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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第1章 逃亡勇者
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第32話 夕暮れに射すには、あまりにも暖かすぎる日差し

坂棟日暮さかとうひぐれ視点


 終焉の大陸を出る手段がない……。

 その事実に私は落胆を隠せない。


 けれど秋がもしこの大陸をでる手段を持っていれば、とっくに出ているはず。

 秋がその手段を持ち得ていないのは、冷静に考えればすぐにわかることだった。


「まぁ、『終焉の大陸』を出る方法が見つかるまではいくらでもここにいればいい。

 この大陸を出る方法がないからって外に放り出す、なんてことはしないさ。

 召喚された当時ならともかく、今はそれなりに余裕もあるからな」


 その言葉に胸につっかえていた不安が一つ、取り除かれる。

 これからの生活。不安を感じていなかったと言えば、嘘になる。


「ありがとうございます」


 私は頭を下げながら秋に深い感謝の言葉を告げる。そして少しの静寂が場を包み始めたとき、それまでただ見守るように秋の側で立っていた冬さんが言葉を発した。


「少しよろしいでしょうか」


 秋が顔を横に逸らし、冬さんに合わせる。私もその視線を追った。


「日暮様は何かしらの契約でも結んでらっしゃるのでしょうか?」


 契約?

 唐突に投げかけられた質問に、首をひねる。


 契約といって思いつくのは、竜や精霊といった種族。彼らは気まぐれに気に入った生き物と契約を交わし、その力の一部を貸し与えるらしい。ベリエットで人気の娯楽小説にも、よくそうした契約を成して英雄になる物語がある。実際に今現在も現役のSランク冒険者として活動している人に竜と契約して上り詰めた人もいるらしい。


 では私もそうか、と聞かれれば違うと首を振る。

 私は竜とも精霊とも契約を行っていない。


 なので冬さんに「結んでない」と答える。

 すると不思議そうに見ていた秋が口を開いた。


「どうしたんだ?」


「日暮様に、強力な魔法が掛かっているのです。

 それが、どうも気になりまして……。

 何かしらの契約を結んでいるかと思い伺ってみたのですが……」


 私に掛かっている強力な魔法……。

 じっと見つめてくる二人の視線に、居心地の悪さを感じながらも記憶をほりおこす。

 そして、それにあたるものを思い出した。


「【勇者の誓い】……」


「【勇者の誓い】?」


 これも見ようによれば一つの【契約】と言えるのだろう。


 ──【勇者の誓い】。

 それはベリエット帝国と勇者の間で結ばれる、強固な魔法。

 

 勇者の召喚から2週間後にベリエットで開かれる式典、『勇者の礼』。

 その目的は召喚された勇者が"真の勇者"になるためとされている。


 "真の勇者になる"。


 それは周囲の人たちに、『勇者』として認められるという意味も含んでいる。

 周辺諸国や、ベリエット帝国の国民、敵対する魔族。そんな人たちに私たちは『ベリエット帝国の勇者』であるとアピールし、名実共に勇者として認識してもらうという目的だ。周囲の人に勇者として認識されるというのも、確かに見ようによっては勇者になると言えなくもない。


 でも、それだけでは"真の勇者"にはならない。


 真の勇者とは何か。

 それは、『勇者宣誓』をした『帝国の勇者』。

 勇者宣誓とは、誓いだ。私たち勇者が、ベリエット帝国に対して行う強い効力を実際に持った誓い。


 勇者の礼という行事は、勇者宣誓のためのもの。

 勇者宣誓に比べてみれば他の行事など、極端に言えばついででしかないのだと思う。

 

 勇者宣誓が行われるのは、私たちが召喚されたときにいた場所。

 ──『勇者の間』。


 清潔さを主張するような白い部屋に、被る事のないそれぞれ別の色をした十二の宝珠。

 全く別の色なのに、等しい美しさを主張する宝珠が一糸乱れることなく横一列に並ぶ姿はまるで別の世界のようで。


 その勇者の間で勇者宣誓をするとき、そこにいるすべての人が静寂を保っていた。

 静寂で宝珠を飾り立てるかのように……。


 そしてその静けさの中で、『44代目勇者』の一人一人が誓った……。


 "ベリエット帝国の勇者"であることを。

 ベリエット帝国の皇帝を一生の主とすることを。

 国民のため、自分自身のため、勇者として国の繁栄に努めることを。


 私たちは確かに誓った。


 その瞬間、私たちの誓いは契約となり私たちの体に刻まれる。

 それこそが『勇者宣誓』。

 刻まれた契約は【勇者の誓い】。



 ビリビリとした、感触を不意に思い出す。

 勇者宣誓の記憶を思い出すと、引きずられるようにもう一つの記憶が蘇ってしまう。


 それは44代目の誰一人欠けることなく、勇者宣誓を果たした後の事。

 流れるように城を出たときだった。


 視界を埋め尽くす、人。

 東京という人の過密された都市を知っている私たちですら息を飲むほどの、人。

 町の隙間という隙間を埋めるかのように集まり、高い階段の上にいる私たち勇者をすべての視線がぶれることなく見つめていた。


 その圧巻さに言葉を失う。


 一列に並ぶ『44代目勇者』。

 その横で、現代ベリエット帝国皇帝が宣言する。





 "彼らこそ、ベリエット帝国代44代目勇者なり"





 そのときだった。


 振動した……。世界が……。

 地震がおきたのかというほどの、衝撃。

 地面が、空気が、町が、建物の一つ一つが。文字通りエネルギーによって震えていたのだ。


 歓声によって。


 尋常じゃないほどの、歓声。

 眼下にいる大勢の人が、誰一人欠けることなく自らの出せる最大の歓声をあげていた。

 声を失っている私たちの代わりに……。

 その日誕生した44代目勇者という存在の産声を、これでもかというほどあげていたのだ。


 今この瞬間にも体に蘇える、声によって震える体の感触。

 恐ろしいのは、まだ自分の置かれた状況に納得のいってなかった私にまで何か熱いものをこみあげさせたことだ。

 

 無意識に手に汗を握っている自分に気づいたときは、本当に恐ろしかった。

 自分がひっそりと、だけど確実に塗り替えられていく感覚。



 それが、ただただ恐ろしかった……。

 


「それで、その【勇者の誓い】にはどんな効果があるんだ?」


 少し思考がそれていたとき、秋の言葉がかかる。思考を元に戻して、秋の質問に答えた。


「【勇者の誓い】の効果は、大きく分けて二つある。

 一つは勇者の位置が把握されること。

 そしてもう一つは皇帝が直接下す命令には逆らえなくなること」


 秋が契約の内容を聞いて、嫌そうに顔をゆがめる。


「……。

 それって断ることはできるのか?」


「体裁上は、断れるようにはなっていると思う。

 でも実際は……」


 そう、実際は断れない。

 勇者は普通の人間よりも比較的強い力を発する傾向がある。けれど、それは鍛えたらの話……。

 意外な話だけど、勇者というのは生と死のちょうど狭間のようなところで始まる。ベリエットという国がそれを感じさせないように配慮をしているだけで、首の据わっていない赤子のように不安定な存在だ。


 そんなときにさしのべられた手を、誰が振り払えるだろう。

 たとえその手が悪魔の手だろうと、誰しもがその手を掴んでしまう。


 いや、まだ悪魔のほうがましかもしれない。

 実際に手を延ばしてくるのは、自分たちより前に召還された同じ日本人なのだから。

 前の代の勇者たちにあの手この手で説き伏せられる。時には飴、時には鞭で。

 もしかしたら実際に、彼らの言うことは正しいことなのかもしれないけれど。 


「たちの悪い国だな……。

 無理矢理勇者を使役するのか……。下される命令もえげつないだろうな」

 

 その言葉に、私は否定の言葉を告げる。


「意外かもしれないけれど皇帝からの命令は滅多にされない。少なくとも私はまだ一回もされたことない。

 ベリエット帝国という国は気持ち悪いくらいに勇者に対して配慮をしているから……」


 だから、国から逃げようなんて思う勇者もいない。

 秋は「余計にたちが悪い」と苦笑する。私も、そう思った。 


「じゃあ冬の言っていた魔力って言うのは【勇者の誓い】で間違いなさそうだな」


「たぶん、そうだと思う。

 この魔法は、一度かけたら二度と消すことができないと言われてるくらいに

 強力らしいから」


 いくつもの能力や神器。

 神地の効果が重なってできたこの魔法は、もはや魔法の常識の範疇を遙かにこえている。


「なるほど……。

 それじゃあ、この大陸に逃げたことも国の人たちにバレちゃってるんだな」


 その言葉に、私は頷く。


「たぶん、把握していると思う。

 でも把握したからといって、ここは簡単に手が出せる場所じゃない。

 少なくとも私を追ってこの大陸の中に勇者が来る、なんてことは絶対にないはず」


「逆に言えば、この大陸を出ればすぐにでも来るってことか」


「……」


 言葉を失い、だまりこむ。

 秋はそれを返答だと感じたのか自分自身で納得していた。


「冬。

 冬ってこういうのもいけるのか?」


 こういうのも、いける……? 【勇者の誓い】のことを言っているのだろうか。

 私は訝しげな視線を投げつつ、彼らの会話に耳を傾ける。


「いけると、思います。

 竜や精霊の契約は魔法じゃないので厳しいですが……。

 これはあくまでも"魔法"ですので……。

 かなり強力なのは間違いないですけど、こう言ってしまうのも何ですが、余裕ですね。

 やりましょうか?」


 頷く秋を見届けた冬さんは、視線を私に定めゆっくりと距離をつめる。

 何をするつもりなのかはわからない。でも何かをしようとしていることだけはわかる。

 そして、それが失敗に終わるだろうことも……。


 この世界でも、最強の一角に数えられる『最古の勇者』。

 それに続く曲者蔓延るベリエット帝国の勇者を、何百あるいは何千年と効力を保って縛り続けているこの魔法の力。それは、もはや個人でどうこうできる話ではない。


 甘く見ている……。この魔法の力を……。

 けれどそれを言ったところでその行動が止まる事もなく。

 結局私は冬さんが近づいてくるのをオロオロして見守るだけだった。


 冬さんは目の前まで近づいて、立ち止まる。

 そして、私のおでこにむけて人差し指の延びた手が近づき

 思わず強く目を瞑る。


 チョン、とおでこに感じる感触。その瞬間、私は驚きのあまり声を漏らした。


「え……」


「無事、消えましたね」


 何かの力が、霧散していく感触。

 まさかと思い袖をまくり上げ、腕をひねるようにして右腕の肘を見た。


「刻印が……消えてる……!

 なんで……」


 【勇者の誓い】の証である、ベリエットの国章と同じ刻印が消えていた。

 魔法が……消えた。どうして……!


 興奮が押さえきれないままに、秋を問いただす。

 けれど、秋はいたずらが成功したように笑うだけで

 私の質問には一切答えてくれなかった。


「この場所を、感知されるのも困るからな」


 その一言だけを残して……。


「まぁ、そろそろいい時間だから夕ご飯の支度でもしようか。

 まだ少し時間がかかりそうだから、日暮は先にお風呂をすませといてくれ」

 

「それでは、こちらへどうぞ」


「ま、待って……話はまだ……」


 どこから現れたのか。突如現れたメイド姿の春さんに手を引かれ、話が強制的に終わる。

 そして半ば攫われるようにして洗面所らしき場所へと辿り着いた。


「って、お、お風呂……!?」


「急になんですか、騒々しい」


 私は大きな鏡のある脱衣所にまでたどり着いた時点で、ようやく現状に頭がおいつく。


「い、いや……お風呂は別に……」


 元の世界にいたときから、人の家とかでお風呂を借りたりした経験がなく少し慌てる。

 異世界へ来てからだって、ベリエット帝国のお風呂やシャワーの完備された高級な宿で寝泊まりしていた。

 正直な話、照れくさかった。

 ためらいを見せる私に、春さんの無表情な整った顔がくるりとこちらをむく。

 

「これからこの場所で過ごす間、ずっとお風呂に入らないつもりですか?」


 はっ、とする。

 そうだ……。

 私はこれからここで生活していくんだ……。この場所で……。


 さっきそうしていいと秋に言われたばかりなのに

 実感は全く感じていなかった。


「どうしてもとおっしゃられるのでしたら私も止めはしません。

 同じ女性として理解に苦しみますが、日暮様が望むのでしたら

 このまま戻って汗くさい体で秋様が食事を作られるのをお待ちになっていただき

 垢まみれの体で食事をたべ、泥だらけの体で睡眠を取って」


「ごめんなさい……入る……入りますから……」


「そうですか。

 傷に湯がしみると思いますが、我慢してください。

 私は一度、着替えの方を用意して参りますので」

 

 辛辣な言葉に、心がおれる。

 私だって一人の女だ。お風呂にだって入りたい。

 それに、春さんの言葉にもしかして今私はそういった状態なのかと思うとすごい恥ずかしくなった。


 着替えを取りに洗面所を出た春さんの後ろ姿を見届ける。

 私は覚悟を決してお風呂をいただくことにした。







「着替えと、タオルのほうはこちらの置いておきますので」


「わかりました。ありがとうございます」



 蒸気とドアに遮られ、少しくぐもっている春さんの言葉に声を少し大きめに出して返事をする。

 ドアの先にある気配が消えたのを確認し、再び少し広めの湯船に体重を委ねた。 


 落ち着く。

 今日は、本当によく落ち着ける日だ。


 こうして、本当の意味でおちつくのはいつ頃以来だろう。

 周囲に気を使う事も、誰かにおそわれる事も

 自分の行動が周りに手本となるようにと考える事もない。


 ただ、私を包みこむ暖かさに身を委ねる。

 それが、とてつもなく懐かしく思えた。


「うっ……」

 

 ぐわんと、突然揺さぶられたように視界がぶれる。

 胸にはズキリとした痛み。


 私はとっさに湯船の縁に掴んで、収まるのをまつ。

 この場所に来てから、かなりひどくなっている。


 少しして落ち着いてくるとまた湯の暖かさに身を委ねた。

 この思考は、ダメだ。何か別のことを……。


 自然と自分の右肘を見る。

 本当の本当に、刻印が消えたのか。それが信じきれなかったから。

 しかし夢や幻なんて事はなくて、確かに刻印は何度みても消えていた。


 ありえないと呟きそうになるがぐっとこらえ、飲み込む。


 目の前で起きている出来事に対して

 それはあまりに無意味な言葉だったから。



「勇者……」


 秋の正体。

 私と同じように、元の世界。日本から召喚された勇者。


 納得していないわけじゃない。秋は確かに勇者なのだろう。

 それでも何者なのだ、と問いただしたい気持ちが沸いてしまうのはなぜか。


 それはあまりにも力の底が知れないから……。

 本当に私と同じ勇者なのか。

 そういう考えが沸いてきてしまうのだ。


「いや、同じじゃない……か」


 私は、ベリエット帝国という勇者に対して待遇のいい場所に召還されたのに対して

 秋は終焉の大陸という世界最悪の場所に召還され、生き抜いていた。


 それを、同じ勇者なんていえるはずがない……。


 ため息をつきながら、すべての思考を停止する。

 そして、水面に映る自分自身をじっとみつめた。


 ──弱すぎる。


 誰の声かはわからない。

 でもそんな言葉を、今誰かにかけられたような気がした。

 






 ほんのりと体から湯気をあげ

 少し水気が残っていて肌に張り付く赤い髪の毛を疎ましく思いながら、リビングへと続く廊下を歩く。

 私が最初に歩いた廊下とは違うようだ。


 スモークガラスのついたリビングへと繋がるドアをあけると

 おいしそうな料理の匂いが漂ってきた。


「あがったか」


 キッチンの場所から、首だけを出してこちらに声をかけてくる秋。

 私は首を頷かせながら返事をする。


「久々にゆっくりできた。ありがとう」


「そうか。

 もうそろそろできるからソファにでも座っていて待っていてくれ」


 そう言われたものの

 秋が何を作っているのか気になってしまい自然とテーブルへと足を向ける。

 既に料理がいくつか出来ている。さっきまで座って秋と話をしていたテーブルには皿が何枚か並んでいた。


 鼻孔をくすぐるいい匂いに、少しだけ気持ちが浮つく。

 なんせ、数日間走り通しでご飯を食べる機会もほぼ無かったのだから。


 そして、テーブルに近づいて並ばれた料理を目にしたときだった。


 ドクン、と胸の鼓動が跳ねる。

 そのあとに走るのは胸の痛み。

 胸を押さえると痛みがなくなるかわりに今度は呼吸が荒くなる。


 けれど、それも少しして収まったときだった。


「どうした?

 顔が少し青いぞ……」


 飾り気のないエプロンをつけた秋に声をかけられる。

 できた料理を運んできたようだ。


「いや、何でもない……おいしそうだから、食べるのが楽しみだ」


「そうか。

 もし嫌いなものがあれば、残して構わないからな」


「わかった……ありがとう」


 料理をお盆からテーブルへと移し、再びキッチンへと戻る秋の背を見送る。

 一体、私はどうしたのだろう。今日は、本当に何かがおかしい。

 そう思いながらも、無意識に理由は考えなかった。


 考えたところで、何かが好転するとは思えなかったから。


 テーブルの上に並べられた料理を見る。

 ご飯、味噌汁、揚げ物、しょうが焼き……。


 まだまだ増えていく、その料理は見慣れた『日本の料理』……。


 ベリエットにも、限りなく日本の料理に似せようとした料理はあるけれど全く同じ料理はない。

 それは、全く同じような米や動物、植物なんかが存在しないから。


 異世界なんだから、それも当然だ。


 けれどこれは……。全く同じ……。

 本能的に、分かる。分かってしまう。


 ふんわりとした湯気をあげる、艶やかなご飯。

 鼻孔をくすぐるのは、味噌汁やしょうが焼きの匂い。

 とてもおいしそうだ。本当に、すごくおいしそう。


 なのに、どうして私は……。


 テキパキと並べられていく料理。とても手際がよかった。

 あまりの手際に、手伝おうとした冬さんが手を延ばすが、自分の取ろうとしていた皿がすぐにテーブルへと並べられてしまって残念そうに手を引っ込めていた。


「さて、いただくとするか」


 エプロンを取りながらそう告げる秋に私は頷く。

 気がつけばテーブルを埋め尽くすほどに料理が並べられて、見ていて盛観だった。


 全員、テーブルに備え付けられたイスに座る。


 どうやら、春さんと冬さんも席につくらしい。

 お城とかだと、従者は同じ食卓にはつかなかった。


 でも私と秋の二人だけで食べるのも寂しいので、私は二人が座ってくれたのはうれしかった。

 春さんは秋が私の隣に座ったとき

 一瞬私にだけ殺気を出していたけど……。


 全員でいただきますの挨拶をする。


 最初に手に持ったのは、味噌汁。

 十年振りの前の世界の食事にどれを手に取ろうか迷ったけれど

 やっぱり一番は味噌汁かなと期待を膨らませながら手に取る。


 懐かしい匂い……。本当に、懐かしい。

 ゆっくりと口をつける。

 ほどよく熱い、味噌と出汁の香りがする味噌汁を、ゆっくりと流し込んだ。


 そのときだった。




「う……」




 ──膨らみ切った、風船がはち切れたかようだった。




 耳障りな水音と胃の内容物を、床にまき散らかす。

 体から力が抜けるような感覚に、気がつけば床に倒れ込んでいた。


 私の様子をみてガタリと音を立てて立ち上がり、冷静に指示を出す秋の声が微かに耳に届く。


「大丈夫か? 

 冬、台所にいって使った食材に毒物があったかの確認と水を。

 春はタオルと薬を持って来てくれ」


「ち、ちが……ごほっ」

 

 止まらない嘔吐と共に

 溢れだす涙。


「大丈夫だ……。落ち着け。

 話は後でいい、とりあえずソファに場所を移そう」


 秋に背中をさすられながら、手を引かれゆっくりと誘導されたソファに座る。

 そして戻って来た冬さんに受け取った水を、手渡された。


「水、飲めるか?

 ゆっくりでいい」


 手渡された水を、ゆっくりと飲む。

 飲み終わった後にタオルを手渡され顔を拭くと少し落ち着く。

 それでも涙が止まらない。


「ご、ごめっ……ごめんな……」


「これくらい、何て事ないさ。

 春と冬も、普段仕事がないと嘆いているくらいなんだからむしろ喜んでいるだろ」


 吃逆で、言い切れない言葉に優しく返してくれる。

 少しだけ胸が軽くなる。

 それでもさすられ続ける背中が暖かくて、涙が止まらなかった 


「ま、前のせか……い、思い……出して……」


「……」


「お父さ……んのこと……思い出して……

 今何やってる……のかな……って……ご、ご飯ちゃんとた……食べてるかなって……

 そっ、そしたら、か、体が勝手に……」


 その光景は、抉るようにし私の過去を引きずり出した。

 テーブルに並べられているのは、日本の食事。

 そしてそのテーブルを囲むようにする秋と冬さんと春さん。


 それはまさに過去にありふれていた団欒の姿だった。


 異世界に来てからの食事は、よくもわるくも、雑多だったから。

 大勢の人と、忙しそうな店員の声と、ときには酒瓶なんかも飛び交う場所は楽しくも前の世界とは似ても似着かない場所だった。だから、思い出さずにいられた。


 けど……これは……。


 もう一生見る事のないと思っていた

 忘れた、光景。

 やっと忘れる事ができた光景。それが目の前にあった。




 前の世界の食事だと浮き足立つ自分も、確かにいた。

 久々に故郷の食事がたべられると。


 でもみそ汁が喉を通った瞬間、何かがはち切れたかのような感覚に頭が真っ白になる。

 気がつけば、飲み込んだものを吐き出してしまっていた。


 自分でも何が起きたのかわからなかった。

 ただただ懐かしくて、悲しくて、そして暖かかった。


 帝国から逃げて、終焉の大陸にきた。

 終焉の大陸は、どこまでも厳しかった。

 今まで私が築き上げて来たものをぼろぼろに打ち砕いて

 完膚なきまでに私の弱さを明確にさせた。


 そんな私にこの場所は、優しかった。


 安心して眠れる、柔らかい布団。

 前の世界を思い出させる居心地のいいリビング。

 ゆったりとできるお風呂。


 落ち着く空間。


 私にここは暖かすぎる場所だった……。


 打ち砕かれた心の隙間に、気がつけば暖かくて心地の良い液体が流れていた。

 その液体は、急速に心を包み込んでいく。

 そしてそれはついに、私の乗り越えたと思っていた過去の思い出にまでそれは辿り着いてしまった。


 濁流のように蘇る過去の日々。

 目眩がした。

 ぐるぐると頭の中で今と過去が浮かんでは交わり、そして消えていく。


「とりあえず、今日はもう休んだほうがいい。

 立てるか?」


 小さく頷いて返事をする。

 だが立ち上がろうとすると、想像以上に力が入らなくて体勢を崩してしまう。


 まるで自分自身の力が、霧になって抜け出て行ってるかのようで。

 思っていたよりも弱っている私自身の体に、内心で驚いていた。


 それでもソファにつかまってなんとかたちあがろうとすると

 突然ふわりと体が浮く。


 涙でぼやけた先に、影になった秋の顔と涙でキラキラと輝いて見える電球の光が重なりあう光景がうつる。 

 朦朧とした頭で、なんとか秋に抱えられているのだと気づいた。

 

 小学校のころ……。

 学校で熱を出してふらふらで家に帰り、玄関で倒れた私を仕事を休んでいた父が同じように抱えてベッドまで連れていってくれたときの光景とどこか重なった。


 ズキリ、と。

 いつもなら今この瞬間に走っているだろう胸の痛み。

 けれどその痛みはいつまでたっても訪れることはなかった。


 ただ、あふれ出る涙が止まらないだけだった。


「……さん……」


 自分が何を口にしているのかもわからないままに、私の視界はあふれ出る涙を巻き込んで黒色に染まった。


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― 新着の感想 ―
[一言] この頃の日暮を見てるとなんら落ち度は無いんですよね。 普通のファザコン気味な少女が異世界に強制的に拉致されて勇者である事を強制されて思考誘導されてるぽいし… めっちゃ哀れに思う。
[一言] 虫以下の存在が、なぜ対等に話しているつもりなのだろうか?
[気になる点] 日暮なんですが、秋に対してはタメ口で呼び捨て。その使用人である春と冬には敬語にさん付けってなんか違和感ありますね、例えそれが本人に言われたのだとしても。 絶体絶命の窮地を救ってくれた恩…
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