第108話 街を出て【街】
街を出ることになった。
依頼で別の町の商人に届け物をするためだ。
ここまでくるのに相当なごたごたが、なんやかんやあったものの、楽しみだった。
『終焉の大陸』を出て、『南シープエット大陸』へ。
そして『ケルラ・マ・グランデ大樹海』から『テールウォッチ』へ。
次は果たしてどこへ行くのか。ティアルは退屈そうにしていたが、俺にとっては世界そのものが異なる人たちの生活だ。やっぱり意外なことも多いし、見て回るのも結構悪くはない気分だった。
だから、正直なことを言えば今現在の気分は、少し高揚している。
それは街を出るという理由だけでなく、もう一つ。ここ最近の軽い念願が叶おうとしている、ということ。
「──【部屋創造】」
『ドア』を作る。
開いて中を覗くと、見慣れた『ラウンジ』の光景。
これで無事に繋がったわけだ。ドアもきちんと開け閉めができる。
確認も済んだところで『ラウンジ』には入らずにドアを閉めた。元の場所に戻ると、足元から小刻みに揺れが伝わってくる。窓の外を見ていると、景色がゆっくりと流れていた。
そう……ここは『獣車』の中だ。
獣車にしては少し広い、しかし部屋というにはかなり狭い。そんな大きな変哲がない獣車の中にたった今『ドア』が設置されて、『部屋』と自由に行き来ができるようになった。
色々制約の多い『ドア』だが、今も獣車が動き続けてたのにも関わらず普通に使えた。つまりある意味これで、移動式の『ドア』ができたといっていい。あくまで獣車に置いたものだから、道のない険しいところにまではいけない。だからどこでも自由にとまではいかないが、これからの旅路を考えると相当便利になるだろう。
満足げにドアを見ていると、ふと、足元の振動が止まる。
窓の外へ視線を向けると、景色が止まっていた。
「動いてるほうが気持ちは乗れたんだけどな。まぁ、仕方がないか……」
そう呟きながら、獣車に元々ついていた方のドアを開けて外へでる。
獣車の側面から表へ出て、前面部分にある御者台の方へ歩くと、驃が良い姿勢で御者台に座っていた。長い間そうしているのに、よくまだそのままでいられると少し関心した。
「まだまだかかりそうだな」
声をかけると、こちらを向いて軽く笑みを向けて驃は答えた。
それと同時に周囲の婦人たちがちらちらと視線を驃に送っていたが、本人は気にしていない様子だった。
「あぁ、秋様。みたいだね。さっきようやく少し進めたと思ったらまたこれだから、まだだいぶかかりそうだよ。前にまだこんな並んでるしさ。こういうの、『渋滞』っていうんでしたっけ? 道とか獣車とか、便利なことを考えると思ったけど、こんな弊害もあるもんなんだね」
「俺もここまですごいとは思わなかったな。でも聞いてみたら結構これが日常的なことらしい。とりあえずまだ街を出られるまでに時間がかかりそうだけど……どうする? 大変そうなら御者かわろうか?」
驃は首を振る。
「いやいや、秋様にはやらせられないよ。僕に任せて、秋様はのんびりしておいてくれないかい。これくらいしか、こっちでやれることなんてまだないんだからさ」
「そうか? それじゃあ任せるけど……。
休憩が欲しくなったら言うんだぞ。ちょっとくらいならかわったって大丈夫だろう」
「わかりました、秋様」
会話が一段落し、手持ち無沙汰になる。
ここにいるのは驃と俺の二人だ。日暮は陸地がいることを考えると外には出せないし、サイセも同僚である冒険者にあまり顔をみられるのは良くないと、エステルの屋敷を掃除してもらっている。エステルから部屋をかりて『ドア』をおいたはいいものの、馬鹿みたいに部屋が埃でまみれていたので、俺が掃除をしようと思ったら春に止められ強引にサイセが行かせられた形だ。
ふと、持て余した視線を、目の前にそびえる高い壁に向ける。
それは『テールウォッチ』を内と外に分ける巨大な建造物だ。街の端から端まで丁寧に、区切るように横へ長く建てられていて、空でも飛べない限りこの建造物を無視して内側に入ることは難しい。横から回りこもうにも川と危険地帯である樹海のせいでかなり道が険しいそうだ。
つまり街を出入りするには、高い壁に開けられた唯一の通行用トンネルを通らなきゃならない。そうなってくると自然とこの場所を目掛けて人や物が一手に押し寄せてくる。
そうして起きるのが、大量の獣車による『行列』だった。
後ろを見ても前を見ても、隣を見てすらも、どこも獣車だらけ。できている列は相当長く。しかも出ていく人だけではなく、入ってくる人も大量に行き交っているのだから、壁付近になっていくにつれ混雑は悪化する一方でなかなかひどいものだった。この混雑を直視してしまえば直前まで感じていた高揚を吹き飛ばし、げんなりした気分で心を満たすのも容易い。
無論、俺たちもまた同じように並ぶ獣車の一つであることは棚にあげて、だけど。
当然のことながらこの列は壁を唯一通過できる検問所へ向かってのびている。
どうやら出たり入ったりするのに検査のようなことが必要らしい。
道は街を出る側が二車線と入る側が二車線の合計四車線だが、それとは別にもう二車線ほど余分に道が広がっている。その道は、俺たちの渋滞を尻目にガラリと空いている。
ずっと空いているのだから通ればいいと思ってしまうが、時折、その道を豪華な獣車が通っていくのを目にした。どうやら貴族や大商会といった重役の専用道なようだ。だから勝手に通ると捕まってしまう。
基本的には誰もいないのに、たまに通る獣車もすいすいと進んでいくものだから、恨めしい視線を向けて「この道を通らせてくれ」とでも言いたげな人もいた。実際に口に出して苛立ってる人も中にはいる。
しかしそんなのはほんの一部の人だけで、大半の人は既に慣れているのか、結構のびのびとくつろいですごしている。ここらへんの人は、おおらかな気質なのだろう。中には獣車を店がわりにして、並びながら商売してる商魂逞しい人もいるほどだった。
そんな周りの様子や、景色。他の獣車の魔物なんかを観察しているだけで意外にも退屈しなかった。
どれだけたった時だっただろう。
まだまだ行列は進まず、永遠に終わらないんじゃないかと思ったところで、唐突に怒声が周囲に響き渡る。かなり余裕がない、緊張した声だった。
「──奴隷が逃げたぞ!! 巻き込み自爆だ!!」
声のした方へ視線を向けると、重役用の道に二台の獣車が止まっている。そして止まった獣車と獣車の間を、見窄らしい同じ服を着た複数の人間や魔族が、手枷や足枷をつけながら、片方の獣車から片方の獣車へ向かって列を成して移動していた。
彼らがどういう存在なのかは、一目瞭然だ。
同時に、今何が起きているのかも。すぐにわかった。
列をなした『奴隷』たちから離れるように、一人の男が走っている。
他にいる奴隷と同じ服を着ているにもかからずだ。
無関係な俺たちから見ても、男が何か逸脱している行動をしているとすぐにわかった。
走る男はこちら側の獣車が列を成して止まっている方に向かって走っている。
「思い知れ……。バハーラの氏族が……国を失い……。
隷属させられてまで生きながらえようなどとは……思わないことを……ッ!」
走りながらつぶやかれた、小さな言葉を耳で拾う。
足枷も手枷もつけているのに、すごい身のこなしだった。
普通に走っているかのように素早く、止めようとする人たちの行動を軽く避けて、距離を離す。
追手の手が届かないほどの距離が開くのなんて、あっという間だった。
そして……気になるのが、男の首輪が徐々に光を放ってることだ。観察していると追手との距離が離れるほど、放つ光が強くなっている気がする。立ち止まっている奴隷たちには何の変化もないのをみるに、それは走ってる男だけに起きてる変化だ。何が起きるのかわからないが、発してる光に虹色が混じっている時点で、いい予感は何一つしなかった。
「爆発するぞ──!!」
誰かが叫ぶように、声を上げた。
その声を皮切りに男が走っている方向にいる人々がパニックになったように逃げ出した。幸い少し距離があって俺は静観していたが、隣の獣車を見ると青ざめた顔の人が後退りしながら騒動を釘付けで見ている。
一瞬、驃がこっちに視線を向けてきたが、手出ししないように顔を横に振って伝えると驃は頷いた。
男は走る。首輪の放つ光を強めながら。
向かう先は、獣車の立ち並ぶ群衆だったが、そこにだってもうほぼ着きかけている。元々大した距離はなかった。だからそこにいた人たちは蜘蛛の子を散らすように逃げまどっていた。それが幸いしてか、既に多くの人が距離をとることに成功している。
だが既に人が散っているにも関わらず、走る男には迷いがみられなかった。まるで目的があるかのように。
遠くから見守る野次馬が不思議そうに、男の行き先を先行するように覗いた。そして恐怖で腰を抜かして逃げ遅れた婦人が獣車の間にいるのを見つけて、息を飲み込む。そんなことがあちこちでおきていた。婦人は肩にかけられたショールを最後の頼りのように両手で握りながら、震えながら地面に座り込んでいる。向かってくる男に恐怖の視線を向けながらも、動けていない。
素早く走る奴隷が首輪をいっそう光らせながら婦人に近づき、手を伸ばす。
周囲で飲み込むような悲鳴があがる。俺も正直ダメだろうと思いながら見ていた。
男の手の先が婦人に触れようとした──その瞬間のことだった。
唐突に奴隷の姿が消えた。
まるで手品のように。瞬間的にぱっといなくなった。
唐突な状況の変化に、みていた全員が唖然としている。それからいなくなった奴隷の姿を探して、視線を彷徨わせていた。
俺は一瞬で気配が変わったところへ視線を向ける。そこで奴隷の男を見つけた。いたのは始めに逃げ出した獣車が二台止まった場所だった。皮肉なことに連れ戻されたのだろう。そしてその場所で奴隷の男は、既に地面に取り押さえられている。
だがそれでも、首輪が放つ光は消えていなかった。それどころかさらに強まっている。
「急げ!!早く被せろ!!」
取り押さえている人が焦ったように怒鳴ると、別の二人が布をもってやってきて、それを奴隷の男にかぶせて覆う。布が足りずに覆い切れていない足が、ジタバタ動いているが、三人がかりで力尽くに布ごと奴隷を抑えていた。
やがて数秒たち。
ボンッというくぐもった音があがると、男を覆う布が少し膨む。
同時にジタバタ動いていた足が急に力を失ったかのように止まって、地面に投げ出された。そして布の隙間からもくもくと煙が漏れて立ち上るのを確認してようやく、立ち上がり、動かない男を布に包んだまま荷物のようにどこかへ運びだしていった。
すべての事がこれで済んだのだろうか。
観衆の中でそんな雰囲気が漂い始めたときに、獣車から見るからに質のいい服を纏った男が現れた。その男は自分に視線が集中しているのを少しだけ確認したのちに、呼びかけるように大声で周囲に語りかけた。
「皆様方!! お騒がせして申し訳ありません!! 我々の『商品』が、皆様を怖がらせてしまったこと、すべて我が『チークテック商会』の不徳が致すところです!! 心より深くお詫び致します!! ですが当然のことながら、皆様のうけた心の傷に対してこんな言葉の謝罪一つで済むと思うほど、我々は虫が良いわけではございません!! ここにいる皆様方に謝罪の意味も込めて、我が商会の商品──全品を、『半額』で提供させていただきたい!! 関門を超えた先にある店舗でも、この街の店舗でもどちらへでも構いません! もしお時間があるようなら、当店へ足をお運びくださいませ!!」
そう男が告げた瞬間に静まり返っていた場が一転して歓声に包まれた。
宣言をした男は、その様子にほっとした様子で頷いている。だがその後、何かに気づいた様子で小走りでかけだした。そのまま見ていると、まだ倒れたままだった婦人に歩み寄っていた。そばにまで近づくと姿勢を低くして、手を差し出し、起きるのに手を貸している。
男は起き上がった婦人に、先ほど観衆に言っていたような謝罪の言葉を丁寧に述べた。
婦人の胸の内はわからないが、感触はよさそうだった。
「おや、ご婦人……。先ほどまでつけていた肩掛けが無くなっていますな。どうやら奴隷が触れていたせいで転移に巻き込んでしまったようだ。申し訳ありません。よければこのカードをどうぞ。それを持って当店へおいでいただければ、代わりのものをいくらでもお渡し致しましょう。今回のことは、それでお許しいただければと」
そういって男は軽く頭を下げた。
婦人は満更でもない顔でもらったカードを眺めていた。
そして男は獣車へ戻り、貴族専用の道を通って街の中の方へと走って去っていった。別の獣車も、検問所の方へ姿を消す。
「今のは……なんだったのかな? 全部が、よくわからなかったね。
まだまだこっちの大陸のことは、分からないだらけだよ。もっと勉強しなければならないね」
「……別にこれが分からなくても、支障がないと思うけどな」
隣で事態を一緒に見守っていた驃が不思議そうに呟く。
それに呆れ混じりで言葉を返すしかできなかった。
ただ今の一連の出来事にありがたいことが一つあるとすれば。前を並んでいた獣車がごっそりと列から外れていったことだ。さっそく割引にあやかりに、あの商人の店へいったのだろう。
おかげでそれからほどなくして列を進んで検問所までくることができた。街を区切る巨大な壁に開いた、大きなトンネルへ入ると中の検問所でとめられる。そこで指示に従い書類を職員に渡すと、その職員は建物の中に消えた。
手続きのために一時的に御者を驃と交代している俺は、手持ち無沙汰で御者台にのったまま待機していた。すると同じように暇そうにしていた、見張りのために残されているだろう検問の職員が、話しかけてきた。
「なぁ、アンタ。あのチークテック商会がやらかして、半額にまけてくれるというのは本当なのかい?」
「なんかさっきそんなことを言っていたな」
「くっそーまじか。あんたも運がいいな。チークテック商会は、現領主と冒険者ギルドに並ぶこの街の経済を牛耳る大物だ。行けばなんでも揃う店が半額で何でも売ってくれるってんだから、羨ましいぜ。俺も職務を放り出して今すぐ行きてーなぁ」
「確かに結構な人が、列から外れてでも行っていたからすごいんだろうな」
「そう、すごいんだよ。……ところであんた、冒険者なのかい?」
「あぁ」
「この魔物、すごいな。長年この仕事やってるが、見たことがない種類だぞ」
おそらくは元々こっちが目的で、この職員は話しかけてきたのだろう。
さっきからチラチラと魔物に視線を向けているのを感じていた。
「別の大陸の魔物だから、もしかしたらこっちだと珍しいかもしれないな」
「ほう……別大陸の魔物なのか。どうりで……。
それに……なんだか妙に迫力があるな、こいつら」
そう言って職員の男は獣車を引く魔物に、手を伸ばしていた。
触ってみようとでも思ったのだろうか。
そうして伸ばした職員の手のすぐそばを何かが掠めた。
直後にガチン!と音が鳴り、驚いた職員が「ヒッ」と声を漏らしながら、慌てて手を引っ込めていた。その引いていく手を追ってしつこくガチガチと牙を剥き出しに噛み付こうとする魔物に注意をする。
「人をむやみに攻撃しちゃダメだ。めっ」
そういうと、魔物は噛み付くのはやめたものの、つーんと顔をそらされた。
一応頭はいいし、言うことを聞かせられるように頼んでおいたので、命令を無視するようなことはないと思う。だからこれでとりあえず平気だろうが、とはいえ職員の方も少し不用意な行動だ。それを軽く注意をすると「あぁ……す、すまない」と動揺を隠せないまま謝罪された。
「ついつい気になってな。よくやってしまうんだよ。注意も何度もされるんだ。前にも噛まれてしまった傷があるんだ。ほら」
「…………」
そう言って手についた大きな傷を見せてくる職員の男。
その仕事向いてないんじゃないか、とは流石に余計なお世話すぎるので口には出せなかった。
「こんな魔物を二頭も御せるなんて、相当やり手の冒険者なんだろうな、アンタ。
やっぱ危険地帯で活動する冒険者は違うな」
そう言って職員の男は、懲りずに興味津々な視線を魔物へ向けていた。
俺もなんとなく、つられて魔物に視線を向ける。
この獣車を引いている魔物は、二頭。
どちらも馬に近い形をしているし、実際一見するとほぼ馬の見た目と同じ。
だがよく見ると、片方の魔物はたてがみが風がないにも関わらずゆらゆらと勝手に揺れているし、見ているとたてがみに扮したたくさんの小さな蛇がこっちを見て「シャー」と威嚇をしてくる。
もう片方の魔物は体の所々に皮膚と同じ色の鱗が生えていて、爪も尖ってるし、歯も草食の馬ならありえない尖った牙だ。
※ステータス※
蛇目馬 LV1611
『種族』
蛇目馬
『スキル』
石化 LV38
環境適応 LV11
予感強化 LV18
風魔法 LV19
脚力強化 LV22
『固有スキル』
蛇眼
※
ドラゴアド LV1263
『種族』
亜竜族 竜馬族
『スキル』
環境適応 LV9
ファイアブレス LV23
アイスブレス LV25
硬化 LV22
『固有スキル』
竜化
※
どちらの魔物も終焉の大陸の魔物だ。
草原の【魔物園】で獣車を引いてくれそうな魔物を見つけて、エステルの屋敷に作った【門】を通してこちらに連れてきた。
魔物を選ぶ際にアドバイスをしてくれたサイセはまだ「レベルが高すぎる」と渋い顔をしていたが、これ以上レベルの低い魔物はいなかったのだから仕方がない。
走力や戦闘は頼りになりそうだと、ポジティブに考えよう。
うっかり善良な人を殺してしまわないように気をつけなきゃいけないが。
手続きを終えて、書類とギルドカードを受け取る。許可も無事に出た。驃と御者を代わると、獣車は再び走りだし、世間話をした職員の名残惜しむ視線を振り払ってトンネルを抜けた。トンネルの先で広がっていたのは、さらにもう一つの街だった。
「(壁の先にも街があったのか……)」
獣車の中から、街の景色を眺める。
煌びやかな街だ。白い建物が立ち並び、高い建物も多く、道も小綺麗にされている。発展度合いも高く感じ、歩いている人も裕福そうな人が多い。ただ同時に、さっきみた奴隷の姿も見かけるようになり、良くも悪くもお金の集まっていそうな街という印象を持った。
ちなみにあとでエステルに聞いたら、テールウォッチは階級意識が強い層ほど主要産出物である樹海の『木材』から離れたくなるらしい。いつでも取れるありふれたものではなく、別の街から持ってくる必要のある『石』や、他国から持ってきた『白い鉱物』なんかがステータスになるそうだ。
そうした意識の結果、樹海にもっとも近い『木の街』には一般市民や下級市民、独自の価値観をもつ冒険者が住むようになり、『石の街』ではそれ以外の中流の家が。そして壁をこえた先の『白の街』には上流階級がと。自然と階級意識のグラデーションのような街ができていったらしい。
なんにせよ、窓からみていてあまり見て回りたい街とも思えなかったので、ぐんぐんと道沿いを進んでもらった。
徐々に白い建物の間隔が広くなる。
建物がない時間が長くなり、次の建物はいつだろうとみていても、一切こないまま何もない草原の景色を見ていたころにはもう、街の外に出ていたようだ。
「……これが街の外か。のどかだな」
街を出たことに気づいて、俺は走ってる獣車の屋根に登って腰をかけた。
天気がよくて風が気持ちいい。周囲を一望すると、遠くのほうで六本足の草食らしき魔物が、ゴブリンよりも一回り小さい、武器をもった人形の犬みたいな魔物を蹴散らしていた。『終焉の大陸』や【魔物園】にも草原はあるが、そうした光景をみるとやっぱり別物に感じられてよかった。ようやく、遠くまできたのだと実感を抱けるようになったかもしれない。
数十分もたって、感動もひと段落してきた。
道は幅があって軽く舗装されている。サイセから聞いた話ではこの舗装材には魔物の骨なんかを混ぜたりして、弱い魔物なんかは臭いを覚えて近づかないそうだ。
つまり特に景色も変わらないし、何も起きないし、することもない。移動型ドアに浮かれていたけど、冷静に考えると走った方が早かったかもしれない。
何もすることがないと、自然と意識は思考に傾く。
当然のように思い起こしてしまうのは、現状の『気がかり』についてだ。
……そろそろ、対処しなければならないな。
少し憂鬱に感じながらも、腰を上げた。
「驃。俺は少し、『部屋』に戻るからこのまま御者を頼んでいいかな」
屋根の上から驃に声をかける。
「あぁ、もちろん。任せといてほしいね、秋様」
「ありがとう。サイセに声をかけておくから二人でこのまま進んで、何かあれば呼びにきてくれ」
「了解したよ」
そして獣車の中へ戻ってドアに入る。
ラウンジを通って一度エステルの屋敷で掃除をしているサイセに声をかけて戻った。余計な一人が勝手についてきたが、気にせずに獣車につながる『ドア』を教えて、サイセとはそこで別れた。
そのタイミングで、別の人から声をかけられる。春だった。
「秋様、街からはもう出たのですか」
「あぁ、もう出たよ」
「では彼女が出て大丈夫そうであれば、連れていってください」
そういって春は、連れている日暮を手のひらで指した。
日暮は少し調子が悪そうだった。目も薄暗いし、確かに気分転換で外にでもいったほうがいい雰囲気だ。
ただ用があって戻ってきたので、すぐに連れて行くことはできない。もしすぐにでも出たいのならサイセと驃がすでにいるから、先にいっているといい。そう言って目的の場所に歩きだすと、二人は獣車にはいかずについてきていた。屋敷からずっとついてきてるもう一人も一緒だ。
ついてくるのか……。
あんま人にみられたくはなかったんだけどな……。
そう思いながらも、移動をして、目的のドアをノックした。
「千夏、入るからな」
それから呼びかけとノックを何度か繰り返しても自発的に開くことはなかったので、声をかけて千夏の部屋のドアを開けた。中は薄暗く、人影はない。だがベッドの上に敷かれた布団がこんもりと盛り上がっているから、人の気配があるのは明らかだ。そこに近づき、布団をつかんでめくりあげると小さく頭を抱えて丸まるように俯く千夏の姿が現れた。
もう十日近くこのままだ。いい加減どうにかする必要がある。
「起きるんだ、千夏」
声をかけるが動かない。
仕方がないのでそのまま両手でつかんで持ち上げる。すると千夏が身じろぎをして抵抗する仕草をみせた。だがそんなのは、手で握りしめた草がそよ風で揺れるぐらいの些細な抵抗だ。無理やり地面に足がつくように千夏を下ろすと、観念したのか、地面についたときにはそのまま自分の足で立っていた。
その時初めて、千夏が前に買い与えた『灰色勇者の像』を握りしめるように持っていることに気がついたが、視線を少し向けるだけに反応をとどめ、地面に膝をついて千夏の視線の高さと合わせる。
千夏の表情は、俯いていてわからない。しかしあえて伺う必要もなく、長く続いた沈黙に不安になった千夏が顔を一瞬だけあげてこちらを見てきた。そのときに見えた表情から、当然のようにまだ悲しみが癒えてないことがわかる。それぐらいのことがおきたのだから、当然のことだし、仕方がない。正直、これから癒えていくのかどうかも、俺にはわからない。
でも前には進まなければならない。
このまま停滞したままではいられない。心に傷があることなんて根本的には関係がない。
そういう構造を、世界がしているからだ。もし死ぬまで千夏が、この部屋ですごすのならそれでもいい。千夏がそうしたいならそうさせる。それも含めて、千夏に尋ねてみる必要があった。
「千夏。今獣車っていう乗り物に乗れるようになって、移動しているところなんだが、一緒に乗ってみないか? 今日は天気もいいし、風が気持ちいい。千夏は乗り物に乗るの、初めてなんじゃないかな。結構乗ってみると、面白いと思う。だから一緒に行こう、ほら」
だが千夏の表情を見て考えを少し変えた。
気持ちが落ち込んでるときに、追い討ちをかけるようにする話でもないからだ。
少しでも気分を変えてから話をすればいい。全く時間がないわけでもないのだから。
そう思って、声をかけて、手を伸ばした。
だが千夏は、首を振ってその手を避けるように一歩退いた。
「……一回行ってみないか?
もし乗ってみて嫌ならば、すぐに戻れるから」
「いやっ!」
声を荒らげて答えた千夏は、またベッドへ向かって布団に潜り込んでしまう。
こんもり盛り上がった布団をみて、息を大きく吐き出した。
これから自分が言おうとしている言葉に嫌気がさした。
「それじゃあ、このままここにいようか? ずっと……こうして生きようか」
結局、配慮もクソもなく、話は直接本題へと入ってしまう。
いや強引に俺が入れたんだ。
それ以外にどうしていいかわからなかったから。
「世界を見に行くのは、ここで終わりだ。そうしようか。俺は、それでもいいと思う。むしろ案外、悪くないかもしれない。それならこんな狭い場所で引きこもらずに、明日からは図書室で一緒に本でもゆっくり読んだり、勉強でもしたり、のんびりしようか」
「…………」
そう言うとなぜか千夏は這いずるように、再び布団から出てきて目の前に立った。
目の前に立つ千夏は、自分で出てきたはずなのに、さっきよりも無理やり立たされているかのように辛そうだった。
何かを堪えている様子で、俯いて、服を頼りなさげにぎゅっと握っている。
「どうする、千夏。やめるか、やめないか」
「…………」
尋ねてみても、答えは返ってこなかった。
しかしかわりに、なのか。ぽたぽたと涙の滴が床に落ちはじめた。
俯いた顔を覗き込むと、ぐしゃぐしゃになりそうな顔を、必死に押しとどめている千夏の表情があった。
そんなに千夏に、続けて尋ねる。
「千夏は今、どうして泣いているんだ?
何を感じて、どう考えて、なぜ泣いているのか。
そのままの気持ちでいい。俺に教えてくれないか?」
なるべく、柔らかい声と態度で尋ねたつもりだった。
実際の意図としても……俺が今本当に知りたくてきいたことを聞いたつもりだ。
しかし、千夏にそう伝わっているかはわからない。
尋ねたあとの千夏の様子もどう捉えていいのかわからなかった。
怖がっているのか、考え込んでいるのか。
ただ何度も言い出そうとしては躊躇って。
言葉を飲み込んでは別の何か探して。
じれったい時間を静かに待ち続けた。
「みんなと、一緒……楽しかった……のに、もう……会えない……。
なくなっちゃった……から。それが……ぐすっ……悲しい……」
溢れ出る涙といっしょに、千夏はつっかえながらも言葉を絞り出した。
「また……同じことになるの、いやだっ……。
傷つけるのやだ……傷つくのも……いや……。
他の人、会いたくない……怖い……」
「…………」
「これからずっと、同じことに……なるの……? うぅぅ……」
涙を手で拭い、赤みを帯びて行く目を向けられながら、尋ねられた。
今度答えなければならないのは……俺の番だった。
──たった一度の失敗だ。子供なんだし、またいくらでも新しく挑戦すればいい。
そう……普通の子供に言うように答えられれば、楽だった。
種族を人間に変えられないこと、『混人族』という異形な種族なこと、【運命の放浪者】のスキルをもっていること。どれもが千夏の恐怖してる可能性を肯定する根拠として、明確に存在している。そんな根拠を前にして上っ面だけの慰めの言葉なんて、気休めにもなりはしないだろう。
そもそも、大陸からでたばかりで世の中の知識量なんか千夏と大して変わらない俺が、一体何を答えられるというのだろう? そしてそんな状態なのだから、千夏が不安に思うことは、当然のように俺もまた不安に思う。
千夏の言う通り、この間の惨事と同じことを繰り返し、世界のどこにも居場所なんて出来ず、誰にも受け入れてもらえないかもしれない──と。
同じ状態で同じ不安を持つ俺が、答えられるはずもないし。
答えるべきでもない
……だけど──。
「大丈夫、千夏。心配しなくていい。
怖がらずに、何度でも挑戦してみればいい」
千夏は顔を上げて、泣き腫らした目でこっちを見る。
その目は、何にも納得なんてしていない目だった。
上っ面を取り繕うだけの言葉と、全く同じ文字列であること。子供ながらそのことに気づいているのだろうか。そうだとしたら中々の聡さだと思う。実際、それは事実だ。今のところは。そしてこのまま明確な根拠がなければ、今後もずっとこの言葉はそうありつづける。
「千夏。ついておいで」
千夏の手を引いて、場所を移動する。部屋の外で待機していた面子もついてくる気配がして、少し鬱陶しかったが気にせずに場所を移動した。千夏の部屋から『リビング』へ。それから『玄関』へ。そしてそこで止まった。目の前には『ラウンジ』のドアがあったが、そこには入らなかった。既にここが、目的地だからだ。
千夏から見上げるような視線を感じながら【カスタマイズ】で玄関を合成し広くする。あっという間にマンションの玄関くらいだった広さが、旅館の玄関並みに広くなった。人数も増えたし大分便利になっただろう。
一方で同じように大きく広がった壁の方はバランスが悪くなった。これまであった『ラウンジ』に続くドアだけがそこにある。玄関の何もかもが大きく広がったのにドアが一つというのは、あまり釣り合いがとれていない光景だ。
俺は千夏の手を引いて、ラウンジへ続く『ドア』の横。
そこの広がってまだ何もない壁に近づいて歩いた。
そしてその前に立って、千夏に告げた。
「千夏が不安に思う通り、これからもこの前みたいなことが、起きてしまうかもしれない。そして何度も、失うことが続くかもしれない。それは、俺には分からない」
そして爪弾きにされた千夏は、たった一人で生きることになるだろう。
それがきっと、千夏が本当に不安に思ってる本質的なことだ。
でも……おそらくそうはならない。たとえ世界のどこにも居場所がなかったとしても。
その根拠は、これから生まれる。
「……千夏。もし自分が求めるものが世界になかったとしても、自分で『作れば』いい。自分と、自分の手で生み出して作ったものだけが断言することができる。なぜならそれだけがこの世界で、何もあてにせず自分で都合よくできる、都合のいいものだからだ」
話の内容が伝わったかどうかはわからない。
ただ千夏はこっちを真っ直ぐに見て話を聞いていた。
まだ涙は止まっていないが、俺のすることを気になってはいるようだった。
【部屋創造】の能力を発動し、ひさしぶりに作れる部屋の『一覧』を開いた。
相変わらず大量に書かれたリストの中から、目的のものをみつける。
目的の『部屋』は色んな種類がリストにあって一瞬迷った。
花人族に作った【村】とは違って、まだ一度も作ったことがない部屋だ。
どんな感じか想像がつかないし、どれがいいかもわからない。
だから一番無難そうなのを選んで、その部屋を作成することにきめた。
能力を発動する直前に春の方へ視線を向けると、春はこっちをみて頷いていた。迷っていたつもりはなかったが、それでもどこか背中を押された気持ちで能力を発動する。
「【部屋創造】──『15万RP』を消費して【街・城郭】を作成」
ラウンジにつながるドアの横に、別の『ドア』が新しく現れる。
それを不思議そうに見ていた千夏の背中を押して、ドアを開けさせる。千夏はおずおずとドアノブに手を伸ばして、ドアを開けた。そして中の景色を見て、大きく目を見開いている。
俺も気になって、千夏ごしにドアの中を覗き込んだ。
「……すごいな。中に入ってみよう」
前にいる千夏の背中を押しながら、開いたドアの中へ進む。
一緒に【街】へ入って少し歩くと、押していた感触がなくなった。どうやら自発的に動き始めたのか、気になってふらふらしながら周囲を不思議そうに見ている。
ちなみに背後から気配が続くのを感じて、見てみると、残りの面子もついてきたようだった。そして中に入り、千夏と同様周囲の様子を伺っている。
「(さて……どんなものかな)」
俺もまた、【街】の光景を細かく確認していく。
初めに部屋を作ると、まず部屋の中央に繋がる場合が多いが今回もそうだった。
『ドア』の先は、結構な広さのある『広場』のど真ん中だ。テールウォッチの神器広場に似ている。ただもう少しここの方が、質素で飾り気がない。逆にいえば少し手を加えれば、憩いの場所になりそうだ。
あとこの広場のど真ん中にあるドアは使い辛そうだからあとで繋ぎ直さないと……。
広場を少し歩くと、『道』が見えてくる。
道は広場から全部で四本伸びていた。ちょうど東西南北に一本ずつ。
おそらく道が十字型にあって、ちょうど線が交差した場所にある広場がここなのだろう。
道の幅は広くて、獣車二台が横に並んでも余裕がある。また端には街路樹が一定の間隔で生えていて、石畳の道と一緒に、遠く霞んで見える『壁』まで真っ直ぐのびていた。
遠くに見える壁は、どの道からも同じように見える。
どうやら街全体をぐるりと四角に囲っているようだ。
一応それで『城郭』ということだろうか。
攻めてくる敵の防御にあの壁は使わないだろうが、『ドア』を設置する場所にはちょうどよさそうだ。
距離的にあの壁が【街】の端だと考えていいだろう。
広場周りの道以外のスペースは、すべて小路や一軒家のような建物で埋め尽くされている。道沿いは店のような建物が、奥まったところには家屋が並んでいた。とにかく数が多い。それにどこか洋風っぽい街並みなのはなぜなのだろう。
今のところ建物はすべて無人だ。しかし【街】にゴーストタウンという雰囲気はなく。開業前のショッピングモールのような感じで、今にも強い活気を帯びて動き出しそうな感じがする。
なんとなくこれで、【街】の全容がつかめてきた。
中央に『広場』があり、その周りに『街並み』がある。
そしてさらに『街並み』を越えた先で広がっているのが、膨大な『空き地』だった。
なかなか衝撃的な光景だ。
広場を含めた建物が立っている場所だけでも【村】一個分ほどの広さがあるのに、そのさらに奥があるというのは。
おそらく【街】全体は、大きな正方形。真四角の形をしている。
それを均等に、『九つ』に分けたように、マス目をつけたとして、建物が建っているのは真ん中のマス目だけだ。
つまり真ん中の周りにある八つのマス目すべて空き地だ。しかも一つのマス目の大きさが大体【村】一つ分あると考えると、相当なスケールの空き地が広がってると思っていい。現状【街】の大部分が空き地だ。
というか……本当に広いな……。
今まで作った広い部屋の【牧場】や【魔物園】なんて軽々超える広さだ。
さすがに【村】の十倍ポイントを使用するだけはある、ということだろうか。
建物だって【街】全体では一部といっても相当な数で、『部屋』の住人全員に一つずつ渡しても有り余る量だし。
おそらく俺の能力【部屋創造】で作れる最大であり、同時にこれまで作った中でも最大規模でもある『部屋』は色々とすごかった。
……ちなみに【村】と同じく、頭上には空と太陽があり、風が吹いていて『部屋』の外にある実際の街と遜色はなかった。
「──ここに世界中に『ドア』を繋げよう」
一通り【街】をみて回ったあと、千夏を連れて元の広場に戻りそう告げた。
千夏の丸い二つの目が、こちらを向く。その目を見返しながら言葉を続けた。
「そうすれば、ここは世界中に繋がる『街』になる。どうせ世界を見に行くんだ、そのついでに『ドア』を設置していけばいい。そうして色んな人や物を集めて、これから千夏の居場所として作っていこう。自分で作るんだから、誰に文句を言われる筋合いもない。そして完成すれば、もう嫌われて拒絶されることなんて関係なくなる。この街だけは千夏にとって『都合がいい居場所』だからだ。そういう風に作ればいい。いくら失敗したって大丈夫になるように」
……少し難しいだろうか。
言葉は選んだつもりだが、千夏が本当に理解しているかどうかは分からない。
だが俺なりに、千夏へかけた言葉の根拠を示したつもりだ。
それをどう受け取っているのかはわからないが、すくなくとも千夏がむけてくる眼差しは真剣なものだった。
その目を信じて、話を続けた。
「これから俺は、今言ったことを頑張って行く。
千夏はどうする? まだ、怖いか?」
そう尋ねると、千夏は少し答えに迷った様子だった。
しかしすぐに直前までと同じ眼差しでこちらを見て答えた。
「…………怖い」
「…………」
「……でも、頑張る……」
そう言い切った千夏に、頷いた。
まだ完全に立ち直ったとは言えない。根本的な原因は、残されたままだ。それに悪い方向のことばかり考えて言っていたが、それも避けられるなら避けたほうがいい。となると、千夏がいい方向に行くためには、やはりトットの協力は必要不可欠だと再度感じた。
とはいえひとまず、これで立ち直るための一歩は踏み出せたんじゃないだろうか。
「それじゃあ千夏。住みたい家を一つ、見つけて選んできてくれないか。
千夏の好きな場所にある好きな家でいい。
そこをこの【街】の俺たちの家にして、そこで『リビング』に繋げよう」
そういうと、千夏は頷いて走っていった。
その姿が少しだけ弾んで見えたのが、微笑ましかった。元々興味があったからなのか、少しだけ元気を取り戻したのか。春がその姿を目で追って、少し微笑んでいるのが印象的だった。
ここにはまだ『リビング』に繋がるドアしかないから変なとこにいってしまうことはない。それに迷ったとしても探すのは容易い。だからそのまま千夏を一人でいかせていると横から声がかかった。
「すごいね。ここにきてから驚きっぱなしだけど、これは想像を遥かにこえるよ。もし本当に君のいう通り世界中とつながったとしたら、世界最大の『交易都市』の誕生だね。ところで、よければ僕にも家を一つもらえないかな? これだけあるんだから、ね……お願いだよ。支払えるものはないけどちゃんと借りにするからさ。僕の屋敷より小さいけど、ここの新築の建物の方がよっぽど過ごしやすそうだからね」
そう言ったのは、土人形屋……もといエステルだった。
サイセを呼びにいったときからずっとついてきていた。初めは『部屋』に入れるかどうか少し悩んだが、屋敷にドアを置かせてもらってるし、ずっと隠すのも面倒なので本人が『部屋』を使いたいのならば気にしないことにした。とはいえこんなところまでついてくるとは思わなかったし、こんな要求をしてくるとも思わなかったが。結構図々しい男らしい。
「まぁ……別にいいけど」
ひとまず断る理由はなかった。
とにかくありあまってるこの建物を埋めるのが、【街】を作るという目標において最初の課題になる。そのとき信用のことを考えなきゃいけないだろうが、そこに関しては正直エステルをそこまで信用してない。
だがこれだけの広さを信用する人だけで埋め尽くすのは無理な話だ。それにいちいち一人一人を信用できるかできないかを選別するのも手間だしやりたくない。だったらここが『部屋』であるかぎり俺の優位性は基本的にゆるがないのだし、ひとまず人を入れて、問題は起きてから対処でも十分じゃないかと考えた。
だから許諾したのだが、エステルは予想外といった表情で驚きを一瞬浮かべたあと喜んでいた。
「ほんとに!? やった! ダメもとでもいってみるものだね!
それじゃ僕は彼女についていって一緒に探してこようかな。
一人でぽつりとするより、近くの場所のほうが楽しいだろうしね」
そういってエステルは千夏のあとを追って行く。
「わしもいいかの、秋」
続けてもう一人にも同じように声をかけられた。言わずもがな、ティアルだ。
さっきから視界の端でうずうずしているのが見えていたから、こうなるとは思っていた。【街】を作った瞬間にはいなかったはずなのにいつのまにかちゃっかりやってきているあたりさすがだと思う。最近は姿を見かけることがあまりなかったのに。ついでに『ドア』で繋ぐことも頼まれたあたり、エステルよりも上手の図々しさだ。
千夏の勉強を見てもらうことを条件に、どちらも了承しておいた。
ずっと頼みたいと思ってたから、結果的にはちょうどよかったかもしれない。
「──秋様」
残っていた春に声をかけられる。
俺もちょうど、話したいと思っていたところだった。
「春。悪いな、こんな大きなことを独断で決めて」
「愚かですね。この『部屋』の能力も、主も。すべては秋様のものです。
私の許可なんて必要ありません。もう何度もいっていますが」
そう淡々と言いのける春に、苦笑する。
『部屋』という場所において結構な転換点だと思うが、あまりにもいつもと変わらない。
「ですが……解決できていない『問題』が、少々気になります」
──問題。
春が少し顔に陰を落として、そういった。
俺はその言葉に少し心当たりがある。
「今回の部屋の作成で、多大なポイントを消費しました。ですが、現状。失ったポイントを取り戻す算段がついておりません。それどころか、日々の『部屋』における『RP』の収支は──『赤字』です。今この瞬間も『RP』は減り続けています」
やはりそうか、といった心境だった。当然、俺も把握している。
表面化こそしてはいないが、【部屋創造】の能力を使える俺と春は嫌でも認識せざるを得ない事実だ。
「『RP』は、【能力】の源。
収支の状況は一刻も早く、改善しなければなりません。ですが……」
「うーん……」
深刻そうな春の様子に、微妙な声が出てしまう。
というのもこの事実に関して言えば、俺と春には温度差があった。
つまり俺は春ほどそのことを深刻には思っていない、ということだ。
赤字として失われる『RP』は一日数百ポイント。
それはたまにでる『流れ』でも処理すれば十分賄える量だ。足りなくても俺が終焉の大陸へいって魔石の採取をすればいい。半日もやれば十分収支はプラスになるだろうし、そのプラス分で十日分ほどの赤字は帳消しにできる。
つまり以前のように終焉の大陸にいけば済むだけの話だ。それも以前のように出突っ張りというわけでもなく、時々でいい。
そんなのは十年もこれまでやってきたことだし、命懸けとはいえ今更苦に感じるわけもない。だからこの点に関しては春が少し大げさだと思っていた。
まぁ……確かにこれは、最低限の話だ。
帳消しするといっても、赤字分のポイントが無くなるだけ。
他の用途で消費されるポイントは、考えられていない。【カスタマイズ】で日用品を補充したり、不意になにか『部屋』を作ったり、『ドア』の設置なんかのポイントは今ある『貯蓄』からひかれることになってしまうだろう。
だがその貯蓄も、現状は充分にある。赤字になりはじめたのはつい最近の話で、それまでの『十年』は順調に『RP』を増やして貯めていた。今あるポイントだって『200万』は超えているし、四捨五入すれば『300万』といってもいいほど余っている。……まぁそれはギリギリだけど。
それでも貯蓄としては充分な額だ。
少なくとも一年や二年。仮に使い過ぎたところで、すぐに使い切ってしまうとは思えない。
だから俺は結構楽観的に現状を捉えている。
そしてそのことを以前にも春に伝えていた。赤字が発覚した時のことだ。俺で問題が済んだつもりでいたが、春は以前と同じく、深刻に問題を捉えたままだった。なぜそこまで、と疑問には思うものの春がここまで問題だと思うならば、何かしらの見過ごしてしまった問題が本当にあるのかもしれない。一度考えてみてもいいような気がした。
「……ならば、少し改善する方法を考えてみるか」
「そうですね。一番いいのは終焉の大陸だけでなく、現在いる人の住む大陸側でも『RP』の収入を得られることです。これからそちらの活動も増えていくことを考えると、必要だと思います」
「確かにそうだな。だけどなぁ……。正直こっちの大陸は収入が渋すぎる。何個か取った魔物の魔石も『RP』に換えてみたけど、あまりに低くて驚いたからな」
すでにこっちの魔物の魔石を試しに『RP』に換えている。
樹海の竜木で見かけた、日暮が『辿魔』だと言っていた魔物だ。確か『800レベル』くらいの魔物だっただろうか。終焉の大陸だとあまり見かけない、レベルが低い方で珍しい部類の魔物だ。だがそれでもゴブリンよりは高い。
そんな魔物の魔石を『RP』に換算すると──わずか『12RP』だけだった。
それはあまりにも低い数字だ。
終焉の大陸のゴブリンでも『30RP』近くにはなる。
レベルはゴブリンの方が低いはずなのに、それでも倍以上にポイントが違う。
一体何を基準で価値が決まってるのか。未だに謎のままだ。
ちなみに終焉の大陸で『魔素溜まり』から発生したばかりの魔物。これらは『1000レベル』を下回っているのを見たことがないが、そんな魔物でも最低『100RP』くらいにはなる。中でも強い魔物ならば、『300RP』ぐらいまでは増えることもあるだろう。
そして『流れ』や『環境魔獣』、『大森林に生息する魔物』といった終焉の大陸でも頭ひとつ抜けた魔物たちで百台の後半あたりのポイントにまでなる。四捨五入すれば1000RPだが……実際は一つの魔石で四桁のポイントになった魔物はまだ見たことがない。
終焉の大陸で得られる魔石の『RP』の収入は大体こんなところだ。
これを踏まえてもう一度、こっちの大陸で手に入れた魔石のポイントをみると、どれだけ収入が渋いかがよくわかる。魔避けカヅラという魔物の魔石にいたっては『1RP』にもなっていない。
最悪の誤転移というべき終焉の大陸が、【部屋創造】という能力の観点でいえば意外にも都合がいい場所だというのが皮肉な話だ。
「……『魔石』以外にも、『RP』を得る手段はございます。
お忘れでしょうか、秋様。もう何度も説明したと思いますが……」
そう言われたが、何も思い浮かばずに苦笑いをして誤魔化す。
春は呆れた様子で言った。
「仕方がないですね……。では、現状の『RP』を得る方法を確認しておきましょう」
「助かるよ」
「まずこれまでの収入の主力である、魔物の『魔石』。
そして【能力】の『レベルアップ』でもポイントは得られますが……レベルアップは長いこと停滞しています。最近になって一つ上がりましたが」
春の言葉にうなずく。花人族に【村】を作ったとき一つだけ上がって『19レベル』になった。上がったのはかなり久しぶりだ。
「次に一日ごとに得られる『10RP』です。一応『基礎ポイント』と呼称していますが、初めの頃数字が固定されているものと思っていたこのポイントは、『部屋』で活動している『住人』の数で変動することが発覚しました。大体『10人につき1RP増える』と思われ、それが毎日加算される基礎ポイントに追加されるものと思われます。……どこまでを『住人』として認知されるのかまではまだ調査が進んでませんが」
……あったなぁ、そんなの。
『部屋』を作った初期の初期の頃なんかは、このポイントを当てにして、貯まるまで毎日すぎるのを待っていたころもある。今はそんなことをすることも、当然なくなったが。
基礎ポイントが変動する事実も、随分前からわかっていた。
ただあまりにも効果が薄く、意識したところでどうにもならないために自然と記憶から消えていた。なんせ住人が増えた今ですら『20』にすら届いていない。『千人』くらいは住人がいないと話にもならなさそうだ。
「大体これくらいか……」
現状、俺の記憶している方法は出揃った。
この中から改善できるもの……。
そう考えていると、春が思考を遮るように声をあげる、
「いえ、まだあります」
「……まだ? あったっけ?」
「はい。最近、発覚したことがあります。……秋様、これを」
そういって春から何かを手渡される。
それは──『金貨』だった。
「それは魔石と同様に『RP』へと『変換』することができるようです」
「これが?」
「そうです。一度、確認のためにも変換をお願いします。そちらのほうが、話が早いですので」
「……やっていいのかな?」
魔石もそうだが『RP』に『変換』したら、二度と元にはもどせない。
もし前の世界だったら確実に犯罪だ。今更ながら、少し気にしてしまう。
そんな俺に春が言った。
「これはティアルからもらったものですから、気にせずにどうぞ。そもそもほぼ世界中で使われる通貨だそうですから、無くなるのもごく当たり前だそうです。それに加え、それらの貨幣はいつでも産出できるとも言っていましたから」
「へぇ、そうなのか。じゃあ別にいいか」
産出できる、という言い方を少し不思議に感じたが、春の言う通り渡された金貨を『RP』に換えてみることにする。確かにそのつもりで触ってみると、ポイントにかえられそうな感覚がある。金貨には既に触っていたのに気づかなかったな。
そんなことを考えながら、金貨を『RP』に換える。手のひらにのった金貨がふっと消えた。同時に見ていた【部屋創造】の『所持RPの欄』で数字が加算されているのを確認した。
ただ……。
加算された数字をみて少しがっかりした気分だった。
「『金貨一枚』で、『1RP』か……。結構渋いな、こっちも……」
「他の硬貨でも試しましたが、『RP』に換えられるのは金貨だけのようです」
「そうか……」
実質『1RP』が『10万』。宿屋より高いな……。
ここまでくるとこっちの大陸のポイント事情が、渋いのではなく。むしろこれが『基準』なのかもしれない。ゲームの最後ダンジョンで初めから経験値をあげたせいで、いざ他の所にいってみたら感覚が麻痺して経験値が低く感じる、みたいなものだろう。
……これもし普通に召喚されていたら、相当【部屋創造】は使いづらくないかな?
そのままベリエットに召喚されていたらどうなっていただろう。
まさか能力が弱くて追放なんてことはないだろうが。
とりあえず何でも出来ると思っていた【部屋創造】の能力が、実はこの世界の基準だと相当割高なことは理解できた。今つくったこの【街】だって、金貨だけで作ろうと思ったら『十五万枚』。『百五十億』が必要なことになる。個人で集められる額じゃない。
本当にこの部分だけは、終焉の大陸に召喚されたことを感謝してもいいかもしれないと少しだけ思った。
「とりあえず現状でできることと言ったら、【街】に人を集めることと『金貨』を集めることかな」
「そう……ですね。この【街】で人が増え。発展し賑わっていくのだとすれば、自ずと金貨も集まってくるのかもしれません。そう考えると【街】を作ったのは僥倖……というより、ある意味必然だったのでしょう」
「必然ね……」
正直なところ、自分で作っておいてなんだが、いまだに実感がなかった。
千夏を少し前向きにしたいがために、勢いまかせで相当なことをやってしまったと思う。果たして本当に言った通りに成し遂げられるだろうか。終焉の大陸を生き抜くこととはあまりにも方向性が違いすぎる。
嘘をついたつもりもないし、やっぱりやめるなんて言うつもりもない。当然これから取り掛かっていくことになる。とはいえあまりにも突拍子がなく、今のところ先がどうなるか想像がつかなかった。
「とりあえず、最近増えていた『ラウンジ』の『ドア』をさっそく【街】に移しておくか……」
現実逃避気味に、【カスタマイズ】を表示した能力を操作する。
終焉の大陸につながる『ドア』と別の大陸につながる『ドア』を分けたいと思っていたのでちょうどよかった。無理やりそう思うことにした。
「ん……」
ふと、面白そうなものを見つけて操作を止める。
『部屋』の改造などができる【カスタマイズ】はやれることが豊富だ。他の『部屋』でも色々弄っているが、【街】はその中でも群を抜いて出来ることが多い。
見つけたのは、そんな大量にある項目の中の一つだった。
それを実行するか少し悩む。正直なところ完全に無駄遣いだ。後で春に怒られるかもしれない。
でも少し考え、俺はそれを実行した。
大きな支出を既にしたために、紐が緩んでしまっていたのかもしれない。
「【カスタマイズ】──『6000RP』を消費して【街】の街路樹を『桜』に変更」
途端に、街の景色が一変する。
ずらりと道沿いに立ち並ぶ街路樹がどこか見たことのある木へと一斉に変わった。疑うまでもなく、それが馴染み深い木であると確信を持って分かった。見ているとどこか懐かしさがこみあげる。
しかし、街路樹は今のところすべて『紅葉』だった。どうやら外と同じ季節の巡り方をしているらしい。これはこれですごい綺麗だが、ピンクの桜の花はおあずけみたいだ。でも春の季節が、これで楽しみになったな。
「桜……。これが、そうなのですね」
「そういえば春は桜を見たことがなかったな」
「そうですね。いずれ花が咲くのを見るのが、今から楽しみです」
どうやら春も喜んでくれているようだ。
衝動的にやってしまったが、やってよかったかもしれない。
しかしそうした考えが、少しだけ霞む光景が春の先で目に入った。
「…………」
日暮が紅葉に色づいた桜並木を見開いた目で見て、涙を流していた。
──そうだった……。
俺は、日暮のことが頭からすっかり抜け落ちていた。
味噌汁すら耐えきれない日暮には、酷な光景だろう。
せめて日暮のいないときにすればよかった。配慮を忘れていたことに後悔を感じながらも、声をかけようと思って近づくが、なんと言葉をかけていいかがわからなかった。
「……なんか、すごいことになってんな。なんだこれ。街、なのか……?」
唐突に『リビング』につながる『ドア』から、サイセが現れ、開口一番に言った。
「サイセ」
さっき別れたばかりのサイセがやってくる理由。
おそらく獣車のほうで何かあって呼びにきたのだろう。事前にそうするよう伝えていた。
急を要すると判断し、声をかける相手をサイセへと変える。
「おっ、旦那。よかった、ここにいたんだな。実は、驃が道の先で人間が隠れ潜んでるのを見つけてな。おそらく『盗賊』だと俺は踏んでるんだが、念の為声をかけにきたんだ」
「あぁ、わかった。すぐいく」
ここにやってきたばかりで少なからず事情を聞きたそうにしてるサイセ。だが役割を優先して、すぐ蜻蛉返りで戻っていた。俺もまた、サイセのあとをおってドアへ向かう。その途中、日暮の横を通り過ぎた。こぼした涙はすでに止まっていたが、少しだけ目が赤くなっている。その様子を横目に、千夏のことは春に任せて獣車へと戻った。
──結局、声をかけることはできなかったな。
そのことに心のどこかでほっとしていたことに、気づかないふりをして先を急いだ。
【新着topic】
【能力】
『部屋創造』 能力者:灰羽秋
部屋を作る代償型の能力。カタログリストから選ぶ形式でルームポイントを支払うと、選んだ名前通りの部屋が完璧な状態で出来上がる。応接室や個室なんてありきたりな部屋から、漁場や牧場、街や村なんてぶっ飛んだ部屋も中にはある。なんでもできるがポイントの代償は馬鹿にならない。
『部屋創造の機能』
-『部屋作成』
部屋を作る。
-『部屋魔法』
部屋をお手軽に掃除できたりする便利な魔法。RPを使う。
-『カスタマイズ』
部屋の中身や機能を変更する。備品の操作もでき、補充や変更ができる。合成なんて機能もある。
-『ドアの作成』
作った部屋にドアを作る。一回500RP。一時的な設置は200RP。繋げる先に部屋以外の外を指定することはできず、外と繋げる場合は外からのみ設置できる。玄関につなげないといけないやつはレベルがあがってなくなった。門も設置可能。
『RPの獲得手段』
-『基礎ポイント』
一日一回もらえるポイント。十ポイントが基本だが、住人が十人増えるごとに一ポイント増える。
-『魔石』
魔物から採取できる魔石をポイントと交換できる。1000レベル超えの魔物でも数百ポイント台前半と結構割安で厳しい。
-『レベルアップ』
能力のレベルをあげてもらえる。結構もらえるがレベルの上げ方が特定できず狙っても難しい。
-『金貨』
金貨一枚につき1RPになる(10万=1RP)




