で両親の言葉をそんな風に聞いていた秋は
ふとある質問を思いついて両親に尋ねた。
先生に分からない問題を聞くように、軽い口調で。
『なんで俺を産んだの?』
と。
すぐに自分の言葉を後悔した。
今でも、当時言うべき言葉ではなかったと思う。
人生で、一番、もっとも言ってはいけない言葉だった。
でも言葉は、取り消せない。
良い方には全然その力を発揮しないのに、悪い方にはとことん発揮するのが言葉の力だ。
父と母の、その言葉を聞いてしまった、表情を見ながら、心の中で叫んだ。
──違う。違うんだ。
単純にただ気になって、知りたかっただけなのだ。
本当に、ただ純粋に。
でもどうしても知りたかっただけなのだ。
『秋』
父が秋の名前を呼ぶ。
強く、真っ直ぐに、秋の目をみて言った。
『生きて、幸せになってほしい。
私たちの願いは……。親から子へ願うものはいつでもただ、それだけだ』
両親のことは好きだ。
心の底から尊敬している。
生まれた意味は、教えてもらえなかったけど。
でも、この両親から生れてよかったと、そう思えた。
父が言った言葉は命に刻まれた。
『生きて幸せになってほしい』──と。
いつからか、それが、秋の生きる特別な理由になっていた。
灰羽秋は、こだわる。
生きることに、幸せなことに。
理想に、こだわる。
でもそれは……とても難しかった。
なぜならこの世界は理想や幸せを求めるには、
どうしようもなく戦うことが必要だからだ。
子供と愛する者を目の前で失った燃える豹のような魔物。
彼らは幸せだったのだろうか。
世界は弱肉強食で自分も愛する者も子供も皆弱いから死んだのだと。
納得して死んだのだろうか。答えはきっと、永遠にわからない。
終焉の大陸は、厳しい。
いや、終焉の大陸はただ、むき出しなだけだ。
覆い隠されていないだけ。取り繕ってないだけ。
その『厳しさ』が、ありのまま、あるだけだ。
生きるためには戦わなきゃならない。
戦いに勝つためには、強くなければならない。
そんなの、どこの世界も変わらない。
世界とは、ただ世界というだけで。
この大陸のように厳しいものなんだから。
都合がいいものなんて、ありはしない。
そう、断言できた。
二つの世界を知ったからこそ──だ。
多少の違いはあれど、根本は変わらず同じだった。
"それ"がやっぱり、どうしようもなく不変で普遍な法則なのだと、思い知らされた。
……別に、それならそれでいい。
そう、思う。
別に戦わなきゃいけないこの世界を
愁いているわけでも、愁いたいわけでもない。
ただ対応するだけだ。
強さが必要ならば、どこまでも『強く』あるだけだ。
これまでだってずっと、そういう風に生きてきた。
灰羽秋は──生きる。
『強く』、生きる。
強さとは『諦める』ことだ。
他人を諦め、自分に求めることで『自立』することができる。強くなることができる。
頼ったり、甘えたり、縋ったりすることは弱くて、脆いものだ。
だから、この間も、また一つ、ある事を諦めた。
赤い髪の少女、坂棟日暮を助けにいった時だ。
少女が騎士のような男に組み敷かれているのをみて、強欲な貴族を見て、「あぁ、やっぱりか」と。
やっぱり、この世界も、そんなに前と変わらないのか、と。
小さな溜め息を吐くように、そっと終焉の大陸の『外』を──『この世界』を諦めた。
それから気がつけば《大森林》なんて危険きわまりないところにきていた。
『認める』ときが訪れたのかもしれない。
そんな予感と共に。
◇◆◇
──風が吹いている。
終焉の大陸、《大森林》の森。
戦いの跡という名の荒野のような場所、広場で、
秋は伏せていた顔をあげた。
ある予兆を感じて、だった。
大きな爆音が起こる。
死体の山の上から、秋は音の発生した方向を見つめる。
爆音と共にあがる大量の土煙。その中から、広場の周りを覆う森の、木をなぎ倒して現れたのは、巨大な体躯を持つ獣の、とてつもない数の群だった。
その事が分かっていたように、慌てることなく、その場を飛び退いて離れる。
魔物の群れは、爆走する。
さっきまでいた死体の山を蹴り飛ばし、あるいは踏みつぶして
足音というよりも最早地響きとも言っていい音を、立てて、猛烈に駆け抜けていく。
どの魔物も、必死な形相を浮かべていた。
そう、目的があって走っているというよりかは、その魔物達は、慌てて、まるで何かから必死で逃げるような無我夢中の走り方だった。
現に、そばにいる秋の事なんか気にもかけずに、走りぬけ、その場を過ぎ去っていった。
魔物の後ろ姿から、ゆっくりと視線を戻す。
残っていたのは魔物の通った跡だけだった。
獣道……というには、あまりにでかすぎるかもしれない。
木や草が剥がされ、土の地面は踏み固められ、たくさんの魔物の足跡が残った、荒々しすぎる一つの道。
その道の中に、歩いて入る。
道の中の見通しは、とても良かった。
魔物の通った場所が、はっきりと、後ろも前も、真っ直ぐに続いている。
とても大きな、道だった。
その真ん中に、一人──孤独に。
ぽつりと佇んだ。
最初に感じた『予兆』は、まだ、今もなお続いている。
魔物の群れが現れたことを、指したものではなかった。
秋は道の先を、無機質な目でじっと見つめる。
──風が吹いている。
この大陸ではただ強く生きる事だけが肯定される。
幸せというものは、この大陸では、弱いことに分類される。
許されないことの枠組みに、それは組みこまれている。
それこそがよかった。
都合がよくて、美しくて、理想的だった。
秋は『強い』……ただ、それだけの人間だったから。
だからこの大陸に染まってしまいたいという思いが
ずるずると、決断を先延ばしにしてきたのだろう。
選択の時だった。
いや……。こんなの選択ですらない。
結論が最初から決まっているのだから。
灰羽秋は、思う。
──現象になることこそが。
──幸せを諦めることが。
「…………せだ……」
一言だけ、呟いた。
とてもきれいな無機質な瞳で、道の先を見据えて呟いた。
『そんなの、幸せなんかじゃ、ないッ!』
同時刻。
部屋の中、ラウンジでぐるぐるに縄を巻かれた坂棟日暮がそう叫んでいたとしても。
灰羽秋の耳には届かない。届くはずがない。
ここにいるのはただ、一人だけなのだから。
物理的な限界が、そこにはあった。
出会いがあった。
騒がしい魔王。
眠り続ける竜王。
落ちぶれた冒険者。
そして全ての始まりは──弱く、泣き虫の赤い勇者だった。
そういえば、と。ここにきて秋は一つ疑問に思う。
赤い少女と相対したとき何か、思ったことがあった。感じたことがあった。
それは一体なんだったんだろうか。
少し考えるが、思い出せない。
いや、思い出せないんじゃない。
思い出す、必要が、もうないんだ。
感情も意志も、必要のないものは何もいらない。
幸せを諦めれば、ただ強いそれだけになれば、こんなにも世界は清らかで美しい。
ここに、誰かがやってくることはもうない。
何者に出会うこともない。
灰羽秋は、ゆっくりと道の真ん中で顔を上げる。
この道は──孤独の道だ。
もしこの道を歩むというのなら、その先にあるのは、何か。
考えるまでもない。
──風が…………。
『風が吹いている』。
吹いて、荒れている。
荒れ狂っている。
時間が、経つごとに。
"それ"が近づいてくるごとに。
秋はゆっくりと現れる、その、『到達点』とも言うべき存在を見つめる。
それは現象だった。
ただ風が吹くという。
短く美しい方程式のような、ただそれだけの、現象。
『BoooooooOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO────────』
災害魔獣──《嵐》は
ゆっくりと道の先から姿を現し、低い音で鳴いた。
◇◆◇
『風』──と。
そう表現するには、あまりにも度が過ぎていた。
加減を知らない子供の八つ当たりのように。
無差別に、平等に、四方八方に猛威を奮う風。
木を根元から引き抜き、草を土ごと引き剥がし、どんな巨大な魔物も宙に浮き上がらせる。
地上の何もかもが、等しく舞い上がった。
舞い上がり、そして砕けた。
風の中にはたくさんの──かつて何かだった小さな破片があった。
その破片はとてつもない速度で吹く風にのって、凶器となって木や、岩や、魔物に衝突する。弾丸で撃たれたかのように何もかもが打ち砕かれる。
破片は自分と同じ存在を求めるかのように、あらゆるものを破片へと変えた。
その破片もまた、かつて自分がそうされたように、風にのって形あるものを破片へと変える。
『それ』が過ぎ去った後は、どこまでも細かく砕かれた破片だけが残るのだ。
幾千の弾丸が飛び交う戦場よりも危険な風……いや──
嵐だった。
現象としての嵐であり、災害としての嵐であり。
そしてどこまでも凄惨極まりない弱肉強食の世界──『終焉の大陸』の最上位に分類される魔物でもある
《嵐》だった。
嵐の中心部。
そこは周囲の凄惨さが嘘のように、風が無かった。
ぽっかりあいた嵐の穴。
そこに嵐の元凶がいる。
災獣──《嵐》は考えない。
とうに消え去った。あるいは捨て去った意識、意志、感情。
あるのはただどこまでも研ぎすまされた本能と力だけ。
だからこの思考は、ただの機能か。
あるいは《嵐》が現象ではなく魔物だった頃の残滓でしかないのだろう。
《嵐》は、大陸を徘徊する。
当てもなく、目的もなく、意味もなく、ただ彷徨う。
自分の起こす嵐は、留まるよりも動いたほうが強い力を発揮することを理解しているからだ。
それだけだ。他に理由は無い。
それだけで何十年と止まることなく彷徨い続けている。
己の存在がより強くあることだけがこの世界では生に繋がる。
だからそれ以上の理由なんてないし、それ以外の理由なんて必要なかった。
何十年と。
彷徨い続けている間。
見つめるのは、たくさんの不要物を巻き込んだ濁った川のような風だ。
意識のある間はほぼずっとそうだ。いつも周囲は風の壁がとりかこみ、目の前は濁り続けている。
当たり前のことだった。
だが時々、風の壁の先を見通せる事があった。
風の間に隙間ができたり、濁りが一瞬収まったりなどをして
自分の起こしている、現象の外側を覗き見れる時がある。
その瞬間は、とても貴重な物だ。
それは興味といった感傷的なものではなく
生きるための情報拾集という意味で、貴重だった。
なぜそんな事をする必要があるのか。
《嵐》は知っているからだ。
この大陸において《嵐》は限りなく頂点に近い。
だが同時に、絶対ではない。
警戒をして、時には逃げたり、あるいは戦ったりしなければならない時があることを知っている。
なぜなら、この世界には自分と──『同類』の存在がいるからだ。
とてつもない力をその身に宿した、同じ生き物が、確かに生息しているからだ。
だから、濁った風をひたすら見つめる。
その行いは、この時も実ることになる。
『──────────────……』
視界の先にいたのは、ある一匹の──魔物だった。
それを捉えた瞬間。
《嵐》は自分のなかのある機能が働いたことを理解した。
それは『思い出す』という機能だった。
普段、何かを思い出すことなく生きている。目に映るほとんどの物は、自身の起こしている風に巻き込まれて壊れ、あるいは死んでいくのだから。他にも遠くから見かけて逃げている魔物がいるかもしれないが、それは知ったところではない。
だけど目の前の、それに対して、《嵐》は記憶が働いたのを感じた。
堂々と、これから進む先で立ちふさがるように立っている、小さな存在。
『思い出す』。つまり『覚えている』という事。
なぜ覚える必要があったのか。
本能的に理解した。
──危険だ、と。
つまり目の前のそれは、出会ったのにも関わらず壊れずに、『生きている』ということ。
《嵐》は知っていた。法則として身体にしみ込んでいた。
大抵の魔物は、何もできずに死んでいく。それがこの世界の普遍的な出来事だ。
だが時折、生き延びる魔物がいる。
何度も見かけることになる魔物がいる。
そうなっていく魔物は、大抵が自分と同等の存在へとなり、自分の存在を脅かす障害に成りうるということを。経験で知っていた。
例えば──
あまりにも濃い霧の中で佇む騎士の姿をした魔物も。
移動する巨大な水の柱の中で泳ぐ魔物も。
死と生が入り乱れる血塗れの大地で咲き誇る魔物も。
それらの魔物が、今も生きているかどうかは関心の及ぶところではない。
重要なのは、そのどれもが厄介極まる存在へとなったという事だ。
これまでもそうだったということは、この存在も、高い確率でそうなるということ。
危険に成り得るということ。
それだけが、重要だった。
《嵐》は鳴き声を上げる。
目の前のそれを警戒して、発した声だった。
つまりそれは判断したのだ。
目の前のそれが。
警戒するに足りると。
──災獣《嵐》は考えない。
だからこの思考は、ただの機能か。
あるいは《嵐》が現象ではなく魔物だった頃の残滓でしかないのだろう。
目の前のそれは、自分と同じ存在に成るだろう。
あらゆる『無駄』を捨て去り、研ぎ澄ましきって横に並び立つだろう。
ここ数年前からみかけるようになったそれは、取るにも取らない存在だった。
だが視界にうつるたびに、それは不必要なものをそぎ落としたかのように強くなっていく。これまでみてきた、自分と並びえる魔物たちと全く同じ傾向だった。
目の前のそれはとても好戦的で、獰猛だ。
振りまくエネルギーは暴力の災獣──《暴君》に遜色はない。
知なき暴力が《暴君》だとすれば目の前のそれは知をもって暴力を意図的に振りまく。
他の魔物と同じく唯一無二の危険さが、やはり、目の前のそれにもあった。
《嵐》に油断はない。意志も意識も意図もない。
あるのはただ研ぎ澄まされた感覚だけだった。
だから、感覚で答えを導きだした。
──摘むべき、と。
ただ応えを出力する装置のように感情なく答えを導きだした。
目の前のそれは未来の危険だ。危険は避けるか、潰すに限る。
潰すならまだ、自分と同等に成りきれていない、今しかない。今が殺すべき瞬間だ。
ピシッ……ピシッ……。
目の前のそれの肌に、ひびが入る。
黒い、歪なひび。
その光景を見て《嵐》は、自分がそれに強く警戒していることを自覚する。
目の前の魔物は、なぜか、化けの皮を被っている。
理由は考えるべきものではない。
重要なのは、その化けの皮が、はがれようとしているということだ。
災害魔獣──《嵐》は考えない。
やはり、考えない。
意識も、意志も、感情もそこにはない。
ただ現象のように、ただそこにあるだけだ。
だがもし災獣《嵐》がまだ現象でなかったなら。
魔獣としての残滓が、強くあった頃ならば目の前のそれをこう呼んだだろう。
現象の魔物と認め、こう呼んだだろう。
災害魔獣──《人外》と。
◇◆◇
災害魔獣──《人外》は考えない。
消え去っていく。あるいは捨て去さられていく意識、意志、感情。
必要なのはただどこまでも研ぎすまされた本能と力だけ。
だからこの思考は、ただの機能か。
あるいは《人外》が現象ではなく人間だった頃の残滓でしかないのだろう。
《人外》にはたった一つだけ心残りがあった。
それは自分の能力で生まれた一人の家族のことだ。
この世界で唯一の家族。灰羽春。
自分がもし死んでしまったら彼女はどうなるだろうか。
そんなことをずっと考えていた。
能力で生まれた、元の人間が消えれば能力も消える。その可能性があった。
だが《人外》は今確信を持っていた。その可能性は充分排除できるものだと。
【部屋創造】は万能だが無限ではない。
とても便利だし、もし無限であればきっと、何でもできるのに。
やっぱり世の中そう甘くはない。それは覆しようのない事実だ。
だがもし、覆せるとしたらどうだろう。
『RP』が無限に手に入るようになったら【部屋創造】という能力は無限になることができる。
理想の世界だ。
覆せる手段が一つだけある。
それはこのまま自分が現象になってからも、魔石だけは採取し続けること。
この大陸の、無限に沸くといってもいい魔物たちの魔石を回収し続ければ
そうすれば『RP』はどこまでも増える。理想の世界ができあがる。
そんな理想の世界で春に生きてほしい。
自分とは違う幸せを見つけた、春に。
……と。
そんな意志も──最後の最後にあったかもしれない。
すべては──幸福に向かっているのだ。
勝てば生きるという現象に。
負ければ死という現象に。
どちらにせよ同じ事だ。
《人外》はただ、どこまでも進み続ける。
現象のように、強く生き続ける。
◇◆◇
二つの災害が──ぶつかり合おうとしていた。
二つの災害は相容れない。
だから戦う。戦えば、必ず、どちらかが滅ぶ。あるいはどちらもが。
勝者だけがこの世界を覆うことが許される。
これから行われるだろう戦いはそういうものだった。
災害と、災害の衝突だった。
いや、そもそも命とはただそれだけで
災害のような、ものなのかもしれない。
──光が、現れた。
唐突に、脈絡なく。
ぶつかり合おうとする災害と災害の間。
この世で今もっとも危険な場所に。
魔素溜まりのように虹色の光ではない。
淡く、小さな。
白い、ただの光が。
災外魔獣──《人外》は正確にその様子を視界に捉えていた。
《嵐》の方を見ていればいやでも目に入って来たものだった。
それは《嵐》と戦おうとする自分の前に、まるで阻むようにして現れたから。
なんにせよ、今更、意識が逸れる事は無い。
どんな事が起ころうとも。
無機質な瞳で、これから戦う相手だけを《人外》は見つめ続けていた。
少しずつ光は収まりそして──消える。
光があった場所。
そこにいたのは──
小さな、薄汚れた少女だった。
【新着topic(new!)】
【名詞】
『現象の魔物』
終焉の大陸を長い年月生き延びた魔物たち。
魔物と言っても意識は希薄で、ほとんど自分の力を振るうことに特化している。
終焉の大陸の中でもその強さは圧倒的。
【魔物】
パラメーター
S……ほんとにやばすぎる
A……やばい
B……すごい
C……なかなかできる
D……頑張ってる
E……普通
F……うーん
G……赤子
《嵐》 強さ:?
終焉の大陸を徘徊する一匹の魔物。嵐の環境魔獣。
長い年月を生き抜き、現象の魔物に成り果てた。