第120話 人類未到の戦い①
──『外』に私たちを出させてほしい。
春殿はその言葉を聞いて、表情を僅かに歪める。些細な変化だ。
しかし今までで一番、大きな表情の変化だった。出会ってそんなに時間が経ったわけでもないが、感情を大きく表に出す人物でないことはなんとなく分かっていた。つまりそれだけ大きく言葉を受け止められたということだろう。
どちらかといえば……否定的に。
「『外に出たい』、ですか」
繰り返された言葉。しかしそれは抱いた印象を、より確信に近づけるだけだった。
「……無謀ですね。今の、災害が縦横無尽に飛び交うかのような光景を見て、どこに勝算を感じたのでしょうか。もしあなた方が今のでそれを『錯覚』したのであるならば──『愚か』と。そう言わざるをえません。そんな実力も測れずに、履き違える程度の強さであるなら……なおのこと危険な外へ出すわけにはいかなくなりますが」
思わず苦笑いを浮かべてしまうほどの言いようだった。『Sランク』になってからはこうした遠慮のない言葉は久しく聞かなくなった。
しかし余計な人間がここにいなくてよかった。そうなれば、人類最高峰の『Sランク』に何を言っているのかと非難が殺到していたところだろう。春殿が、実力も含めたあらゆる面で、それを言う資格があるのも分からず。
それに今ここで、そんな──『冒険者の最高ランク』なんて肩書きは、なんの保証にもなりはしない。そのことは既に強く感じるようになってきていた。
「(だからとはいえ……ここで納得していては先へ進まない──)」
やはり春殿は、提案には否定的なようだ。そこをなんとか説得したい所だが、困ったことに言ってることは極めて正論でそれもなかなか難しく感じる。
だが正論に負けていては冒険者ではいられないだろう。論より一歩を優先する馬鹿でなくては、どうやって未到の地を最初に踏み込める。気持ち的には春殿を無視して今すぐここから見える終焉の大陸へ駆け出し、飛び込んでしまいたいほどだというのに。
当然ながら、現実問題としてそんなことはできない。
春殿の協力がないということは、出た後に戻ることができないということだ。ほぼ完全に死ぬと分かりきったような、もはや自殺も兼ねた冒険なんていうのは、冒険者としてもパーティーのリーダーとしても好ましいことではない。なんとか正面から説得し、協力を得てから終焉の大陸へ挑戦しなければ。そう思う程度には、夢中になったといえど理性が保たれてる。
「ふむ、そうだな……」
だがそうは言っても、その手段は中々すぐには見つけ出せないものだ。誤魔化すように、間を埋めるためだけの呟きを口にしながら、救いを求めて『ドア』の外へ視線を向けた。外は落ち着きを取り戻すかのように、森が広がっている。
おそらくこの『森』の環境が──『基準』なのだろう。
常に環境を持ち回りで変化させてるわけではない。それよりも必要に応じて森から環境を変えてる。恵みの多さや活動のしやすさが理由だと勝手に推測をした。
それと先ほどまで行われていた災獣同士の戦いには、氷雪と溶岩。どちらにも災獣の他に環境に適応した、味方側だと思われる魔物たちがいた。
どうやら『森』の環境にもそういった魔物がいるらしく、現在の外では『ゴブリン』が活発的に活動し、採取や狩りなどに勤しんでいる。見たことがない筋骨隆々で逞しい風貌は、まさにマードリック・パーソンの本に描かれていた通りのものだ。連携して戦う姿なんかは、それ以上かもしれない。
交渉に関わらない仲間達が、そんなゴブリンたちを食い入るように眺めて盛り上がっている。その様子を横目に入れて沸きそうな羨ましさと恨めしさを抑え込んで、交渉のために頭を働かせた。
「尋ねたいのだが、あのゴブリンたちもこの場所に属する、味方にあたる魔物なのだろうか?」
「そうですね。彼らは我々の『身内』といっていい存在だと思います」
「そうか……見事なゴブリンだ。話には聞いていたが他の大陸では、あれほどのゴブリンは見かけたことがない」
「そのようですね」
お世辞ではなく、本当に見事だ。伝達能力が発達し、意思疎通を高度に織り交ぜた戦闘をしている。まさか言語を発してはいないだろうが、それでも十分にこの終焉の大陸の異質さ──その一翼を担うに値していた。他の大陸では『たかが』とされるゴブリンがだ。
……できればこのまま感心していたいところだが。
どうやらここにしか光明はなさそうだ。残念だがなりふり構ってはいられない。どうにかしてあのゴブリンを『だしに使う』必要がある。
そしてウェイドリックは思ったままの言葉を口にする。
「だが私たちのパーティーの方が、どうやらゴブリンたちよりも『レベル』は高そうだな」
「…………」
春は無言でウェイドリックに視線を向け続ける。表情や視線に変化はみられない。
しかし心なしかいい感情を向けられてるとは思えなかった。身内を下に見るとも思われかねない言い方をすれば、当然のことだろうが。
それでもウェイドリックは言葉を続ける。
「スキルの豊富さ、スキルレベルも我々の方が優っている自信があるな。連携も見事だが……『魔物にしては』だ。思うにゴブリンたちが連携を活用し始めてからの歴史は、存外浅いのではないだろうか。人間族がレベル差の克服のために連携を重視し用いてきた歴史は、十年や二十年なんかとは桁が違う。
そういう意味なら、我々もゴブリンも似たようなものだ。確かに終焉の大陸ほど、極端に厳しい環境やレベル差で育んできたものとは言い難いが……。それでも参考にできそうなことはいくらでもあるはずだ。
どうだろう、春殿。ここまで言う私たちの実力を測るという意味でも、一度彼らの活動に私たちを混ぜてみるつもりはないか。そのほうが互いにとって有意義なはずだろう? 当然、足を引っ張るつもりはない」
長く話を続けてしまったが、後半には春殿は少し考える仕草を見せ始めていた。
それにウェイドリックは、少なからず手応えを覚える。
「『挑戦』というのは、自由に終焉の大陸で活動するということではなく、『領域内』のゴブリンに混ざるということでよろしいのでしょうか?」
「彼らの活動がそうであるならば、私たちも同様のもので構わない」
本当のところは自由に終焉の大陸を探索できるのが一番いいが、まだ厳しいだろう……。
「……それでもご高名の客人を無闇に死なせるわけにはいきませんね。それは私たちの目的にもそぐわず、また利益にもならないことです」
──目的……?
少し話に引っかかりを感じたが、話を進めることを優先してしまい尋ねられなかった。
どうやら春殿は、王背追随に最悪なことが起きた場合の責任……ないし情報の漏洩を気にしているようだ。
確かに《王背追随》は『Sランク』冒険者。いなくなれば大きな騒ぎがあるだろう。その時に揉め事や追及の手がわずかでも、この場所に伸びてほしくない。それはここの特異性を考えれば当然の考えだ。むしろ事情を知ってから改めて考えてみると、よくサイセは許可を取れたものだと感謝を超えて驚きを感じる。
そして春殿の懸念は、おそらく杞憂に終わるだろう。
《王背追随》は誰にも何も告げず、ここまで来た。それこそ宿の主人にすらもだ。行き先を知ってる者は誰もいはせず、もし追跡できたとしてもテールウォッチまでだと予測している。
「つまり私たちパーティーがどうなろうと、あなた方に責任を求められる者は誰一人としていない」
……それは逆に言えば、ここで今自分たち全員を亡き者にしたとしても、誰にも伝わらないということだ。おそらく実力的にそれが実行できる付き合いの浅い相手に対し、その事実を告げることはなかなかの勇気がいる。
それでもそれを言葉にできたのはサイセがこの場所に与することを選んだからだ。そして逆に春殿も、おそらくサイセの紹介だからこそ自分たちに会うことを選んでくれた。サイセを介することで、お互いに信頼するまでのいくつかの工程を省略することができている。
……なかなかできることじゃないぞ、サイセ。
お前とお前の元のパーティーの奴らは、そのことを過小評価をしているようだがな。
「故意でなければどのような結果であろうと、あなた方が気に病むことはない。我々もそれを求めないと誓う。そもそもの話──私たちは誰一人として死ぬつもりはない。そのためにずっと訓練と準備をしてきたのだからな」
「……では『トレーニングルーム』という場所ではいかがでしょうか?」
なんでも命の危険がなく終焉の大陸をそっくりそのまま体験できる場所があると春殿は語った。随分便利な場所があるものだと感心する。
……しかしそれは、果たして『体験している』と言えるのだろうか?
それから難色を示すウェイドリックと、春の応酬はしばらく続いた。だが唐突に、全く別の声が割り込むことで会話の雰囲気は一変する。
「──さっきからガタガタガタガタ……。誰を煩わせてんだよ。あ? そんなに死にたいなら勝手に他のどっかで死んでろ、雑魚共」
これまで黙っていた態度の悪いメイドの少女が立ち上がり、詰め寄ってくる。
そして睨みつける視線と共に、そう言い放った。
「あたしたちに余計な手間をかけさせんじゃ……いった!」
春殿が少女の後頭部をはたくことで、乱暴な言葉が止まる。結構痛そうな一撃だ。
だがそれでめげることはなく、少女はまた睨む視線を向けて再び詰め寄ってきた。
「あぁん? 何とか言ってみろよ、オラッ」
「…………」
「あなたが話に入るとややこしくなりますから。大人しくしていなさい」
首根っこ掴まれ、春殿に移動させられたメイドの少女は椅子に置かれる。それだけでおとなしくなるようには見えなかったが、春殿が飲み物を目の前に置くと、不服そうにそれをおとなしく飲み始め静かになっていた。
緑色で炭酸の飲み物のようだが、それが何なのかまではわからなかった。
春殿は呆れたように息を吐き出すと、少しだけこちらに近づいて軽く頭を下げた。
「内の者が、失礼を働いてしまい申し訳ありません」
「……それよりも返答をお聞かせ願えないか?」
「…………」
あえて謝罪の返答はしなかった。
春殿は黙って視線をこちらへ向けたあと、少しだけ視線での攻防があり、その後に諦めたように告げたのだった。
「……随分意思がかたいようですね。わかりました。外出の許可を出します。ただし、ある程度の条件をのんでもらいますが」
わっ、と仲間たちが一瞬わく。
すぐにそれを手で制し、ウェイドリックは春に訊ねた。
「条件とは?」
「まず活動の範囲をこの『ドア』が『見える範囲』に留めること」
春殿は先ほどから開いている『ドア』を手で示す。
「それから日没までを外出の上限時間とします。また『災獣』が現れ、環境の変化が起きた場合も速やかに切り上げて戻ってきてください。これらは、あなた方をこちらでフォローをするために必要な条件です。この条件が受け入れられないようであれば、外出は許可できません。私はそれでも構いませんが……。いかがいたしましょうか?」
「……了解した。その条件を受け入れた上で終焉の大陸へ挑戦させてほしい」
災獣とも戦闘をしてみたい気持ちはあったが、さすがに欲張りが過ぎそうだ。この先も『部屋』と関わりを絶やさずにいられれば、挑戦はこれからもできる。焦るべきではない。ただでさえ『つけこんだ』形での了承なのだから、これ以上は相手の気を損ねないことを優先すべきだろう。
「そうですか。わかりました」
ようやく話がまとまると、仲間たちが一斉に喜んだ。
誰もが目を輝かしている。おそらく自分も同じだろうとウェイドリックは思った。
「『注意事項』は必要ありませんか?」
すでに準備は万端だが、念の為もう一度装備を点検していると、春殿に尋ねられた。
注意事項、か。
もしもらえるのなら、欲しい。ただこんなにも度を超えた危険地帯で何かに注意すればどうなるなんてことがあるのだろうか。もらえるとしても時間がかかりそうだが。
そう思い、気になって聞き返す。
「手短に済むのであれば……」
すると、残念そうな様子で春殿は答えた。
「そうですか……。このまま日が沈むまで注意点を教えて差し上げたかったのですが……。じっくり……それこそ『注意しても仕方がないこと』まで……。ですが、必要がないのであれば残念ですね」
それを聞いて、苦笑をする。
どうやら最後の足掻きのようだ。相当春殿は自分たちを行かせたくはないのだろう。
しかしそれでも最早、止める様子はなく、最後に春殿は忠告だとばかりに本当の『注意事項』を口にした。
「『注意すべきこと』なんていうのは、この大陸では言い尽くせないほどあります。にも関わらずその一つ一つが決して軽いものではなく、すべてが致命的なほど命の危機に直結し脅かすものです。それを肝に銘じ、せいぜい気をつけるべきです。すべてに気をつけるなんて無理だとわかりながらも、なおすべてに気をつけてやまないことです。きついことを言うようですが、すでに私はあなた方から一人や二人程度の犠牲が出ることも想定しておりますので」
「……わかった。決してその想定が当たらぬように、心してかかろう」
……確かにかなり厳しい言葉だ。
だが──だからこそ、真剣な忠言だと受け入れて、頷いて返した。他の面子も同様だ。
そうだ……夢の場所だからと、このまま浮かれていくつもりは毛頭ない。これから挑むのは史上最高峰の伝説。そんな余裕は微塵たりともないだろう。
「では、少々お待ちを。──錦」
春殿は開いた『ドア』の外にいる誰かを呼びよせている。やってきた人物と『ドア』を挟んで、話し込み、会話が終わると二人の視線がこちらへ向けられた。ウェイドリックは、そんな二人の元に小走りで近づく。
「『外』へ出るということらしいが、手助けはいるかね?」
そう尋ねてきたのは、顔が包帯で覆われた、かなり怪しげな執事だった。しかも体には大きな苔の生えた長い魔物が巻き付いている。
執事の風貌に色々尋ねたくなる気持ちをぐっと堪えて、質問に首を振って答えた。
「いや、まずは自力で戦ってみたいと思っている」
「そうか。では別の大陸の戦い方を拝見させていただくとしよう。ここで過ごすみなにとっても、貴重な機会になる。それはとても得難いものだ。吾輩は諸君らの健闘を祈っている」
「あぁ、期待していてくれ」
そうして会話が終わると、二人が道を開けるように一歩身を引いた。
遮るものは何もない。真っ直ぐに『終焉の大陸』への道が続いていて、あとはもう踏み出すだけだった。
「では、行くか」
そう呟いたウェイドリックは振り返らずに、前へと進む。
背後から仲間がついてきてるかどうかは、確かめるまでもなかった。
◇
まるで盗んだ幻惑鳥の卵が街に運び込まれた時のようだと、ウェイドリックは思う。
怒りを買えば一帯の地域にいるすべての魔物が襲いかかってくるという『獣害』に指定された『Sランク』の魔物だ。実際それが起きた街で防衛に駆り出されたことがある。そのときは魔物が種族を越えて街を取り囲む光景に、この世の終わりのようだと感じたものだが。
今この状況も、その時の光景に引けを取らない。
むしろ終わりが見えない分、それよりもひどい。常に獣害が起きていると考えれば、その異常さがよくわかる。
──これが終焉の大陸か。
ここにきて強烈な実感を感じていた。今自分は終焉の大陸にいるのだと。
しかしそんな気持ちで心を浮つかせてはいられない。もしそんなことをしてしまえばすぐにでも
『刈り取られる』。
そんな緊迫感が場を常に支配していた。
「そっちに行ったぞ!」
「ぬぉぉぉっ! どっせいっ!」
戦闘音に紛れたヒリッヂの怒号に呼応し、ビスケンが突進してきた魔物を掴んで投げ捨てる。
「こっちに新手! 数が多いわ!」
「シヴィラ。ゼウハウにエンリたちの援護にまわるよう通信をいれてくれ」
「分かったわ」
仲間の声に反応し、すかさず指示を出す。しかし間髪を入れずに、側で感知に集中したユキハラから声があがった。
「……リーダー。魔物が上空で発生した。このままだと、ここに降ってきそう」
「上空? ……本当だ。空中に魔素溜まりが現れるなんて、もはや何でもありだな。マルベ、撃ち落せるか?」
「ほい。【土塊砲】……ドーンっと」
「……おい、それだと──」
上空の魔物はマルベリークの【土魔法】に当たり、落ちてくる前にどこかへ吹き飛んだ。だが今度は魔物に当てた【土魔法】が崩れ、破片がぼろぼろと落ちてこようとしている。相変わらず出力は突出して強力なものの、精細さに欠くがさつな魔法だ。何度注意しても直る気配はない。
「ぬぅぉぉぉおおお!! 【自己集中砲火】ッ!!」
降りそそごうとする巨石だった結構な大きさの岩たちは、ゼイトのスキルの発動にあわせて落ちる軌道を大きく変える。そして吸い寄せられるように岩は再び巨石かのごとく集合し、ゼイトへ向けて集中的に落下した。
そんな巨石を分厚い巨大な盾で受け止めて、弾くゼイト。飛来物を自分へ向けるスキル……それはもしかすると自分自身を危険に晒しかねない危ういものだ。だが流石の安定感を持つゼイトは、一切の危機感を見ているものに抱かせない。むしろ軽々しくやってるようにみえるほどだ。
「おー! さっすがゼイトー。マジでいっつもお助かり〜」
「それが役割なのでッ!!」
「いい判断だな、ゼイト」
「リーダーの苦労に比べれば、まだまだこんなのはッ! もっと! 頼ってくれぇ、俺を! うぉぉぉ!!」
頼もしいやつだと、自然と笑みが溢れる。
それは、ゼイトだけでない。
パーティーの全員、一人一人に同じことを感じる。
当然だ。長い時間をかけて自分で集めた、自慢の仲間たちなのだからな。
「(──さて、届くだろうか?)」
何のために何に時間をかけ、何をしてきたか。
自分たちがこれまで注いできたこと……その成果が今まさに現れようとしている。
ウェイドリックは頭の片隅で、終焉の大陸に踏み入れた時に交わした会話を思い出しながら、戦闘の状況を観察していく。
「(今の所は──)」
◇
『まさか──こんなことになるなんて、な。ウェイドリック……』
初めて踏んだ夢の果ての大地の感触を噛み締めていると、横から声をかけられる。 パーティーのメンバーである、シーケットの声だ。
『あまりにも急……だがな。俺は正直……この地に辿り着くまでにもっと……達成感やら郷愁のようなものが……あるのかと勝手に想像していたが……バタバタだったな……。しかし、やはり君は何かを持っている、気がする……。君を中心に物事が気づけば動いてる……そんな気がしてならない……』
珍しいこともあるものだと思う。
この男はパーティーの中でも口下手で、感情も言葉も足りずに咎められることがよくある。そこがいいところだとウェイドリックは思うが、それが原因で本来ならやっていただろうサブリーダーという地位も辞退しているほど奥ゆかしい男だ。
そんな男が、今ばかりはとても言葉が多い。自身が言ったように、達成感や郷愁にも似た強い感情を抱き、珍しく興奮しているのかもしれない。だがこれまでの道のりのことを思い返せば、十分共感はできた。
思えばこの男とも、最も古い時から一緒だ。
ウェイドリックとマルベリークのパーソン兄妹。
シーケットとシヴィラのコーデル兄妹。
《王背追随》は二つの兄妹から歩み始めたパーティーだ。
『案外、巡り合わせなんてものはこうして往々にあるものかもしれないぞ。誰にでもな……シーケット』
『……そんな、ものか? やはり持ってる人と、そうでない人が、俺にはいると思うが……。だが君がそういうならそうなのかもしれない。しかしあの『部屋』には驚いた……。君がやろうとしていたことの、すべてが……形になっていたんじゃないか……?』
『はははははっ。確かにっ、言われてみればそうだな!』
終焉の大陸を目指す。
それもただ行けば終わりではない。目標は──『踏破』。
そのためには終焉の大陸との『物理的な距離』は解決しなければならない問題だ。
ただでさえ過酷な大陸が、あまりにも遠くにある。同じ過酷さでも、行き着くまでの過酷さと行ってからの過酷さは別物だ。できれば後者の……終焉の大陸の過酷さに万全な自分の力を多く注ぎ込みたいというのは、冒険者ならば誰もが思ってやまないことだろう。
そもそもとして、終焉の大陸との距離は生涯における挑戦数すらも大きく左右する。レベルで寿命も増えるといったところで限度があるだろう。《王背追随》が『踏破』を掲げたからには、この問題は最低限、越えなければならないものだ。たとえそれが難しいからこそ、今日まで終焉の大陸が人類未踏だったとしても。
……だが、そうして立ちはだかった壁は、最初にして最上だった。
あれだけ大々的に目標を掲げながら、一度たりとも終焉の大陸の地を今日まで踏めずにいたほどに。口だけだと密かに陰口を叩かれるのも仕方のない話だ。
『あれを"思い描いてたもの"というには、少し上位互換にすぎるがな』
終焉の大陸との物理的な距離を無くす──なんて大それたことを可能にするのは『転移の神器』より他に思いつきはしない。終焉の大陸に転移の神器を設置し、その場所を安全な拠点とすることで安定した調査の起点とする。それが《王背追随》が目標として掲げたことだった。
……だが神器は高い。
千差万別で何の役に立つのかわからないものでさえ、一般人が目を剥くほどの金がいる。
これまでの冒険者活動の大半は、身も蓋も無い話だが、金集めに身を入れる日々だった。修行を兼ねて危険地帯を巡り、金払いのいい難易度の高い依頼をこなす。気づけば『Sランク』なんて持て囃される地位になっていたが、王族や資産家と繋がりが得られやすくなり後援者として支援を受けられるようになったのは都合がよかった。それに転移の神器ともなると、実際の物にたどりつくまでに膨大な伝手もいる。Sランクの知名度は、その役にも十分たった。
そうしてようやく最近、神器が手に入るかもしれないという話の目処が立ちそうなところまでこぎつけての今日だ。一体どんな巡り合わせなのか。
あの『部屋』は、実質的に『転移の神器』と同じ効果があると言っていい。それどころか『安全な拠点』としても充分機能していて、『調査の起点』になり得るすべてが備わっている。《王背追随》が掲げた最初にして最大の目標は既に達成されていた。《王背追随》とは全く関係がないところで。
『……少し気になるのだが。……実は少し残念だったりするのか? ウェイドリック。ようやく転移の神器がどうにかなる、なんて話が出たところだったのにな……。もしかしたらこれまでのことが無駄になったかもしれないとは……君は思わないのか?』
『残念……? ははは、シーケット。あったのは、考えていたものよりも"上位互換"のものなんだぞ? より良い物があって、何を残念がる必要がある。それにあの『部屋』と同じものを神器で再現しようとしたら……今度は何十年じゃきかないぞ。転移の神器なんかとは訳が違う。きっと人生が何周分も必要になるだろうな。そう考えるとあれは、携われるだけでも幸運なものと考えた方がいいかもしれないな』
『そうか……。しかしある意味、終焉の大陸で先を越されたことにもなるが……。そこの部分にも思うところはないのか?』
『それも気にしないさ。なにせ大陸が丸々一つ分なんだぞ、シーケット。パーティーの面子……十三人だけじゃあまりにもデカすぎる。いずれ限界がくるのは目に見えていたからな。それが早まったと思えばいい。それに随分と、亡霊の背だけを頼りに暗中を模索してきたんだ。たまには先人の背を追う楽があってもいい頃だと思わないか?』
そういうとシーケットは笑った。
『言われてみればそれもそうだな……。Sランクになるまでは、誰もまともに取り合ってくれないから、随分大変だった……。楽しくもあったが……。しかしそうなると以前から気になっていたことを……いい加減聞きたくなってくるな……』
『なんだ? そろそろ打ち合わせをしたいところだが』
入れ替わるまでの少しの間、錦という怪しい執事が外での戦いを取り仕切っていた。こちらの準備が整い次第引き上げる手筈になっているが、元々そうしていたとはいえ、こちらから頼んだ以上は早いところ交代を済ませたい気持ちがあった。
シーケットもそれは分かっているのか「すぐ済む」と端的に告げた。ここで引かないあたり、相当気になっていたことなのだろうと思い、話に耳を傾ける。
『俺たちはずっと、転移の神器を優先して手に入れるために活動してきた……。だが今日まで稼いだ金で、神器一つ、手に入れられるかどうかが精一杯だ……。しかし俺たちは、さらにもう一つ、その先に大きな"問題"を抱えていただろう……。"安全な拠点"を作るための神器だ……。どうするつもりだったんだ、ウェイドリック……。野晒しで神器を終焉の大陸に設置する……君がそんな杜撰な考えをするはずがない……。だが……神器を買って素寒貧な状態で、終焉の大陸に"安全地帯"を築くなんて、離れ業ができるとは到底思えない……そこがずっと不思議だった……』
『なんだ。そのことか』
『君が散々今まで聞いても……はぐらかしてきたんだがな……』
『はは、まぁあれだ。繊細なことだったんでな』
シーケットが尋ねてきたことは、確かに今まで黙っていたことだった。
気になったのも無理はないだろう。
『そうだな。終焉の大陸で"金字塔"でも打ち建てようかとは考えていたが──』
そう言うと、シーケットが驚いたように目を見開いた。
いや……周りで聞き耳を立てていた仲間たちの表情も変わっている。
全く……終焉の大陸に出ていることを忘れてるんじゃないだろうな。錦殿が引き継ぎの間に居座ってくれなければどうなってたか分かったものじゃないな。
『君は、本当に恐ろしい男だ──ウェイドリック。冒険者学校の頃に出会い、つるむようになってからもずっと思っていたことではあったが……。だから、信じてこれたのだろう……。いつかこんな日が来る、と……。君についてきたことは、やはり間違いじゃなかった……』
少し感慨に耽るようにそう言ってみせるシーケットに、ウェイドリックは笑いながら言葉を返した。
『シーケット。感慨に浸る気持ちはわからなくはないが、たどり着いたのはまだ、最初の一歩を踏み出そうとするところだ。試されるのはまだまだこれからだぞ』
『……そうだな。ようやく……分かるわけだ……。俺たちがこれまでやってきたすべてが、通じるのかどうかが……この終焉の大陸に』
そういってシーケットの表情は引き締まった。
その空気は仲間たちにも伝播し、巡り巡って自分自身の気持ちも引き締めた。
……そうだ。
シーケットの言う通り、この日のためにすべてを用意してきたのだ。
世界中の危険地帯を渡り歩いた。
死に物狂いで格上の魔物に挑み、生きて帰ってきた。
それを可能にした、優秀な仲間。
人間の中でも突出しているとされる《ステータス》。
培った知識も経験。
果たしてそれらが終焉の大陸に通じるのかどうかが、今──。
「……ひとまず雑魚相手にはやれていそうね。私たち」
近くにいるシヴィラが、小さく呟いた声が耳に届いた。
現在、前線ではパーティーの近接を担ったメンバーが二つに分かれ、干渉し合わない程度に距離を取りながら魔物との戦いを続けている。そんな前線組に庇われるように、後方で陣取っているのがこの位置だ。ここから補助や指示出し、前線の交代や遠距離による攻撃などによって前線を支援をする形をしている。
しかしここはかなり開けた場所だ。パーティーの人数では陣地を維持するにも限界がある。そのため必然的に、パーティーで補いきれない残った広大な範囲のあちらこちらでゴブリンが戦闘を行っていた。彼らがいなければ現状の戦況は大きく変わっていただろう。
「……少し、早計だな。シヴィラ。まだまだ何が起きるか分からないぞ? 戦闘に集中したほうがいい」
そう言いつつシヴィラの漏らした気持ちも、わからなくはなかった。
戦いは続いているがひとまず激しい魔物の攻撃の山場を乗り切った感覚があったのだ。たとえそれが雑魚だとしても──雑魚にしては質が高すぎるが……。逆にだからこそ、その攻防を自分たちがこなせたという事実は、一つ自分の自信につながる。
とはいえそれでも『何が起きるか分からない』と口酸っぱく言われたのだ。
せいぜい「大口を叩きながら結局ゴブリンより役に立たなかった」という最悪の事態を避けられたことに内心でほっとする程度にとどめておくべきだろう。
「確かにそうね……。ごめんなさい、集中するわ」
シヴィラのその言葉に頷いて、再び戦闘に意識を向けたときだった。
「……何かが急激に近づいてくる」
感知に集中しているユキハラが緊張した声でつぶやいた。それに即座に聞き返す。
「魔物か?」
「そうだと思う。こっちに来てる。かなり強力そうで気配が大きい。それにすごく、速い」
「……目視はできないな」
辺りを見回しても、ユキハラが注意している特徴の魔物は見当たらない。
「もしかしたら……『地下』かもしれない。気づくのが遅れた、ごめん。もう、すぐそこまで──来る!」
珍しく焦ったようなユキハラの言葉と同時に、急激に地面が大きく揺れ始める。
「──【土形成】」
ドン──と足元から強い衝撃が、周囲一帯に起きる。
しかし魔物の姿が現れることはない。初歩的な【土魔法】を発動し、足元から広範囲にかけての地面を硬めたためだ。勢いよく地面から現れたかっただろうが、そう簡単にやらせはしない。
……しかし、とてつもない衝撃だったな。
心なしか魔法で硬めたここら一帯の地面が、軽く浮いてまた落ちたような感覚があった気がするが。
「なんだぁ!? こりゃ! 平気か!?」
「あぁ、大丈夫だ!」
驚いた前線組から声があがるが、即座にそう言葉を返す。心配させてあちらの戦いに支障をきたさせるわけにはいかない。
そう思っていた。だがその直後すぐにまた、ドンと地面が再び強く揺れる。出鼻をくじかれた魔物が、苛立ちをぶつけているのか、しつこく揺れと衝撃が続いた。
……まずいな、これは。
前線組に視線を向けると、揺れをいなしてうまく戦っている。平気だと言ったからか、こちらを気にせず自分たちの戦闘に集中していた。それとゴブリンたちも一瞬気にして見たが、なんともなっていなそうだ。それどころか片腕に黒い紋様の入ったゴブリンにいたっては、揺れを利用して隙をつき魔物を狩っている。あれは相当やるな……。
だがこちらがしてる以上、逆に相手に隙をつかれてしまう場合もある。
なんとか早めに対処をしなければならない。
「……やるか」
前線組を戻すのは難しい。この期に及んで魔物が途切れることなくどこからか現れ、こちらへ向けて襲ってきているので、魔物との戦線に穴を空けることになってしまうからだ。
やるなら後方に残っているこの面子で対処する必要がある。その覚悟を決めたウェイドリックは、つぶやく。
「一応注意しておく。正直かなりの、大物だと思う」
ユキハラの忠告に頷き、振り返る。目的の二人に視線を向けて、指示を出した。
「シヴィラ、マルベ。やるぞ」
「えぇ。魔物なんて、吹き飛ばしましょ?」
「おー、久々の合体技じゃーん」
「……違う。【合同魔法】だ」
「正式名称で覚えないと、教える側に回るとき困るわよ? マルちゃん」
「えー」
マルべの言葉を正しながら、各々が【魔法】を発動していく。
「【土塊砲】」
「【物体隔離空間】」
『土魔法』を発動するシヴィラの横で、【空間魔法】を発動する。
【土塊砲】はマルベリークも先ほど使った巨石を出現させて飛ばす攻撃魔法だ。シヴィラの魔法も効果は同じなため、宙には巨大な丸い岩が出現し、発射される時を待っている。
「射出」
すかさず、シヴィラが魔法を飛ばす……が巨石がどこかへ飛んでいくことはない。せいぜい、ほんの少し前にズレた程度だ。
巨石は今、見えない透明な壁に覆われている。それが発動した【物体隔離空間】の効果だ。空間を断絶し、外の物体を中に、あるいは中の物体を外へ通さない。その結果として発射された巨石はその場にとどまり続けている。
この魔法は、かなり強力に見える魔法だ。しかし欠点があり、魔力は平然と通りぬけられる。
つまり仮に人を魔法で隔離できたところで、魔力を纏えば平然と断絶した空間から出てこれてしまう。……なんとも効果を根本的に否定するような、致命的な欠点だ。
【空間魔法】はもう一つの【ユニーク魔法】に比べて、こんな癖のある魔法ばかりだ。燃費が悪く、使い勝手が悪い。この合同魔法を編み出すまでは、使い道に本気で悩んでいた時期もある。
「ニッカ! 風、よろしくー!」
呼びかけに応じて、マルベリークと契約している風の中位精霊が断絶した空間の中に風を吹き込んでいく。風は魔力を纏うことで空間の中に入り込み、魔力を途切らせることで空間から出られず閉じ込められる。薄透明な子供のような姿をした精霊ニッカは、慣れたように遮断した空間の中に風を吹き込み、空気を中に溜めていく。
その間も魔物によって地面はしつこく揺れが起きているが、構わず合同魔法の工程を進める。
断絶した空間のほんの一部に『穴』を空ける。巨石が飛んでいく方向と同じ方向に開けられた穴からは、溜めた空気が一瞬だけ漏れ出る。だが今も『射出され続けている巨石』によって、穴はすぐに塞がった。この間もずっと空気は空間の中に注ぎ込まれ溜まっている。
これで準備は整った。
二人に大丈夫か尋ね、返事と共に頷いたのを見て、硬質化している地面の一部を解除する。
「──FSuuuuaaaa!!」
硬質化を解いてすぐ、地面から魔物が現れた。苛立ったような鳴き声を響かせる、大樹のように長い巨大な魔物だ。影でここらを覆いつくすほど、十分に地表へ姿を現しているはずなのに、未だ全貌は捉えきれず地面の奥にまだ体が続いている。
「『解除』」
断絶した空間の一部を解除する。既に開けていた『穴』を拡大する形で。
その瞬間、ぼっというような、重い空気の破裂音が一帯に鳴り響く。その音と同時に、巨石が視界から消えた。
断絶した空間の中に大量に圧縮して込められた、過剰な量の空気。そこに突如として空気の逃げ道ができたなら、空気はそこから逃げていく。それこそ途中にある巨石なんて、容易く吹き飛ばしてしまうほどのとてつもない力で。
実際そうして吹き飛ばされた巨石は、残像すらも見えずに飛んでいった。
そして──そんな飛んでいった巨石を追うようにして、視線を向ける。
そこには現れたばかりの魔物が聳え立っていた。だが少し、現れた時と様子が変わっている。体の中心に、大きな『穴』が空いているのだ。つい先ほど飛んでいった巨石と同じくらいの穴がぽっかりと空いており、そこから奥の景色が見えるようになっている。
「…………!! …………!」
威勢のいい咆哮は、いつの間にか途切れていた。
魔物は何かを告げたそうに、口をぱくぱくさせているが音が出ることはない。
やがて、そうする力すら尽きたのか。ぐにゃりと魔物の長い体が大きく曲がる。そして背骨を抜かれたかのようにそのまま脱力して、とぐろを巻きながら地面に倒れていった。地面についた時に軽い地響きが起きるが、特にその後魔物が起きあがるなんていうこともなかった。
そこまで確かめて、ようやくウェイドリックは頷いた。
「やったみたいだな」
魔物はあつらえたように、巨石を飛ばす方向の正面に現れた。ちょうどそこの部分だけ地面の硬質化を解いたのだから当然といえば当然なのだが。しかしもし自分ならば、敵の作った出入り口なんて恐ろしくて使えないだろう。そんなところに罠がないはずがないのだから。
「ユキハラ。レベルはどうだった?」
「『1900台』だった」
「……そうか。もはや竜王に迫るレベルだな」
「確かに。でも──」
ユキハラが言葉を止める。
だが言いたいことは手に取るようにわかった。
──通じている。
終焉の大陸でやっていけるとまでは思わないものの、魔物の処理すらできないお荷物にはならない。その実感が確かな手応えとして感じる。
ようやく……ここまで辿り着いた。
最弱とも言える種族、人間が。
それもこれも……先人たちが、歴史の中でいろいろなものを積み重ねてくれたおかげだ。
「ヒュ〜ゥ! ヒッサビサノ、オオモノ、ダ!」
「オニクオニク!」
「マセキマセキ!」
「ソザイソザイ!」
「ナカナカ、ヤルヤン。オォン?」
嬉々とした声をあげるゴブリンたちが、倒れた巨大な魔物の死体に群がっていく。手際よく肉を切り分けては、皮を剥ぎ、魔石を取り出して忙しなく『ドア』へ運びいれる。
思わず目を剥きながらその様子を見てしまっていた。運よく戦闘が途切れた頃合いでなければどうなっていたかわからない。にも関わらずウェイドリックだけでなく、仲間たちも同様の視線をゴブリンたちへ向けていた。それほど驚愕しないわけにはいかない光景だった。
……まさかゴブリンが言語を発しているとはな。
随分進化が進んだ、意思疎通も達者なゴブリンだと思っていたが……。想像以上に『辿魔族』すれすれだ。人間国家の上層部や、熱心な宗教家が見ていたら発狂していただろう。
「ギー……」
そんな賑やかなゴブリンの会話を、低い声が遮った。
幾分凄みが強いものの、聞き慣れたゴブリンの鳴き声だ。
その声を聞いた途端、一気に空気が強張り、ゴブリンたちの楽しそうな会話がピタリと止まる。
気になって鳴き声が発された方へ視線を送る。そこには黒い紋様が片腕に入ったゴブリンがいた。戦闘中も時々視界に映っていた、ゴブリンの中でも頭が抜けた実力者──おそらく取り仕切るリーダー格のゴブリンだ。
「ウッ、ヤバッ……ギィー」
「ギィギィ」
「ギィ……ギィー」
そんな脅しのような声を受けてか、ゴブリンたちの発する音が言語から鳴き声へと変わる。
今更自分たちが言葉を話していたことを、誤魔化そうとしている……? それは無理だと思うが……。
ついその姿に苦笑いを浮かべそうになる……が、その意味をよくよく考えれば実際はあまり笑えないことだ。
つまるところそれは、自分たちが言語を理解できるかどうかを隠したいということ。隠してどうなるのか。戦闘を有利に運ぶことができるだろう。戦う相手が言語を理解しているかどうかは、当然ながら戦い方や戦況を左右する。それにもし理解している相手を理解していないと思って戦えば、その勘違いには大きな代償を払うことになる。あの黒いゴブリンはその手札の価値を、よく理解しているのだ。
だがあくまでそれは、自分たちが『戦闘相手』ならの話だ。
実際に戦うつもりはこちらには毛頭ない。だというのに相手はそう思ってはいない。
やはりだが、あのメイドも含めて自分たちを歓迎してないものが一定数はいるらしい。こんな特殊な環境にある場所で、全員から大歓迎をうけるとは思っていないが。さすがにここまで警戒心をあらわにさせると残念な気持ちがわいてしまうものだ。
今も視線を向けていることがバレて一瞬目が合う。だがフンと鼻を鳴らし、興味がないとでもいうかのように視線をそらして行ってしまった。
──まず認めてもらうことから始めなきゃならなそうだな……。
今後のことを考え、ウェイドリックはひそかにそんな目標を心の中でたてる。
「一度、顔を見せに少し離れるぞ」
そう仲間に告げて役割を引き継がせたあと、一旦ウェイドリックは『ドア』へと戻る。
そこには外に出た時からずっと、どことなく不安そうに見えなくもない乏しい表情で見守っていた春殿がいた。少し余裕が出てきた頃合いだったので、安心させるために軽く声をかけにきたつもりだった。
「どうだろうか? 春殿。我々はこの大陸で役に立てるだろうか?」
「えぇ……いいと思います」
「ハッ……」
春殿の背後から、嘲笑うような声が聞こえる。
「…………」
微妙な返事と、反応。
まるで否定するかのようなその反応に、思わず言葉に詰まっていると、唐突に爆音が背後から轟いた。
──GUAAAAAaaaaaa!!!
それは新たに現れた、強烈な気配を放つ魔物の咆哮だった。




