第42話 部屋の案内をしよう
終焉の大陸である外と、内をつなぐ玄関。
その役割を果たす『ラウンジ』という部屋を
俺は割と気に入っていた。
丸い一つの机を、一人がけのソファが四方を囲む。
それが何十セットと置かれている。
あまり多くはいない『住人』の数に対し
広さも数も釣り合わない気もするが
広く上質なホテルのラウンジを独り占めにするかのような感覚は嫌いじゃなかった。
柔らかく、上品なソファに腰をかける。
深く沈む感覚。病みつきになる。
材質は明らかに上質。一度体を預けてしまえば、背もたれは計算されたように首の気持ちいい所で終わり。
その当たりどころの良さに、思わず頭の重さすらも手放す。
そうすると視線は自然と真上へ向き
見えるのは、昼に輝く星のような、美しいシャンデリアの群れだ。
「ピヨピヨ」
シャンデリアの裏に作られた『彗の巣』を
ここ数年でかなり強化された視力は嫌でも捉える。
視線があった巣の主。彗は、挨拶をするように鳴き声をあげた。
……。
いや、それだけではない。
『リビング』の一番の魅力。
それは落ち着いた雰囲気といっていい。
静かに、耳を澄ますと、どこからか聞こえてくるクラシック音楽。
人と話すときには意識から消え
一人でいるときには耳に入ってくる絶妙な音量で流れている。
少し暗めの落ち着いたラウンジの色調と相まって、
疲れた時などにふと柔らかいソファで休憩をとってしまえば、眠りに誘われてしまう事必須だ。
最近では日暮がそんな姿になっているのをよくみかける。
しかし、それも気持ちが分かるというものだ。
疲れた心を癒してくれる。それが、ラウンジの落ち着いた雰囲気の魅力……。
──バン!!
「秋よ!! 約束じゃ!
今日はわしを案内してくれるのであろうの!?」
遠慮を微塵も感じさせないほどの、勢いで開かれるドア。
その直後に発せられた大きな声が、流れているクラシック音楽を力づくでかきけす。
木霊のように反射して返ってきた声が再び耳にとどいて
眉をひそめそうになる。
視線の先にいる彗もどこか迷惑そうにしていた。
「……案内するから、少し声を抑えてくれ」
「む。すまぬの」
そういいながらも、興奮冷め切らずといった様子のティアルは
俺のいる場所を確認すると、早足でこちらへと近づいてきた。
畳まれた黒い羽と、片方ある角とは逆側に伸びた髪が揺れている。
大陸の沿岸部でティアルと偶然出会い
『領域』を経由して部屋の中へと招いた昨日。
広場ではどこか剣呑な雰囲気を持ちながら、真剣な眼差しで周りを観察していたと思っていた。
しかし部屋の中に入った途端、好奇心が爆発したのか「あれはなんじゃ」「これはなんじゃ」と、この魔王は大層はしゃぎ回っていた。
薄々気づいていたが、ティアルは知識馬鹿、みたいな所があるように思う。
昨日の結界の中で興奮した様子を昨日の様子と重ねあわせ
俺は、ティアルの印象をそう結論付けていた。
結局あまりにも夜遅くまで騒ぎ続けるため
俺はある『約束』を交わして、ティアルを客室へと押し込んだのだった。
春がキレ出す寸前だったからなぁ……。
昨日の様子をふと思い出す。
あまりの五月蝿さに、無表情ながらもどこか威圧感を漂わせ始める春。
そんな春の様子を見て、何かを察した冬が顔を青くしながら
違う部屋へのドアに後ずさりしていたのが印象的だった。
ティアルは消化不良なのか不満げだったが、感謝してほしいものだ。
──この『部屋』の中で怒らせたら一番やばいのは間違い無く春だからな……。
でもこうして振り返ってみると
あれはあれで、結構面白かったかもな、と思った。
そんなことを思っているうちに、正面までやってきたティアルは
俺の真正面の椅子に腰をかけた。
そして珍しげにソファを触りはじめる。
「ここといい、わしの案内された『客室』といい。
終焉の大陸にある事を除いても、この場所は随分と過ごしやすいの」
「それはよかったよ」
この場所しか知らない俺は、無難に返事をする。
ただ【部屋創造】の能力は快適に過ごすための能力だから
素直に喜んでおこう。俺自身、褒められて悪い気はしない。
『ラウンジ』の形は、前までただビルの形にくり抜かれたような縦長の部屋だった。
しかし現在。さらに四つの角から真っ直ぐに延びている『廊下』が増えている。
まだまだ一階部分や、上層部分にドアを置くスペースはあるのだが
分類をしやすくするために【カスタマイズ】で廊下を増築した。
終焉の大陸に繋がるドアと、客室に繋がるドアが
横並びに並んでいたらこの上ない使いづらさなのは想像に容易いからな。
ちょっと開ける扉を間違えただけで、繋がる先は外。正に天国から地獄だ。
それはさすがに快適とは言いがたい……。
そうして増築された廊下。ラウンジの下層部分は大体増築されているが、その内の『一階部分』の廊下に客室は作られている。ティアルが先ほどでて来たのはここからだな。
日暮のときは看病が楽だからという理由で俺の部屋へと運んだが、本来客人の対応はこの形が正しい。
まぁこの大陸で『客人』なんてまずこないから、作るときに想定していた事とは違う事なんだけど。
今回実質、ティアルが初めて客人として用途通りに使用していた。
「それにしてもかなりの数の部屋があったが
それほどまで『住人』の数は多いのかの?
いくつかの部屋には『名札』もかかっておったな」
昨日も似たようなことを言われたなと思い出す。
ティアルは昨日春と冬を見て、俺以外にも『人』がいる事にかなり驚いていたから気になるのだろう。
それからすぐ、冬と春の正体に気づいたのはすごかったが……。
この間来たばかりの日暮は全く気づかなかった、というか今も気づいていない。
これが格の違いというやつだろうか。流石、魔王なだけの事はある。
ちなみに日暮は最近の根を詰めすぎたハードな『トレーニング』のせいで倒れて寝込んでいる。
本人は俺たちにあまり世話をかけたくないように思っているのが分かるが
そのせいでかえって世話させる事態になっているのが、今の日暮の危うさだと感じた。
ティアルと日暮はまだ顔を合わせていないがいずれ顔を合わせるだろう。
魔王と勇者という相反する立場が少し気になるけど。
まぁ、大丈夫なんじゃないかな……と、どこか他人事のように結論を出した。
思考を元の路線に戻し、ティアルの質問に答える。
「そこまで多いわけじゃない。ただ数人は住んでるよ」
「ふむ、どんな住人がおるのか。会ってみたいのぉ」
「近い内に勝手に顔を合わせることになるだろう。
なんせ、同じ場所で住んでいるんだからな」
そういえばティアルは何時頃までいるんだ?
ふと疑問に思うものの、先にこちらを片付けようと
【アイテムボックス】からいくつかの食事を取り出して机の上に並べる。
「朝食はこのまま、ここでいいか?」
「構わぬよ。恵んでもらえるだけでもありがたい。
まさか、暖かい食事がこの大陸にきてまで食べられるとは思わなかったしの」
食事を次々と出して、机の上に並べていく。
食事を取る所じゃないから少し品が無いが、まぁいいだろう。
ティアルの面白そうなものを見る視線を感じながら料理を並べた。
並んだ料理は二人前。ティアルの分と、俺の分。
ティアルが食べるのを見ているだけなのもどうかと思い
せっかくなら一緒に食べようと本来なら春たちと食べる所を抜かしてきていた。
「ぬふふ。うまそうじゃの」
立ち上る湯気のスープの香りが鼻腔をくすぐる。
取り出したのはスープとパンというシンプルなものだが、両方とも作りたて焼きたてだ。
異世界の人はどんな食器を使うのかわからなかったから
メニューはシンプルで使う食器の少ないものにした。
後から話を聞いたら、食器は基本同じ物でいいらしい。
「とりあえず、食べよう」
「ふふ、それではいただこうかの」
俺は食事の挨拶をして、手を伸ばす。
そのとき、ちらりと正面のティアルを見ると
静かに胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。
ふと、昨日の結界でのティアルの祈っている光景が思い浮かぶ。
祈り……。
考えてみると、俺は一度も本気で祈った事は無いような気がした。
食事をする時の挨拶も、礼儀として行っているにすぎない。
家族が亡くなり、両親と墓の前で手を合わせたときもそうだった。
昨日のティアルの真剣な祈りと比べると、対象的に思える。
そこに心をこめた事は一度もない。
こめたところで、何かが変わるとは思えないから。
俺にとって祈りとはそういうものだ。
しかしそんな俺でも、ティアルの祈っている姿は
不思議とどこか心を引き付けるものがあった。
「きれいだな」
祈りを終えたティアルに声をかける。
ティアルは嬉しそうに、微笑みを浮かべた。
「ふふ。口説いてるのかの?」
……。
ああ、これはそう取られるのか……。
ちょっと言葉が足りなさすぎたと反省をする。
「いや、祈ってる姿を見てそう思ったんだ」
「なんだ、つまらぬの」
肩をすくめるティアル。
出会ったのは昨日なのにこのタイミングでいきなり口説きはじめるのも
かなり不自然だと思うけど。
「しかしきれいかの……。そんな事を言われたのは、初めてじゃ。
ふふ、まんざらでもないの」
「『悪魔族』は皆そうするのか?」
悪魔族の慣習なのかと思い、尋ねる。
ティアルが結界の中で言ったように
俺もまた、異世界の住人で異種族のティアルに興味があった。
異種族なんて、まさに異世界って感じだからなぁ。
異世界っぽさで言えば終焉の大陸は勝るとも劣らないが
殺伐としすぎていて、楽しむ余裕は持ち辛い。
ティアルはふるふると首を振る。
「いや、これはわしだけの慣習じゃ」
「ティアルだけか?」
食事を進めながら、話を続ける。
「うむ。
そもそもわしは『悪魔族』という種族なだけであり、
『悪魔族』の集団に帰属意識を持っておらん。故に、慣習もまた異なる。
わしの食前の祈りは、育ての親が終焉の大陸で魔物に食べられて以来、自然とやるようになったのじゃ」
どうやらティアルは悪魔族なだけで、悪魔族からは孤立しているようだ。
前の世界を捨てて異世界へ来た身としては、理解できるところがあった。
それから、流れでティアルの過去をきく。
朝食の最中に話す会話にしては、重い話だった。
「よくある、話だな……」
ぽつりとそう、もらしてしまう。
ティアルの過去。目の前で食われていく聖獣マギザムード。
その話は。こう言ってしまうのもどうかと思うけど。
『当たり前』の話だった。
当たり前で、ありきたりな話だ。
俺のよくしっている『終焉の大陸』のいつもの光景にすぎない。
外は厳しい。
誰も彼もが、何かを失わずにはいられない。
外で生きている様々な魔物たちも。部屋の中で過ごしているゴブリンたちも。
ティアルもそうだったのだろう。
ふわりと。
風でなびく、『黄色い髪』が脳裏に浮かんだ。
──俺や、春たちもまた……。
わき上がる過去の記憶にすぐさま、蓋をしめ、心の奥深くへと追いやる。
ふと視線を感じ、顔をあげる。
ティアルが食事の手を止めてこちらを見ていた。
そこではじめて、自分が漏らした言葉が
ティアルにとって失礼な言葉だった事に気づく。
「悪い。今のは軽率な言葉だった。
申し訳ない」
頭を下げる。
自分の育ての親が魔物に食べられる話を
よくある話呼ばわりされるのはあまり気持ちのいいものではないはずだ。
「……いや、構わぬよ。まず怒ってなどおらぬし、不快でもないからの。
それに初めてじゃ。終焉の大陸の話を、よくある話だと切り返されたのは。
だからかの。何か、今はとても、不思議な気持ちじゃ」
ティアルは自分の感情を整理するように、食事と会話を止め少しばかり考えこむ。
「お主の浮かべていた表情も
話を聞いた者たちが誰も浮かべていたことのない表情だった」
どんな表情だ?
自分の表情は自分ではわからない。
気になり、尋ねてみる。
「どんな表情だった?」
「どこか、遠くを見るような表情をしておった。
昔を思いだし、思いを馳せるかのような」
「……そうか」
「うむ」
それから、自然と話題は別のに変わる。
ティアルとの会話は、不思議とよく弾んだ。
初めての異世界のまともな住人だからかだろうか。
それもあるが旺盛な好奇心からも伺えるように。ティアルは見識が鋭く、知識の豊富さが会話から感じられた。だから聞ける話に興味がわき、ついつい話し込んでしまう。
食事を終え、休憩がてらに今後の予定をティアルと確認しあう。
「この後は、この場所を案内してくれるんだろうの?」
「あぁ。約束だからな」
「ふむ。しかしこの場所を案内してもらうのに
【鑑定】をかけられるだけというのは些か安すぎる気もするが。
【鑑定】なぞ高位のスキルか魔道具でなければ参考にもならぬものじゃ」
昨夜、俺とティアルが交わした約束。
それは、【鑑定】をさせてもらうかわりに
この部屋の中を案内するというものだった。
ティアルは部屋の中が知りたい。
一方で俺は、大陸を出たいと思っている。
そしてこの取引を成立させれば大陸を出るために大きな一歩を踏み出せるだろう。
時間はかかるから『すぐに出る事』は無理だが、それでも船を作るよりかは現実的な方法だ。
勝手に【鑑定】を使わず、取引にしたのは
外の魔物は【鑑定】をかけると気づくものがいる。
日暮と最初会ったときに【鑑定】をしたら、かなりの剣幕で怒っていたため
勝手に【鑑定】を使用し、気づかれて信頼関係が壊れるのを避けたためだった。
「でも安いっていうなら、条件をつけたそうかな」
「む、後から加えるのかの?」
言い始めたのはティアルのほうなのに、不満そうに口を尖らせる。
簡単な事だと前置きをして、加える条件を言う。
「翼と、角を触らせてほしいんだ」
「……そういえば初めて会ったときも、珍しそうにわしを見ておったの。
人間ならば魔族と接する機会も少ないから、それも仕方ないのかのぉ。
まぁ、それくらいならばよいじゃろう」
バサリと、音をたてて黒い翼が広がる。
「意外と大きいな」
昨日も見たが、間近で見ると想像以上に大さに驚く。
「本来はそう気易く触らせぬのじゃぞ」
「そうなのか」
「軽いのう……。わしはもっとありがたがってほしいのじゃ」
すごいストレートな要求だなぁ。
「それでは、失礼して」
「うむ。
乙女の体ぞ。大切に扱うのじゃ」
その口調で乙女と言うのは、どうなんだろうか。
その後。
ティアルの翼と角をある程度堪能したところで俺とティアルは移動して
ティアルの部屋の中の案内を始めた。
ちなみに翼は意外と硬く丈夫で、逆に角は思っているよりも軽く中身がスカスカだった。
触るたびにティアルが明らかにからかっている様子で
艶めかしい声を出してくるのが鬱陶しかった……。
◇
「アキダー」
「アキサマ」
「チワッス」
歩みを進めていくにつれて、声をかけてくる彼らの声が増えていく。
横で並んでいるティアルは、きょろきょろと辺りを珍しそうに見渡していた。
『ゴブリン村』。
この場所を俺はそう呼んでいる。
「のどかだのぉ」
ティアルがぽつりと呟く。
確かに目の前の光景はのどかだ。
草原の景色に、壁があるはずなのにどこからかふく風。
一見牧場のように見えるけど、そうではない。
その一番の違いは、いくつもたっている木造の家屋。
それに忙しなく動いている『住人』たちだろう。
建っている家は前の世界のと比べれば、お世辞にも質が良いとはいえない。
それでもこの場所で過ごす住人たちは
家が何かも分からず困惑しながらも、少しずつ理解し
生まれて初めて『安眠』を知り、喜び、今では立派な住人として『ゴブリン』たちは生きている。
かけられる挨拶に返事をしながら、ティアルとゴブリン村を進む。
「ちらほらと見かけるむき出しの『扉』は
先ほどの『らうんじ』とはまた別のところに繋がっているのかの?」
「繋がってるな」
「ふむふむ」
それを聞くと、ドアの先が気になるのか。
ティアルが一つのドアに向かって走っていく。
「あんまドアで移動しすぎると迷子になるぞ」
そっとドアを開け
ちらりと先を見ていたティアルが渋い顔をしながら戻ってくる。
「そのようじゃの。
もはや部屋とは名ばかりの迷宮じゃなここは」
言い得て妙だ。
それから、ゴブリンらの挨拶と好奇心旺盛なティアルの質問を交互に浴びせられながら村を進む。
このゴブリン村は、俺がゴブリンのために作った『部屋』。
作るときに【部屋創造一覧】にのっていたときの項目は【村】。
今はもうどうでもいいが初めてこの【村】の項目を見たときは愕然とした。
しかも、さらに上位版として【街】や【都市】なんて項目もあるのだから
自分の能力ながら「何でもありだな……」とため息をつきそうになる。
しかし甘いことばかりではないのが【部屋創造】の能力だ。
この部屋の作成に、【RP】が【20000RP】も必要だった。
牧場が五つも作れると考えれば消費する【RP】はかなり多い。
広さは牧場と同じくらいだけど、【カスタマイズ】や
自力で発展することができるポテンシャルの大きさを考えたら、その消費も納得するしかない。
実際この村もかなり奮発してカスタマイズしているため
本来の村の初期費用である【15000RP】よりもだいぶ高くついている。
「それで、ここには届け物を届けるんじゃったかの?」
「あぁ、昨日頼まれていたやつを、案内ついでに届けておきたい」
「ふむ。あの魔石で行っていた、取引かの」
ティアルの言葉に頷く。
昔の俺にとってゴブリンとは『敵』だった。
異世界に召還された日に襲われてから、長いことその関係は続いていた。
だがいつしかその関係は互いに観察へと変わり、ある日を境に『交流』までに発展した。
「建物の質は決して良いとはいえぬが、最低限暮らせるように作られている。さらに今時珍しい井戸が複数設置され、この村の生活基盤は案外整っておる。家も雑多に置かれているように見えるが、きちんと区画がわけられて整備が……」
「コンニチワ、アキサマ」
「アキサマダ」
「オジキサマ ゴキゲン ウルワシュウ」
何かぶつぶつと言いながら、辺りを注意深くみつめているティアルの横を
ゴブリンたちが声をあげながら通り過ぎる。
既に村の中心まで来たからか、周りにゴブリンがわらわらと集まってきた。
「はいはい。
こんにちわ、ごきげんうるわしゅう」
慕ってくれているのはわかるんだが
顔をつきあわせるたびにこの様子なので正直鬱陶しい。
しかしゴブリン達が改善するよりも先に
俺のあしらいかたの上達のほうが早かったのが悲しいところだ。
「叔父貴殿ぉぉぉぉぉおお!!」
少し遠くから、大声でかけられる声。
その声の主は、音をたててこちらへ向けて走ってきていた。
考え込むように周りを見ていたティアルも。何事かと、声の方へと顔をむける。
「お前等ぁーっ! なにをしているー!
餅をあけろぉぉぉ!」
声を聞いたティアルは首をひねり、ぽつりと漏らす。
「餅?」
「……『道』だな」
結局道はあくことなく、走っている声の主はゴブリンの集団に
走る速度を落とすことなくつっこむ事になる。
「ど、どけ。うっうぐっ。ぐあっ!」
ゴブリン達にぶつかりながら無理矢理前に進み続ける。
周りのゴブリンたちが迷惑そうに「ギィ」と声をあげる。
そしてなんとか、集団から体を出したのはやはりゴブリンだった。
他のゴブリン達とは違い、言葉が流暢で
左腕には青色で紋様が描かれている。
「……よしっ!
むむむっ!? お前等、我らが叔父貴殿の前で、頭が高いぞ!」
大声で周りを制した後、目の前のゴブリンは体勢を変える。
そして自らの取った体勢を周りに大声で強いた。
「全員、『跪け』っ!」
跪けと声をあげる。
しかしその姿は跪くというよりは完全に頭を下げきった『土下座』だった。
「オジキ ナニシニキタノ?」
「オミヤゲ?」
「ふふっ」
「……」
ティアルが耐えきれず笑い、俺は押し黙る。
そして全く跪く様子が見えない周囲のゴブリンは
土下座の姿勢で縮こまるゴブリンを目に留めず俺に話しかけ続けていた。
「『青鬼』」
「はっ」
「頭あげろ。
そういうのやらなくていいっていってるだろう」
「はっ!」
目の前のゴブリン、青鬼は
土下座の体勢をといて立ち上がる。
青鬼はゴブリンの群の長の次に偉い存在の一人だ。
昨日ティアルを部屋に迎えるときにいた、目つきの悪いゴブリンもその一人で名前は『赤鬼』。
「剛は今いるか?
取り引きの物を届けに来たんだ」
「ややっ、なんとそれはご足労をおあびになります。
親父殿なら、そろそろヅラに戻ってくる頃かと!」
「ご足労をおかけになる、だな」
それと『ヅラ』じゃなくて『村』だ。
「別に勝手に置いていってもいいが
どうせならちょっと待つか」
「ははー!」
仰々しくお辞儀をする青鬼。
そういうのは冬とか春で間に合っているんだよ……。
青鬼は、流暢に言葉を喋る。
意味や使い方をよく間違うのが玉に瑕だが
それでもかなり優秀な方だ。
一方で村のゴブリン達は、未だに言葉が拙い者が多い。
それも仕方のない話だ。まだ出会ったばかりだったゴブリン達は動物と同じように鳴き声しか発していなかったのだから。
むしろ逆になぜ言葉を使えるようになったのか、と不思議な気持ちが沸く。
ゴブリンたちと交流を持つようになり、言葉が通じないとわかっていても
言葉をかけ続けていたら、ある日突然。拙いながらも言葉を発し始めたのだ。
それからはみるみると言葉を理解し、使いこなしていくようになった。
正直言って、その成長速度は『学習』というレベルではなく
世代を重ねて行われる『進化』といってもよかった。
不思議だ、と思う。
これもこの世界の法則の一つなのだろうか?
ティアルが夢中になって謎を追っかけている気持ちが分からなくもないと俺は思った。
「うおぉい!秋じゃあないか!」
「剛か」
ゴブリンの集団が、一つのドアからぞろぞろと入ってくる。
身につけているものはかなり痛んでおり、どのゴブリンからも、大なり小なりできたばかりの生々しい傷跡が見えた。
その先頭で他のゴブリンよりも巨体なゴブリンは、ずかずかと大きな一歩でこっちまでやってきた。
このゴブリンたちの群れの長だ。名前は剛。
体は傷だらけで、特に左腕に関しては腕をちぎってもう一度くっつけたかのような大きな傷跡があった。
「親父殿」
青鬼も帰ってきた剛に気づき、声をかける。
「おうっ! 青鬼ぃ、『入れ替え』だ!」
「七転八倒ォ!」
やる気を出すように、青鬼が叫ぶ。
それを聞いた俺は首をひねっていた。
七転八倒……?
……。
……あぁ。もしかして合点承知、か?
ここまでくるともう謎解きだ。
間違った意味の言葉でやる気を出した
青鬼は剛が先ほど入ってきたドアへとむかっていく。
その後ろに、今まで村にいたゴブリンたちもついていた。
『外』へと行くのだろう。
「それで、今日はどうしたんだァ!? 秋!」
青鬼を見送った剛は、大きな声で話しかけてくる。
基本的に剛は声が大きい。
「荷物を届けにきた。確認してくれ」
「おぉ、ありがたいじゃねえか!」
ガッハッハと笑う剛と共に、村の倉庫へと移動する。
ここ数日で受け取った魔石の分の物資。武器や防具、道具や薬、食料や調味料なんかを【アイテムボックス】から大量に取り出して倉庫へと詰めていく。
剛は渡した薬の中の、治癒薬の入った瓶を手に取ると
中の薬を自分自身の体にかけた。そしてもう一度ふたをすると村のゴブリンを呼び、投げて先ほど傷ついていたゴブリンに渡すように伝える。
「あとこれは赤鬼に渡しといてくれ」
最後に『オレットのタルト』を取り出して渡す。
「あぁん? また、あいつ頼んだのか!」
「そうだ、盗み食いするなよ」
「もちろんだとも! がっはっは!」
そういって大口を開けてタルトにかじり付く剛を見る。
……これはダメだな。
さすがに赤鬼が可哀想なので
剛の死角にいる村のゴブリンに後で赤鬼に渡すようにとタルトをもう一つ渡しておく。
ゴブリンたちの好物は調味料をつけた肉だったり、漁場で採れる魚だったりとする中、赤鬼は一人だけスイーツが好きだ。
村で凝った料理をする余裕はまだないから
赤鬼が好物を手に入れようとすると俺が作るしかなく
そのせいでちょいちょい汚職に走る傾向がある。
「ティアル」
荷物を整理し終えた俺は、少し遠くにいるティアルを呼ぶ。
少し前からティアルは、村のゴブリンたちに使っている道具や暮らしぶりについて聞いていた。どこにも属していない孤立した魔王だけあって、なかなか自由だと思う。
呼びかけられたティアルはこちらへ小走りでかけよってきた。
「呼んだかの」
「なんだぁ!? また人間じゃねぇか、珍しいな!
がっはっは!」
「む、『また』?」
「昨日、部屋の中に来たティアルだ」
ティアルが剛の言葉に反応するが無視して話を続ける。
ティアルもあまり気にする必要がないのか。いや、それよりもより気になるものがあるらしい。
剛の姿を、食い入るように見つめていた。
「お主……。
わしと前に出会っておらぬか?」
「おう?」
考えこむ剛。
「んー。あー……。
そういえばずっと昔におまえさんに似たような生き物が
化け者に食われていたような気がするぜ」
「いや、食われてたらここにはおらぬが……。
しかしやはり、あの時のゴブリンの長かの! なんとまぁ奇妙な縁よ!」
ティアルは飛び跳ねそうなほどに声をあげる。
「剛を知っていたのか?」
思いもよらない繋がりに少し驚きながら訪ねる。
ティアルはうなずき、口を開いた。
「少し前にの。
実力がついたと思い、悲願だった大陸の調査をするために内陸へとはいったのだが
早々に魔物に追いつめられての。
死を覚悟したところで、ゴブリンらが現れ、魔物を颯爽と横からしとめていったのじゃ」
あのときは助かった、とティアルは剛にお礼を言う。
そういえば昔、魔物に食べられそうになっていた剛を気まぐれに助けたとき
「かたじけない」とずっと口にだしていたことを思い出した。
昨日ティアルがドアに入るときに言った「かたじけない」という言葉が
妙に記憶に引っかかるような気がして、気持ち悪かったが、なるほど、昔の剛の記憶だったんだな。
剛はお礼を言われた事に、首をひねっていた。
「獲物をねらっただけだからな。
めったにとれるもんじゃないものをとれた記憶しかねぇ。それに、秋と出会う前の記憶は今と比べるとかなり希薄だからよぉ。
でもなんか変な鳴き声だったのは覚えてるぜ! がっはっは!」
つまりティアルを助けたという意識はなく
ただ獲物をねらっている獲物として隙をついただけだという事か。
たぶん、嘘でもなんでもなく。
本当にそうなんだろうな……。
その後に出会った俺とは、殺し合ってたわけだし。
たぶん、その獲物を剛たちがしとめ損なっていたら次狙われていたのはティアルだっただろう。
その事をティアルに伝えると
喜びが半減したわい……と顔をひきつらせていた。
ていうか、変な鳴き声って……。
当時はあの日本語に尋常じゃなく驚きと謎を感じたんだが……。
ティアルだけじゃなくて俺まで微妙な気分になった。
思い出は思い出のままにしとくのもまた一つの手段だと
俺とティアルは顔を見合わせ、互いに思ったのだった。
◇
届け物を終え、ゴブリン村を一通り見終えた俺たちは一度、ラウンジへと戻る。
椅子に腰掛け、興奮気味のティアルはとにかく話が止まらない。
「しかし本当に知れば知るほど、想像以上じゃの」
「楽しそうで、なによりだよ」
ティアルの正面に座り、相づちをうつ。
「くくく、本当にこれほど楽しいのはいつぶりかの。
見るもの触れるもの。知るもの、すべてが新鮮じゃ。
未知とはこうでなければならぬな!
それにまさか、あの時のゴブリンと再びここで相見えるとは!」
「その事には、俺も驚いたよ」
「向こうの事情はどうあれ、助けられたのは紛れもない事実。
礼を言えたのは幸運としかいいようがないの」
「そうか。俺も剛たちには、命を救われているから気持ちはわかるよ」
「何っ、お主もかの!?」
身を乗り出すように、ティアルは声をげる。
俺は先ほど注いだ紅茶へ一度口をつけてから、返事をした。
「ああ、一番死を覚悟したときに、助けられた」
「なるほどのう……。
ならば、わしと秋もまた奇縁としかいいようがないの」
にやりと口を歪める。
「この世界で、終焉の大陸のゴブリンに命を救われた者など
わしらを除いて他にいるはずもない」
確かに、そうかもしれない。
ただでさえ人がいないこの大陸で、さらにゴブリンに救われた人なんて条件が当てはまる人は、俺とティアルぐらいしかいないだろう。
変な共通点だが、それでもティアルは少なからず親近感を沸かせているようだった。
それから俺とティアルは昼食を取りながら、終焉の大陸の話をした。
ゴブリンがいかに狡猾で強かか。
災獣の恐ろしさ。また変わる環境の違いや性質など。
ゴブリンたちが、部屋に住む前
いかにして夜を明かしていたかという話をすると、ティアルはすごい勢いで食いついていた。
そうして話が盛り上がっているときだった。
「どうした?」
それは突然だった。
話の途中に一筋だけ涙がティアルの頬を伝った。
「む?」
話をしているとき突如遮ったからか、不思議そうな顔を浮かべるティアル。
指で俺の頬をたたくようなしぐさをすると
ゆっくりと自分の頬をに手をやり、涙が流れたことに気づいて驚いた表情を浮かべる。
ティアルは頬を当てた手を少しだけ見つめると
大きく息を吐き出した。
「ふぅ。少し、興奮しすぎてしまったようじゃ。
終焉の大陸の話で盛り上がるなんぞ……。初めての、経験だったからの」
「……そうか」
深くは問わず、相づちだけを打つ。
少し空気を変えるため、別の話題の話へと変えた。
「それで次はどうしようか?
ティアルはどこか見たいところとかあるのか?」
午後にどうするかを問う。
するとティアルは、俺の目を見つめて迷わずにこういった。
「『外』じゃな。
あの広場の事をわしはしりたい」
ティアルのその言葉で、午後の予定が決まる。
正直あまり気は進まなかった。外はそうした余裕がない場所だからだ。
だが広場までなら、ほんの少しは余裕がある。
ここ数年で命がけで作り出した、ほんの少しだけの余裕が。
だからそこまでならいいかなと、心にきめた。
【新着topic】(new!)
ゴブリン村
ゴブリン達の住む村。秋の能力で作られた『部屋』の一室でもある。生活水準はぱっと見で抱くのどかさの印象と比べれば意外と高い。壁際には透明の壁にぶつからないようにと柵が取り付けられている。
ゴブリン村の住人
剛 強さ:?
ゴブリン村の長。体は大きくて、傷だらけ。とくに左腕にちぎってもう一度つけたかのような大きな傷がある。しゃべるときの基本的な声量が大きく、発言からは豪気さがうかがえる。客人以外で唯一秋を呼び捨てで呼ぶ。
青鬼 強さ:?
ゴブリン村で剛の次に群れを取り仕切る人のうちの一人。流暢に言葉を喋るが意味や言葉をよく間違える。秋を敬いたがる。
赤鬼 強さ:?
ゴブリン村で剛の次に群れを取り仕切る人のうちの一人。目つきが悪く、群れを仕切る能力が高い。甘いものが好きでちょいちょい汚職にはしりがち。