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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第1章 《  》と『      』
58/134

第55話 春愁にして惷秋

※春視点


春愁……春の日の、何となく悩ましく感ずる、物思い。

惷秋……おろかに迎える、秋の季節。 (※造語です)











 これは、記憶です。

 まだ『ラウンジ』ではなく、『玄関』だった頃の……。

 住人がおらず。まだ部屋にいる人が私と、秋様だけだった頃の──記憶。



 シン、と。



 その狭い空間──玄関は、静まりかえっていました。

 その頃の私は一人、小さな段差にぽつりと座って開かないドアを眺め続けているのです。


 早くドアが開いてほしい。

 無事に帰ってきてほしい。

 そんな事を、思いながら。


 カチャリと、ドアが開く音が耳に届きます。

 ですが、目の前のドアはぴくりとも動いてはいません。

 音が聞こえてきたのは背後にある『内側』へと続くドアからでした。


「くぅん」


 ゆっくりと遠慮するように開いたドアから現れたのは

 ある日から居着くようになった、魔物の雹。

 いつものように、頭に水色の鳥彗をのせながら心配そうに近づいて来ます(この二匹の間柄は未だに謎です)。


 私はドアから視線を外して、白い犬のような、あるいは狼のような雹に視線を向けて

 柔らかい頭を撫でながら言いました。


「大丈夫です。もうすぐ。もうすぐ秋様も帰ってくるころでしょう」


 雹は一度もそんな事を尋ねてきてはいないのに。なぜか私はそう返すのです。

 その理由は……。考えなくても分かります。

 その言葉は雹にではなく、自身に言い聞かせるための言葉だった。ただそれだけの事です。


 ──大丈夫です。

 ──秋様はもうすぐ帰ってきます。


 ここに座って待っている間。

 一体何度、愚かにそのこと言葉を繰り返したのでしょう。

 そうして繰り返した言葉の数が、私が秋様を疑っている数だとも知らずに。


 息を深く吐き出し、私は視線をドアへと戻しました。


 身体に柔らかくて暖かな感触を感じ、その場所に目を向けます。

 いつの間にか、雹が横に密着するようにぴったりと並び、体を伏せていました。


 鳥の彗もピヨピヨと歌うように鳴きながら、雹の頭から私の頭へ移動して静かに止まります。

 本来なら愚行と叱りつけるところ。

 ですがまあ、なんとなく叱るのはやめにしておきます。

 

 雹と彗がやってくるまで、私は本当に、ずっと一人でした。

 でも今はこうして、一人ではないことに(それが小汚い獣とはいえ)

 なんとなく、良かったと思う、自分がいるからです。



 私は──私たちは、眺め続けます。


 開かないドアを。


 一日経っても、二日経っても。

 一ヶ月経っても、二ヶ月経っても。



 秋様の帰りを願い続けて。





 ◇





「がぼっ、ごぼぼ。

 じ、じぬ…………ごぼぼぼぼぼぼ」




 現在。


 『治療室』(【部屋創造】の能力によって創造された部屋の一つ。主に治療を目的とした部屋)

 では男の醜い、溺れている声が響いていました。

 

「ごぼ、ごぼぼ……死ぬわっ!!」


 治療室に複数あるベッドのうちの、一つで寝ていた、包帯だらけの男が飛び上がります。

 直後、動きが傷に響いたのか「ぉぉぉ……」と痛みを我慢するように呻き声をあげました。


「動くと傷に響きますよっ!」


 男の名前は、先日瀕死の状態で部屋に転がり込んできた傷だらけの男、『サイセ・モズ』。

 そしてサイセ・モズの寝ているベッドの傍で、看病をするように椅子に座っている使用人──『千』はにっこりといつも浮かべている笑みのまま、サイセ・モズに声をかけました。


「動きたくて、動いてるんじゃあ、ねえんだよなぁッ!!

 うぉぉ……いてえ……」


「大声も傷に響きますよっ!」


「大声だって……出してくねえんだよ、クソ……。

 ていうかよ。ちょっといいか。なんかお前をみてると、なんかこう、身体全体がむずむずと痛むんだが……。古傷が痛むみたいにな。お前俺になんかしたか?」


 若干怯えの混じった目で、サイセ・モズは千のことを見つめます。

 千は浮かべた笑みをほんの少しも崩すことなく、サイセの言葉に答えます。


「気のせいじゃないですかっ」


「……まあ仮にそうだったとしても助けられてる身なんだし文句は言えないがな。

 だが、よ。あんたらは一体なんなんだ?

 この場所も、アキってやつの能力ってとこまではまぁわかるが……。

 ただそれにしたってちょっと、尋常じゃあなくないか? ヤバくないか?

 終焉の大陸なのか、ここは?」


「質問が多すぎますよっ!

 とりあえず水っ、おかわりいりますかっ?」


 千は持っている大きめな水差しを心無しか強く、ぐっと、気合いを入れるように持ちます。

 サイセ・モズから「うっ」という声が、漏れでました。水差しを見る目に心無しか恐怖が混じっているのは、きのせいでしょうか? きのせいですね、きっと。


「いや…………もういい。水は飲めた。充分飲めた。

 おい。充分だって、もういいって言ってるだろ。なんで水差しを傾けるんだ。

 やめろ!! その水差しを俺に近づけるな! やめっ、ごぼぼぼぼぼ」


 水差しを持った千が立ち上がり、サイセの口元にむけて水瓶を傾けます。

 水が勢いよく流れでました。コップなどの容器を介することなく、直接、サイセの口へ向けて。しかも水が出てきた場所は勢いなどを調節するために作られた、本来の用途であるはずの、水を差す部分からではなく、水差しの中に水を入れるためにあるであろう、大きめにあけられた穴からです。


 喉を潤すどころか、完全に顔全体にかかり、服を濡らし身体を伝って

 ベッドと床に、盛大に水がこぼれ落ちます。

 ごぼごぼと水の中でもがくサイセをにっこりと見つめながら、千は水差しを傾け続けます。


「じぬっで、いっでるだろっ!!」


 水浸しになったサイセが、勢いよくまた起きあがりました。

 先ほどと同じように痛みで呻き声をあげながら、助けを求めるように、その光景を黙ってみていた私へ目線を向けてきました。同時に、千もどこか表情に達成感を浮かべながら、満面の笑みで私を見ていました。


 二つの視線を交互に見比べます。

 そして一度、頷きました。


「看病は千に任せても問題無さそうですね」


「はいっ!」


「おいおい、おいおいおいおいおい!! 今のみて普通そうなるか!?

 本気で言ってるのかあんた!?」


「春さんに向かってあんたなんて、失礼ですよっ!」


「うっ……。いや、それはすまん。名前を知らなかったんだ。でもよ。こっちは死にかけているっていうのにまるで孫の成長を見届けたかのように、すごい満足げに頷かれたら、つい口を出してしまうのもわかるって話だろ?」


「では千。後は任せましたよ。しっかり看病してあげなさい」


「はいっ、任せてくださいっ!」


「……俺が一方的に助けられているっていうのは分かってるんだが……。

 扱いが雑すぎて泣けてきた」


「それとこぼれた水はちゃんと掃除をしておいてください

 ──サイセ・モズ」


「俺が!?」


 サイセは心底驚いたように声をあげます。


「当然です」


 ぼそぼそと「つーか、何で名前を……」とつぶやいているサイセに即座に返答します。

 

「こぼしたものは拭かなきゃだめですよっ!」


「いや、これやったのお前だろ!」


「えー、そうですかっ?」


「では、千。あとは任せましたよ」


「はいっ、御任せくださいっ!

 あっ、水まだいりますかっ!?」


「待て待て待て、ちょっと待ってくれ!

 コイツちょっとヤバいだろ! 絶対ヤバいだろ!

 なあ、いかないでくれ、頼む! こいつと二人きりにしないでくれ、頼む──あっ」



 勢いよく水がこぼれる音と、溺れる男の醜い声を聞きながら

 『治療室』のドアを開き、その場を後にします。




 ──バタリ、と。

 ドアを閉じると、先ほどまでのにぎやかだった雰囲気は、世界のどこかに、切り離されてしまったかのように一瞬にして止みました。


 シン、と。

 静まりかえっている空間。

 一瞬私は、あの頃の、昔ずっと居続けていた『玄関』の光景を思い出します。


「…………」


 暖かい南国から、凍える雪国に放り込まれたような温度差がそれをさせたのでしょうか。

 いずれにしろその『錯覚』は、一瞬の事でした。


 どこからか流れてくる、心地よい音楽が私を現実へと戻します。

 ずっと一人でいる私を気遣って、秋様はラウンジを作るときに、この音楽が流れる機能を付けたのでしょうか。唐突ですが、なんとなくふと、そう思います。真意を確かめることはできませんが。


 目の前に広がる光景は、高級ホテルに備えられたような、ラウンジの光景。

 もはや『玄関』だった頃の面影など微塵もありません。


「『十年』、ですか」


 つい最近。私たちは過ごした年月の長さを知らされました。

 それは私が生まれてからの年月であり、秋様がこの世界にやってからの年月。

 そして──


「やはり、変わるものですね」


 軽く見回し、今ラウンジにいるのが、私一人だけなのを確認します。

 住人たちは外で糧を得るために採取などをしている時間帯ですが……そもそも彼らは、別の生活する部屋(というよりも村)を秋様から与えられているのでラウンジに来ることはあまりありません。


 強いて言えば、『漁場』に釣りをしにいくゴブリンや、料理を習いに『食堂』へ赴くワーウルフを時々見かけるくらいでしょうか。

 そういえば、他にもスイーツを秋様から受け取りにコソコソと移動する赤い刺青の入ったゴブリンも見かけたりしますね。


「他には──」


 住人以外でラウンジで見かけるのは、主に『使用人』です。

 使用人にはそもそも役割があるので、仕事をこなしているのでしょう。いつもなら手が空いている誰かが、ラウンジにたむろするなりなんなり、しているものですが。タイミングが悪いのか誰もいません。


 最近は、大陸の外から来た者たちも加わりました。


 ティアル・マギザムード。最近は住人の生活へ混じっている姿を見かけます。

 彼女はこの部屋と終焉の大陸に興味があるのか、あちらこちらへせわしなく動いています。博識で、住人たちにとってもプラスになるので彼女の存在はとても歓迎すべきものです。


 先日転がり込んできた、サイセ・モズは先ほどの通り、療養中です。

 起きたらきっちり働いてもらいます。


 よもぎはこの部屋にやってきて秋様に部屋を作っていただいてから一度も部屋から出て来る様子はありません。秋様が言うにはずっと眠っているようです。


 そして先日の騒動の発端である、坂棟日暮はまだ起きていません。

 現在、冬が彼女の看病にあたっています。


 こうして思考を巡らせてみると

 頭に浮かぶ人の数もずいぶん多くなりました。


 これも十年という時の一つの変化なのでしょう。

 いい変化か悪い変化かで言えば、いい変化だと私は思います。


 ──ですが。 


 ラウンジの二階にあがった私は、あるドアの前で立ち止まりました。


 そこは坂棟日暮がここ数日外を眺めるために頻繁に使用し

 サイセ・モズが転がりこみこんできたドア。

 さらに付け加えると──秋様が外へと出て行ったドアです。


 取っ手に手をかけて、ドアを開きます。


 開いて、目に入って来た光景は、強い雨と風に晒された森。

 外に足を踏み出す、寸前のところまで近づきます。


 こつりと、足先がドアの縁に当たりました。


「今、この外のどこかで……………秋様が……」


 十年で様々なものが変わったはずなのに。


 もっとも変わるべきものが。

 変わってほしいと願うべきものが。

 今もまだ変わらずにいる──変えられずにいるのです。



 ──灰羽秋はたった一人で終焉の大陸で戦い生き続けている。

 


 もはやこの事実は、この部屋と私が抱える深刻な『問題』へと成り果てました。

 問題とは、解決しなければならないものです。

 そうでなければ損失を覚悟しなければなりません。


 『損失』とは──『灰羽秋』そのもの。


 そんな事になるくらいならば、いっそ……。


「ピヨピヨ」


 どこからか飛んで来た彗が、歌うように鳴きながら頭に止まりました。

 そういえばラウンジにはこの愚鳥がいたのでしたね。

 頭に彗を乗せながら、外を見ているとまるであの日のようで、私は思わず呟きました。


「また、秋様を探しに外へ行ってしまいましょうか」


 足下にある、この境界線を越えて。秋様の元へと……。

 そんな衝動にかられます。


 過去に二度、私はその衝動に従いました。

 どちらもあまり、いい記憶ではありません。


「ピヨ、ピヨ……」


 彗が怯えたように、服を掴みながら外とは反対の方へ羽ばたきます。


「ふふ……。

 そうですね。また秋様に怒られたくはないですからね」


 一度目に境界を越えたのは秋様が死にかけていた時。


 そして二度目は秋様を探しに、雹と彗を供につれて外へ出た時でした。

 その時は運よく秋様を見つける事が出来ましたが……。見つけた時の秋様の驚きようと、うろたえようはかつてないものでした。そして本気で、私に対して怒りを露わにしました。


 私は部屋の中にいれば、秋様と同じ強さを身体に宿す事ができます。

 逆に言えば、外に一歩でも出てしまえば、全く無力ということ。

 それなのに終焉の大陸をうろつくなんて、自殺行為でしかありません。秋様の怒りも最もです。


 だから、外に行く事はもう、しません。

 いえ、正確には、できないのです。

 もう私は、無謀にこの境界を越えて、終焉の大陸へ行く事が。


 なぜなら── 


「置いていくには、あまりにも大きくなりすぎてしまいました」


 いつの間にか……。私は大切なものを作りすぎていたのです。

 頭に浮かぶ住人や使用人たち。昔とは比べ物にならないほど育った部屋の世界。

 その存在たちをいつの間にか、私は、どうしようもなく大切になっていました。


 秋様がいない今、さらに私もいなくなってしまえば

 この部屋の世界はきっと、終わるでしょう。


 その事実が、枷のように私の歩みを止めて外へ駆り出させない。


 本来、ならば。

 そう、本当にすべてがうまく、巡っていたのであれば。

 今私のように、秋様もなるべきでした。


 私も秋様も。

 互いに互いを、意図を持って、縛りつけようとしたのですから──。



『秋様それは一体、なんでしょうか……?』


『見ての通り、だけど』


『人、ですよね?』


『……どうだかなぁ』


『人里が見つかったのですか?』


『いや……全く』


 ある日、外出から帰って来た秋様が手に抱くように持っていたのは、人間でした。

 突然のことに、私も秋様も同じように狼狽えました。


 これも異世界の一つの現象なのでしょうか?

 秋様にいきさつを聞きながら、そう考えます。


 次に私たちが考えるのはその人間をどうするのか、です。

 ふと一つの考えが降りてきていました。

 今起きている『問題』を解決する手段として、利用することはできないかと私は思ったのです。


 私は秋様に提案をしました。

 その人間を『使用人』としてこの部屋に置くことを。


 その提案は、思っているよりもすんなりと、受け入れられました。

 初めてこの部屋で──『使用人』という立場が生まれた瞬間です。

 秋様、私と続いて、三人目の人間。


 向日葵のように、笑う、三人目の……。


 胸を締め付けられる、感覚。

 『彼女』のことを考えると、いつも、そうです。


 結論から言うと

 その私の目論みは『失敗』しました。


 失敗とは、つまり……。


「ピヨ…………」


「大丈夫ですよ」


 心配するように鳴く、彗に答えます。


 重要なのは。

 はっきりしているのは。


 『問題』は未だ解決することなく

 一つの到達点へと向かって進み続けている、ということです。


 今は問題の対策を、うつべきとき。

 そのためには──

 

「時間が必要なのです」

 

 いっそ出てしまいたい気持ちがあって、ここまで来てしまいましたが

 いつか冬に叱りつけた言葉を自分に言い聞かせ、ドアを閉めます。

 頭に乗っている彗を振り払って、私は作業へと戻りました。




 そうして、どこか落ち着かない気持ちのまま、時間だけが過ぎていきました。

 秋様が部屋をでていってから一日、二日。

 そして──三日経った時。



 私の元へ、二人の人間が訪れます。

 ティアル・マギザムードと坂棟日暮。


 ティアルが秋様の事をこそこそと嗅ぎ回っているのは知っていましたが

 そこに坂棟日暮がくっついているのは……。

 まあ、なんとなく想像がつきます。

 

 まず最初に口を開いたのは、坂棟日暮でした。

 彼女は私に、先日助けられた事への礼を最初に述べたのでした。

 先日の騒動の、私の動きをティアルからきいたのでしょう。


 「構いません」と言って、流します。

 私は偽物の置き手紙をティアルに書かせただけで他には何の労力も支払っていません。彼女が出て行くのを目撃したのも、ラウンジで待機していた使用人の『にしき』です。錦が私に伝え、私は手を打った。ただそれだけのことなのです。


 それよりも私は、話の先を促しました。

 少し納得していないながらも、坂棟日暮は話を先へ進めます。

 続けて語られた、彼女たちの目的は私の想像通りのものでした。


 ──どうして、秋は帰ってこないんだ?


「…………」


 私は口を閉じます。

 その質問に答えるのは、簡単でした。

 なぜなら事態は、シンプルにめぐっているからです。

 本当にどうしようもないほど、単純で、純粋で、シンプルに。


 だからこそ口に出すのは、憚られます。


 シンプルさとは、最も美しく難解な、『複雑』の形です。

 答えを言うだけならば、割り切った数字のように短く的確に答えることができます。

 それがシンプルというものです。


 ですがそれを答えたとして。

 灰羽秋を──思想、意志、感情、主義、過去、現在──の

 すべてをまとめて、短く簡単に、適切な答えとして言い表したとして。


 その事に意味は、きっとありません。

 私の目の前にいる二人は、答えを聞いたところで灰羽秋を何一つ理解する事無く

 事態は何も解決することなく、進んで行くだけでしょう。


 ですが、言わないという選択肢は私の中にはありませんでした。


 理解できないのなら答えなければいい、という選択肢は至極まともです。

 ですが私は、そうシンプルに物事を進めるわけにはいかないのです。


 事態を良い方向へ導くためには

 私は彼女達に何かを伝える必要がありました。


「薄々感じていたのだが

 そもそもこの場所には、何か『問題』があるのではないかの?」


 悩んでいる私に助け舟を出すためか、ここにきてティアルが口を開きます。

 その言葉は的を得ていました。私は「そうですね」と頷きます。

 

「問題?」


 分からずに首を傾げる坂棟日暮。


「分からぬのか? 今も起こり続けておるじゃろう」


「今も……?」


「はぁ……。お主は先ほど口にしたばかりの言葉も忘れたのかの」



 ──問題。


 それは突然発生した、突発的なものではありません。

 目の届かない場所においやり、気づかない振りをしてきたもの。だが世界から無くなったわけもなく、確かに育まれつづけ、そして手に負えなくなったとき、向き合わなければならない。そういう類のもの。


 灰羽秋がこの世界に来てから──いえ、その前からも。ずっと。


「この部屋に起こっている『問題』とは

 部屋の主でもある──『灰羽秋』が

 外に出てから部屋に帰ってくるまでの時間が、延びている事です」


 私は、順を追って説明します。


「どれくらいの時間出ているんだ?」


「最長で三ヶ月です」


「三ヶ月!?」


「すさまじいのぅ」


 日暮とティアルはそろって声をあげます。

 三ヶ月……。それはもしかしたら短い時間に感じるかもしれませんが、居続けている場所というのはあの、凄惨極まりない『終焉の大陸』の世界です。

 彼女たちは、決してその時間を短いとは言わず。驚きと神妙を合わせた表情を浮かべました。


「なんで秋はそんなに終焉の大陸に出続けているんだ?

 あんな……危険な大陸に……」


 当然──そんな疑問も抱くでしょう。


「ふむ、重要なのはその点じゃな。

 わしは秋がこの大陸を出ようとしていないことまでは分かったが

 その理由まで察することはできずにいた。

 要するに秋が部屋に帰ってこない理由が、この大陸から出ようとしない理由に繋がるのであろう」


「……」


 秋様が部屋に帰ってくる期間が延びている理由。


 大陸を出ない理由。

 出ようとしていた理由。


 すべては一つの答えに向けて収束していきます。


 きっとその答えを理解するには

 灰羽秋が生きてきた年月と同じ時間が必要になるでしょう。


 何を経験し、何を思ったのか。

 要因も一つではなく、大小さまざまな要因が積み重なって灰羽秋という人間は構築されています。

 とてもじゃないですが、こんな立ち話で理解できるものとは思えません。思うべきではありません。


 ──ですが。 


 やはり、語るべきなのです。

 遠回しかもしれません。不器用かもしれないし、回りくどいかもしれません。


「一人の少年の話をしましょう」


 それでも私は、話を始めます。

 数多ある要因のうちの、一つでしかない話を。 


「会社員の男性と看護師の女性の間に生まれ

 両親に愛されて育った、一人の少年の話を」


 例えそれがほんの一端でしかなくとも。


「その少年の名前は灰羽秋」


 ほんの少しずつ理解することから。

 まずは、始めてみるべきなのです。




「彼には幼い妹がいました。

 向日葵のように笑う一人の妹が、たった二年間だけ」









 ◇






 

 人が自立するときとは、どんな時なのでしょうか?


 例えば子供が、親の手を離れるときとは一体、どのような時なのでしょうか。

 子供は手を差し伸べていてばかりでは自立いたしません。


 ねだってばかりいる子供の手を振り払う事によって

 初めて子供は親の手を諦めます。


 手とは常に差し伸べられるものではなく。

 世界とは自分の足で立って歩かねばならない場所なのだと心から理解するのです。


 それはある意味、『諦め』と表現することができます。

 親の手を諦め、自分の手で、足で、摑んで歩んで行く。

 諦めることで、他者にではなく、自分に何かを求めるようになる。


 もちろん、この話は一つの極論です。

 他にも様々な、自立の形がきっと、あるのでしょう。


 ですが、少なくとも『灰羽秋』は、そうして自立しました。

 『孤独の性質』は、こう言い換える事ができます。


 ──『自立の極み』、と。


 他の追随を許さない強さと、立ち入る隙を許さない強固な心。

 きっと世界の誰もが勝つことはできない。

 そう言い切ってしまえるほどの、灰羽秋の強さ。

 

 それは『諦める』ことで手に入れてきた強さです。

 人と繋がること。感情を分かちあうこと。人に求めること。


 様々なものを諦めて、それでも、なお──

 『生きる事』と『幸せになる事』だけを諦めずに

 自分自身にだけ理想を徹底的に求めて生き続けて来た。


 それが灰羽秋という人間の、習性であり、人格であり。

 強さの根源です。


 そこに他人の介入する余地は、一切ありません。

 自分自身で、自分自身を満たす。常に自分だけで世界を完結させる、それだけの世界。



 それは……。

 それは、『幸せ』なのでしょうか?

 強い事が必ずしも、幸せに繋がるとは限りません。 


 ……。 


 いえ……。

 私は別に、人生観を語りたいのではありません。


 語るべきは、灰羽秋のことです。

 事実の話をいたしましょう。


 灰羽秋は今もなお、強くなり続けている。

 それこそが、紛れも無い事実であり、問題の根源です。


 彼は、いったい何を諦めて

 何から自立して、強くなっているのでしょうか。


 そしてさらに強くなって、何かを諦めて、自分に理想を求めて強くなる。

 まるで『強いこと』──それ以外の何もかもをそげ落とすようにして生きて、最後に残るのは何なのでしょうか?


 その生き様は、『生きる事』以外のすべてを諦め

 自立していくかのように。



 『孤独の性質』は、加速しています。 



 私の『失敗』も、【部屋創造】の『万能さ』も、終焉の大陸の『厳しさ』も。 

 その理由の一端にあたります。


 ですが最大の理由は灰羽秋と終焉の大陸がどうしようもなく

 『相性』が良すぎてしまっているのです。


 『生きる』以外のすべてから、自立しようとする灰羽秋。

 『生きる』という事以外のすべてを、決して許さない終焉の大陸。


 二つの要素はあまりにもきれいに、組み合わさりすぎてしまっていました。


 だから灰羽秋は、無意識にきっと、選択しているのでしょう。

 この大陸に、居続けるという選択肢を。


 人は幸せに向かって、生きていきます。

 あらゆる選択は、『幸福』に基づいて判断されます。


 ──幸福。

 そう、要するに。


 この話は、『幸福』のお話なのです。

 灰羽秋が、何を『幸福』に思って、歩んでいるのか。ただそれだけのお話。

 だから秋様が部屋に帰ってくる頻度は、少しずつ、着実に減っているのです。



 長い話を、私は語り終えました。

 話したのはこの世界に来る前の灰羽秋の一つのある出来事と『孤独の性質』の話です。


 話を聞き終えた、彼女たちの様子は──

 ティアル・マギザムードは手を組み、口をつぐんでいます。

 そしてもう一人。

 坂棟、日暮は──


「……じだ」


 うつむかせ、小さくぽつりと何かの言葉を呟くと

 突如振り向き、全力で走り出しました。


「またですか」


「またかのう」


 私とティアルは同じ言葉を、彼女の後ろ姿を見つめながら、呆れ混じりに言いました。

 

 走る先にあるのはドアです。

 一階にあるドアのうち、唯一、外へと繋がっているドア。

 

 彼女が何をしようとしているのか。

 それは考えなくても、一目瞭然でした。


 ──今から灰羽秋のもとへ行こうとしているのでしょうか?


 それでも、あまりの愚かさに、そう疑問を持たざるを得ない。本当に、筋金入りの愚かさです。

 私の目の前でそんな愚かな行為が達成できると思っているということすらも、また。


 私は、一瞬で坂棟日暮に追いつき。服を掴んで蹴り上げます。


「がっ……っ!」


 勢いで飛んでいこうとする彼女の身体を、服を離さず引き寄せ

 そのまま胸ぐらを掴み、壁に押しつけました。

 苦しそうに漏れでる息を無視して私は言います。


「弱い」

 

 手の中でもがく坂棟日暮の目を見て、もう一度言います。


「弱過ぎます」


 歯を強く食いしばる坂棟日暮。


「そして傲慢過ぎます。私ごときにすら勝てないあなたが。

 まだ部屋から出ていないのにこの状態のあなたが

 秋様の元へ行って何かができると、そう思っているのでしょうか」


「……」


 坂棟日暮は口を噤みます。

 何も弁解することなく、言い訳することなく、口を噤みます。


 ただ、苦しそうな表情を浮かべながら、静かな瞳で私を見ていました。

 どこかで見たことある、何かを諦めたような瞳で。

 それから私の手の中でもがき、呟くように彼女は言います。


「そうじゃない……」


「……なんですか?」


「誰かが…………行かなきゃいけない、んだ……。

 秋の、秋のところへ。誰かが……っ。絶対に、行かなきゃだめなんだ! 今ッ!」


 少しだけ驚きました。

 彼女が私と同じ結論に至っていることにです。


 誰かが灰羽秋の元へ行かなければならない。

 灰羽秋が一人だというのなら、その横に寄り添い立てばいい。


 まだこの部屋に来たばかりの、秋様と出会って日の浅い彼女が。

 少なからず灰羽秋を理解している。先ほどの話に何かを感じたのでしょうか。


 ですが──


「それは、あなたではありません。

 坂棟日暮、あなたが秋様のそばにいくにはどうしようもなく、弱すぎます。

 秋様が現状いると予測される場所は、《災害》の巣窟です。そこに近づくことができるのはあなたの何倍も強い人が数多にいるこの部屋の中でも、誰一人いません」


 ここで手を離し、秋様のところに行ったところで、彼女は無駄死にするだけでしょう。

 彼女が昨日飛び出していった沿岸部とではレベルが違いすぎます。

 まず間違いなく死にます。揺らぎなく、確定した事実として、死にます。


 そうすれば、灰羽秋はまた強さを求めます。何かを諦め自立することを求めます。

 一人の道へ進む速さが加速するだけなのです。

 それだけは絶対に、あってはならない。もう、誰も秋様の側で死んではならない。


 手の中で坂棟日暮はもがくように暴れます。

 それでも離れないとわかると、彼女は私の手に強くかみつきました。


 私はため息をつきながら、体を反対に向けて思い切り手を振りかぶりました。

 凄まじい勢いで、坂棟日暮は、飛んで行きます。

 机や椅子をまきこみ、【投擲】のスキルが乗った勢いそのままに。


 そして壁にぶつかると、カエルを締め上げたような声を一度だけあげて、地面に落ちます。

 それから数秒経っても、彼女が起きあがる様子はありませんでした。


「清々しいくらいの実力行使じゃの」


「言葉で止まらないのですから、仕方がありません」


「これで懲りたかのう?」


「どうでしょうか」


 気絶した坂棟日暮のところへむかいながら、答えます。


 正直あれが、この程度で諦めるような人間であるなら

 この前の騒動は起こらなかったような気がします。


 元々坂棟日暮のことは、使用人の『にしき』に様子を見とくよう言っておりましたが、より本格的に監視をするよう伝えておく必要がありそうです。


「春よ──お主は何故、秋にそこまでする?」


 ティアルへ、視線を向けます。


「能力で生まれし者。能力で生まれし『物』が『神なる物』であれば。

 能力で生まれし『者』は、『聖なる者』。種族──『聖人』である灰羽、春。

 お主を一個人として認め、わしは聞きたい。何故そこまでする?」


 ティアルは、深い探るような目で、私の瞳の奥底を、じっと見つめます。

 坂棟日暮とは違う、と。秋様は言っていました。まさか、この瞬間それを理解するとは思いませんでしたが。


「わしには現状の、何が問題なのかが、わからぬよ。

 秋は、秋の思うまま、生きている。ただ、それだけの話なのではないのかの?

 そこに介入するというのは、あまりに、傲慢というものじゃ」


 ティアルの話は、ひどく、正論でした。

 結局のところ、問題とは、私たちにとってだけの話なのです。

 何か深刻な、世界の根柢を揺るがすような、そういう問題ではない。

 きっと他人から見てみれば、あまりに、どうでもいいもの。

 秋様自身も、それを問題とすら思っていない。


 それでも──。

 それでも私は、私たちには、とても、とても重要な問題なのです。

 重要で、重大で、世界の根柢を揺るがす、問題なのです。


「傲慢ではいけませんか?」


 私は問います。

 真っ直ぐに、深く見通すような、その瞳をとらえて。

 

「傲慢──結構な、ことです。

 幸せを目指すこと。その行為に対して、傲慢であることに。

 一体どんな問題がありますか?」


「お主の幸せと、秋の幸せは、違うと。そう言っている」


「ならば残念な事ですが、秋様の幸せには犠牲になってもらいましょう。

 ──私の『幸福』のために」


 ティアルの目の色が、少し、変わります。

 何か残念なものを見るような、そんな目になりました。失礼ですね。

 私は何も、ふざけてそう、言ったのではないのです。


「結局のところ、世界とは、そういうものなのではないのでしょうか?」


「そういうもの、とは?」


「何かを犠牲にせずにはいられません。

 すべてが満たされるなんて事が、絶対にある事はない、という事です」


「…………だから、お主の主人の幸せなんて、どうなってもいいと?」


「秋様が秋様の幸せのために生きるというのなら

 私が私の幸せのために生きたっていいはずです。私の幸せに、秋様は、絶対に欠かす事はできない。ただそれだけの話です」


「やはり、傲慢じゃの」


 溜め息を吐くように、ティアルは言います。

 私は私が傲慢であることに、何も感じません。

 このことを人は、きっと、開き直りというのでしょう。


 せっかく、傲慢として開き直っているのであれば。

 とことん、傲慢で、あり尽くします。

 私の幸せが秋様の幸せと違うというのであれば、私の幸せを秋様もまた、幸せと感じるほどまでに。


「私が傲慢であると言うなら、あらゆる人は、傲慢であるべきです。

 ティアル、あなたはどうなのですか?」


「……わしが、どう、とは?」


「あなたはこの部屋に居着くようになりましたが

 何を成し、何をするのですか? 傲慢に、あなたの幸福のために。

 ずっとそうして、ただ知るだけですか?」


「………………わしが……なにを……?」


 ティアルが考え込むと同時に、私も思考を巡らせました。


 ──『誰かが……秋の元へ……いかなければ』

 ──『それはあなたではありません』


 愚かな少女、坂棟日暮の放った言葉。

 その言葉は正しい。ですが付け足せば、それは、私でも無いのです。

 私は世界で誰よりも灰羽秋のことを理解している自負があります。


 ですが同時に、根本的なところで、どうしようもなく秋様と分かり合う事ができません。

 なぜなら私は『灰羽秋のため』、『部屋の管理のため』、と

 生れてきた意味と目的を最初から持っていました。

 

 つまりそれは秋様が持っていなかったものを、生まれながらにして持っているということ。

 

 命の意味が、根本的に違うのです。

 仲が良くても、思い合っていても、どうしたって分かりあうことができない。

 今こうして、こんなにも、価値観に違いがでているのがその証明です。


 だから、私ではない別の誰かが、必要だと、心からそう思います。

 坂棟日暮。あなたではない


 『今』の、あなたでは。


 これでも私は、彼女を買っています。

 その愚かしい愚直な姿勢は、どこか秋様ににている。

 そこにあるのは、"できる"と"できない"の差です。

 坂棟日暮はできない人間であり。灰羽秋はできてしまう人間。


 『弱さ』と、『強さ』の違い。

 

 ですがそれは、こう言い換えることもできるのです。

 灰羽秋は『諦めた』人間であり、坂棟日暮は『諦めてない』人間──と。


 世界で幸福とは何か……。私に知る由はありません……。

 ですがこの世界には、『諦めてはならない』何かというのが

 確かにあるはずなのです。


 強くなるしかありません。 

 世界中のすべてが、それしかない。

 強さもやはり、どうしようもなく、必要なのですから……。


「(だから秋様は、選択をしてしまっているのでしょう……)」


 ふわりと風に流れる、黄色の髪が視界をよぎります。

 ぎゅっと、胸が締め付けられる。彼女は、紛れもなく、私の傲慢さの犠牲者。

 思い浮かぶのはもう、ずっと後ろ姿で、その向日葵のような笑顔を思い浮かべることすらも、できなくなってしまいました。 


 私は罪悪感を微塵も欠かす事無く、胸と身体に溶かすように受け入れながら、その光景をかき消しました。


 灰羽秋が幸福に向かっているように

 私も灰羽春としてどこまでも自分勝手に歩むだけです。


 そのために私はどこまでも傲慢に、あるいは強引に。

 私の全力を持ってして、坂棟日暮を利用しきってみせましょう。

 あなたが強くなるまで、私は無駄死にをあらゆる力をもってして許しません。



「…………そこまでする、お主の幸福とは何じゃ?」


 考え込んでいたティアルに尋ねられます。

 そんなの、知れたことです。

 私の望みは、今も、昔も変わらない。


「秋様のお世話をしたい──それだけです」


 目を見開くティアル。

 そして数秒後、クスクスと耐えきれないかのように、笑いました。

 

「いい幸福じゃの」


「ええ、とても」


 私は──『種』を蒔きます。


 灰羽秋が蒔いた種は、早期に実り、私を部屋の中により強固に縛り付けました。

 私の蒔いている種はまだ実らずにいます。


 どの種がどのように実るかは分かりません。

 どれだけの時間がかかるかも分かりません。


 ですが、いつか必ず、実ることになる。

 ティアルか、使用人たちの誰かか、住人の誰かか。

 それとも──予想もできない他の誰かか。


 私は気絶している坂棟日暮に視線を向けます。


「うっ……おえええ」


 彼女は小さくうめくと、気絶したまま嘔吐しました。

 驃が作ったお昼ご飯が形を残しながら吐き出されカーペットに広がります。


「少し…………やりすぎたのではないかの」


「そう、ですね。ほんの少しだけ、力の加減を間違えたようですね」


 私たちは微妙な顔のままカーペットを掃除し、念のために坂棟日暮に【治癒魔法】をかけ、それから《大森林》の葉を煎じて作ったお茶を口の中に流し込みました。「こやつのレベルがあがっておるんだが。何飲ませたんじゃ今」と聞いてくるティアルを適当にあしらいながら、坂棟日暮を担いで彼女の部屋に運びこんで、ベッドに寝かせます。何でしょう……何だか私は坂棟日暮を寝かせてばかりいるような気がします。


 ティアルは早々に、住人たちのところへ好奇心の赴くまま走りさってしまったため、ベッドに寝込む坂棟日暮の横で、一人になった私は自分の手の平を見つめます。

 ある疑惑の念を抱きながら。



『ほんの少しだけ、力の加減を間違えたようですね』



 ──力の加減を……。


 ──間違える……。


 つまりそれは、力が強過ぎたという事。

 自分の力を、見誤ったという事。

 

 なぜ──見誤ったのか?


 見つめてる手のひらは、震えてます。


「まさか、ですよね……」


 暗い部屋で、小さく呟きます。

 どうしようもなく、いやな予感がしました。






 それからさらに時間が過ぎます。

 気が付けば秋様がいなくなって、既に十日という日数が過ぎていました。


「顔色が悪いですよ。大丈夫ですか?」


 心配そうな顔を浮かべた冬が、声をかけてきます。


「少し休まれてはどうですか。残りの作業は私がやっておきますよ」


「…………そう、ですね。申し訳ないですが、少し横になってきます」


 ラウンジからリビングに入り、そして私は自分の部屋へと入ろうとして、やめます。


 そこから少し移動して、私は一つのドアノブを握ります。

 手の中には確かな感触がありました。


 入ったのは秋様の部屋。

 物が少なく、あまりにも整然な部屋は死んだように冷たく静まりかえっていました。秋様がいるときは、あんなにも暖かく思えるのに。作り上げられたばかりのような、今の部屋の冷たさは、まるで自殺する前の身辺整理と重なってなりませんでした。


 部屋の中を歩き、そのまま秋様のベッドにゆっくりと倒れこみます。

 私は自分の手の平を見つめました。


「勘違いでは……ない」


 力が、明らかに、強くなっていました。

 私と、秋様は力がリンクしています。秋様が強くなるほど、部屋にいるという状況に限り、私も同じだけ強くなる。


 自覚してしまえば、その変化があまりにも、急激な事に気づきます。

 本来自分が強くなる実感とは、そんな頻繁に感じるものではないはずなのに。


 以前までなら私は、この実感を持ったとしても、喜んでいました。

 その分だけ秋様が外で生き残る確率が増えるからです。


 でも、今は──


「…………怖い」


 震えた手の平でをみながら、震えた声で呟きます。

 強くなっていく力が怖い。


 一日たつたびに強くなっていく。

 つまりそれは灰羽秋が今もどこかで、戦っているということ。

 そして──何かを諦めていること。


「私が思っているよりも時間はないのでしょうか」


 いえ、そんなはずはありません。

 時間はまだ、あるはずです。

 そう何度も自分に言い聞かせます。



 ──そう言い聞かせた分の数だけ、自分が疑っていることも知らずに。



 本来なら眠る必要のない私ですが

 疲れが溜まっていたのか、いつの間にか眠りについていました。


 ある夢をみます。


 灰羽秋が魔物になっている夢です。

 魔物……いえ、それは魔物とすらも言いがたいものでした。


 それは純粋に、強さを凝縮した塊のようなもの。

 無色透明で絶大な力を持っていながら、意識しなければふとした瞬間意識から消えてしまう。


 命というよりも、滴り落ちる水や、坂を転がる小石に似た

 あまりにも無機質で無垢な、自然現象のようでした。



 以前私は部屋の中から、この大陸でとても強いと言われる魔物が遠くにいるのを見せてもらったことがありました。


 容赦のない災害のような強さを振るう魔物。

 私はそのときふと疑問に思いました。




 彼らは災害のような力を持った魔物なのでしょうか?




 それとも──




 災害に肉体がくっついただけの『現象』なのでしょうか?





 ──……それでは、それではだめなのです。秋様……




 夢の中で、呟きます。

 



 どれだけ化け物でも。

 人から逸脱しても。




 『現象』であっては、ならないのです…………

 

 




 ◇◆◇ 







 終焉の大陸の魔物が。

 厳しい環境の中で必死に命を繋いで、辿り着くのは。


 それは──生きるという、ただそれだけの『現象』になる事だ。

 

 森を作るという現象。

 霧を発生させるという現象。

 魔物を生み出す現象。 


 絶大な力を手にしていく過程で、命を現象に染め上げた大陸の魔物たち。



 『現象の魔物』たち。



 そのうちの一体──《大森林》が遠くから見下ろす、終焉の大陸のとある場所。


 しとしとと、雨が降っていた。

 厚く空を覆った、曇天空の下。

 少しずつ強くなっていく、風の中。


 大量に積み上げられた魔物の死体上で、秋は、雨に晒されながら立っていた。


 かつて森だった環境は、既に重ねられた尋常じゃない数の戦いで容赦なく破壊され、周囲はただ、戦いの跡という名の荒野のようだった。

 またいずれ《大森林》がこの広場もまた森にする事だろうが。


 

 戦いの中で、鋭利に研ぎ澄まされた感覚。

 肌に落ちる雨の粒の大きさも、鼻をつく風が過去に撫でた物も、耳に入る音が生まれた遠い場所の情景も。手に取るようにわかった。


 そんな感覚とは裏腹に、意識は、思考は、ひどく薄い。

 群炎豹と戦ったころよりも、ずっと美しく、無機質な瞳で世界を捉える。


 魔物がまたふと、どこからか現れる。

 ゆらりと動き、瞬時に魔物を秋は倒しにかかる。


 その姿は生きるというよりも、『現象』を想起させるものだった。



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