第96話 その後の魚たち
辿魔族との戦いから敗走し、広大な樹海から抜け出したベリエット帝国勇者──。
小笠原と幌の二人は今、樹海に面した人間の街になんとか辿り着き、宿に身を寄せて、心身の休息をはかっていた。
カチャリ、カチャリと皿にスプーンが当たる音が、静かな部屋の中で微かに鳴る。
痛みと怠けが抜けない身体に鞭を打って、上半身だけをなんとか起こし、ベッドの上でスープを小笠原は啜っていた。
そして自分の咀嚼音が自分で聞こえるたびに、部屋の静けさが気になって、ベッドの横で椅子に座っている幌に視線を送った。
宿の従業員から食事を受け取って持ってきてくれた幌は、それから椅子に座り、腕を組むと身じろぎせずに黙ったままその姿勢を保っていた。
耐えきれなくなった小笠原はスープとスプーンを台の上に置いた。そして冗談をいうような口調で、そばにいる幌に話かける。
「いやぁ、参ったねぇ。あれだけの大怪我をすると、治癒魔術で怪我を塞いでもらっても、身体がついてこないからさぁ。治っても不調続きで参っちゃうよねぇ。ほんとよく思うけど、どうせ召喚されるなら、もっと身体が若いときだったらよかったよ、アハハ」
「…………あぁ」
「あぁ、でも若すぎたらそれはそれで、大変かなぁ? 知ってる? うちの代の桃色の勇者、三ノ宮くんなんだけどねぇ、世間の女の子がみんな『お母さん』か『お姉ちゃん』にしか見えないんだって。同じ世代の人間の子供も、あっという間に育って大人になっちゃうからねぇ。だから性欲が湧いたことないらしいんだって。アハハ。流石にここまで若すぎると逆に大変だよねぇ?」
「……………………あぁ」
「…………」
耐えきれなくなり、会話が一度止まる。
たっぷり間を置いて、帰ってくる返事。声も気がカケラも籠っておらず、聞いているのか聞いていないのか定かじゃない。ただ疑問が湧く時点でほぼ聞かれていないと思っていいと、小笠原は経験から判断してため息をついた。
「やれやれ……。重症で寝込んだ僕よりも上の空だねぇ……幌君は。
まだ考えてるの? 【千林】くんに支払った『記憶』のこと」
ぴくりと幌の身体が反応する。
そしてここにきてようやく、幌は小笠原の方へと向き直してまっすぐに答えた。
「……やはりどうにも気になって仕方がない」
「まぁ、もう『三日』経ってるし、それも仕方がないねぇ。
ということは、まだ自分が払った『代価』が何なのか、はっきりしないのかい?」
小笠原の言葉に、幌は頷いた。
三日ほど前──坂棟日暮をめぐって、辿魔族と戦いが起きた。
あまりにも唐突で予想外の出来事。相手は格上で逃げるしかなく、だがそれすらも容易くないほど実力は開いていた。だから幌はそのとき能力を使った。代償と引き換えに願いを叶える【価値人形】──【千林】の力を。そのときに幌は、支払う対価を『旅で得た最も価値の高い記憶』だと言われて了承し、支払った。おそらくそれは『辿魔族』と『坂棟日暮』につながる情報だろうことを、予想していたからだ。
そのはずなのに──事態は『奇妙』な方向へ進んでいた。
「いまだに『坂棟日暮が生きていた』ことも、『辿魔族と戦った』ことも……すべて覚えている。代償を支払うのにタイムラグがあるのかと思い待ってみたが……」
「さすがにこれだけ時間が経って、それはないよねぇ。そもそも幌君の能力って基本先払いだし、タイムラグなんて元々ないと思ってたんだけどさぁ。まぁ、そうなると早い話、『違う』んだろうねぇ。うーん、僕もそのふたつが一番価値が高い情報だと思ってたのになぁ」
「何かしらの大事な記憶を失ったのは、確かなのだろうが……。
それが何か分からないというのは、思っているよりも少し、気持ちが悪いな」
少し、というのは実際のところ低く見積もった言い回しだ。
本音を言えばかなり気持ちが悪い。自分の記憶がいじられたのは確実なのに、それが何か分からないというのは。ここ数日、頭から離れずにずっと記憶をほじくり返してるくらいには。
「じゃあさぁ、幌くん。僕と一度『記憶のすり合わせ』をしてみる? こっちの大陸にきてから僕たちはほとんど行動を共にしてたよねぇ? なら最初から起きたこととか、したことをお互いに言い合って確かめていけば、そのうち僕にはあって幌くんには欠けてる記憶が出てくるんじゃない?」
小笠原の提案に「できればお願いしたい」と言って頷いた。ありがたい話だった。実は同じ手段を考えていたが、小笠原の体調を考慮して提案できずにいたから。そのことを察してかは分からないが、小笠原が「大分調子も戻ってきたからね」とつぶやいた。
「じゃあ、さっそくやろうか」
そう言うと同時に小笠原は台の上に、ゴトリと何かを置く。
「それは……『通信の魔道具』か」
「そう。どうせだから本国への報告もかねてやろうと思ってねぇ。いいよねぇ? 同じこと何度も話さなくていいし、そっちのほうが楽だからさぁ」
「そういうことなら、俺は構わない」
「じゃ、そういうことで」
そう言って小笠原は魔道具を起動した。
これで、この道具の先で会話を聞いている『誰か』がいることになる。それが誰なのか、少し気にならないでもなかった。
だが少しでも早く気持ち悪さを解消したかった幌はそれを尋ねなかった。
「それじゃあ最初から振り返って行こうか。
ええっとまずは、最初にこの大陸へ『転移』してきた日から──」
それから小笠原と一緒に、起きた出来事をテンポよく羅列して、時間が過ぎていく。ぼろぼろに負けたあの夜間の戦いまで振り返るのは、時間が経っていないせいか未だ苦々しく感じたが、一通り羅列を終えたときに小笠原が尋ねてきた。
「どう、幌くん。何か欠けている記憶はあった?」
小笠原に問われながら、今自分が苦々しい顔を浮かべていることが容易に想像できた。
そう自覚しながら、幌は──首を横にふった。
「……いや」
「えぇ!? 今ので欠けてる部分がないの!? うーん。本当に記憶がなくなってるのかなぁ? それとも南大陸に来る前の記憶? 千林くんが言った『旅』っていうのが表現が曖昧だからなぁ。もし僕と南大陸にきてからの旅路をさしての言葉じゃなければ、正直お手上げだけど……」
小笠原同様、幌もまた驚いていた。
ここまでやって、記憶の欠けた箇所が分からないことに。
もしかしたら小笠原の言っているような可能性もありえるのだろうか。
「(だが少し『違和感』がある。どこだ……?)」
考え込もうとしたとき、ふと『声』が聞こえた。
小笠原でも、幌のものでもない。
二人しかいないはずの部屋で、聞こえたそれは『第三者』から発せられた声だった。
声が聞こえたのは、小笠原がおいた『通信の魔道具』からだった。
『あのさぁ、二人とも、確認の仕方が大雑把すぎない……?
もっと一つ一つを掘り下げてやるでしょ、普通』
「え……。こんなもんじゃない? 『ユウタ君』」
『ユウタ君』。
その名前を頭の中でもう一度繰り返す。そして誰を指した名前なのかを思い出した。
──『情報屋』、か。
この声がそうなのか。
気づいた途端に自分が、より意識して声に耳を傾けようとしていることに気づく。それも当然だった。
『情報屋』はベリエット帝国全体でも、五本の指に入るほど強力な【能力】を保持した男だ。その影響力は数いる『ベリエット勇者』の中でも、古から帝国を支えてきた『第一世代』や、それぞれの色を代表する『旗本』たちと並んで強力だ。
そんなベリエット帝国の上位の人物であるにもかかわらず、本人が人と会いたがらない性格もあってか、十年たった今ですら会う機会が訪れていなかった。これだけの年月が経てば、どれだけ格上でも一度や二度くらい、顔を突き合わせたとておかしくはないはずなのに。声を聞けたのすらも、これが初めてだ。
『もっと細かく、一つ一つの出来事を掘り下げて口に出すんだよ。分かる? 無意識に必要ないなんて決めつけないでよ、勝手に。どんだけ自分を信用してるんだか……。こんなの最初からやってていいことなんだから、いちいち言わせないでほしいよね。結局二度手間になってるし』
「まぁ、これくらいでも十分だと思ったんだよねぇ」
『詰めが甘いなぁ。そんなんだから薄っぺらいけど数だけは膨大な、面倒な雑用をいつも押し付けられるんだよ、コガッさんは』
「………………」
どうやら『情報屋』は大分忖度しない性格をしているようだった。
上の世代の顔見知り同志の会話に、あまり割って入るのもどうかと思い口数を減らしていたが、小笠原が本気でむっとした表情を浮かべているのをみて口を挟んだ。
「とりあえずもう一度頼めるか、小笠原さん」
「…………わかったよ、幌くん」
少し拗ねた様子だが、気にせず話を進める。
「すり合わせるのは、一先ず樹海に入った部分からでいいだろうか。
そこに何か、微かに違和感がある……ような気がしている。
曖昧で悪いが……」
「いや、いいよぉ幌くぅん。違和感があるだけでも、前進だよ。
ええっと、それで、樹海に入ってからだよね? それじゃあ、あれだね、『ゴブリン』からだね。僕たちは今いる街の周辺で集落を作ったゴブリンの群れを潰して回ったんだよ、確か。僕の【重力増加】で動きを止めてから、能力の範囲の外から幌君に銃で仕留めてもらってさぁ、かなり手際よくやっていったよね」
『……それで、そのゴブリンの群れの数は?
潰した集落ごとの間隔は?
特徴はどうだったの?』
先ほどのすり合わせとは違って、『情報屋』が口を挟むように根掘り葉掘り問い詰めてくるのを小笠原と一緒に答える工程が加わる。先ほど『情報屋』が小笠原に注意した言葉は、正しい言葉だが、実際にやるとなると思っているよりも大変で面倒な作業だ。お互いに分かりきったことをお互いに察し合いながら詳細を確かめ合うのは、意味なく穴を掘ってまた埋めているみたいだった。だからこそ一つ確かめ合うごとに面倒に感じていた小笠原の気持ちがわかってくる。
「……それでついでに集めた『ゴブリンの魔石』を使って幌君が【価値人形】の『十華くん』にお願いを頼んだんだよね。確か内容は『坂棟君につながる手がかりへの案内』とかだったかなぁ」
「あぁ、それで間違いない。
だが結果は……芳しいものではなかったが……」
そこでふと……幌の動きがピタリと止まる。
「そうだねぇ。樹海をたまたま歩いてた一般人に案内されちゃったんだよねぇ。
参っちゃったよ、あれにはさぁ。ねぇ? 幌君」
苦笑しながら小笠原が答える。
幌に起きた様子の変化にはまだ──気づいていなかった。
『それで、その人物は容姿は? どんなのだったの?』
「……さぁ。僕は直接見てないし。
どうなの? 幌くん」
「………………」
「幌くん?」
このときようやく、小笠原は幌の様子がおかしいことに気づいた。
幌は片手で顔を覆いながら、思い詰めたように目つきが険しくなっている。
そしてその様子のまま、幌は答えた。
「──わからない……」
「え……?」
「全く思い出せない……。見た目も、声も、交わした会話も。
そのときの映像が全部、不自然に切り取られているかのように。
記憶が──消えている」
戸惑いながら告げると、会話が一度そこで途切れた。
まるで戸惑いが伝播したかのように。
だがその後、幌の言葉を飲み込んで理解した小笠原は、慌てた様子で声をあげた。
「えぇっ。そこなの!?
消される記憶って、そこぉ? なにそれ、変なのッ」
オーバーなリアクションだが正直なところ、今の心境は完全に小笠原のそれと同じだった。
「(記憶を代償に払うというのは、こういうものなのか……)」
何よりも気持ち悪いのは、記憶が消された感覚だ。
坂棟日暮を見つけるために十華にお願いしたが、見当違いだろう青年に案内された──と、話の筋道は覚えている。だから最初は違和感がない。すり合わせの一回目のときは平然と話を進められた。
だがほんの少しでも、そこから先を考えようとした途端に奈落を覗き込むかのように記憶が出てこない。記憶のとっかかりはあるのに、思い出そうとした途端に黒塗りの映像を延々と流されているような感覚は、怖気が走る。いっそ最初のとっかかりの部分すらも無くしてくれればよかったと思うほどだった。
『なかなか、面白いことになってるじゃん』
通信機から聞こえる情報屋の声は、どこか前よりも弾んでいた。
「いや、なんでぇ〜? 『坂棟くん』のことでも、『辿魔族』のことでもなく、樹海で会った一般人の記憶……? わけわかんないなぁ、もう。まぁ……でも良かったんじゃない、幌くん。変な記憶奪われるくらいならなんの役にもたたない記憶盗られた方がまだマシでしょ」
『流石にそれは短絡的すぎでしょ、コガッさん。ここまでわけがわからなくなってくると、どんな可能性もありえるんだから。無くなった理由次第では、不都合がこの先起きるかもしれない』
感覚的に言えば小笠原の意見に共感を覚えるが、実際のところは情報屋の言う通りだった。その記憶が、なぜ千林に選ばれたのか。わけがわからない。だからこそ、重要なのは間違いないだろう。
『その一般人とやらの記憶は、脱國者、坂棟日暮や新たに発生した辿魔族の情報よりもどうやら高い価値を持っているようだね。そうなると問題になるのは、やはり理由だ。だけど今、答えに辿り着くのは正直なところ難しいだろうな。うーん、とりあえず何か情報はないの? なんでもいいから、覚えてること』
「俺は……本当に何も思い出せない……。
そういうことがあったという情報だけを残してすべてが抜け落ちている」
『……【対価】で支払っちゃったらそうなるか。
だとするとコガッさんしか手がかりになる情報は持ってなさそうだけど?』
「え〜……う〜ん……。確か、薬の素材を集めてた普通の青年って聞いた気がするなぁ……。服も髪も灰色で、身軽な装備をした優秀そうな冒険者だったって……。あれ冒険者って言ってたっけ? 言ってなかったけ? どっちだったかなぁ……」
『……部下の報告くらいちゃんと聞いて覚えておくでしょ?
社会の常識なんだけど』
「そのあと色々ありすぎて忘れちゃったんだよッ! 君も一度腹に大穴あけて樹海を彷徨ったあとに学校のテストでも受けてみたらッ!!」
『あー……。まぁまぁ、そんなに怒鳴らないでよコガッさん。軽い冗談だよ冗談。ハハ。だけどそうか……“髪が灰色”……』
そのあと少しの時間、情報屋は間を空けた。
たっぷり待った後に、『実は……』とゆっくり再び話し始めた。
『情報の価値の動きを見ていてね、ある一つの情報に面白い動きが起きているんだ。なんだと思う? 行方不明の“44代目灰色の勇者”の情報なんだよ。まさかこの情報が、ここにきて上がってるんだよね』
「……行方不明の灰色の勇者?」
ここにきてその話が出るとは思わず、少し驚く。
するとすぐ側にいる小笠原から深いため息の音が聞こえ、視線を向けた。
「なにそれ。ここにきてその話をするって、まさかその青年が……灰色の勇者っていいたいの? ユウタ君はさぁ」
『少なくともこの世界のどこかで44代目灰色の勇者が今も生きて活動を続けているのは間違いないんだよ? だったらその一般人がそれだったっておかしくはないよね。コガッさんは違うと思うの?』
「違う、違わない以前に情報が少なすぎるよ。発想が飛躍しすぎじゃない? ユウタ君の悪いくせだよねぇ。情報の動きを見て、もはや空想とも言っていいぐらい突飛なこというのさぁ」
『でも結構な状況証拠揃ってるとおもうんだけど? わからないかなぁ。考慮に値してもよくない?』
「現実的じゃないとおもうなぁ〜。灰色の髪だって珍しいけど一般人でもいないわけじゃないし、そうだったとしてそこで薬の材料集めて何してるのさ。
それに『もっとも高い価値の記憶』と千林くんは言っていたけど、それもどの視点の価値なのかによって話は変わってくるよねぇ。『ベリエット帝国としての幌くん』からみた視点なら、ユウタ君の話もありえると思うよ。だけど例えば、今いるこの街に個人的な思い入れをもった幌くんの視点だと仮定するよ? そうしたらその一般人が、実は街の破壊を企んだ人間に擬態した魔族だったとしても『高い価値の情報』になると思わないかい? ましてやユウタくんのように世界に対しての影響とかを純粋に数値化しての価値だとしたら、『魔王の友達だった』とかでも価値があがってしまうんだから、もっと可能性は多岐に渡ってしまうよ」
『あはは、話なが』
「………………はぁ。こういう『解釈』とか余計なのが挟まれる感じが、ほんっと【代償型】の面倒な部分だよねぇ! こういう会話するたびに【現象型】でよかったと思うよ、ほんとッ。とりあえず僕が言いたいのは『早計』ってこと。可能性はあるけど、それをあるって言っちゃったら他にある膨大な可能性を考慮しなきゃいけなくなるよ」
『まあ、コガッさんの言うことの方が一理あるね、今のところは。うーん、確かにまだ無理が多い推論か……。灰色の勇者が“世界のどの視点からみても底なしの価値がある”くらいじゃないと絶対にそうだって根拠にはなりえないな……。そんなことありえないだろうし……。とりあえず報告にこっそり混ぜておくくらいにしておこっと』
「はぁ……好きにしてよ……」
疲れたように、小笠原が項垂れる。
その姿を幌は、全く会話に入る余地が無いな、と思いながら視界の端に入れていた。
だが楽しむための会話ではないのでどうでもいいことだった。
『まぁ代償の記憶についてはこれ以上進展なさそうだし、一度話はおいて別件に移った方がいいかもね。いや、別件っていうより本題か』
幌と小笠原は視線を交わしながら、互いに頷いた。
「坂棟くんのことだね」
『そうだね。しかし随分な進展があったね。まさか生きていると思わなかったな。それに加えて君たちから突破口が開かれるなんてね』
「……ん? なにそれ、期待してなかったってこと?」
『いやぁ〜。ハハ。しかしまさか生きていた坂棟日暮が、さらに辿魔族と組んでいるなんて、驚きだね。一体なにをどうしてそんなことになったんだろうね? 買うにしても高そうな情報が、色々と多すぎるなー。ほんと、面白くなってきたよ。というわけで、二人ともご苦労様。一度本国に戻るといいよ。コガッさんも相当な傷を負ったって聞いたしゆっくりと休みな──』
そこで幌が「何……」と驚いた声をあげた。
「戻る、のか? ここまでの手がかりを手に入れて、坂棟もまだ南大陸にいる。むしろ『これから』となるべき状況じゃないのか?」
幌がそういうと、小笠原は言い聞かせるように言った。
「幌くぅん……。一度こうして負けちゃった以上、僕たちじゃ実力不足だよ。今回だって、今も生きてるのが不思議な状況だしさぁ。そろそろ先達期間の十年を終えようって時期に君を死なせちゃうわけにはいけないよぉ。先輩としてさぁ」
『それにもっとちゃんと報告が聞きたいというのもあるしね。もうすぐ行われる“一二色旗本会議”でも話を求められると思うし、本国にいてもらったほうが都合がいい。それに幌。君は傷が塞がったとはいえ疲労困憊のコガッさんを、そんな状態で無理させたいわけ?』
言われて、気づく。
「……すまない。小笠原さん。てっきり応援がきてそこに加わるものだと思い込んでいたのだが、少々駄々をこねてしまっていた」
頭を下げると、小笠原は気にしなくていい、といって頷いた。
『心配しなくても、君たちの代わりとして別の“勇者”が仕事を引き継ぐよ。ついでにコガッさんたちの“迎え”も頼んどいたから送ってもらえば? 南大陸をこれから縦断する体力なんて無いでしょ。宿も汚くてボロそうだし、そんなとこで調子なんて戻りっこないんだから、さっさと帰ってきたほうがよくない?』
「それはありがたいけどさぁ……。誰がくるのさ?
転移の能力者なんていないし、移動の能力を使える人っていったら──」
そのときだった。
会話を遮るように、どこからか声が聞こえる。
──キャァアアアアアアア!!!
それは女性の悲鳴だった。
いくつもの障害物を通ってくぐもっているが、この部屋まで届いてるだけで相当大きな音だ。
幌が小笠原のほうに目を向けると、首を振ってため息をついていた。
『──あぁ、どうやら、もう着いたっぽいね』
情報屋にも音が届いていたのか、状況を察して言った。
「……幌くん。申し訳ないけれど、ちょっと様子を見てきてくれないかな? あまり放置すると宿にも迷惑をかけてしまうかもしれないし」
「…………わかった」
若干押し付けられたような気がしなくもなかったが、大人しく聞いて部屋を出た。
部屋が二階にあるため階段を下る。そして悲鳴が上がっただろう部屋の前では、宿の従業員がおろおろとしていた。声をかけて尋ねると、どうやら女性用の浴場で悲鳴があがったらしく、男性の彼は悲鳴があがったからといって入っていいかどうかわからずに立ち往生していたそうだった。
幌は従業員のあげる制止の声を無視し、中へと入る。脱衣所に人の姿はなく、さらに奥の浴場から人の気配を感じて、側に置いてあったタオルを手に持ちながら躊躇なく奥へ進んだ。
「──いや、すまないね、お嬢さん。便利だが、融通が利かない能力なんだ、俺のやつは。ここに繋がってしまったのも、偶然で悪気はないんだ」
中には腰が抜けて、素肌を晒しながら床に崩れ落ちている女がいた。その女は片手で身体を隠しながら、もう片方の手に体重をかけながら短剣を握っている。この世界で戦いを生業にしている者は武器を肌見離さないのを癖のようにしている人も多い。つまりこの女もその類なのだろう。
だがそう考えるとより今の状況は異様だった。服よりも武器を優先して浴場に入るような人物が、腰を抜かしているのだから。
しかしそうなるのも無理はないと、幌は女に同情をした。
女が恐怖を向ける視線の先を追うと、浴場の空中に小さな『穴』があいていた。
それは正真正銘、『空気に空いた穴』だ。空気に穴なんてあくわけもないし、あいたところでどこに繋がっているのかという話だが、そうとしかいえない。確かに穴があいている。
穴があいているのは、ちょうど高身長な人間の視線くらいの位置であり、穴からキョロキョロと視線を動かす『目』が一つだけ見えている。先ほど聞こえた『男の声』と合わせて考えれば『穴の先』にとりあえず男が一人いることは、間違いようのないことだった。
つまり今ここには【能力】を悪用して、浴場を覗く変態がいる。
幌は女にタオルをかけながら、この場所を出るように促した。女は何度も首を縦に頷いて、足腰に力が入らないのか、這いずって出口へ向かっている。十華と百蘭に気休め程度の手伝いを頼んで、両脇を支えられながら浴場を出て行った。
「……何をそんなに怖がっているんだ。恥じているんだ? いいじゃないかッ! 恥じることのない、素晴らしい身体をしている! 堂々としろ。もっと誇りに思っていいんだ。女性としても、戦士としても、魅力に溢れた身体なんだからな……!
……だが確かに、今俺のしていることはとてもじゃないが紳士的なこととはいえないだろう。偶然とはいえ俺自身、猛省しているんだ。だからどうだろう、お嬢さん。今夜お詫びに食事でも──」
「あなたが、引き継ぎにきた勇者なのか?」
空中に目が浮いているように見える、その視線が、幌の方へ向けられる。
そのあと一回だけ、さっきまで女がいた場所に目を送っていたが、女がいなくなっていることに気づいたのか、一度咳払いして何もなかったかのように話し始めた。
「よーう。お前はあれだろ……『幌』、だろ? 新世代で『同色仲間』の。フッ……。お前がいるんだったら、どうやら位置もぴったりだな。今日も距離感が冴え渡っているぜ、俺は。ちなみに引き継ぎかとお前は言ったが、その通りだ」
「(同じ『橙の勇者』……。誰だ……?)」
一度くらい顔を合わせたことはあるんだろうが、如何せん勇者の数は多く、まだ一度や二度しかあったことないという人も多い。付き合いが希薄だったり、単純に仕事上移動し続けているような相手とは会う機会がほとんどない。
そのため、片目とくぐもった声では、誰なのか判断をつけられない。
それどころかなんの能力かすらもわかりはしない。
「幌。お前と小笠原はここに部屋をとっているみたいだが、どこの部屋をとってるんだ?」
「……二階にある一番広い部屋だ」
「二階、か……いけないな。二階はだめだな、面倒だ。幌、宿に頼んで一階の部屋をどこかとってきてくれ。そこに『出入り口』を開こう。それと小笠原も呼んでこい。なんか具合悪いんだってな、アイツ。しょうがないからお前と一緒に転移街まで送ってってやるよ。歩いて帰るより楽だしすぐだぜ、俺の『愛車』なら。ビューンってな。本当は女しか乗せたくないんだが、今日は特別だからなぁ〜?」
愛車……。
聞き慣れないキーワードだった。掘り下げると長くなりそうなので、頼まれたことをすますことにした。話しているうちにわかってきたが、この人物は大分陽気な性格をしている気がする。
「……わかった。今部屋をとって小笠原さんを呼んでくる」
「ああっと、部屋をとったら一度戻ってきてくれよ。
位置がわからないと、また変なところに穴をあけちまうからな」
頷きながら幌は、浴場をあとにした。
「──あぁ、あの人が来るんだ。ラッキーだなぁ、帰り道がすごい楽になるよぉ。でも……いいの? 相手は竜王クラスなのに、一人だけって。人数をもっと集めた方がいいんじゃないかなぁ」
幌がいなくなったあとの部屋。
小笠原は、未だ通信の魔道具に向かって話しかけていた。
『いや、戦いをそもそも念頭においた布陣じゃないって聞いただけでわからない?』
「…………。それにしても、って話だよッ!」
少しへそを曲げながら、小笠原は答える。
『竜王クラスの辿魔族なんて、そのまま魔王の器だ。戦うだけで下手すれば国が更地になるリスクがついてまわる相手に、情報がまるでないなんて分が悪すぎる。こんな状態で戦っても、勝とうが負けようが失うものが多過ぎて、馬鹿馬鹿しいんだよね。そう思わない? 今は確実に逃げられる実力者を投入して、情報を探るべきだから、そのための最適で最大の戦力──“第二世代”の勇者を選んだんだよ』
「『第一世代』の人たちは、気が向かないと動いてくれないからねぇ……。それぞれ好きなことして、ほぼ隠居だし、羨ましいなぁ。早く僕もそうなりたいものだねぇ」
『──そう、慎重に動くべき、状況なんだ』
小笠原の呟きに触れず、情報屋は一人で話を進める。
『コガッさんが辿魔族から生き延びられた理由は、ほぼ間違いなく、坂棟日暮のおかげといっていいね。まさか脱國者がベリエット勇者の命を救うなんて驚きだけど』
「……そうだねぇ」
幌から自分が気絶したあとの様子を聞いて小笠原も同意見だった。辿魔族はなんの躊躇も手加減もなく本気で殺しにきていたのに、今生きているのはそれしか理由が考えられない。
その事実に思うところを感じながらも、少し小さめの声で肯定した。
『問題なのは──生かされているにも関わらず、殺されかけてももいることだ』
「本当だよ……。たまたま運良く樹海で鉢合わせた『冒険者』が手助けしてくれなければ、今ここにいなかっただろうねぇ。あとでお礼を送っとかないと……。坂棟くんも、どうせ助けてくれるならこんな大怪我負わせる前に助けてくれればいいのにさぁ……」
今もまだ痛むお腹をさすりながら、恨言をつぶやく。
『そう、そこだ』
「え?」
『坂棟日暮は辿魔族を静止し、コガッさんを殺すのをやめさせた。コガッさんの言うように、助けるなら最初からそうすれば効率的なはずなのに。だが実際には救いながらも、死の淵まで追い込む中途半端な行動をしている。この結果には、かなりの情報が含まれていると思うね。まず一つ目の事実として、坂棟日暮と辿魔族の関係はあまり良好ではない、ということだ』
「……まぁそうだろね」
気絶する前にみた二人のやりとりを思い返してみても、情報屋の指摘に違和感はなかった。
『だがここで疑問がでる。良好じゃないのならばなぜ辿魔族は坂棟日暮を守るようなことをする? 殺したいなら坂棟日暮の言うことを無視して殺せばいい。コガッさんのお腹に喰らわせた一撃は、少しでも殺す可能性を残すために“ワンチャン”を賭けたんだ。そして樹海の道のりを考えれば、かなり勝算の高い賭け方だ。この行動一つだけで相当、執念深い相手なことが分かるね。
だけどこんなことをしなくても致命傷を普通に喰らわせてよかったはず。一体なぜ相手はそこまでして坂棟日暮の言うことを聞く必要があるのか、不思議になってこないかい?』
「確かにそうだねぇ。ユウタ君は今そのことをどう考えてるの?」
『……もう少し自分で考えられないの……? 関係が良好じゃないのに言うことを聞かなければならない。コガッさんならよくこういう状況あるからすぐ分かると思うけど』
「……ならってどういうことかなぁ?」
情報屋は鼻で笑い、話を進める。
『結論から言うと、辿魔族にはさらに上に“上位者”がいるんだろうね。そして坂棟日暮はその“上位者”に庇護されているんだ。だが実際に命令されて守る立場の辿魔族は納得していない。さらに上位者は勇者と敵対的な可能性が高く、だから辿魔族は勇者を殺したかった。そこで坂棟日暮のワガママを聞かなきゃいけなくなった辿魔族は、矛盾するふたつの命令にバランスを取りながら従った結果こうなった……ってとこかな。だいぶ坂棟日暮は舐められてるみたいだけどね。アハハ』
「うーん。いやぁ、さすがだねぇ。そう言われてみると確かに、起こった様々なことの辻褄が合ってくるような気がするよ。それに考えてみたら、『メイド』だしねぇ。上がいる話も、納得できるけれど……。……でもさぁ、もしそれが、正しいのだとしたら──」
自分で言いながら、それを想像してしまったのか、冷や汗が顔を伝った。
「竜王クラスの魔族が『忠誠を抱く人物』がいるなんて、恐ろしい話だねぇ……。今思い出しても、すごく獰猛だったあの辿魔族が、誰かの言うことを聞くなんて到底想像できないけれどさぁ……」
『上位者は──まず間違いなく『魔族』だろうね。となると、背後にいるのは最悪『組織』の可能性がありそうだ。既存の魔族の組織に大きな情報の動きが見られないから、全く新しく発生した組織だったとしたら……大分、厄介だね』
「はぁ……。つい最近までは平穏だったのにねぇ。
急にいろいろと不穏なことが出てきて、嫌になってくるなぁ」
『いやきっと準備してきたんだと思うよ。平穏な時間なんて魔族にはありえないからね。研ぎ澄ましていた爪を携えて、ついに動き出してきたんだ。奴ら、坂棟日暮を捕らえていったい何をするつもりだろうね? あぁ、ゲームみたいでわくわくしてきた。まいったなぁー。別件の灰色の勇者に割いてる余裕がなさそうだな』
「まだ言ってるのぉ、それぇ……。わくわくなんてしないよ……。
ゲームゲームって、ゲームばっかしてたら馬鹿になるんだからね」
『わかってないなぁコガッさんは。生きることなんて所詮ゲームなんだよ。ゲームは現実逃避っていうけど、実際は現実の面白い部分だけを抽出した、より濃密な現実ってわけ。世界で一番の現実主義者こそがゲーマーってね、ハハ。
それに馬鹿って、ベリエット帝国の情報戦略をほぼ一人で担ってるこの天才にそれを言うの?』
そう言われた小笠原は少し考え込んで、言った。
「…………意味わからないから、やっぱりゲームばっかしてたら、馬鹿になるね」
『ぷっ……。ハハ』
それから小笠原を呼びにきた幌に連れられて、迎えにきた勇者に送ってもらう。
そうして二人はその日のうちに、南大陸を後にした。
◇◆◇◇◆◇
その会話は美しい庭園の、一角で行われていた。
地上に吹く風とは、違う香りの風が吹いている。
はるか上空にあるこの場所の風は、冷たく、澄んでいて、風そのものの香りを感じられるような気がした。
「──そう、負けちゃったんだ。ファウのやつ……」
直前まで口をつけていた、見栄えのいい杯をコトリとおく。
そして美しい顔を、憂いに染めながら、女はそうつぶやいた。
「………………」
『鳥人族の長』は、その姿を見て目を伏せた。
尊敬していたファウツァ=ラァレレリから、万が一があった場合にと、伝えられていた親族の居場所と接触の方法。まさかそれを、本当に使うことになるとは夢にも思ってもいなかった。
一応これで最低限の義理を通したつまりだ。だが、身内に不幸を伝えるのはやはり辛いものだ。そのうえに、相手が種族の垣根すらも超えて分かる見目麗しい御仁ならば、なおのことそうだった。この顔を悲しみに歪ませなければならないのか、と鳥人族の長もまた自然と表情を曇らせていた。
「ま──でも、いいんじゃない? 生きてるなら大丈夫だって。そういうなんかうまくいかない時期って、あるし」
だが予想とは裏腹に、憂いを浮かべていた時間がだいぶ短くて驚いた。
すぐに前向きな姿勢に打って変わってしまった。
天使族が種族的な性格としておおらかで前向きだとはよく言われているが、天使族だからそうなのか、あるいはこの人の性格だからなのかは見分けがつかなかった。
「いや……生きているかどうかは……」
戸惑いを隠し切れないまま、正確に現状を伝えようとする。死んだと確証はとれていないが、それは戦闘が行われた場所に死体が無かったというだけの話。生きていると断定するには、あまりにも状況証拠が足りなさすぎる。希望をもちすぎるのは、かえって悲しい結果になったときに、辛さが増すだけだ。
「生きてると思う」
だが天使族の女は意見を覆さなかった。
「だって、あたしの弟だし──」
それは根拠になっていない言葉だった。だが言葉ではない何かが、その言葉に真実味を持たせていた。女の放つ気迫か、存在感か。何かはわからないが鳥人族の長はただ息を飲むのみで、否定をしなかった。『魔王』の言葉に否定も何もあるはずがない。本来なら気軽に言葉を交わすという発想がそもそもありはしないのだ。
だからこそ最初から同じ席につかずに立ちながら会話をしている。
「魔王になるって息巻いてたんだから、これくらいの失敗どうにかしないといけないでしょ。それよりも、なんだっけ。最初に言ってたことのほうがあたしは気になったけど」
「……『氷の道』の話ですかな」
「そうそれ。それについてもっと聞きたい」
「といわれても……最初に言ったこと以上のことはありませぬが……。ただ、海の上に真っ直ぐとした『大きな氷の道』が出来ていて、それが水平線まで続いていたのを目にしただけの話ですゆえ」
「……それって『ケルラ・マ・グランデ』の南にある『終向海』のことでしょ。どのくらい続いてたの……見えなくなるくらいずっと? なにそれ、めちゃくちゃすごいよ、それ。どう考えても『来災』じゃん。来てるんだよ、終焉の大陸から魔物が。しかも『氷の道』を伝ってなんて、歴史上でもないくらい強いのがやってきたのかも……」
「……樹海で、本来は起きえない奇怪な出来事がいくつか起きておりました。それも『来災』の仕業の可能性はあるのですかな」
鳥人族の言葉に、天使族の女は頷いて答えた。
「十分ある話じゃない。それにしても計り知れない来災の魔物ね……すごいことが起きてしまっているのかも……こんなの……こんなの……! 楽しみー。テンションあがってきたー」
「……楽しみ?」
鳥人族の長は、自分の耳を疑う。
『終焉の大陸』──知恵があり文化があれば魔物ですら知ってる恐るべき名称。それなのに、まかり間違ってもその名称と一緒にでるはずのない言葉が今、出ていたような気がした。
「──もしかして理解できない?」
そう尋ねられて、恐る恐る頷いた。
天使族の女は「ふーん、そう」と気にした様子はなく言葉を続けた。
「それも仕方がないかもね。あたしたち天使族は古くから終焉の大陸を信仰してきた。だから『来災』はちょっとした『お祭り事』みたいなものなの。来災の魔物を倒したら『魔王』になれるっていう言い伝えすらあるし」
「そんなことをしてしまったら無謀な者が、勇んで戦いを挑み、余計な死者が出てしまうのではないか」
「それでいいの。何も悪いことなんてない。死ぬなら死ぬで、それでよくない? 敗れた者たちは、信仰する場所からやってきた魔物の力の一部となって、来災の魔物がこの地で根付く手助けができるんだから。殺しても、殺されても、損はない。みんな喜ぶと思う。とても素敵な時間が、これからやってきそう……だから、楽しみ。今回はどんな魔物が来たんだろ?」
本当に浮かれているのか、声が微かに弾んでいた。
鳥人族の長はその感覚が理解できなかった。
理解できないままに、耳を傾け続けた。
「それはそれとして、人間を殺したいなぁー」
その結果、やはり理解はできないままだった。
◇◆◇
──シープエット本国。
「本日付けで、隊は解散になった」
隊舎の中にある広間で、隊員全員を集めた隊長の『ウォールグルト』は、開口一番にそう言い放った。
唖然とした様子で、耳を傾ける隊員たち。頭の中に言葉が入ってこなかった。
同盟国家に転移の神器を使わせてもらい、本来ならありえないほど速い帰還だが、それでもまだ敗北の記憶も身体の生傷も全く癒えておらず、それも当然と言えた。
「部隊長である自分は、一騎士への降格が決まった。並行して、隊も解散となる。特殊技能持ちは異動を申しつけられているが、他の一騎士の隊員たちには上から騎士位の剥奪が言い渡された」
淡々と告げられたその言葉に、隊員たちは頭を強く殴られたような気持ちになった。許し難い理不尽を受けているように感じて、心に湧き出る恨みつらみを感情のままに叫び出したい衝動にかられた。
だがその前に頭を大きくさげたウォールグルトの姿を見て、その衝動は消え失せた。
「不甲斐ない隊長で、申し訳ない。結果を出せなかったことも、皆を守れなかったことも、隊を存続できなかったのも──すべてが自分の責任だ。
なんとか隊舎からの撤去期間だけは長めに待ってもらうように上にかけあった。その間に少しでも傷を癒して欲しい。ただ期日を過ぎれば荷物は強制的に撤去されるからそこだけは気をつけてもらいたい。
もし行く当てがないようならば、相談にきて欲しい。自分の人脈が何かの足しになるかはわからないが……一緒に考ることくらいはできるだろう」
そういって最後に「これくらいのことしかできずに、すまない」ともう一度頭を下げて、ウォールグルトは部屋を出て行く。一度もまともにこちらへ顔を向けてくれなかった。それは果たして誠意がないからなのか。あるいは戻ってからも後処理に追われて出来てしまった大きな隈を見せないためなのか。答えは考えなくてもわかることだった。
できればその背中に「素晴らしい隊長だった」と、隊員たちは声をかけたかった。
だが脳裏にちらつくこれからの生活への不安が、言葉をつっかえさせる。
結局去っていく決死騎士のいつもより素朴で小さく見える背中を、地面に向けた視線の端で微かに捉えて見送ることしか、最後までできなかった。
日にちが経ち、軽い怪我だったものから早々に荷物をまとめて隊舎を去っていく。
「どうやら副隊長を亡くしたのがまずかったらしいな」
一人の隊員──否、『元隊員』が既に荷造りが終えて山積みとなっている荷物に腰掛けながら話し出した。その場にいるもう一人の元隊員はまだ荷造り終えていないため、手を動かしながら耳を傾ける。
「あの人の親戚だった『勇者様』の不興を買ってしまったんだ。相当怒り狂っておられたらしい。この分じゃギリギリ騎士位が剥奪されなかったウォールグルト隊長も、ひどい戦場に行きっぱなしになりそうだな……」
湿っぽい話だなと、荷造りを続けていた元隊員は思った。
それから最後の荷物をまとめ終えて、ドサリとおくと、深く息を吐き出しながら言葉を返した。
「俺たちも、運が悪いな」
荷物に座った男は、その言葉に「へっ」と笑った。
「お前はまだいいさ。ずっと気絶してたんだから。それにしてもどうしてあんなところで気絶してたんだ? 確か別方向に吹っ飛んでいったはずだったろ。俺は正直あの状況じゃ、お前を回収する余裕がないんじゃないかとおもって焦ってたんだが」
「…………。悪い、覚えてないんだ」
「そうか……。でもよかったな、意識がなくて。もし起きてたら焼き付いてただろうな、緑竜王の姿がさ。へっ、めちゃくちゃおっかなかったぜ……。笑われるかもしれないが、今もまだ顔を覚えられてて、いつか俺を狙ってくるんじゃないかって、考えて怖くなるときがあるんだ……」
そう言いながら、荷物に座った男は笑った。
冗談みたいに言っているがその笑みの強ばりと微かに震えた身体を見れば嘘じゃないことがすぐにわかった。
「……俺たちみたいな木端のことなんか、覚えちゃいないさ」
「あぁ、当然そうだよな。そうに決まっているさ」
励ましを受け入れるように男は笑って答えた。だがきっとこんな言葉一つで消えるものじゃない。彼はこれからも、見えない強者の恐怖をふと思い出して戦っていかなきゃいけないのだ。そのことを考えると気絶していたのを運がいいと言われるのも仕方がないことかもしれない。
「俺はこれから『冒険者』になろうと思うんだ。お前はこれからどうするんだ? よければ俺と一緒にくるか?」
荷物に座った男から尋ねられ、首を振って答える。
「知り合いの商人から護衛を探してるって誘われてるんだ」
「そうか、そりゃいいな。なんていうか、あれだな。なんだかんだで、皆すぐに切り替えて行く当てを決めてるもんだなー」
「生きるなら、いつまでもくよくよ、してられないからな」
そりゃそうだ、と二人して笑い合った。
それから手荷物だけを持って並んで歩いた。
他の荷物はすべて【アイテムボックス】を持ちの輸送業者に頼んだ。
獣車を借りて全部一人で運ぶよりそちらのほうが手軽で安い。
「そういえばあの男はなんだったんだろうなー……」
あの男──。
曖昧な表現だが、聞かなくても何を示したものか分かった。本国に戻ってからずっと隊で噂になっていたのだから。あまりにも噂になりすぎてもはや別部隊にもその存在は知れ渡っている。国の上層部にもちらほら耳に入っていることだろう。
「『レベル1の男』か……。俺は見たことがないからわからないな……」
「気絶してたからなぁー。なんでも『竜王契約者』として身元の特定や居場所の捜索なんかも、これから行われるらしいぞ。相当バタバタしてたからな。だが当然の話なんだろうな。なんせ竜王と契約した人間が現れるなんて一大事だ。世界中で騒がれたっておかしくない」
そう言われて、いろいろ思考を少し巡らせてみる。
だけど少しして、首を振った。
「……俺たち、『一般人』にはもう関係のない話さ」
「それもそうか。俺たち『一般人』にはな」
もう話すことはおそらく今後の人生で訪れない。
互いに薄らと分かっていたから、そのあとも長々と話し込んだ。
「それじゃあ、達者でな。また、いつか会えたら酒でも飲もう」
「あぁ──奢りでな」
最後にもう一回だけ笑い合って別れた。
竜王も、魔王も、勇者も、騎士も、世界も──関係ない『木端』として。
なんでもない今日と明日をこれからも生きていく。
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【キャラクター】
『ユウタ』 強さ:?
ベリエット帝国勇者で元日本人の男。『情報屋』と呼ばれベリエット帝国でも最高峰の能力を持っているが人前に出ないため謎が多い。その理由は人と会うのが好きじゃないためと言われているが正確には必要のないことが極端に嫌いなだけ。だから必要があれば結構会う機会もある。必要がないので噂をいちいち訂正したりはしない。ゲームが好き。
【名詞】
『旗本』
ベリエット帝国勇者における役職の一つ。一つの色につき一人、色の旗を背負う者として代表者的なのが存在している。一応色ごとの繋がりもあるようだ。