第17話 赤い望郷
赤い装飾で飾られた、椅子を引き腰をかける。
私の髪と、同じ色の装飾。
髪の色は、ここに来る途中の廊下で澪さん……私と同じように日本から召喚された女の人に教えてもらった。ちなみに、澪さんの髪の色は青色。さらりとした長い青色の髪の毛は、美人な澪さんを雪の中で咲く花のように引き立てていた。
まだ会って少ししか経っていないが、召喚されたときに隣同士だったこともあり他の人よりも多く言葉を交わしている。たぶん一番若そうな私を気にかけてくれているのだと思う。見た目は、青い髪の毛も相まって冷たそうな印象を受けるが、時々見る私への目には心配の色が浮かんでいた。
私に姉がいたらあんな感じなのだろうか……。
「異世界の料理なんて、楽しみね」
隣の青い椅子に座る澪さんが、少し声を浮つかせながら声をかけてきた。
私の正面には銀色の髪の毛をした女の子が眠たそうに座っており、その隣……澪さんの正面には妙に鋭い視線をしている金色の男が座っている。右側には私が一番端なので誰も座っていない。
「確かに、楽しみです」
異世界の料理……本来なら食べる機会にすらそもそも恵まれないはずの料理を食べることができる。楽しみと言えば楽しみだ。
だけど……。
胸がチクリと痛む。料理と聞いて、一人で料理を作れないお父さんの姿が浮かんだ。
私にはお母さんはいない。私を産んだと同時に亡くなったそうだ。あまり聞くとお父さんに悪い気がして詳しい事はあまり聞いていない。ただ、そのときから私のお父さんは男手一つで今日まで私を育ててくれた。
急に私がいなくなって……お父さんはすごい心配しているだろう……。
いなくなった私を必死に探すお父さんの姿が、脳裏に浮かんでしまい胸が途端に苦しくなる。
……帰りたい。元の世界に。
──ぽたり。
その言葉が胸に浮かんだとき、私の心の弱さがたった一つの水滴となって眼からこぼれ落ちる。私の、弱さの結晶。
いけない。
それがこぼれ落ちてからそう思っても、既に遅かった。
「……日暮ちゃん?大丈夫?」
澪さんが私の名前を呼びながら心配そうにこちらを伺っている。
だめだ。心配をかけてはいけない。
「大丈夫ですよ」
私が笑いながら返す。
「そう……?何かあったら、私を頼ってね?力になるから」
「ありがとうございます」
少し疑問が残っているような表情を浮かべながらも、澪さんはそれ以上追求をしてこなかった。本当に優しい人なのだと感じた。
「フン……」
鼻で笑うような声が聞こえ、その方向に視線を向ける。
視線の先では、金色の椅子に深くもたれ、頬杖をついた金色の男が、見下すような眼で私を見ていた。
何なのだろう。私は、何か彼に不愉快なことでもしたのだろうか……。
「……あなた、今の態度は他人に対して、失礼がすぎるんじゃないかしら」
なんとなく、いたたまれなさを感じているとき、隣から怒りの感情を少しだけ乗せた声が発せられる。
澪さんだ。
私は慌てて「大丈夫だ」と言うが澪さんは取り合ってくれず、さっきまで優しいと感じていた瞳は冷たい視線となって金色の男へ向けられている。
私のために怒ってくれるのは嬉しい。それに、確かに少しむっとした。
でも、あまり大事にはしてほしくなかった。
「赤のお前、よかったら俺がお前を殺してやろうか?」
は……?
殺してやる……?澪さんの言葉も無視して、この男は一体何を突然言っているんだ。
私は混乱する。
男の言葉の真意が掴めなかった。
殺してやろうかと言われ、「はい」と答える人はなかなかいないだろう。もちろん、私もそうだ。
ただ何故男がそんな言葉を投げ掛けて来たのかが分からない。
「……」
いや、それよりも……。
盗み見るようにちらりと横に眼を向けると、氷の彫刻のような無表情で男に凍てつかせるような視線を投げ掛ける澪さんの姿が目に入る。しかし、その見た目の印象とは裏腹に澪さんから感じる圧力がどんどんと強くなって行く。
はっきり言ってちょっと……いや、大分怖い。
どうやら澪さんは怒ると無言になるタイプの人のようだ。
「お前、聞いているのか?この俺が殺してやろうかと言ってるんだぞ?さっさと答えろ。それとも答えることができないほどお前は木偶なのか?」
金の男は、私に対し容赦のない追撃の言葉を発してくる。
「言っている、意味がわからない。急になんなんだあなたは」
私は思っていることを男にそのまま告げる。年上に見えるので敬語を使おうかと思ったが、必要ないだろうとやめた。敬語は敬うべき者に放たれるべきだ。
「意味が分からない?フン、ならはっきりと言ってやる。お前じゃ弱すぎてこの世界を生き残れないから、苦しんで死ぬくらいならこの俺が殺してやろうかと言っているんだよ」
──弱い。
金色の男が発した、辛辣な言葉は何故か何度も心の中でこだましていく。
すぐにでも、否定の言葉を発したかった。でも、言葉がでてこない。何と、否定の言葉を発したら良い?
きっと、この男にはさっき少しだけ流してしまった涙を見られてしまったのだろう。だから声をかけてきたのだ。
お前じゃこの先生き残れないぞ、と。
私は、どうすればいいのだろう。なんて言葉を返せばいいのだろう。
……分からない。
私は今ここにいる、同じように召喚されて来た他の人たちに比べれば、やっぱり弱いのだろうか。確かに、拉致されるように突然異世界へと連れてこられたというのに、みんな顔に悲哀や絶望といったものが浮かんでいない。
元の世界に戻りたい……。そう思うのは私だけなのだろうか。
でも……。
『元の世界には、戻れないと思ってくれて良い』
もう元の世界に戻る事は出来ない……。
あの白い、頭の中までその白さに染められそうなほど白一色だけの空間。そこに佇む白い男は、感情の起伏を見せずに淡々と私に告げる。
『お前は今から異世界へ勇者として召喚されることになった』
『……え?』
『サイコロを振りたまえ』
『私は……何も了承していない……。異世界には、行きたくない……です』
私は異世界というものに興味はなかった。それにお父さんのこともあったので異世界へ行くのを断った。だけど……。
『それはできない。勘違いしているようだがお前に選択権はない。これは空中で林檎を掴んだ手を離せば林檎が地面に向かって落ちるように、そういう法則にすぎない。川が上から下に流れるように、命が生まれては死んで行くように、世界から世界へと人が渡るという一つの法則にすぎない』
『……』
『事故にあったものが、皆望んで事故に合っていると思うか?突然トラックに轢かれたものが、ある日頭上から鉄骨が降って来たものが、望んでその事故に巻き込まれたのだろうか。
答えは、否。
災難に合う者というのは得てして選択肢など与えられないものだ。ただただ与えられた結果のみを受け入れるしかない。今から振るサイコロなんか、まさにそのいい例だな』
男はいつから握っていた両手で持つ程大きなサイコロを見つめながら、言う。
理不尽だと思った。そして、同時に勝手だと思った。自分で、今私をここにつれてきておいて、まるで自分の意志でやっていないかのように、他人事のように語るその口調に。
『誤解があるかもしれないから先に言っておくがな。俺はお前を異世界へと連れて行く、仲介者にすぎない。勇者の存在を望み、召喚を実行したのは俺ではなく召喚の先にいる者たちだ』
私の思考を感じたのか、男は私に感情を感じない声で告げてくる。
私はそれを聞きながら、心にもやもやとした暗い何らかの感情が溜まっていくのを感じた。それは、以前にも感じたことがあったものだ。
小学生のとき、毎日同じ服を着た男の子がいた。
その男の子は、ただ毎日同じ服を着ているという理由で殴られたり、侮蔑を受けたりしていた。特に汚いとか、嫌な匂いがするというわけでもないのに。ただ毎日同じ服を着ているという理由で……。
私はそれが良い事だとは思えなかったから。正しいことだとは思えなかった。あるいは父譲りの正義心が私をそうさせたのかもしれない。
私は、その男の子をかばった。
すると、いじめはすっぱりと止んだ。
そして、ある日いじめという刃の矛先は私に向けられた。
……。
どこにあてることもできない。世界の法則のような理不尽に対し何も出来ないもやもやした気持ちが私の中で募っていく。
『向こうの世界に行ってから、帰ることはできるのか?』
私は、少しでも希望を見出だすためにも男に質問をした。
せめて帰る手段があるのなら、異世界へ行っても希望がある。
しかし、そんな柔な魂胆も早々に砕け散る事になった。
『それは無理だ。何故かは答えない。しかし、あえて告げる事があるとすれば、お前がこれから行く世界には"異世界から人が現れる"というのがある程度"常識"として浸透している。そして、お前の世界はそうでない。それがある意味の答え。元の世界には、もう戻れないと思ってくれて良い』
もう二度と元の世界に戻れない……。
それをはっきりと告げられた後の記憶は曖昧だ。男に言われるがままに気がつけば異世界へと連れてこられていた。理不尽を、享受してしまった。何も抵抗することができずに……。
考えれば考えるほど、自らの弱さが露呈していく。
男の言葉に言い返すほどの何かを……私は、持ち合わせてなどいなかった。