第111話 けっ②
この先は雷雨と風がひどいからと、地上に降りて、特に変哲のない森の中を歩く。
相変わらず雲の下では濃い暗闇の中で雨が降っていた。しかも村にいたときよりも確実に強い。おそらく『元凶』に近づくほど、天候も悪化しているのだろう。
そんな状態でも、森を進むのに最悪かと言えば別にそうでもない。
俺もティアルも。暗闇で先が見えないわけでもなければ、魔物に襲われるわけでも、雨にさらされて風邪をひくなんてことも別にないのだから。一応ここは最初の村と同じ『ティブーユ領』にある小規模な危険地帯らしいが、気になるほどのことでもなく、普通に歩きながら会話をして進んでいた。
「そろそろじゃ」
ティアルがそう言って少し歩くと、雷以外の光なんて無かった森の中でぼんやりと、光が灯っている場所が見えてきた。そこから感じる強大な気配にどこか既視感を感じて、何なのかを考えてるうちに、光の場所にたどり着いてしまった。既視感への疑問は、ついてすぐ解消された。
目的地につき、足をとめ、俺は目の前の光景をまじまじと目に入れる。相手もまた同じようにこちらを見ているのを受け入れながら。
たった一目見た瞬間、そこにいた生き物が分かった時点で。
少なくともこの長雨に対する、事態への理解は大きく前へ進んだ。
「なるほどな……。環境魔獣でもいるのかと思ったけど」
俺の呟いた言葉が気に入らなかったのだろうか。
そこにいた『竜』はぎろりとこちらを睨みつけてきた。
そう──竜だ。よもぎに続いて、出会うのはこれで二人目。既視感があるのも納得だ。
竜が森の拓けた場所で、体を横たわらせている。
なんだろう。俺の出会う竜はいつも寝ている気がする。よもぎもそうだった。ただこの竜はよもぎと違って、したくてそうしてるわけでないのだろうけど。
こちらを睨む竜の視線が一瞬苦痛に歪む。
やはりそうだ。この竜は、『起きない』のではなく『起きられない』。
なぜそれがわかるか。
それは見れば明らかで、体が尋常じゃないほど『傷だらけ』だからだ。全身に血がこびりついて、それ以外の血と傷のついてないほぼすべての場所を『金色の紋様』が覆っている。この金色の紋様も、よもぎが使ってるのを見たことがあるが、もっと色が鮮やかだった気がする。こんな脈打つように点滅をする、まるで全身を蝕むようにみえる毒々しいものじゃなかった。この竜の元の色が『青色』であることも、まともに見える鱗をかなり探してようやくわかったほどだ。
「…………」
さらに森の奥が少し気になって視線を向ける。
「む……。秋、そっちは今は気にせんでよい」
…………。
ティアルがそう言うならいいか……。
視線を戻すと、俺を睨みつけていた竜の視線が、ティアルに移っていた。そこから視線を動かさずに、竜が声を発する。
男の声だった。
『おい、悪魔の魔王……。一体、どういうつもりだ。俺のこの状態を、何とかできるやつを連れてくる、そういう話だったはずだ。それでどんなやつを連れてくるのかと待ってみれば、たかが人間一人だと? 話が違う。お前……ふざけているのか?』
ちなみに森を歩いている間に、種族は『人間』に戻していた。
人間の領地だから一応人間を標準にして戻したほうがいいかなと考えた結果で、大した理由では無い。
『一体何ができると思って連れてきた。ありえるわけないだろう。非力で脆弱な種族のたかが一人が……。こんなやつが竜の何かをどうにかできるなどと考えているなら、心外極まりないな……。今の状態の俺ですら、こんなやつ、簡単に捻り殺せるぞ……』
「…………」
プライドが高いな……。
よもぎだけかと思ったけど竜ってみんなこんな感じなのか?
竜はこっちに牙を向けて唸り声をあげている。
「やめんかッ」
『ぐっ……ガ、ハッ…………』
ティアルが唸り声をあげる竜の顔を蹴り飛ばす。結構強めの蹴りで、竜の頭が地面から一瞬浮いていた。そのあと咳をするように、竜が口から血を吐き出す。こんな重体でくらっていい一撃じゃなかったな……。
しかし普段から竜も血を撒き散らしているのか、ここら一帯は今の一撃に関わらず血だらけだ。雨ですら洗い流せておらず、なんならよくみると土にまで染み込んでいる。
『フンッ……馬鹿にされた仕返しを他人にやらせて黙っていられるとはな……』
「…………」
「こやつは……」
『うっ……。フン……』
ティアルが再び拳を構えて、竜が一瞬ビクつく。
しかしすぐに何もなかったようにこっちを睨んでいた。
その様子に、ティアルがため息をつく。
「すまぬが秋、種族を元に戻してくれんかの」
「あぁ、わかった。【種族変更】──『勇者』」
種族を『勇者』に戻す。
それを傍で見ていた竜の表情の変化がすごかった。
睨みつけた表情が崩れたと思ったら、目を見開いた驚愕に変わり、最終的には困惑を浮かべて竜は言った。
『なんだこいつ……。種族が変わった……? しかも『種族勇者』だと……。……本物だ。間違いない、こいつ。幻や錯覚でもなく、本当に体の仕組みから人間から勇者に変わってる。どうなってるんだ? むしろ幻や錯覚のほうがマシだ。本当に変わる、気持ち悪いやつがあるか。お前、化け物か?』
「…………」
ひどい言われようだった。
『む……。すまん。気分を害したか? 謝るから怒らないでくれ。最初の態度も詫びる。悪かった。お前への態度も改める。魔王が、お前を連れてきた理由がよくわかった。これは俺の見る目が、足りていなかった』
沈黙を怒ってると解釈したのか、矢継ぎ早にそう言われた。
別に怒ってないが、なんだか急に従順になったな、この竜。
「こやつの名前は『ウォイルークワイア』という、お主が知ってる竜王ではなく、ただの『竜』じゃ。──本来ならの」
「本来なら……?」
「今はちょうどその『中間』ぐらいじゃ」
……それは竜と竜王の、ってことでいいんだろうか。
竜とか竜王のことについて前提的な知識が足りないから、いまいち話が掴めない。
ティアルもそのことがわかっているのか、根本的なことから話を始めてくれた。ありがたい。
「『竜王』とは、絶大な力を持った『竜』が正当な手段で進化して至った上位種のことを指しておる」
「へぇ。じゃあ元々、よもぎも普通の竜だったんだな」
「そういうことじゃの。竜族には、竜王へ至るための長く厳しい『試練』があるという。内容は他種族には明かされておらぬが、竜ですら死の覚悟をして望むものらしい。そんな試練を乗り越え、種族を超越し竜王へ成った者は世界で『七人』のみ。おそらくはよもぎですら、竜王になるのは楽ではなかったであろうの」
どこか自慢げな様子のティアルだった。
なんだかんだと、よもぎとの仲がいいと思う。
「さて、ここで重要なことはの、秋。『試練』はあくまで竜族が太古に編み出して作り上げた──『制度』であるということじゃ。つまり先にあったのが『竜王への進化』であって、後に『試練』ができた。片方が人工物、もう片方は生まれ持った身体の仕組みの話であるのだから、言うまでもない話だがの」
なんとなくティアルの言いたいことがわかってきた。
「つまり元々の『竜王になる方法』があったってことか? さっき『正当な手段』ってわざわざ言ってたように。竜王になる古来の、本来の手段があるんだ。だけどそれに何かしらの問題があり、必要にかられて竜達は他の手段である『試練』をわざわざ作り出し、それで竜王になるようにした。そうじゃないか?」
「う〜む……秋は、察しと話の理解が早くて助かるの」
そう言って、よしよしと頭を撫でられる。
…………。
最近千夏に勉強を教えてるからって、同じことを俺にやられてもな……。
「それでどうしてそんな仕組みが必要になったんだ?」
手を避けながら尋ねる。
「当然、あまりにも『危険』だからじゃ。さきほどは『試練』は『死を覚悟するもの』と言ったがの。本来の方法はそんな次元ではない。竜王になろうとした時点で『竜王になる』か『死ぬ』か。結末はその二つだけだからの」
そもそも竜王になるか、ならないか。その選択の入口に立てる者は多く無い。
世界で屈指の種族である竜族であっても、ほんの一部のみ。今も変わらずにそうらしい。
そして──それがある意味で『罠』のようになっていたそうだ。
『竜王への入口』──それが目の前に現れてしまった多くの竜は、自分が『選ばれた』と過信して、勝手に竜王になろうとしてしまう。実際は『入口が現れた』ことなんて、文字通りの『入口』でしかなく、竜王に至るためにはより多大な資質が必要になることなんて知らずに。
だから当然のように、竜王になろうとした多くの竜が、資質が足りずに竜王へなれなかった。
そうした竜の果ては、悲惨だった。すぐに死ぬのならまだマシだ。実際は体の許容を越えた力に蝕まれ、暴走し、厄災を撒き散らして身近にいる人を傷つけながらゆっくり死滅していく。
そう、ティアルは語った。
「わしの想像でしかないが、竜族の祖先は、過信がちで調子乗りのどうしようもないうつけもの達が後を絶たぬのを憂いたのであろうの。こやつのような」
ペシペシと竜を叩いている。
竜はツンとした表情で無視していた。
「つまり……今説明したことが、この竜にも起きてるってことでいいのか?」
「そういうことじゃの」
それで『竜王と竜の中間』というわけか。なるほど。
「こやつは今や竜族も存在を知らぬ者が多い、廃れた【竜王転生】のスキルに自力で辿り着き、手に入れた。わしですら竜族の秘書を盗み見てようやく知り得たものをこやつは……馬鹿なのか天才なのか。スキルを発動したのは、大馬鹿者一択だがの」
『フッ……『天才』か。俺は昔からよくそう言われていたぞ……』
「黙れ。褒めておらぬわ、馬鹿者が。資質が足りず、暴走しておいて。司っておる力が『天候』のせいで、この辺り一帯の異常気象の『元凶』じゃ。もはやこやつが死滅するまでこの天候は治まらん。傍迷惑極まりない愚か者じゃ、全く……」
……確かに、こうして状況をしっかり把握してみるとひどいな。
話もティアルの言ってることがすべて正しく聞こえる。それにティアルが竜にあたりが強かったことの理由も分かったようなきがした。
「そもそも死を覚悟するとはいえ、『死』か『竜王』の二択を強制させるよりかは『竜王の試練』のほうがよっぽど安全性が高い。それに竜王へと馴染んで進化できるため適正の範囲も広く、もはやスキルの完全上位互換にあたるものだそうじゃ。根本的に、時代遅れのスキルを見つけて発動する必要性がないの」
『おい……悪魔の魔王。お前──』
ぎろりと、竜がティアルに視線を向ける。
『悪魔族のくせに随分と竜に詳しいんだな……。“試練”なんて、年寄りのためのくだらん伝統行事にしか思っていなかったぞ……』
「…………」
「…………」
──なんていうか、この異常気象の理由はそんな感じらしい。
誰かの策略や陰謀でも、壮大な何かの謎なんかでもなく。
ただ一人の竜の過信から、広大な被害を被る異常気象は発生した。そういうことみたいだ。村で結構大変そうにしてたのを思い出すと傍迷惑な話だと思う。果たしてそれほどのことができてしまう竜王の力に、恐れるべきか、はたまた呆れるべきか……。
「それで事情はわかったけど、俺はどうすればいいんだ?」
一応聞いた話を整理すると、このままでも異常気象の解決はするにはするのだろう。竜王になろうとした竜の結末は二つ。そしてこの竜はすでに竜王にはなれなかったのだから、もう一つの結末にたどり着くことは決まっている。事態の解決は、すでに時間の問題でしかない。
それでもなお、この異常気象の解決を急ぎたいなら……。
方法は、あるにはあるが──
『……なんかぞわぞわするから、そんな目を向けるな』
「……あぁ、悪い」
『いや……いい。仲良くしよう。強い奴は好きだ』
「…………」
案外人懐こい竜だった。
「まぁ、こやつが死滅するのを待つのもいいがの。なまじ自力で【竜王転生】にたどり着いただけあって、優秀といえば優秀じゃ。相当しぶといであろうの。おそらくこの領地や土着の魔物のほうが早く滅するのではないかの? だからといってこれから『試練』につれていきまともに竜王になるには、衰弱しすぎておるが」
なら、どうするのだろうか?
そもそもティアルが最初にいった、この状況で俺にできることっていうのは何だろう。
案外ない……というより全く、思いつきもしない。できることなんてあるだろうか? 俺に。
「本来ならこの状況に陥った竜の行く末は一つ……『死滅』のみ。しかし幸運なことに一つ。たった今、一度だけできる、世界で秋だけにしかできぬ『救う手立て』がある。それは──秋とウォイルークワイア。お主ら二人が『契約』をすることじゃ」
『…………』
「契約かぁ……」
契約……契約か……。そうくるか。
なるほど、確かに好みの選択じゃないな……。
「えーっと……。ウォイルークワイア、だっけ。あんたはそれでいいのか?」
『……俺は、それをしなければ死んでしまうからな。選択肢なんてない。むしろあるだけマシだ。俺は、俺自身の行動の結末として契約を受け入れられる』
確かに。命がかかってるのだから、それもそうか。
『とはいえ俺の命を人質に、お前に契約を無理強いするつもりはない。お前の選択だ。好きな方を選べ。たとえ契約されずに息絶えようと、それもまた俺が選択した行動の結末というだけだからな』
「わしも強要はせぬ。最終的には秋、お主が選べばよい。
すでにわしの考えは述べてある通りだしの」
「うーん……」
『契約』──という名の『繋がり』。
状況を考慮せず純粋に『契約』のことだけを考えるのであれば、この『繋がり』というのはどうも俺の性には合っていないものだ。
すでに『冬』や『よもぎ』としておいて何だけれど。だから、これ以上増やしたくないという思いもある。力を得るというよりも、見えなくて重い何かに縛られるイメージが強く、それが拭い切れないから。
よもぎと冬に春。《ステータス》に書かれた名前がやけに多い。もう十分じゃないか?
未だに効果すらよくわかってないのに。
よもぎに聞いても教えてくれないし……。
それにここまで考えて、根本的な疑問が、そもそもあった。
「すでに俺は『竜の契約』っていうのをしてるんだけど……。
それって重複してできるものなのか?」
『なんだと……?』
俺の発した一言に、ウォイルークワイアの態度と表情が一変した。
そしてきつく睨むような視線をティアルに向けながら言った。
『おい……。どういうことだ、悪魔の魔王。そこまでの知識がありながら、知らなかったなんて陳腐な言い訳は言わないだろうな。お前が知らないはずがない。竜の契約は“一人まで”だと』
……竜の契約は一人までなのか。
だったらもう話は終わってしまうな……。
なにせ俺は、すでによもぎと契約をしているのだから。
『二人の竜と契約……冗談じゃない。気安く思われたものだ。竜は手軽に力を得る道具か? いや違うな。竜は人の道具じゃない。人が、竜の道具だ。契約なんて所詮暇つぶしの戯れ、人共の喧騒に呆れ半分興味半分で付き合ってやってるだけのものだ。それなのに二人の竜に契約を求める……竜を天秤にかけるかのような恐ろしい思い上がりだな。強欲だ。そんなやつは、契約自体ができないことを抜きにしても、引き裂いて殺してくれる……』
ぐるるる、と威嚇するような怒気を放ちながら、こちらを見てウォイルークワイアはそういった。
別に俺が進んで竜と契約したいわけではないんだけど……とは、空気を読んで言わなかった。竜特有のプライド的な話に思えたから、言ったら余計拗れそうだ。
『おい、悪魔の魔王。お前は俺を、弄びにきたのか? 契約を選択されずに死ぬだけなら、それも運命だと黙って受け入れるつもりだった。しかし最初から叶わん希望を、目の前でちらつかせて俺の反応を嘲笑いにきたのだとしたら……話は別だぞ』
そう言い放つウォイルークワイアの瞳は、縦に切れ目のような線が入り金色に染まっているものになっていた。
竜が怒ってる目だ。ウォイルークワイアは冗談じゃない本気の怒りを、ティアルに向けている。
『どうなんだ……答えてみろ、悪魔の魔王。答えによっては……俺の残りの命。このまま黙って、ここで終わらせるわけにはいかなくなるぞ。たとえお前らに勝つことはできなくとも、余った命と力の限りを尽くして、暴れ狂ってやるからな』
空気が怒気に満たされ、張り詰めていく。
とはいえ俺的にはどうしようもない話だ。たとえ言い分が間違ってないとしても。
竜とは一人までしか契約できない。なのにすでによもぎとしている。
どちらも事実で、変えようがないのだから。
でも違和感があるのは、さっきウォイルークワイアが言った通り、そのことを『ティアルが知らないわけがない』ことだった。
そう思ってティアルに視線を向けると、この一連の流れで特に動じた様子もなく静かに立っていた。
「問題はない。契約は滞りなくできる」
答えた言葉も、淡々としたものだった。
『……何を言ってるんだ、お前は。ふざけているのか? 言い逃れではなく事実の話をしろ。こいつは他の竜と契約しているのだろう。そして契約は二人目とはできない。お前が何か言ったところで、この事実の何が変わる? 問題がないと言っている理由はなんだ。説明をしてみろ』
苛立ちを言葉に滲ませながら、怒った瞳に怪訝を浮かべて、ティアルに向けて言い放った。
「問題ないと言うておる。やってみればすぐ分かる」
『聞こえなかったのか? 説明をしろッ!』
「…………」
『おいッ!』
腕を組んで、そっぽを向くようにティアルが黙ってしまった。
ウォイルークワイアは苛立ちながら、黙って様子を眺めていた俺に視線を移した。
『ちっ……埒が明かない。おい! ……お前、一体どこの竜と契約をしてるんだ。名前を言ってみろ』
「……厳密には竜じゃなくて竜王なんだが」
そういうとピクリとウォイルークワイアが反応した。
もしかして竜と竜王だとカウントが別になるとかあるのだろうか。
『竜王……。七柱の誰かがお前とだと……? ……だが関係がないな。竜王だろうが扱いは変わらん。しかし一体どいつがお前と……。いや、待て。そういえば一瞬それらしき名前を言っていたな。確か、『よもぎ』とか言ったか。……しかし、そんな名前のやつは竜王にはいないぞ。そもそも竜の名前ですらないだろう、変な名前だ』
「あー……。えっと、それは俺がつけた名前で。元の名前は、確か……『ハラトゥザルティ』だったかな」
そう言うと怒気に満ちていたウォイルークワイアの表情に困惑が生まれる。
『ハラトゥ、ザルティ……。あのクソ生意気女が、人とだと……? 信じられないな……。それに今お前、なんといった。名前をつけただと……?』
「まぁ……。契約をしたときに」
『……それはどういう契約だ。すべて話せ』
怒り狂った口調ではなく純粋に尋ねるという感じでウォイルークワイアに聞かれて、思い出しながら契約のことを話していく。
確かまず『お願い』をされて、『名前』をつけたんだっけ。
それで勝手に契約するという話になって、その後に『キス』を──
……これウォイルークワイアともし契約するってなったら、この時と同じことをまたやらなきゃいけなかったのだろうか。
それは……なんか嫌だな。何をとは、言わないが……。
『……キスなんてするか。竜の契約の方法は、そんなのではない』
思わず口に出ていたらしく、ウォイルークワイアが苦々しい口調で答えた。
「でも、確かこんな感じだったけどな」
『そもそも竜にとって名前とは大切なものだ。それを少し深い連れ程度でしかない、契約相手如きに変えさせるなど、罷り間違ってもありえん』
いつの間にかウォイルークワイアの纏う空気は怒る前に戻っていて、目も怖いやつじゃなくなっていた。どうやら自分の中で納得のいく答えにたどり着いたらしい。俺はまだ何がおきてるのかよくわかってないけど。
『なるほどな……。悪魔の魔王が何を言っているのか、分かってきたぞ。確かに契約はできそうだな。大分話が噛み合わず、余計な遠回りをしたぞ、全く……。それも全部、お前が『勘違い』しているのが悪い』
ウォイルークワイアは俺に向けて、そう言った。
「勘違い?」
首を傾げて、聞き返す。
『あぁ。お前がした『それ』は、契約ではなくけっ──』
唐突に言葉が途切れる。
同時に、目の前にいたはずのウォイルークワイアの姿も消えてしまった。
続きの言葉はいくら待ってもやってこない。
呆然とウォイルークワイアが直前までいたはずの、虚空に目を向けていた。
本当はどこに目を向けるべきか分かっていながらも、現実を逃避するかのように。
残念ながら目の前からウォイルークワイアが消えるまでの一部始終が目に入っていた。俺の足元に唐突に現れた『金色の紋様』、目の前を尋常じゃない速度で通過する『緑色の巨体』。決して見たかったわけではなく、目の前で行われてしまったがために、強引に視界に入ってきただけのことで、出来るならこのまま見なかったフリをして呆然としていたいぐらいだった。
しかしそんなことをいつまでも言っていられないので、仕方がなく、視線を『上』に向ける。
そこにはさっきまで喋っていた、ウォイルークワイアの立ってる姿があった。
そして──竜状態の『よもぎ』の姿も。
『ガッ……ハッ……。ハラ、トゥ……ザルティ』
『随分、無様……。ねぇ……ウォイルークワイア。でも昔から、私は分かっていたわ。やけに周りから持て囃されてたあなたが、ただ感覚が妙に鋭いだけの『バカ』であること。でもまさか、ここまでとは思ってなかったけど』
ウォイルークワイアとよもぎ。
どうやら知り合いらしい二人の会話は、久しぶりにあった旧友の楽しい会話……には見えなかった。
竜の巨体で立つ二人を見上げて視界に入れる。
そもそも会った時から体をずっと横たわらせていたウォイルークワイア。
本人の状態を考えれば当然で、立ち上がる力がそもそもなかったのか、消耗したくなかったのか。どちらにせよ、あまり立ち上がりたくはなかっただろう。
それでも、今立ち上がっているのは……いや──。
『立たされている』のは……当然のようによもぎのせいだった。
地面の金色の紋様から唐突に現れたよもぎは、現れた勢いのままにウォイルークワイアの首を手で掴んで強引に持ち上げることで、無理やり、一人の竜の体を起こし立たせている。
そして容赦がないことによもぎは、爪を立てるように竜の手で首を掴んでいた。おそらく体に力が入らないだろうウォイルークワイアは全体重をよもぎの手に預けているが、そのせいで、自重によってよもぎの爪がだんだん首の皮膚に刺さってきているようだった。その状態で、両手でよもぎの腕を掴んで必死に抗っている。
『……久しぶりだな。ハラトゥザルティ。いや……今はよもぎというのか? どういう意味かはわからんが、いい名前をもらったな。ベリエットから去り、南大陸を無茶苦茶にしたと思ったら、ぱったりと音沙汰がなくなって死んだと噂されていたぞ。……だがまさか、少し見ない間にこんな『おめでたい』ことになっているとはな』
『…………チッ』
強がって挑発していってるのか? あるいは本気でそう思っていってるのか?
俺ですらわからないウォイルークワイアの言葉に苛立った様子のよもぎは、舌打ちをあげて爪を首に対してより立たせた、鋭利な角度へと変えた。すでに爪先は皮膚を突き破っているのか、ウォイルークワイアの首に細い赤い筋がいくつも出来ていく。
そんなよもぎの様子に驚いて、戸惑った様子のウォイルークワイアは言った。
『?……?? どうした。なぜ怒る。まさか皮肉や冗談と思ってるのか。違う。俺は本気で祝っている。本当にいいことだ。そうだろう。祝いの品がないことに怒っているのか? ……まさか照れてるなんてことは、お前に限ってあるはず──うぉぉぉ!! 分かった! よくわからんが、分かったからやめろッ!! 』
ズブズブズブ……と、音が聞こえそうになるほど、よもぎの爪が深くウォイルークワイアの首に突き刺さって見えなくなっていく。ウォイルークワイアは、体内から迫り上がる自分の血に溺れそうになりながら必死に制止の言葉をあげていた。その間に首筋の赤い筋がどんどん太く、くっきりしていく。もはや冗談の域を超えた二人のやりとりを、どういうふうに見てればいいかよくわからない。
……それにしても、話の途中で終わったけど。
俺がよもぎとした契約は何だったんだ……?
契約じゃない『け』?
契約も『け』だけど……それじゃないのか?
「……めでたい?」
考えが思わず口から漏れる。
なんとなく側にいるティアルに視線を向けたら、すぐに目を背けられてしまった。
…………。
なんか……あまり深く考えないほうがよさそうだな……。
少し考えたらわかるかもしれないが、段々わからない方が都合がいい気がしてきた。
無心で、行く末をだまって見守る。
『どうせ、死んじゃうのよね。だったら、別にいいと思わない。むしろ、苦しみを長引かせないことに、感謝があってもいいくらい。……なのに文句ばかりで、なにそれ。本当……がっかり』
『分かった、悪かった。やめろ。やめてくれ。せっかく生きる希望が見えてきてこれは本当に死ぬ。なんだ。どうすればいい。俺は何をすれば許される?』
『……もし、あなたが契約でみっともなく生き足掻くというのなら、はっきりしておいた方がいいと思わない。ねぇ、そうよね? だって契約主を『共有する』なんて前代未聞の、聞いたことのない気持ち悪いことが、これから起きてしまうわけじゃない』
『……なにをはっきりさせたいんだ』
『序列』
『…………』
一瞬、会話に間が空く。よもぎとウォイルークワイアの視線が交差していた。そこにどんな無言の会話があるのかわからないが、俺とティアルは口出しせず黙って見ていることしかできない。
『私が上で、あなたが下。格下。当然よね。あなたみたいな間抜けの馬鹿に、試練を乗り越えて正当に竜王になった私と、ちょっとでも同格だなんて、微塵も思ってほしくないの』
『…………』
『どうせ他の竜や、竜王が。あなたを認めることなんて今後、もうずっと起こらない。たとえ種族だけ『竜王』になったとしても。試練を無視するって、そういうこと』
『…………』
『他人の力で竜王になるあなたには……ねぇ。ウォイルークワイア。文句なんて一切言わずに、必要だと思う瞬間に呼ばれて、力を奮う。そんな都合のいい装置のように一生をいきるのがお似合いだと思わない。私と、この男のために。そうよね?』
すごい言い分だ……。しれっと関係ない自分混ぜてるし……。
これだったら正直、契約なんてしないほうがマシなんじゃないだろうか。
そう思っていたが、意外にもウォイルークワイアは冷静によもぎの話す言葉に耳を傾けていた。
そして言葉を返したときも、その態度はかわらなかった。
『……わかった。それでいい。お前の言う通りにする。だからこの男と俺を契約させてくれ。本当に死んでしまう』
『……いいわ。許可してあげる、特別に』
とうとう全く関係のないところから許可まで出る始末だった。
『とりあえずこの喉元の爪を、これ以上食い込ませず、できれば抜いてくれ。いや……もうここまできたら逆に抜くな。出血が抑えきれなくなる──うぉぉぉぉお!! 抜くなと言ったろ!!』
よもぎに手を離されたウォイルークワイアは、支えを失って地面に倒れた。小さく地響きを起こして地面につくがそれからも、どくどくと脈打つように、首の大穴から流れ出る血液は止まる様子がない。一応自分で押さえているが、そんなのでどうにか出来る状態じゃ、最早なかった。足元で広がっていく血溜まり。元々ウォイルークワイアを蝕んでいたはずの『金色の紋様』や『たくさんの傷』なんて霞むほど痛々しく重傷だった。
『……というわけで、頼む。契約をしてくれ。予想以上に、もう時間がない』
縋るような目を向けて、ウォイルークワイアは俺に言った。
……はぁ。
自業自得とはいえ、ここまでくると、あまりにも悲惨で気の毒だった。
正直気は進まない。
気分的にも、もう少し悩んでごまかしたかった。
でもそれをできる時間は残されていなさそうだ。
……しょうがない。
話を聞いてる限り、悪い奴じゃない……と思う。
何かあったら最悪よもぎにどうにかしてもらおう。自分で許可を出したのだから、それぐらいはやってくれるはずだ。
「本当に、竜の契約は一人まで?」
そう尋ねると、ティアルとウォイルークワイアが頷いた。
なら──これが最後の『契約』だな。
春、冬、よもぎ。そしてウォイルークワイア。
《ステータス》に書かれた名前が、多すぎだ。本当。
「それで……契約はどうやるんだ?」
『手のひらに、傷をつけて血液を出せ……。そして俺の体に浮かぶ紋様に手をあわせろ……。本当は額同士や手のひら同士だと格好がつくんだが……この際だ。場所はどこでもいい』
言われた通りに手のひらに傷をつけて、そのままそれを金色の紋様に当てる。
すると次の瞬間、手の平を当てた場所を目掛けて、全身から紋様を伝って金色の光が集まってきた。気づけばあっという間に、手の平の先は強い輝きに満ちている。
『ウォイルークワイアは対象、灰羽秋と契約を結び、力を与える。『互助』の契約にて、それを成すものとする』
ウォイルークワイアが淡々と契約の言葉らしきものを連ねる。
『──【竜契約】』
そうして契約を成す力は発動され、結ばれた。
集まっていた光が、つけた傷を通って体内に入ってくる。そうして胸が一瞬熱くなったかと思うと、太い血管が一つ増えたかのような『つながり』が、自分の中で出来ていくのを感じた。
おそらく……これで、全部済んだかな。
少しだけ自分の体を見回すが、特に変化はない。
まぁ、こんなものだろう。特に目新しいことももない。
三回目ともなると慣れたものだった。
それよりも劇的なのは、ウォイルークワイアの方だろう。
今まさに空を覆う分厚い雨雲が、滝のようにウォイルークワイアに降り注いでいた。風と魔力が吹き荒れ、ゴロゴロと雷を鳴らす雨雲がウォイルークワイアの周りでまとわりつくように渦巻きながら、密度をあげていく。気づけば卵のように竜の姿を覆って見えなくしていた。
さらに金色の紋様が地面と空中に浮かび、それもまた雨雲の卵を包み込んだかと思うと卵と完全に同化を果たす。すごく色々な力が渦巻いているのを感じる。とにかくすごいことになってる。いろいろと。
そう思いながら行く末を見守っていると──ふいに雨が止んだ。
竜の咆哮と共に強い突風が一度だけ吹き抜ける。
同時に、雨雲も金色の紋様も、すべてが一瞬にして掻き消えた。
残されたのは、万全な竜の姿をしたウォイルークワイアだった。
傷もなく、金色の紋様に全身を蝕まれてもいない。夜空に浮かぶ月に全身を照らされ、綺麗な青に輝いた竜が一人、宙に浮かぶように飛んでいた。
『──なるほど。これが『竜王』か。確かに、なかなか違うな。これは』
元の姿を知らないので、傍から見たら何が変わってるのか俺にはよくわからない。だが本人から見たら何かが変わっているらしく、感嘆するようにウォイルークワイアは自分の体を眺めていた。
「ふむ、空も綺麗に晴れたの」
「……本当だ」
何ヶ月も領地を蝕んでいた雨はあっさりと綺麗になくなって、晴れている。
これで領地的には一件落着だろうか? いや……そんな感じでもなかったな。
まぁ、とりあえず一つ問題解決できたのだからいいか……。
ウォイルークワイアが地面に降りた途端、体が光に覆われていた。
その光がすぐに弾け、竜の代わりに青い髪の男がたっている。人間の姿のウォイルークワイアみたいだ。なんだか壁によりかかって、腕を組みながら、こっちをチラ見して「ふっ」と笑いかけてきそうなクールな見た目だ。
そのままこっちに歩いてきて、声をかけられる。
「……礼を言うぞ。お前は……いや。秋は命の恩人だ。契約で救われたこと、本当に幸運だった。このことは決して忘れん。これから、必ず返していくと誓う」
「あぁ……まぁ、別に、気にしな──」
「当たり前。絶対に忘れないで。そもそも『いつか返せる』なんて、『自惚れ』から大概にしてちょうだい」
「「…………」」
いつの間にか人間形態になっていたよもぎに口を挟まれ、男二人で黙り込む。
そんなときにティアルが、咳払いを一つして言った。
「何はともあれ、これで世界で『八人目』の『竜王』が生まれたわけじゃの。間違いなく、歴史的な転換点じゃ。めでたいのではないか? とりあえず、お祝いでもしておこうかの。おめでとう」
パチパチとティアルが拍手をする。
俺も続いて拍手をしてみた。
よもぎは……うん……。
二人分の拍手の中でウォイルークワイアは腕を組みながら静かに「……感謝する」と簡潔に答えた。
「フッ……世界でも、最上位の種族が誕生した歓声が、これって。
でも、とっても分相応で、お似合いよ。ウォイルークワイア。フフ……」
なんだか最後まで散々なウォイルークワイアだった。
俺もなんだか、あまり盛り上げてあげられなくて申し訳ないと、心の中で謝った。
とはいえ──これで、なんとかひと段落ついたかな。
そんな風に少し、人心地つきそうな雰囲気になっているときだった。
ふと、誰かから服を引っ張られる感触があった。振り返ってみてみると、よもぎだった。
「ちょっと……。もう帰って、寝るから。出して、アレ」
「ん……。あぁ、『ドア』か」
確かに、タイミング的にも場所的にも、丁度いいか。
そろそろ夜も明けるから俺も戻ったほうがいいだろうし。
というわけで、催促されるままに『ドア』を設置する。
「なんだ、アレは。ドア?」
出現した『ドア』に疑問を持つウォイルークワイアの声が聞こえてくる。
だがよもぎは『部屋』に帰り、俺も《ステータス》が気になってそっちに集中してしまったため、返事が聞こえることはなかった。
「(『称号』とか、【ユニークスキル】とか、色々増えてるな……)」
『契約』による《ステータス》の変化は、結構あった。
少なくともよもぎと『契約モドキ』をしたときとは大分違う。あのときは『魂の回廊』の欄に、よもぎの名前が増えただけだった。やはり《ステータス》的にも、よもぎとしたやつは竜の契約とは別物らしいことがよくわかった。
「おい……あれはなんだ? それに結局奴等、どういう関係なんだ。
そもそもよってたかってお前ら一体なにを──」
「まぁ、後で全部説明するから待っておれ。長くなるからの」
傍から、そんな会話が耳に入ってきていたが、正直それどころじゃなかった。
というのも、唐突に何か重要なことを『思い出しそう』になったからだ。
首を傾げ、必死で思考をかき回すように、記憶を探る。
「なんだっけ……? 何かあったような……重要なことが……」
──『竜の力を帯びた花』となると……。
──『濃密な竜の力』に触れ続ける必要が……。
──『竜の寝床』に忍びにいくようなものだ……。
ギルド長との記憶が蘇り、完全に『依頼』のことを思い出す。
「……そういうことか」
辺りには未だ染み付いて消えてないウォイルークワイアの血が撒き散らされている。
一人の竜が苦しみ抜いた数ヶ月分の血だ。土にまで染み込んでいるそれが、ちょっとやそっとで消えるはずがなく、そんな状態で『花』の条件を満たしていないわけがない。
周囲を軽く見まわすと、これまで意識していなかっただけで、花や草なんてどこにでもあった。しかもどれもが『金色の紋様』を浮かべながら光って生えている。もし『竜の力を帯びた』という条件がこのことを指しているのなら、取り放題だ。
元々ウォイルークワイアが寝込んでいた場所辺りに、一層強い光を放つ花があり、そこに近づいて花を取った。どこか形に見覚えがあるものを選んだ。
「『ユクシアの花』かの? む、かなり竜の力を帯びておる。血を流しすぎじゃの、ウォイルークワイアの奴めは。それも大した力はありはせぬが、好事家が喜びそうじゃの」
手元を覗き込んできたティアルに、偶然にもお墨付きをもらえたことで、依頼の条件は完全に達成できた。花は【アイテムボックス】にしまう。あとはたどり着くだけだ。
ガチャリと、設置した『ドア』から音が聞こえて視線を向ける。
「ねぇ……なに、これ。全然知らない場所なのだけれど。どういうつもりなわけ? すべて更地にして、戻れっていうのなら、そうしてあげていいけど」
「あ……」
まずい。
よもぎは【街】の存在を知らないのに、思わず『ドア』を【街】につなげてしまっていた。
『ラウンジ』へ繋がる『ドア』は一つなのに、一人で帰そうとしたらよもぎの言う方法しかないだろう。
これは完全に俺が悪いな。
「悪い。今すぐ案内するから」
「……いつもの直接のドアを、出せばいいでしょ」
「今後こっちの大陸に置く『ドア』は基本あの【街】につなげるつもりだから、移動の仕方は知っておいてくれ。損はないし、どうせそっちの方が便利に使えるよ」
「……チッ」
舌打ちはあったものの、特に反論はなさそうだった。
よもぎがまた『ドア』の中に戻っていく。
俺も後に続こうとしたとき背後から「待て」とウォイルークワイアに呼び止められた。
「俺は新しく『竜王』になったが、呼び名がまだない。ハラ……よもぎでいう『緑竜王』とか言うやつだ。俺は天候を自在にできるから『天竜王』と名乗りたかった所だが、既にそれはクソジジイに取られてるからな。丁度いい呼び名をお前が決めろ」
「……じゃあ『青竜王』で」
そう言って、『部屋』に急いで入る。
あまり待たせるとまたよもぎの機嫌が悪くなりそうだ。
「軽いな……。それに明らかに『緑竜王』から──」
背後で閉じていく『ドア』から微かに耳に届く、小さなため息が混じったそんな声を。
俺は聞かないフリして先を急いだのだった。
◇◆◇◇◆◇
「──それで説明はあるんだろうな……」
秋とよもぎが去った後。
残されたウォイルークワイアは、同じくこの場に残っていたティアルにそう尋ねた。
「無論じゃ。しかし語らねばならぬことは、山ほどある。今すぐにすべてを共有することはできん」
それには頷いて言葉を返した。
「それは、分かる。秋……あいつは明らかに『普通じゃない奴』だ。『異様』……いや、『異常』だな、もはや。強者が弱者に力を施す【竜契約】を人と結んで、強さの恩恵を『竜側』が得るなど、聞いたことがない。しかしその『契約』のおかげで俺の体は強化され、竜王に足る器となり、進化を果たすことができた」
「──あいつ、私にも気付いてた」
覚えのない人物の声が唐突に耳に届き、音が聞こえてきた森の奥を即座に睨みつける。
そのまま数秒待ってようやく、声を発しただろう人物が月明かりの中へ歩いて姿を現した。
暗闇とほぼ変わらない、異質な黒装束を纏った人物だった。現れ方もまるで暗闇から暗闇が滲み出てきたかのようで、顔も目以外のすべてが覆われ表情は伺えない。目の前で歩く姿を見ていたにも関わらず足音が聞こえず、姿を目に入れてる今も気配をあまり感じない。薄気味の悪いやつだとウォイルークワイアは思った。
だが唯一、声と臭いと体型から『女』であることはわかった。それと種族も。
「……誰だ、お前。いつからそこにいた。おい、何だこいつは」
聞いている途中でこんなやつがまともに返事をするわけがないと、ティアルに質問を切り替える。目論見通り、答えはすぐに返ってきた。
期待はずれの、意味のわからない答えが。
「こやつは『忍者』じゃ」
「は……? 忍者? 何だそれは。知らん。それよりもそいつ、『森人族』だな。森の引きこもりの。森臭いぞ」
「……森臭い言うな」
唯一表情の覗ける目元部分から強く睨みつけられる。
嘲笑するように鼻で笑うと、ぷいと顔を背けられた。
「……やっとティアルが意固地になるのをやめて、仕えさせてくれると思ったのに。男を捕まえてるなんて。ショック」
いじけた様子で、森人族の女は悪魔の魔王に言った。
「だが、面白そうじゃろう?」
森人族の女は、声に抑揚のある方ではない。
感情もあまり表に出す方でもないだろう。
むしろそうした感情の起伏を殺す、そのための訓練していそうな雰囲気すらある。
「──面白そう」
そのはずなのに、質問に答えた声は明らかに弾んでいて、楽しげだった。
同じ声のまま森人族の女は言った。
「私は、ティアルに付き合ってみてもいい」
その言葉を聞いて、ウォイルークワイアはようやく気付いた。
ずっと──疑問を抱いていた。
悪魔族の魔王。この女だ。引っかかりがあった。最初からずっと。
「悪魔の魔王──お前……『人を集めてる』のか?」
──おかしいとは、思っていた。
そもそもこの悪魔族の魔王とウォイルークワイアは接点のない他人だ。魔王だというのは会って分かったが、それだけ。過去も好きな食べ物も、どうして魔王になったかも知らない、お互い完全な赤の他人。
「ずっと疑問だった。『最初』から。お前がなぜここまでして俺を『助けようとしてくる』のかが」
危機に陥っていたのは、自業自得だ。それはいい。それから降ってる雨に含まれた竜の気配に気づいて、死にかけの竜に辿り着くのも分かる。
だがそこから、果たして死にかけの竜を救ってやるという話になるだろうか。一人の竜が死滅するのも、人間の領地が長雨で壊滅するのも、悪魔の魔王には関係のない話だ。
それなのに、竜を救うために動いた。
それが純粋無垢な善意……なんていうのじゃなければ。
きちんとそこには明確な『意図』がある。随分と巧妙に隠されているが。
「俺に秋を巡り合わせたのは、お前の『意図』だ」
そういうと、これまで話を黙って聞いた悪魔族の魔王と森人族の女は──顔を見合わせクスクスと笑った。意地悪く何かを企むように。
やはり間違いない。こんな人を小馬鹿に笑う者が、『純粋無垢な善意』で人を助けるわけがなかった。
「悪魔族の魔王……ティアルとかいったか。
お前、一体何を企んでるんだ。
秋を使って、何をしようとしている?」




