第24話 侵入者
※幕間です。
一章は主人公達が召喚されてからかなり時間がたっているので、その間の出来事4話続きます。
それは初めての『外出』を終え、自身の弱さを痛感してから2年ほど経ったある日の事だった。
俺は、いつものように昼食の後の休憩で玄関に座って『ドア』の『外』を眺めていた。
木漏れ日の漏れる、『森』の風景。
その日の『外』は、弱肉強食を濃厚にして象ったような『外』とは思えないほど穏やかだった。
魔物はおらず、血なまぐさい死闘も行われていない。
すぐに『ドア』から『外』へと駆け出て、木々にハンモックを取り付け、そしてその上でゆったりとうたた寝したいと感じるほどに、本当に穏やかだったのだ。
そんなことを思い抱いてしまったからだと思う。
その日、俺が玄関で眠ってしまったのは……。
その森の光景に、当てられたからなのか、それとも鍛錬の疲れがたまっていたからなのか、『外』に魔物が一切おらずに退屈だったからなのかはわからない。
ただ事実として、俺は眠ってしまったのだ。
『ドアを閉じることを忘れて』。
『ドア』の中に入れるものというのは、能力【部屋創造】の機能の一つである『ルームルール設定』により限られている。
けれど、それは万能じゃあない。例えば『害意のある者の進入を禁ず』というルールがあるが、じゃあこれで自分に害するものは入ってこないからさあ、安心……という風には残念ながらならない。
ドアの中には入れなくても、ドアの外で銃をもって中に向けて打つことはできる。その銃弾はたやすく『ドア』の中へと入ってくるだろう。『害意』など存在しない、物質の銃弾にはこのルールは適応しないのだから。
なら『銃弾』の侵入を禁止するルールを作ればいいのか。
この話は、そういう話ではない。『ルール』というものは完璧ではない、という話だ。どんな風にルールを設定しようが、必ず抜け道というのは存在してしまうのが世の常だと俺は考えている。
それに『ルール』というのは作れば作るほど、俺自身にもその『ルール』は適用されてしまうのだ。そんな堅苦しい生活は、正直御免だ。
そう……。
だからこそ、自分自身が気を引き締めなければならなかった。『ルール』に頼らないためにも、決して気を抜かず慢心することなどあってはならなかったということを、この日思い知ることになる。
◆
──顔が、妙に冷たい。
最初に気づいたのは、そんな感覚だった。
少しずつ覚醒していく意識。そして、自分が寝てしまっていたことを察した。
次に考えたのは、どこで寝たのだろうという疑問。リビング?寝室?
次々と候補をあげて、あわてて起きあがる。
「やってしまった……」
最悪だ。
開かれたままの『ドア』を見て、呆然とする。
『ドア』を開けたまま玄関で眠りにつくなんて、少し気を抜きすぎだ……。
沸いてくる自己嫌悪な気持ち。それを頭の中に抱えながら、寝起きで少し重みを感じる体を起こして開きっぱなしになっている『ドア』へと近づく。
『外』に広がっている光景は、既に変わっていた。
寝る前に広がっていた穏やかな『森』ではない。どこまでも続くかのような美しい『雪原』の景色が、『外』に広がっている。
キャンパスを横たえたかのような白一色の世界だ。それが沈みかけた陽の光に照らされ、キラキラと輝いて見える。
『氷雪』の環境にしては珍しいことに雪などは全く降っていない。見上げてみれば少し赤みのかかった澄み渡る空が広がっている。
寝る前の穏やかな『森』とはまた別の美しさを持っている光景だ。
そして俺は、空へと向けていた視線を少しずつ下へと下げる。
「……」
何もない白一色の『雪原』。
それは『ある一カ所』を除いての話だ。
『外』に広がっている雪原をみていると嫌でも目に付くものが一つだけある。
ぽつりといる、二頭の巨大な狼の魔物の姿だ。色は赤く、結構遠くにいるのにシルエットはかなり大きい。真っ白でなにもない雪原の中、その二頭の魔物は寄り添いあうようにぽつりとそこにいた。
「いや、そうじゃないな」
よく見てみると、狼の赤いと思っていた体の色は地面まで続いている。体と地面をそめあげるほどの『赤』だ。傷だらけの体から尽きるまで出続けたその『血』が、真っ白な雪原のキャンパスとその体を赤く染めあげたのだろう。
死んでいるのだろう。
力なく二頭で寄り添いあうように横たわっている狼たちの姿を見てそう結論付ける。
なんてことないよくみられる敗者の光景だ。『外』というのは、そういう世界なのだ。甘えが一切効かない、弱肉強食の世界。
「だからこそ、俺は気を抜いてはいけなかったのだけどな……」
ずれそうになる思考を頭を振って振り払い、俺は二頭の狼へと視線を戻す。
その二頭の狼には、不思議なところがあった。
それは二頭の狼が両方共、顔をまっすぐとこちらへ向けながら横たわって死んでいるという事だ。
命がつきた虚ろな眼差し。なのに、どこか強い意志を感じる瞳がまっすぐとこの『ドア』に突き刺さっていて、俺の視線とぶつかりあっている。
なぜあの狼はこちらを見ているのだろうか。死ぬ寸前になって扉の存在が不思議になったとかか?
疑問に思いながら、その魔物たちを興味本位で観察を続ける。
すると、その横たわった狼の下に踏みつぶされている美しい一匹の小さな蛇がいるのを遠目ながらも発見した。狼の魔物に比べればミジンコのように小さなその美しい黄色の蛇は、顎を空に向けながら、長い舌を吐き出してぴくりとも動かない。
こちらの蛇もまた、死んでいるようだ。
体液をまき散らしながら半分がつぶれている体をみれば考えるまでもない。
問題はその蛇の正体だ。
「確か、『ハーフスネイク』だったか……。あの蛇は」
小さいからといって油断できない、強烈な蛇の魔物。ハーフスネイク。
ハーフスネイクの特徴は、『分裂』だ。一匹が二匹、二匹が四匹とねずみ算式にその数を分裂で増やしていく。蛇が脱皮したと思ったら、その脱皮した皮が元の蛇のように動き出す、そんな感じの魔物だ。
地上で津波を見つけたと思ったらハーフスネイクの群だったということもある。俺が出くわせば即、【部屋創造】の能力で『玄関』の中に逃げ込む。
あの狼の魔物たちは、そんな蛇とまともにたたかったのであろうか。
もしそうなら、逆によく体が残っていたと賞賛を送りたいほどだ。それほどまでに、恐ろしいのだ。ハーフスネイクという魔物は。
おそらく、あの踏みつぶされている蛇は、ハーフスネイクの『最初の一匹』なのだろう。ハーフスネイクは最初の一匹さえ殺せばあとは溶けるように蛇が消えていく。このなにもない美しい雪原はそれが理由で広がっているのかもしれない。
「死体を回収しにいくか、いかないか。
いや、今日はやめておこう」
魔物の死体は、使いどころが豊富だ。種類にもよるが肉は食べることができるし、魔物の体内にある『魔石』という宝石のような石は『RP』に変換できることがわかっている。
ちなみにこの事実が発覚したのは何度目かの『外出』のときの事だ。魔物の乱闘に巻き込まれ、巨大な魔物の死体にのしかかられ身動きできずにいたとき、その死体を【アイテムボックス】に入れ脱出した後、そのまま持ち帰って来たときに偶然判明した。
あの狼であれば結構いい『魔石』がとれるだろう。それに毛皮や爪なんかは武器や服に変えることができる。
だが俺は行かないという選択をとった。
それは先ほどしたあのミスだ。『ドア』を開けっ放しにしたまま寝るという油断。その小さな油断が俺のたった一つしかないちっぽけな命を散らしていた可能性もあったのだ。少しでも心に隙がある内は、『外出』は控えたい。
臆病な選択だと思う。しかしその『臆病』さが自分の命をここまでつないできた。
死んでからでは遅い。それは、あの魔物たちの死体が何よりも表現している。
俺はドアをしめる。本来なら、とりにいったかもしれない。そんな思考が少しだけ閉めるドアに重みを増させた。
ガチャリ。
ドアを閉めたことを確認し、『リビング』へと向かうため振り返る。
「ヘッヘッヘッヘッ」
「チュンチュン」
「は?」
振り返ったときに目に入ってきた光景に自分でも驚くほど間抜けな声がでる。
なんだこれ……。
もしかしたらまだ寝ぼけているのかもしれないと、思わず目を擦る。
『玄関』から『リビング』へと続く廊下に変ないきものがいたような。いや、気のせいだよな。
「ばうっ!」
「チュンチュン」
しかし無情にも、目を擦っている途中で『それ』は鳴き声をあげて存在を主張してきた。現実を見ろとでも言っているのだろうか。お前等が原因なんだぞ。
俺はしぶしぶ目を擦るのをやめ、『リビング』へつながるドアの前にずっしりとおすわりの体制で居座る『それ』を直視した。
じっとよくみて観察する。
『それ』は狼や犬に似た、魔物だった。
体毛は白く、ふわふわそうな毛並み。大きさは大型犬ほどで犬と考えるとかなり大きい。二本ある尾が特徴的で、一本でも騒がしく感じるのに二本の尾がぶんぶんと縦横無尽に振り回されている。
そして、これが一番の疑問なのだが、頭にはなぜか水色の雀みたいな鳥をのせている。仲良しさんなのか?
いや、違う。今はそんな疑問を考えているときじゃない。
この魔物たちはなぜ『ドア』の中に入ってきているんだ。というか、そもそもいつからそこにいたんだ?
もしかしてだが……俺が寝たときから今までずっとこの『玄関』の中にいたのだろうか。
「ヘッヘッヘッヘッ」
舌を出して息を荒げながら、二本ある白い尻尾を激しく揺らして狼の魔物は立ち上がる。
そして、少しの時間。互いに眺めあっていると突如その狼の魔物は俺の足下へ近づいてきた。そして、赤く長い舌でぺろぺろと足をなめ始める。ひんやりと冷たい唾液が、肌を通して伝わってきた。
その冷たさにふと思い出す。
たしか、俺が起きたのは顔に『冷たさ』を感じたからだ。思えば、外が雪原だからその寒さに対してあまり気にせずにいたが、部屋の中は外とは隔離されているので温度が伝わることもないはずだ。
顔や頭をさわってみると、前髪がなにやら妙な液体でべっとりと濡れていた。誰の仕業か。考えるまでもない。やはり俺が寝ている間に『ドア』の中に入られていたようだ。あぁ、やはり油断や慢心は危険だと再び思う瞬間だった。
「チュンチュン」
「ヘッヘッヘッヘッ」
ひとしきり舐め終えると今度はぐるぐると何が楽しいのか俺の周りを走り出す狼の魔物。頭に乗った水色の鳥は唄うようにチュンチュンと鳴いている。
「はぁ……」
そんな二匹の生き物をみて、ため息を漏らす。
部屋に設定している『ルール』は『害意のある者の侵入を禁ずる』だ。
だから俺は、もし危機があるとすればそれはすでに述べたように外からの攻撃によって訪れるものだと思いこんでいた。
だから俺は想像していなかった。まさか正面から『害意』を持たずに堂々と侵入してくるなんて。そんな正攻法……。
……確かに有効だ。
「ばうっ!」
「ピヨピヨ」
「はぁ〜……」
ぐるぐると俺の周りを駆け回りながら鳴き声をあげる魔物たちに思わず頭を抱える。
これが、俺が異世界へ来て初めて『部屋』の中へと入ってきた『侵入者』だった。
◆
さて、どうしたものだろう。
「ヘッヘッヘッヘッ」
「ピヨピヨ」
この一匹と一羽。俺が気を抜いたことによって許してしまった部屋の中の『侵入者たち』。
入ってこられたということは俺に対しての害意はないのだろう。現に今、目の前でお座りの姿勢をしていることからもよくわかる。
だからといってこのまま部屋の中に居着かせるというのは否だ。この『部屋』の空間内は俺の空間だ。『自分の家』と同じ。要するにこいつらがこのままここに居続けるのであれば、面倒を見なければならない、ということだ。
目の前の一匹と一羽の魔物を眺める。
狼の頭に乗った鳥が狼の毛をくちばしで引き抜いていた。そして下にいる狼の魔物は嫌そうに首を振っている。
それを見て少し気持ちが和む。そういえば昔ペットがほしいと思ったこともあったなとふと思い出した。
しかし、ペットといってもそれは犬や猫など動物の話。こいつらは魔物だ
生き物の命を抱え込むということは、簡単なことじゃない。食べ物や安定的な生活を俺が保証しなければならない。この部屋は俺と春が管理するところだからな。住ませるとなるとそういう話になってくる。
別に保証しなくても、それを責める人はいないかもしれない。なんせまだ俺と春以外の人なんてまともに見たこと無いのだから。
しかし俺自身がそれを許さない。その無責任な姿勢を。
要するに、今俺には『余裕』が無いのだ。自分以外の命に対してあれこれと考える、余裕が。
【部屋創造】の能力のおかげでなんとか異常なこの世界を生き延びてはいるが、それだってギリギリだ。『外出』は一日できるかできないかで『部屋』の中で手に入る食材の種類も限られている。
「うん、追い出そう」
今の時点では、こいつらはただの不法侵入者である。追い出したところで、正当な権利だというもの。
こいつらも立派な魔物の端くれだ。『外』でだってキチンと生きていけるはず。
仮に生きていけなくても俺の知ったところではないが。
おすわりをする狼とその上に止まっている鳥を無視し体を反転させる。そしてその先にある『ドア』の取っ手をつかんで開けた。
『外』では、先ほどと変わらずに『雪原』の景色が広がっていた。ただ少しずつだが、魔物の姿が現れ始めている。あの『雪原』にポツリと佇みながら死んでいる魔物の近くにも、その肉を食らおうとする魔物が様子を伺っている姿が見える。
「よし……?」
とてとてとて。
狼の魔物を『外』に追い出そうと振り返ると、中にいた狼は俺の手を煩わせることなくドアの外に向かって歩き始めていた。
そして、ドアの外へと出て行き、冷たい雪の上で再びお座りの姿勢で座り始める。
その姿は、部屋の中の好奇心旺盛さを感じるときとは違いどこか寂しさを感じる情景だった。二本ある尻尾は力なく地面に放り投げられたまま動かず、空から差し込む夕焼けの日差しが、本来なら白であるはずの狼の背中を影で黒色に染めている。
「どうしたんだ。急に」
追い出すという課題を達成した今、心に余裕ができたからなのかそんな狼に対して俺は興味を抱いた。なぜ急に態度が変化したのか、今何を見ているのかに。
──前の世界と違い、『娯楽』の少ないこの現状だ。もう少しだけ好奇心を満たしても、バチは当たらないだろう。
そんな現金な思考を巡らせる。追い出したらすぐに『ドア』を閉めようとと考えていた予定を変更し、狼の横まで雪を踏みながら歩く。隣に並んでもなおその狼は同じ姿勢のまま動かずにいた。しかし、観察してみると『ある一点の場所』をじっと見つめているようだった。
俺はその狼の視線をたどるように、その先にあるものに目を向ける。
視界に入って来たのは、白い雪原の中に佇む、あの弱肉強食を象徴した二頭の死体。
寄り添いあうように死んでいる狼の魔物。その光景を、この白い狼の魔物は視線をそらせることなくじっと見つめ続けている。
そこで俺ははじめてその事実に気づく。
赤黒い二頭の死体。よく見てみれば、小さくぽつぽつとだが『白い毛並み』が見えた。負傷によってボロボロになった体と流れ出た血によってわかりづらいが、『ドア』から見えるときとは少し角度が違うおかげで今ははっきりとわかる。
もしかして……。
「もしかしてお前、あの狼たちの子供なのか?」
答えが返ってくるはずもないのに、思わず声をだして質問をしてしまった。
やはりというべきか。その狼の魔物からの返事は、なかった。
しかし俺はそのとき目撃する。数度だけ尻尾が揺れたのを。
俺の質問に、この狼が返事をしたのかどうかはわからない。もしかしたら違うのかもしれない。それでも俺はその数度だけ振られた尻尾に質問の答えを感じた。
「そうか……」
考えてみれば、簡単な話だ。いとも容易く導き出せる、単純な話。
あの二頭の狼はこの子狼の親で、一緒にいるときに遭遇した。恐ろしいハーフスネイプの群に。
質量が倍に倍にと増えていく蛇の津波を前に、二頭の親狼は危機を感じたのだろう。
どうにかして、我が子を守れないか。
そう考えたとき、こんな何もない雪原の中あるのは開かれたままの『ドア』だけだった。多少得体が知れない『ドア』だろうと、少しでも安全の可能性が見込める『ドア』の中に我が子を押し込めようと思うのは、親としてひどく単純で当たり前の思考だ。
そして思惑通り、『ドア』は『害意』の存在する『ハーフスネイク』の侵入を拒み無事子狼を守った、という話だ。
この話はあくまでも想像でしかない。
けれど、ありえない話ではないはずだ。いや、正直言えば確信を感じている。
そういうことなら、あの二頭の狼が『部屋』に向けていた眼差しも納得ができるからだ。いや、『部屋』にではない。その先にいるであろう、我が子へ向けたあの強い眼差しが。
「……」
死んだ狼の魔物の死体には、小さい魔物がすでに数匹その肉にかじりついていた。周りにいる大型の魔物があの死体に手を出すのも、もはや時間の問題だろう。
彼らが魔物の餌になるのも時間の問題だ。それでいいのだろうか。そう、自分自身に問いかける。
──我が子を命をかけて救った親の末路がそれで、俺は納得できるのか?
「はぁーっ……。
あの親狼だけだ。あの親狼だけ、回収しに行こう」
両親絡みの話になると、どうも情に甘くなる気がする。
でも、仕方ない。偉大な親というのは尊いものだし、尊くあるべきものだ。
このままあの狼が魔物の餌になるのは、弱肉強食の法則からしたら正しい。だが、俺の『感情』からしたら正しいものではない。ただそれだけの話なんだ。あの親狼をきちんと弔いたいという独りよがりな俺自信の欲望を満足させるために必要だから、やるだけ。
ちらちと脳裏に浮かぶ、元の世界にいた父と母の姿。最近はもう、あまりその姿が頭に浮かぶこともなくなった。
今どうしているだろうか。願わくば、俺の事など気にせずに元気でやっていればいいのだが。
そんな脳裏に浮かぶ光景もかき消して衝動的に走り出す。
ザクザクと足下から雪をつぶす音が聞こえる。
だがそれも、隠密系のスキルの発動によって少しずつ小さくなっていった。
◆
適当に魔物を避けながら、横たわっている狼の死体のところまでたどり着く。『外』といっても、ほんの数キロの道のり。真っ直ぐ全力で走れば、あっという間だ。
「……想像以上にでかいな」
目の前にある血なまぐさい臭いを放った魔物の死体を見ながらつぶやく。
顔だけで俺の身長ほどある。かなり大きい体だ。
とりあえず、スキルの【アイテムボックス】の中にしまって持ち帰ろうと思っていたが入りきるか……?
「ッ!?」
そんなことを思っていたときだった。
突然感じる、『巨大なエネルギー』の威圧感。どこかで感じた覚えのあるそれに対し、反射的に顔をその力を感じた方角へと向ける。
「このタイミングで、これか。最悪だな……」
『巨大な虹色の球』。
雪原の上に浮かぶ、虹色の光が強烈なほど渦巻くその見上げるほど巨大な『虹色の球』は何の脈略もなく突然現れる。あれは、魔物の産まれる兆候だ。
──あの大きさだと産まれてくる魔物は十中八九『環境魔物』だろう。
足下のざくざくとしたかき氷のような雪が、少しずつシャーベット状になっていく。雪が、湿り気を帯びてきているのだろう。ということはあの虹色の球から現れる『環境魔獣』は『水』の魔物だ。
不幸中の幸い、とでもいうべきか。
環境魔獣には、いくつもの種類がいる、だがその中でも『水』は比較的変化の過程がゆっくりしているのが特徴だ。『砂漠』や『氷雪』なんかと違って、急にその『環境』へと移り変わる事なく、じわりじわりと浸食していくように水が広がって変化していく。
「つまり、環境が変わるまでにほかの環境と違って少し余裕が持てるということだ」
俺はそこで一旦考えるのをやめ、魔物の死体を【アイテムボックス】にしまう。余裕があるといっても、時間に制限が産まれたのは確かだ。
二頭の狼の死体が、消える。幸いなことに二頭とも収納することができた。
そうこうしているうちに足下の水の量が増えてくる。
急いで『ドア』の中へと帰るため体を振り向かせる、そのときあるものが目に映り体をピタリと止める。
「あれは……」
水面に漂う、美しい蛇の体。
それは、ここにいた狼と激しい闘争を繰り広げたであろう『ハーフスネイク』の死体だ。それが足元まで増えた水の中でゆらゆらとその体をただよわせている。
それだけではない。
半分しかない『ハーフスネイク』の体の断面からほんのすこしはみ出るかのように、キラキラと輝く『虹色』の宝石のような石だ。それこそが、まさに俺の目をひいたものだった。
『魔石』。
『RP』に変換することができる魔物の体内にあるその『魔石』は物にもよるが一つで数百ポイントにもなる。まだまだ生活が不安定な俺にとって、それはのどから手がでるほどほしい代物だった。
その石が『ハーフスネイク』の体からはみ出している。
どうする……取りにいくか?
まだ環境の変化に猶予はあるか?
それは数秒のことだった。しかし時間に限りのある状況ではかなり時間を食ったといっていい迷いだった。
そして、悩んだあげくに俺は『取りに行く』という選択肢を選ぶ。
『水』の環境の変化はゆったりとしている。だからまだ間に合うはずだ、と。
それが間違いだった。
突如、下から何か突き上げる感覚に襲われる。
そして気がつけば、体が重力に逆らって浮き上がるように地面から足が離されていた。
なんだ?一体何がおきたんだ?
パニックになる思考。あまりに唐突すぎる状況の変化に、頭が追いつかない。
「がぼっ……げぼっ……」
口から息を吸おうとしたとき、大量の『水』が口の中に入ってくる。
息ができない・・・・・・苦しい・・・・・・。
そう思ったとき、ようやく自分自身がどのような状況におかれているのかを理解した。
『溺れてる』。
下から突き上げてくる水流に翻弄され、体の自由がきかずに水の中でもがく。洗濯機の中に放り込まれたかのようにもみくちゃにされながら、かろうじて水面に顔を出したとき、ほんの一瞬だったが『外』で何が起きているのかを垣間見ることができた。
それは、大量にそびえる『水の柱』だった。
雪原の面影がない、既に湖といってもいいほど辺り一面を覆う『水』。海のように広がる湖に、地下から吹き出したような巨大な『水の柱』がいくつもそびえたっている。そして、その一つの中に俺は巻き込まれていたのだ。
こんな『水』の『環境の変化』、俺は見たこともなかった。
──この時の、失敗の決定的な原因はやはり『慢心』、そして『油断』だった。
あれだけ『外』は常識が通じないと思い知ったのに、自分の中で『常識』を作ってしまっていたのだ。『水の環境はじわじわと水が広がっていく』なんて『常識』を。だから、『ハーフスネイク』の死体を見つけたときにまだ猶予があるなんて思いこんでしまった。
そこが、間違いだったのだ。
『水』の環境になるからといって、どの環境魔獣も同じように『水』という環境を構築するのだろうか。『結果』が同じだからといって、『過程』が同じだといえるのだろうか。
その考えに至らずに『常識』を作ってしまったのが、『油断』であり『敗因』
『環境魔物』の『環境の変化』には、『個性』があった。
『水』の環境を構築するのに、じわじわとわき出るようにゆっくりと広げるやり方をする魔物もいれば、爆発的にその水量を増やし瞬発的に環境を構築する魔物もいる。環境魔物が変化させる『環境』が同じでもその変化の過程にはその魔物の『個性』が伴うのだということを、この時俺は身をもって思い知ったのだった。
◆
「ウォ────ォン……」
ピシ……ピシ……。
水の中まで響く、どこからか聞こえてきた狼の遠吠えと共に下から突き上げる水流の強さが徐々に弱まる。
下から水がわき出ることのなくなった『水の柱』の上の部分は、重力の流れに逆らうことなく落下していく。もちろん、その中にいる俺もだ。
地面への衝撃を感じ水浸しになった体を起こす。
「冷たい……」
地面に手をついたときに刺すような冷たさを感じた。
そして、それが水にぬれているから感じている冷たさではなく、別の要因によってもたらされた冷たさだというのにすぐに気がつく。
水が、『氷っている』。
『巨大な水の柱』は白く染まりながら吹き出していた姿をそのままに氷っており、同じように海のごとく広がっていた『湖』もかなりの面積が凍り付いていた。
その氷は今もなお遠くのほうで水を氷らせている。そして、その現象はちょうど『ドア付近を中心』にじわじわと広がっていたのだ。
いや、違う。本来の中心にいるのは──
「『環境魔獣』だった、のか……?」
広がる氷の中心にいる『氷雪』の『環境魔獣』。
白い毛並みの狼。
その瞳には先ほど俺が見た物悲しさや子供のような好奇心も浮かんでいない。強い闘争心の光が浮かんでいた。
◇
グレイシア・ヴォルフ LV899
種族 二尾・雪月狼・環境魔獣(氷)
スキル
遠吠え LV21
氷結 LV19
氷操作 LV18
威圧 LV9
ユニークスキル
氷点化
◇
どすんと背後から音が聞こえて、振り返る。
振り返った先には、巨大な手足の生えた鮫がいた。
それも力無く横たわるように。
こいつは『水』の『環境魔物』だろう。
これだけ時間がたってしまったのだ。『虹の球』から魔物が既に産まれてしまっていたとしてもおかしくはない。
しかし、なぜ横たわっているのか。
おそるおそるその魔物に近寄ると、鮫の魔物の陰から何かの物体がこちらへ飛んでくる。あわてて両手を重ねるようにガードの姿勢を取るが衝撃はこない。
「ピヨピヨ」
飛んできたのは、バサバサと細かく羽を動かしながら水色の鳥だった。
あの狼の頭にいた鳥……。
その鳥は俺の近くまで来ると、自然と俺の肩に止まる。止まった途端、まるで巣にでも帰ってきたように真っ直ぐに尖っている細長いくちばしで毛繕いをし始めた。
こいつが何かをやったのか。
肩に当たり前のように居着くふてぶてしさよりも、目の前に横たわる魔物の真相に思考が向く。
巨大な鮫に近づくが、反応はない。
意を決して鮫の体の上へと飛び乗る。もし生きていたら、かなり危険な事だがその心配はどうやら必要なさそうだった。
巨大な鮫の胴体には、ぽっかりとした『穴』がいくつも開いていた。まるで『銃弾で打ち抜かれた』かのような傷跡だ。ただし、穴の大きさは銃弾よりもふた周りほど大きい。ちょうど、俺の肩にいる鳥と同じくらいの大きさだ。
そして、その穴から魔物の血液が今もなお流れ続けていた。
「お前の仕業か?」
「チュンチュン」
わかっているのか、いないのか。肩にいる小鳥は唄うように声を発する。
いまいち真相がわかりづらいが、それでも『環境魔物』と闘うなんてことにならなかった事を今は感謝しよう。今の俺ではそれは無謀でしかないのだから。
「まぁ、なんとか生き残れたな。今日も」
「ピヨピヨ」
心の中であれこれを反省事項を浮かべながらも、まだ『外』にいる事を思いだし気を引き締める。
そして、ついでに目の前の鮫の魔物もアイテムボックスの中に入れて俺は『ドア』の中へと帰ることにした。
◇
弾頭鳥 LV1011
種族 弾鳥
スキル
高速飛行 LV33
硬化 LV39
夜目 LV10
消音 LV19
猪突 LV68
◇
◆
「勝手に居着くのは、もう好きにしていい」
『外』でのハプニングも終え無事に帰ってきた俺は『玄関』でおすわりの姿勢のまま座る『グレイシア・ヴォルフ』の魔物と、その頭の上にいる『弾頭鳥』に向けてそういった。
あの後、俺が少し疲労を感じながら滑る氷の上を歩いて帰ると『ドア』へと帰ったきたとき、なぜか追い出したはずの狼がまた『玄関』の中でおすわりをして二本の尾をゆらしながら待っていた。
優秀な飼い犬ばりの行動に思わず立ち止まって唖然としていると、肩に乗っていた鳥が「ピヨピヨ」と声をあげながら、『ドア』の中に入っていく。しまったと思ったときにはもう『ドア』の中に居座られてしまった。
その後は戦いである。
追い出そうとする俺に、抵抗する狼。ピヨピヨと唄う鳥。
おかげで玄関の中は狼のスキルで白い息がでるほど寒くなった。
そしてついに観念してしまった俺は居着くのを黙認することにしたのだ。もしかしたら助けてもらったという恩をどこかで感じているのかもしれない。
「但し、お前等の事にたいして俺は何ら責任を取らない。
水くらいならわけてやってもいいが、飯は自分で確保しろ。そして面倒事などをおこしたら、いいか。お前等は即、【部屋創造】の能力で『強制退去』だからな。助けてもらったことに関しては感謝してるがこれだけははっきりとさせておく」
一応、注意事項を告げる。魔物に対してなに言ってるんだという自分もいるが、この魔物たちは相づちを打つようにタイミングよく鳴き声をあげてくるため、もしかしたら言語を理解しているのではと思ってしまうのだ。
「ばうっ!」
「チュン」
こんな風に……。
「それじゃあ、名前を決めるか」
鳥と狼じゃあ呼びにくいからな。
心なしか狼のしっぽの揺れる勢いがましている姿を見ながら名前を考える。
よし、決めた。
「狼のお前はこれから『雹』。鳥の方は『彗』だ」
「ヘッヘッヘッヘッ」
「ピヨピヨ」
喜んでいるのかいないのか、一匹と一羽は声をあげる。
「秋様」
いつの間にか開いていた『リビング』へとつながるドア。
そこには春が姿勢よく立っていた。
「なんですか、この獣臭い輩は……」
じとっとした目つきで雹と彗を見つめる春。もしかして苦手だったか?
「今日から住み着くことになった魔物たちだ」
「そうですか」
しかし思ったよりも反応が薄い。
みたときの反応が嫌そうだったので反対するのかと思ったのだが。
「この部屋はあくまで『秋様の能力』です。
私はただ『管理』をする者、秋様が使いたいように使い、したいようにすることに合わせるのが私です。私が『部屋』の『運営』に口を出すことはありません」
「なるほど」
口に出していない疑問に返事がくるが平然と納得する。既に慣れたことだ。
「それよりも、秋様。ご報告です。
先ほど、【部屋創造】における【部屋創造一覧】に新しい『部屋』の項目が追加されました。タイミングから考えるに、この魔物たちが条件の一端だと思われます」
「どんな部屋?」
「『魔物園』でございます。
使用『RP』は『6000』。そこから判断するに、『牧場』や『農園』と似た系統の部屋かと思われます」
「じゃあとりあえず作ってみて、よさそうであればこの二匹を放り込んでおくか」
「了解致しました」
「ばうっ」
「チュンチュン」
「おい!汚い足のまま『リビング』に入っていくな!」
春が開けたリビングへの『ドア』へとしっぽをぶんぶん振り回しながら入っていく雹。それに続き羽を数枚落としながら飛ぶ彗。
やれやれ、前途多難だ……。これからは少し『部屋の中』も賑やかになっていきそうだ。
この日、部屋の中に増えた新しい『住人』をみて俺はそう思うのだった。