第11話 日常な混沌
『三津頭白熊』はある一点の方向をじっと見続けていた。決して視線を逸らす事無く、3つの頭についた6つの視線を、ある一点の方向に集めている。
ある一点の方向。
『三津頭白熊』は俺と向かいあって佇んでいるがその目に俺の姿は映っていない。見ているのは俺の背後にある何かだった。
──俺の背後にある何か。
答えには、意外にも一瞬で辿り着く。『背後にある何か』に、心当たりがあったのだ。
『三津頭白熊』が産まれた光の玉と同じくらいに大きかった光の玉。一番初めに見て踵を返したあの光の玉だ。
──逃げなければ。
そんな思いが、頭の中を支配する。
当然だ。
ここは大きな光の玉と玉に挟まれる丁度真ん中の場所。後ろにあった光の玉だって、これまで見て来たことから考えれば、何がどうなっているのかは想像に容易い。ここにいて良い事等何一つないのは、絶対に確かだ。
そう、頭では思うものの、体は逃げることよりも先に背後を確かめることを優先してしまう。『三津頭白熊』の視線の先に何が在るのか。それを一瞬でも確認するため、首を後ろへ向ける。
視界に入って来た景色を見て、思考が一瞬すべて止まる。起こっている事態を受け入れるのに、それから数秒の時を要した。
──『砂漠』。
視界の悪い吹雪の中にいたからか、それとも『三津頭白熊』のプレッシャーにあてられていたからなのか。とにかく俺はそのとてつもない『変化』に気がついていなかった。
『雪』の景色のそのほんの少し先では、さっきまでの『湿原』の面影などは微塵もない、『砂漠』の世界が広がっていた。
分厚い雲によって、夜のように暗く、激しい雪と風の吹き荒れる『氷雪』の環境とは対照的に、『砂漠』の環境では雲一つない青空が広がっている。
細かい砂の上では、環境の変化に耐えきれなかったのだろう。湿原で水たまりに潜んでいた魔物などが所々で干上がっていた。
さらに奇妙なのは『砂漠』と『氷雪』の境界線の場所だ。地面に積もった雪が、砂漠の暑さで溶けるものの、さらにまた『氷雪』の環境に影響され凍りつくといった現象が起きているのだ。
まるで環境そのものがせめぎあっているのかのような光景だった。
──『湿原』は、『砂漠』と『氷雪』の二つの環境に変化していた。
そして、その環境の境界線の先に一つの大きな砂の竜巻があった。
それは砂漠の環境の中でも特に異様な存在感を放っていた。空まで届くほど高く、太い大きな竜巻。それこそが『三津頭白熊』の視線の先にあるものだった。
いや、もしかしたらその竜巻を見ているのではないのかもしれない。
その中。
質の悪いスクリーンのような渦巻く竜巻の表面には、黒い大きな影が映っていた。巻き上がる砂と渦巻き続ける竜巻によって、ゆらゆらと揺れながらも一定の形を保つその影の主を、『三津頭白熊』は見ているのかもしれない。
砂の竜巻に映る、黒い影がじわじわと濃くなっていく。
やがて限界まで影の黒さが濃くなったときだった。
竜巻の勢いに逆らい、激しく風のぶつかる音を立てながら黒い影から湧き出るように竜巻から出て来た。
それは、巨大な『剣』。
鉄ではない、砂を固めて作ったような剣が竜巻の中からまず姿を表す。よく見るとその剣の表面には砂の色に混じって赤黒い色がついていた。
次に竜巻の中から姿を表したのは『肉塊』だった。
ぽたぽたと剣の先から落ちている赤黒い液体。その液体を上に伝っていくと、剣に刺さった白と赤が混じる肉塊に辿り着く。その肉塊に一本の長く白い角が生えているのが見え、それが何であったのかを察した。
先ほど見た『モノケロス』。それが見るも無惨な姿となって『剣』に突き刺さっていたのだ。考えうる限りで最悪の再会だろう。
そして、最後に竜巻から姿を表したのは『騎士』だった。
いや、『騎士のような何か』と言ったほうが良いのかもしれない。その体は、砂を彫刻して作った騎士の鎧らしき体をしている。しかし生えている四肢は、まるで戦うために産まれて来たかのように、そのまま剣になっているのだ。足は先に行けば行くほど細く尖っていく、ランスのような足。それを砂漠に突き刺し、砂の騎士は体重を支えている。
砂の騎士はゆっくりと『三津頭白熊』の方向に進みながら、剣を横に振り、刺さっている肉塊を砂漠の上へ放り投げるように捨てる。
肉塊は砂漠の砂を点々と赤く染めながら、何度も地面の上を跳ねては転がっていった。
やがて『三津頭白熊』と向かいあうように砂の上で立ち止まる砂の騎士。両者はお互いにらみ合いをしたまま一向に動く気配はない。
俺はこの機を逃さず、両者の丁度真ん中に位置するこの場所からひっそりと移動する。内心いつ戦いに巻き込まれるのかと冷や汗が止まらなかった。
♦︎
ウォーリア・キルギル・サンドナイト LV1611
種族 魔物鎧・環境魔物(砂)
スキル
砂操作 LV72
砂圧縮 LV79
水分吸収 LV70
剣術 LV71
体術 LV72
ユニークスキル
砂漠化
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「……?」
俺はにらみ合っている二体の魔物から距離をとりつつ、砂で出来た騎士の魔物に【鑑定】をかける。そして、ある事実に思い当たる。
──もしかして、このめまぐるしい環境の変化は『魔物』によって起こされているのではないか?
俺は、環境の変化が起こり魔物が現れるのだと最初は思っていた。しかし、それは全くの逆なんじゃないのか。
思えば、湿原が突然凍りついたときも『三津頭白熊』が光の玉として現れたときだった。
俺はあのとき、なんて最悪のタイミングなんだと思ったが、あれは偶然ではなく必然として、ああなったのではないのか。そんな考えに思い至る。
前にドアの中で『外』を眺めていたときだってそうだ。『雪』の環境が『外』で広がったとき、たまたま見ることができた氷の不死鳥もまた『環境魔獣(氷)』という種族があったのを俺は覚えている。ユニークスキルにも『三津頭白熊』のような『氷雪化』に似たようなものだったはずだ。
この『外』で一番気をつけなければならないのは、もしかしたら、彼ら『環境魔獣』なのかもしれない。
「「「GOOOOOAAAA!!!!!」」」
『三津頭白熊』の爆弾のような雄叫びが、辺りに響き渡る。
あらかじめ取っておいた距離を感じさせないほど、体にびりびりと伝わってくる音の衝撃。近くにいたならばこの雄叫びだけで戦闘不能になっていたかもしれない。これなら俺がいくら隠れたり、認識をごまかしたところでそんなの関係ないからな。攻撃としての相性も抜群だ。
「あれ……結構本気で不味かったな……」
悲惨な状況を想像し、ぶるりと震える体を強引に動かす。
──とにかく、もっとここから離れなければ
二体の『環境魔獣』は既に戦いはじめていた。二体が戦っているであろう場所では、雪と砂が強烈に吹き荒れており、姿を伺う事はできなかった。ただ、時折その中から聞こえてくる爆音が、起こっている闘いが苛烈であることだけは保証していた。
周りをぐるりと見回す。
今まずいのは、その二体ではない。
それぞれの環境に住む魔物達がぞろぞろと雪の上を、あるいは砂の上を歩いて集まってきている。一部では、既に互いの環境に住む魔物を攻撃し合っていた。
ここは既に戦場だった。
飛び交う砂と氷の中、俺は逃げるために走り出す。魔物のいないところを選び、走り出したら、自然と氷雪と砂漠の境界線を添うように走っていた。
両脇からじわじわと迫ってくる魔物の波。
ぐらり。
突然地面が、揺れる。その揺れのせいで足がもつれ、転びそうになるが寸前の所で踏みとどまった。
揺れは長く続いている。地震のような揺れ方じゃない。細かく振動しているかのような、そんな揺れ方だ。
二体の環境魔物の仕業?
いや、俺はやつらに背を向けて離れるように走っている。その地面の振動は、俺の『前方付近』で起きているように思える。なので、あの二体の魔物の仕業ではない。とするとまた新たな『環境魔物』が産まれたのか?
揺れは少しずつ収まっていく。
周りを見回してみれば、魔物達もその場で立ちどまっていた。ただ、威嚇するかのように地面に向けて吠えたり、武器を構えたりしている魔物がいるのが少し、気になった。
地面の揺れが完全に納まり、走り出そうとする。だが再び地面の揺れが起きた。
「何なんだ一体……」
先ほどおこった細かい振動のような揺れではない。地下が爆発したような一瞬の激しい揺れに再び足を止められる
視界の隅に巻き上がる砂漠の砂が見え、目を向ける。
──穴だ。
巨大な穴が砂漠の上に開いていた。砂漠の砂が深すぎて見えない、暗い闇の底へさらさらとこぼれ落ちている。さらにその穴の周りでは、穴の爆発に巻き込まれたのか魔物の体が細かく飛び散って砂漠を赤く染めている。
穴から眩い光が漏れ出る。
それは、あの光の玉のように薄い虹色を帯びていた。
「嘘だろ……」
その穴から、まるで温泉を掘り当て地下から噴き出す湯水のように、魔物が続々と穴から噴き上がってきた。噴き上がってくる魔物は、まるで統一性がなく、ゴブリンのような人形からムカデや鳥のような魔物まで雑多だった。ただ、異常に数が多い。続々と集まっている魔物達に並ぶほどの数だ。
俺は全力で自らに【ペテン神】をかけ逃げようとする。しかし、行く手を光のビームらしきものに遮られる。寸前のところでそのビームに触れずに済んだが、その先の雪の結晶の魔物はそのビームに貫かれて溶けていた。
そして、そのビームに続くかのように辺りを飛び交う攻撃。既に場は二つの環境の魔物に、穴からわき出して来た魔物が混じり、乱戦になっていた。これではいくら【ペテン神】をかけ、存在をごまかしたところで流れ弾に当たって死んでしまう。
俺はのろのろと歩く、岩の蟹の影に身を隠す。
最悪の状況だ。俺が倒せる魔物は、せいぜい『300LV』近い魔物だけだ。『外』においての『300LV』は正直底辺といっても過言ではない。だからこそ、今回の『外出』では『戦う』ことではなく『生き残る』ことを目的に置いたわけなのに。
やはり、『外』はとてつもなく厳しい。それを今回の『外出』で心底理解した。
「ふぅ……」
岩の蟹の側で身を伏せながら溜め息をつく。岩の蟹は時々飛んでくる火の玉や石の礫をものともせずに、砂をはさみで掴んでは口に運んでいた。
「ここまでか……」
ふと空を見上げる。空にいる魔物の、そのさらに上には小さな黒い点のような何かがあった。少し気になり、その黒い点を見続けているとそれは急激に大きくなっていく。そして辺り一帯を大きな影がすっぽりと覆い尽くしたところで、ようやくそれが『落ちて来ている巨大な何か』だと悟る。
めちゃくちゃだ。それしか言う言葉が見つからない。『外』は、『異世界』は俺が思っている何倍以上も厳しく、常識が通じなかった。
「よし!」
頭上で、大量の空気と質量がぶつかる音を聞きながら決意する。
それは、今日の『外出』の3つ目の目的を果たす決意だ。
「──【部屋創造】『500RP』を消費し『玄関』を設置」
その言葉を口に出した途端、蜃気楼のような『ドア』が目の前に現れた。少しずつ、そのドアは幽霊が体を得るように、量感を帯びていく。
今回の『外出の目的』は3つ。
1つ目は『生き残る事』。
2つ目は『外を知る事』。
そして3つ目が『新しいドアを外に設置する事』だ。
【部屋創造】の能力は『外』と『部屋の中』を繋ぐ『ドア』を設置することができる。
これはどこの場所でもつなげることができる。
例えばA地点にドアを設置し、さらにもう一カ所遠く離れたB地点にドアを設置してもドアの中に入れば、同じ『部屋の中』に辿り着く。
そして、部屋の中からはそれぞれの地点、A地点とB地点へ行く事ができる。つまり設置すればするだけ部屋の中から行ける場所が増えるということだ。
もちろんこれには『RP』の消費が伴う。外と部屋を繋ぐドアの設置に『500RP』。そして外と中を繋ぐドアは『玄関』にしか設置できない。つまり必然的に玄関の創造も必要になるため、合計で『1000RP』だ。
さらに『ドア』は下に土台が無ければならない、横にしたり寝かしたりして設置することはできないなどの細かいルールもある。
『RP』を貯め、『ドア』から離れた場所に新たな『玄関』を設置し少しずつ『先』へ進んでいく。これが俺と春の作戦だった。こうして少しずつでも遠くに進んでいけば、いつかは人里や過ごしやすい環境なんかにも辿り着くだろう。
『ドア』が完璧に設置されたことを確認すると、俺は『玄関』の扉を開く。頭上にはすぐ側まで巨大な何かが迫って来ていた。辺りは落ちているそれの影に包まれ夜のように暗い。それでも魔物達はそれに気づいていないのか未だに殺し合いを続けている。
キィと軽快な音を立てながら開く扉。
中では浅くお辞儀をした春が出迎えをしてくれた。
……出かける時も同じ格好だったけど、あれからずっとお辞儀してたんじゃないよな?
「おかえりなさいませ、秋様」
「ああ、ただいま」
ドアを忘れずに閉める。その直後にドアからとてつもない振動音が聞こえてきたが玄関の中では特に何も影響はない。
──次から、少しずつでも『外』にいられる時間を増やして行こう。
そんな決意と共に、本日の『外出』は終わりを迎えた。
◇
その場所は、静粛に包まれていた。
『氷雪』と『砂漠』の環境が入り乱れていたその場所。
そこでは、先ほどまで多くの魔物が乱闘していた。敵も味方も分からず、ただ持っている武器を振り回し、振り回されるだけの混沌とした乱闘。
しかし、その場所は既に乱闘の面影は全くといっていいほど存在しない。魔物の死体も、戦闘音も、何もかもがなくなっていた。耳を澄ませば空気の流れる音が聞こえてくるほどの静粛。
戦いは尋常じゃない衝撃音とともに終焉を迎えた。
空から落ちて来たのは、『山』だった。
標高600m近く。
そんなに高くない標高とは裏腹に、視界に入り切らないほどの大きさをその山は有していた。表面には木が豊富に生えており、麓にはぽっかりとした巨大な穴がいくつかあいている。
そんな山が丸ごと空から降ってきたのだ。
そして、広がっていた『砂漠』と『氷雪』の環境をすっぽりと覆ったのである。
入り乱れていた魔物達は、そのとてつもない質量になす術も無く、潰れるようにして死んでいた。かろうじてだが生きていた『三津頭白熊』と『ウォーリア・キルギル・サンドナイト』も、山の表面に生息している蠢く触手のような植物に根こそぎ吸収されてしまった。
その山が落ちて来てからしばらくしたときだった。
突然その山はゆっくりと宙に浮かび上がる。
いや、宙に浮かびあがったのではない。持ち上げられたのだ。
山にいくつかあいている巨大な穴。その穴からは、いつのまにか短い手や足が生えていた。近くづくと、まるで巨大な壁のようなその手と足が重たい山の甲羅を持ち上げて支えている。
そして、残りの穴からは、顔としっぽが穴の中から様子を伺うかのように潜んでいた。
『亀』だった。
その山を遠くから見た姿。背負っているものが『山』という点以外では、紛う事なく『亀』そのものだった。
山の甲羅を重たそうに巨大な四肢で持ち上げ、ゆっくり歩き出す。歩くたびに、とてつもない重量が轟音となって地面に伝わる。
その亀の足がのっそりと離れた後の地面からは、早再生したビデオのように植物が忙しなく生えてきていた。それと同時に辺りには光の玉がいくつも現れ、続々とまた新たな魔物が産まれてくる。
『砂漠』や『氷雪』の面影は、もうどこにも無かった。
一瞬にして森の景色が広がるその場所は、既に新たな環境が始まっていたのだ。
そして数日後、その山を背負った巨大な亀もまた先の尖った鉄のミミズのような魔物に根こそぎ中身を食われることになる。
ここは『終焉の大陸』。
魔王も、勇者も、竜王も、どんな強者もそこにだけは近づかないといわれる人外魔境の地。