第117話 極上の空席
俺たちはようやく、エステルの兄がいるだろう、技賊の長の隠し部屋にまでたどり着いた。
中に入る。
隠し部屋の中は、確かに人の気配というか使われた形跡があった。
ただ……何と言えばいいだろうか……。あまり状態のいい部屋ではなかった。
そもそも洞窟の中なのに加えて、隠し部屋だからだろうか。少し狭めで、空気はこもりきっており、風通しは悪い。埃っぽく、荷物もちらかっていて、部屋の隅には中身の入って居ないボトルが群れをなして置かれている。
また部屋にある机は、直接洞窟を削って作られているため壁と一体化していた。果たしてずぼらと言うべきか、画期的と言うべきか。ちょうど側にある椅子に座った辺りの机の場所には、ペンと書きかけの紙が置かれているものの見ても文字は読めなかった。
正面の壁には、アジトの全容が書かれた地図が貼り付けられており、今後の拡張予定も書かれている。また机の端の方には、壺のようなものが置いてあり、そこに杖や工具、それに卓上用の箒といった棒状のものがとりとめなく立てかけられていた。仕事が雑なのか、削るのが面倒だったのか、机は端にいくほど作りが雑になっていて、すごいでこぼこだ。
それ以外の場所にも、一通り視線を向ける。床や壁際の棚なんかには、木箱にまとめられた荷物がいくつも置かれていた。どれも埃かぶっており、長く手のつけられた様子がない。中を見てみても書類の束だったりと肩透かしなものばかりだ。
この隠し部屋の存在を耳にしたとき、宝物庫のようなものを想像していたが、実際はそれとは程遠いものだった。
ここに技賊の長が私的に溜め込んだ財があったりだとか、仲間に隠して生きた人間を捕らえているような気配は全く感じられない。
つまり、一目見ただけでこの場所にグレイスがいないことは分かりきったことだった。
「(……また当てがはずれたか)」
散々たらい回しにされたが、さすがに今回の落胆は強かった。
もう一度振り出し……いや、へたしたらそれ以上だ。もう今後に続く手掛かりは何一つ残っていない。グレイスをこれから先、追いようがなかった。
依頼の達成も、もはやかなり絶望的に思えた。
そう思っている俺の横を、ふと、エステルが通り過ぎていく。
そして小さな声で、言葉を呟いていた。感極まったように、声を震わせながら。
「──ようやく、会えたね……。グレイス兄さん……」
「…………?」
不思議に思いながら、エステルへ視線を向ける。
エステルは、壁と一体化した机の前で足を止め、卓上にある何かへ視線を奪われていた。
その何かへ向かい、おもむろに手を伸ばす。そうしてエステルが手にとったのは、壺の中に立てかけてあった『工具』だった。
それを大事そうに持ちながら、エステルはこちらを向いた。それでも少しの間、慈しむような視線を手の中にある工具へ向け続けていたが、やがて顔を上げて視線を向けられる。そのとき初めて俺は、当然の疑問を口に出した。
「グレイス……?」
「そうだよ。これが……僕の『兄』だ」
「…………」
「これが『グレイス』そのものなんだよ。君の持っている『それ』と同じようにね」
今手に持っているもの……。
「(……なるほど……そういうことか)」
いろいろな点が繋がり、話を理解していく。
奇しくも、ちょうどこの前にこれの話は聞いたばかりだった。
俺は手に持っている『舵輪』を見ながら、その日の会話を思い出す。
それは星と月が美しい日の夜。
そしてウォイクアと契約するほんの少し前。
ティアルと飛んでいた『空』でのことだった。
「──それよりも先に【能力】の分類について説明しておこうかの」
横に並んで飛んでいたティアルは俺が尋ねた『質問』に、そう答えた。
「といっても、先に言っておくが【能力】の具体的な『効果』を分類するのは不可能じゃ。あまりに千差万別なうえに、理屈が通っていない出鱈目な効果も当たり前じゃからの。しかし効果の手前までなら、なんとか……おおよその分類くらいなら、できなくもないということで用いられる分類の方法がある。……正直これも微妙なところだがの」
ティアル自身その方法に納得いってないのか、微妙そうな顔して説明を続けた。
「【能力】を分類するために、捉えるべき二つの特徴がある。
それは『発動方法』と『発動状態』じゃ」
発動方法……つまり『どうやって能力の効果を発動するか?』だ。
例えば……『代償』を支払って発動させる。
代償もなく、ただ意識的なオン・オフを『切替』て効果を発動させる。
ある一定の『条件』を満たして発動させる。
そもそも『常時』発動されている。
そして発動状態……状態とはつまり『能力はどんな形で現れるか?』ということ。
『物体』として現れて、それが効果を発揮するのか。
目に見える形はなく、そのまま『現象』として効果を発揮するのか。
あるいは意思を持つ、生きた『生体』として能力が現れるのか。
「能力の分類は、この『四つの発動方法』と『三つの発動状態』を掛け合わせて行われる」
基本的な説明を終えたティアルは、視線をこちらに向けて言った。
「お主の【部屋創造】は『代償型』とよく言われるであろうが、正確に分類に則って言うのであれば『代償物体型』という括りになる。とはいえ『代償型』はやはり、破格の効果と規模を持つ特異な能力じゃ。日常では『代償型』とひとまとめされるのが多いがの。似たようなことは、他の区分でもある」
ティアルの説明に耳を傾ける。
例えば『現象型』の場合は、ほぼ割合が『常時現象型』か『切替現象型』かの二通りで占められるそうだ。そのため『切替現象型』はそのまま『現象型』として、『常時現象型』は『常時型』として、それぞれまとめられて言われることが多いらしい。同じように『生体型』も、省略して呼ばれているそうだ。
「問題なのは『物体型』じゃ。わしの見立てではおそらくこの世の半数近くの能力がこの区分に含まれると見ておる。根拠のない見立てだがの。しかしそれくらい『物体型』は数が多く、分類も多様じゃ。ある意味、この区分のためにこの分類方法があると言っても過言ではないほどにの。あの赤色べそかき勇者の能力も……なんといったか……そう、【セーブ&ロード】もわしの見立てでは『条件物体型』じゃの」
能力の発動から効果まで、一直線にいけるのが『現象型』の特徴で、そうでないのが『条件型』の特徴らしい。【セーブ&ロード】はまず【ロード】の発動に【セーブ】が必要になる上、その【セーブ】も対象に触って『セーブ』と唱える必要がある。かなり準備が必要で、少なくとも一直線に発動とは言い難い。
そう説明されると、条件物体型というティアルの見立てはすごく納得できた。
そうなると千の報告で出てきた、樹海で戦ったという重力を操る勇者の能力は『切替現象型』ということだろうか。ティアルに確認を取ると、そうだと頷かれた。『現象型』はそこまで規模が大きいわけでも、効果が無茶苦茶だったりもしないが、その分確実性と安定性が群を抜いて高いらしい。何も支払わず、オンオフで能力が発動できるのは確かに使い勝手が良さそうだな。
他には……。
うーん、考えてみるが、まだあまり知ってる能力がないな。
そうだ。陸地の能力はどうだろう。【並列空間と縮小世界】。
あれは三回叩く必要があるから発動は『条件型』で、空間は……。
『現象』と『物体』どちらで捉えればいいのだろうか?
「陸地……。ベリエットの《硝子破りの覗き魔》か。こそこそ嗅ぎ回ったり、唐突に勇者を送り込んでくるのが得意の痴れ者。有名だから、知っておるわ。あやつの能力は『条件型』ではなく『常時型』……『常時物体型』じゃ。奴の能力の効果は、空間そのもの。三回叩くのは発動方法ではなく、すでに発動している能力への移動方法にすぎぬ。その行為が能力の効果を切り替えておるわけではない。奴は空間へ『行くか行かないか』の選択をするだけで、能力の効果である空間そのものを無くす選択はできぬ。どこかで能力の効果が発揮し続けておるわけじゃ。典型的な常時型の特徴じゃの。空間も『場所』や『土地』と考えれば『物体型』として納得がいきやすいであろう。どちらも目に見えて触れられる、存在するものだからの」
なるほど……。
確かにそういえば車とかゴミとか色々散乱していた覚えがある。
俺の言っていた通り条件型の能力だとしたら、発動していない間は空間がなくなってしまうということだ。そうなると空間が無くなると同時に置いてある物も一緒に無くなったっておかしくない。
しかし実際はそうなっていなかった。それは空間が常時存在するから、ということなんだろう。
……でも能力を発動した時、置いてある物も全く同じ状態で空間が再構成される、なんて効果だったら正直どっちがどっちだかわからないな……。そういう効果も、なんでもありな【能力】なら全然ありえそうだ。
このまま考え込んでいくと、話が哲学的になっていきそうだし、難しいな……。
そんな風に考え込んでいると、ティアルがふっと笑いながら言った。
「そこまできちんと、分類する必要はあるまい。言ったであろう。するにしても、微妙な分類方法じゃと。わしもあまり納得はいっておらぬ。そもそもお主の能力一つとってみてもどうじゃ? 『代償物体型』とはいえ、春はどうなる。千の報告に出ておった重力操作の能力も『触れられたら重さがさらに強くなった』と言っておったろう。それだけ切り取ればその能力は『条件現象型』じゃ。
つまり【能力】というのは、本筋から離れた副次的な効果の部分で、時折、別の分類に踏み込む場合がある。正直あまり効果的な分類ではないのじゃ」
しかし本当に効果がないのであれば、そんな方法でそもそも分類する必要がないんじゃないだろうか。
そう考えているとティアルはじっと見つめてくる視線を、真剣なものに変えて言葉を続けた。
「それでも歴史の中で長い間、この半ば無理やりとも思える分類方法は用い続けられておる。
なぜ分類する必要があるのか。そもそも……なぜ発動方法と発動状態なんて『視点』の分類を用いておるのか。例えば能力が人々にとって『危険な物』という認識であるならば、より効果的な分類の方法があるはずじゃ」
……考えてみれば、その通りだ。
もし能力が危険だという認識なら例えば、『直接危害を加えられる能力』、『間接的に危害を加えられる能力』、『危害を加えられない能力』なんて分類の仕方をしてもいいはずだ。
「つまり『危害』を重点に生まれた分類方法では、少なくともないということじゃの。では何に重点を置いているのか。その実際のところは、危害とはむしろ全くの逆。ある意味で、危害よりも厄介かもしれぬ『利益』という影響が【能力】にはあり、そこに重点を置かれたこの分類方法を、世の中は必要としておるわけじゃ」
「…………」
「そもそも【能力】にはある性質があった。能力者がいなくなっても『残り続ける』という性質が。特に『物体型』はそれが顕著じゃ。物体型の能力は、確実にこの世界に『形』を遺していく。残った『能力の形』は生前と同じ効果を発揮し、使うことができた──『誰でも』。能力者から【能力】を解き放ったようにの」
じっと見つめてくるティアルの視線には、告げた言葉の奥にさらなる『真意』があるのを感じさせる真剣さがあった。
だが今はそこまでのことは分からない。ただ語られる言葉に、耳を傾け続けた。
「そうした能力者がこの世界に遺していった能力の残骸。もしくは遺物。
その形があるものを、この世界では──『神器』と呼ぶ」
……『分体』。
そう呟くと、目の前に分身が二体現れた。消そうと思うとすぐに消える。
前に手にして同じことをした時は、使えなかったはずなのに。
この手にある『判子』と『舵輪』は能力者が死んだことによって解き放たれた。だから使えるようになった。
それが──
「『神器』、か」
「そう。神器、『グレアタイス=ルルアシア=グランディア』だ」
エステルは、頷いて答えた。
つまり、そういうわけだったらしい。
俺たちは最初から、捕えられた生きた人質ではなく、既に亡くなって神器となっていたグレイスを追っていた。
なるほど、考えてみれば色々なことに合点がいく。蒐集家のゴウィットなんかは、いかにも目がなさそうな代物だ。
「もしかしたら、生きた人間と勘違いさせてしまったかな……。そうだとしたら、紛らわしくさせて、申し訳がないね。でもそうしないとね、神器の名前が変わってしまうんだ。神器の名前は生前の能力の名前だったり、見た目や効果を単純につけたりなんかがあるけど、能力者の名前をそのままつけるという場合もある。きっと神器を最初に誰が手にしたかで、名前の傾向が変わるんだろうね。僕は遺族だから、本人の名前をこの神器につけてあげたかった。しかし物の名前というのはひどく不安定で、発生したての神器なんて赤子みたいなものだからね。すぐに【鑑定】の名前が変わってしまうから、気が気じゃなかった。気休めでも、紛らわしくても、そう呼び続けるしかなかったんだ」
そう言いながらエステルは、部屋の片隅に転がっていたボトルを手に取っていた。
工具の神器には小さな収納口がついていて、そこから螺子を取り出している。手慣れていると思った。収納口の場所は、知らなきゃ見つけるのに少し苦労しそうだからだ。
そうしてエステルは両手に螺子、工具、ボトルを持ちながらこちらに体を向けた。
ボトルに螺子を突き刺す。螺子はボトルの硬さなんて関係ないかのように、簡単に刺さった。エステルはボトルを片手で支えながら、もう片方の手に持った工具で、螺子を巻いていく。
数回ほどで螺子を巻き終えたエステルはボトルから手を離した。
まだ空中にあるはずの、何の支えもないボトルからだ。それはただ瓶を空中に持ち上げて離す。それと変わらない。そんなことをすれば、本来なら落ちて割れるだけだ。
しかしボトルはエステルが離した後も、その場所で固定されたかのように空中に浮いていた。
そんな様子を懐かしげに見ながらエステルは言った。
「能力だった時の名前は【空間固定工具】と言ってね。『条件物体型』の能力で、数時間ごとに発生する螺子が一つでもあれば、浮かび上がるように工具が現れるんだ。螺子はこの工具だけで巻けて、物にさして巻くと、巻いた場所で螺子のささった物を固定できる力がある。兄が一日に湧く螺子のうち一つを毎回僕にくれて、よくそれで遊んでたんだ。人形劇の舞台を空中に作ったりしてね。どうやら効果は神器になっても変わっていないみたいだけど、条件が無くなっているし、レベルもないからこれ以上強化されることはないみたいだね」
そう言ってエステルは、満足げに頷いて、一度神器をしまった。
それから目の前にまでやってくると、俺の手を取ってそれを固く握りしめた。
その状態のままエステルは言った。
「ありがとう、秋。君のおかげで、またこうして兄と再会することができたよ。一つ目の依頼は、今完全に達成された。君の手でね」
真っ直ぐ向けられた視線には、感謝の熱が篭っていた。
その視線を受けながら、頷いた。
「さて、それじゃあ報酬の時間だね」
「──報酬」
「そう。覚えていないかな? なんでも僕に聞いてもいい権利のことだよ。今すぐにでもいいし、これから先、気になることがあるたびにでもいい。答えられることには、なんでも答えるつもりだよ。あぁ! でも二つ目の依頼の報酬に含まれているものはもう少し待ってほしいね」
「……じゃあとりあえず、今は二つ」
後で尋ねることもできそうな雰囲気だったので、細かいことは後にして、ひとまずずっと気になっていたことを尋ねることにした。
「『エスティアウル=ルルアシア=グランディア』とは一体どんな人物なのか?
二つ目の依頼は内容はなんなのか」
「ははは、なるほど。簡潔的でいいね。確かにまず重要なのは、その二つだよね」
笑ったエステルは、なら僕もなるべく簡潔的にこの場では答えよう、と。
そう言って、話を始めた。
「エスティアウル=ルルアシア=グランディア。この『ルルアシア』と『グランディア』、二つの苗字は王族の姓なんだ。一つは樹海に飲まれ消え去った、かつて南にあった大国。その人間の王のもの。もう一つはその大国の北で暮らしていた『バハーラ』最大氏族のものさ」
「王族……つまり王様ってことか?」
そう尋ねると、エステルは首を振った。
「ウォンテカグラは、王制じゃなくなった。少し前からね。政変があったんだ。国名もその時に変わった。だから僕は王様ではないし、王様だとしたら国がない王様だ。簡潔に最初の質問に答えるなら『亡国の王』ってところかな。……正直それも怪しいけどね。なんせこの国に王様がいた時期は、歴史的にはあまりにも短い期間だったから。ほんの一時期だけ、担ぎ上げられていた仮初の象徴だったんだよ」
そう言われても、あまりこの国の成り立ちや歴史のことはよくわからないからピンとこない。
そんな雰囲気が出てしまっていたのか、少しだけエステルはこの国のことを説明してくれた。
「まだここより南に人と魔族の大国があった頃。今いるこの辺りや、ここより北には『バハーラ』という国があったんだ。国といっても実際に暮らしている本人たちに国という自覚やまとまりはない。本来『バハーラ』というのは、生き方の名前なんだ。その生き方が広まって、全員がそれに倣って似たような暮らしをしていた。だから彼らに帰属意識があるのは国ではなく、氏族という、同じ街で暮らす自分たちの集団にあった。氏族は全員でまとまって街ごと移動して暮らす。そんな『移動民族』が、かつてここら一帯でいくつも生活していた」
他国はその民族全体を『バハーラ』という国だと捉え、彼らの生活する領域を国の領土と考えていたらしい。
一応最大氏族の長が代表することで、国としての話し合いもできたそうだ。その長は多少他の氏族に口を利けたし、他の氏族も概ね従っていた。だから国として捉えることができたのかもしれない。
「聞いての通り、バハーラは生き方と繋がりを重要視する牧歌的な民族だ。そこに海運と転移の神器での貿易により、世界でも屈指の経済的な豊かさを享受していた亡国の国民が大勢流れ込んできた。そんなことが起これば、誰しもがこれまで通りというわけにはいかない。亡国の民は当然、バハーラの人々も同じだ。混乱なんて当たり前のように起きるよね。だけど二つの国の人々は、なんとか互いに歩み寄って国を作った」
バハーラの人々は『移動の民』となり、逃げ延びてきた人々は『定住の民』となった。
移動の民は定住の民に土地の居住を許し、定住の民は移動の民の暮らしと文化を尊重した。そうして歩み寄って、異なる文化を持ちつつも二つの民は一つの国を作った。
「その時に新たな王家も同時に誕生したんだ。南の大国王家の血筋と、バハーラ最大氏族の血筋を継いだ新たな王家が、二つの民を結ぶ象徴として新しい国の王となった」
そこまでくれば、話の大筋は理解できたも同然だった。。
「やがて王様に、『三人の子供』が生まれる。幸運なことに、才能に恵まれた子供たちだ。三人のうち『二人』は【能力】を持っていた。長男は『無限に水が張り続けるコップを出現させる能力』を。次男は『空中に物を固定させる能力』を。そしてそんな才能溢れる兄を二人持つ末の子が、僕というわけだ。少し長くなってしまったけれど理解してもらえたかな?」
「まあ、なんとなくは」
「……そういえば、王族だと知っても驚かなかったね」
「結構、予想はできたからな」
最初にあった日の食事の時とか、思い返してみればかなり顕著だ。
水を用意するためにエステルが席を外したとき、小人のトットは気にせず先に食事を始めたが、エステルの祖父だと紹介されたギーニアスという男は、エステルが戻って食べ始めるまで待ち続けていた。その様子があまり親族の光景のように見えず、疑問に感じていたのを思い出していた。
それを言うとエステルは苦笑しながら「誤魔化しきれないものだね」と言った。
ギーニアスは祖父ではなく、バハーラをルーツに持つ、かつて王に仕えていた騎士団の団長らしい。トットは南の大国があったころ、王家や議長に忠誠を誓っていた専属の医者だったそうだ。テールウォッチに逃げてきたエステルとたまたま出会い、かつての主人の血筋ということで忠誠を誓ったのだそうだ。
小人は魔族ではなく亜人だから、厳密にはゴブリンとおなじ魔物。そのためテールウォッチの街中では姿を出せず現在は腕を腐らせているらしい。
「あの『神器広場』は……」
「まぁ政変があって長男が見逃してもらえる道理がないからね。利用されて見せ物にされてるのは屈辱的だけど、本人は意外と悪く思っていないというか、案外本望なんじゃないかな。朗らかで人が好きな人だったからね」
軽い調子で、少し笑いながらエステルは答えた。
「姿を現した時の、街の反応は?」
「かなり政治的に微妙な存在だからね。死んだとされてたし。現在国を取り仕切ってる貴族たちも、今頃僕を狙っているだろうね。もしかしたら手配も既にされているかもだし。一般人なら厄介ごとを避けるために、あんなものだよ。テールウォッチは位置的に定住の民がほとんどだから案外王家を打ち倒してしまったことに対する『気まずさ』なんてこともあるかもしれないけど」
ごたごたしているな、と思う。
厄介さと面倒さを掛け合わせたような話だった。
とはいえ大体理解できた。
少なくともエステルの素性はかなりはっきりしたんじゃないだろうか。
そうなれば、重要なのはさらに次のことだ。
「それで……次の依頼はどうすればいい?」
「……その前に、ちょっと時間をもらっていいかな。確かめたいことがあってさ。
それによって二つ目の依頼をどうするか、決めたいんだ」
そういえば最初の依頼の時二つ目は一つ目の依頼を見てからとか、どこか曖昧なことを言っていたことを思い出す。
ひとまず頷いた。事前に言われていたことだったし、そうしなければ話が進まないのだから。
とはいえ、何をするのかはいまいちわからないままだけど。
「ありがとう、秋。時間をとってしまって悪いね」
そういって笑うエステルに、黙って視線を向け続ける。
エステルは再び神器を手に持って、それを自分の視線の高さまで掲げた。
神器と向かい合う形で、じっと視線を向けている。
「王族の子は、すでに話した通り優秀でね。長男のアヴォイフ兄さんも、次男のグレイスも、能力があるだけでなく真っ直ぐで意識が高い人たちだった。出来たばかりの王家でも、彼らの誇りは歴史を重ねた王家のそれと同じだったと思う。王族であることを高い水準で全うしようとしていたし、国民からの人気も結構あった」
エステルは神器から目を逸らさないまま、独り言のように喋っていた。
「そんな立派な兄たちとは裏腹に、三人目の王子は出来が悪いと有名でね。能力も一人だけないし、悪戯好きで言いつけは守らない。何をさせても長続きせず、自分の興味あることばかりのめりこんでいて、それ以外のことには聞く耳すら持たなかった。しかもそうしてやっていることが大抵は土魔法を使った人形遊びなんだから、余計に印象や受け取られ方もよくなかったろうね。まぁ、他人の言うことなんか気にせず楽しく暮らしていたよ。評判通り、好きなことしかしてなかったからね」
どこか懐かしみながら、くつくつと笑みをこぼしていた。
しかしそんな顔も、すぐに陰りを帯びる。
「本当に、皮肉なものだね。才能のある兄二人ではなく、そんな出来が悪い悪童の末っ子だけがこうして唯一生き残ってしまうなんて」
少しだけ顔をこちらに向けて、エステルは言った。
「しかしそんな不出来な末っ子でも、全く何の力をもっていないわけじゃなかった。能力がない代わりに少し変わった【ユニークスキル】を持っていたんだ。そのスキルは……遺物に残った死者の魂と会話をして取引ができる力があった」
──久しぶりだね、グレイス。おかえり。
そしてエステルは、持っている神器の工具に話しかけた。
一見すると、その光景はかなり奇怪だった。ただ目の前の光景に変化がすぐに起きたからか、奇怪だと思うよりも先に、釘付けになって様子を見守っていた。
「ァ……アァ……」
工具から、得体の知れない何かが、絞り出るかのように姿を現す。
それは不気味な声をあげていて、薄透明な姿をしていた。形も不安定で、煙のように揺らいでいるため、刻一刻と輪郭が変わっている。一応目と口らしき穴が空いてるが、それもかろうじて認識できる程度のものだった。
いわゆる──『幽霊』というやつだろう。
人の形は完全に保てておらず、どちらかというと化け物寄りの幽霊だ。
……なんかテールウォッチであんな幽霊見たような気がするな。
「ようやく会えて、嬉しいよ」
「ァ〜……アァ〜〜……」
あまり会話が成り立ってるようには見えなかった。
しっかり耳を傾ければ幽霊の嘆きのような声に、微妙に、変化があるように思えなくはない。そんな感じだ。
エステルは気にせず、会話を続けた。
「あの日、一緒にテールウォッチに逃げている最中で襲われて、それ以来だね。グレイス……。君はあの日に倒れてしまって、僕の不甲斐なさで神器もすぐに奪われてしまった……。でもなんとか僕だけはこうしてテールウォッチに辿り着けて、なんとか今も生きているよ」
それから少しの時間、二人は思い出話をしていた。
話すのは一方的にエステルだけだ。でも不思議なことに、本当にグレイスと会話をしているように段々見えてきていた。幽霊のグイレスに、感情のようなものを感じ取れるようになってきた気がするのだ。
果たして幽霊が感情的になってきたのか、俺が慣れて読み解くのに長けてきたのかはわからないが。
しかしそんな折に、エステルは会話を切り上げるように告げた。
「さて、名残惜しいけどもう行かなきゃ。グレイス、ありがとう。
楽しかったよ。今日も、これまでも、ずっと。楽しかった、本当に。
でも悲しいけど、それも最後。お別れだ」
「つぇ……てって〜……」
幽霊のグレイスが首を振る。
首というより、目と口らしき穴が左右に動いてるだけだけど。
「ついてきたいのかい?」
幽霊のグレイスが頷く。
「もちろん、ついてきてくれるのなら嬉しいよ。グレイス兄さん。
だけど、そうなると僕に『お願い』したいことがあるんじゃないかな?」
「あぁ……るぅ〜……」
「それは……何かな? 生前の意思を継いで、再び王家の再興を……とかかい?」
シニカルに笑いながら、どこか決めつけるようにエステルは尋ねた。
「ぁ…………ぁ〜……ちがぁぅ〜……」
グレイスの幽霊は、首を振って答えた。
「好きにぃ〜……じゆ、ぅにぃ……生きてぇ〜……」
そう言ってグレイスはふわふわと浮かび上がって、これまでずっと繋がっていた工具の神器から離れ、エステルの背後に回った。
その場所では、いつからそうなっていたのか分からないが、鎧を着た骸骨の騎士が何体も整列して立っていた。薄透明で、ほんのり光を放つ、幽霊のような騎士たち。当然こんな狭い部屋に収まり切るはずもなく、何体かの騎士は透明になって壁に体をめりこませている。
グレイスの幽霊もまた、そうした骸骨騎士の一体に姿を変えて、戦列に加わった。
──みんな……楽しそうにのびのびと好きなことをしている……お前が好きだった。だからこれからもずっと……お前はお前のまま、そのままでいろ……エステル。
最後にどこからか、そんな声が聞こえてきた。
はっきりとした男の声だ。不気味で受け答えも曖昧だった幽霊の声とは明らかに違っていた。
本物の、グレイスの声だったのだろうか? 残念ながら俺には判断がつかなかった。
エステルの顔は、表情を隠しているのか、俯いていて見えない。
ただきらめく雫のようなものが、一瞬だけ、地面に落ちるのが見えたような気がした。
「……本当は、最も繋がりのある遺品に取り憑いた亡者から思い残しややり残しを聞いて、その願いを叶えたら騎士として使役できるっていうのが、僕の【名残の騎士団】の効果なんだけどね……。これまで誰も、願いなんか言いやしないんだ。アヴォイフ兄さんも、グレイスも。騎士団のみんなも。いっそ自分の意思を継げなんて、高圧的に命令でもしてくれれば、かえって反発してこっちから願い下げしてやるのになぁ」
エステルは顔を上げて、少し疲れを滲ませながらも笑った。
「皆優しすぎるんだね。そのうえ崇高だから、最も苦難が伴う理想を選んでしまって、精一杯頑張ってしまうんだ。そういう人に限って、すぐ志半ばで倒れてしまうんだね。脆弱すぎるんだよ、群れとして。志なんて持っている人よりも持っていない人の方が多いことなんて当たり前だ。数の差があまりにありすぎる。太刀打ちなんて全くできやしない。だから僕みたいなやつだけになってしまう。志なんて、何の力にも加算されるような世界じゃないから」
皆で少しずつ苦労し合う具体性の伴った理想より、自分がどれだけ支払うのかが曖昧な、具体性の欠ける聞き心地のいい理想が人は好きなのだとエステルは言った。だから『他人なんてどうでもいい連中』の方が人を操るのがうまい。崇高な志なんてものは数に負けて淘汰される。世の中はうまいことできていると、吐き捨てるように言った。
俺は黙って聞くにとどめていた。
王族だったエステルは人間の色々な側面を覗いてきたのだろう。そこに傍から、偉そうに言えることなど何もない。
ただ結果的に淘汰されたのであれば、結局それは脆弱ということなのだろうと、話を聞いていて思っていた。
「だから彼らは人に優しくするんだろうね。僕みたいな平凡な男に、魂を託すために。数が少なすぎるから。平凡な人間の心を変えて、託して、長い目で歴史を変えるしかない。実際そうやってこれまでも変えてきたんだろうな、きっと」
「…………」
「本当に嫌になるよ。柄じゃあないからね。どう考えても僕は、人形劇で子供の暇つぶしになるぐらいが関の山の人間だよ」
それから言葉が続くまでに、数秒だけ間が空いた。何かを葛藤している様子だった。
それでもやがて、諦めたように呟いた。
「でも誰かがやらなきゃいけない。やらずにはいられない。
無視をして生きるには僕は、彼らに与えられていきすぎてしまったから」
そしてエステルの視線がまっすぐにこちらに向けられる。
何かの覚悟を決めた男の目だった。
その目を向けたまま、意思の籠ったはっきりとした言葉で、エステルは俺に向かって言った。
「二つ目の依頼を、頼んでいいかな。秋。これが最後の依頼だ。
僕に──『金字塔』を打ち建てさせて欲しい」
「…………わかった」
その言葉に、俺はひとまず頷いて答えた。
◇
──エステルさんへ。
すでに手紙にも記したように、その男はあなたの願いを叶える力を持っています。
別の手紙に記した手順を抜かりなく踏み、願いさえ告げれば、それは叶ったも同然です。
ただ……忘れないでほしいのは決して『生半可』な相手ではないということです。
それはこれからあなたが相対する『敵』や訪れる『苦難』を指してのことではありません。
あなたの目の前にいるだろう、願いを叶えてくれる男のことを言っています。
気をつける必要があるのは終始、徹底して、その男自身であることを忘れてはなりません。
何もかもが思い通りになるほど、甘く、手ぬるい人物ではないということです。
一言で願いが叶うと言っても、叶い方にはいくつもの通りがあることでしょう。
その中には最高の形もあれば、当然『最も最悪な形』での叶い方というのが存在します。
願いが叶うということをただ単純に捉えることなく、浮かれることなく、どうかそのことを頭の片隅にでも入れておいていただければ幸いです。
敬具。
◇◆◇◇◆◇
──いいな。面白い。乗ったぞ、悪魔の魔王。ちょうど竜王がつくべきものとはかけ離れた地位に追いやられたところだ。そこから上り詰められる方法があるなら、俺にとっては願ってもない話だ。
ぽっかりと空いた、穴。
ちょうど真上にきていた陽は、穴の底にまで、光を降り注いでいた。
使用人蛮が開けた空が覗ける大穴は、日差しだけでなく風の通り道にもなっているようで、穴の底は洞窟の中だと忘れるほど心地のいい陽気だった。
その場所で《青竜王》──ウォイルークワイアは留守番をしていた。
そばには取り戻したばかりの獣車、手にもって連れてきた二頭の魔物。それと同じように留守を任された使用人のサイセ・モズがいる。
再び獣車をどこかへやるような失態を繰り返さないように、という目的があってわざわざここに残された。それは自身の関わる失態を挽回するチャンスでもあるはずだが、ウォイルークワイアの頭からその目的はすでに消えていた。
竜王がいればそんなことおきるはずがないと高を括っているのと、そもそもそんなのは世界の至高たる種族の竜王がやるべき仕事ではない。
そう即座に考えてのことだった。
そんなことよりもここにくるまでに自身の打ち出した『功績』のことで頭がいっぱいだ。
口元に笑みを浮かべながら、黙って腕を組んで突っ立ち、ずっとそれを繰り返し数えている。
竜王の背に乗せてやった。
おかげで村からここまで、素早く移動もできた。
下等な人間の盗賊共、その根城もあぶりだしてやった。
ふん……と得意げに鼻を鳴らす。
「(これで俺が一番点数を稼いだな……。秋は俺がどれだけ役に立って、頼りになるかが分かったことだろう。確実に頭一つ抜けたはずだ。全く、呑気なやつらめ……。あいつらが相手ならこっち側の『筆頭』は、俺になりそうだな……)」
そんなウォイルークワイアに、少し離れた所で魔物の世話をしているサイセがチラチラと視線を送っていた。
「(あの竜王さんなぁ……さっきからずっとああして、ニヤニヤして突っ立ってンなぁ……。旦那も何か企んでそうだし、思考もズレてそうだから気をつけろっつってたが……。確かに旦那の言う通りかもだなぁ。悪い奴な感じはしないが……本当に大丈夫か……?)」
◇
それは秋とウォイルークワイアが契約した後のことだった。
先に戻った秋とよもぎを除いた三人は、まだ出来たばかりの【街】を歩いていた。
──『物体型の能力は、確実にこの世界に『形』を遺していく』
街路樹の脇にある洒落た道を通る。
人気がなく、生活感のない、立派な家屋の脇にある路地を抜ける。
石畳が遠くまで続くだだっ広い空き地。奥にある高い壁。そして『外』と同じように頭上で広がる夜空。そんな順番に視線を動かした。時間の流れは同じみたいだが、浮かんでいる月は、自分達の知っている『双子月』ではなく、黄色い一つしかない月だ。まるで異世界に来たかのような光景に、自然と視線があちこちへ移る。
既に散策を終えているティアルを除いて。
「……確かに、秋の価値は『底知れない』な」
「ここが、【能力】で出来た場所ってだけでも、ゾッとする」
ウォイルークワイアの言葉に、自らを『忍者』だと言う黒装束を纏う森人族の女が続いた。
「弱い奴はそうなるだろう。他の奴らも同じだ。これから恐れ慄く弱い奴が、大量に出そうだな。世の中には情けない奴が驚くほど大勢いる」
「……は? なにコイツ」
「いかんなく効果を発揮した『代償型』は手に負えないとは言うが、ここまで典型的な例もなかなか見ないな。どいつもこいつも、支払う代償の高さにひーひー言ってるのが『代償型』の現実だ。本来は集団で管理し運用するものだろう」
「…………」
覆面から唯一見える目が、じとりと非難を込めてウォイルークワイアに向けられる。だが何も気にせず話が進んでしまったため、どこか腑に落ちないもののひとまず話を優先させた。
「これだけの影響と規模で、しかも『物体型』なんて、とてつもない」
「ふん、世界中で『奪い合い』だな。色々と便利な機能を持つ、新しい土地とでもいうべきか?
──最高の『神器』だ。秋が死んだらな。多くのやつが欲しがることくらい、俺でもわかる」
その言葉に、即座にティアルが反応する。
「この世界に秋を殺せる者が、おるとは思えぬがのう」
「だとしたらなおのこと、価値が高まるだろう。秋が生きていれば、自動的に『部屋』は発展していく。この【能力】を使わず腐らせるなんて考えられないからな。この場所の価値があがれば、秋を殺す価値も上がる。二つの価値は、否応なしに固く結びついている。……やれやれ、末恐ろしい【能力】だ。【部屋創造】。竜王の俺や、悪魔の魔王が関わるに相応しいな。ただの魔族、一個人が関わるには荷が重いだろうが」
「ねぇ、コイツ。さっきからムカつく」
「その上に終焉の大陸? そこを十年生き残った? 幾人の辿魔族を従えている? 災獣を飼い慣らしている? ベリエット帝国の勇者?」
【街】に来る前に、ウォイルークワイアは森でティアルから説明を受けていた。それは秋とそれを取り巻くものの話だ。
しかし聞かされた話の数々は、秋の力の片鱗をすでに分かっていながらもなお、信じがたく受け入れがたいものだった。
何度、妄想かと尋ねたくなったか分からない。話の一つ一つをありえないと切り捨てたい衝動にかられたかわからない。
すべてが嘘では無いにしても、かなりの脚色や誇張が含まれているだろう。そう予想していたし、そう思わずにはいられなかった。
「【能力】一つとっても馬鹿げた価値を持つのに、同レベルの『価値』が大群を成しているぞ。なるほどな。『底知れない価値』とはよく言ったものだ。俺の知らない間に随分、世界がおかしな方向へ行っていたらしい。流石に終焉の大陸を生き抜くなんてやつが、生きている間に現れるとは思っていなかった。驚きだ」
そんな受け入れ難い話のどれもが事実なのだと、薬が体に溶けて効いてくるかのように、感覚で理解していく。
この【街】という場所に圧倒されるように。
それほどの非常識さと出鱈目さが、この場所には含まれていた。
「さすがは、俺だ……。そんな男を契約者に引き寄せてしまうなんてな。我ながら惚れ惚れしてしまう。もはや死にかけてたのも、俺の才能が成したことなのかもしれん。血反吐を吐いて地に這いつくばっていたことは屈辱的だったが、俺に見合う契約者と出会うためと考えれば、すべてが腑に落ちる」
ふっ、と笑みを浮かべながら、ウォイルークワイアは両手を広げて一身に何かを浴びる。といっても何かを本当に浴びてるわけではない。おそらく本人しか感じられない運、あるいは自身の才能のようなものなのかもしれない。
なんにせよ、残りの二人はその様子を奇怪なものを見るように見つめていた。
「……ヤバ。他人の力を誇ってるとか。自尊心無さすぎ。竜とは思えない。ていうか本当に竜族? なんかバカっぽいし……」
「嫉妬、か……。森臭い森人族。赤子の乳臭さもそこまで臭いはしない。とはいえ俺は竜の中では温厚で優しい。それに今はすごく気分もいい。挑発に乗って戦ってやってもいいぞ。ついでに序列でもつけておくか。今後のためにな」
「はぁ? 別にいいけど? 種族レベルに押し上げられただけの甘えん坊が、調子乗りすぎ。自力でそこに辿り着くことがどういうことか。教えてあげる」
「──やめんか。ここは秋の【街】。むちゃくちゃにすれば秋に顔向けできぬ。『計画』を台無しにするでない」
ティアルの言葉に殺気立っていた二人が「確かに、そうだなやめておくか」「……ごめん、ティアル。許して?」と言って臨戦態勢を解く。
「とりあえず、秋って男が『価値まみれ』なのは理解した」
話を戻すような森人族の女の言葉に、ティアルが頷く。
「ここまでくれば、バレるバレないの次元では、もはやあるまい。元々その嫌いはあったが……この【街】がある意味で決定的だったの。すでに物事の段階は、『どうバレるか』に来ておる……そう考えるべきじゃ。しかしそう考えたところで、結局これからの状況を制御するには、あまりにも『人』が足りておらぬ」
二人は頷く。ティアルの言葉に異論はなかった。
これほどの規模での話であれば当然そうだろう。むしろどれだけいても、今後完全に足りているなんてことは無い可能性すらある。それほどの話だ。
「……つまり俺たちは新しく『使用人を目指す』ということでいいのか?」
そもそも、話の発端として。
ウォイルークワイアは、ティアルに焚き付けられてここまでやってきた。
『うまい話』がある──と。
自分たちの計画に加わるように──と。
悪魔の魔王が囁くようにそう言って、乗るのならついてこいと言われ【街】にきた。
たった今話題にあがっていた、この『底知れない価値』のある『部屋』で。おいしい地位にありつけると唆して。
最強の契約者を手に入れ、自分もまた竜王になったにも関わらず。どこか喜びきれずに心の隅に拭いきれないモヤがかかっているのを感じていた。だからまんまと、ウォイルークワイアは、ティアルにのこのこついてきた。
そして話を聞いているうちに、大体『計画』はこんなところだろうと予想し、ティアルにそう尋ねたのだ。
「……使用人? なぜ使用人なのじゃ?」
不思議そうにティアルが言葉を返す。
演技ではなく、本気で不思議そうにしている様子だった。
「なぜと言われてもな……。話に出てきた中で、俺たちがなれそうな、地位が最も高い場所といえばそこしかないだろう。まさか春とやらの場所が奪えるとも思えないからな」
ふっ、とティアルが笑う。
「確かに春の地位は脅かせぬであろうの。そんな気も、さらさらありはせぬが」
そして少し顎に手を当てて考えたあとティアルは言った。
「ふむ、使用人か。確かに相当な地位の高さといってよいであろうの。彼奴等の役目は、『部屋』を高い質に維持しつつ管理をすること。そして終焉の大陸で活動しながらも生き延びること。この二つの役割は密接に関わり合い、『部屋』で欠かすことができぬであろう。となれば、高い地位も納得がいくものじゃ」
また出自の関係上、辿魔族は等しく秋に信仰じみた心酔をしている、とティアルは付け足した。
秋の言うことであればなんでも聞き入れるだろうと。
「そうだろう」
なぜか得意げに、ウォイルークワイアは頷く。
「しかし必要不可欠であるゆえに、使用人は終焉の大陸と『部屋』にある程度かかりきりになる。縛り付けられたように、そこから離れることができぬ。現に今も、一人ないし二人だけが本来の職務から離れて秋についておるからの」
そうなのか、ウォイルークワイアは思う。
この時はまだ使用人に直接会っていなかったので、そう思うしかなかった。
しかし後々、獣車で移動する時に集団に紛れ込んだ際には、それがその通りであることは確認することができた。
「さらに重要なのが、使用人は指揮を春が担っている、ということじゃ。秋の命令を聞くのも、春が先に『秋の命令を聞くように』と命令を出した上で秋の言うことを聞くという体裁をとっておる。それは本当に形だけ、体裁だけのものにすぎぬが、おそらく今後も変わることはあるまい。春も秋も、それを変える気がないからの」
そこまで言って、ティアルは言葉に一拍だけ間を空けた。
これまでの話をまとめて、結論づけるための間だった。それはつまり、これから告げることこそが、一番重要だということ。
「つまり『使用人』という集団は、事実上──春を頂点に置いた『春部隊』と言ってよいものじゃ」
そしてティアルは、じっと真っ直ぐな視線を二人に向けながら言った。
「ここまで話して改めて尋ねるが。なぜ……『使用人』なんじゃ?」
「…………」
尋ねられた二人は答えられなかった。
単純に答えがわからなかった、それもある。
ただそれ以上に、ティアルの纏う雰囲気が異様になったのを二人は感じ取っていた。
「もっと最高の──『極上の席』がそっくりそのまま、空いておるであろう?」
笑っていた。
満面の笑み……いや、それ以上だった。それはまるで恍惚とでも言うべき表情だった。
見慣れない黄色の月にあてられたのだろうか。あるいは人生の喜びを見つけ、それに酔いしれているのか。
なんにせよ、ティアルの異様な雰囲気に二人は言葉を発することができなかった。
「春部隊があるのであれば、もう一つ、あってもいい部隊があるはずじゃ。
ほれ……のう?」
そうして、手で受け皿のようなものを示しながら、ティアルは言った。
「秋を頂きに置いた『秋部隊』が……。
この【街】の、いや『部屋の世界』すべての主の、手足となる部隊が……。
そっくりそのまま空いておるではないか」
それからティアルは、『計画』の概要を話し始めた。
気づかない間にウォイルークワイアはその話に聞き入っていた。
そのことに途中で気づいたが、自分でも驚くことに、自覚してもなお話の続きを素直に待っていた。
話が終わる。
面白い話だった。ただ一つ根本的な疑問、というより問題があった。
「……話はわかった。だが、今までの話からすると、秋はそれを望まないんじゃないのか。『孤独の性質』があると、自分で説明していただろう。使用人とやらも、だからこそ春部隊とやらに納まっているはずだ。本人から承諾を得なければこの話は一向に進まない。なのにその願望が本人に皆無なのが致命的だ」
ティアルは頷く。
「そうじゃの。しかし状況は変わった。秋は『弱点』を抱え込むことになった」
「……弱点? 秋にあるのか、そんなものが」
「あるの。そしてその弱点はあまりにも『孤独の性質』と相反しておる。致命的なまでにの。
おそらく、このままではいられぬ。どちらかの、何かしらを、変えることになるであろう。
どれだけ最強であろうと、不可能はあるからの。
わしらは、いずれくるその時に向けて、これから備えることになる」
「──その時」
「そうじゃ。近いうちにくるであろう、秋の『弱点』が露呈するであろう時に向けての」




