第28話 プロローグ・人外道
一章 プロローグ
生き物には、越えられない"壁"が存在する。
魚というものにあこがれを抱いた人間がいたとしよう。
その人間は、できるだけ長い時間水の中にいるために様々な訓練を行った。やがて彼は世界で一番水の中に長く潜ることができる人間になった。
しかし
どれだけ長い時間水中に潜ることができる人間がいようと、人は水中で魚のように生きていく事ができない。それは生き物に与えられた、越えられない"壁"だ。
人はどれだけあがこうと魚にはなれない。
誰もがいつかは壁を感じざるを得ない。
明確にこれでもかと見せつけられる、生物としての壁。
その壁は一体どれほどの絶望を生んだのだろうか。
──だが
逆に言えば、そういう状況下。
壁というものをみせつけられてなお、生き残る者も少なからずいたのではないか。
生きようとするのもまた生き物の持つ"力"。
生きるためにその壁を越えなきゃいけなくなったとき、壁と力。
自分という生き物はどちらに転がるのだろうか……。
────────
まるでいくつもの環境をミキサーにいれて混ぜ返したかのような光景だった。
空を見上げればそこにはあるはずのない地面が浮かんでいて、地割れのようにひび割れた土の隙間からは、あるべきはずの曇天の空が顔をのぞかせていた。
吹き荒れる風は肌を切り裂くほど強い。
その風は、遠くに見える赤色や白色の柱から溶岩や氷、岩などを削って気まぐれに運んできた。
近くに岩が落ち、その衝撃に体が転がる。
強い風速によって運ばれた岩は、まるで隕石のように落ちた衝撃を辺り一面にまき散らす。
──コポリ
口から吐こうとする息に混じって血液がこぼれでる。
咄嗟に口を押さえようとするが押さえるための腕が無いことを思いだし、苦笑した。
体は既に半分なかった。
かつて草原だった荒野の地面と、体の隙間には血液の層が生まれている。
それでも生きていられるのは勇者として変わった自らの生命力の高さなのか。それともいくつかある再生系スキルのおかげなのか。
想定していたつもりだった。
めまぐるしく変わる環境。次々と生まれる強靱な魔物。
そうした『外』の『異常』さを。想定していた『つもり』だった。
「全く、『外』はいつでも想像を越えるな……」
残った腕でずるずると体を動かしながらつぶやいた。
『5年』が過ぎた。この世界に召喚されてから。
そんな年月が流れたのだから、自分自身も強くなったはずだ。できることも来たときに比べれば奇跡的なほど増えた。
だが、それでも──
『GoOAAAA────AAAAAAA!!!!』
少し遠くから聞こえてくるのは暴虐の遠吠え。
──『外』と対等になることは叶わない。
出会ったのは7体の『環境魔獣』だった。
どんな偶然か。大小、形も様々な環境魔獣がにらみ合う危険きわまりない地帯に足を踏み入れてしまった。
だが、まだそれならよかった。それだけなら生き残れる自信があった。
7体の環境魔獣がぶつかりあう。巻き込まれるようにその戦いの中へ身を投じた、そのときだった。
視界のすべてを支配するほどの、尋常じゃない量の虹色の光に包まれる。
その正体は、衝撃によって遠くまで吹き飛ばされたときに初めて見ることができた。
『虹色の柱』。
それはまさに柱だった。
常識でははかれないような巨大な柱。その色が空気でかすむほど天高く伸びる巨大な柱は、7体の環境魔獣の戦っていたその場所をまるまる虹色で覆い尽くす。
頭になる尋常じゃないほどの警戒音。
まるで、初めて魔物が産まれるところをみたあの日のように。
だがドアを出すよりもはやくそれは現れた。
それは、まさに『災害』だった。
『災害』、だ。
この常に災害の起きているといえる『外』において。
元の世界で起こりえる災害がごく普通でしかないこの『外』でなお、『異常』とよんでいい……いやまさにそう呼ぶべきもの。それはまさに、『災害』だった。
何が起きたのかは分からない。
ただ気がついたときには体は宙を舞っていた。乱雑に放り投げられたボールのように。
そして、体の半分が無くなっていると気がついたのはその後着地をとろうと体を動かしたときだった。
◇
暴虐の嵐が吹き荒れる。
猛威を振るっていた環境魔獣も、虫けらのようにその命を散らしていく。
その光景を視界の端にとらえながら、自嘲めいた笑みをもらした。
──人は想像できない出来事という物に対して、どれだけ対策を練ることができるか。
今まで一度もあけたことのない未知の箱にたいして、持っている情報は『想像のできない事が起こる』ということだけ。開けなければ安全だという保証すらない……。
そんな箱に対して、人はどれだけの対策をとることができるだろうか。
『外』とはまさにその『想像のできない事が起こる箱』だった。
分かっているのは。自分の理解を越えた出来事が起こりえるという事のみ。そして、どれだけ対策を取ったとしても、その箱は実際にあけてみるとより上回る災厄をまき散らかしていく。
ではその箱をあけずにじっとしているのか。
外に出ずに、部屋の中でじっと過ごし続けるのか。
あの部屋の中が本当に安全だという保証はどこにもないのに。
相手は『想像のできない事が起こる箱』。何が起きたっておかしくはない。なら、部屋の中にだって影響を与えてくる何かがあるかもしれない。
もしそんな保証があったとしても、俺は外に出ることを選ぶだろう。
『ドア』の中は、既にかなり自給自足の環境が整っている。ずっと部屋にこもったまま生きていく事も、もしかしたら可能かもしれない。
だが俺は、そうして生きる自らの命を想像し、そして否定した。
人は幸せになるために生きている。
幸せか幸せじゃないかのどちらかを取れと言われれば誰もが幸せを選ぶにきまっている。
幸せになるためにこの世界にきたのだ。
誰とも接することなく家に引きこもりながら、一人モニターを見つめてお金を稼いで、ご飯を食べ、娯楽品と時間を消費する。
その生活が幸せじゃなかったとは言わない。
そこそこいい日々だっただろう。
けれどどこかで『停滞』を感じていたのも事実だった。
既に自分がどう生きて、死んでいくかというのがレールとなって確立されてしまったかのような感覚を感じていた。
そんなとき白い世界へと連れてこられた。
半ば誘拐のようだったとはいえ、最終的には自分自身で望んでこの世界へとやってきたのだ。
今までの日々、そして繋がりを捨てて、『望んで』やってきた。
そうしたものを犠牲にしてまで、行き着いた所があの『ドア』の中に引きこもるという人生?
それは捨てたものに対して、あまりにも釣り合っていない幸福だった。
しかし、それで外にでてみればこの様だ。
少しずつ、体の力が抜けていく。
眠い。寒い。
体の半分を失っているのだ。たとえ自分自身がかつての人間を越えた生命力をもったとしてもその生命力にもやはり限界というものがある。
「部、【部屋想像】……を消費して……ドアを設置」
とぎれとぎれになりながらもなんとか言葉を発する。言葉を発するとき、体の空気と一緒に血液がこぼれでてしまうが既にそこまで意識が回る余裕はない。
「あ、あぁ……あ、秋様……!」
ドアの設置が完了した途端、バタンと音をあげながら乱暴に開かれるドア。そして次の瞬間には春が血相を変えてかけだしてきた。
冷静な春にしては、珍しい姿だった。
ぽつり、ぽつりと雨が降り始める。
空には未だ地面が覆っているというのに、どこから降っているのか。
残念ながらそれを確かめるまでの力はもうなかった。
「秋様、とりあえず治療を……!血が……」
少しずつ強くなっていく雨の中、春が一瞬ためらいを見せるがそっと体に手を添える。
そして、血で真っ赤にそまった手のひらを見て顔をより青ざめさせた。
その手を見つめる瞳には、色々な感情がうずまいているのが窺えた。
大切なものを失う恐怖や、自分自身の無力さ。自分が逆ならそれらの感情を感じずにはいられない。
そんな感情を感じながらも、より強い意志で瞳を輝かせる。
春が体に触れる力が少し強くなった。部屋の中へと運んでくれようとしているようだった。
しかし部屋の外だと、春は一般的な女性の力ぐらいしかだせない。
「治療は……もういい……」
「え……?」
長い灰色の髪を、雨で濡れし肌に張り付かせながら呆然とする春。
ただでさえ青かった顔色が、さらに無くなっていく。
もはや白色に近い。強く力をいれようとしていた手は震えおり、紫色の唇も細かく揺れていた。
「このまま生きていても……いずれ死んでしまう……」
そう、このままではいずれ『外』に殺される。
どれだけ部屋の中で訓練をしようと、備え、蓄えていた力よりも大きな猛威を振るってくる。
堂々巡りだ。今までは運よく生きていたが、いずれ限界がくる。今回だってもうその限界ギリギリのラインだった。
人は想像できない物に備える事ができない。
そう、思った。
「だから……治療はいらない……」
春はついに顔を俯かせてしまう。
雨で濡れているメイド服。
顔が陰になって濡れないはずのところにまでポタポタと雨が降っているような気がした。
「今……必要な、のは……『部屋』だ」
俯いていた春が顔をあげる。
そして、ゆっくりと死に近付きながらも確かにその言葉を告げた。
「は……る、新しい部屋……【部屋創造】を」
『外』を克服するには今のままじゃダメだ。
だから今のままをもうやめよう。
なりふりかまうのは、やめよう。命が大事とか、そういう事が言ってられる場所ではなかった。
矛盾するようだが、命を守るためには命を賭けて危険にさらす必要があったのだ。
必要なのは『覚悟』だった。
相手が想像を越えてくる存在ならば、自分自身も想像を越えるしかない。
ちらりと春のほうへ視線を向ける。
春は、眼を真っ赤にしながらこちらを見ていた。
ただし、先ほどまで狼狽えていた春はそこにはいない。
いるのはこれまでもずっと肩を並べて戦っていたのか錯覚するほどの、強い闘志を眼に浮かべた春だった。
残った方の手を伸ばし、自分の血がしみ込んだ地面を強く掴む。
覚悟は決めた。
今度は、こちらが想像を越える番だ。
「作る部屋は──
【人体改造部屋】だ」
その日、俺は人外の道へと足を踏み入れた。