第124話 バハーラの氏族
遅れて本当にすいません……
優雅な移動方法とは、自らの労力を払わずに移動をすることだ。
それもできる限り徒歩でもいいような移動がいい。小市民には決して真似できないだろう。それを成しえる自分こそがまさに特権階級なのだと、周囲に知らしめて自分で酔いしれることができる。
だから今この瞬間もそうなはずだ。
ソファに座りながらも街を進んでいる。まさに特権階級の成し得ることで、とても楽だ。
なのになぜか気分があまり良くはないのは、進んでいる街が悪いからに違いなかった。
「ひぃっ! ま、魔物っ!?」
視界の端で魔物の頭部がこちらを向いて並走していることに気づいて、情けない声が出る。そして声に反応し、魔物の頭部を持っていた大男が振り向いた。魔物の恐ろしい顔はあっちを向いてくれたが、代わりに粗暴な男の顔が向けられるのなら何の意味もない。
歴戦の戦士のような大男が、振り向き様こちらをじろじろと見てくる。
宙に浮かぶ石の板。そこに置かれたソファと座っている男女一組。その石の板を引いて歩く奴隷と……まるで舐めるように一通り目に入れてきた。あまりに不躾が過ぎる男だ。
その男は最終的に何か言いたそうな顔をしていたが、何も言わずして去っていった。
「……ちっ」
最後に、不快な舌打ちだけを残して。
「ふぅ……」
男の姿が見えなくなった途端、緊張が緩み息を吐き出す。それから徐々に先ほどの男の態度に腹が立ってきた。
なんなのだ、あの男は。誰のおかげでこの街が成り立っているのか、知らないのか?
これだから嫌なのだ。冒険者という野蛮な人種も、この街も。
「相変わらず無法な街だ……『テールウォッチ』。野蛮で秩序のカケラも感じない。いくら法律があっても、住む人間があれでは無意味だ。私が『壁』を立てなければ、白街すらあんな奴らの巣窟だったと思うと、ぞっとする。勇者様も、そう思いませんか?」
ソファに座る男はそう言って、隣で一緒に座っている女性に声をかけた。柔らかい笑みが浮かんだ麗しい顔が向けられ、いい香りが漂ってくる。思わず鼻の穴が膨んだのを男は自覚した。
「活気のある、素敵な街だと思いますよ。さすがは領地経営で敏腕と謳われる『ハウヴェスト領』の領主様ですね。私の国にも是非その手腕を学んでみたいという者が多くいます」
「そ、そうですか? ま、まぁ確かに。あれくらい粗暴な方が、労力としては頼りがいがあるといえるかもしれませんな、ははは。それにいざとなれば、あんな者はこの剣にて切り伏せてみせます。勇者様もご安心ください!」
「まぁ。それは頼もしいですね」
鼻の穴を大きくするハウヴェスト領主を見て、勇者は思う。見た目ばかりに拘っていて、実用性の欠片もないその剣にいったい何ができるのかと。
とはいえ口には出さなかった。いい気持ちになってくれてるところに水を差す必要もないからだ。
「せめて獣車にでも乗れるのでしたら、不快な思いをさせずに済むのですが……」
「申し訳ありません。街の様々なものを、自分の肌で直接感じていたいのです。それが我々の目的のために必要なことですから」
「はぁ、そうですか。これから行く場所も、ニアヘイヴの勇者様に付き合ってもらうほどの場所では決してないのですが、そういうのであれば。おいっ、デイヴィース。ああいう汚らしい奴らはしっかり避けろと言ってるだろう。気をつけろ、全く」
ソファの上から男が声をかけると、石の板を引いた奴隷がゆっくり振り返り頷いた。
「領主様」
そのやり取りを横で見ていた勇者が、領主に声をかける。
「僭越ながら……我々の社会に奴隷は必要不可欠です。だからこそ、いたずらに粗末に扱うのは控えるべきではないでしょうか。労力や護衛、それこそが奴隷の方の本懐です。そうした本来の役割に支障をきたすような無駄な働きは本末転倒だと思いますが」
「ふむ。それはこの移動方法のことを言っておられるのですかな?」
領主の言葉に、勇者は頷く。
「なるほど。確かに、デイヴィースは私の護衛も兼ねています。私たち二人の移動を兼ねて疲れさせ、いざという時に戦えないでは元も子もない。勇者様が危惧しているのはそういうことですね?」
「そうです。まさか奴隷が引くとは思わず、乗ってしまいましたが、私は全然徒歩でも問題ありません」
そこで一度領主の鼻が自慢げに膨らむ。
「いいえ! ご心配には及びません、勇者様! 私たちが乗っているこの石の板……これは『浮遊材』という、世にも奇妙な『宙に浮く状態を保った素材』なのです! 重さのすべてはこの石の板にだけかかっており、我々の重さを一切感じずに移動できているのですよ。感触としては、そう。子供が風船を引くようなものですな」
その言葉を聞いて、勇者は驚く。
その後領主に向けて、頭を下げた。
「そんな素晴らしい素材だったなんて。私めの無知がために、領主様には煩わしい問答をさせてしまい申し訳ありません」
「謝罪には及びません、勇者様。ですが、そうですな。お詫びということでしたら、よければ今晩私めとディナーでもどうでしょうか」
「ふふ、私でよければ……喜んで」
勇者が微笑みを浮かべながら答える。それを受けて領主の鼻が、嬉しそうに膨む。
それを見てさらに付け足すように、もう一度くすりと勇者は笑った。
「浮遊材、ですか。初めて見聞きしましたが、見たところ魔道具でも神器というわけでもなさそうですね。不思議です……世界にはまだまだ、私の知らないものがたくさんあります」
「いえ、勇者様。初めてなのも無理はありません。なにせこの浮遊材。蒐集家として名高い、あのチークテック商会のゴウィット会長殿ですら唸らせた一品ですので!」
「そうなのですね。貴重なものを領主様はお持ちなのですね」
勇者はそれが誰なのかわからなかったが、うまく相槌をうつ。そのおかげか、領主は嬉しそうに口を回し続けた。
「かつてこの地に存在した移動民族『バハーラ』は、この素材で宙に浮く街を作り、移動して生活していたとか。なんとも未開……いえ、特殊な民族がいたものです」
「なぜ、そんなふうに暮らす必要が?」
「色々諸説はあるようですが、なんでも地上に魔物を放牧し飼育していたため、だそうですな」
「それは……魔物の家畜化ですか」
魔物の家畜化は未だ成功例が多くない。あまりに魔物が不安定な存在だからだ。魔の月による凶暴化、進化による辿魔化、属性に偏った属性個体など……例をあげればキリがないほどに。
種族レベルの高い魔族なら変異をねじ伏せながらの飼育が可能だとしても、人間の種族レベルでそれは敷居が高い。だから現在も魔物の家畜化を行なってるのは、高レベルの好事家か極端に魔素濃度の低い地域だけだ。魔獣国が熱心に研究しているそうだが、成功の話はついぞ聞かない。
だから興味深かった。原始的な民族の伝統が、思わぬ形で最先端の技術を凌駕するなんて。興奮気味に勇者は領主の話に耳を傾けた。
「とても珍しい方々なんですね。よければ、彼らにお話を伺えないものでしょうか」
「それは難しいでしょうな」
領主が首を振りながら答える。
勇者が不思議そうに尋ねた。
「その方々はすでにいなくなってしまったのですか?」
「いえ、会おうと思えば会えますな。それこそ、これからすぐにでも。そうでなく、すでに魔物の飼育する文化そのものが途絶えてしまっているのですよ。バハーラは街ごとに飼っている魔物が違い、その種類によって様々な地へ赴いては妙な行動を繰り返していました。それを彼らは儀式だと言っておりましたが、今思えばこの不可解な儀式とやらが魔物を安定させる理由の何か要因につながっていたのでしょうな。しかしこの儀式はもうすでにできなくなっており、飼育が困難となった魔物はとっくに放されてしまいました」
「そうですか……残念ですね。どうして儀式ができなくなったのでしょうか?」
「色々な理由があげられるでしょうな。人口の変動や急激な社会の変化。ですが一番大きいのはやはり、この『浮遊材』の入手が困難となったことでしょう。なんでも、ある場所に一定時間置いておけばどんな素材でも浮けるようにできたそうですが……。その場所も、よりにもよってバハーラが自分たちで破壊してしまいましたよ。くだらない争いに巻き込む形で」
一瞬自由にこの素材が生み出せると聞いて高揚する勇者だったが、続く言葉でその気持ちも霧散した。がっかりする気持ちは、奇しくも領主と同じだった。
「奴らは救えない連中ですよ、全く……。『神の地』として自分たちが崇める場所を、自分で破壊するバカ共がどこにいるのか。それこそ残しておけば金などいくらでも稼げただろうに」
「……神の地?」
「えぇ、そうです。お話したように、浮遊材はバハーラにとって文化の中心ですからな。とても神聖視されていたのです。私は縁起の良いものは目がなくてですな。少しでも運をあげるためにこうして珍しいものを──」
「──仕方がないことかと思います」
「……はい?」
途中で勇者の声に遮られる。気持ちよく話していたところだったので領主は言葉を続けていたかったが、声に妙な緊迫感がこもっていることに気づいて話を止めた。
「神の座す場所は、一つで十分という導きなのです。その一つは当然ニア・ヘイヴの地であって、偽りの神の地はなくなるべくしてなくなりました。残念ですが、とても必然的なことだったと思います」
「……なるほど」
どうやら知らず知らずのうちに、あまり触れてはならない話題に触れてしまったようで、領主の顔に汗が流れる。そして最終的に──
「……確かに、そうですな」
そんなぼんやりとした相槌を打つにとどまった。
それからすぐ、領主は別の話題を勇者へと振る。荒れそうな話題は避けるのが大人の嗜みだ。
「それにしても先日、何やらテールウォッチで魔族が出たなんて軽い騒ぎがあったようですな。それとは別に、冒険者ギルドの連中も何か慌ただしく樹海を出入りしているとか……。やれやれ……面倒ごとが立て続けに起きてるようですが、どうにか壁のこちら側で止まっておいてほしいものですな」
「おそらく『神敵』が近くにいるのでしょう」
「神敵?」
「神の敵です」
「…………」
せっかく話題を変えたのに、また同じような話題に戻ってきて領主の顔が引き攣る。
「真なる幸福を……人々の安寧を脅かす、厄災を引き起こす神敵は速やかに排除することが必要なのです」
「……確かにそんな恐ろしいのが私の街にいられるのは困りますな」
よく考えてみれば自分に全く関係のない話でもないと、神妙な顔で頷く領主。
「ふふふ。ご安心ください領主様。私がお守りします。そのためにこの街へ来たのですから」
「あ、ありがたい。勇者様のご加護を得られるとは……。日頃から運を集めていた甲斐があったというものです」
つい先ほど勇者を守ると息巻いていたことが頭の隅で引っかかっていた領主だったが、背に腹は変えられないため素直に言葉を受け入れた。
「私の加護ではなく、神のご加護です」
「そ、そうでありましたな。ははは」
「もしよければご領主様も、神のご加護を得てみてはいかがでしょうか? 神は真なる祈りに、必ずや力という明確な答えを示し、領主様を導いてくれることでしょう」
「…………」
ニア・へイヴはベリエットやシープエットと同様、『勇者』という突出した戦力を持っている。それに加えて国民の平均レベルがやけに高いことも特徴の一つとされていた。他の勇者を持つ国……ベリエットやシープエットと比較してもそれは突出した値で、魔族にすら匹敵しかねないと言われている。
その理由をニア・へイヴは、神の加護と称して国民に与えられる【生活魔法】を筆頭とした様々な『スキル』のおかげだとしているが……。実態についてなかなか真実が外に漏れてこないのが現状だ。
要するに──あまりに得体が知れない。
「戦いなんて野蛮なことは私のすることではないのであれですが……他に必要となることがあれば……その時に考えてみましょう……」
領主は歯切れ悪く、そう答えるしかなかった。
「しかしその神敵とやらの位置は、正確には分からんものなのでしょうか? この街にいるのが分かるならば、正確な位置も分かって良さそうですが……」
「もっと感覚の鋭い方でしたらそれも可能だったと思いますが……私より能力の高い位階が上の方々は皆お忙しい方ばかりで……。領主様にはご心配とお手間を煩わせてしまい、申し訳ありません……」
「い、いえ。謝ってもらうほどのことでは……。しかしその……大丈夫なのですかな? こうして街をうろついているだけで。急がなければ、大事になりそうな気がするのですが……」
そう不安そうに尋ねる領主に、安心させるように満面の笑みを浮かべて勇者は答えた。
「心配はいりません。自ずと導かれていくのです。私が『厄災の寵児』に殺意を持つ『厄災』である限り、必ず」
目的地すら分からず領主についてきていた勇者だったが、やがて着いたのは、テールウォッチの石街にある一軒の屋敷だった。
家主と思われる人物に迎えられ、屋敷の中を案内される。その道中に屋敷の内部をさりげなく観察していた。広い屋敷や有名な調度品なんてものは、立場上見慣れていて驚きはない。それよりもむしろ見窄らしさが目についた。作りは立派だし、著名な家具や美しい照明で見栄えよくしているのはよく分かる。
しかしそんな家具の裏から溜まった埃が見え隠れし、降り注ぐ明かりにゴミの影が混ざってしまえば、精彩さは必然と失われていく。早い話が、広い屋敷を管理しきれていないのだ。自分たちを先導するこの男は、身の丈と住む場所を釣り合わせることができない人物だ。そんな印象を抱きながら応接間へと通される。
領主が座る隣の席に勇者も腰を下ろす。少しして領主と家主が会話を始めた。
部外者の勇者は口をつぐみ、会話に耳を傾けるだけにとどめる。
「ほら、渡しにきてやったぞ。これがほしかったのだろう」
領主が袋を取り出し、それを家主の所へ投げるようにして雑に置いた。置かれた袋からジャラリと音が鳴る。
その袋に家主は、卑しい笑みを浮かべながらがっつくように手をのばした。袋を開けて、不躾に中身を数えている。
「これは……どうもありがとうございます。ご領主様」
「あぁ、感謝しろ。当たり前のことではないからな」
「もちろんです」
家主へ向けた領主の態度は、勇者である自分にこれまで向けてきたものとは違う。明確な序列を感じさせた。
ただ心なしか、少しこちらに見せつけていると思うのは気のせいだろうか。チラチラとこちらを伺うような領主の視線を勇者は感じていた。
「と、ところで、ですな」
引き攣ったような笑顔で、体の前で揉み手をしながら、伺うように家主が話を切り出した。
「相談なのですが……ご領主様。実は最近は物価が……少々あがっておりまして……」
「…………。それで?」
「その……ご、ご覧の通り、使用人も雇えず屋敷の維持もままなりませんゆえ……な、なんとか領主様からの寄付の増額を……考えてもらえないか……と……」
「…………」
その瞬間、バンッと大きな音が響き渡った。領主が持っていた剣を机に叩きつける。
「馬鹿者がッ!! お前みたいな能無しが、これだけの金を働かずして手に入れてるだけでも満足してみせろッ!! 全く渡さなくったっていいんだぞッ!! 私はッ!!」
「ひっ……も、もも、申し訳ありません〜〜〜!」
怒号に驚いた家主は飛び上がるかのような勢いで頭を下げ、机にこすりつける。
鬼のような形相を浮かべていた領主は震える家主を数秒睨みつけた後、ふと我に帰ったように表情を戻して冷静な口調で家主に告げた。
「しっかりとバハーラの不穏分子をまとめて黙らせておけ。それが完璧にできているようなら考えてやる。分かったな」
「はっ、ははぁ」
頭を下げる家主に、厳しい視線を送り続ける領主。
しかしそんな領主の何かに気付いた勇者は、そっと領主の耳元に近づいて小声で呟く。
「素晴らしい手綱の締め方ですね。お見事です」
「ッ……! い、いえ。領主として当然のことです」
そう言葉で返すものの、しっかり膨らんでいる鼻の穴を見て勇者はくすりと小さく笑った。
それから領主の用事も済んで、屋敷から去る時。
勇者が背後にある屋敷へ向けて振り返る。さっきから一つ気になっていることがあった。
「誰か……屋敷にいらっしゃるようですね。使用人は雇っていないとのことでしたが」
「……? 奴の家族でしょう。確か妻と娘がいましたからな」
領主が興味なさそうに答える。しかし勇者はそれを聞いて、さらに首を傾げた。
「いらしているのは、男性が二人のようですが」
「……となると、家族ではなさそうですな」
それを聞いて少し考える領主だったが、考える時間がもったいないとすぐ結論を導き出した。
「大方、来客が被ったのでしょう。唐突にした訪問……そういうこともありますでしょうが、流石にそこまでは責められませんな。心配せずとも、奴に反抗や悪巧みをするような気概はありませんよ。だからこそ来客の対応も、私を優先されたわけですからな。ははは」
「(確かに。あのやりとりを見れば、そのことに異論はありませんが……)」
妙に引っかかる気配だったような気がしてもう一度振り返る。よく見てみると、窓から微かに気だるげに外を眺める男の姿が見えた。
……確かに領主の言う通り、考えすぎだったようだ。屋敷にいる知らない男が気だるげに外を眺めていて、それがなんだというのか。
そう思い直した勇者は視線を戻し、関心を無くしてその場を後にした。
◇◆◇◇◆◇
いい加減、埃っぽい部屋の空気にも飽き飽きしてきた……。
時間を持て余しすぎて、磨かれていない透明度の低い窓から外をぼんやり眺めていると、今いる屋敷から立ち去っていく二人の後ろ姿が目に入る。あの二人がやってきたおかげで、俺たちはこんな埃臭い物置のような部屋に押し込められてしまった。
屋敷の主人も新しく来た客を優先したいのは分かるが、何もこんなひどい部屋に閉じ込めなくてもいいだろうに。おまけに「絶対に出るな、見つかるな」と強く念を押されてしまったのでトイレにすら行けずじまいだ。
だからといって、こんな場所で『ドア』を出すのも馬鹿馬鹿しいし……。
ふと、窓の外で立ち去る二人のうちの女の方が、振り返って窓越しにこちらを見ていることに気が付いた。恨めしさが視線にですぎてしまったのだろうか。さすがにそれは当てつけだとわかっているので、さりげなく視線を逸らした。向こうもあまり気にしていないのか、二人の気配が屋敷から離れていくのを感じる。
ちょうど同じ頃に、背後で部屋のドアが開く。
そちらへ視線を移すと、開いたドアの先で屋敷の主人が立っていた。彼はどこか疲れ果てたように口を開いた。
「……申し訳ないが、今はお帰りください。あなたがここにいることがあの方に知られれば、話が色々とややこしくなる。今だってもし鉢合わせていたらどうなっていたことか……」
その言葉は、俺に向けられたものではない。
この物置部屋に押し込められていたもう一人の人物……エステルに向けられたものだ。俺はあくまでエステルの付き添いとしてここにいるので横から口を出すのは避けていた。
……今回に関しては口を出そうか、少し迷ったけれども。
「待ってほしい。僕の考えだけでも聞いてみてほしいんだ。一回だけでも」
「いえ、内容はわかっています。聞く必要はありません。とにかく、どうせ、今すぐに結論を出せる話ではないのですから。頼むのでおかえりください」
それからエステルは食い下がってはいたものの、最終的に屋敷から追い出されることとなってしまった。
「「…………」」
どこか虚無感に包まれながら、言葉も無くテールウォッチの街を歩く。目の前で気落ちするエステルの背中が余計にそう感じさせるが、この姿もかなり見慣れてきてしまった所だ。
盗まれた獣車を取り返すために盗賊のアジトに踏み込んだのが、昨日のこと。
そのときエステルの依頼である『グレイスの奪還』も達成をしたのだが、そのまま二つ目の依頼もその場で受けることになった。
──『金字塔を打ち建てる』。
依頼を受けたときにエステルが言い放った言葉の意味を、俺は理解できずにいた。
理解できずに依頼を受けるのも我ながらどうかと思うが、だからといって選択肢は他になかったし、半ばヤケになっていたところも正直なところあっただろう。
しかしその理解できずにいたことも、昨日からエステルと行動を共にしていたことで、少しずつ分かりかけてきている。
エステルの言った言葉の意味、依頼の目的……そして最終的に何を成したいのかも。
「要するにテールウォッチを新しい国として独立させたいのか?」
そうして自分の中で導きだした結論を、口に出す。
昨日からやってきたのは、今日と同じように人と会うことだ。それも全員が大きな屋敷に住む身分が高そうな人のところばかり。俺は付き添うだけなのでずっと口を挟むことはなかったが、会話だけはひたすら耳に入れ続けたおかげで事態の把握が順調に進んだ。
振り返ったエステルは、意外そうな顔で答える。
「そうだよ。もしかして伝わっていなかったかな? やけにずっと黙ってるなとは思ったけど」
「……聞いていいことだったのか?」
「むしろ聞いてほしいよ。依頼なんだからさ」
「…………」
それもそうだな……。
なんだか暗号めいた言い方に、勝手に掘り下げてはいけない感じを感じていたが、気のせいだったようだ。もっと早く聞けばよかったな。
「でもこっちも言い方が悪かったかな。結構有名な言い回しだから知ってると思ってたんだけど」
エステルは苦笑して言った。
確かに、なんであんな言い回しをするのかは少し気になるな。変に日本的な言い方が、紛らわしい。
「どうやら現状の把握が必要そうだね。……少し、話そうか。僕も頭の整理がてらにいい機会なのかもしれない。ちょうど行き詰まっていた所だしね」
そうして俺とエステルは歩くのをやめて、道の端っこに寄って話合うことにすることにした。
「まず言っておきたいのが、独立といってもそんなに大袈裟な話じゃないんだ。ウォンテカグラを二つに割って内戦がしたいとかね。僕の目的は……終わりかけたバハーラという民族に、ただ最後の安住の地を分け与えてやれないかというだけなんだ。ウォンテカグラという広大な国からしたら、ほんのわずかでささやかな、必要性も大してないテールウォッチという場所をね」
「……どうしてこの場所なんだ?」
「ここにはね、行き場のないバハーラの人が多く集まっているんだ」
そういえばテールウォッチは滅んだ南の国の人を受け入れるための街だという話を聞いたのを思い出す。冒険者ギルドで登録をするときにそのことを利用した。
しかしそうなるとテールウォッチに居着いているのは、本来は南から逃げてきた人達なはずじゃないか? 元々ウォンテカグラの原住民であるはずのバハーラが、こんな南にまで来て住む必要がない。
「そこらへんは色々と複雑なんだけど……。まず本来のこの街の役割は、時間によって一段落して落ち着いていった。そして次に求められるようになったのが『壁』としての役割だ。国を滅ぼす実績をもつ危険地帯から守るためのね」
「まぁ……それはそうだろうな」
「役割が変わったことで、同時に起きたのが『印象の変化』だ。元々ケルラ・マ・グランデは、定住の民にとって凄まじい恐怖とトラウマの対象……救助者がいる間は勇気を保って繋ぎ止められても、一段落してしまえば、ケルラ・マ・グランデなんて自分の国を滅ぼした悍ましくて忌々しい場所でしかない」
「それで、この街から定住の民が離れたってことか?」
「もちろんそれも起きたよ。でもそれより逆のことの方が起きた。別の地域の定住の民にとって、都合が良くない人物をこの街に押し込める、みたいなね。都合が良くない人っていうのは、例えば『バハーラの氏族』とかさ」
「……なるほど」
バハーラの氏族。
昨日と今日で、それは一番よく耳にした言葉だ。そしておそらく一番会った人たちでもある。
一応説明ではバハーラの民族内で分かれた細かい集落のことを氏族だと聞いていたが、その集落の首脳陣を指した意味としても普通に会話の中で使われていた。
つまり昨日からエステルと一緒に会い続けてきた偉そうな人たちがバハーラ氏族だったのだ。エステルの話では、都合が悪いからとこの街へ押し付けられたそうだが……一体何をしたのだろう。
「氏族が押し除けられたのは、彼らが全員、元は『領主』だったからだ。この国の領主は、バハーラの氏族が務めるっていうのが原則として決まっていたんだ、最初はね。元来の土地はバハーラのものだという尊重から、そうなったみたいだ。でも移動民族のバハーラに領地の運営能力なんてあるわけ無いから、定住の民の有力者に委託して運営を任せる。そうしてお互いの立場に均衡を保っていた」
「それで、今は?」
エステルの口ぶりから、どうなったのかを察しつつも尋ねる。
「バハーラの氏族で今も領主をやってる人なんて、もう一人もいないね。死んだか、テールウォッチにいるかのどちらかだよ。そんなわけで、彼らは自分たちの管轄していた『領地』から押し除けられて、今はテールウォッチに住んでいるんだね」
そういう話なら、邪魔になるのも当然だ。
都合が悪くもなるだろう。『新しい領主』から見てみれば、古い領主なんて存在は……。
しかしそんな全員が領地から押し除けられる、なんてことがおこりえるのだろうか。起きたとしても、国として相当な出来事な気がするが。
いや……そういえばこれまで聞いた話の中に心当たりが一つだけあったな。
──『政変があったんだ。国名もその時に変わった』
自分が王族でなくなったことを、エステルは淡々と話していた。
「君の想像通り、政変は王政だけでなく従来の領主制も変えた。いや……むしろそちらのほうが、本命だったんだ。定住の民は、バハーラの氏族だけが領主になれることを良しと思っていなかった」
「なら、最初から誰でも領主になれる制度にしておけばよかったんじゃないか?」
「それだと最初に国の立ち上げをバハーラに認めてもらえないからね。家もない大量の難民に、ケルラ・マ・グランデを攻めた直後で戦力もない。立場は、定住の民より圧倒的にバハーラの方が上だった」
「話を聞いてると定住の民に、政変なんて起こせなさそうだけどな……」
「そうだね。定住の民にそんな力はなかった。だけど実際に政変は起きたんだ。なぜだと思う?」
定住の民に政変を起こす力はない。なのに政変は起きた。定住の民に都合のいい形で。それはなぜか。
とりあえず俺は頭に思い浮かんでいたことを、そのまま答えることにした。
「バハーラが政変を起こした」
実際のところ、理由はそれしかない。
エステルは深く頷く。
「よりによってバハーラの氏族から領主を自由に決めるなんて意見が上がるなんて、すごい不思議な話だよね。自分たちの既得権益を自ら捨てるに等しい行為なのに。馬鹿みたいなことだけど、それが本当に起きたんだ」
肩をすくめるエステル。
「すべてはとても巧妙に画策されていた」
瞳を真剣な色に塗り替えエステルは言葉を続ける。
「そもそもどうして定住の民は、そこまでして領主制を変えたかったのか。それは質素さに耐えられなかったからだ。新しい国は、国民が飢えずにいられたがそれだけだった。食事の選択肢が豊富なわけでなければ、余暇だって多くはない。バハーラよりはるかに経済大国から来た彼らにそれは耐え難かったんだと思う」
あと資源があってもバハーラの文化的な儀式のせいで、それが採取できない、なんて不満を抱かせたこともあったそうだ。付け加えるようにエステルが説明してくれた。
「定住の民に同調する一部のバハーラ氏族の理由もまた同じだ。すべては『豊かさ』のために起きた出来事だった」
「バハーラは牧歌的だって話じゃなかったか?」
「そうだね。彼らにとって質素さこそが当たり前で、豪奢さなんて縁もゆかりもない。でも……『だからこそ』ってこともあるんだ」
そう言って、バハーラの氏族に何が起きたのかをエステルは説明しはじめた。
結論から言うと定住の民は一丸となって、領地の発展する速度に南北で大きな差をつけたそうだ。 愚鈍なほど成長しない南部。一方で北部は著しいほどの発展ぶりを見せた。これまでにない新しい物や、珍しい異国の物が簡単に手に入るようになって、楽しむことや気持ちのいいことに振り切った商品も溢れかえるようになった。
確かに、『だからこそ』なのかもしれない。
これまで質素に生きてきたからこそ、その刺激はあまりにも強烈に感じられたのだろう。これまでの生き方を変えるほどまでに。
「北側の領主は『贅沢の味』を知ってしまったんだ。文字通りそんな刺激に酔って溺れた状態で『もっと発展するには領主の自由化が必要』だなんて唆されてしまえば、案外人間は頷いてしまうものみたいだね。きれいに南北で、バハーラは二つに割れてしまったよ」
さらに豊かになりたい北側の経済派と、これまでの生活を維持したい南側の伝統派。
なんだか、前の世界の話みたいで少し辟易するな……。せっかく魔法もある異世界なのに……。人の住むところなんて、なんだかんだでどこも変わらないということなのだろうか。
「そしてそれからの結果は……言うに及ばないよね」
「…………」
二つに割れたバハーラ。対照的に定住の民は一丸となって北側を支持している。
こうなってしまえば、いくら戦力がないとはいっても数にかなりの差が生まれるだろう。正直この時点で勝ち筋はあまりないように思えた。バハーラは割れてはいけなかったのだ。
ただ……不思議なのは北側のバハーラ氏族たちは、なぜそんなにも、経済派として領主の自由化を推し進めるほど自身満々だったのだろう。成し遂げた先に待っているのは、純粋な競争しかないのに。
「簡単な話だよ。彼らは南側のすべてを見下していたんだ。バハーラ氏族の領主はもとより、領主に代わって運営していた定住の民もね。領地の発展もできない南側の定住の民よりは、北側の定住の民に任せながらも領地を発展させた自分たちのほうが凄くて実力が上だって思っていたんだ」
「随分甘い算段だな……」
「その甘さのツケは、すぐに支払うことになったけどね。領主の自由化が施行されてすぐ、北側氏族は成果不足で全員が領主の立場から追いやられてテールウォッチに押し付けられることになった。見ての通り、人間性は未だ変わっていなかったでしょ? 本当にまさかだよね。『生き方』にこだわっていたバハーラが、今や装いの値段で人の価値を測るようになるなんてさ」
エステルが呆れたように肩をすくめる。煌びやかで重そうな服を虚しく見せるかのように。
これで最初から覚えていたエステルへの違和感……装いの豪華さと生活の貧困さの理由が理解できた。
「ただこんなのでも一応、バハーラを代表する氏族だからね。新しい国に馴染めなかった多くのバハーラが彼らを追ってテールウォッチに来ているんだ。これがこの街にバハーラが多くいるいきさつだね」
ちなみに領主の自由化までの話が飛んでしまったが、付け足すようにエステルはそこの部分の説明もしてくれた。要するに王政がなくなり、国が『ウォンテカグラ』になるまでのことだ。エステルが話す前に「あまり楽しい話ではないけど」と前置きをしていたが、その通りだった。
分断した氏族のゴタゴタが苛烈して衝突する話や、バハーラにとって最も大切な場所を犠牲に北側の勝利で決着がついた話。それから南側の氏族がこぞって粛清される話と、エステル自身が追われながらテールウォッチまで逃げた話など。
本当に聞いていて気持ちのいい話が一つも無かったな……。なんでこんなこと聞かされたんだろう……。
「一つだけ気になることがあるんだ。この南側と北側の氏族が衝突ときの話なんだけど、このときの戦力には南側の氏族に分があった。そもそも普通に考えて贅沢漬けの北側氏族より、南側氏族の方がはるかに戦うための状態を維持できていたはずだ」
話を聞く限りでは、同じ考えなため頷く。
「だけど蓋を開けてみれば、結果は南側氏族の惨敗だ。北側氏族に犠牲者すらいないほどに。色々とこの戦いは、おかしいことが多い。いくら分断したとはいえ、同じバハーラとして崇めていた神の地を破壊するなんてありえないんだ。それだけはお互いに避けていたはずなのに……」
そこで一度口をつぐんで考え込むが、すぐに再び口を開いた。
「おそらくこの時に何らかの未知の戦力が投入されたと僕は思っているんだ。一度南側氏族が北側氏族の隙をついて、直接有力な定住の民を襲撃した出来事があった。その襲撃も不自然に失敗して、参加した南側氏族が全滅している。北側氏族という武力だけでは説明がつかない。定住の民は僕らの知らない戦力を保有してるか、あるいは協力を得ているはずだ。北側氏族に聞いても顔を青くするだけで答えてくれないけどね」
とりあえず頷いて返事をしておく。
まだこの大陸に来て日が浅い俺に、そんな未知の戦力の正体なんて検討もつきはしない。ただ今後少なからずこの事情に踏み込んでいく以上、それが関わってこないとも限らない。
ここまで話を聞いて、バハーラの経緯なんかは一通り理解できてきた。
ただ一つ気になることができはじめた。とても重要なことだ。
「……それでこの街にいるバハーラの人たちは、本当に独立なんて必要としているのか?」
思い切ってそのことを尋ねる。かなり踏み込んで聞いたつもりだったが、意外にもエステルはすんなりと言葉を受け入れて頷いた。まるで尋ねられることを想定していたかのように。
「そうだね。それはとても重要なことだ。でもそれを説明するには、バハーラの話の続きをしなきゃいけない」
「続き? さっきの話はまだ終わってないのか?」
「領主がこの街に追いやられてから、現在までの話が残っているんだ。といっても説明自体はそんなにいらないと思うよ。僕らは随分と、それを実際に目の当たりにしてきたからね」
目の当たりにしてきた……その言葉の意味を理解する間もなく、エステルの話が始まる。
「まず確認しておくと、この街にいるバハーラ氏族は全員が元北側領主だった人たちだ」
南側の氏族は粛清されていないとなれば、当然そうなるだろう。
贅沢に溺れて国を変革し、競争に敗れた人たち。今思えば、どおりであまり仲良くなりたいとは思えない人たちだったように思う。
「彼らは確かにどうしようもない人たちだ。それでも、平均的な一般人よりは能力がある。実際に村を率いて、領地を収めていたのだからね。だからテールウォッチに移住した彼らはじっとせずに事業に手を出していたんだ。その事業は『木材の加工と売買』……。彼らはその分野を独占し、この街での地位と利益を確立していた」
そういえばアウレンくんが案内のときに言っていた。
──『テールウォッチは木材で有名な街』
──『一番の特産品なんです!』
「それが本当なら相当すごいんじゃないか」
「そうだね。だけどそれがすでに虫の息で、潰されかけていると言ったらどう思う?」
「……絶望的だな」
「そう、まさに絶望的なんだ。木材はこの街で冒険者業に次いで産業として大きい。バハーラ氏族が それを牛耳っていたことの善悪はともかく、少なくともそのおかげで流れ着いたバハーラの雇用に困ることはなかった。なのに最近だとまともに働けず奴隷に落とされる始末だ」
……随分苦しいな、バハーラ。
確かにエステルがどうにかしなきゃと思う気持ちはわからなくもなくなってきた。
「『ハウヴェスト領主』……彼が新しい領主についたことがすべての転機だった」
テールウォッチから移動できるルートは二つ。
『ハウヴェスト領』経由と、『ティブーユ領』経由だ。俺たちが通ったのは後者で、ハウヴェスト領は最近領主が代わって活気付いているみたいだがそちらへは行ったことがない。
エステルの話ではどうやらバハーラ氏族は木材を移送する時のルートを『ティブーユ領』経由に限定していたようだ。南の大国が滅びる前の時代から、バハーラと隣り合っていた領地の領主をしていたティブーユとバハーラには深い関係性があった。なのでティブーユには豊富な木材とその移送に関わる人の往来で賑わっていたらしい。
ただハウヴェスト領側はそれが面白くないだろう。実際に前の領主が領地経営で苦しんでいた理由の一端でもあったようだ。
前の領主は最後までその問題を解決できずにいたが、新任されたハウヴェスト領主は違い、その問題の解決に取り掛かった。
「これだけ大きな事業に、何かできることなんてあったのか? 話合って調整するならともかく……潰される寸前までなんて、想像ができないな。相当大掛かりに何か仕掛けないと、どうにもならなさそうだが……」
「君の言う通りだよ。だから実際に大掛かりな『仕掛け』をしたんだ。今も僕らの目に入れることができるほどの巨大な仕掛けをね」
「……あの『壁』が?」
テールウォッチを隔てる、巨大な壁。
今この場所からでも、目を向ければすぐ視界に入り込んでくる。
俺の呟くような問いかけに、黙って頷いてエステルは答えた。
……すごいな。
あんな巨大なものを作り上げてまでなんて。かなりの執念と覚悟だ。
「どうやってかはわからないけどハウヴェスト領主は、あの巨大な壁を自領の力のみで作り上げてしまった。凄まじい早さでね。あまりの早さにティブーユが関わる隙もなかった。頑張ってはくれていたんだけどね。そうして単独で壁を完成させたハウヴェスト領主は、すぐに壁を単独で管理する権利を主張したんだ。ケルラ・マ・グランデとの間に一枚でも多くの壁がほしいウォンテカグラ国はその主張を通した。壁を作った功績を讃えながら」
ここまで説明されれば、なんとなく話が見えてくる。文字通り、バハーラは締め出されたのだろう。それも街ごと。
「壁ができたことで本来はなかったはずのところに『関門』ができた。さらにそこを管理するのはバハーラに敵意を持つ相手だ。今もあの小さな入り口でハウヴェスト領の人員が通行の審査をしていて、木材を売りたいバハーラに通行の許可はおりない」
木材を売ろうにも街を出られないのでは、さすがに事業を独占していたバハーラ氏族も窮地にまで追い込まれるだろう。関門を無視するにしたって、竜川やケルラマ山脈を通っていくのは、あまりに過酷で厳しく利益も出せない。
おまけにそれ以外の場所はケルラ・マ・グランデという危険地帯に囲まれているためにテールウォッチは完全に陸の孤島だ。はっきり言ってバハーラに何か成す術があると思えなかった。
「でも……すべてが最悪な状況ってわけでもないんだ。特に独立という目的にとっては、むしろ良い状況が揃ってきている。なんせ守らなきゃいけない場所が、勝手に一箇所にまで絞れるようになったんだ。そこさえどうにかできれば、自治は勝手に維持できる」
そうだろうなと思う。
それにここまで陸の孤島にされると、却って自治意識も高まりそうだ。
「だから彼らに僕の考えを支持してもらって、できれば奮起してもらいたいんだけどね」
そう言ってエステルは、困ったように笑う。
そんな人がいたなら、とっくに伝統派として戦って死んでいるだろうな……と他人事のように考える。
ひとまず話をある程度理解して思うのは、結局ハウヴェスト領主がとにかく優秀で上手だということだ。氏族の屋敷で俺たちより優先されていた客がどうやらその当人だったみたいだが、訪れた目的も氏族に金を流すことだったらしい。とても抜け目がない動きだ。贅沢に酔ったバハーラ氏族の収入源を自分で奪っておきながら、金を流して追い込みすぎないよう手綱を握って繋ぎ止めている。
今のバハーラ氏族に伸ばされる命綱を自分から離す胆力はないだろう。それを伸ばす相手が、命綱まで追い込んだ相手だと分かっていても。
「(……おそらくこのままじゃ、氏族の力や支持を得ることは厳しいだろうな)」
そうなると依頼の達成も難しくなるはず。だが俺に何ができるだろう。せいぜい戦えるくらいしか力にはなれないのに。どこかで何か、力になれるかもわからない。
エステルもまた考え込んでいる様子だった。少しだけ会話が止まる。やがてエステルは、状況を解決する言葉を口にした。
「やっぱり彼の力がいるのかもしれない……」
「彼?」
「まずは他国から働きかけるんだ。他国の了承さえ先に得てしまえば、権威に弱い氏族たちの旗色も変わってくるはず。幸いウォンテカグラに不満を抱く近隣国は少なくない。だからまずそっちを優先して動くのはどうだろう」
どこか興奮した様子で一人話を進めていくエステルに、もう一度尋ねた。
「……可能性は確かにそっちの方がありそうだな。それで、彼っていうのは?」
「彼だよ。君も会ったはず──『裏切りのカイエン』に」
……あの人か。
戦闘力は無かったけど、圧力と胆力が妙に印象に残った怖めの男だ。
「彼は評判が最悪にも関わらず、生かされるどころか重宝すらもされている。それはひとえに実力があり利益をもたらすからに他ならない。そんな彼の高い実力を借りれば、どうにかできるかもしれないと思うんだ」
確かに無能ではないのだろう。
ただそんなに人の言うことを聞いてくれる人には見えなかった。
それに一つ一番重要なことがある。
「グレイスを奪ったのは、確かその男じゃなかったか?」
「……そうだね。彼は兄を神器にして奪っていった。僕の目の前で、ね」
暗い瞳でエステルはそう答えた。言葉から、想像以上のわだかまりがあることは透けて見えるようだ。
ただ続く言葉には、意外にもわだかまりや暗さを感じられなかった。とても真剣に、真っ直ぐに。エステルはこちらを向いて尋ねてきたのだ。
「でも不思議なことに僕は兄にこうも言われていたんだ。もしテールウォッチについて誰も頼りがいないようなら『カイエンを頼れ』とね。
……君は『裏切りのカイエン』に会ってみてどう感じた? 果たして本当に彼は『裏切り者』の悪人なのか、そうでないのか。敵なのか、味方なのか。君はどちらだと思う?」
◇◆◇◇◆◇
秋が少し離れたところで、会話をしている。
会話が一段落した後、連絡が来たといって彼は一度席を外した。
通信の魔道具だろうか。最近出回り始めたらしいが、一般人まで回るのは随分先のことだと噂になっている。そんなものを持っているなんて、羨ましい限りだ。さぞ楽しいだろう。離れている人と、いつでもどこでも好きに話せるというのは。
現に今も随分と熱中して話をしているのか。彼は体に虫が這っていることにすら気づいていない。
「──うか。──ぼうくん──がいは?」
断続的にしかアキの声は聞こえない。
そのため自然と脳裏によぎるのはあの男の記憶だ。
──『痛めつけて殺すぞ。神器を差し出すから殺してくれと願うくらいにな』
……裏切りのカイエン。あの男との出会いは最悪だった。今も心には拭いきれない憎悪がある。
それにアキから彼と会ったときの話を少しきいたが、とても味方になれるとは思えなかった。なのにどうしてだか、最初からあの力を借りることは決まっていたような気もした。誰かに最初から導かれているかのように。
懐にしまっている一通の封筒を取り出して視線を向ける。この手紙の差出人なら、十分にありえるだろう。だからといって止まる気はなく、走り出した以上は駆け抜けるだけだった。
「──黒が……」
ふと、連絡をしていたアキに視線を向ける。
話しているアキの表情から感情を読み取ることはできない。それは会ってからずっとそうで、先ほどのバハーラの話をしているときもそうだった。感情を隠して見せないのか、もしくは本当に何も感じていないのかすらも分からない。
だから今もそうで、むしろこれまでよりも余計にそう見えた。それこそ無機質なほどに。
ただ……なんとなくあまりいい話をしているようには見えなかった。
「……わかった。……しておく」
そうして会話を終えて戻ってくるアキに声をかけた。
「どんな話だったんだい?」
「まぁ……あんま良い話じゃなかったかな。でも、起きてしまったことだから。どうしようもない、過ぎてしまったことだ」
「ふーん」
あまり詳細に教えてくれる感じではなかった。部外者だからしょうがないか。とはいえ残念な気持ちは意外にも強かった。自分は彼の深い人間関係に入れていないことを残念に思っているようだ。
「……それとテルルと千夏がいなくなっているらしい。屋敷からテールウォッチのどこかに脱走したみたいだな」
「え!?」
さらっととんでもないことを言うけど……それって大変じゃないか!
「そんなわけだから二人を探してこようと思う。依頼を中断することになって申し訳ないけど、いいかな」
「え……あぁ、もちろんだよ。行き詰まってたところだったし。というか、急いで見つけないと。あまり女の子二人でうろついていい街じゃないよ。ましてや端街からだなんて。僕も協力するよ。なんとか見つけよう。幸い、街ならよく知ってるし伝手もないわけじゃない」
アキは少し考えて頷いた。
「……助かる。それじゃあ、行こうか。ついてきてくれ」
そういってアキはすたすたと歩き始めた。あまりに迷いがない足取りで。
まるで居場所がすでにわかっているかのように迷いがない。
あれ……確かにいなくなったって言っていたような……。
首を傾げながら、進む彼の後ろをついていった。




