第49話 見え始める終焉の素顔
※憂鬱な冒険者視点
──助太刀にきた。
俺の目の前にいる幻覚は確かにそう言った。
助太刀だって?
いや、ありえねえ。
だってここは、あの終焉の大陸なんだぜ。
まあ百歩譲って助太刀が現れるのはいい。
よくはないが、とりあえずはいい。
おかしいのは、だ。
その助太刀とやらが俺達がやってきた、大陸の外側である海からではなく。
『内側』から……。終焉の大陸の『内陸』へと続く森から現れるなんてことがありえるのだろうか。
たとえ目の前で起こっていることだといっても信じることができない。
疑心を抱きながら、それでも群がる魔物たちと戦い続けていると
やがてその助太刀にやってきたという幻覚は、魔物の群の中心にいる俺のところへ魔物を殺しながらやってきた。
「(──女)」
短めに切り揃えられた赤い髪の毛が、剣と共に舞う。
その髪と髪の隙間からは、まだ頼りなさを感じさせる年若い少女の素顔がのぞけた。
……思っているよりも、強いな。
魔物を殺している姿を伺い、実力をはかる。
俺と同じか、少し弱いくらいだろうか。ランクでいうとAランクか一つ下のBBB(Bのトリプル)。見た目から感じる年齢の印象より手強い様子に、驚きを抱く。
ここまでくると、さすがに俺も「もしかして幻覚じゃねえんじゃねえのか、コイツは」と馬鹿げたことを思っていた。後ろに逃れた冒険者たちもざわついているのを雰囲気で感じる。
でも何度も言うがな。
本当に、しつこいと思うだろうけどよ。
それでも何度でも言わせてもらうぜ。
終焉の大陸で、人間に助けられるなんてありえるのか?
一つだけ心あたりは、ある。
それはさっきまで視界を覆っていた魔道具だ。異様に光輝いていた生命探査の魔道具。俺たちがここにいるすべての発端。
もしかして壊れてなかったのか……?
ごくりと唾を飲み込む。あまりにもわからない事だらけだ。
だが何かとてつもない事が起きていて、その出来事に俺は今片足を突っ込んでいる。そんな予感をこのとき感じていた。
一体何者なんだ……、この少女は……。
だが今はそれを問いかける余裕はない。未だ俺たちは襲いくる魔物を必死で対処していた。
さっきまでと違い、一人ではなく二人でだが。
「(まあ、何者かはわからないけどよ……)」
一つ、確かな事実があるとすれば。
それは少し後ろにいる冒険者の野郎共よりも、この少女のほうがよっぽど頼りになるということだけだ。
魔物を切り捨てる。背後でも魔物の息絶える気配を感じた。
後ろから襲われることを気にしなくなるだけでも、随分と楽になる。
背中をあずけられる存在の大きさというのを、再び感じずにはいられなかった。
「くっ、数が多すぎる……。なぜこいつらはあなたにだけ執拗に群がっているっ!?
それに後ろの人たちは一体何をしているんだ。見ているだけで……。仲間じゃないのか!?」
矢継ぎ早に喋る『赤い少女』。戦いながらの言葉は少々荒い。
仲間……か。
その問いかけに答えるのに、一瞬だけ間が空いてしまう。
「あいつらは仲間じゃない。ただの『同行者』だ。
俺に群がっているのは、この魔物は酒が好きらしく、あいつらに酒を浴びせて囮に仕立てあげられたから、だな」
そう答える。そして事情を察した少女は少しだけ悲しげな表情を浮かべた。
『優しい』んだな……。
この少女が何者かはわからない。
だが、きっと冒険者じゃないのだろうな、と俺は思った。
冒険者には、非情な決断を強いられる時がくる。
命をかけてやっているんだ。決断に甘さがあればより多くのものを失ってしまう事を経験で知ることになる。だから冒険者ランクが高ければ高いほど、そうした非情な決断っていうのを取るのに躊躇わなくなる。
そういう話で言ってみれば、後ろにいる冒険者達も、俺を切り捨てた仲間達も、間違っちゃあいないんだ。いちいち誉めることもなければ、逆に咎める所でもない。冒険者として、取るべき当たり前の選択肢の中の一つにすぎない。俺は切り捨てられた側だから、感情的には受け入れがたい所もある。が逆に理解もできるし、納得もできてしまうんだ。
この少女はまだ、その部分の決着がついていないのだろう。
すごくシンプルに言ってしまえば、『甘い』。非情になりきれていないのだ。
少し前の俺ならたぶん、その甘さを否定しただろう。
その甘さを弱いと断じることができた。他の冒険者と同じように。
だが今の俺は……。
そうした非情な決断で切り捨てられた側の人間だった。そうして初めてわかる、暗闇と孤独。
今の俺はもう。この少女を甘いと叱ることはこの先ずっとできないのだろうと、戦いながら思っていた。
「お酒……」
少女がつぶやく。
「あなたは……。お酒っ、お酒は持っていないのかっ!?」
酒……?
今さら酒をどうしようっていうんだ。
疑問を感じながら少女に答える。
「持っているが……。だが本当に少量だけだ」
「できれば……! 迅速にいただきたいんだがっ!」
少女の方へ魔物が流れているおかげで、小瓶を取り出す余裕はある。
俺は必要なものは多めに持ち歩くし、必要にならなさそうなものも幅広く持ち歩こうとする。予備の予備とかすら持ってしまうんだ。仲間達にやたらと荷物を多く持って歩くおばちゃんみたいだと笑われた事もあったな。
この酒も魔物に追いつめられたときの為に持っておいたやつの予備だが、仕方ねえ。とことん飲む機会はないようだが。
「受け取れ!」
取り出した酒の入った小瓶を、背中越しに手渡す。
「ありがとうっ!」
少女は小瓶を受け取ると、酒の入った小瓶を遠くの方へ投げつけた。地面に落ちた瓶は割れて、ガラス片の隙間から少量の酒が地面へこぼれでる。
まあ、そうするよな。
想像通りの光景だ。
それは一度俺も考えた手だった。
酒を持っていれば思いつくことはそう難しくない。
だがあまりにも多過ぎる魔物の群を相手に、正直いって焼け石の水でしかならないだろう。モーダのやつが俺に当てたのは、かなり頭にくるが理にかなっちゃいるんだ。囮の餌には少しでも長く食いついてもらっていたほうがいい。あれくらいの少量ならすぐ平らげて、すぐさままた俺たちのほうへやってくる。
元々あんな小さな酒瓶で状況を打開するのは無理だろうと思っていた俺は目の前の出来事に失望することなく見つめていた。
「(何か別の手段を考えねえとな……。このままじゃ埒があかねえ……)」
──パリン。
「……うん?」
再び、瓶の割れる音が耳に届き首をかしげる。
俺が渡した小瓶は一つだよな。
パリン、パリン、パリン。
そのはずなのによ。
どうして何度も割れる音が聞こえるんだ。
最初に瓶の割れるのを聞こえてから、何回も耳に届く瓶の割れる音。
酒のほうに気が向き、油断した魔物の背中を剣で突き刺しながら、ちらりと少女のほうへ目をむけるとその手にはまだ俺のあげた割れてない小瓶がしっかりと手に握られていた。
少女はその小瓶を投げる。
これでもう小瓶は無い、そのはず。
「【ロード】」
しかし小瓶を投げた後、小さく少女がそうつぶやくと少女の手には再び小瓶が握られていた。
対処しなければならない魔物の数が減っていく。少女の投げた小瓶の方へむかって、あちらこちらに魔物たちが分散しはじめた。
だがそれでもやはり少量だからか、すぐに魔物たちは酒を平らげ、襲いかかってくる。
どれだけ投げても、小瓶の中の量の酒に対して魔物たちの数は多すぎた。
「【セーブ】っ……!」
その事をわかっていたのか、顔をしかめる赤い少女。だが小瓶から酒をたらしながら不思議な言葉を呟いた。そして瓶ではない別の何かをなげた。
「【ロード】」
少女がそう口にすると投げたものから、まるで地下水がわき出るかのように、酒が沸きはじめる。
その場所に向かって移動する魔物の群。
「これで少し数が減った……」
そうつぶやくと、赤い髪の少女は再び剣を手に取り、魔物と戦い始める。
「(能力か……)」
俺は赤い髪の少女の力をそう判断する。
相変わらず、能力というのはでたらめな力だ。俺には能力も才能もないから、ちとうらやましく感じてしまうな。だがこのままならいけるかもしれない。
酒に群がっていく魔物たちの背後を剣でつきさす。いつのまにか襲われる側のはずの俺たちが、魔物を襲う側の構図になっていた。
「(このままのペースならば、いける。魔物を殺し尽くせるかもしれない)」
魔物を殺し尽くせれば、その後全員で打ち上げられた船を下しにいける。
そして船を下ろせばこの大陸から脱出ができる。
そうすれば……。
──生きて帰ることができる。
だが俺は気づいていなかった。
少女の顔が有利な状況になったのにも関わらず、その表情は何かを焦っているかのように、険しくなっていくばかりだということに。
『Goaaaaaaaaaa───ッ!!!!』
突如響き渡る、尋常じゃない咆哮。
その咆哮はまるで一度、この場にいるすべての時間を停止したかのような咆哮だった。
酒に群がる魔物も、俺達人間も。すべてがピタリととまった。そして全員がその咆哮をあげた主に目を向けた。
「あ、あぁぁ……」
少し遠くにいる冒険者から、弱々しい声が耳に届く。
ピリピリとかつてないほど、張りつめた空気。
俺も緊張からか、顔から嫌な汗が吹き出るのを感じながら、咆哮のあがった咆哮へゆっくりと視線を向ける。
「あれは……」
森の入り口に佇む、異様な気配を放った魔物。
見ているだけで、内蔵が緊張で縮まっていくのを感じる。
俺はかつて一度だけ、『Sランク』の魔物の討伐に参加したことがある。
その依頼は今まで俺が参加した中で、一番過酷で一番多く犠牲者が出た。
魔物はたった一体だった。
たったそれだけなのに多くの街を破壊し、魔物を食らい、人を殺した。
「まさか、また会うことになるなんてな……」
目の前にいる魔物は、まさにあのときと同じ魔物だった。
それも……。
「『群れ』でか……」
最初にあがった咆哮で呼ばれたのか。
森の奥から一体、また一体と現れる『Sランク』の魔物。
自分の声が震えているのを自覚する。正直に言ってしまうと体すらも震えていた。
だがそれは俺だけじゃない。
背後にいる冒険者たちや、遠くにいる騎士たち。
そして今の今まで俺たちを襲っていた魔物たちまでもが、自分の置かれたとてつもない状況に体を震わせていた。
まるで、今までは茶番だったと。遊びだったと言わんばかりに。
終焉の大陸は、着実にその姿を見せ始める。
ごくりと唾の飲む音が聞こえる。
赤い少女からだ。彼女もまた顔を青くしてその魔物を見ていた。
「(マジで最悪な状況になってきたな……)」
──ボリ。
静粛を壊すように、音が響く。
それは赤い少女が酒を沸かせて、魔物が山のように群がっていた場所だった。
バキ。バキ、ゴキ。
硬いものを、無理矢理砕いたような、そんな音。
酒好きの魔物が山のように群がっていた場所。だがそこに魔物の群の姿は、すでになかった。空しく沸き続ける酒が小さな水たまりになっていて、そこに片足をつけた『Sランク』の魔物が元の姿よりも頬を膨らませ、見覚えのある足を一本口からはみ出させながら佇んでいた。
「に、逃げろッ!!」
──急げ、急げ
──どけっ
──こんなところで死にたくない
少し後方にいた冒険者たちは恐怖の赴くまま、我先にズェゴや騎士のいる打ち上げられた船のある方向へ走っていく。
たしかにもう、魔物を食い止めるどころじゃない。
全員で船を海に下ろすことに力を注いだほうがいいかもしれない。
幸い今なら、まだ酒好きの魔物が囮になってくれるはずだ。
「おいっ、俺たちも──」
逃げるぞ、そう赤い少女に声をかけようとしたときだった。
「後ろッ!!」
「あ──?」
少女が焦ったように俺に声をかける。
その次の瞬間。尋常じゃない衝撃に体が吹き飛ぶ。暴走する馬車に突撃されたような衝撃に口から内蔵が飛び出たかのような錯覚を抱いた。
無様に地面に転がりつづけ、止まる。
「──!」
遠くで赤い少女の声がぼんやりと聞こえる。
だが意識は朦朧としていて何をいっているのかはわからない。唯一わかるのは、目の前に『Sランク』の魔物が大口をあけてゆっくりと俺を食おうと近づいている事だけだった。
魔物に喰われて、死ぬ……か。
冒険者にありがちな最期だ。
どこまでも想像から脱しない。平凡な俺には、ふさわしい末路ってやつなのかもしれない。
──『この本はなに?』
不意に蘇る過去の記憶。随分古いものだった。
懐かしい記憶だ。俺が冒険者というものに魅せられた、そのきっかけ。
自分が冒険者になった理由、その思い出すタイミングの悪さに泣きたくなる。
なんせ目の前に広がるのは生々しい赤色。脈動した魔物の口内がぼんやりと視界に広がる。
魔物の影におおわれ、視界はとても暗い。
「(はは。なにも、こんな時に思い出さなくてもいいのにな……)」
俺は体に残された微かな力で目を瞑る。
「うっ……」
何故目をつむったのか。それは自分が死ぬ恐怖に耐えられなかったから、ではなかった。
単純に条件反射だった。眩しかったら目を瞑る。誰だってそうだろ?
だからそのとき、俺は目を瞑った。
差し込んでいた一筋の光が、とても眩しく覚えた。魔物の口内が広がっているはずの暗い視界の中で。
その光はどんどん大きくなる。暗い闇を真っ二つに強引に切り開くかのように。
それは比喩でも何でもなく。事実そうだった。
光に慣れ、薄く目を開くと剣で切り裂かれていく、魔物の姿があった。
暗闇が少しずつ無くなっていく変わりに、光が増えていく。
その溢れていく光のなかにまた一つ、影があった。
人影だ。
魔物が真っ二つに切り裂かれていくにつれ、はっきりと見えてくる。
──風になびく、灰色の髪の毛が。
またやらかしました。申し訳ないです