第36話 春一番に、期待を乗せて
※春視点
「少し……よろしいでしょうか」
廊下で、背後から遠慮がちにかけられた声に、私は歩みを止めます。
声からある程度、背後の人物が誰なのかを想像し
その予想がはずれることもなく、想像通りの人物がそこにたっていました。
「なんですか、冬」
我が部屋の主様である、秋様と契約している『精霊』の冬。
数年前に召喚魔法によって召喚されたこの精霊も
当時はどこかやさぐれた様子でしたが最近はすっかり執事姿が板についてきました。
私の教育の、『賜』といっていいでしょう。
「……少しお話が」
どこかはっきりしない様子の冬を、私はじっと見つめます。
曲がりなりにも秋様と契約をした精霊ならば……
秋様を慕う従者を名乗るのであれば堂々としゃきっとするのが、正しい姿勢。
『私のように』。
ですが、今の冬の様子はどうでしょう。
どこかおどおどとした様子に
嫌でも感じられるほど漂う、戸惑いや、困惑といった感情。
秋様の従者として、これでは落第もいいところです。
無言の時間が、流れます。
私は冬の返事をすることなく、見つめ続けていました。
雰囲気に耐えきれなくなったのでしょう。冬は、意を決しったように話を打ち出します。
「私の契約者である……"私たちの主"の……。
『自室』について伺いたいことがあるのです」
その言葉を聞いた瞬間
『とうとうこのときが来た』と内心ため息をつきました。
同時に私は今の冬の態度への評価を、白紙に戻します。
決して今の冬の態度を許容したわけではない。
ただ、私には冬が今のこの状態へと至る『理由』を容易に導き出し、そして納得もでき、さらにいえば共感すらもできてしまう。
冬の態度を情けないと一蹴したい気持ちと同時に
こうなっても仕方ないと思ってしまうのです。
もし今の冬を責めるのであれば、それは自分を責めることに等しい。
同じ道をたどった私に、その資格はありません。
口を開きかけている冬を前に、私は覚悟を決めます。
それは冬の望む答えを話す。
"彼ら"に対して残酷ともいえてしまう事実を、突きつける……。
その覚悟。
「日暮様が、言っていたのです……。
秋様の自室の『取っ手』が透明になって『つかめなくなった』と……」
予想通りの言葉に、耳を傾けるのはつらいものでした。
冬の端麗な顔は、言葉を述べていくにつれて苦渋の色が混ざり始めていく。
その気持ちが痛いほどに、分かってしまうのです……。
「私は、確かめずには、いられませんでした。
一日は我慢できた。二日目も我慢できた。三日目も、四日目も……。
ですが我慢していく日々が、すぎていけばすぎていくほど。
確かめたいという気持ちが止められなくなる。
気がつけば、私は秋様の自室の前に立っていました」
主に疑念を抱き、忍ぶように近付いたことを責められても構わない
と言葉尻に付け加える冬。
私は是とも否とも返さず、無言で返事をします。
「秋様の自室の前に立ち、そしてその部屋のドアの『取っ手』へと手を伸ばしました。
ですが取っ手は……『透明』になっていて、私にはつかむ事ができなかった……」
最後の方には、少し声を振るわせながらも冬は言葉を続けます。
「私たちは、『明確な答え』が欲しいのです。
『取っ手がつかめなくなる』という、その事の『意味』の『答え』を……
教えていただきたい」
真っ直ぐ私を見つめてくる冬の視線から、逸らすことなく視線を返します。
「あなたの想像している通りです」
正確に、一切その情報がぶれる事なく
正しい真実をありのままに私は伝えます。
「秋様は、あなたたちを心から信用してはいない」
秋様……
灰羽秋は『孤独』な人間です。
人と話さないわけでもない。関わらないわけでもない。
ただ自分自身に関わるものはすべて自分自身の力で完結させる、性質としての孤独さ。
自分の食べたい料理は自分で作り。
自分の命は自分で守り。
自分の幸せは、自分で満たす。
逆に自分以外に望まなければ手に入らないものはすべて、諦める。
秋様の幸せの中に、『他人の入る余地』はない。
それが秋様という御方の習性。
生き方でした。
ただ人とは変わるものです。
それも、異世界へ行き十年もたってしまえば変質はより逃れられないものとなります。
ならば秋様も、この十年で『孤独』な生き方が変わったのか。
いいえ──『逆』です。
秋様のその生き方は
より濃密に、より深く、『洗練』されました。
元の世界で『孤独の性質』といっても、それにはやはり『限度』があります。
おいしい食事を自分自身で手作りするからといって
その素材やガス、調理器具まですべてを自作するにはいきません。
元の世界の秋様には、どれだけ孤独の性質を持っていようと、人に頼らざるを得ない『限度』がありました。
ですが……。
今はその『限度』はもう、ありません。
異世界へ来たことによって、秋様は得たものと引き換えに色々なものを失いましたがその一つは間違いなくその『限度』でしょう。
それをさせてしまったのが、【部屋創造】という能力の『万能』さ。
秋様の、唯一欠けた部分をすべて満たすように
ガッチリとはまってしまった最初で最後のパズルのピースは
秋様をより完璧に、より強靭に、より孤独に到らせた。
さらに追い打ちをかけるのが──『終焉の大陸』。
生き抜くために、甘えを一切許してはならない場所。
その過酷な環境は秋様をより自分自身の力しか頼れなくさせました。
そんな秋様にとっての『自室』とは残された『唯一の限度』です。
『安らぐ』こと。
安心して……何かに不安を思ったり、怯えたり、そういったものを一切なくして
無防備な姿をさらけ出して『眠る』ためには
どんなに完璧な人でも誰かを頼らずにはいられません。
そのための場所が自室という『領域』。
その領域に入るための『取っ手』が掴めないという事はつまりそういう事に他ならない。
あの部屋を行き来できるのは、秋様をのぞいて今は私のみです。
「頼られないだけなら、まだいいのです。
ですが、私たちは秋様にとって……そこまでいらない存在だったなんて……。
そんなのはもう……ッ。
私達は、いてもいなくてもいい存在ですらなくて、いないほうがいい存在なのですか!?」
「……」
嘆くように、言葉を訴える冬。
秋様は、私と二人っきりで過ごしていた時はまだ
『自室』の『取っ手』を透明化してはいませんでした。
それをふまえれば、冬の『いない方がいい』という捉え方はあながち間違いではありません。
彼らがいなければ、秋様の『安らぎ』はあの小さな『自室』よりももう少し広いものとなっていたでしょう。
ですが……逆に言えばそれだけの話。少しだけ広くなるという程度の……。
精霊という存在だからなのか、それとも冬だからなのかはわかりませんが
冬は『必要とされる事』に対して、ここに来た当時から強いこだわりを持っていました。
そのこだわりを抑え、秋様に必要とされないながらも
「いつか役に立ちたい」と、秋様の側に仕え続けていた矢先に
まさか自分がいないほうがいい存在だったのだと言われてしまえば
冬の悲しみは十分に理解できます。
ですが別に、秋様は冬が嫌いというわけでも
いないほうがいいと思っているわけではありません。
秋様はそれらの感情を押し殺してまで、自らの『部屋』の中に入れるほど優しい性格はしていないのです。
『取っ手』が『透明化』しているというのも、実際の所『保険』的な意味合いが強い。
『透明にできるならしておく』。その程度に過ぎない。
ですが逆に言えば『透明化できるならしてしまう』のもまた事実。
別にしなくていいものを、念のためつけるくらいには
冬たちに対して本来なら気づかない程度の微量の危機感が沸いている。
そこが冬にとって、ショックな部分だったのでしょう。
気持ちは、よく分かります。
私には秋様の『家族』という彼らにはない繋がりがありますが
それが無ければきっと私も彼らと同じ思いを抱いていたのでしょう。
「もっと、私は秋様の役に立ちたいッ!」
──ただ
「うるさい精霊ですね。精霊とは皆そうなのでしょうか。
それとも、あなたが愚かなのでしょうか?」
だからといって許容できるまでの態度というものが、あります。
「私は、『最初』に厳しい道になると
そう言っていたはずですよね、冬。
なのに、何ですか? その様は──」
イラつきに任せ、冬の胸ぐらを掴み、持ち上げながらそう告げると
しまったと、そう言いたげに端麗な顔を恐怖で染めます。
『秋様と同等』の力を持つ私には、冬の体を宙に持ち上げるくらいならば片手で十分でした。
はっきりといって、私達の『望み』はとても『おこがましい』ものです。
わざわざ望んでもいない人に
枷にもなりかねない手を差し伸べようとしているのですから。
結局のところ、私達もまた弱い。
秋様に並び立つには圧倒的に力が不足しています。
その状況で私たちの理想のためにする行動、それは今の冬みたいにうろたえ声をあげることなのでしょうか。
冬の自覚のたりなさに、私はイラつきを感じます。
少しの沈黙。苦しそうにうめき声をあげる冬を
私は地面に捨てるように放り投げます。
「立ちなさい。愚かな使用人、冬。
『トレーニングルーム』に行きます。ついて来なさい。
愚かさの矯正のときです」
その言葉を聞いて、汗をダラダラと流して顔を青くさせる冬。
「え……あ、そ、それだけは──」
「立ちなさい」
「ぅぅ……」
有無を言わせないように威圧をこめて言うと、渋々と立ち上がる冬。
私にバレないよう体を震わせている冬を引き連れ
『トレーニングルーム』に移動します。
◇
『トレーニングルーム』の荒野で泡を吹いて、どさりと倒れる冬の姿を見届け
私たちは『戦闘』を終えます。
まぁ冬から私への攻撃は結局一度もありませんでしたが……。
それでもまぁ、一応戦闘は戦闘です。
「うぅ……」
「──新しい、『風』が吹き込んできました」
倒れている冬の傍で、メイド服の埃を払いながら
ぽつりと呟いた私の言葉を聞き
気を失いかけていた冬がよろよろと体を起こします。
「秋様に私たちへ何かを望んでいただくには、『時間』が必要です」
「……」
「それは、仕方の無い事なのです」
秋様が生き抜いた年月で、培われたもの。
それは培われるべくして培われた秋様自身がこの世界に見出だした世界の法則。
やはりそれは、簡単に変えられるものではないのです。
「ですが、私たちにはまだまだ『時間』があります。
秋様がその生き方を培ってきたこれまでの年月よりも、より長い年月をもって
私たちが役に立ち、傍にいられることを証明し続ければいいのです」
「……その年月を持って、秋様の生き方はさらに『洗練』されてしまうのでは」
「このままずっとここに居続けるだけだったらそうだったかもしれません。
でもここにはもう、確かに『風が吹き込んだ』のですよ。冬」
昨日今いる『トレーニングルーム』で戦っていた我らが主人と
赤い髪をしたちっぽけな少女の記憶を呼び起こします。
──坂棟日暮。
寝込んでいる当初は、秋様の『自室』を占領しているのに
少々……いえ、かなりイライラしていましたが。
気配を消し、こっそりと秋様と日暮の戦いを覗いていた私は
主の貴重な姿を見る事ができたのです。
『あはは』
笑う、秋様の姿。
優しい、微笑むような顔を浮かべはするものの声をあげて
笑うのを見たのはその時がはじめてのことでした。
ふとそのとき
もしかしたら、何かが変わるのかもしれないと。
そんな予感じみた事を、不思議な事に思ったのです。
「その風は、秋様を変えると?」
「ええ、春一番です」
今は新しい風に、少しの期待をしてみるのもいいかもしれません。
【新着topic(new!)】
冬 強さ:?
秋が【召喚魔法】を使ったときに出て来た精霊。秋と契約をしている。
澄まし顔で執事をやっているが秋と春からは割とぽんこつ扱いをされている。
ただ最近はその姿も板についてきた。
好きな秋の食事は紅茶。