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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第1章 逃亡勇者
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第31話 日差しが射す、まどろみの中で

坂棟日暮さかとうひぐれ視点

 「う……」


 強い日差しを感じてほんの少し、覚醒する意識。

 それでも体は睡眠を求めて、再び意識を手放さそうとしていた。

 私もそんな沸いてくる欲求に逆らう気もなく、日差しから逃げるように布団を深くかぶる。


 柔らかい布団だった。

 ふかふかで、さわり心地がよくて、そしてあったかい。

 匂いも、嗅いでいてすごく落ち着くような気がする。


 全然感じは違うのだけれど、元の世界のお父さんの事を思い出す。

 ずきりと胸に刺さる痛み。最近、またひどくなってきてる気がする。

 最近……。最近?


 あれ……そういえば元の世界ってなんだっけ……。

 世界に元も何も無いような……。

 そうだ、お父さんが出掛ける前にご飯を作らないと。


 微睡みから覚めようとする意識が、徐々に鮮明になっていく。

 そして自分が帝国に追われて『終焉の大陸』に来たという所まで思い出したところで、跳ねるように起きあがった。


「ここは……?」


 小さな部屋の、一室。


 部屋の角に置かれた、ベッドに上半身だけを起こしている状態で辺りを見渡してみる。

 丁寧に物が整頓されている部屋だった。

 床や壁、家具など全体的に木で作られていて、少しだけずれて窓にかけられた薄めのカーテンは、強い日差しを漏らしながら明かりのない部屋をぼんやりと照らしていた。


 物は少ないものの無機質といった感じはなくて、どこか生活感を感じる部屋だった。

 あたたかみ、と表現すればいいのだろうか・……。

 そういうのが感じられるこの部屋は、とても大切に扱われているのだろうとなぜかそう思った。


 ズキリと、胸になれた痛みが走る。

 この世界に来てから、時々感じる痛み。もう既に馴れてしまっていた。


「どうしてここに……」


 この部屋にくるまでの記憶が、一切ない。この場所がどこだかも今の私にはわからなかった。

 一旦、覚えている記憶を掘り起こしてみる。

 

 終焉の大陸に来て、ゴブリンと出会い、災獣との戦闘のあたりまでは覚えている。

 そのあと魔物の死体を解体しているゴブリン達を横目に、灰色の男に『ドア』の中へと招かれて、それから……。


 ここまでしか思い出せない。

 どうやら、ここらへんで記憶が途切れているらしい。

 記憶の流れから考えるに、ここはあのドアの中だろうか?


 私はまだ半分かかったままの布団を端によせて、起きあがる。


 そのとき、体に少しズキリと走る小さな痛み。

 "いつもの痛み"だろうと思い、無視しようとするが思った以上にズキズキと長引くために様子をみてみる。

 見てみると、痛みが走った場所がいつもの胸のあたりじゃなかった。


 自分の体に目をむけると、数カ所の治療された痕。 

 それに服も元々私が着ていた服じゃなくなっている。


 痛みの走った場所を見るために服をめくる。

 すると、そこには丁寧に包帯が巻かれていた。表面には、赤黒いシミがほんの少しだけついている。

 軽くさわってみると、鋭い痛みが再び体を走りぬけた。


 ……どうやら、自分の想像している以上に迷惑をかけているようだ。


 申し訳なさを感じつつ、ここがどこだか気になった私は、足を窓の方へと向ける。

 カーテンを開くと入ってくる光はさらに強くなる。大分高く陽が上っているのだろうか。


 少しかがむようにして窓の外に目を向けてみると、外には泉が広がっていた。

 元の世界で絶景の特集などにのっている、美しい湖の写真のような景色。

 うっとうしくないほどに草や木があり、そして穏やかに水が流れている。


 これが、あの『終焉の大陸』……?


 そんな疑問が頭に浮かぶ。

 けれど考えたところで答えがでないのはわかりきっているため早々に思考を打ち切った。

 そしてある程度現状の確認をすませた私は、窓の外の景色に若干の後ろ髪を引かれながらもカーテンを閉める。そして部屋に唯一あるドアへと足をむけた。


 取っ手を掴み、ひねる。

 ふわりと軽くなったドアの感触に、ないだろうとは思っていたけれど閉じ込められているなんてことがなく少しだけ安堵した。


 扉を出ると、マンションのように綺麗な廊下に出る。

 白い壁に、フローリングの床。正面と左にはそれぞれ扉が一つずつあり、右側に廊下が延びている。

 どこか前の世界で見たような作りだ。そのせいか前の世界で、住んでいた家を少し思い出してしまった。


 ズキリ、と胸に傷が走る。

 なぜかこの場所は、前の世界をよく思い出させる……。

 胸の痛みを無視しつつ、取っ手を掴んだまま扉を閉めると


 ──スゥ。


 ガチャリと音を立て扉を閉め切った瞬間に掴めなくなる取っ手。確かにそこにあるのに、再び掴もうとしても通り抜けてつかめない。

 確か、初めてドアを見つけたときもこんな風に取っ手が掴めなかった。なにか扉を開けるのに条件のようなものがあるのだろうか。

 そこまで考え、このドアが最初に見かけたドアと同質のものだと気づく。


「(再びあの部屋に戻ることができなくなってしまった……)」

  

 不思議に思いながらも一旦考えるのをやめ、廊下を進む事にした。

 少し歩くと、再び扉に進路を塞がれる。


 どうやらこの廊下から出るためにはいずれかの扉は開けなければいけないらしい。

 少し考え、とりあえず正面の扉の取っ手を掴む。

 他の扉と違い、スモークガラスというのだろうか。ぼやけているけど扉の先の様子が少し見えていて、人がいるような気がした。


 扉をゆっくりと開ける。


 視界に入ってきたのは『リビング』だった。大人数が過ごせそうな、広々としたリビング。

 大きな窓には、さっき見た泉が映っており、質のよさそうなソファや、テーブル。少し小さめのキッチンなどが置かれている。


 あまりの光景に、唖然としていたとき不意に声をかけられる。


「おや、起きられましたか」


 男性の声だった。

 一瞬、アキという男の顔が浮かぶ。けど記憶にある男の声と一致しない。


 声のした方に顔を向けると優しげな笑みを浮かべた長身の執事服を着た男が

 一人立っていた。

 若く美しい顔立ちに、一本に束ねた長く白い髪がゆれている。


 どうやらこの場所には、あのアキという男以外にも人がいるらしい。



「具合はいかがでしょうか。大分お怪我をなさっていたと聞いています」


 執事服の男は、私を気遣うように声をかけてくる。


「えっと、大丈夫です」


「そうですか、それはよかったです。

 よろしければ、家主がお戻りになられるまでこちらのソファにお掛けになっておくつろぎください」


 そう言って一礼をし、去っていこうとする執事服の男に、私は慌てて声をかける。

 

「あの、私はどうしてあの部屋で寝ていたのですか?」


「そういえば、説明を怠っていましたね。申し訳ありません。

 私はここで使用人をしております"トウ”と申します。

 よろしければ名前を窺ってもよろしいでしょうか?」


 トウ。その名前には聞き覚えがあった。

 ゴブリンたちにアキさんを呼ぶのを頼んだとき

 言っていた名前のうちの一つに冬という名前があったのだ。


 この人が……。


「私は坂棟日暮です」


「ありがとうございます、坂棟様。

 坂棟様は、私の主が部屋に招き入れた時に突然お倒れになったと聞いています。

 小さな傷が多く、衰弱がひどかったため、多めの休息を必要とされるかと思っていたのですが……。

 回復が早くて何よりです」


 意識を途中で失ったから記憶が途中で途切れていたのか……。

 無我夢中だったからその時は気づかなかったけれど

 確かに思い返してみれば大分無茶をしていた。


 けど体の調子はいい気がする。

 心無しかいつもより身軽な感じがしていた。フワフワとしているのだ。

 私の起きた部屋を思い出す。

 たぶん、いつもより深く眠れたおかげだ。帝国から逃げる以前から、最近は眠れない日が多くなっていた。ぐっすりと眠って起きたのは、かなり久しぶりだった。


「体は……もう大丈夫そうです。

 それと、迷惑かけて申し訳ないです」


「いえ、主に看病をなさっていたのは私の主のほうです。

 たぶん、もうそろそろこちらにやってくると思うのでその時にお礼を言われてはいかがかと」


「そうします」


 元々そうするつもりだったので、私は冬さんの言葉に素直に頷いて返事をするのだった。






 

 肩を縮こませながら、深く沈み込む良質のソファに座っていた。

 広いリビングで一人……。

 それも、他の人の家となればなんとも落ち着かない……。


 

 私は最初に冬さんに薦められるがままにソファに座って待っていた。冬さんは私との話を終えるとトイレの場所を私に教えてどこかに去っていった。

 ちなみにトイレは、当たり前のように水洗で、驚くことにウォシュレットまでついていた。魔術で作り込んだのだろうか……。


 思えば、変な状況だ。


 帝国に追われるようになり、終焉の大陸へ逃げてきて

 色々あったのちに、今はふかふかのソファに座っている。私がその話をもし他人から聞いたなら思わず首を傾げてしまうだろう。


 なんともいえない微妙な気持ちが沸く。こんなところで、ゆっくりとしていて本当にいいのだろうか?

 私にはやらなきゃいけないことがある。

 私のせいで、巻き込んでしまった人。彼女を私は助けなくてはならない。


 "私の命にかえても"


 だからこそこうして命辛々生きてきた。

 その目的"だけ"が、私の命をここまでつなぎ止めていた。私の、ただ一つの生きる意味。 


 その目的を達成するのはできるだけ早いほうがいい。

 けれど、そのための手段が見あたらない。

 なんせ相手は国そのもの。私みたいな小娘に相手できるものではないと流石の私もわかる。


 私は、どれだけの強大な相手を敵に回してしまったのだろう……。

 想像しただけで、息が苦しくなる。

 本当に私にできるのか、もし失敗したら、そんな声が浮かんでは消えていく。


 それでも、やらなければならない……。

 なんとしても……。



「よければ、こちらをどうぞ」


 全く気配もなく近づいていた冬さんの声がかかり、いつの間にか自分が剣呑な雰囲気をまとっていたことに気づく。


 そんな私を無視するかのように視界の隅から、するりと手が延びてくる。

 ことりと小さな音を立てて、目の前のテーブルにティーカップが置かれた。

 ほどよくあがってくる湯気と共に、紅茶の香りが鼻腔をくすぐる。それだけで心が落ちついていくのがわかった。


 この紅茶もとてもじゃないが、『終焉の大陸』で用意できるものじゃない……。紅茶について詳しくない私でも、とても上質な紅茶なのだと香りでわかった。


 本当にこの人たち、それにこの場所も何なんだろう……。

 半分呆れ返りながら、それでも自分をアピールするかのように香りを発する紅茶から眼をはなせずにいると 


「もしかして、紅茶はお嫌いですか? よければ別の──」


 そんな声がかかった。


「あ、いえ、好きです。

 いただかさせてもらいます」


 慌ててカップを手に持つ。そういえば起きてからまだ何も水分を摂っていなかった。

 カップに口をつけて、ゆっくりと一口目をいただく。


「おいしい……」


 思わず、漏れ出てしまった一言だった。


「ありがとうございます」


 紅茶の香りと、ちょうどいいくらいの暖かさがお互いに効果を成しあって、しみこんで、広がっていく。

 無意識に力んでいた体と心の緊張が、解きほぐされていく。


 二口目を飲み干し、思わず息を漏らした。 


 リビングは、静寂に包まれていた。いつもなら、居たたまれなくなりそうな静寂が今はどこか心地よく感じた。

 思えば、こんな落ち着いた時間はこの世界へ来てから初めてかもしれない。

 こちらの世界に来てからは、激流のような日々だった。楽しいことも、悲しいことも。


 辛いことも……。たくさんあった。


 どうせ焦っても今の私にできることはない。

 ならば、今だけはこのおだやかな空気に身をまかせてみるのもいいかもしれない。そうすることで逆に見えなかったものが見つかるかもしれないのなら。

 

 少しずつ、ゆっくりと味わいながら飲んでいたつもりだったけどすぐに一杯目が底をついた。

 飲み足りない……。

 そんな考えが顔に出ていたのか、笑みを浮かべたトウさんがティーポットを持ちながら声をかけてくる。


「よければ、おかわりはどうですか?」


「いただきます」


 思わず即答してしまい、少し恥ずかしくなる。ティーカップを持ち上げ、

冬さんに渡した。

 とぽとぽと注がれていく様子を見ていたら、手持ち無沙汰になったからか無言が少し落ち着かなくなったために冬さんに声をかけてみる。さっきから少しだけ気になっていたことだ。


「そういえば、私の寝ていた部屋は……誰かの部屋なんですか?」


「ええ、私の主の……。この"部屋の主"の私室ですね。

 はい、どうぞ」 


 それは、ちょっと……

 というかかなり迷惑をかけたんじゃないだろうか……。


「ありがとうございます」


 お礼をいいながら、ティーカップを受け取る。再び香る紅茶の匂いが心地よい。

 それにしても、この『部屋』の家主……? なんとなく気になる言い回しだった。

 普通はこの家の主って、言いそうなものだけど。


 答えは、あまり考えることなく導き出せた。

 この場所。この空間は、つまるところ【能力】によって作り出された、あるいは繋がれた場所なのだろう。

 口振りからすると、前者だろうか。


 私の考えが正しければ、あの灰色の髪のアキという男は十中八九『勇者』だと思う。何代目かの確証はないが、たぶん44代目の行方不明と言われていた『灰色の勇者』。私と同じ……。


 勇者というのは、種族の特性として一人一つの【能力】が備わっている。他の種族なら一人一つとはいかない。


 そして【能力】という力は、スキルとは一線を越えた強力な力を持つことが多い。

 詳しいことは、私もよくわからないけれど、とにかくあまりにもデタラメな現象を見たらそれは【能力】による現象だと思ったほうがいいというのが、人々の間で言われていることだった。


 その言葉に当てはめて考えると、この場所はあまりにもデタラメだ。


 終焉の大陸という、私も実感した恐ろしい場所で築かれた平和な場所。

 普通なら魔物の警戒は最低でもかかせない。その警戒も、やるのはかなり難しいと思う。

 むきだしにされたドアも、掴めない取っ手だってそうだ。ゴブリンたちの出てきた部屋だって、よくよく考えてみればかなりおかしい。


 むしろここまでヒントがありながら、これまで気づかなかったのが恥ずかしいくらいだった……。


「どうかしました?」


「えっ、あ、こ、この場所は【能力】によって作られた場所なのかなって」


 言葉を発しながら、内心やってしまったと頭をかかえたくなる。

 考えてる途中に突然話しかけられてしまい、取り繕う事無く正直に考えてることを話してしまった。昔から正直すぎると、いつも注意されていたのに……。


「ほう、それは。

 どうしてでしょうか?」


 今まで浮かべていた友好的な瞳が、途端に無機質になる。浮かべている笑みはそのままなのに、目は笑っていない。纏っている雰囲気もがらりと変わっていた。

 私はその瞳を見て、体が底冷えするような錯覚を感じる。

 

 でもそうした対応を、不満を覚えることなく受け止める。

 能力を詮索されるというのは、誰でも嫌がることだからだ。

 

「わ、私の寝ていた部屋から出た途端に、その、取っ手が透明になったように掴めなくなったので……。

 なんか不思議な効果がかかっている場所なのかなと」


「取っ手が掴めない……?」


 苦し紛れに言ったいいわけに戦々恐々と反応を伺う。


 だが返って来た反応は思っているよりも違うものだった。

 まるでその事実を、今初めて知ったかのような反応。

 取っ手が掴めない、それは一体どんな意味を持っているのだろう。


 トウさんはそれから少し考え込み、口を開く。

 さっきまで浮かべていた無機質な瞳はかなり薄れていた。



「それは──」



「あぁ、もう起きてたか」


 トウさんが言葉を発し始めた瞬間。

 リビングに無数にあるドアの一つが開く。

 そこから出てきた男の声によって、冬さんの言葉が遮られた。

 

「ん、何かあったか?」


 私とトウさんの微妙な空気を感じたのだろう。不思議そうに疑問の声をあげる。


「いえ、何でもございません。ちょうど待ってる間に紅茶をお出ししていた所です。


  ──秋様」


 冬さんは持っているティーポットを置いて深いお辞儀をしながら私との会話を無かった事のように返事をする。

 元々私が口を滑らせた失態で起こったことなので、なかったことにするのは私的にはなにも問題がなかった。それよりもあまり深く詮索すぎないように、注意しよう。彼らの気分を損ねるのは、文字通り私の命に関わるのだから。

 

 アキという人から視線を投げられているのに気づき、肯定するように頷くと、もう気にした様子もなく大きなかごを持ってリビングへと入ってきた。


「秋様」


 凛とした声が、リビングに響く。冬さんの声

 ──ではない、女性の声。


 アキという男がリビングに入ってから数秒後。

 同じドアから、続くようにメイド服を着た女性が入ってきた。

 女の私でも見惚れるほどの美人だった。

 長い灰色の髪の毛は腰辺りまで伸びていて、アキという男と並ぶとまさに瓜二つというほど似ている。


 男に続いて入って来た彼女は、声色に心なしか責めるような意志を乗せてアキという男を呼び止める。


「秋様。

 その持っているカゴは、なんでしょうか」


「あ、春……。いつの間に……」


「さっきからずっと秋様の真後ろを歩いていました」


 言葉を失い、愕然とする灰色の男。

 そういえば、私も近づいていたのに全く気づかなかった……。

 私に関して言えば、二人ともだけれど。


「……。

 気配消すの上手すぎだろ……いつの間にそんな……。

 これは、まぁ、ちょっと洗濯物を干そうとしただけだからさ」


「それは、"私たち"の仕事でございます。

 秋様は『外』に出てお疲れの身なのです。

 適当にぐーたら過ごして、お体を労ってもらえないと困ります」


「これぐらいは──」


「秋様の『これぐらい』が、どれだけ私たちの仕事を奪っているのか、理解していますでしょうか? 愚かなのですか? 愚かなのでしょう。

 とにかくそれは私がやりますので貸してください」


「分かった……」


 まくし立てるように言葉を述べる、『ハル』という女性に言い負かされた男はカゴを差し出す。そしてひったくるようにハルという女性はそれを受け取ると、泉の方へと長い髪を揺らしながら歩いていった。


 そのとき、チラリと一瞥してきた彼女の視線と合ったもののすぐに逸らされた。


「あー……っと、

 とりあえず体の具合は大丈夫か? 一応、着替えとか治療はさっきいた春がやったんだが」


「あぁ、大丈夫そう……です」


「本当に?

 結構ひどそうだったんだけどな……」


 とても物腰が静かなのに、どことなく嵐の去ったあとのような印象のリビング。そこに漂い始めた微妙な空気を、仕切り直すように灰色の男、アキさんが声をかけてくる。

 それに答えようとした私は途中で敬語を忘れてることに気づき、変に間をあけてしまう。どうも昔から敬語が苦手だ……。


「あぁ、別に敬語じゃなくていい。

 俺も敬語はあまり得意じゃないからな。言うのも、言われるのも」


 そのことを察してくれたのか、そんな言葉を投げかけてくれる。

 敬語じゃなくていいと言われ、すぐに態度を変えるのも失礼かもしれないがその申し出はかなりありがたかった。

 なので「わかった」と返すと満足げに頷いた。


「とりあえず、お互い積もる話になりそうだから座ろう」


 そういって、私たちは場所をリビングのテーブルへと場所を移した。



 ◇



 看病と部屋を借りていた事に謝罪と感謝を伝える。

 すると、「気にしなくていい」と告げられた。まるで本当になんてことなかったかのように。



 テーブルについた私たちは、軽く自己紹介をしあう。

 その際、名前も秋と呼び捨てでいいと言われたため、頷いた。

 私も名前の日暮の方で呼んでほしいと頼む。苗字で名前を呼ばれるのは、あまり好きじゃない。


 そして、結論から言えば秋は私の想像したとおり『勇者』だった。



「召喚されたのは、何年前だろうな……

 5年までは数えてたんだが、そのとき色々あってそれ以来は数えてないんだ」


「私たちの前の代に召喚された勇者は50年以上前らしいから

 50年経ってないのなら、私と同じ44代目とだと思う」


「さすがに50年は経ってないな」


 秋は苦笑を漏らしながら言葉を述べる。

 想像していたとはいえ、実際にその事実がはっきりすると驚いてしまう。


 やっぱり秋は行方不明の44代目勇者……。召喚当時から血眼になって探している勇者がまさか『終焉の大陸』にいるなんて、さすがのベリエットも思わなかったのだろう。見つけても、どうにもならいというのも少なからずあるだろうけれど。


 それよりも、少し気になる言葉があったために、勇者の説明を受けて「勇者の数、多すぎだろ……」と小さな声で呟いている秋に私は疑問を投げかけた。


「5年までは数えていたって……自分で数えていたのか?」


 そう、どんな辺鄙な村だって暦ぐらいは正確に把握している。

 なにも召喚されたときから終焉の大陸にいたなんてことはないはずなのだから、どこかの人里で暦ぐらいは調べることができたはずだ。


「そりゃあそうだ。

 聞けるような人と、『外』で出会ったか?

 無人島に漂着した映画みたいに、木にナイフで刻みながら数えていたよ」


 ジェスチャーでその様子を表現する秋。

 その口振りに、なんとなく違和感を感じて考え込む。


 そして、自分が何か重大な思い違いをしているような気になり、その事実の可能性に冷や汗を流した。


「……召喚された場所から、『終焉の大陸』に来たんじゃないのか?」


 そう、私は秋をどこかの国やギルドなどで鍛えて、その後に調査としてこの大陸にやってきた人だと思っていたのだ。


「いや……

 俺はあの白い空間で光に包まれた次の瞬間にはもう、この場所にいたんだ。その『終焉の大陸』って名前も今初めて聞いたくらいだ。

 それが『ここ』の正式な地名なのか?」

 

「……この大陸には、正式な名前がない。

 でもその環境の劣悪さや、恐ろしさ。数多の人々が行ったきり帰ってこないことから、いつしか『終焉の大陸』と呼ばれるようになった。他にもたくさん呼び方はあるけれど……。

 でも名前がどうあれこの場所が世界にある、あらゆる危険地帯を優に越えてその頂に立っているのは間違いない」


「え、他の場所ではこの環境が普通じゃないのか?」


「こんな環境が普通だったなら、地上から人の姿は消えてたと思う……」


 秋はその事実に衝撃を受けたかのように放心する。 

 そしてかなり迫力のある声で「あのクソジジイ」と漏らした。


 それを見ていた私は、小さくため息をつく。

 正直に言えば、放心したいのは私の方だ。

 召喚されたときから、『終焉の大陸』だった? いったい何の冗談なのだと、声をあげたくなる。


 誰がレベルも能力もスキルも初期状態のまま『終焉の大陸』に放り出された人間と、生きて出会うと想像するだろうか。まだ他の場所からこの地へやってきたと言われた方が納得できる。


 行方不明だった勇者を『生き残るのは厳しい』と判断したのは、ベリエット以外の普通の森や村を仮定した話だ。

 それ以外にも厳しい場所はたくさんあるけど、一番生き残る可能性がありそうな場所ですら私はその評価を下した。『生き残るのは厳しい』、と。


 そんな場所よりもさらに、遙かに厳しい、この世界の頂上たる存在ですら訪れるのを拒む『終焉の大陸』に召喚されて、あまつさえ今日まで生き抜いた?

 この話を聞いて、頭を抱えない勇者はベリエットにはいないだろう。


 けど私がドアによりかかって座っていたとき、秋は森を背にして立っていた。

 秋の気配は正直気づく自信はないけれど、ドアが開いた事くらいは私にだってわかる。ドアが開けば、そのときに気づいて起きたはずだ。


 でも実際には声をかけられて初めて意識を覚醒させた。

 それはあの化け物じみた終焉の大陸で、秋が行動していたことの証明に他ならない。


「ま、まぁ俺の方は大体こんな感じだ」


 まだ少し残っている動揺に言葉をどもらせながら話を締める秋。

 まだまだ聞きたいことはいっぱいあるけどとりあえず大まかなことは理解できた。


「で、日暮はどうしてこの大陸に?

 望んできた……ってわけじゃあなさそうだな」


 その言葉に、苦虫噛み潰したような感覚を覚えながら頷く。

 秋に私は事情をかいつまんで話す。

 途中で気になったもの(主にこの世界のなりたちなど)を好奇心を押さえきれないという感じで聞かれつつ、帝国から逃走。終焉の大陸に転移して、命辛々あそこの部屋にまでたどり着いたことまでを話した。


「そうか……」


 腕を組み、黙り込む秋から私は視線をそらした。

 それは、自分の愚かしさをわかっているからこそ感じる居心地の悪さからだった。


 獣人奴隷に暴力を振るっていた、他国の貴族を剣で切りつける。

 それは、その瞬間の私の感情を発散しただけでその実なにも解決できていない。

 むしろ解決できないどころか、問題をさらに大きくしただけだと。


 それでも私は、剣を持って切りつけた。

 わかっていながらも、私は殺したのだ。この手で殺した最初の人……。


 自分の手のひらを見つめる。どこか血塗られているような気がして、それを振り払うかのように強く握りしめた。



 そうするしか、なかった。

 そうじゃないと私は……。


 ……。


「それで」


 短くない沈黙を、秋が途切れさせる。

 私はどんな反応が返ってくるのかを、内心で想像していた。

 罵倒、侮蔑、嘲笑、哀れみ。


 秋の反応は、そのどれでもなかった。 

 

「これからどうするんだ?」 


 これから……。


 私は、助けたい。

 私を庇って、勇者と戦い捕まってしまった人を。


 そのためには……。


「この大陸を、出たい」


 なにをするにしても、この大陸から出なければ始まられない。

 まずはこの大陸を出なければ……。



 私の返答を聞いた秋は「なるほど」と頷く。




「出たいという気持ちはわかる。その判断の理由も。



 ──でも残念ながら、俺はこの大陸を出る手段を持ち合わせていない」




 





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