序章
「素直に白状しよう。俺は今、帰ることしか考えていない」
互いの輪郭を確認する事さえ危うい暗闇の中で、俺はゆっくりと呟いた。
今まで俺と旅を共にしてきた仲間達がその言葉を聞き、驚いたように息を呑む。
長旅を共にしてきたせいなのだろうか。
俺の脳裏に、彼らが目を丸くした様子が糸もたやすく、かつ鮮明に映し出される。
……。弱音を吐いたってしょうがないじゃないか。
だって俺達は今、敵陣の真っ只中だぞ?
そう、現在俺達は、数々の暴虐を行う悪人達を懲らしめる為、敵の拠点へ攻めにきているのだ。
断崖絶壁。孤立無援。
そんな言葉がお似合いだろうか。
俺達は先程まで、激しくうねる白波と、それに揺られ、浮かんでいる小船の目の前にいた。
この小船は俺達が本土から乗ってきたものだ。
俺達が乗ったときには新品同然で、どこにも問題がなかったこの小船だが。今は、所々にひびが入り、無残な体を俺達に晒している。
敵の拠点とは、船をここまで完膚無きに破壊するほど、気性の激しい海。その真ん中にポツンと浮かんでいる、この孤島なのだ。
まず、増援を呼ぶことは難しい。いや、ほとんど――不可能に近いだろう。
先にも言った通り周りは潮の流れが激しい海に囲まれている。
俺達が本土からこちらへ渡るのに三日。
今から増援を呼んだところで、来るのには早くても二日、遅ければそれ以上の日数が経ってしまう。
三日もあれば俺達も見つかってしまうだろうし、見つからなかったとしてもそれに耐えうるだけの食料も持ち合わせてはいない。
まぁ、しかし、通信手段という概念自体が今の俺達には欠如しているのだけれど。
ここで俺の頭上に疑問符が置かれる事になった。
敵さんは何故この様な場所を拠点に選んだのだろう?
こんな食料を調達する事さえままならない場所に……。
……。理由等、特別無いのかもしれない。
今、戦おうとしている敵は、人外の者達なのだから。
その、人外、という事実が俺のやる気のなさに大きく拍車をかけている。
――人外。
口に出すのは容易いが、人外とはその字の如く、人から外れたものを指す。
それは身近な所では獣であり。
もっと上へ行けば神だったりする。
そして、俺達が今回相手にする敵、とは――鬼、なのである。
鬼、鬼。鬼。鬼。鬼。オニ。おに鬼おにオニオニ鬼……鬼。
屈強な肉体を持ち、人間等一撃で屠るであろう、人外の者が、俺達の近くに居るのだ。
どんなに肝がすわった人間でも――帰りたいと冀うのが常であろう。
だが、俺は帰らない。否、帰れないのだ。
このままむざむざと何の成果もあげれずに帰った所で、再度この牢獄に送られるであろう。
俺が、桃太郎と呼ばれている限り幾度でも、死地へ向かわされるであろう。
俺は桃太郎なのだ。
鬼と戦わさせられるのにこれ程の理由は無いだろう。
俺は生まれるべくして生まれた、勇者。英雄。
人権などお構いなしだ。
だが、しかし、今ここでぐちぐちと文句を言うほど俺も馬鹿ではない。
さっさと終わらせてさっさと帰ろうじゃないか。
鬼を倒し、無事に帰れるかどうかは、甚だ疑問ではあるのだけれど。
「……文句を言ってもしょうがないか。行くぞ、お前達。俺が言えた事ではないだろうが、恐怖に慄いている訳ではないのだろう?」
俺はニヤリと、あまり上品ではない笑みを浮かべ、仲間達に声をかけた。
猿。戌。雉。
数少ない仲間。
信頼出来る仲間。
これから死線を共に潜り抜けるであろう――仲間。
勇者に与えられた仲間が人間でさえない事には笑いが零れるが。
しかし彼らは最高だ。
俺の言葉を聞き、俺の表情を、見れないながらも察し、彼らは一斉に声を張った。
無論だ、と。
ククク、やはり最高だ。
俺はくつくつと喉を鳴らす。
最高の仲間に囲まれた俺は、やはり最高なのだろうな。
しばし、そんな考えを頭の中で咀嚼し、しかし取り払う。
そう、判断する基準も、さしたる確証も無いか……。
そうして俺は、否、俺達は一歩踏み出した。
目前には毒虫のように派手派手しく彩られた鬼達が、数人たむろしている。
俺はゆっくりと鞘から剣を抜き放ち、構えた。
猿は姿勢を低くし、突撃の準備を。
戌は牙を剥き出しにし、攻撃の準備を。
雉は羽を羽ばたかせ、滑空の準備を。
さぁ、行こうじゃないか。
一歩。
又一歩。
そして、一歩。
徐々に動くスピードを速くしながら俺達は突撃する。
鬼達も気づいたようだ。こちらを一瞥し、自分の武器――鉄の棍棒と言えばいいのか――を手にする。
そして、激突した。