第51話 ありふれた一つの終焉
高い炎をあげて、燃え続ける船。
その船は彼らにとってなくてはならないものだった。
海のどこからか泡が浮かび上がり、弾けると高い火柱が立ち上る。だがその火柱は、数秒燃え上がると、急速に萎んで消えていく。まるで幻のように。
その船はそんな一過性の火柱よりも、確かな現実性を持って燃え上がっていた。
揺らめく炎の中に、黒ずんでいる船体の様子が見える。パチパチと何かが弾ける音と、崩れるような音が聞こえる。
恐ろしい魔物が蔓延る、人外魔境の地。
そんな場所で、唯一の脱出手段が消えて取り残される気持ちとは、果たしてどんなものなのだろうか。
絶望、憤怒、悲嘆、諦観。考えられるものはいくつもある。
彼らはそのどれでもなかった。
そもそもそれらの感情を選ぶ前提のラインにすら立てていなかった。
誰もが瞳の中に炎を揺らしながら、ぼんやりとその光景を眺めていた。
数秒後に「あぁ、珍しい物を見た。さぁ、船に乗って国へ帰ろう」とでも言葉に出してしまいそうなほど。未だ目の前に起こった光景を、現実と結びつけられていなかった。
ある種の逃避ともいえるが、彼らを責めることはできない。おかしいのはどちらなのかという問いがあれば。それは紛れもなく、『終焉の大陸』の方なのだから。嘆かわしいのは、現実においてそんな問いに意味は何もないという事だけ。
そんな一団の中で、即座に行動をおこしていたのは『二人』だった。
「おい」
その内の一人は、強い怒気の籠もった言葉をそばにいる者にとばす。
はっ、と、彼の側近である騎士たちは我に返る。ぼんやりと目の前の光景を見ていた彼らは、現実に引き戻され、自分たちに起こっている事について考えざるを得なくなる。
騎士の顔からは嫌な汗が吹き出し、うろたえだす。終焉の大陸から帰る手段がなくなったときの対処など、彼らに思い浮かぶはずもない。結局取った行動はいつもと変わらず、縋ることだけだ。
「ズ、ズェゴ様。船が……」
「言われなくても、見ればわかるんだよッ……! いちいち分かっていることを、無意味に繰り返すなッ」
抑えめな声ながらも、その声に確かな怒気が含まれているのを感じた側近の騎士たちは、口を閉じる。慣れているように素早い行動だった。それから、内心で膨れ上がるばかりの不安と絶望を必死で押さえつけ、主人の様子を見守った。
ズェゴはじっと立ち止まったまま、息を荒らげる。
抑えきれない感情が息を乱れさせた。なぜ自分がこんな目に合わなければならないのか、納得も、理解もできなかった。ただこの旅路の間に見せていた冒険者のすっとろさが、頭にちらついて仕方がない。船が燃えたときからずっとだ。苛立つ。何かのせいにせずにはいられなかった。
ズェゴはようやく呼吸が収まると、自分の言葉に耳を貸す騎士に指示を出す。
「冒険者を殺してこい。全員、皆殺ししろ」
騎士たちは、互いに顔を見合わす。手を軽く振り、さも当然の指示のようにズェゴは言った。
「い、今はそれどころではないのでは?」
騎士の一人が、遠慮がちに答える。ズェゴは、苛立った。
「いいからさっさとやってこいっ」
「し、しかし……」
それでも躊躇う様子をみせる配下たちに、ズェゴは怒鳴りそうになるが、寸前のところで止まった。左足を細かく揺らし、苛立った様子を見せながら、頭が回らない馬鹿な配下のために説明をする事に決めた。帰ったら配下を全員首にして総入れ替えすることも。
「ふんっ、いいか、よく聞けよ。この大陸から出る手段はまだある」
その言葉に、伏せがちだった騎士たちの顔がゆっくりと上がる。だが半信半疑の目だが次のズェゴ言葉で、青白かった顔に生気が、瞳には希望が戻った。
「船が空間収納の神器の中に入っている」
「な、なんと」
「だが、ここにいる全員は乗れない」
愕然としながら、声をあげる騎士たち。
「そ、そんな……」
「当たり前だろッ! 緊急用の、小型の船だ。大型の魔物を収納してるんだぞ。いくら神器とはいえ、大きな船なんか入れるスペースがないことくらい、考えたらわかるだろッ」
「も、申し訳ありません」
「それに食料の問題もある。全員分の帰りの食料があったのは、船が燃えてなかった頃の話だ。小型の緊急船で、動力は心許ない。助けがいつ来るかもわからん状況では少しでも食料は多く確保したい。お前のはいらないか? なら一人くらいは生かして連れてってもいいかもな!」
「……」
誰もズェゴに返事をしない。ただズェゴを肯定するような沈黙が場を満たしている。
「ですが、ズェゴ様。冒険者たちの強さは侮れません。人数も同程度で真っ向から挑んで勝てるかどうか」
ズェゴの側近の一人が、答える。
そんなこと分かり切っているという風に、ズェゴは口を開いた。
「奴らは、魔物との戦闘で疲弊している。それに人数も数人減っている。さっきの戦闘で数人くたばったのか? だからボンクラなんだ、冒険者は。お前らは、こんな状況のボンクラにすら勝てんのか? ならば連れて帰るのは逆になるな」
少しずつ騎士たちは崖に迫られていく。
「それにこうなったのも、あいつらがすっとろいせいだ。魔物を倒すのも遅い、船を押すのも遅い。何でもかんでも足を引っ張りやがって。あいつらのせいで、なぜ、俺たちが死なねばならない? 食料をわけてやらねばならない? お前は納得できるか?」
騎士たちの目の色が少しずつ、変わっていく。決意に満たされていく。その目はズェゴの言葉を肯定していた。自分たちは精一杯やっていて、冒険者たちはやっていない。こうなったのは冒険者のせい。全員が疑わずに信じた。とにかく、正当性に似た何かがほしかっただけだ。自分を騙す理由が。
「だが、数人。厄介なのもいるな。あのAランクの落ちぶれ冒険者とBランクパーティーを最初の不意打ちでしとめろ」
「……『落ちぶれ』がいないようですが」
「なに?」
軽く辺りを探るが、確かにいない。船を下ろす直前、そういえば何かを喚いていたことを思いだし、その場所に視線を向けるがそこには誰の姿もなかった。
「ふんっ、海に落ちて死んだのか? どちらにせよ俺たちには都合がいいだろう。もういいだろう。わかったなら、とっとといけ」
「「「はっ」」」
燃えている船を馬鹿みたいな顔で、未だに呆然と眺めている冒険者たち。そうやって見つめていれば船が元に戻るとでも思っているのだろうか。冒険者とそれに向かっていく騎士の背中を目にいれながら疑問に思った。
それから一人その場に残されたズェゴは、ふん、と鼻を鳴らす。
続く言葉は、誰の耳にも届くことはなかった。
「クソ……。こんな大陸、一秒でも長くいるのは御免だ。絶対、生きてやる」
それからのその『場所』は、見るに耐えたものではなかった。
人間と、人間同士による殺し合い。騎士は最初の不意打ちで、厄介なBランクのパーティーを何人か殺せはしたが、腐っても戦うことを生業にする冒険者たちの抵抗は、凄まじかった。戦いの傍では、船乗りが絶望に満ちた瞳で力なく座り込んでいた。
生きるため。
それは最も原始的で、澄んでいて、美しい動機だ。でも彼らはここに至るまでが、あまりにも淀みすぎていた。
彼らの戦いは、やはり、見るに耐えたものではなかった。
騎士が任務を終えたころには、空がオレンジ色に差し掛かっていた。
実力でも人数でも勝っていたのに、手こずりすぎた。気づけばこちらも大分やられ、重傷者と死者を合わせ半分がいなかった。重傷者は、こんな状況だ。置いていくしかないだろう。仕方ない、生きるためだ。人数がへれば、その分だけ食料に余裕が出る。
立っている騎士たちはまた目の前の現実から、目を逸らした。そして任務の完了を伝えるため、騎士たちはズェゴの元へいく事にした。
自らの主である、ズェゴの元へ。
ズェゴの──
……?
騎士たちの頭に浮かぶ疑問。
我らの主はどこにいるのだろう。自分たちに命令を下した場所。そこにズェゴの姿はなかった。小用で少し離れているのだろうか。
主の姿を探す。
軽く辺りを見回す。いない。
声をかけて呼びかけてみる。いない。
少しずつ、捜索の範囲を広くする。だがいない。
時間が過ぎるにつれて、表情と声には焦りが募る。
主の姿を必死になって探した。呼びかける声は、消えていく陽の光と比例するように遠慮がなくなり、最後には敬称がなく声は怒声になっていた。
いない、いない、いない。
辺りが闇に包まれてもなお、主の姿を探し続けた。
ズェゴ=ブーグリゴが、一人で逃げたとわかっていても、なお。探し続けた。
深い、憎悪と共に。
「ズェェェエゴォォォォォ!!」
騎士の一人が、叫ぶ。
『Gruaaaaaa!!!』
呼びかけに答えたのは、闇夜にとけ込んだ魔物の咆哮だけだった。
◇
ズェゴ=ブーグリゴは、戦いが始まったのを見届けると、沿岸部を移動し海から炎の上がっていない場所を目指して沿岸部を進んで歩いた。
ようやく炎が上がっていないところを見つけ、船を神器から取り出して進む。慣れておらず、操作に手間取った。
「なんで、なんで、くそっ。俺が、こんな目に……」
危うい手つきながらも、なんとか船を操作して進む。
本音を言えば側近の騎士を、数人、連れてきたかった。だが人数がいればそれだけ食料が消費される。自分一人ならば、確実に救助が来るまでやりすごす事ができる。計算はしていないが一ヶ月は余裕を持って過ごせるはずだ。
この余裕が、飢えることを知らないズェゴにとってはとても魅力的だった。
伝達の魔道具で、本国に緊急を伝えた後。この船のなかで少しでも豊かな生活を送ることが。船の上で干からびたように、残りの食料を数え、怯えるように救助を待つのはズェゴのプライドが許さなかった。
騎士が何人いようが、この大陸の魔物を倒せるわけでも、撃退できるわけでもない。
ならばいるよりもいないほうがいい。ズェゴは燃えた船を見て、そう判断をした。
「クソッ、もっとスピードは出ないのかっ!」
ガン、と音がなる。ズェゴが物に感情を発散した音だ。
魔力を動力にして操作も簡単な、魔道具に近い新型の船を用意してくれた本国に、感謝の一つでもしてもいいものだが、ズェゴはそんなことどうでもよかった。とにかく、少しでもはやく外洋に出たかった。こんな恐ろしい魔物が蔓延る場所から。
船のそばを、海面から魔物がはねる。大きな波が起こり、船がぐらつく。
歯が細かく鳴る。自分が恐怖しているのを自覚しないままに、その感情を苛立ちで覆いかぶせた。左足を細かく揺らす。
「俺は、生きてみせる」
ズェゴは、一人呟く。
「絶対に」
顔を船の操作する机に押しつける。体は細かくふるえている。両手は爪が肉に食い込むほど強く握られていた。
「俺は絶対に、生きてみせるぞッ──!」
そこまで大きな声ではない。でも叫び声のような言葉だった。
その直後、船の真下が暗くなる。
まるでその場所だけ、夜が溶けたかのように。だがズェゴは逃げるように外から視線を逸らしているため気づかない。
数秒後、魔物が現れた。ぱっくりと大きな口をあけながら。船を、浮かべている海ごと持ち上げ、ゆっくりと口を閉じた。
船がぐしゃりと紙を丸めたように、原型を無くしながら魔物の口の中に消えていく。
──ズェゴ=ブーグリゴは、確かに生き続けた。
この大陸へやってきた数多の者がそうだったように。
魔物の血肉となって。
ズェゴを食らった魔物もまた、別の魔物の糧となり、血肉となる。
弱肉強食の輪廻の中で。これからも生き続けるのだ。
44代目赤色の勇者の生存確認の任務についていた、『ウォンテカグラ調査団』は壊滅した。
生き残りは、誰一人としていなかった。