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灰色の勇者は人外道を歩み続ける  作者: 六羽海千悠
第3章 兄探しと底なしの価値

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第110話 けっ①


 『テールウォッチ』を出発して、初めてついた村で一泊した次の日。

 朝食時を少し過ぎた辺りの時間に日暮と千夏の三人で、観光気分で村を歩いて散策をしていた。

 残念ながら雨は未だ止まず、散策日和とは言い難い。


 でもせっかく新しいところにきたんだし、こうして隙をみつけて、こまめに千夏の目的をこなしたいところだ。ちょっとのんびりしすぎかもしれないが依頼に期限はないし。俺自身、興味がないわけじゃないのだから。


 ……それに依頼を急いで達成するだけなら、一人で走っていけばいいだけ。

 かなり味気がない。だけどおそらく千夏がいなければそうしてただろう。



『──旦那の依頼、少し話がきな臭くなってきているな。

 少し領地の内情とか、届け先の相手のこととか。

 調べといたほうがよさそうじゃないか?』


 それにサイセに言われた目的もあった。


 正直、そこまで俺自身に危機感があるわけじゃない。

 でもこっちの大陸や社会では、サイセのほうが先輩だ。

 的外れだったとしても損はないし、こうした慎重な姿勢は嫌いじゃない。

 そういうわけで、ひとまず先達の教えは受け入れておくべきかと動くことにした。


 あくまで散策のついでに、だけど。


 ちなみにそんなサイセと驃の使用人コンビは、情報収集をメインに別行動だ。

 一緒にいると服装が目立つから嫌で別にしたとか、そういう理由ではない。

 あくまで効率のためにだ。……うん。


 それよりも村の様子だ。

 思ってるよりも規模がでかい。

 でも雰囲気は陰気臭い。そんな感じだ。すれ違う人の表情も暗い。

 

 やはり盗賊の被害が大きいのだろうか。それとも長引いているという雨の影響?

 事情は掴めないが、しかし子供は村の暗さなんて知ったことじゃないのか、小道を覗くと水や泥を使って遊んでいる様子が目に入った。少し深めに水が溜まってるところをプール代わりに、きゃっきゃと声をあげている。


 その様子を目に入れた千夏が立ち止まる。

 俺も足を止めて千夏へ視線を向けた。


「声をかけてみたらどうだ? 混ぜてくれるかもしれない」


 遠目で眺めている様子が少し羨ましいと感じているのだと思って、そう言った。

 だがしかし、千夏は首を振る。

 

「…………」


 ──怖い。


 そういって泣いて、自分の部屋に塞ぎ込んでいたときからすると、こうして『外』に出られるようになっただけでも随分な進歩だ。

 でもまだ積極的に他人と交流ができるというわけではない。千夏の心はそこまで癒えてはいないから。


 でも俺は……同じくらいの子と一緒にいることは、いいことだと思う。

 理由は簡単で、俺の前では見せない表情がたくさんあったからだ。

 よく笑って、楽しそうだった。例え結末があんなだったとしても。

  

 だからまた同じようにしてほしいと思って【街】も作ったし、今回も促すよう声をかけてみたが……。

 首を振るどころか、何かの気配を察したのか、繋いだ俺の手を引っ張りながら急ぎ足で進んでしまう始末だった。まるで目の前の光景を振り切るかのように。


 ……まぁ、無理強いしても仕方がないか。

 それでも、また前と同じようにできるといいと思うが……。

 

「どこかで食事でもしようか?」


 気持ちを切り替えてそう聞いてみると、日暮から「いいと思う」と声が聞こえ、千夏も顔を覗き込むと微かに頷いていた。

 ちょっとした事情があって、朝食をそこまで食べられなかったからな。

 昼には少し早いが、お腹のすき具合的にはちょうどいいだろう。


 ちょうど近くに食堂があったので、そこに入る。


 中では店主の主人らしきおじさんが一人、暇そうに座っていた。客はいない。

 店に入った音で俺たちの存在に気付いた主人は、少し怠そうな口調で声を発した。


「……よそ者か。辺境の田舎に、随分物好きな夫婦だが……。

 しかしこんな暗い時期に子連れは関心しないな……」


「ふ、夫婦……」


「はぁ…………」


 日暮に視線を向けると、明らかな狼狽を見せていた。

 傍からはそう見えるのだろうか。

 とはいえ日暮には悪いが、しっかり説明をして否定するのも面倒だった。


 しかし何かを感じ取ったのか、店主の方から発言を変えた。


「……いや、男親と姉妹か? だとしたら悪かったな」


 さすがに苦笑いせざるを得なかった。

 一応、見た目だけは召喚された当時のままなんだけどな……。

 適当に冒険者であることを伝えると「そうか」と主人は答えた。それをどう解釈したのかは最後までわからなかったが、続け様に主人は言った。

 

「あんたら、宿屋の飯が不味くて量も少ないからここへ来たんだろう。悪いがここも同じだぞ。今はどこも手前らの飯で手一杯だ。美味い保存食から手をつけ、すでに長持ちするはいいが味気ないものに手をつけてる頃合いだからな」


 あぁ、宿屋の食事はそういうことだったのか。

 五人分のはずが全員合わせても一人分くらいの量だったからな。


「だったら食材を渡すから、それで何か作ってくれないか?

 少し多めに渡すから余れば好きにしていいし」


「なに、本当か!? ……いいのか、こんなに!」


 主人の前に【アイテムボックス】に入ってる食材を次々と出していく。

 食材を手に取って、驚きで呆然としている主人に、横から声をかけた。


「その代わりってほどでもないけど、ついでにここの領地について教えてもらえないかな。依頼で来たんだが、情報収集を怠けてしまって、来てみたらこんな状態でだいぶ面を食らってるんだ。差し支えがない程度でいいから事情を少し教えてくれないかな」


「構わん。待ってろ。すぐにうまい飯を作ってやる」


 そういって主人は食材を持って、カウンター越しの厨房へと入っていく。

 カウンター席に三人並んで座って待つことにした。


「見たことのない食材が多いな」


 店の主人が、『部屋』で採れた食材をまじまじと見ながら呟いた。


「外の珍しい食材は助かる」


 どう誤魔化そうか考えていたら、答えがでないうちに、主人はそう答えた。

 それならいいか、と誤魔化すために巡らせていた思考を俺も止めた。


「最近は外の行商人がめっきりこなくなった。村の冴えない物同士を交換するばかり。今じゃ外の食材なんて贅沢の極みだ。ついこの間まではそんなことなんてなかったのにな」


 手際よく料理をすすめながら、店の主人は言った。


「やっぱり盗賊の影響が?」


「たぶん、そうなんだろうな。俺は、商人じゃないから、詳しくは分からんが。俺のような土着者にとっちゃむしろ、この絶え間なく降る雨のほうが堪えるがね。保存食の足が早えし、魔道具で作物を育てようにも水びたしですぐ腐る。碌なもんじゃない。しまいには、あまりにも長いこと雨が続いてるからって魔物の生息も変わってるようで、見かけない魔物に猟師のやつらも手こずってかなわんようだな」


 魔物の生態なんて……魔素溜まりが発生するなら、終焉の大陸じゃないにしても多かれ少なかれ起こるものなんじゃないだろうか?


 そう思っていたが、ここらだと魔素溜まりから生まれる魔物が弱過ぎて土着の魔物にすぐやられる。だから生態の変化なんてほとんどないそうだ。そもそも魔素溜まりから生まれた中で勝ち抜いた魔物が根付いて土着の魔物になってるから当然と言われて、納得した。


 魔素溜まり……厄介なこの世界特有の要素だが、本当に場所によってムラがあるようだ。安定しているところは、こんなにも安定している。

 しかし生態が安定しているからと油断して、土着の魔物を好き放題にして勢いづかせすぎると異常に数が増えて氾濫が起きたりもする。そういう事態が起きないよう、領内の『魔物管理』は主に領主の仕事だそうだ。魔物の数の調整なんかは当然として、やり手の領主は土着魔物の種類を、凶暴じゃない魔物や有益な魔物へ意図的にすげ替えたり。あるいは『竜の力』のような『魔素濃度を減少させる何かしらの方法』を使って『魔素濃度の調節』に手をだす人もいる。つまり結構な領主の腕の見せ所となる分野なのだそうだ。


 俺だったらダメだったときが致命的すぎて少し怖く感じけるけどな……。


 だがこんなことをする余裕があるのも大体が魔素濃度が低めの『安定地帯』だけのことらしい。

 とにかく生まれてくる魔物と戦わないといけなかったり、土着勢力の魔物と新興勢力の魔物の戦いに定期的に巻き込まれる『危険地帯』もごまんとあるそうだ。


 以前安全な場所を取り合って人同士が争いあってるという話を聞いたが、この話を聞くと事情は分からないでもないように思えた。


「はいよ」


 目の前に食事を出されて、話が脱線していることに気付く。全然この街の事情、聞けてないな……。少し早めに食事を進めていると、手があいて暇そうな主人が、新聞を広げてぼやくようにつぶやいた声が耳に届く。


「ったく。いつまでこんな状態が続くんだか……」


 ちょうどいいので、その声に乗っかって領地について尋ねた。

 今どんな感じなのか、やっぱり悪いのか、大体そんな感じで。

 まぁでも……答えは聞くまでもない。そうじゃなきゃぼやく必要なんてないんだから。


 なんでも元々、この『ティブーユ領』の領主は優秀な人だったそうだ。

 それが、ここ近年になって急に失態が目立つようになった。

 結果として、領地は著しく沈んでる、とのことだった。


「冷静になって外の人間に話してみると、別に何かが具体的に、悪いってわけでもないんだけどな。逆に、秀でた何かがあるわけでもない。堅実な判断をするお方だな。だからか、印象がどうも『隣の領地』に左右されてしまうのかもしれん」


「『隣の領地』……っていうと……」


「『ハウヴェスト領』だな。っていってもその名前になったのはつい最近のことだが……」


 領主が変わると、領地の名前も変わるらしい。

 いつ領主が変わったのか尋ねると「まだ半年も経ってないんじゃないか」と言われた。

 本当に、随分最近の話なんだな。


「以前までの隣の領地は、そりゃあひどいもんだった。まだ『ヒルグリンド領』と呼ばれていた頃は、奴隷趣味の評判が悪い領主でな。領地もうまいこといってないのが当たり前で、そんなのを遠巻きに見ていたら、うちのところの領主はなんてマシなんだと思ったものだ。結局、その悪趣味が祟ったみたいで取り潰しになって、最後までいいとこなしの領主だったな……。 

 だが、そんなんだった隣の領地も、今じゃ飛ぶ鳥を落とす勢いだ。聞こえてくる噂は景気のいいことばかりで、領主と名前が変わるだけでこんなにも一変するのかと、誰もが目を剥いてる。文字通り生まれ変わったみたいだってな。場所は変わらんはずなのに」


 そうなると一転して、領主に「もっとしっかりしてくれ」と思ってしまうわけか。繁栄する隣と比較されてしまって。なんていうか、領主っていうのも随分大変そうだな。それが仕事なんだろうけど。


 それよりも隣の領主は話を聞いた感じ、相当凄腕なんだな、と他人事のように関心した。

 どんな風に盛り返していったのだろう? 気になって尋ねると店の主人は苦笑していった。


「俺は新聞と噂好きのしがない飯屋だぞ? ちゃんとした詳しい話はそこまでわからんよ。所詮他領だし、知ってることも多くない。元がひどかっただけに、まともなやつが就いただけですごく見えてるだけかもしれん」


 言われてみればその通りだった。


「ただ……そうだな。あの、テールウォッチの『壁』。あれは完成してから一度見に行ってみたが、見事なもんだったな。あんな規模の立派な壁を、よく自分達だけで短期間に建ててみせたもんだ。あれだけでも向こうの領主の手腕を感じられたがな、俺は」


 ……壁? 

 あの白い街と、石の街の間にあった高いやつか?

 尋ねると、主人は「それだ」と頷いた。


「あれって最近建てられた奴だったのか……」


「元はうちの領地と共同で建てるものだったらしいがな。盗賊騒ぎやらでこっちの領地がてんやわんやして遅れるもんだから、痺れを切らして自分らで勝手に壁をおったてちまったんだ。こっちじゃそれを抜け駆けだと文句言う奴もいるが、一月もかからずあんな立派なものを建てて見せられちゃあ、俺は同じことを言う勇気はないな。最初はどんなおんぼろかと思って見に行ったんだが」

 

 ……確かに、あの壁を一月もかからず建てたのはすごいな。

 俺だってそんなことはできない。高さも厚さも、圧倒的な規模の壁だった。


「むしろ俺は、うちの領主に感じる不甲斐なさの方が強い。実際この時期を分岐点に、うちの領地の空気は徐々に暗くなっていったんじゃねえかな。なんとか巻き返してほしいもんだが……できないなら隣のように領主を替わってほしいものだ。取り潰された貴族家の末路は『悲惨』らしいから、あまり大声じゃいえんがな……」 

 

 なるほど。この領地にも色々あるんだな。大雑把に事情はわかってきた。

 話を聞けてよかったと思う。なぜなら、よく分かったから。

 結局この話が──『俺に関係がない』ことを。


 医者のトットを『部屋』に迎え入れる。現状の目的はそれだけだ。

 それに関係ないことは、どうあがこうが俺に関係ない。例え領地の危機だったとしても。


 だけど無駄ではなかった。よくある話だ。

 念のため探りを入れて、自分と特に関係がないことを確認する。

 無駄かもしれなくても、不用意な問題を避けるためには、地味に大事なことだろう。


 最後に俺は店の主人に尋ねた。


「実は依頼の配達先が『カイエン商会』っていうんだけど、何かしってるか?」


「……あぁ、知ってる。うちの領主の一番の『お抱え商人』でありながら、隣の『ハウヴェスト』に真っ先に鞍替えした『裏切りもの』だと有名なところだ。義理も人情もすべて商売道具。ある意味すごいのは、今もまだうちの領主のお抱えをやってるところだな。信じられるか? 裏切ったやつが重用されてるなんてな。領主もどんな考えで、未だ抱え込んでいるのか……。なるべく物事には中立的でいたいと思ってるが、『裏切りのカイエン』だけは俺はダメだな」


 なんか、この領地の問題におけるすごい中核みたいな人なんだが……。


 細い糸でたぐりよせられるように、関係ないはずのものと関係をもたされる。

 そんな運命の気配を感じざるを得ない。


 果たしてエステルは俺に何をさせようとしているのだろう。 

 分からないし、わかったところで行動を変えようがない。

 だから……他人の力をあてにするのは好きじゃなかった。


 話を聞き終え、食事も終えた。頃合いがいいかと思って千夏の様子を伺うと、すでに空になった器の前で、暇そうに手遊びしている。


 むしろちょっと長話しすぎたかもしれない

 さらに奥の日暮の方へ目を向ける

 食べ終えていたら、そろそろ店を出よう。そう思って。


「…………?」


 しかし日暮の食事は、まだ皿の上に残っていた。

 それどころか……ほんとど量が減っていない。


「……日暮?」


 不思議に思って日暮自身に目を向けると、様子がおかしかった。


 血の気の引いた真っ白な顔で、食事をすすめようと匙に口をつけている。

 だが食事は口の中に全然入っていなくて、料理が全く減っていない。

 そしてよくみると、体も微かに震えてた。


 正直言って、尋常じゃない様子だった。


「え……あ……」


 呼びかけに、数秒遅れて日暮が気づく。


「……ごめん、秋。気づかなくて……。

 その、少し体調が悪いみたいなんだ……。

 だからこの料理、残してもいいかな……」


「それは、別にいいが。大丈夫か?」


「うん……ありがとう。

 その、本当に……ごめん。

 こんな時なのに、残して……」


 確かに、この状況で食事を残すとは言いづらい。それはわかる。

 でもそれより今は、日暮自身のほうがどうにかしたほうがいい。明らかに。

 そう思って、どうしたのか尋ねてみるも、日暮はぎこちない笑みを浮かべながら大丈夫としか答えなかった。


 とりあえず店を出て、早足で宿へと戻った。

 サイセたちと合流して宿を引き払い、獣車へ乗り込んで村を出る。

 一応、それと同時に日暮は『部屋』に戻して春に任せた。今頃は自分の部屋で休んでいるはずだ。


 時間が経って、陽が沈んだころに別の街についた。


 そのときにもう一度日暮の様子を見に行ったら調子が戻っていた。

 もしかしたら本当にただ体調が悪かっただけかもしれない。

 なんにせよ、それ以上は気にしても仕方がないので、徐々にはみ出るようにその出来事は思考から消えていった。



 ──深夜。



 日暮の様子を『部屋』で確かめた後に、獣車から『外』へ出た。

 今獣車のあるこの場所は、街の宿屋で指定された魔獣小屋だ。獣車と魔獣を泊めるための施設で、ここに預けてこの街に宿泊してる……ことになっている。宿の部屋にはサイセが一応いるが、ほとんど使ってないも同然だった。


 軽く二頭の魔獣の様子を見て、おとなしくしてる姿を見た後、小屋を出る。


 魔獣が泊まる場所とあってか小屋は宿からやけに遠い、街はずれの方に建てられていた。

 周囲に建物はなく、人がそんなにこないためか明かりもほぼない。やけくそのように街灯が一つあるだけで、視界の大部分は暗闇が占めている。


 小屋を出て歩き始めると、すぐに雨粒の感触を肌で感じる。

 村から別の街についても相変わらず雨は止むことはない。しとしと降り続けている。個人的に嫌いな天気じゃないが、この領地にとっては体を蝕む毒のようなものだろう。

 気の毒だが、早く解決すればいいなと他人事のように思うしかない。それより早ければ明日、のんびりしても明後日には目的地につきそうだ。


「(……そういえば依頼にあった条件みたいなやつはどうしたらいいんだろう。このまま無視して進んでいいのか?)」


 そんなことを思っていると、横で足音がたった。

 同時に「秋」と名前を呼ばれて、声の方に視線を向けた。


「散歩かの?」


 暗闇から湧くように現れたティアルは、そう言葉を続けた。


「……あんま出歩かない方がいいんじゃないか? 一応、人間の街だし」


「人間に見つかるヘマなどせん。それにこの辺りに人の気配はない。だからわしはここにおったし、お主も外に出てきた。そうであろう?」


「実際には、一人分の気配があったけどね」


「ふむ、それが分かっていてこうして出てきたのならば、もはやわしに会いにきたも同然……ということでいいかの?」


「…………想像に任せるよ」


 そう答えるとケタケタ笑って、ティアルは言った。


「それで、結局お主は散歩なのかの」


 最初の質問に戻る。


「……そうだな。少し夜風に当たりたくなったんだ」


「【街】を作ってから、連日でじゃのう」


「…………」


 くすりと、ティアルが笑う。

 それから唐突に俺の手を取って言った。


「今宵はわしも一緒じゃ、秋。たまにはいいであろう? 一人で暗い道を淡々といくのもいいがの。それにほれ、以前約束したはずじゃ。『悪魔族』の翔び方を教えると」


 そういえば、そんなことを話していたっけ。

 確か以前、テールウォッチを一緒に見て歩いた日だ。

 約束していたかどうかは、記憶が曖昧だけど。


「まぁ……それもいいか」


 確かに練習したいとは思っていた。

 ……ちょうどいい機会か。

 そうと決めたら、【固有スキル】を発動する。


「【種族変更】──『悪魔族』」


 体が光に包まれ、弾ける。

 一応これで種族が変わった。体感的には、体が少し熱くなる程度だから実感は少ないが。


「ふむ……」


 それでも見た目に大きな変化があるのか、まじまじと観察するようにティアルに見られていた。一度ティアルの住処に行く時になってるから、これが初めてってわけじゃないはずだけど。


 俺も気になって、背中側を覗き込むと黒い翼が目に入る。ちゃんと俺自身から生えた正真正銘、本物の翼だ。

 なんというか手のない腕が二本生えた感じだった。試しに動かすと、空気にねっとりとした強い感触を感じる。肌で空気を触った時とは全く違う感触。まるで水みたいだ。かき分けるように翼を動かせば、それこそ水中のようにどこへでも進めてしまえそうだった。


「では、行くからの」


「……え?」


 そういってティアルは俺の手を離さないまま、翼を羽ばたかせて空へ飛んだ。

 必然と引っ張られる形で足は地面から離れ、体が宙に投げ出される。


「マジか……」


 もう少しその場で飛ぶ練習とかできるかと思ったんだが……。

 仕方がない。ここまで来たならもう翔ぶしかない。


 悪魔族の【固有スキル】である【飛翔魔法】を発動させながら、おぼつかないながらも必死で翼をはためかせる。厳密には二回目でも、ほとんど一回目みたいなものだ。慣れない飛翔に推進力を失って落ちそうになったり、力の入れすぎであらぬ方向へいきそうになったり……。そのたびにティアルに手を引っ張られて戻された。なんか立つ練習をする赤子みたいだな……。


「ほれ、魔法の力と翼の運動の比率があっておらぬぞ。ちゃんと釣り合わせるのじゃ」


「いきなり難しいな……」


「慣れるのじゃ。理屈では遅い。感覚で掴むしかない。飛んで、飛んで、飛ぶのじゃ。悪魔族の空の機動性はあらゆる種族でも随一。完全に飛翔技術を物にすればもっと高く、もっと速く、もっと自由に飛べるはずじゃ」


 たった一つだけの街灯の光なんて、もうとっくになくなっている。

 飛ぶのは暴走する車を繊細なハンドルで操作するように難しい。歩くとか、走るとか、泳ぐとか。そういう動きとは次元が違う。

 それなのに高度が上がっていくほど、暗闇は濃くなって、体を殴ってくる風も強くなっていくのだから繊細な操作は欠かせない。普段は気にしない雨も、この時ばかりはやけに鬱陶しく感じる。 

 先導するティアルの声と繋いだ手を頼りに、なんとか馴れない飛翔を必死で続けて、より上空を目指す。


 ……優しく教えてもらえるなんて思ってなかったけど、まさかこんなスパルタだとは……。


「もっと頑張るのじゃ。雨が鬱陶しいからの」


「雨なんていまさら気にしない……」


「頭上の雲ぐらいは容易く越えてもらわねば、悪魔族の子供とすら比較できぬぞ? それに夜の雲海の上は恋人たちの定番じゃ。そこまでいけぬとなると……わしは秋を男として見損ないたくはないのぉ」


「なるほど……それじゃあ頑張らないと……。

 ──なんて風には、ならないけどなっ……」


 気づけば、なりふり構わず全力で飛ぶ事に集中していた。

 暗雲の中に入ってからは、余裕がなくて喋ることもしなくなった。

 水中で息を止めてるような感覚の中に、随分長くいたように思う。


 しかしいつかは苦しいことも終わるものなのか。

 視界に光が差し込んできた。暗闇を切り裂くように。

 そしてその直後。黒一色でしかなかったはずの視界で、景色が溢れかえった。


 どうやら雲を抜けたようだ。

 体にしつこくあたっていた雨の感触はなくなり、真下では雲の絨毯が広がっている。


「どうじゃ? 見事なものであろう、空の上は。

 空を飛ばぬ種族でこの景色が見られるのは、なかなか稀有ではないかの?」


 まるで自分のものを自慢するようにティアルは言った。

 一応前の世界で、飛行機とかから見たことはある。

 でもさすがにそれを口に出して言うほど野暮ではない。


 それに夜空に浮かぶ星や、いつもより大きく見える二つの月。黒い馬のような魔獣の群れが空を駆け抜け、くらげとも虫とも言えない魔物がふわふわと浮いてたりする。そんな光景はやっぱりティアルの言う通り、この世界で空を飛んだ者にしか見られないものだろう。それを飛行機の窓からではなく自分で飛んで見られるというのは、結構すごい体験かもしれない。そう考えると、景色以上の感動があるような気がした。

 

「確かに、結構いいな」


 周りを見回しながらそう答えると、唐突に顔を掴んで引っ張られる。

 見ていた月のかわりにティアルの顔がアップで視界に映った。


「…………? 何?」


「やはり悪魔族の秋も悪くないの。だいぶ印象は変わって見えるが」


「……そんなにか? よくわからないけど」


「肌の色も、髪の色も違っておるからの。普段より少し野生味が増した感じじゃ。それに特に角の形がいの。このねじれ具合……悪魔族の国へ行ったら結構モテるかも知れぬな」


「そう……。それはよかったよ」


 適当に相槌を打ちながら、軽く自分の姿を確認する。

 少し浅黒くなった肌。髪の毛は、勇者のときより黒味の増した灰色。

 頭から生えた角は『二本』あって、ティアルよりも一本多い。


 レベルも悪魔族の基本的な数字である『300』レベルになっている。

 ……それくらいか。

 結局鏡で見るわけでもないし、大した確認ができないな。


「ティアル、ありがとう。そろそろ大丈夫そうだ」


 そう言って、地上からずっと繋いでいた手を離す。

 だいぶ馴れてきたし、試しに一人で飛んでみたくなってきた。


「む」


 不満そうにもれる声を聞き流しながら、飛ぶのに集中する。


「とっと……」


 少しよろけながらも、なんとか風を掴んで、無事に一人で飛ぶことができた。


「ふむ。少しは普通に飛べるようにはなってきたの」

 

「なんとかな」


「だが強い向かい風の中や天候が荒れてる時。それに空中戦などを行うにはまだまだ技術と経験が足りておらぬ。だから、過信してはならぬぞ?」


 そうして会話もやりつつ、ティアルに指導されながら飛ぶ練習をした。

 だが雲の上は随分と穏やかだった日だったらしく飛行もすぐに安定して、教わることも次第になくなっていく。雲の下ではあれだけ苦労したのに。


 なので会話の比率が徐々に飛行の練習よりも多くなっていったのは、自然なことだった。





 ──「夜出歩いておったのは【街】に『扉』を設置するためじゃの。秋は、そうして【街】に人を集めるつもりなのかの?」


「まぁ……そこまで深くは考えてないけど。とりあえずまずは、行けるところだけでも増やしておこうかと思っただけだよ。別にそれで他の誰かがドアを見つけて入ってきたなら、好きに使えばいいと思ってるし」


「ふむ。人を選んだりはせぬ予定なのじゃな。ちなみにそれで入ってきた他人が問題を起こした場合はどう対処するのじゃ?」


「さぁ……その都度対処することになると思うけど……。『部屋』の中でならなんにせよ、どうとでもなると思う。それこそ【追放】でも、何でも。本当にどうにもならなくなって【街】が手に負えなくなっても、最悪『切り離せば』それだけで済むし。人を選ぶのは……【街】の規模が大きすぎて、いつまでも人が集まらなそうなのが問題だな……一応考えてはいるけど……」


「なるほどのう」


「……ティアルは、この方法に何か問題があると思うか?」


「無い、とは言えぬがの……よいのではないか。秋の好きにするのが一番よいと思う。結局お主の能力じゃからの。それにお主がやろうとしておることは、この世界でまだ誰も成したことのない『前代未聞』なこと。どうあがいても、問題なぞ湧くように次々出てくるであろう。ならば、先の懸念なぞ気にしていたら、進みようがあるまい」

 

「……それもそうか」




 


 

 ──「悪魔族の角は、男が二本。均等に生えるのに対し、女は一本、頭の左右どちらかに生えてくる。この片側だけ生えるというのが厄介での……。頭の比重がおかしくなって、放っておくと首や肩をひどく消耗してしまう。だから悪魔族の女は角の生えてない方の髪を伸ばして釣り合いを持たせるのが一般的での」


「へぇ、そうなんだ」


「全く……角といい、胸といい。

 どうして女ばかり肩がこるようにできておるのか……」


「…………」


「何か言わぬか」






 ──「そうだ、思い出した」


「む……?」


「ティアルは『神器』っていうのが何か、知ってるか? 最近耳にしたんだけど、詳細を聞きそびれて何かわからないから気になっていたんだ」


「そうじゃ。そういえば、お主に神器のことを説明しておらんかったの。当たり前すぎて、抜けておった。『神器』というのはの──」





 そんな風に会話をしていながら、空を飛んでいた。

 あてもなく、ふらふらと。どこへ向かうわけでもなく空の移動を楽しんでいる……と。


 ──そう思っていた。


 それが間違いなことにうっすらと気づいてきたのは、正面の地平線から冗談みたいに大きな『暗雲』が姿を現し始めてからのことだった。最初は進路を逸らすのかと思ったが、それが見えたあとも進路を変えず、何ならそこに向かって飛び続けていた。眼下にある雲海から聞こえてくる雨風や雷の音も、時間が経つにつれて強くなって耳に届く。


 もはや疑うまでもなかった。この飛行には明確な目的地があることを。

 中で雷がおきてるのか、点滅するように光っている、正面の巨大暗雲から目をそらす。

 そしてティアルに視線を移すと──ちょうど真っ直ぐにじっとこちらを見ていた。まるですべてを想定して、こうなるのを待ち構えていたかのように。


「実はの、秋に『お願い』があるのじゃ」


「お願い、ね……。ティアルのならできるだけ聞いてあげたいとは思うけど」


 今日の空を飛ぶ練習も随分為になった。それにこの前『部屋』の『図書室』で大量に本が増えていてどうしたのかと思ったら、全部ティアルからもらったものだと錦がいっていた。だからティアルには正直なところ、かなり助けられていると思っている。なんなら少し入れ込みすぎて怖いと思うほどまでに。


 だから気分的には恩を返すつもりで別によかった。

 しかし流石に即答はできない。

 ティアルもそれを承知で話を進めた。

 

「以前秋には言っておったの。わしは今『探し物』をしておると」


 頷く。その話は覚えている。


「その『探し物』を見つけたのはよいのだが、予想外にちと問題を抱えておっての。その解決のために協力してやってほしいことがあるのじゃ。単純で、大したことではない。だが秋……お主にしかできぬことでの」

 

「まぁ……それくらいなら」


 そう答えるものの、ティアルは首を振る。

 その仕草が不思議で首を傾げた。


「大したことないといったが、気がかりがないわけではない。というのもおそらく、お主の個人的な『好み』には合わぬかもしれんからじゃ。例え大したことが無くともの。わし自身はそれでも秋含め、誰も損はせぬと思っておるが。ひとまず詳しい説明はついて見せてからするつもりじゃ。そっちの方が手間が省けるからの」


 つまり今すぐ答えずに、きちんと説明を聞いてから答えていいということか。

 なんとも律儀なことだった。誰も損しないなら、別に好みなんて無視してやっていいと思わないでもないけど。

 そういってくれるなら、ひとまずは行ってみるべきか。


「それで、今どこへいっているんだ?」


 薄々答えが分かりながらも、尋ねる。

 ティアルは予想を全く裏切らず、正面の遠くに見える巨大な暗雲にむけて指差した。


「あそこに今──この地を蝕む長雨の『元凶』がある。そこへ向かう。結果次第では……今起きておる異常気象から、人間を救うことになるであろう。縁もゆかりもわしにはないから、結果はどちらでもよいがの」



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 悪魔族になった時に秋の服はどうなったのですか? 破れたのですか? それとも種族を変えると服まで変わるのですか?
[一言] > 第55話 春愁にして惷秋 能力で生まれし『物』が『神なる物』であれば。 能力で生まれし『者』は、『聖なる者』。 神器とは能力で作られたものをそう呼ぶのかも。 そうすると秋の使い捨て武器…
[気になる点] 終焉の大陸編は楽しく読んでいましたが、どうも脱出して以降はメンヘラ日暮ちゃんの介護日誌を読んでいる気がしてならないです。 日暮が秋に対してのキーマンだというのは分かるんですけど、日暮周…
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