第47話 最悪の依頼
※憂鬱な冒険者視点
──風をあびている。
むせそうなほど多分に潮の香りを含んだ、そんな風を。
ペンキを塗りたくったような深い青色が空に広がっていた。
点々と浮かぶ雲は強い日差しを遮る役目よりも、空の青さを引き立てる事を望んでいるようだ。そのご希望通り、この景観を四角に切り取って街の宿屋の娘に渡そう。内陸であれば、あるほど良いな。きっと息を飲んで喜んでくれるはずだ。この深い色の青空と、どこまでも広がる大海原の光景を。
そんな高そうな魔道具、買えっこないけどな……。
「(最悪だ……)」
憂鬱な気分で心の中で呟いた。
空中で漂う魔物がブオ、と低くないた。ウミチカという風になびかせた紙のような魔物だ。有害でも有益でもない空気みたいな魔物だから、魔物が近くにいるというのに周囲の人間は気にする事なく忙しそうに働いている。
「はぁ」
本当に、最悪としかいいようがなかった。
俗に言う『やらかしてしまった』というやつだ。
眼前の景色が澄み渡れば澄み渡るほど、反比例するように俺の心は曇っていく。
頭は既に憂鬱と後悔でいっぱいいっぱいだった。
「(あぁ、なんでこんな依頼を受けちまったんだろうな……。俺……)」
俺はどこにでもいる普通で平凡の冒険者だ。なんなら冒険者Aとでも呼んでくれ。
冒険者というのを知っているか?
『冒険者』──それは職業の名称で、仕事内容は結構荒々しいものが多い。
魔物と戦ったり、未踏破地域へ踏み込んだり、素材を危険な所から調達したり。細かく言えば他にも色々あるが基本は戦うことで生計を立てていく奴らのことだ。自分の腕だけを頼りに、この世界を生き抜く。それが冒険者だ。……本当はもっとしっかりとした定義があるのだが、俺は忘れちまった。それはすまないが冒険者ギルドの受付にでも聞いてくれ。
そんなどこにでもいる普通の冒険者の俺は今。
ある依頼を受けて今まさに仕事をしている真っ最中だった。
「なぁ〜、コーズ。あとどれくらいだ〜?」
「すっとろい声を出すんじゃねえモーダ。それに何回同じ事繰り返し聞くんだ。そんな簡単には着かねえよ。『終焉の大陸』にはな」
近くで座っている、三人組の冒険者の男達の会話が耳に入る。
会話の中に含まれたあまりにもお関わりになりたくない物騒な単語に、辟易とした気持ちが募る。
ここで男たちの会話に入って、おいおい、マジで言ってるのかよ冗談がキツいぜ、アッハッハ、と軽口をとばせればどれだけ楽だろうか。そんな事言えるわけないんだが。
なぜいえないか?
それは『マジ』だからだ。冗談でもなんでもなく。この船は実際に向かっているんだ。
『終焉の大陸』に。
正直いって、正気を疑う。
だがそんな正気を疑う船に乗る俺もまた、この船の一員として終焉の大陸を目指す『バカ野郎』の一人だった。
「へっ、もうすぐだな。終焉の大陸はよ腕がなるぜ」
「俺らもさぁ〜帰ったらよぉ〜。英雄だよなぁ〜。パーソンだよなぁぁ〜〜っ」
「バカ、大陸の中には入らん。外洋でとどまるだけだ」
船の中央部分の甲板上で俺と待機する、対して親しくない冒険者三人組のパーティーが話す声が聞こえる。今回の依頼は船が終焉の大陸に移動するまでの護衛も仕事だから、依頼をうけたやつらで船首、船尾、中央甲板の中からそれぞれ持ち場を決めて順番で見張りをしている。魔物も亜人も全く現れないし、目的地の物騒さに比べれば平和そのものでかったるくもなるが、仕方ない。これも仕事ってやつだ。仕事はしっかりやらなきゃな。
この船には三種類の人間がいる。
船を動かすための『海の人間』と、戦うために用意された俺ら『冒険者』と、そしてこの依頼の発起人である貴族と騎士、まあ俗に言うお偉いさんだ。
それぞれ終焉の大陸に、まあ思うことはあるだろうが。俺は冒険者だからな。冒険者の話をさせてもらうぜ。
俺のやっている『冒険者』という職業に取って、終焉の大陸とは一体どんなものか。
もちろん人によって異なるだろうが、それを承知で冒険者を代表して言い切らせてもらうと、それは『象徴』だ。
『未知の象徴』であり。
『夢と冒険の象徴』であり。
『名声の象徴』であり。
そしてそれらを軽く陵駕してしまうほど、圧倒的に『恐怖の象徴』でもある。それが終焉の大陸。
この船に乗っている同じ依頼をうけた冒険者のやつらの現在の態度も、観察してみると似たようなものだ。
恐怖に夜な夜な体を震わせるもの。己の強さに誇示するもの。手に入れる名声と金の大きさを考えている者。俺はあえて分類するなら憂鬱な者って感じだろうか。
冒険者にとって終焉の大陸は、語っても語ることのつきない場所だ。誰しもが一度は終焉の大陸を語る。確かめたわけではないが、断言してもいい。
新人のときに知らないやつと飲み交わす酒の席や、安い宿で仲間と眠る夜。そして狭い馬車の中で。「なあ、お前は終焉の大陸についてどう思う」と。そうやって終焉の大陸談議ってやつが始まる。あんなの嘘に違いない、いやもし本当に災獣が絶え間なく生まれるなら想像もできない地獄だとか。まあそんな風にあることないこと語り合うんだ。
ここで重要なのは、なぜ俺たちはそこまでして終焉の大陸を語り合うのかってことだ。
結論からいうとそれは、圧倒的未知だからだ。誰も知らない、ただわかっているのはこの世界でも類稀なるほど異常に異常を重ねたような環境をしているということ。そんな大陸に挑んで帰って来た冒険者は、《冒険王》『マードリック・パーソン』だけだ。
だから誰しもが終焉の大陸を語る。憧れや夢、ロマンがそこにはあるからだ。
だが実際に行こうってヤツは誰もいない。語るだけで、決して手を出さない。
死ぬからみんな、語るだけでいかないのさ。冒険者は事前の準備と入念な計画を怠らない。そして無理なことはしないし危険なものには手をださない。でないと命って言うのはあっという間にきえていく。そんな風に消えた命を俺はいくつもみてきた。冒険者が冒険をしない事に驚くのは新人の誰もが通る道さ。
そしてそれは冒険者に限った話ではなく国家、魔族、精霊、竜、勇者、魔王。この世界の誰もがそうなんだ。
そんな場所に俺らは向かっている。どうかしてるとしかいいようがない。
世界には未だに終焉の大陸を目指している、頭の螺子がとれ、さらに空いたネジ穴に鼻くそを突っ込んだような途方もない馬鹿な奴らも存在するけどよ……。俺も一度チームに昔誘われたことがあったが、返事はしていなかった。
「なぁ」
近くで話をしていた男たちの一人が俺に向かって声をかける。
確か三人の中でリーダー役のコーズだ。隣に並んでニヤニヤと殴りたくなる顔をうかべながら話を続けた。
「そう辛気くせぇ顔するなって。この船で一番の実力者じゃねぇか、アンタよぉ」
この船にのる冒険者は基本BランクとCランクで構成されている。その中でただ一人だけ俺はAランクの冒険者だった。
「そんなアンタが、そんな顔してたら臆病者だって笑われちまうぜ。臆病者だぜ? 今のアンタよ」
「……」
コーズが臆病者だと言葉を発した瞬間、抑えたような笑いが傍から聞こえた。元々話していたコーズと同じパーティーの奴らからだ。
「コーズのヤツ、マジで言ったぜ」
「『落ちぶれ』だから大丈夫だろぉ〜」
隠す気のないのか普通の口調で、しかし気に障らせたいのか隠し事を話す格好だけはとっていた。
確か語尾がやたらと延びる方がモーダという名前で、余った特徴の無いやつがユリタスという名前だ。
「なぁ、オイ。聞いてるのか?」
「聞いているさ。けどそれ、仕事と関係あるか? 関係ないならくっちゃべってないで仕事しようぜ。俺らの依頼は、別に船の上で楽しく会話を楽しむことじゃないだろ?」
「……やっぱアンタ、臆病者だな。もう出航してから数週間たったけどよぉ。魔物も亜人も全く出てこねぇじゃねえか。それにさっきからため息ばっかついて鬱陶しいんだよな。そんな終焉の大陸が怖いならよぉ、泳いで帰ればいいんじゃねぇか?」
怖い?
あぁ、確かに怖いさ。めちゃくちゃ怖いぜ。
最悪だと嘆いて憂鬱な気分になるし、自分を殴りたくなるほど後悔もしている。
だが俺が怖いのは終焉の大陸じゃ、ない。
なぜならこの依頼の内容は、『船を護衛し、終焉の大陸付近の外洋で待機。魔道具を使って目標の安否を正確に確認する』といった内容だからだ。だからどれだけ終焉の大陸に近づこうと、魔素領域に入らなければただの海の上だ。恐怖を感じる事は何一つない。
俺が本当に恐怖しているもの。
それは恐ろしい噂が耐えない終焉の大陸ではなく、この船に乗っているやつらだ。
「おいっ! 聞いているのかよっ!」
考え事をしていると突如耳元で叫ぶ声。
「やべえ〜。コーズのやつキレちまったよぉ〜。コーズをキレさせて、俺、どうなってもしらないぞぉ〜」
「へっ、いいじゃねえか。やらせとけよ。あの『落ちぶれ』。AランクのくせにCランクの俺らにビビってやがるんだ。やっぱ噂は本当だったんだな」
耳障りな音楽だった。
強い敵よりも、なにをするかわからない味方の方が俺はよっぽど怖いと思っている。俺が失敗したのは、終焉の大陸へ行く依頼を受けたことではなく、信用できないやつらと行動する依頼を受けたことだ。
こいつらの今の依頼の態度もそうだ。
出航してから敵に襲われていないからという理由で、剣をすぐに抜けない姿勢でくつろぎ、くっちゃべっている。これから襲われない保証はどこにもないのによ。最初は注意していたが、段々出来の最悪な新人冒険者に意味の無い指導をしている気分になって、やめちまった。初歩的な事すぎて言うのも本来は馬鹿馬鹿しいんだ。
男の言葉に「戻ってしっかり警戒しろ」と言い続けると一つ舌打ちをして男は仲間の元へと去っていく。俺がこの船に乗る冒険者たちのまとめ役だから言うことをきいたのか、それとも単純につまらなくなったのか。後者であることは考えなくてもわかる事だ。去っていくとき男が小さく「落ちぶれが……」と毒づいたのがギリギリ聞こえた。たぶん、わざとそういう風にいったんだろう。
「(落ちぶれか……)」
男から言われた言葉が耳に残る。俺は内心で絡まれた冒険者三人組のことを偉そうに言ったが、結局は俺もまた同じ穴の狢ってやつなんだ。落ちぶれ……それは俺を的確に表現した言葉だった。この船にのってからというもの。あの三人に限らず、いろんな奴が俺を指して同じ言葉を言っていた。
他にも「ランク詐欺野郎」とか「追放されたゴミ」とかもあったかな。
あぁ、そうさ。どれもこれも間違ってない。的確に俺のことを表現しているとも……。
「(やっぱり最悪だな……)」
本当に、何もかもがよ……。
海を進み続ける魔導船の甲板の雰囲気は、澄んだ空と海と反比例するかのように、淀んでいた。
それから数分後。海面に気を配っていると俺は黒い影が海面に浮かび上がったのを見て立ち上がり剣を抜く。その様子を訝しげに見ていた男三人組の冒険者パーティーは海面から飛び上がってくる魔物たちを見て、表情を変え、うれしそうに声をあげた。
「おい、魔物だぜ!」
「来たなぁ〜〜〜」
「やってやるだぜ」
コーズ、モーダ、ユリタスの三人組が、甲板に魔物が降りたってようやくのろのろと腰をあげて剣を構える。正直言いたいことが色々あったが、飲み込んで魔物へ立ち向かう。そして倒し終えてから三人組をみると危うい手つきながらもしっかりと魔物を倒していた。新人冒険者なら及第点をやるがCランクでこれならレベルが低すぎる。いつからギルドのランク査定は甘くなったんだ?
必要以上に剣を突き刺し、魔物を切り刻み、甲板には血と魔物の肉が飛び散っている。
「おい、無駄な事はするな。
死んだ事を確認したら、とっとと海に捨てろ!」
怒鳴って注意をする。
「んだよ。弱い魔物が現れたときだけ得意げに倒して、偉そうにリーダー面か?
どうだ、これをよぉ。俺らもお前と同じように倒せてんだぜ魔物を。へっへっへ」
ヘラヘラと笑っているユリタスは剣に刺さった魔物をこちらに向け、ブラブラと魔物を揺らす。
こいつは本当に馬鹿なのか?
「うおっ」
船が大きく揺れる。俺は姿勢を崩れる事はなかったが三人組は体勢を崩し、へたくそな踊りのステップのように揺れをしのいでいた。しかし揺れのせいかユリタスの剣に刺さった魔物から透明の液体がせき止めていた栓を抜いたかのように突然溢れ出る。
「おい、ユリタス!お前剣が溶けてるぞ!」
リーダー格のコーズがユリタスに叫びかける。
「あ? なんだって?
って……あ、あぢいいいいい!!な、なんか手が!手がいってえええええええ!」
「ど、どうしたんだ、おい!」
「……そ、そういえば〜魔物好きのじいちゃんが、歯が無い魔物は溶解液で敵を溶かす場合もあるから殺すときは急所を的確にねらえってぇ〜……」
その通りだ。そうしないと溶解液をためる臓器を傷つけ殺しても怪我をする恐れがある。魔物は死んだあとですら油断してはならないんだ。
「テメェ、モーダ! どうしてそれを早く言わねえんだ!」
コーズがモーダを殴りつける。甲板の上にモーダが倒れた。
「テメエのすっとろさは本当にどうにかしろよ!イラつくんだよクソが!」
「ご、ごめん〜」
殴られた頬を抑えながらモーダはゆっくり立ち上がる。そんなモーダをコーズはもう一度殴り飛ばしていた。その横で今もユリタスは片手を抑え痛みのあまり絶叫している。
「いってぇぇええ!いてえよ!なあ。なあああ!!!
これどうしたらいいんだよぉおおおお!!」
なんだ、こいつら、本当になにをやってるんだ?
仲間放っておいてよ!
「くそっ!おいっ!傷を見せてみろ!」
モーダとコーズを放っておき、手を抑え痛みに涙をにじませるユリタスの元へ近づいて手をみる。ユリタスの絶叫の中に少し混じる、手が今もなお溶け続ける音。ユリタスの絶叫が耳に届く。その絶叫で吐き出される息に、微かに覚えのある匂いを感じてブチギレそうになる。
クソが。酒の匂いだ。
怒鳴りつけそうになる気持ちを歯を食いしばることで抑え、先ほどまでユリタスの座っていた場所へ行って辺りを見渡す。こいつが酒を飲んでいたなら、どこかにそれがあるはずだ。少しあたりを見渡すとキラリと目に光がはいる。荷箱と荷箱の隙間からだ。
酒瓶見つけた後急いで戻り、絶叫するユリタスのもとへ瓶の蓋を取りながら近づく。
「いっっ、でえええええぇぇぇぇええええ!!!
なに、なにすんだよおおおおおおお!!」
溶解液のかかったユリタスの手に酒をぶちまける。
暴れるユリタスの体を力づくで床に押さえつけ、さらに酒をかけ続けた。
「おい!このクソ落ちぶれ!ユリタスに何しやがる!」
「そ、そうだ〜」
服をコーズに荒々しく捕まれ、イラつく気持ちが沸く。
「溶解液がかかったときの対処は酒を勢いよくかける事なんだよ。お前の仲間を救ってるんだ。
分かったらおとなしくしてろッ!」
「んだっ、てめえッ!
でけえ声だして、俺を脅そうっていうのか!ああ!?」
「コ、コーズ落ち着いてぇ〜」
言葉の最後で怒鳴るように静止を求めるとコーズは激高する、それをモーダが腕をつかんでとめる。静止をうながされたコーズは舌打ちをして荷箱を蹴り上げた。なんで仲間を手当てしている俺が、こんな態度をとられなきゃいけないんだと思ってしまうのはいけないことか……?
誰かに問いかけたいがそれを問いかけられる仲間は俺にはいない。俺はソロの冒険者だ。
その後ユリタスの手当を終え、魔物の死骸を海に捨て終える。酒のことを注意するのに一悶着あったが、とりあえず一連の騒動が終わりようやく一息つけるといったところで煌びやかな装飾の服を来た男が顔をしかめて話をかけてきた。後ろには武装した男を二人連れている。今回の依頼主に当たる人物だ。
「ふんっ。一度魔物に襲われた程度で、随分な騒ぎだなっ。」
「すいません、ズェゴ……様。お騒がせして。魔物はもう全部倒しきったんで大丈夫だと思います」
代表して答える。悲しいことに冒険者のまとめ役になっている俺が、依頼主との間に立つ必要があった。
「ふんっしっかりしてほしいな。あなた方の報酬は、誰でもないこの俺の懐からでているのだ。あの程度の事で仕事をした気になっていては困るからな。あれくらいなら俺の私兵でも簡単にこなす」
「はあ」
ちらりとズェゴは背後の二人へ視線を向ける。視線を受けた二人は自身ありげな表情を浮かべて俺を見てきた。だからなんなんだ、と言えればとても楽だがそうはいかないのがつらい所だ。それに実際、今回依頼を受けた冒険者たちに比べればズェゴの騎士たちのほうが優秀かもしれないという可能性は否定できない。だからと言ってそれを認めたら俺の今回の依頼料はなくなってしまうだろう。くそ、つれぇなぁ。
「とにかく、報酬分はしっかりとやれ。わかったかな」
「もちろんです。了解しました」
「返事だけで、実際はどうだか」
ズェゴは俺らに背をむけて小さな声で言う。
「ごもっともです」
と護衛の男たちがと嘲笑気味に肯定した。
俺は聞こえないふりをしズェゴの背を見送っていると、コロコロコロと音をたてて揺れる甲板の上を何かが転がっていく。その何かはグラスで乾杯するかのようにズェゴの靴にコツンと音をたてて当たる。それを見た俺はこめかみの部分を手で抑えた。
「こ、これは……。ズェゴ様の……」
護衛の男が呟く。その言葉を聞いて俺はポーズだけではなく本当に頭痛が起きたような気がした。
ズェゴは足に当たったものをゆっくりと拾い上げる。それは空の酒瓶だった。ラベルも瓶の形もすごい見覚えがある。なんせついさっきみたんだ。俺が使った酒瓶は割って、魔物を捨てるどさくさに海に捨てたんだ。
なのにもう一本だと……。くそ、アイツら……。
しかもこの護衛、今やばいこといったよな。本当にヤバい、聞きたくないって感じの言葉を、今確かに言ったよな。
『ズェゴ様の』だと……?
恐る恐るズェゴの様子を見ると、空の酒瓶を手に持ちながら怒りで体をふるわせる姿があった。ズェゴは酒瓶の転がってきた方向へ視線を向けると、その先には顔を青ざめさせながら不細工な愛想笑いを浮かべるコーズ、モーダ、ユリタスの三人組がいた。
──最悪だ。
アイツら……。
どこに酒を持っていたんだと疑問に思っていたんだが、まじかよ。『かっぱらって』やがった……。
酒瓶の割れる音が響き、船の上にいる全員がこちらへ視線を向ける。
「貴様ら、俺の酒を盗ったな!
俺の世界で三つある楽しみの一つを、盗ったなッ! おい、貴様らっ!」
怒りに酒瓶を床にたたきつけたズェゴが三人の方へ詰め寄る。
周囲の視線がこちらへ集まるのを感じる。
「へへ。ズ、ズェゴ様。俺たちは盗ったんじゃないですぜ……。お、落ちてたんですわ。この積み荷と積み荷の間に。ちょっと味見してみてくれよって、俺らにささやきかけるように落ちてたんだ。なぁ、お前ら」
代表して答えたコーズが、モーダとユリタスの方を向いて同意を求めるように聞く。
「そ、そうなんだぁ〜」
「あ、あぁ。盗ってねえ。盗ってはいやしねえよ。
仮にもし。本当に仮にもし、誰かが盗んだんだったらよぉ。それはきっと俺らじゃなくて、アイツの方だぜ」
「あ?」
おい。
おいおいおいおいおい。
待てよ、おい。
誰を指してるんだよ、ユリタス。
その包帯の巻かれた手で。俺が手当てして、俺の包帯が巻かれたその手でよ。一体、誰を指してやがるんだ。
「……! そうだ! アイツだ。アイツが取ったんだぜ。なぁ、モーダ」
「ま、間違いないんだぁ〜〜」
ユリタスの言葉を後押しするように、コーズとモーダが後を続く。
「それに聞いてくださいズェゴ様。アイツは、Aランクの冒険者だが、実際その輝かしいランクは優秀のパーティーに寄生して得ただけの飾りでしかない。アイツの寄生に気づいたパーティーが最近になってようやくアイツを追い出したって話しなんですぜ。あいつは酒だけじゃなくてランクまでも盗んだ前科があるんだ!!」
「このランク詐欺野郎がッ! 酒まで盗みやがって!」
「そ、そうだぁ〜! この落ちぶれ野郎がぁ〜!」
「何なら他の冒険者の奴らに確認してみてもいいですぜ、ズェゴ様」
ズェゴに擦り寄りながらコーズがよく回る口をあける。ユリタスとモーダの罵倒を聞き流しながら、ズェゴの方へ視線を向けた。
じっとこちらをみつめる視線に背筋が寒気が走る。これは不味いな。
「このゲスな……冒険者共が! ふんっ。そんな細かい事情、俺が知るか。この場にいる四人共全員に罰だ。クソ、俺の酒をっ!!
だから俺は冒険者など雇いたく無かったんだ……。ベリエットの奴らが冒険者も念のため入れろと言わなければ……クソ、調子に乗りやがって……」
後半は語気を弱め、ぼそりと呟くズェゴ。三人組は罪を逃れたと思ったところで突き落とされ呆然としている。呆然としたいのはこっちのほうだ馬鹿野郎共が。結局俺だけが巻き込まれて損になってるじゃねえか。それに三人組はどうやら聞き取れなかったようだが、『ベリエット』って今確かにそう言ってたよな。
俺はどうやってこの場を切り抜けようか思考を巡らす。しかしズェゴの俺の想像を遥かに上回った言葉に俺の思考は一度停止をする。
「こいつらを切り捨てろ」
三人組の顔が動揺に一斉に顔をあげる。俺もきっと同じような顔をしていた。酒を盗すむのはそりゃ悪い。弁解する余地もありゃしねえ。けど、いきなり切り捨てるまでは、いかねえよ普通。酒が金みたいに高価だった時代じゃねぇんだ。精々依頼料を減らすくらいなもんだろ。
ズェゴ=ブーグリゴ。どうやら評判通りめちゃくちゃな貴族らしい。こいつは国では相当評判が悪い、典型的な悪徳貴族ってやつだ。それでも最低限貴族は貴族だろうと思っていたがまさかここまでとは。やっぱり受けるべきじゃなかったんだ。こんな依頼。
剣の抜かれる音を聞いて、我に帰る。こんな事してる場合じゃない。三人組もただで殺されるわけにはいかないと武器を手にしようとしているが、それをしたら本当にこの船の上に居場所がなくなることを知っているからか少し躊躇していた。
さすがにそれくらいのことは分かっているのか。
頼むからそのまま躊躇しててくれ。
「ちょっと待ってほしいズェゴ様。あなたの酒が『無くなっていた』のはこちらの不手際だ。申し訳ない」
三人組とズェゴと護衛達の間に割って入り、頭を下げる。
「ふんっ、今更謝ったところでもう遅い。無くなった酒は、もう帰ってはこないんだからなっ!」
頭を抱えたくなる。こいつの頭の中には、無くなった酒の事とその腹いせの解消の事にしかきっと頭にないのだろう。そうなってくるといかに俺が盗んでいないことを弁明したところでこいつには何の価値ももたない。正しさとか、人道とか。そういうのでこの場をしのぐのは悪手だった。
「ズェゴ様。実は無くなった酒は盗んだのではなく、これと交換しようと思っていたのですよ」
俺は懐から小瓶を取り出してズェゴの前に差し出す。
「これは……。ふんっ、珍しいじゃないか。『ベリエット帝国』の酒か」
「えぇ、そうです。口に合うかどうかはわかりませんが、相当高級な酒なんですよ。年代物ってやつです。これをズェゴ様に献上しようとしたものの、直接持っていくとなると冒険者が嫌いだと言っていたものでご不快かと思いましてね。少し遠回りですがこの高級な酒をズェゴ様の酒と交換して忍ばせようとしたのですよ……」
「……」
ズェゴは片手をポケットに入れながら疑わしげに小瓶を回して眺める。そして顔の前にぐっと近づけると片目を瞑り、今度は中身を凝視した。
本能で動いているのなら、理論や人道ではなく本能に語りかけるべきだ。お前は俺たちを処罰したいわけではなく、やつあたりがしたいだけなんだろう。そして無くなった酒よりもいい酒があれば、お前は満足なんだ。
「ふんっ。まあ、そういうことならばいいだろう。だが今後同じ事があれば次はお前らだけでなく冒険者全員まとめて処罰を下す。いいなっ!」
「もちろんです」
「いいか……。しっかりだぞ。しっかりやれよなこの冒険者共が!この仕事はな、俺の大事な面子にかかってるんだ。国から任された大事な任務だ。分かったな! おい、戻るぞ」
ズェゴは護衛の二人を連れて戻っていく。
胸をなで下ろす。人生本当に何が役にたつのかわからない。先輩冒険者の言っていた「そなえぬ者に勝利の皿は降りてこない」という言葉を思い出す。魔物に追いつめられて死にそうになったら飲もうと思ってた酒だが、まぁ飲んで死ぬより渡して生きるほうがよかったと思うしかない。
「チッ……、クソッ! 酒の一本や二本でガタガタ言いやがって!」
ユリタスが積み荷に当たって蹴り飛ばす。
コーザが舌打ちをしながら甲板に腰を下ろし、モーダもおろおろしながら積み荷の上に座った。
「大体あの野郎が酒を船に積み過ぎたから俺らの持ってこれる荷物が少なくなったんだろうがよッ!」
「そうだぁ〜」
コーザも吐き出すように愚痴をもらし、モーダも延びた語尾で同意する。
俺はそんな三人組を殴る。
端から順に、モーダ、コーザ、ユリタスと。
急に殴られ奴らは驚愕に目を見開くが、俺に殴られたことがわかると殺すような目つきを浮かべる。だが無視して殴る。立ち上がろうとするところを殴り、喋ろうと口を開けるところを殴った。殴って、殴って、とりあえずさらに殴った。
「俺を舐めるのは構わない。だが、仕事だけは舐めるな。次は抜き身の剣でやる」
今回ばかりは本気でいらついた俺はもう口で聞かないならばと、他の手段での説得を実行してしまう。けど結局は楽なやり方を選んだだけなのかもしれねぇ……。なあ、俺は間違っているか。誰かにそう問いかけたいが、答えてくれる仲間はいない。なぜなら俺はソロの冒険者だからだ。
「はぁ。何もかもが、うまくいかねえなぁ」
ため息をつきながら海原へ視線を向ける。
ムカつくぐらいに青々とした空と海だ。
冒険者三人組はそろって体を腫らせながら床で気絶している。
まだ依頼の最中のため、手加減はしたが今日はもう無理だろう。こいつらが寝ている分は、俺がしっかりとやらなければならない。
「あぁ、くそ。何をやってるんだろうな、俺は……」
こう何もかもが、うまくいかないと、自分の存在意義っていうのを、つい考えてしまう。
少し、俺の話を聞いてくれ。
世界によくあるありふれた話しを。
俺は落ちぶれた、Aランクの冒険者だ。強さもランクも行き詰まって実力に伸び悩んでいた。それでもまぁ、俺なりに頑張っていたよ。焦りも感じていた。周りは俺のスランプなんか関係なしにガンガン実力をのばしていくからな。俺よりもずっと早く、ずっと強くだ。
だが俺を置きざりにするように容赦なく開いていく、仲間たちとの差。それでも仲間たちは俺を励まして訓練に付き合ってくれていたが、段々と俺と仲間たちとの間に言葉では表現しづらい、ぎこちない空気が生まれていった。
パーティーの解散が提案されるのに、そう時間はかからなかった。納得のいかなさもあったが、一人だけ実力が離れた俺は罪悪感からそれを了承した。俺たちのパーティーは解散を選んだんだ。ただのパーティーじゃない。冒険者学校時代に組んでから十年以上のパーティーだった。
それから俺はソロになった。
半年前の話だ。信頼できる仲間を探すのは想像以上に大変で、ソロでの活動もなんとかなると思っていたが全然勝手が違って驚いた。一人で生きるってこんなにも大変なのか。そんな気持ちを何度も抱きながら、でもなんとかがんばっていこうって、そう思ってたよ。がんばって生きて、嫁でも探して田舎でくらすのもいいかもなって。
そんな時に俺の耳にある噂が届く。俺の元々いたパーティーが、再び『結集』したって、再結成されたって話だ。驚くよな。だって俺はそんな話一度も聞いてないんだぜ。
だが情報を集めていくとそれは本当にマジの話だったようで。なんてことない、ただうまいこと追い出したかっただけだったんだ、俺の仲間たちは。たった一人だけ実力の伸びしろがなくなった俺を。
気づかなければよかった、知らなければよかったって、そう思ったよ。
やけ酒をこれでもかってくらいしたが、それも一週間ほどくらいだ。金がなくなってくると現金なもので、俺は失意のどん底でも金を稼ぐために冒険者ギルドへ行ってこの依頼を受けた。金払いと、ソロでも受けられるという条件の良さだけで半ばやけ気味に。依頼内容もほとんど見ずに受けてしまった。それでこんな泥船にのってたら、本当に落ちぶれというほかにねえよな。
「本当に、俺はどこまでも平凡な冒険者なんだな……」
まだ輝かしい日々の真っ直中だった頃。もう十年くらい前の話だが、あこがれだったベリエット帝国で活動していたことがある。ベリエットっていえば勇者様が有名だが、それ以外にも発展していてとにかくすごいから他国の若いやつらはよくあこがれを抱く。
俺たちも例に漏れず浮かれた気分で一時期、ベリエットで活動していた。
そのときは目に入るもの手に取るものすべてが新鮮で、魅力的で、貴重だった。
中でも俺が気に入ったのは小説やマンガってやつだ。小説は他の国にもあるがここまで娯楽性を追求したものはあまりなく、マンガに関してはこんな物語の伝え方があるのかと仲間たちで愕然としたのを思い出す。かなり高かったが……。
それでもベリエット帝国の別名である、『娯楽大国』という名のすさまじさを俺たちにガツンと刻み込んだんだ。
それを読んでいた当時は、魅力的な物語に出てくる輝かしい主人公ばかりを目で追っていた。全く何も、疑っていなかったんだ。自分の才能ってやつを。才能がないなんてことを考えたこともなかった。事実俺たちのパーティーは他のパーティーよりもとても早いスピードでランクをあげていった。少しだけもてはやされた時期もある。
だが今考えるのは……。主人公のことではなく。主人公に実力を抜かれてかませ犬のように物語から姿を消していった、挫折をした人たちだ。自分に才能がないと気づかされ、自分を抜いてそしてさらに先へと行く主人公の背中を見つめる彼らは一体その後どうなったんだろうか。
俺をおいていったパーティーの仲間達は今、AAA(Aのトリプル)として活動している。冒険者と人間の頂であり、誰もが憧れ夢見る、英雄たる『Sランク』まであと一歩のところだ。俺の元仲間がその評価をうけていることはとても誇らしく思うが同時に俺はやっぱ彼らの足を引っ張っていたんだと受け入れざるを得ない。
「挫折したやつっていうのは、一体どこにいくんだろうな……」
いや、きっとどこにもいかない。きっと挫折したやつっていうのは、そのままそこに居続けて、くすぶったまま朽ちて、死んでいくしかないのだろう。
俺もこの旅路のはてに、本当にそうなってしまいそうだから笑えなかった。
今回の依頼は、本当に最悪だ。どいつもこいつも自分の好きな方向だけを眺めて集団としての意識はバラバラだ。問題が起きたら絶対に対処できない。だがこういったときにかぎって、何かよくないことが起こってしまうんだよな、と縁起の悪いことを考えてしまう。
冒険者は終焉の大陸の名前と金と名声につられた奴らと、考え無しの野郎ども。後者は俺も含めだが。
そしてズェゴの目的は祖国での挽回だ。それに金のかかる奴隷趣味と女遊び、酒飲みのための資金集めってところか。
ズェゴはゴミ箱みたいなものだ。汚いものや、やりたくないものを体よく押し付けるための。国にとって使い易くて丁度いいな。今回もそうやって周囲からやりたくない仕事を押し付けられたのだろう。評判の悪いズェゴは挽回のために進んでやってくれるからな。きっとそのために生かされているとはしらずによ。こんなの考えれば俺みたいな他人だってすぐ分かる。
けどよ、今回だけは国のやつらも判断を見誤ってるぜ。ズェゴのバカさ加減の深さが分かってないんだ。俺もここまでとは思わなかった。ベリエットからの重要な依頼をこんな奴にまかせるべきじゃなかったんだ。
……だがそれを言ったところで船は止まることはない。結局人の人生ってやつは行き着くところまで行くしかねぇんだな。
「(ほんと最悪だ……)」
頼むから何もなく、無事に依頼が終わってくれと祈る。だがどう考えてもそんなことはあり得ないと既に納得してしまっているため俺のほうが圧倒的に多数をしめており、俺はもういつからか考えるのをやめた。
ぼんやり海をみる。少しずつ日は暮れ、空には星が浮かび始める。俺はふと思った。
「そういえば俺って、なんで冒険者になったんだっけ……?」
思い出せない。忘れちまったな……。なんでだろ……。
それからその日の護衛の担当を終え、さらに数日。
海原を船は進んでいく。
そしてついにそのときはきた。
護衛を他の冒険者パーティーに任せ、仮眠をとっているとき。大きな声と慌ただしく動き回る音で目が覚める。
「『終焉の大陸』が見えたぞー!」