表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第3章 兄探しと底なしの価値

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

121/134

第112話 分かれ道



「──雨が、止んだか」



 無駄に広く、豪華な、貴族の一室。

 明かりはついておらず、自然光に頼った部屋の雰囲気は、外のじめじめした天気にも負けないほど暗い。数ある華々しい調度品も、雰囲気の改善には役に立たず、息を潜めている。


 発された声は、か細い老人の物だった。


 だからか、これまで続いた重い沈黙を破る……というほどの力は、その声にはなかった。窓に当たる雨粒の音に添える程度の声でしかなかったが、それでも耳に届いたのは、老人の言うように静粛に鳴る唯一の音が止み始めたからだろうか。


 視線を一瞬、窓の外に向ける。


 貴族の屋敷にありがちな必要以上に巨大な窓の先には、ここ数ヶ月飽きるほど見続けていた曇天に切れ目ができており、そこから眩い日差しが差し込んでいた。神々しく見えるその光景は、老人の言う通り、長く続いた領地の苦境の終わりを意味している。

 久々に見たこと、単純に景色として美しいこと。それらを理由に、感動の一つでもしてもいいものだったが、そんな気分にはとてもじゃないがなれなかった。


「なんとかすべてが腐り切る前に、止んでくれたか……。これで領地も持ち堪えられる。予言通りだな、カイエン……。ならばこの後か? 例の竜気の花を持って現れる救世主というのは……」

 

 『ティブーユ領の領主』は、幅の広いベッドに体を横たわせながら言った。

 前までは上半身ぐらいは起き上がらせて会えたものだが、今はもうそれすらできず、首を動かしてこちらに視線を向けるだけだった。


 あまりにも弱々しい姿を前に、嘲笑するように鼻をフンと鳴らす。

 それから投げかけられた言葉に答えた。

 

「持ち堪えた……か。随分とおめでたい考えをしているな。領地もあんたも、もうとうに腐り果てている。認めたらどうだ。すべてが手遅れで、もう終わりだと」


 正面から容赦のない言葉を浴びせられた老人は、たった一瞬で、体が小さく縮こまったように感じられた。傷ついたのか少しの沈黙があったが、やがて目に憂いを帯びせながらも重たそうに口を開いた。


「もう少し……早くに、雨が止んでいれば……」


「いいや、違う。雨のせいじゃない。俺に逆らった、それがすべての敗因だ。あんた自身の責任だ」


 情けない言葉を即座に否定し、鞭を打つような容赦のない意見を叩きつける。

 老人は怯えたように、目を向けてきたが構うことはなかった。


「俺の要求を飲んで、指図を黙って受け入れていればよかった。そうすればこの俺が元締めの勢力につくこともなかっただろう。あんたが俺に逆らったことが、根本的な間違いだったのだと、いい加減気づいて認めたらどうなんだ」


 老人を睨みつけながら、そう言い切った。

 するとこれまで弱々しかったはずの老人が、腐っても領主なのか、強く睨みつけてきた。

 その視線をまっすぐに受け止めて、互いの視線が交差する。数秒後、覚悟を決めたような声色で老人は、目の前の男に尋ねた。


「……私を裏切るのか? カイエン」


 老人の言葉を受けて、嘲笑するように鼻で笑う。

 睨みつけてくる老人を見下すように視線を向けながら、堂々と言い放った。




「当然だ。巷で俺が何と呼ばれているか、知らないのか?

 俺は──『裏切りのカイエン』だ」





 ◇◆◇◇◆◇



 

 《青竜王》ウォイルークワイアと契約をして夜が明けると、必然として旅路の人数が増えた。

 当然増えたのは死にかけの竜もとい、元迷惑極まりない長雨の元凶もとい、現竜王のその人だ。


 日が昇って出発するという直前に獣車へと集まった際、少なからず驚かれて説明にかられた。急にふえたので仕方がないだろう。ウォイルークワイアも、よもぎのようにどっかに行ってるのかと思ったが、暇だからついてくるらしい。

 

 ちなみに移動の際に会った春にも一応言っておいたが「そうですか」と反応は淡白だった。ただ契約をした話に入ってからは少し機嫌が悪くなっていたと思う。微妙な変化なので周りは気づかないだろうに「なんか悪寒がしないか」とウォイルークワイアは敏感に何かを察していた。『部屋』だとか『終焉の大陸』だとかの諸々は、ティアルが説明しておいてくれたのか、特に驚いてる様子はなかった。


 とりあえずウォイルークワイアの紹介を一通り終え、その後はいつも通り。

 特に変わりもなく、獣車での移動が今日も始まる……と思っていた。

 だがなんとなくいつもより気まずいような、ギクシャクしたような雰囲気。重たい空気の中、淡々と周りの景色が流れていく。


 なんだか出発してからの空気は、思っていたものではなかった。

 というのも、新しく加わったウォイルークワイアが屋根の真ん中で、腕と足を組みながら目をつむって座っているせいだ。おそらく本人には自覚がないんだろうが、かなり話しかけづらい雰囲気を纏っている。しかも本人も積極的に愛嬌を振りまくタイプじゃない。だからか、全員が微妙に存在が気になりながらも接することができないという絶妙な雰囲気が気付けば出来上がっていた。


 別に悪い態度……というわけじゃないはずだ。本人も周りも悪気はない。なのになんか噛み合わないあたりは変化した集団の……あるいは新参者の宿命なのだろうか。今まで思ったこともなかったが、こうみるとサイセは本当によくやって馴染んでいると思う。


 結局午前中はそのまま空気が変わることがなかった。


 もう少しなんとかならないだろうか……と思いながら昼食時に差し掛かる。

 とりあえず道の途中に休憩できそうな場所を見つけたので獣車を止めて、食事の時間にでもすることにした。食事でもすれば、互いに少しは歩み寄れるんじゃないだろうか。そんなことを思って準備をしていると、獣車の『ドア』から、様子を見兼ねた春が珍しい供を連れ立って『部屋』からやってきた。

 

「──やぁ! 少しだけ様子を見にきたよ、マスター!」


 明るい声が響く。

 日暮と同じ真紅の髪の使用人、『紅』だった。正面から見ると全体的に少し短く切り揃えられているが、後ろに一本、細くまとめられた髪が腰まで伸びている。背が高く、よもぎにも匹敵するスタイルの良さで女ながら『執事服』を完全に着こなしていた。メイド服ではないのは本人の趣味だ。


 昔はメイド服だったが途中から『騎士』に憧れを持ちはじめ、礼服に見えなくもない執事服の方にいつからか装いを変えた。たまーに気分なのかメイド服を着てるのを見かけるが、基本的にはもうずっと執事服で行動している。

 

 腰に差した剣は本人の武器ではなく、『武器庫』の剣をそれらしく装飾して渡したことがあったのだが、それを今も気に入ったおもちゃを離さない子供のように持ち歩いているだけだった。時々すれ違うときにその剣を構えて仰々しく膝をつかれたりするのだが、その時に偉そうに言葉を返すとすごく喜んでくれる。ただ恥ずかしいので調子のいいときにしかしない。


 そんな感じの使用人だが仕事はできるし、屈託のない明るい性格をしていて人の面倒や世話をするのに躊躇がないタイプだから頼り甲斐がある。特にこういう少し気まずい空気の場にはうってつけの人物なので、いてくれるのはありがたいと思った。連れてきてくれた春に心の中で感謝をする。


「せっかく人里に降りてきたなら、『酒』が欲しいところだな……」


「ウォイルークワイアは『サケ』が好きなのか? 私はそうだな……マントが欲しいな! やっぱり騎士にはマントがいると思うんだ」


「……何の話をしてるんだ? お前」


「……サケって、何かの服じゃないのか?」


「なんで服だと思ったんだい? 酒って、飲み物だよ。あぁそうだ、テールウォッチの市場で買ったっけなぁ、そういえば」


「そうなのか! こっちの大陸にはそういう飲み物があるんだな! なるほど……。こっちの勉強をちゃんと頑張っているなぁ、偉いよ驃! それにしても食べ物の話をしていたのか、ウォイルークワイアは。私はアイスクリームが好きだぞ。冷たいからな! こっちにはアイスクリームはあるのか?」


「当たり前だろ。古代の時代からでもやって来たのか、お前は。あの【街】には驚かされたが、まだまだすっからかんすぎる。どうせなら、酒屋の一つでも欲しいところだ」


「【街】といえば……新しくできていたあれか! 私も見に行かせてもらったんだ! すごいな、あれは! これからどうなるのか、楽しみだ!」


 ソファや机を取り出して食事をしていると、早速会話が弾んでいるようでよかった。路肩に獣車を止めて、屋外でする昼食はピクニックみたいで気持ちがいい。ちょうど天気もよくて、周りの景色も自然があってぴったりだった。


 今日は人通りも少なくてちょうどいい。

 こんな周りに何もない旅の道中で、カフェのテラス席のように優雅に食事なんかしてたらさすがに目立ちすぎて人目を引く。


「(いや、それよりも『人数』の方で悪目立ちするか……?)」


 人数を数える。

 横にいる春と、その膝に乗っている千夏。

 日暮、ウォイルークワイア、紅、驃、サイセ、ティアル。それと……見たことのない黒装束の人。


 確か……契約する時にずっと潜んでいた人だ。その人がなぜかわからないが、ティアルと一緒にしれっとやってきて自然に混ざっている。でも新参のウォイルークワイアでただでさえ手一杯だからか、上手いこと影が薄くなってあまり触れられていない。


 まぁ『部屋』にいる住民や魔物、使用人すら元はといえば勝手に入ってきたり、しれっと居着いているのが大半だ。意外にも結構適当なところがある集団なので、ティアルが面倒をみてるようだしいること自体に異論は特になかった。


 ……明らかに見た目が忍者なことだけは少し気になるけど。


 ただ、十人だ。俺自身を含めて、この場にいるのは。

 なかなかの大所帯だ。目立つ。

 獣車の大きさと、人数がどう見ても釣り合っていないのが、特に。


「(中の空間が拡張してるから、ありえない人数ってわけじゃないんだろうけど……外から見たらどうなんだろうな、これって……)」


 そんなことを考えていると、遠くから感じていた視線が消えた。

 人目がないといったが、厳密には遠くからこっちを監視している『盗賊』の視線がある。あれから何度か襲われて戦い、その度に壊滅させていたら、いい加減に学んだのか俺たちだとわかると手出しされないようになってきた。おそらくは今回も遠目に確認して退散したのだろう。俺たちも利点が薄いからこっちから仕掛けたり、ましてや追いかけたりなんかも、もうしていなかった。それにせっかくのいい感じな食事時を台無しにするには、あまりにも割にあっていない。


 おかげで楽しく食事を終えることができた。

 場の空気も午前中より、大分和やかになった気がする。

 食後のお茶をゆっくり飲んでいるとき、紅に話しかけた。


「紅。来てくれたのは嬉しいけど、『部屋』をそんなに空けて大丈夫か? 『かわいい後輩』が一人きりなんじゃないか?」

 

 紅の役割……管理している『部屋』は結構重要だ。

 だから使用人の中でもあまり『部屋』を空けることができない。

 それに加えて後輩の面倒も紅には見てもらっていて、それがかなりのじゃじゃ馬ときてるものだから、思わず心配になって尋ねてしまった。


「あぁ、マスター。問題ないよ。奴なら今頃、千と一緒にいるだろうからね。今頃私たちみたいに仲良くおしゃべりでもしてるんじゃないかな。千は分別がつけられる無茶をしないしっかりした娘だから、安心できる」


「そうか。紅がそういうなら、大丈夫そうだな」


「……とはいえ、少し長居してしまったかな。食事も終えたし、私はそろそろ戻るとするよ。春様、お誘いいただき誠に感謝いたします。マスターも食事とてもおいしかったよ、ご馳走様! また今度、付き人としてしっかりこっちにこれるのを心待ちにしているよ」


 片膝をつきそうなほどの丁寧なお辞儀をして、紅は言った。

 これが紅の平常運転なので特に気にせず俺も春も頷いて返した。ただいつ見ても、騎士というよりは前の世界にあった女性しかいない某劇団みたいだと思う。


「それと驃とサイセ! 立派に仕事をこなせているじゃないか! 働きぶりをみて仲間として安心したよ! これからもお付きの間はマスターをしっかりと支えるんだ。頑張れ! あとなるべく早く私と代わってくれ!」


 驃とサイセが、紅の最後の言葉に苦笑を浮かべながらも頷く。

 使用人同士の仲は、悪くなさそうだ。

 それで帰るのかと思えば、紅は最後、意外な人物に声をかけていた。


「日暮嬢! 元気かい?」


「え……?」


 日暮のところにいった紅は、両手を日暮の肩において真っ直ぐに向かい合うように話しかけた。二人が会話をしてるところは、あまり見たことがない。日暮も意外そうな視線を紅に向けていた。


「私たちはあまり会う機会がないな。残念だ。蛮の奴とは『トレーニングルーム』でよく会ってるみたいだが……。私ともよければもっとお話してくれ! 私たちは似た者同士だ! きっと仲良くできる。だから困ったことがあればなんでも相談してほしい!」


「似た者同士って……髪の色が同じなだけじゃ……」


 困ったように言う日暮に紅は肩に置いていた両手を上げて、再び強く置き直しながら、満面の笑顔で言った。


「相談してほしいッ!!」


「……わかりました」


 気圧されたように、日暮が頷く。

 その様子に紅は満足気にうんうんと頷き、獣車の『ドア』から『部屋』へ帰っていった。


 ……ちょっとしかいなかったけど、嵐みたいだったな。


「酒を買ったといっていたな。後で、分けてくれないか」


「ん? あぁ。いいけど、そんな大した量買ってないよ。たぶん少ししか分けられないだろうね」


「そうか……。ならどこかの街についたら大量に買い込むか……」


「酒かぁ〜。南大陸は、特産の変わった酒が結構あるんだよなぁ」


「なに……。そうなのか? 人間が作る酒は、よく分からん。だが面白そうだから、良さそうな奴をいくつか教えてくれ」


 ただそのおかげなのかウォイルークワイアも無事に馴染めたみたいだ。

 再び気まずい雰囲気に戻るなんてこともなく、和やかなまま午後も進んだ。

 道中もおかしなこともなく。旅路は順調そのもの。


 そして俺たちはその日、ついに目的の街に辿り着いた。




 ──ティブーユ領、北部。

 

 さすがに領主のいる街とだけあってか、テールウォッチ並みに巨大な街だ。さらに石と木を織り交ぜた独特な街並みはテールウォッチを超えて栄えているように感じられ、道も綺麗で高い建物も多く、整備もかなり行き届いている。


 行き交う人も冒険者みたいなのではなく、まともな職業についてる堅気っぽい人間の方が多い。活気があって慌ただしいくらいだが、どうやら久々に雨が止んで、一斉に皆で活動し始めたためらしい。

 

 この街にある、カイエン商会とやらに物を届ければ依頼は達成になる。

 ついて早々だが、陽もまだ沈んでないのでカイエン商会に訪ねに行くことにした。


「それじゃあ、行ってくる」


 獣車と別れて、カイエン商会へ向かう。

 依頼を受けたのは俺なので、ここから先は一人だ。

 残りの面子は獣車と一緒に移動して、宿でもとっておいてくれるだろう。


 時々道を聞きながら、商会の店舗らしき場所に辿り着いた。

 店は無骨で威厳のある、立派な店構えだ。でも客が積極的に出入りしている様子はなく、少し入るかどうか悩むものの、このまま外にいても仕方がないので中に入った。


「……?」


 扉を開けた瞬間、かなりいかつい男の受付から向けられた面倒そうな目と合う。

 強面で、スキンヘッドで、大きく筋肉質な体。座ってるよりも動いていたほうが絶対に向いていると思うが余計なお世話なため口には出さない。男は耳の穴をほじりながら、言葉に混じるやる気の無さを隠さないまま言った。


「個人客……? うちは、業者や大手向けなんだが……。まぁいいか……。相談ぐらいなら、誰でも相手にしろって言われてるし、これも仕事か……」


 店内は商品が何かあるわけでもなく、受付だけ。

 しかもいるのがその男だけなのだから、必然的に向かうしかない。

 日本と比べたらあまり良いとはいえない接客だが、案外こっちの世界だと、これでもまともな方だ。だから特に気にせず近づいて用件を告げた。


「冒険者ギルドでの『依頼』できました」


「あ……? 依頼? 何のだ?」


「配達の依頼です。届け物にきました」


 男から怪訝な目を向けられ、とりあえずギルドカードを取り出して見せた。

 一応受け取って見てくれるが、カードを返されてからも、怪訝な目つきは消えることがない。


「……聞いてねぇなぁ。うちが出した依頼じゃねぇだろそれ。確かにお前が、依頼を受けたのは間違いないんだろうが……。時々あるんだよなぁ、そういう冒険者ギルドを使った悪戯紛いのことがよ。そういう依頼はな、事前にこっちまで話を通しておくもんだぜ、普通。胡散くせぇ……しっかり仕事しろよな、冒険者ギルドォ……。とりあえず依頼の完了だけはサインしてやるから、ブツ出さずにとっとと帰りな」

 

「……あなたが『カイエンさん』ですか?」


「あ……? ちげえよ。商会の代表が受付やってるわけねえだろうが」


 確かに、そうだろうな……。

 でもそうすると、参ったな……。黙ってこのまま、帰るわけにはいかない。


「……届けにきたものっていうのが、『これ』なんですけど」


 そう言いながら苦し紛れに『竜の力を纏った花』を取り出してみせた。帰らされないための、微かな抵抗でしかなかった。

 しかしそれを見せた瞬間、男の態度は一変した。


「……お、おいこれ、『竜気の花』じゃねぇか! しかもこいつは……見た事もねぇ上物だぞッ! お、お前……これを届けにきたってのか!? ……ちょっと待ってろ! いますぐ代表を呼んでくるから! 帰るんじゃねぇぞ、いいな!!」


 慌てた様子で男が奥へと消える。

 ……これなら最初から見せた方が話が早かったな。

 少しして受付の男が戻ってくる。さらに続けてもう一人、後ろから見知らぬ人物が現れた。

 その新しく現れた方の男が目の前にやってきて対峙すると、観察するような視線を向けてきながら口を開いた。


「竜気の花を持ってきた、というのはお前か?」


「そうです、あなたは?」


「見せてみろ」


「…………」


 竜の気を纏った花。竜気の花というらしい。それを男に渡す。

 男は渡した花を手に持って、まじまじと観察している。その間に俺も、目の前で花を見ている男のことを観察した。


 低めの背丈。太ってるというほどではないが恰幅のある体つき。顔も体つきにあわせて少し大きく、なんとなく子供向けのキャラクターを想起する体つきだ。場合によっては可愛がられていてもおかしくない。


 だがそんな可愛さなんて印象は、毛ほども感じられなかった。


 あまりに鋭い目つきと、悪い人相。赤い髪や瞳は、紅や日暮の絵に描いた太陽や炎のような赤に比べると、血を思わせるような黒みを帯びている。顔の端には大きな火傷跡があり、それを覆い隠すように羽の生えた蛇らしきタトゥーが入っている。墨で塗ったように真っ黒のタトゥーが。


 そんな男の要素の一つ一つが、愛らしい見た目なんて可能性の芽を悉く潰していき、そこにいるだけで威圧感を覚える見た目へと仕立て上げていた。


「……あなたがカイエンさん、ですか?」


 先ほど無視されていた質問を、再度投げかける。

 一瞬、花に向けられていた視線が睨むようにこちらを向く。

 しかしすぐにまた視線を元に戻しながら男は答えた。

 

「お前がこの商会の代表を呼んで、俺が出てきた。なら、俺が『カイエン・ピュースフォリオ』であることは、考えたらわかることだろ。考えたらすぐにわかる当たり前のことを、いちいち質問するなよ。時間の無駄だ」


 やはり『カイエン』で間違い無いらしい。

 つまりこの男が──エステルの兄を拐った、張本人。


「……確かに。間違いなく竜気の花のようだな。しかも猛々しい竜の息吹を感じる。剥き出しの竜の命でも浴びたかのようにな。……見事だな。これをお前がとってきた? ……本当か? そこまで強そうに見えないから、信じ難いが……。まぁいいだろう。依頼の処理をしてやるから、奥へついてこい」


 こちらの返事を待たずに、カイエンは奥へ向かって歩き出す。

 受付の奥へ入って後ろからついていくと、強面の受付が横を小走りで通り抜けていった。そしてそのままカイエンの側にまで行くと、何かをひそひそと話している。


「おいおい、ついてんなぁ。こんな逸品、絶対会頭が気に入るに決まってるぜ。これで献上品は三つ……。ついにこの商会が、傘下の筆頭に躍り出ることになるな。喜べよ、カイエン」


「…………」


「……ったく、相変わらず愛想ってもんがねえな」


 二人の会話は、それで終わる。

 ……俺も、本懐のことを尋ねておこうか。依頼なんて本当は二の次なのだから。


 そうして俺は記憶を探りながら口を開く。

 言葉にしようとしたのは、エステルから教えられていた拐われた兄自身の名前だった。


「グレイ──」


「おいッ!」


 怒鳴り声で遮られる。前を歩いていたカイエンのものだった。

 立ち止まり、苛立ちを隠さない燃えるような赤い瞳で強くこちらを睨んでいる。


「……話は奥で聞く。せっかちなやつだ」


 返事も聞かずカイエンは再び歩き出す。


「…………」


 俺の何がそこまで気を損ねさせたのだろう? わからないがひとまず後に続いた。

 それからは会話もなく移動する。階段を登り、二階の一番奥の部屋の前で止まった。応接間らしい。


 ドアを開けて、カイエンが先に中へと入っていく。

 強面の受付はどうやら中には入らないみたいで廊下の端に寄りかかって立っていた。俺から視線は逸らしてるものの、表情は薄くニヤついている。


「入ってこい」


 応接間に入るドアの前で立ち止まっていると、中からカイエンに呼びかけられる。


「…………」


「……? どうした、入れ」


 そのまま動かないでいると、苛立つように舌打ちをうったカイエンが、部屋の中から怒声をあげた


「入れと言ってるだろ!」


「……一体どういうつもりなのか、聞いていいか?」


「…………何がだ」


「わからないはず、ないんじゃないか? 自分の目に、今映ってるのに。それが、どういうことかって聞いてるんだけど」


「…………」


 部屋の中にいるカイエンは俺の言葉を聞いて、苛立っていた表情が一瞬で引き締まった。

 こちらを睨む視線は変わらない。だが瞳にはしっかりと冷静さを保っているのは少し意外だった。


「どういうつもりか、なんのつもりか。知らないけど。

 俺は殺しにきたやつには基本容赦はしないし冗談でもすませない」


 一応、警告のつもりだった。

 部屋の中。その出入り口付近に忍んでいる、殺気だった伏兵に対しての警告。平気な顔でカイエンは入って行ったが、俺が入った途端にそいつらは襲いかかってくるだろう。本気でだ。でなければ抜き身の剣を構えて待つ理由がない。


「いいから、入ってこい」


「…………」


 しかし伏兵がバレてなお、様子は変わらなかった。

 本当にどういうつもりなのだろう。何がしたいのかよくわからないな……。

 だが態度が変わらないなら、俺も変えずにいくしかない。


 ──状況を整理しよう。


 潜んでいる伏兵は『五人』。

 部屋に一歩でも入ったら、囲って襲うつもりだったのだろうか。周りにある壁と床と天井の中、上下左右すべてに伏兵が一人ずつ潜んでいる。それで『四人』だ。

 さらにカイエンが部屋に入るときに開けたままのドア……。そのすぐ後ろにも『一人』潜んでいる。ドアはここから見ると右側に押されて開いているから、もし普通に入ったら右側だけ二人いる形だ。

 

 現状の把握をすませたところで、部屋の入口に近づく。

 だが中には入らず手前で止まった。焦れたカイエンの顔が一瞬ひくつく。

 わざわざ張られた罠に、律儀に入る必要なんてどこにもないだろう。


 体を右に少しずらして、そこから──壁を蹴り抜いた。

 足が壁を砕きながら突き抜け、さらに奥の『ドアの裏に潜んでいた伏兵』にまで届いて当たる感触があった。


「がっ……」


 大きく破損して、飛び散る壁の残骸。

 ドアの真横に、無意味な部屋の入口が新しく出来上がる。

 開閉すらできない欠陥だらけのその入口からは吹き飛んでいく伏兵の姿が見えた。途轍もない速度で部屋の中を地面と平行に飛んでいき、カイエンのすぐ横を通って、窓を派手に割りながら外に飛び出して行った。


「なっ……」


「ヒュウ〜」


 真横を通った伏兵を追うように振り返り、割れた窓を唖然と見るカイエン。

 強面の受付は口笛を鳴らしながら、面白がるようににやけている。


 外野の反応には構わず、その場で飛び上がった。

 脚力に任せに打ち上げた体は、勢いのまま二階の天井を突き破って、三階へ。

 それでも勢いは止まらず、三階の『天井』に逆さで着地してようやく全ての勢いが消える。ただ今度は重力によって体が引っ張られる感覚があった。このままなら一秒も経たないうちに、真っ逆さまに落ちるだろう。


 その間に『狙い』を定めて、天井をさっきの床のようにして一度飛び上がった。今度は体が床に向かって加速する。


 ここから狙える相手は当然、ただ一人だ。

 その相手を狙って足を伸ばし──三階と二階を繋ぐ穴をもう一つ作るつもりで、勢いのまま床に向かって突っ込んだ。叩きつけた煎餅のように割れて砕けていく床の感触とは別の何かが、足に触れている感触があった。


「ぐおぉ……!」


 『天井に潜んでいた伏兵』を蹴りつけたまま、天井を破って再び二階へと戻る。

 雨のように天井の破片が飛び交う中で、叩きつけるように伏兵を床と衝突させると、ずぶずぶと床に埋まるようにめりこんでピクリとも動かなくなった。ついでに床に潜んでいた伏兵が押し出されて、一階へと落下していくのを気配で感じた。


 残りは左右の壁に潜んだ伏兵だけだ。


「くそっ!」


「…………っ!」


 左右から壁を幽霊のようにすり抜けた伏兵が現れる。

 仕掛け扉などではなくそういう風に現れるのかと少し意外だったが、構わずに、床に埋まってる伏兵を掴んで引っ張り出して距離を詰めてくる伏兵の片方に投げつけた。左の方が勇ましかったのでそっちにした。


「なっ……!!」

 

 飛んでくる人間に伏兵が驚く声をあげるができたのはそれだけだった。

 まともに飛来した人間に当たった伏兵は抗う術もなく、そのまま二人ともが、左の壁を突き破って外に飛び出し落下した。それを確認したところで、【アイテムボックス】から剣を取り出して振り返る。


 ──残りは、もう一人だけだ。


 右から迫ってきていた伏兵と互いに武器を持って睨み合う。

 伏兵は不意をつけそうにないと判断してか、途中で足を止めて武器を構えていた。

 対して俺は手に武器は持っているものの、構えてはいない。だから有利と思って詰めてくると思ったが睨み合う時間が続いた。

 

 無駄な時間にしか思えないので、一歩前に踏み出す。

 すると対峙している伏兵は、何を思ってか、後退りで近づいた分だけの距離を再びあけた。同じように近づくたびに、ずるずると後ろへ下がると同時に流す脂汗の量が増える。


 ……埒が明かないな。

 もう一瞬で距離を詰めて、ケリをつけよう。

 そう思って動こうとした瞬間のことだった。


「──やめろ。殺すな。お前も、もういい。

 外の奴らの手当てをしにいってこい」


 カイエンの制止の声に、互いに動きを止める。

 対峙していた伏兵は、カイエンの指示に従い外に出ようとするが、俺を警戒するためにかゆっくりと武器を下ろさずに部屋を出る扉まで移動した。そして部屋を出た途端に脱兎のように走り去り、気配が遠ざかっていく。


「ヒュー! やるじゃねぇか! こりゃあ本物だぜ」


「お前も様子を見てこい。一人じゃ足りんだろう」


「へーへー。わかりましたっと」


 強面の受付も楽しげに部屋へと入ってきたが、指示を受けて蜻蛉返りで去っていく。

 随分風通しのよくなった応接室でカイエンと二人きり、取り残されていた。


「ったく。お前のせいで部屋がめちゃくちゃだ。どうするんだ、全く。

 後で冒険者ギルドに請求しなければならないな」


 ぶつくさと文句を垂れながら、ソファに座るカイエン。


「何をしている。さっさとお前も座れ。依頼の概要と残りのものも見せてみろ」


 机を挟んだ反対にあるソファを示して言った。

 ひとまず言われた通りに座る……が、それ以上言われたままに、とはいかなかった。


「さっきの攻撃についての説明は、何も無しですか?」


 まるでさっきの出来事が何もなかったかのように、話が進められようとして口を出す。

 人のことを殺しにきておいて、何も起きなかったかのように振る舞え、というのは不可能だし話にならない。


「依頼の品を出せ」


「なぜ攻撃を?」


「話が通じんのなら、帰っていいぞ。依頼と称して乗り込んできたのはお前だ。こっちが無駄な時間を支払ってやっているんだ。忘れるな」


「…………」


 会話に間が空く。

 お互いに自分の言い分を通そうとしていて、会話になっていないな。

 カイエンも返事がこないからかこちらに視線を向けてくるが、その目も威圧的に睨みつけるものだった。


 ひとまず手紙は、どうせ渡すものだから差し出した。

 これで依頼は終了だが、まだ終わりじゃない。むしろ重要なのはこれから……なのだが、思ったより話が通じなさそうだ。早めに本題に入ってさっさと会話と用事を済ませたくなり、要件を繰り出した。


「『グレアタイス=ルルアシア=グランディア』の行方を知りたいんですけど」


 先ほどは遮られた言葉を、今度はしっかりと口に出す。

 だが──。


「この花はどうやって手に入れた?

 入手経路と……それと経緯もか。すべて吐いてみせろ」


「……『グレイス』の行方は?

 あなたが『拐った』。そう聞いているんだけど?」


「お前と手紙の差出人との関係は何だ? 雨が唐突に止んだのも怪しいな。何か関与しているのなら言え」


 想像以上に並行な言い合いで話が進まない。

 面倒だと思いつつも、言葉をしつこく続ける。


「『グレイス』の行方──」


 言っている途中に、激しい音を立てながらカイエンが体を乗り出す。机を足で踏みつけ、俺の首元にナイフの切っ先を向けながら、至近距離で、燃えるような瞳でこちらを睨みつけながらカイエンは言った。


「お前は脆弱な『人間』という種族がレベルが圧倒的に劣りながらも、今この世界で繁栄している理由がわかるか?」


「…………」


 何も答えず、睨みつけてくる視線を受けとめながら、カイエンとの対峙を続ける。


「それはな、『人間』が常に魔物や魔族なんて格上の『強者』に平然と挑み、『打ち勝ってきた』からだ。どんな手段を使おうが、何に変えようがな。つまり、いいか。この世界で最もなりふり構わず強者に挑むのに長けた種族──それが『人間』だ」


 凄むカイエンに目を向けていると、顔に入った蛇の刺青が動いているのが目に入った。

 こちらを見ながら「シャー」と威嚇をしている。

 いや……それどころか、次の瞬間には肌から飛び出して物理的に襲いかかってきた。

 噛まれる前に蛇の刺青を掴み取ると、手の中でぐねぐねともがくように暴れている。絵が手の中で動いてるという感覚は不思議だったが、視線はカイエンに向けたままだ。


「俺も同じ……『人間』だ。よく聞け。俺はどんな手段を使ってでも勝つ。いくら《ステータス》が負けていようが関係なくな。お前の思っている以上に、弱者のやれることなんぞ腐るほどある。憎悪ある敵を味方につけるのも、大恩ある味方を『裏切る』のも、俺にとって造作もないことだ」


「…………」


「お前は『強者』なのかもしれんがな。それだけで世の中が渡って行けると思うなよ、小僧」


 手の中でもがく蛇がシャーと音を上げ、どこからか「ぐるるるる……」という唸り声も聞こえた。たぶんカイエンの服の中からだ。

 凄むカイエンの視線を受けながら、手の中の蛇を握りつぶす。


「──それで、『グレイス』はどこへ?」


「…………」


 なんであろうが、どうであろうが。

 今この瞬間の俺の目的は一つだけなのだから、発する言葉も一つ。何を言われようと結果は変わらない。態度を変えるべきというなら最初から変えてるし、攻撃をしかけてくるような相手にはそんなの必要ない。それだけの話だ。


「……ふん、実力だけでなく、胆力もあるようだな。……ただ感情が欠落した、欠陥人間じゃないだろうな。まぁいい。十分に分かったから答えてやる」


 何かを納得したように、カイエンはソファに戻っていく。

 握りつぶした蛇の刺青はいつの間にか手から消えていた。よくみるとカイエンの顔で滲み出るようにまた現れている。ただ怯えさせたのか、肌を泳ぐように移動するとカイエンの髪の中に隠れてしまった。少しだけ顔を出して、伺うようにこちらを見ている。

 

 蛇から視線を逸らし、言葉を発する。


「グレイスはどこへ?」


「……答えてやると言ってるだろ。

 会話の主導権の取り合いはもう終わりだ。

 俺が折れたのだから、お前も折れろ。それで手打ちにして話を進める。いいな」


「グレイスはどこへ?」


「…………チッ」


 再びきつい視線を向けられるが、舌打ちをしながらも逃避でもするかのようにカイエンは手紙を手に取った。そして取り出した中身に視線を落としながら、口を開く。


「『グレアタイス=ルルアシア=グランディア』。あれはすでに『献上』済みだ。今どんな状況なのかは、元締めに尋ねてみなければわからない」


 献上……元締め。

 そこらへんの単語が何を指してるのか分からない。

 すぐに補足の説明をカイエンが始める。

 

 『カイエン商会』はある商会の傘下に所属した組織だ。

 その傘下には他にもたくさんの商会がたくさん所属しており、日々勢力争いをしている。そして一番上の商会である元締めに品物を献上すると、傘下内での地位を向上することができるのだそうだ。


 つまりエステルの兄は、その元締めへの献上の品にされてしまったらしい。

 うーん……エステルの兄は本当に大丈夫だろうか……?

 他人事ながら、中々身を案じてしまう厳しい状況のように感じられた。


「……あれを取り返すつもりか」


 手紙を置き、睨んでいることの多かった目を伏せて、どこか覇気のない声でカイエンに尋ねられる。

 

「…………?」


 どういうつもりの質問なんだろう。

 なんでそんなことを聞いてくるのか、何をどこまで言っていいのか、言ってこの男が信用できるのか。よくわからない。

 

「さぁ……。ひとまず居場所だけでもはっきりさせようとは思ってるけど」


 だから濁しつつ簡単に答えると「……そうか」とカイエンは呟いた。


「……待っていろ。今紹介状を用意する。お前ごときが突然元締めのところへ行って会えるわけがないからな。紹介状と竜気の花を持って、俺の代わりに献上にきたと言えば、会って会話くらいはできるだろう。俺も長雨のあとで仕事が山積みだからちょうどいい。冒険者ギルドに指名依頼を出しておくから、あとで受けておけ。この街のギルドでだからな」


 そう言ってカイエンは、何やら忙しそうに動き始めた。

 だがすぐに何かを思い出したように俺の目の前に戻ってきて、言った。


「それと分かってるな。元締めに物を尋ねるときはそんな不躾な態度をしてくれるなよ。今のような、だぞ。俺のようにいくなんて思うな。そうだな……趣味の話をしているときにでも質問すれば、機嫌がよくなって答えてくれるだろう」


 それだけ言うと、返事を待たずにまた慌ただしく動きはじめた。

 気づけばみるみると手筈が整っていく。急に協力的になったな。その魂胆は果たして罠なのか、善意なのか。


 わからないが、ただちょうどよくもあった。空振りに終わってこれからどうしようかと考えていたところだからだ。このままだと何も情報がなく途方に暮れるところだったが、この様子なら進める分には進めるので心配はいらなくなった。


 たとえ行く末が罠だったとしても……。行けば何かしらは手がかりがあるだろう。


「それで俺はどこへ行けばいい?」


 竜気の花や紹介状やらを受け取って、最後にカイエンに尋ねた。


「この街を出て、さらに北へ行け。隣接する他領に入って、道沿いにそって北上していけば、ウォンテカグラ南部の経済の中心地。『貨幣都市』に辿り着く。そこにある『チークテック商会』の本店が、我々が元締めと呼ぶ商会であり、お前の目的地だ」



 ◇


 

 雑務を終えて、翌日には街を出発した。

 もう少しゆっくりしたかったが、カイエンの出した指名依頼に期限がついていたので、念の為を考えると早めに出るしかなかった。

 仕方がない。『ドア』を隠して置いてきたから今度時間があるときにでも、ゆっくり街をみてまわろう。


 なのでとりあえず、再び獣車の旅路だ。

 といってもこれに乗り始めてから日数が経過してきたからか、獣車の扱いや旅のやり方も、少し手慣れてきた。領地を移ってから盗賊の気配もなくなって、魔物も討伐されているようで治安もいい。


 だから道中は良く言えば長閑、悪く言えば退屈。そんな雰囲気だった。

 一時期は増えた人数も、さすがに無駄だし、目立つから『部屋』に帰した。

 そのため今獣車に乗っているのは驃とサイセと日暮。


 そして──膝に乗せた千夏だけだった。


 千夏はなんとなく楽しいかと思って獣車の屋根に乗せるために連れてきた。念のために膝に乗せながら流れる景色を一緒に眺めている……が。楽しんでいるかはかなり……微妙だった。体は膝の上で微動だにしないし、時々軽く顔を覗き込んでも表情が変わってる様子もない。


 ……どうやら獣車の屋根に乗るのは空振りに終わってしまったようだ。

 あまり好みじゃなかっただろうか。思えば千夏は本が好きだから、インドアなタイプなのかもしれない。……いや、でもそれだと世界を見たいなんてすごいアウトドアなことは言い出さないか。


 ……やっぱり子供のことは、よくわからない。


「(それとも、もう少し速い方が良かったのか……?)」

 

 現状、獣車の進む速度は大分ゆっくりだ。

 これしかスピードが出せないわけではない。普段ならもう少し速く獣車を進めている。


 ただ事情があって、今は遅くせざるを得なかった。

 というのも前方に、縦に並んで走る三台の獣車がおり、それを追い抜けずにいるからだ。

 そのため前のゆっくりした速度に、必然とこちらも足並みを合わせるしかない。


 追い抜くチャンスは何回もあった。実際に試みてもいる。

 だがそうして前の獣車の横を通ろうとすると、向こうの獣車を引いた魔物が怯えたように騒ぎ出してしまうのだ。さらにそんな相手の魔物に反応して、こっちの魔物も興奮して襲いかかろうと暴れ出す。


 何度か試して、そのたびに同じことを繰り返した。

 埒が明かないため、急遽獣車を止めて、向こうの獣車の人と話し合いをした。

 そのことを思い出す──。

 


「大変申し訳ありません。普段はこんなことのない優秀な魔物なのですが。今日はなぜかこんな調子でして……」


 向こうの獣車からこちらにやってきた人は、開口一番にそう言った。

 腰が低そうな、うだつのあがらない勤め人という雰囲気の男だった。戦いが得意そうにも、レベルが高そうにもみえない。


 着ているものも、制服と思わしきものだった。向こうの獣車で忙しく動いてる人はみんな同じ服を着ている。なんなら獣車までもがそうだ。同じデザイン、同じ色調のものを統一させて纏っている。実際比喩でもなく勤め人のようだ。色調やデザインだけでなく、統一したマークらしきものも服や獣車に共通して描かれていた。


 少しの時間、その男とどうするかを話し合った。

 俺としても出来れば早く先に行きたい。

 そして相手も俺たちのことを先へ行かせたいようだった。


 だがそのためにどうするのかの具体案に、お互い欠けていた。

 色々案を出してみるがいい解決策は出ない。


「この先に分かれ道があるのですが……。

 別の方向へいく、ということは、ありませんかね……?」


 分かれ道、か……。

 正直地理がよくわからないが、ひとまず目的地を答えることで、お茶を濁した。


「俺たちは『貨幣都市』に向かってるところですね」


「そうですか……。なら行き先は同じですね……」


 納得するように頷きながらも、微妙にがっかりしている様子が透けていた。

 

「分かれ道、というのはもう一つはどこに向かって延びている道なんですか?」


「えー……そのまま中央大陸へまで続いてる道、ですね……。かつての『人魔街道』の名残で残ってる、整備もあまりされていない、古道です」


「そうですか」


 分かれ道というなら、一つは『貨幣都市』に向かう道だとして、もう一つ道がある。

 その道が少し遠回りでも貨幣都市に繋がっているのなら、そっちでいいかもしれないと思って聞いたが、そういうわけでもないみたいだ。


 結局いい案もなく、結論は一番無難で何の解決にもなってない案に落ち着いた。

 つまり、つかず離れずの距離を維持してお互い刺激しあうことないまま街まで進むという案に。


 まぁ、しょうがない。

 依頼の期限に間に合わないわけでもなければ、他に大きな問題があるわけでもない。

 気分的に少しじれったく感じるかもしれないが……。それだけだ。


 ……早めに街を出ておいてよかったな。


 俺としてはその程度の気持ちだったが、相手からは再三にぺこぺこと謝られた。いくつかの品物を持ってきて、売り物なんですがお詫びに……と渡されたくらいだ。相当イメージを気にしている、どこかの大きな商会だろうか。


 なんて、その時は思ったのだった。




 そんな事情があって──現在、進むペースはゆっくりだ。

 三台の獣車が足並みを揃えて進もうとすれば、一台とは違ってどうしても速度は落ちる。他にも進むペースが遅い理由はあるが、それだってすでに謝罪受けてしまったのだから文句を言えるはずもない。そもそも言うつもりなんてないんだけれど。


「(とはいえ──本当に、丁寧だったな)」


 向こうの獣車の人たちの、対応は。

 少なくとも、俺と接している分には。

 それと……俺たちから見えている場所では、か。


 千夏を膝に置き、流れる景色に視線を向ける。

 だが意識は、どうしても耳に届く情報に向いてしまった。


 ──ドガッ。


 重苦しい、打撃音。

 それは前にいる三台の獣車のうち、最後尾を走る獣車の中から聞こえてくる音だった。


『……まだやるのか。売り物だぞ? それも受け渡し先がもう決まってるってのに。気持ちはわかるが、もうやめたほうがいいんじゃないか』


『いいや……まだだ。まだまだこいつは買われる側ではなく、買う側だと思ってる。そういう目をまだしている! しつけが必要だ。取引先のために。そうだろう!』


 相槌を打つように打撃音がまた鳴る。

 そのあとに続く、小さく聞こえる呻き声については、考えないようにしていた。寝るときに聞こえる虫の声のように聞き流す。

 

『だからといって、傷だらけで渡すわけにはいかないんだぞ。わかってるんだろうな?』


『わかってる、わかってるって。あぁ、わかってるよ。わかってるとも……。回復薬はあるんだから、気楽にやらせてくれよ。何も殺すわけじゃない。ほら、使った』


『ったく……。まぁ……こんなことできるのも、もう終わりだからな』


『そうだ……そうなんだよ。もう終わりなのか……。寂しくなるな……。なぁ、こんなもんじゃないんだ。俺たちの恨みは。それをちゃんとわかってくれてるか? 本当に……。頼むから、売られた後もちゃんと不幸な人生を送ってくれよ?』

 

 そして、また打撃音がなった。

 

「(職業上しかたがないんだろうが……)」


 とはいえ聞いていて、気持ちのいいもの、というわけでもない。

 ひとまず常人には聞こえない微かな音だから、千夏の耳には届いていないだろうことは幸いだけど。しかしたまたまこんなアクシデントが起こった相手が『これ』というのも、なんというか、運が悪いことだと思う。


 獣車が止まる。

 前方に視線を向けると、三台の獣車が道の途中で揃って止まっていた。

 こちらの獣車に止まる必要なくとも、前が止まれば必然的にこちらも止まる。


「……またか」


 既に今日、これで二度目のことだった。

 話し合いに来た腰の低い男が、申し訳なさそうにこちらを見ながらぺこぺこしている。しかし他の制服を着た人たちは、関係なさそうにキビキビ動いて、三台ある獣車のドアをすべて開けて回っていた。


「……うーし。したいやつは出てこーい。きびきび動けよー」


 制服を着た男が、号令のように声をかける。

 すると開いた獣車のドアからぞろぞろと人が歩いて出てきた。

 出てきた人は全員統一した格好をしていた。でもそれは制服ではなく、もっとずっと見窄らしい服だった。手や足に枷がつけられて動きにくそうにしながら、暗い雰囲気を纏って、男の号令にしたがって整列していく。


「よし、順番だからな」


 制服の男が、見窄らしい服の人を近くの茂みへと連れていく。

 少しして戻ってきた二人。見窄らしい服を着た人は自発的に獣車の中へ戻り、制服の男はまた別の見窄らしい服の人を茂みへと連れて行った。そうして順番に用を足させているのだろう。


 いわゆる──『奴隷』と『奴隷商』というやつだった。


 あまり考えないようにしていたが、一回目に止まった時、腰の低い男がやってきて申し訳なさそうに自分たちの身分を『チークテック商会の奴隷販売部』だと明かした。たくさんの人間を運んでいるため、どうしてもこういう時間を取ってしまうと謝っていた。

 

 文句は言えない。言っても仕方がないからだ。

 『運が悪い』、何度考えても結局同じ結論に辿り着くのだから。

 

 とはいえ子供に見せるのはどうなのだろう。そう思って一回目に止まったとき、千夏だけは帰してしまおうかと考えた。でもこれも『世界』といえば『世界』だ。良い方だけを都合よく見せるのは果たして正しいのだろうか。一応反対側を向けているし、見ようと思わなければ目にも入らない。

 でも結局そうして見せている獣車の屋根の景色も楽しんでるわけじゃない。……なら無理して居続けさせるべきでもないのか?


 はぁ……どうしたらいいか、よく分からないな……。


 思考から逃げるように、日暮に視線を向ける。

 俺たちと同じように獣車の屋根で座る日暮に変わった様子はない。


 正直一回目のときに奴隷商だとわかった時、少し心配になって見てしまっていたが、居場所を獣車の最後尾に移しただけだった。おそらく視界に入れたくないのだろう。走っている間もずっとそこで後ろの景色を眺め続けていたが、だからといって何か突飛な行動をするわけでもなかった。


 ……心配のしすぎだったか。

 テールウォッチでも奴隷はみかけた。それこそ子供の奴隷も。

 だけどそのとき日暮が何か行動をしたり、問題を起こしたことはなかった。


 全員で見て見ぬふりをしていればいい。それが一番賢いことだ。

 この世界ではこういうことがあるのだと、割り切ることも必要だ。

 そのうち終わる。実際、列もほぼ終わりかけていた。


「おい、お前はそこだ」


 声につられて少し視線を向けた。最後に出てきた奴隷に、制服を着た男が指示の声をかけているところだった。指示をされた奴隷の方は、まだ年端もいかない少女の奴隷だ。


「お前には茂みなんて贅沢がすぎるからな。そこでいい。その道でしていろ。

 なけなしの自尊心を捨てる訓練にも、ちょうどよくなるだろう」


「……ちょっと『部屋』に戻る」

 

 流石に、見るに堪えなくなってきたので千夏を『部屋』に連れて行く。

 小脇に抱えて獣車の中に入り『ドア』から『ラウンジ』へ。誰かいないか見て回ると、ちょうどよく鞠がだれるように机に伸びていたので横の席に千夏を置いた。ついでに昼食の食事を机に並べ、鞠に食事を食べさせつつ面倒を見ておいてほしいと頼むと、急いで戻った。獣車のドアを開けて、外に出る。



 ──日暮が、持っている剣に血を滴らせて立っていた。



 獣車から出た瞬間に、さっきとは打って変わった物々しい空気だとは感じていた。

 とはいえ実際に目を向けるまではまさかそんな光景が広がっていると思わず、少なからず驚いた。かなり早く戻ったつもりだったのに、俺が『部屋』に行っていた間にあまりにも状況が変わっていた。


「……どんな状況だ? これ」


 声を出しながら、その場所へ近づく。


 虚ろな瞳で俯きながら、血の滴る剣を持って立ち尽くす日暮。

 その近くには地べたに座りこみながら血に濡れた大きな傷を抑えて日暮を睨みつける、指示をだしていた奴隷商の男と……呆然とする奴隷の少女がいる。


 さらにそんな三人を闘争心を剥き出しにした奴隷商の人たちが武器を持って囲っており、また奴隷商達から日暮を背中に庇う形で驃とサイセが間に割って入っている。


 かなり一触即発なのか、俺の声に気づいて一瞬全員の視線がこっちを向くものの、またすぐに戻っていた。相当ヒートアップしているのがわかる。サイセも一瞬こっちに視線を向けていたが、余裕がなさそうにすぐ視線を戻していた。


 代わりに、声だけがこちらに向かって飛んできた。


「すまん、旦那……。止められなかった」


「……申し訳ありません、秋様。油断しました」


 驃とサイセの申し訳なさそうな声に、首を振って答える。

 

「気にしないでいい」


 こんな短い時間で起きたということは、本当に唐突に、いきなり切り掛かったのだろう。それが意識の不意をついてしまったことは理解できる。気を抜いたなんて責めるつもりはない。それを言うなら『部屋』に帰っていた俺も同じなのだから。


 まさか──いきなり切ってかかるとまでは思わなかった。不満を抱いてるにしても。

 奴隷に対しての行いが許せないのであれば、そもそももっと前。奴隷商が奴隷をつれてると分かった時点で行動をしておかしくはないはず。以前子供の奴隷を見たときだってそうだ。でもそれは我慢できていた。


 なのに今回、奴隷商が奴隷にしていた命令を聞いて、タガが外れたように切ってかかりにいく。


 その二つの違いがわからなかった。

 違いがあったとしても、いきなり切ってかかるほどのことなのだろうか。

 俺たちはきっと、そう考えてしまう。


 確かに、見ていたい光景ではなかった。命令も人を辱めるもので思わず眉を顰めたくなる。

 日暮にとってもそれは同じ──いや、さらに嫌な光景だっただろうことは想像がつく。


 だがいきなり斬りかかって殺してどうにかしようなんて普通ならなるだろうか。

 口頭での注意すらも飛び越えてだ。人をいじめてる現場を見て助けに入るにしたって、いきなりナイフを持って刺しにはいかないと思う。


 要するにそれほどまでに急激に起きた、とても極端な動きだったということだ。


 正直、理解ができなかった。

 正確にいえばそこまで『おかしい』と思っていなかった。

 だからこそ起きてしまった、失態なのだろう。

 

「ッ! どういうつもりですか……!! 急に……。あなた方は、自分達が誰を敵に回しているのかわかっているのですか!!」


 あんなに腰の低かった男も、怒りの形相で声を荒らげている。


「お前……なんなんだ……? どういうつもりなんだ、なぁ……。もしかして、正義感のつもりなのか……? ガキが可哀想だから手だしたつもりなんだろ……。 そうなんだろッ!! 何の事情もしらねぇカスがッ!! 正義感のつもりで!! えぇ!?」


 地べたに座りこんだ傷を負った男は、天を睨みつけるかのように日暮を見上げて言った。怒声が傷に響いているようで時折顔を歪めるものの、それ以上に怒りの感情が優っているのか、言葉はなおも続く。

 

「俺たちがただの奴隷のガキを、いびるわけがねぇだろうが!! こいつは、ただのガキじゃねぇ。あの『ヒルグリンド』のガキだぞッ!! ここいらの領地でその名前を、知らないはずがねぇよなぁ!!」


 ──『ヒルグリンド』。聞いたことある名前だ。


 ……そうだ。定食屋の主人の話に出ていた。テールウォッチから行ける二つの領地。そのうち俺たちが行かなかった方の、現在は調子がいいと評判だという『ハウヴェスト領』。その『前の領地の名前』が、同じ名前だった。確か、かなり評判が悪かった……なんて話をしていたように思う。


「あの奴隷趣味の、イカれ領主を知らねぇのかお前は!! 俺たちの中にだってなぁ、いるんだぞ!! 奴の奴隷だったやつが!!」


「……私たちチークテック商会の長は、元奴隷から複数の商会を束ねるまで成り上がった、傑物のお方です。そんな経緯と懐の深さもあって、商会には元奴隷や奴隷と関わりのあった従業員が多く勤めています。だからこそ我々は誓って、不当に奴隷を扱うことはありません。細心の注意を払って、奴隷と接しています。今回で何かを勘違いをさせて、ご不快にさせてしまったことは謝罪いたしますが、なんとかご理解いただけませんか……?」


 腰の低い男が一歩前に出て、この場をなんとか収めようと言葉を並べていた。

 自分自身の気持ちも必死に落ち着けようとしながら、穏便にこの場を収めたい気持ちがよく伝わる。


 ……正直なところ、俺もできれば穏便に済ませたかった。

 だが俺と腰の低い男、サイセと驃を除いた全員が、もはや殺気立っていて収まりがつきそうにない。


 奴隷商の従業員たちは何も事情を知らずに首を突っ込んできた日暮に。

 日暮もそんな奴隷商たちに、と……。それぞれが怒りを剥き出しに発していた。

 もはや日暮を気絶させても襲いかかってきそうだ。むしろもうこうなったら気絶なんてさせるわけにはいかない。

 

「はぁ……」


 ため息をつく。そして驃とサイセに指示をだした。


「驃、サイセ。とりあえず死なない程度に、やるから」


 二人が頷く。

 奴隷商たちが目を血走らせながら、今にも動き出しそうに武器を構えた。


「なっ……! あなた方は……それでは盗賊と何も変わらないと分かって──」


「……本当に、な。全面的にあなたが正しいよ。

 まぁでも、そういうことだから……悪いね」


 そしてその言葉が口火を切ったかのように戦闘が始まる。

 だがその戦闘も、苦戦することなく、つつがなく終わりを迎えた。


 そんなに強い人もいなかった。当然だろう。そんな人がいるなら、隠してる俺はともかくとして、驃の強さを察して必死に戦わない選択をするはずだ。驃を前にしながら感情に任せて戦おうとした時点で、たかが知れている。せいぜいいたのはサイセや日暮が少し苦戦する程度の敵だけで、こちらの戦力が当たり前のように過剰だった。


 だから当たり前の勝利に対しての感慨なんて何もなく、死者すら出さず無事に終えたのに、何かが解決した感じすら一切ない。むしろ周りに転がる従業員を見ながら、これからどうするかと頭をさらに悩ませるばかりだった。


「どうしようかなぁ……」


「余計なことはせず、全部そのままにして、ずらかった方がいいんじゃねえかなぁ〜。やったことに対しての反感は避けられないが、まだ誠意を見せれば許してくれる範疇だろ? 何か盗んだわけでもないんだしな。とりあえず今は、これ以上傷口広げるようなことは避けた方が無難そうな気がするな、俺は」


 つぶやいた言葉に返してくれたサイセの言葉は、至極真っ当な意見だった。


「ま、待って……それじゃあ、この子は……? サイセさんも、見ていたはずだ! 恥ずかしい思いをさせられて、こんなになるまで汚されていた!」


 日暮が奴隷の少女を引き寄せながら、サイセに反論をする。

 状況についていけておらず呆然とする奴隷の少女へ、視線を向ける。『部屋』へ戻る前に見た時より、泥が体の片側にたくさんついていてひどく汚れていた。それに泥の場所から、土臭さに混じってツンと鼻を差すにおいも同時にする。


 ……日暮の言っていることは、正しい。

 少なくとも一つの側面では、間違いなく。


 サイセもそれがわかっているからか、言い返さず、気まずそうに頭をかいていた。


「──それでも、手を出すべきじゃなかった」


 だがそれでも、誰かが言う必要がある。

 それを口にすると、日暮の体が怯えたように揺れた。


「世界が違うんだ。俺たちの非常識は、こっちの常識かもしれない」


 それに全く奴隷商たちに言い分がないわけでもなかった。

 視点が変われば見た目ではわからなかった、止むに止まれない事情があったことに気づくことだってある。


「気に入らないことを変えたいにしたって、正当な手段か自分の力で、好きにかえればいい」


 今のところ日暮は、自分の事情に俺たちを巻き込んだだけだ。


「何より、終わったあとに自分でどうにかできないだろう、日暮は。戦いが終わったあとのこと……いや、戦いすら一人だったなら怪しかった。それなのにこんなに後先考えず動いて、どうするつもりだったんだ?」


「それは……」


 そして日暮は口籠る。

 当然そうだと思う。日暮にできることは何もない。自明のことだ。 

 

「……とりあえずこのまま放置して先を急ごうか。この人たちが駆け込むよりも先に『テークテック商会』へ行ってしまえば、怒りを買う前に必要な情報だけでも手に入れられるかもしれない」


「それじゃあ、ここの奴隷の人たちが……。そ、そうだ……! ま、【街】に、秋の! そこにこの人たちを連れてって、住んで貰えば──」


「この人たちは、【街】には連れてかない。この人たちが奴隷って『物』なら窃盗だし、『人』なら誘拐だ。それこそさっき言われてたように『盗賊』のすることなんじゃないか?

 それにもし連れていくにしたって、商会の人間は全員殺すことになるだろうな。反抗されるのが分かっていて内側になんか入れられない。かといって自由に生かしておいても困るだけだ。自然と口封じすることになる」


「そ、そんな……」


 表情を絶望に染めながら、膝から崩れていく。

 しかし日暮は、目の前の少女を抱きしめて、縋るような様子で諦め悪く言った。


「だったら、せめて、この子だけでも……!

 助けてほしい……お願いだ……」


 消え入りそうな声だった。それに淡々と言葉を返す。


「孤児院にでも連れていけばいいのか?」


「…………」


 無言で向ける日暮の視線には、望んでいることがそうじゃないことを、ありありと物語っていた。 呆れて物が言えなくなる。少しだけ吐いたため息が、妙に大きく聞こえたのは、この場の誰もが静かに行く末を見守ってるからだろうか。


 というか、それよりも……。

 唐突に気になり始めたことがあった。

 今の日暮の行動に『違和感』を覚え始めたのだ。どこの、何にだろう?


「許すかよ……そんなの……」


 考える間もなく、声が思考を遮る。

 それは俺たちの中の誰かではなく、地面に倒れていた奴隷商の中の一人からあがったものだった。

 

 当分は起き上がらないと思っていたが、意識を取り戻したらしい。

 誰かの倒し方が甘かったのか、もしくはそれほど執念が強いのか。


 奇しくもその男は、一番最初に奴隷をいびっていた人だった。

 手加減をした戦闘で寝転がっている周りの奴隷商とは違い、容赦のない日暮の一撃を受けて、一番の深手を負っている。それなのに真っ先に意識を取り戻すとなると、執念でしか説明がつかないのかもしれない。


「俺の……娘は……ッ! そのガキのクソみてえな親父に……連れてかれたんだぞ……領主の特権を使って、強引に──奴隷としてだッ!!」 


 しかし執念では当然、体の傷は消えない。相当無理している状態なのか、体を立ち上がらせることすらできていなかった。それでも男はずるずると地面を這いずって、少しでも日暮の方へ距離を詰めようと足掻くように動いていた。


 日暮の目が大きく開く。動揺したように瞳が揺れている。


「正義面したどこぞのやつが……今になってのこのこ現れやがって……俺の時には現れなかったくせに……。おかしいだろうが……! 絶対に、見つけ出してやるぞ……!! ウォンテカグラのどこにいようと……!! 」


 這いずる男は、進みを止めないまま、血走った目で睨みながら言った。


 日暮を──いや、奴隷の少女の方に向かって。


 背にしていて見えてない日暮とは違い、抱きしめられた奴隷の少女は、不幸にも真正面から男の姿を目にしていた。そして血の気を引かせながら、蒼白の顔で、唇を震わせている。


「俺だけじゃなく……恨みを持った、山ほどいる仲間、全員で……! 

 探し出してッ! 娘以上の不幸と恥辱の中に叩き込んで──ガッ」


 這いずっていた男が、再び気絶する。

 攻撃を入れたサイセが「すまん、流石にそろそろ見てられんわ」と呟いたあと、不安そうにこちらを見てきた。頷いて返すとほっとしたように息を吐き出していた。


「……でも……。それでも……」


 ぽたぽたと、日暮の目から涙が溢れ出す。


「それでも、この子だけは!! お願いだ……秋……。

 お願いします……この子だけはどうか……助けてあげてほしい……」


 ──あぁ、そうか。

 ようやく分かった。日暮に感じていた──『違和感』の正体が。


 ずっと、勘違いしていた。俺は……俺たちは。これまでの日暮のイメージに引かれて持ち前の道徳観とか、正義感とか。こんな行動を引き起こした原因を、勝手にそういうものだと思ってしまっていた。

 

 だが『全く違う話』だったんだ。これは。

 奴隷が可哀想だとか、恥辱を与えるのが許せないとか、そう言う話じゃない。

 

 日暮はずっと──『奴隷』を助けようとしていたんじゃなく……いや、助けられるなら助けたいとは思っていたんだろうが、しかしそれ以上に、譲れないほど『この少女自身』のことをとにかく助けたかったんだ。


 そうじゃなければ、この『少女』と他の『奴隷たち』への執着心に、こんなにも違いが出るはずがない。そこに違和感を感じたんだ。


 ……道理で理解できないわけだなと思う。

 間違ってるとまではいかなくても、最初から少しずれていたんだ。

 だがその考えに至るには、大きな疑問を一つ解決しなければならない。


 その疑問を、ここにきてようやく、俺は尋ねる。


「やけにその少女にだけ、こだわるんだな、日暮。その子じゃないといけない理由があるのか? 全くの赤の他人だと勝手に思ってたけど……。そうじゃないなら……その子は、日暮にとってのなんなんだ?」


 日暮は瞳から涙を溢れさせたまま、腕の中にいる少女を抱く力を強める。

 それは少女を思っての行動というよりは、ただただ自分が怖くてしがみついているように見えた。


 そして震えた声で言った。


「私の……私の、せいなんだ…………。

 この子が今奴隷になっているのは……」


「…………」


「この子の親の……『ヒルグリンド』を手にかけたのは──私なんだ……」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 作品の質を考えたときにずーと成長せずに同じことを繰り返すキャラは、読者として見づらく共感しずらいです。ヨモギとかも自己中でイかれていると思いますが、竜王としての信念がそうさせているのだと納得…
[一言] 日暮に対する読者ヘイトが過剰になりつつあるけど俺は好きだよ 秋に「なんだこいつ」って思わせられる奴はそうはおらんでしょ
[一言] もう日暮はキャラクターとして成長しないし読んでてイライラするからさっさと殺して欲しい。同じこと繰り返して庇護されてる状態を読まされるのがストレスでしかない。もはや成長するより主人公にブッコロ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ