第41話 そこで生きる事の価値
※ティアル・マギザムード視点
それは、悲鳴に、近い声だった。
……──マギー!!
まだ幼さの残る、自分自身の声。
狭い結界の中で響き渡る。
大樹に空を覆われ、日差しが遮られた薄暗い辺りが。どこか不吉げだった。
気がつけば、慌ててマギザムードのいる方へかけていた。
でもそれは短い距離で強制的に止められる。確かな硬質さをまとった結界に行く手を阻まれたから。
苛立ちを感じながら、結界に手をついた。行きたい場所はこの結界よりも『先』だというのに。
いつもはわしを守っていてくれる結界。
このときほど、その存在が邪魔に思えた時はなかった。
結局わしは想像よりも長い時間、その場で立ち尽くす事になる。
最初から最後まで。
否。最初から、最期まで。
視線はぶれることなく結界の『外』へと向いていた。
『マギー! なにをやってるんじゃ!
そんな……。そんな魔物なんか早くやっつけてよ!!』
それは透明な結界の先。さらに言えば、今にも魔物の『口の中』へと呑まれていきそうなマギザムードへとかけた悲鳴に近い言葉だった。
生きるためには、食わなければならない。
どんなに今が苦しく、厳しい状況でもその法則は容赦なく降り掛かる。
無論この恐ろしい大陸で生きるわしたちでも例外はない。
そのためマギザムードは魔物を狩るために結界の外へいくことが頻繁にあった。
この大陸の魔物は、強い。それも他の大陸の魔物に比べ恐ろしく。
幼いながらにそれは強く感じていた。
でもわしは外へいくマギーを全く心配していなかった。
それはいつも平気そうな顔で、平然と魔物を狩って結界の中へと帰ってくるからだ。
だから想像もしていなかった。
いつもマギーの狩ってきた魔物をたべていた。
その魔物のようになる可能性が、マギザムードにもあるということを。
焦点のあっていない瞳で虚空をみつめていた。
だらりと力が抜け、口はだらしなく開いたまま、弛緩した四肢が魔物の口から投げ出されている。
魔物の毒にやられてしまったのだ。
あまりにも普段と違うマギーの姿に
『それ』はマギーではないんじゃないかと考えた。
少し待てば巨木の陰から「わしがそんな魔物にやられるわけがなかろう」と文句を言いながら、帰ってくるんじゃないかと期待していた。
だがせき込むように、マギーが血を吐き出したとき背筋が冷えた。
目の前の光景が妙に生々しく、現実味を帯び始めたような気がした。
確かに今食われかけているのは、マギーなのだと。
『(マギーが……死ぬ……?)』
──大陸を出るときはマギーも一緒だよね?
マギーはずっと傍にいるはず。あんな魔物なんかにやられはしない。
そのはずなのに。
嫌だ。
どうして。
なんで、なんでなんでっ……!
『うっ!あぁぁああああ、やめろっ!
やめろっ────ッ!』
途端に感情の制御がきかなくなる。
怒っているのか、それとも悲しんでいるのか。
胸をかき立てるものが不安なのか恐怖なのかすらわからないまま叫ぶ。
激しい感情の衝動によって涙はあふれ出し
もはや感覚がないほどまでに腫れあがった手でなお、行く手を阻み続ける結界をたたき続けていた。
魔物を力いっぱい睨みつける。
全部、こいつのせいだ。
なにもかもこいつのせいだ! こいつがいなければ!
その魔物は背に草原を背負ったかのような、巨木を彷彿とさせる大蛇の魔物だった。
わしよりも何倍も大きいマギザムード。
そんなマギーを苦もなく口に銜えるほどその魔物は大きかった。
魔物はわしの言葉などまるで意に介さず。
まるで丁寧に味わうかのように。
静かに、ゆっくりと。マギーを腹の底へと誘い続ける。
不意に、魔物がこちらを見つめ返してくる。ただ向いた先にわしがいたのか。辺りを飛ぶ蠅にうっとうしさを感じたのか、魔物の心境はわからない。
ただ飲み込まれそうなほど黒く、無機質な瞳にわしは射抜かれていた。
その瞳に底知れぬ恐怖を抱く。
無機質な瞳に。巨大な体に。マギーを今も食べ続ける光景に。
そしてそれは、災獣である魔物の力によって、辺り一帯に過剰なまでに芽吹く、草花ですらも感じた感情だった。
命ある生物ではなく、もっと無機質。それでいてとても強い力を持つ。
神の作った『法則』のようなものに思えてならなかった。
『うっ……。あぁぁぁ……』
気がつけばその場にしゃがみこみ、ただどうしようもなく泣きわめいていた。
魔物が怖くて。マギーがいなくなってしまう事が信じられなくて。
無力な自分に苛ついて、どうしようもなくなっていた。
そう。そのときのわしはもう本当に。何もできる事はなかったのだ。
ただマギザムードがゆっくりと食べられていくのを眺めているしかなかった。
『ひっ、ひぐっ。い、嫌だ。嫌だよぉ……。
誰か助けてよっ……! 誰かっ。誰かっ。マギーを助けてよぉ……』
幼いわしは求めずには、いられなかった。
そんな都合のいい事などあるわけもないのに。
それがこの大陸で一番ありえないものなのだとしっているはずなのに。
それでもそのときは縋ることしかできなかったのだ。
見たことも、出会ったこともない。
そもそもいたところで助けてくれるのかもわからない存在に。
『神様……!』
──ピクリ。
その言葉を口に出したときだった。
マギザムードの体が、動く。
見間違えかと思ったか、そうではない。
血反吐をはきながらも、マギーは毒が回っているであろう体で少しずつ動き出し、魔物の口でもがきはじめていた。
『マギー!!』
もしかしたら、祈りが届いたのかもしれない。奇跡が起きたのかも知れない。
そう思って、何度もマギーの名を呼び続けた。
心なしか。呼応するように、マギーは少しずつ魔物の口から這い上がっているような気がした。
顔をわしのほうへと向けるマギー。
先ほどまで朦朧としていた時とは違い、魔物を狩りにいく時のような力強い瞳がまっすぐとこちらへ向いていた。
『……ティ、ア』
『頑張るのじゃ! マギー!!』
『わしを、殺せ』
──え?
一瞬、頭が真っ白になる。何を言ってるのか理解ができなかった。
だが理解したら理解したで、今度は体が震え出す。
どうして。
口に出したつもりが、言葉にはでなかった。
マギザムードは視線をそらすことなく、血を吐き出しながらも語り続ける。
『今なら、ゴホッ。まだ、間に合う……。
その手でわしにとどめをさせ!』
『な、んで。嫌じゃ……なんで……!』
『目を……逸らすなッ!
ティアル。神なぞいるかもわからぬものではなく。
確かに繰り広げられている、目の前の光景を。わしをよく、見るのじゃ。
嘘偽りの無い、ありのままの"世界"の姿を』
涙を拭う。
ぼやけていた視界は鮮明さを取り戻す。
『ひっ……』
そしてたたきつけられた現実の光景に、恐怖から声を漏らした。
魔物に呑まれそうになってなお、光を発するかのように強い瞳のマギザムード。
そしてそれとはまったく逆の、光を吸い込んでしまいそうなほど暗く、無機質な瞳の大蛇の魔物。
喰う側と喰われる側の、両者の瞳がわしを射抜いていた。
わしにこの光景を見て、何かを思う余裕は、なかった。
ただ強く。高温に熱した鉄を押し付けられたかのように。
その光景は、脳裏へと焼き付かれた。
『旅立ちのときじゃ。ティアル。
お前にはわしと違い、"翼"がある』
いつか、マギザムードは言っていた。
この大陸はどの大陸からも孤立しており、飛べる種族であろうと自力でたどり着くのは難しい。
でも悪魔族なら、能力とレベルが高ければ海をわたれる可能性があると。
でもその頃のわしでは、お世辞にも渡れる可能性があるとはいえなかった。
『わしを殺して、レベルを上げよ』
わしの思考を呼んだかのように、マギーが答える。
あまりにもわしにとって残酷な答えを。
『どんな形であろうと、幸せになるためには"力"が必要じゃ』
ゆっくりとマギザムードが魔物の口の中にのまれていく。
しかしその事を全く意に介していないかのようにマギーは話を続けた。
『わしの体はほぼもう動かない。
このままこの魔物に食われるのは、避けられぬ。
やっておくれ、ティアル』
もうそれしかないのだと、理解する。
『うっ、ひぐっ』
『泣くな、ティア。
これからお前は強くなければならない。
そんなお前に、わしは文字通り力となって見守り続けられるのは幸せなことなのだ』
触れていた結界の感触がふと、無くなる。
これで、もう。今までわしとマギーを遮っていたものはなくなり。すぐにでもかけつけることができるようになった。
結界の中に放置された、鋭く尖った魔物の骨を手に持つ。
ゆっくりと結界から一歩を踏み出すと
肌に張り付くような、今までと全く違う緊張の伴う空気を、確かに感じた。
『ティア』
マギーが今までの声とは違う、柔らかい声色で名前を呼んだ。
『愛しい……娘』
はっと、マギーの顔をみつめる。
はじめていってくれた言葉に、胸の内が熱くなっているのを感じていた。
一緒に追放された父親はわしを置いてどこかへ逃げ、傷を負いながらこの大陸を彷徨っていたとき
運よくわしはマギザムードに拾われた。
マギーは傷つき、動けないわしを口でくわえて結界へと連れていこうとしたのだが
わしから見ればどうみても食べようとしている魔物にしか見えなかったのを覚えている。
マギーの瞳からは、一筋の涙が流れていた。
気を抜けない結界の外だというのに。大蛇の魔物の他にも魔物に襲われるかもしれないのに。
それでもわしは涙をこらえることができなかった。
『強く、幸せに生きよ。お前ならこの世界を堪能できるであろう。
──主よ。今参ります。
どうかティアを、一緒に見守ってくだされ』
◇◇◇
……。
秋の発した、言葉が頭の中で木霊していた。
マギザムードの最後の言葉と、この手にかけたときの感触が同時に蘇る。
この世界は、優しくはない。
いや、そもそも優しい世界など存在しないのであろう。
ベリエット帝国の勇者。奴らは違う世界から召還されていると言われている。
違う世界とは一体どんなところなのであろうか?
勇者と敵対していなければ、異世界について聞く機会がもしかしたらあったのかもしれぬ。
そう考えると、魔王と呼ばれ勇者と敵対している現状に少し残念な気持ちが沸く。
わしにとって異なる世界とは、まるで想像もできないものだ。
だがそれでも漠然と思うことがある。
その世界もきっと優しくはないだろう、と。
『世界』はただ。『世界』だというだけで。
ひたすらに、厳しいものだ。
その最たる例がこの場所。この大陸であることはわざわざ言葉にする必要すらもない。
聖獣ですら、強者でいられない。
それが終焉の大陸。
だからこそ、わしが最初に覚えた感情は『戦慄』だった。
知る事を至上の幸福とするわしが、答えへとたどり着いて得られるのは
いつでも、どんな答えでも、快楽であるはずなのに。
わしはこの大陸でどれだけ『それ』が難しい事かを知っている。
『それ』の重みを。そして価値を。知っている。
終焉の大陸で生ききる事がかなわず、逃げ帰ったわしだからこそ。
──生きてる。
秋の言葉と目の前の光景に、臆したかのように。
ただ体を震わせたのだ。
ガヤガヤと喧騒に溢れている目の前に視線を移す。
小さく拓けた広場らしき場所では何体ものゴブリンが忙しそうに動いていた。
魔物を解体するもの。
魔物の死骸を広場の外から運んでくるもの。
魔素溜まりから生まれてくる魔物と戦っているゴブリンらの様子は、見事という他にない。
わしは違う世界など想像もできぬと思っておったが
目の前の光景はある種の異世界とも言えるのではと。
そんな馬鹿げた事を思っていた。
「一体どうやってこの場所を築き上げた……?」
口から出てしまった言葉。
最初にこの場所にやってきたのは好奇心だった。
しかし今は違う。知りたいという気持ちは変わらぬが
好奇心というよりも、もっと切羽詰まったかのような思いへと転じていた。
言葉にするならば『知らなければならない』だろうか。
今までの知識欲は、悦楽だった。
しかし今はもう、そうではない。
生きる事がどれだけ難しいかを知っているからこそ。
価値を理解しているからこそ。
この大陸から逃げ去ったからこそ。
目の前の光景を、どこか受け入れがたく思っている自分がいる。
その事を自覚していた。
漏らした言葉は幸い。喧騒にのまれ、誰の耳に入ることもなく。薄暗い雪原へと溶けていた。
「オジキ シュウカク アッタ?」
「アノニンゲン ガ シュウカクジャァネエノ」
「ニンゲンクウノ?」
「ギャクニ クワレソウ」
「ヒグレヨリ カナリ ツヨメ」
「クワレルナラ ショウユニ アジツケサレタイ」
「オレハ ミソダ」
「(ゴブリンなんぞ誰が食うか)」
作業の手を止め、秋の周りに集まり好き勝手いっているゴブリンに呆れまじりの文句を心の中でこぼす。
今わしはそれどころではないというのに……。
しかしゴブリンたちの気楽な空気にあてられたのか。不思議と肩の力が抜けていた。
小さく溜め息をつく。どうやら今まで無意識に緊張していたらしい。
もう片っ端から気になることを聞いてしまおうかの。
そんな投げやりな事を思っていると、ある一体のゴブリンから声があがった。
「……働ケ」
低く凄みを感じる声色であがった声。
少し騒がしさすら感じるこの空間に、まるで楔ようにつきささる。
秋の回りにゴブリンが集まる中、黙々と一人魔物を解体し続けていたゴブリンからあがった声だった。
目つきが悪く、血のついた大きな包丁と上着が威圧感を強調している。
秋の周りにいるゴブリンよりも大分力が上に感じる。群れの長かと思ったが
『記憶の中』にあるゴブリンの長はより精悍な体と強い力を持っており、それと比べるといささか劣る。
となると、上位種なのだろう。
冷や水をかけられたように静まりかえる場。
ゴブリンらの姿勢も心なしか真っ直ぐになっている。
「……さっさと始めロ」
「「「ギー!!」」」
目つきの悪いゴブリンが威圧感を出しながら告げると
ドタドタと一斉に解体中の魔物の方へとゴブリンたちが走り始め、作業を再会する。その様子を見て、目つきの悪いゴブリンは満足げに頷いた。
……なんとまあ見事な上下関係よのぉ。
こういったところに、やはり他の大陸との『違い』を感じる。
終焉の大陸で育ったわしにとってゴブリンとは元々彼らのように知恵が回り、集団行動を徹底する狡猾で強かな魔物の印象だった。
「(この大陸のゴブリンをしってるわしでも
優れた個体ではなく、全員が言葉を話しているのは驚いたがの……)」
しかし他の大陸に出てみるとゴブリンは頭が悪く、群れるのは基本的に優れた個体が現れたときだけなのだ。しかもそうしてできた群れもただ数が集まっただけの烏合の衆がほとんど。すぐさま冒険者などによって討伐されてしまう。
「……叔父貴。
もうすグ、こいつの魔石取り出ス……」
「あぁ。じゃあ少しここで待ってるよ」
コクリと目つきの悪いゴブリンは頷き、再び作業へと戻っていく。
「(ここのゴブリンは冒険者になど、間違ってもやられなさそうじゃがの)」
それどころか、間違いなく返り討ちにしてしまうだろう。
その光景を思い浮かべるとクツクツと笑いが漏れ出てしまう。
実際にそんな事が起きたら大騒ぎになるであろうの。
まだ大陸を出たばかりの頃。
一度、わしの持っていたゴブリンの印象を酒場で告げた事があった。
狡猾で強か。体は強靱。そんなことを言えば馬鹿にしたような大きな笑いが起き、世間知らずとからかわれたものだった。
そうした出来事が起こるたびにわしは『常識の違い』を感じていた。
育だてられた場所、親、環境。そうしたものの影響により『常識』というのは変わっていく。
だがそれでも人は他人と常識を共にするものだ。
国や町、村といった枠組みの中で支え合って生き、その中で互いの常識を分かち合うからだ。
ここでふと疑問に思う。
わしは誰と常識を分かてばいいのだろうか、と。
終焉の大陸で生きたものは誰もいない。ならば当然、常識を分かつ者もいない。
世界でそんな人物はたった一人。誰にも理解されぬ終焉の大陸で築いた価値観を抱いて生きてきた。
だからであろう。わしは種族の違いに興味がないのは。人間だからと蔑むこともなく、同族だからといって心を許したりもしない。そもそも常識を分かち合え無い時点でわしの中にある基準は「自分」か、「それ以外」しかなかった。そのおかげで秋との出会いふいにせずに済んだと考えれば、悪い事だけではないかもしれぬ。
大陸を出たときに感じたのは、高揚でもなんでもなく。
世界でたった一人、浮いている自分。その『孤独』さだった。
そのせいで昔は色々と思うこともあり、魔王なんぞと呼ばれるようになってしまったが。
昔のわしはただ同じ『故郷』を共にする者がほしかっただけなのだろう。
いや。その願望はきっと、未だ過去の物にはなっていない。
この大陸を故郷とするものが現れたのかもしれぬと。無意識に期待を抱いていた。
だからわしは危険を承知で、ここまでやってきてしまっているのじゃろう……。
「(しかし辿り着いたこの光景が、わしの『常識』かと問われればそれも違う……)」
だから、『知らねばならない』。
秋は一体何者なのか。ここには何が、どのように築かれているのか。彼らは一体どう生きているのか。
そして、それを見てわしがどう思うのか。
酒に溺れるかのように、知識欲に耽るのはそれからでもきっと遅くはない。
「(だがいざ知るとなると。気になるものが多過ぎて一体どれから手をつけていいやらのぉ……)」
やはり、まずはこれじゃろう、と呟き、あるものに目を向ける。
異様に異様をかけ、さらに異様と混ぜたようなそれに。
『扉』。
雑多に、いくつも置かれている。
置かれた扉の形はすべて異なっており、ありえぬほどに装飾を施された扉があれば巨人族用なのかと思えるほど大きな扉。さらに少し遠くでは、木にかくれ半分ほどしか見えぬがおおよそ扉とすらもういえぬ。『門』がひっそりとこちらを伺っていた。
勘でしかないが、この扉が目の前の光景の異質さを支える大きな核のような気がする。
いっそ勝手に開けてしまおうか?
押さえ切れぬ好奇心にそんな事をおもった時だった。
キィと音をたてて、一つの扉があく。
開ける事や扉の先の事ばかりに意識が向き、内側から開かれるということをすっかりと失念していた。
何が出てくるのかと、少し高揚しながら見つめていると。扉からでてきたのは数体のゴブリンだった。
ここにおるゴブリンらと違い、コートを着ず。薄い格好で解体されている魔物のほうへと近づくと、捌かれたまま雪の上に放置されていた大きな肉の塊を、軽々と持ち上げていた。
「……別の空間につながっておるのか」
扉の先に広がっていた光景は草原。
こんな大陸でおかれたむき出しの扉なぞ、十中八九能力が関係する。
まともでないはずがないと思っておったが。
「オジキダ」
「ギー」
「アキサマ」
扉からでてきたゴブリンらは秋をみつけると太く発達した腕を惜しげ無く振る。
秋は苦笑しながら早く仕事しろとでもいうように手をしっしっと振っていた。少ししょんぼりしながら、再び扉の中へとゴブリンは戻っていく。扉は再び閉ざされた。
人間を慕うゴブリンも珍しいが、好かれる人間もまた珍しいの。
「好かれておるの」
「そうかもしれないな」
秋の横へ向かうように少し歩きながら、話しかける。
「一つ、考えてみたのじゃが」
「何を?」
「お主等がこの大陸を生きてる絡繰り(からくり)をじゃ」
先ほどの会話で秋がこのゴブリンらの作業を待つと知っていたわしは、話を続ける。
秋は言っていた。生きてると。
それはもう目の前の景色を見れば疑いようもない。
しかし一体、『どのように生きてる』のか。
環境は災獣という化け物によって瞬く間に変わり、魔物共はどいつもこいつも桁はずれて強い。
生きようと思って生きられる場所ではないという考えは、今でも変わらない。
一つ思い浮かぶのは、わしとマギーのように絶対的な安全地帯を中心に生きるということ。
わしのときは結界だったが、この者たちはこの扉の先がそういった役割をしておるのではないかと予想した。
しかし扉の先は、草原という自然の景色。あまり安全な場所とは結びつきがたい。
だから一定の地点と地点を結ぶ力なのではないかと結論づけた。
つまりあの扉の先はこの大陸の別の場所であり、多くある扉の中から安全そうな環境、場所を選んで、全員で移動しながら暮らしているのではないかと。危険な魔物が徘徊する場所にすんでいる魔族の中に、家ごと移動しながらくらす部族がある。それと似たようではないかとわしは推理した。
秋はその話を聞くと少し関心したように頷いた。
「なかなか面白い推理だな。不正解だが」
「な、なんじゃとー」
がっくりと落ち込む仕草をする。あまりにわざとらしい仕草だったのか無表情の秋に軽くはたかれた。
秋の答えは驚くことはない。
口に出したわし自身もこの方法でこの大陸が克服できるとは思いがたかったから。
「まずこの大陸で『安全な場所』なんてピンポイントすぎる場所を探すには、この扉の数じゃ全然足りないな」
秋の言葉に頷く。この方法で生き抜くには、あまりにも問題点が多い。
秋が言ったのもその一つだろう。
「だがそれでも、不思議と的はかなり得ているよ。
あのドアの先へ続く場所はティアルの言っていた話の前者の効果に近い」
それ以上の事は教えてもらえぬと思っていたが、会話が続く。
内心の驚きで、少し返事が遅れる。
「……それはつまり『安全な場所』という事かの?
聖獣が築いた結界のように」
「結界についてあんま知らないから何とも言えないが……。
ただあのドアの先なら、魔物も生まれないし敵にも襲われない」
作業を続けるゴブリンらの傍らで言葉を交わし続ける。
雪の上に腰を落ち着けていた災獣が大きくあくびをしていた。
わしは考える。
もしあの場所が、本当に『安全な場所』なのだというのであれば、圧倒的に恵まれている。まだまだ課題は多いがの。
だがそれは本当に安全な場所だとすれば、じゃ。
「それにしては、魔物がうろついておったが……。
しかも広がっておった景色は草原ぞ」
そう、あの扉の先にはゴブリン以外にも魔物が数体うろついていたのをわしは見ていた。それに広がる景色が草原ともなれば、その安全というのがどのように確保されておるのか想像しにくい。この大陸の外のどこかに繋がっている、という事であろうか。
「まずティアルは勘違いしているが
あの扉は場所と場所をつなぐ能力じゃない」
「ほう……。そうでなければあの扉の先は一体どこだというんじゃ」
「ドアの先にあるものといったら、一つだけだろう。
あの場所は、外じゃなくて『部屋』だよ」
「へ……?」
「部屋」
「……???」
首をかしげる。
「まさかここにきて言葉が通じないなんてことはないよな」
「いや、部屋の言葉の意味はもちろんわかっておるが……」
いや確かにわしはこの扉の先をいくつか想像したとき
そのうちの一つとして『部屋』を思い浮かべた。
たとえむき出しの異質な扉だとはいえ、それでも真っ先に頭に浮かべるほどには
その二つは切っても切れぬもの。
だが広がっていた景色はどうみても草原。部屋というからには、室内なはず。
もしかしてわしを魔族で、文明の発達が低いと馬鹿にしているのだろうか。
そう怪訝に思いながら見つめると、苦笑した秋に説明をうける。
秋の部屋を生み出す能力について。室外に見える環境の構築された部屋。
ほかにも、いくつもの『部屋』が存在しているという。
「なんとまぁ……。希有で、強力な能力じゃ」
言葉を失う。
しかしここまで強力な能力ともなると『代償』が必要になる事は間違い無い。
能力は力だがあまりにも効果が強く影響が広いものは『代償型』と分類され
普通の能力と違い『消費』を必要とする。
消費するものがあれば強力だが、無ければ何もできぬ。
数多くある能力の中でも、使い勝手が悪い事が多い。
秋の能力は、典型的な『代償型』の能力だった。
「そしてあのドアの中にいるのは、『住人』だけだ」
「……それは先ほど見えた魔物であろうとも、かの?」
秋は頷く。わしの想像以上にここに築かれているものの規模は大きいかもしれぬ。
「しかし出会ったばかりのわしに、能力をそこまで教えていいのかの……。
わしがここをどうかしてしまうなどと考えぬのか?」
まさか今日であったばかりのわしに、ここまで教えてもらえるとは思わず。
つい忠告混じりの言葉を告げてしまう。
「さっきこの場所はどうやって築かれたのかと呟いていたじゃないか」
「……聞こえておったのか」
かなり小さく呟いたつもりだったのじゃが……。
「それに──」
少し口をゆがめる秋。
「どうにかできるなら、どうにかしてみればいい……」
一度結界の中で垣間見せた、無機質な瞳が少し浮かぶ。
「むしろこの能力をどうにかできる方法があるなら、実践してみてほしいくらいだ。
そのほうが、『今後のため』になる。
ここは俺たちの『領域』。有利なうちに、脅威を体験するのは悪いことじゃあない」
「……なるほどの」
この男は決して甘くはない。それを思い知らされる。
わしが秋をはめようとしても、確かにこの場所ならわしよりも秋が圧倒的に有利であろう。
さりげなく糧にされかけてた事に、内心冷や汗をかいた。
「わしを突き動かすのは、いつだって知識欲。わしの目的はそなたの事が知ること。
ついでにいえばここで一体何を築いているのか。それに暮らしについても知りたい気持ちが沸いておるが……。さりとて、この場所やお主をどうこうする気はさらさら起きぬよ。むしろ、こんな余所の大陸の危険地帯を鼻で笑うような場所をどうこうしろと言われるほうが困る。
尻尾巻いて逃げ出す自信があるくらいじゃ!」
「……それはそれでどうなんだ」
「くくく……。それほどこの場所は危険な場所だということじゃの」
「……叔父貴。魔石採れタ」
ようやく作業を終えたのかゴブリンが秋に話しかける。脇に抱えてもっている籠の中には、血のついた色とりどりの魔石がいくつも入っているのがみえた。
「あぁ、お疲れさま。
それで何がほしいんだ?」
「戦士の数……増えタ……。
……武器、防具。必要」
「武器と防具か」
「何人カ……。防具、壊れてル……。
防具少シ……多メ」
「防具は多めにね」
目つきの悪いゴブリンと言葉を交わしながら、魔石を受け取る秋。
もしや今、目の前で行われているものは『取引』であろうか。
秋達は『生きてる』と言ったが、想像以上にその水準は高い。
「……あ、あト。
オ、オレットのタルト。一ツ……」
目つきの悪いゴブリンは、オロオロと少し落ち着かない様子で秋に頼む。
「……」
秋は呆れた目をむけ黙っていた。
こころなしか、結界の中でわしが熱く語りすぎてしまったときと同じような目な気がする。
秋が黙ったまま見つめ続け、一分、二分と時間がすぎていく。
目つきの悪いゴブリンは時間が過ぎるごとに「ギー……」と落ち着かない様子を見せたころに、ぽつりと秋が呟く。
「一つ、ね」
「……ギィ。
やっぱうソ……」
秋の少ない言葉の圧力に負け、言葉を撤回するゴブリン。
想像するに、群れで取った魔石を個人的な嗜好品に使おうとしたのであろうが、秋に許されなかったのだろう。かわいげのある横領じゃな。魔石は、能力の『代償』に関わるものだと予測する。
しかしオレットのタルトとは何であろうか。オレットはあの稀少な果実の事かの?
地味にきになりつつ見ていると、ゴブリンはがっくりと落ち込む様子を見せていた。
あまりにも悲壮感が漂いすぎた姿に思わず吹き出す。秋も苦笑いしていた。
「……しょうがない。
あとで村のほうにまとめてお菓子を作って持って行くから。それで我慢しろ」
「……!! ギィー!」
頭を勢いよく上下に振る。特徴である目つきの悪さも、緩まりきった今の目からは想像ができない。
そして秋との取引を終えるとゴブリンは飛び跳ねる勢いで喜びながら群れの中へと戻っていく。しかし群れの中に戻ると、目つきは再び悪く、顔を引き締め、威圧感を出していた。残念ながらわしは前ほど威圧感を感じられなかった。
なんとまあ愉快な光景じゃ。
これが終焉の大陸で行われているのだから末恐ろしい。
「さて、少し長居しすぎたな。すっかり陽が沈んでる。
俺は帰るが、ティアルはどうする?」
「……すまぬがついていっていいかの。
さすがにここに置き去りは困る」
多少厚かましいのを自覚しつつ、頼みこむ。
終焉の大陸で夜を越す時は、古い知人のところに行くのだが……。
今からその場所へいくには、日が沈みすぎていた。
「あぁ。じゃあティアルは『お客様』だな」
「かたじけないのう」
ある程度予想していてくれたのか、すんなりと了承を得る。
こんな所で放置など、本気で死活問題なため言葉以上に心の底から感謝した。
「ん? どうしたんじゃ」
「いや……」
先導するように進んでいた秋が、ピタリと動きを止め一瞬考え込んでいた。
「なんでもない。ティアル、この扉を開けてくれ」
「……?
まぁ、よい。この扉じゃな?」
秋が頷くのを確認し、扉の柄の部分を掴む。
指定された扉はゴブリンが出て来た扉とはまた違うものだった。
「……」
一体この先には何が広がっているのか。
秋の能力の事じゃ。とてつもない光景が広がっているに違いない。
ごくりと唾を飲み込む。
タナトゥーラ。
何が起こるのか分からないという意味で比喩として使われる言葉。
わしはあまり使ったことないが、今の状況にぴたりあてはまるからか。
不意にその言葉を思い出した。
力を入れ、扉を開ける。
「おかえりなさいませ、秋様。
おや、そちらの方はもしや『お客様』では」
開かれた扉の先。
そこには、一人の『執事』が立っていた。
丁寧にお辞儀をする、白髪を束ねた執事姿の男。
このあと、まさに異世界さながらの光景に驚く中でわしはあることに気づく事になる。
この築かれた場所に、わしの常識は当てはまらないと。
この場所に辿り着いてから、ずっとそう思っていた。
──だが。
常識に当てはまらない。
この感じこそがまさしく『終焉の大陸』そのものではないか、という事に。
「ようこそお越しくださいました」
執事姿の男は微笑みながら、歓迎するように手を広げた。
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ウォーゴブリン
終焉の大陸で生きる魔物。他の大陸のゴブリンよりも発達した体と鋭い目つきが特徴。頭もよく、培い受け継いだ知識を上手に使い大陸をなんとか生きている。召喚された初日から戦ったりと秋との関係性は深い。一番普通のゴブリンでの強さはB+。