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 夜半、些細な夢を観た。

 話の展開が荒唐無稽なら、顛末だって荒唐無稽じゃないと筋が通らない。だから今、知覚している光景はまさしく筋の通らない荒唐無稽の夢でしかないことがわかる。

 夢の中で解体されていく自分を仰向けの姿勢で見下ろしながら、より分けられる自身の中身に視線を落とす。

 明晰夢なんて好みじゃないが、そこはそれだろう。自ら意識して制御できるような代物でもないから気づいた時点で諦めるのが最適だ。

 そうして、俺の内臓を選り分けている真緋はというと、いたって悲しそうな顔で俺の肺を摘出している。その表情は昼間の何の感情も伴わない貌とは別で、物憂げで悲しそうな表情だ。

 夢の中とはいえ、誰かに悲しまれるのは気分が悪い。どうせ俺の中で完結してしまう世界だ。起きるまでの間、益体のない会話をするのも悪くない。

「おい。何でそんなに悲しそうなんだ」

「フミタカが死んでしまうから」

 人間、部品パーツが欠ければ、それだけで生きていくことはできない。その点で言えば俺はまさしく生きていない。それでも解体は続く。悲しそうに真緋が俺の胃を摘出していた。

 身体が動かせないから抵抗も高が知れる。

 首から下が動かない以上、できることはと言えば首から上を使うしかない。

「俺は嫌だ。死にたくない」

 真緋が小さく首を振る。

「わたしには止められない」

「何で止められないんだ?」

「止めてしまえば、わたしは捕まって、晒されて、牢獄に閉じ込められる。だから、わたしは、そうならたくない。わたしはそれを避けるためにフミタカを殺さないといけない。フミタカは、わたしの罪を知っているから」

 その言葉は酷く矛盾を孕んでいる。右を取れば左が失われ、左を取れば右が失われる。だから、夢の中の真緋は自分の秘密を守るために証人を消そうとしている。

 真緋の頬に涙が一筋、流れる。

「泣くなよ」

 俺を殺そうとしてるのだ。夢の中とはいえ、そんな場面で泣かれてもリアクションに困る。

 夢の中とはいえ、誰かに泣かれるなんて文字通り夢見が悪いというものだ。

 そのまま、真緋の指が視覚に迫り、眼下に向けて深々と突き刺さる代わりに視界は黒く塗りつぶされた。

 

 そうして目を醒ますと霞んでいた視界がクリアになっていく。

 見慣れない天井と薄暗い室内には覚えがある。まだ住みついてから、まだ一日しか経っていないが自分の現状を理解するには十分すぎる時間が経っている。少なくとも異様なことに足を突っ込んでしまったのは確かなようだ。

 昨夜、選り分けられた死体の一部を埋めてから、いつ寝付いたのかが記憶に無いが、どちらにしろ従妹である真緋が関わっていることは間違いがないと思われる。どう関わってるにしろ、これからすることは大して変わらない。物事の枢軸に居るようなら引っ張り出すだけだし、巻き込まれているようなら関係を絶たせる必要がある。どちらにしても、真緋の行動を知る必要がある。

 気だるい身体を引きずりながら、居間に行くと真緋が静かにテレビを見ていた。

 場所はソファ。姿勢は涅槃と大仰だ。唯一つ目を引いたのは、その服装だった。紺で統一されたプリーツスカートとブレザー。赤いネクタイが白いシャツに映える。居間に響く足音に気づいたのか、真緋がテレビに視線を集中させたまま声だけで挨拶をする。

「おはようございます」

「ああ、おはよう。おまえ、そういうコスプレは外でやれよ。家の中ですることじゃない」

「心外です。こう見えても、わたしは生粋の女子高生ですよ。学生の本分である勉学に勤しむのは極めて普通のことではありませんか」

 以外だ。目の前の従妹が高校生やってたことも意外だったが、何より自分から率先して行動を起こそうとしている事が意外だった。てっきり受動的な性格だと思っていた。人は見かけによらないものである。どちらにしても、真面目な方とは言えないようだ。昨日も平日だったんだから高校、行けよ。

「ああ、だったら高校に行けよ。もう十時回ってるぞ」

 この時間なら、だいたい二限目あたりか。

 どちらにしても盛大な遅刻に変わりはない。

「大丈夫です。わたしは緻密な出欠計画を立てています。どの授業が、あとどのくらい欠席でかるのかはすでに計算済みです」

 ああ、そういうの俺も考えた。

 しかし、そういうやつに限って計画通りに実行しないのが常というものだ。

「さかしい小細工だな。いっそのこと留年しろ」

「その時は何もかも諦めて退学することにします」

「潔いな」

「学生の業務とはいえ、面倒な限りです。フミタカは大学へは行かないのですか?」

「ああ、大学生は思ったよりも暇なんだよ」

 停学中なんて恥ずかしくて言えるか。ともあれ、昼間のうちに出かけてくれるのなら、当面の目的も達成は近そうだ。

「羨ましい限りです。そんな人は、こういう目に逢えばいいのです」

 ふいに、真緋がテレビを顎で指す。テレビからは垂れ流されるニュースキャスターが無表情に読み上げる。

 何でも、ここしばらく続いた家出に新しい出奔者に新たな名前が追加されたらしい。話は一月ほど前に遡る。高校生がまた家出をしたらしい。

 これで五人目。

 液晶の向こうで失踪したであろう少女があどけない笑顔を写す。

「また家出か。最近、流行っているのかね」

 それこそ地方限定のネタを真面目にキャスターが朗読するものだから、それ自体がシュールな放送になってしまっている。

 今までテレビに釘付けだった真緋が顔だけで振り返ると以外なものを見たと目を見開く。

「驚きました。フミタカ、もしかして、この失踪が自らの意思で行った家出だと本気で考えているのですか?」

「違うのか?」

「フミタカ、これは第三者による誘拐です。考えてもみてください。居なくなった人たちは、誰もが捜索を求められるぐらいに身持ちの堅い人間です。少なくとも、連絡もなしに家を空けることが無いくらいに」

「それが正しいなら拉致ってるやつが居るということか。人なんて拉致ってどうするつもりなんだか」

 自分ひとりでも持て余す世の中だ。他人なんて拉致して手に入れても目的が思いつかない。

「さあ、崇高な目的があるのかもしれませんし単なる愉快犯かもしれません。現在あるのは人が消えたという一点だけです」

「どちらにしても異常だ。日常でそうあるべきことじゃないだろうに」

「フミタカ、日常なんて単語に意味はありませんよ。日常とは定着した生活のことを言うのです。戦時下では戦争が日常ですし、農村では畑仕事が日常です。わたしたちの日常では知らない誰かが影で攫われている。それだけです」

 それだけ言うと真緋はフラフラと居間を出て行った。真緋が高校生だと言うからには高校に向かったのだろう。

 現在、午前十時半。

 もし、行方不明の人間が攫われたのだとしたら、攫った人間を隠している場所があるはずだ。昨夜の冷蔵庫の中身を思い出す。もしも犯人が真緋だとしたら俺は従兄として真緋を止めさせないといけない。

 これから行うべきことは唯一つ。真緋が人を拉致しているようなら、その隠し場所を探しだしてふん捕まえる。説得なんてまどろっこしいことはしない。その時は両手、両足をふん縛って3,4日の間、自分の行動について考えさせる。考えようによっては拉致監禁でもあるが、この際だ。細かい事は考えないことにしよう。

 そうして真緋は出かけ、この館に残ったのは俺一人。家捜しするには何もかもが丁度良い。

 そうして館の散策を開始した。探すべきは館中。この館はところどころに鍵がかかっているため隠し場所には事欠かない。しかし、人間を監禁するということは思う以上にシビアなもののはずだ。生かしているのなら生きるのに必要な栄養を与えないといけないし、状況によっては声だって漏れる。仮に殺してしまったとしても、その腐敗臭で腐敗は臭いで大よその場所というものはわかってしまう。

腐敗は臭い。臭いんだ。こんなにも広い館の中でも、それだけの臭いを隠すには、それ相応の密閉された空間が必要となる。この館は壁が薄いから、そういう密閉された空間は無さそうだ。

改めて館の広さに辟易しながら、散策にかかるであろう時間を多分に見積もることにする。幸い、館の主は午後まで帰ってこないだろうから時間なら十二分にあるはずだ。

 昨夜の警邏で、館の鍵のかかっている場所はおおよそチェックしているので館自体の場所は、そんなに多くない。

 館中を探し回りながら、人がいそうな場所を探し歩く。カンテラは思った以上に役に立った。一階のロビーを始め、二階の居間からテラスの露天風呂に至るまで探し歩いては何も無いということがわかっただけだった。

 本当に何もない館だな。

館の中は見事に誰も居ない。しかし、一つ探していない場所を思い出した。館の主である真緋の部屋を探していない。よく考えるまでもない。館の主の部屋なのだ。重要なものが隠されていても不思議はない。

 訪れた先、真緋の部屋は予想していた以上に閑散としていた。

 臭いは無い。その時点で死体を隠しているという可能性は除外できることに軽く安堵しながら他人へと踏み込む。

 あるのは簡素なベッドと衣類入れだろう。黒い漆塗りの衣類箪笥と本棚が一つ。本棚だって本の一冊も置かれていない以上、機能はしていない。

 そして、その本棚には写真立てに収められた写真が一枚。それに写るには幼い顔立ちの子供が二人。長い黒髪と整った面立ち。一人は恐らく真緋だろう。そして、もう一人は―――驚いた。写真に写る、もう一人の子供は紛れもない自分自身だ。年齢にして五歳ぐらいか。覚えてすらいない記憶に軽い違和感を覚えながら写真を手に取る。今の無表情な鉄面皮とは想像もつかないような淡い微笑みを湛える真緋と仏頂面でそっぽを向いている幼い自分。

 俺は、真緋と確かに面識があったのだ。

 親族界にすら顔を出さない真緋が俺のことを知っていたことに得心がいきながら、写真を元の場所に戻す。

 本棚から離れながらベッドには何も無い。だから探す残された散策場所としては衣類箪笥だけか。

ああ、ここを物色すれば俺は変態の仲間入りか。嫌だなぁ。

しかし、そんなことで逡巡しても始まらない。意を決して箪笥を開き、思わず息を呑んだ。箪笥の一番、下。鈍い銀色に光る刃物が一つ。その刃に赤い血が付着している。それも、刃の刃先から根元までどっぷりと。それを見て確信した。真緋は人を殺している。朝のテレビで見た五人の失踪者。その五人を殺している。

その確信に背筋が凍る。あの人形めいた無表情の少女は人を殺している。

しかし、それなら俺のできることの凡そが決まった。真緋を止めるのは俺の仕事だ。誰にも譲らない。

そうして真緋の部屋を後にする。

 俺は真緋を止めないといけない。その打開策として弾き出した結論は単純明快。ただ真緋の行動を監視することだった。これ以外に方法が思いつかなかった。

 そうして真緋の監視を開始した。監視してみて判ったが、真緋の生活は、夜と昼間で期待値に大きな差があるようだ。昼間は無表情にうすぼんやりとしており何を考えているのか分かったもんじゃない。高校だって行ったり行かなかったりと、あまり積極的とは言えない。確かに、当人の言質の通り、面倒なことは嫌いな様子だ。平素、面倒事を嫌う無表情な真緋が目に見えてソワソワし出すのが夕暮れ時。この当たりから動きの少ない真緋は居間を行ったり来たり、風呂に入ったり入らなかったりと落ち着かない時間を過ごす。

 そして、夜。どうやら、真緋は毎夜、どこかに出かけているようだ。相変わらず、部屋には常に明かりがついているが悲しいことに、この館は防音設備が万全とは言えないのである。居間から廊下の軋みを耳にすることは少なくない。つまり、人が動けば多少の位置を把握することは難しくないのである。

 今日も今日とて、深夜にも関わらずに真緋は出かけるようだ。豪雨の中、傘さえ差さずに暗闇の森をカンテラ片手に森を進んでいく。雨はいいな。足音を殺してくれるから、こちらが尾行していることには真緋も気づいて無さそうだ。

 森を抜ければ、そこは郊外の町並みになる。とはいえ、密集した家並みではなく立派な庭園が並ぶ家々はどれも個性がなく、どこもかしこも静かに消沈している。

 当たり前と言えば当たり前の話かもしれない。現在、午前の二時に差し掛かろうとしている。明日は平日だから、無理をしてまで起きているのは学生ぐらいのものだろう。

 その学生であるところの真緋が、とある民家の前で立ち止まる。距離があるので分かりづらいが、どうやら民家の奥を睨んでいるようだ。そのまま真緋が一足飛びで塀に飛び乗る。なんて身の軽いやつ。というか、大人しく門扉を使え。

 真緋が忍び込んだ家は何の変哲もない普通の一軒家だった。何の変哲もない、よくある民家。こんな場所に何の用かは知らないが、こっそり侵入するぐらいだ。まともな用件とも考えにくい。

 まあ、人を殺してバラバラにするなら、こっそり侵入しないと話にならない。堂々と入っていく殺人鬼なんて、その時点で獲物には逃げられるだろうしな。

 ゆっくりと家に近づくと、ガラスが割られて誰かが侵入した形跡がある。ガラス片が外に飛び散っていない以上、中から割られたのではなく外からの侵入。つまり、ここから真緋は侵入したのだろう。

 それに倣って民家に侵入する。這入った先は、どうやら居間らしい。六畳間に丸テーブル。憩いの最中だったのか、テーブルの上には食べかけの夕食。テレビからは、どこぞのアイドルが面白くもない話をし続けている。

館で数日、過ごしたせいか、生活観のある家には強い違和感がする。違和感というものは、それだけで酷く不快なものだ。それに、この匂い。この家に踏み込んでから何やら甘い匂いがする。脳髄が蕩けそうだ。薄暗さが払拭できれば少しは気も晴れるかもしれないが迂闊な行動は取りたくない。 もしも、ここで真緋を逃せば好機はすぐに失われる。

 幸い、真緋の行き先は濡れた足跡が教えてくれているので、すぐに見つけることができるだろう。

 足跡は廊下に伸びているようだ。倣って廊下に出る。

 薄暗いが、暗さには目が慣れてしまっているので問題は無い。外の街灯だけでも明るさは十分すぎる。軋む廊下を忍び足で静かに進む。突き当りを曲がる。館ほどではないが随分と広い館だ。これは真緋を探し出すのに苦労しそうだ。

 散々、家の中を彷徨いた結果、最終的に居間へと帰ってきた。どうも、この家は二階建て。一階部分だけでも6LDKで池のおまけがついた庭がセット。つまり、独立した部屋が六つにリビング、ダイニング、キッチンと随分と豪勢な家らしい。真緋の住んでいる館に比べたら見劣りはするが一般的に考えて、この家の持ち主はそこそこの資産家であることには変わらない。

 世の中、金持ちばかりだな。

 ふと気がついた。このリビングルーム。通称、居間だが、不法侵入した時と、何か違う違和感を感じる。何かが抜け落ちたような不快感。そうだ、進入った時についていたテレビが消されている。

 どちらにしても、静かになったのは良いことだ。あの不愉快な砂嵐の音が無くなれば、聞こえるのは雨音だけだ。その雨音に紛れて、ひたひたという足音が聞こえる。方向は廊下。足音は静かに、しかし確実に近づいている。

 宵闇から、ソレが姿を表した。なんだ、こいつ。姿はまさしく人型だが、ソレには右肩から先と頭がない。ゆっくりとした歩調で静かに歩み寄るソレは紛れもなく生きてはいないはずだ。そうだというのに目の前の人型は緩慢な動きで自身の存在を主張している。

 何だ、これは。俺は夢を見ているのか?頭のないニンゲンが生きているはずがない。目の前のソレが仮にも生きているとしても、司令塔でもある頭が無ければ身体に命令も下せない。

 緩慢な動きで近寄るソレは目の前まで来ると一瞬、身震いすると残った左腕だけで襲いかかってきた。体制が崩れる。縺れる足と結論の出ない思考に頭が真っ白になっていくのを自覚しながら、襲い掛かってくるソレから何とか逃げる。

 距離にして二メートル。飛びつかれて逃げられる距離じゃない。ソレがゆっくりと動き腕が伸びる。うまく思考できない。思考ができなければ動きようもない。ああ、マズイぞ。あと数センチで腕が届く。掴まれば逃げる術は見当たりそうにない。

 ソレの指が咽喉に触れる寸前、ソレが誰かに蹴り飛ばされる。ソレも予想外だったのか、無様に転げまわった末に動かなくなった。

 助かった。危機は突然やってきたが救出も、やはり突然だ。そして、助けてくれた人物は誰であろう、我が従妹である藤代真緋その人だった。

「いったい何なんだ!」

 蹴り飛ばされた動かなくなったソレを指差す。未だに床に転がったまま身動きがない。生き物としても歪んでいるが物ともつかない生々しさを持っている。

「そいつには意思なんて無いんだ。そんなもの、死んでいるのと同じだよ。だから、そいつは死体人形だ。息をする代わりに自己顕示欲で動き回る」

 未だに床に転がったソレを見下ろすと、真緋は不愉快そうに眉根を歪め、苛立ちを顕わにする。真緋が見せた初めての感情。

「文隆。あたしの後をつけてきたんでしょ」

「ああ、その通りだ」

「バカなやつ。大人しく、真緋の言うとおりに警備員だけをやっていれば余計な事に足を突っ込むこともなかっただろうに」

「そういう、おまえこそ。こんな所で何をやってんだ。友達を訪ねるなら時間を考えるべきじゃないのか?」

「別に、あたしには友達なんて一人も居ないよ。ただ、あたしと親しくなりたいってやつが居てね」

 真緋がポケットから手紙を引っ張り出す。手紙の内容には見覚えがあった。冷蔵庫の中身を指す手紙。いつかの夜に居間で見つけた手紙。真緋を疑うきっかけになった理由そのものだった。

「この手紙の送り主は、あたしと遊びたいらしい。だけど、あたしは他人に興味なんて無いんだ。あたしは、いつだって独りでいい。だから絶縁状を叩きつけに来た。不用意に他人のテリトリーに踏み込んだんだ。横合いから殴られるぐらいの覚悟は必要だろ」

 人形が起き上がる。びくびくと痙攣したソレが再び真緋を捕らえようと腕を伸ばす。それだけじゃない。侵入者を察知したのか、廊下の奥から起き上がったソレとまったく同等の頭と右腕の無い死体が集まってくる。合計にして三体。

真緋が小さく舌打ちをして身を低く構える。

「人形め。殺されたのなら大人しく死んでおけばいい。諦めが悪いにも程がある」

 四体の人形は身震いすると、真緋に向かってゆっくりと動き出す。目前の人形が伸ばす腕を払い、肝臓、腎臓めがけて打撃を加えていく。そのまま脚を払って転がすと間髪入れずに高く振り上げられた踵を心臓めがけて振り落とした。身体が欠損していても痛覚はあるのか、人形はびくびくと痙攣すると然る後に動かなくなった。

 残りは二体。動きが緩慢な分、鮮やかな真緋の手前、何をやっても太刀打ちはできそうにない。

 背後から延びる腕を捻りあげると人形は骨格までは誤魔化せないのか、ねじ上げられた腕に習って身体がぐにゃりと折れ曲がる。近寄ってきた別の人形を蹴り飛ばす。反動で跳ね返るついでに捻りあげた腕の関節を、さらに捻り破壊する。残された腕の関節を破壊された人形は何をするでもなく、そのまま床に転がり動かなくなった。

 残る人形は一体。真緋は息ひとつ切れていない。

 残った人形にゆっくりと近づくと、力強く前蹴りを繰り出す。人形は窓ガラスを盛大に突き破ると、そのまま動かなくなった。

 俺はというと、未だに尻餅をついたまま動くことができないでいる。

「こいつら、いったい何なんだ?」

「こいつらは人形だよ。死体でできた人形さ」

 床や庭に転がる動く死体は動かない。こんなやつは初めて見た。頭が無いのに、どうやって動いているのかは疑問だが実際に動いていたのだから考えても仕方がない。

「こいつを操っていたやつは、こいつらを殺して上で自分の思い通りに操ってるんだ」

「死体を操るだって?」

「ああ、そうだよ」

「そんなバカな話があるか。死体ってのは死んでるから死体なんだ。そんなものが動いているなんて変だろう!」

 真緋が面倒臭そうに溜め息を漏らす。

「そんな理由、あたしだって知らないよ。だけど、そいつは現に動いていたじゃないか」

 今は動かない死体人形を見下ろしながら真緋が不愉快そうに眉根を寄せてつま先で小突く。

「さっきも言ったように、こいつらは死体なんだ。だから生きているなんて変な考えを持ってると足元を掬われる」

 それができないから困っている。人間、理解の及ばない部分に関して納得なんてできるものじゃない。今は動かない死体人形はどう見ても、生前の生々しさを残している。そう簡単に割り切れるものじゃない。

 差し伸べられる真緋の手を掴んで、やっとこさ立ち上がる。

「でもまあ、ある程度の予測はできる。こいつらは例の家出の連中さ。文隆だって、居間のテレビでニュースやってたのを見ただろ」

「家出って最近、多いってアレか。都合、五人の家出人。今も警察が捜しているっていう」

「そうさ。だから、こいつらだって元を正せば人間さ。無から生まれたわけじゃない」

 強い苛立ちを覚える。

 もともと、この人形たちは人間だ。呼吸をしていたし、思考し、食事もしていた。それが突然、奪われた。

 さぞ無念だっただろう。

 それらが突然、奪われたことが酷く不愉快だ。

「どちらにしろ俺のすることは大して変わらない」

「何をするのさ?」

「決まってる。殺人鬼を捕まえる」

 少なくとも、ここに転がる死体をつくったやつは許しておけない。死体は四つ。いや、館の冷蔵庫の中身を考えると五つか。失踪者と数が見事に合致している。どちらにしても、胸糞の悪い話だ。五人も殺した人間が、まだ自由に動き回っている。

人形にされた五人に面識はないし、義理も恩義もない。だけど、末路を見てしまった以上、どうにかしないといけないと思う。

「へえ、犯人を捕まえるっての?」

「ああ。少なくとも許してはおけない」

「わかってるの?そういうことは公僕の仕事で文隆のするべきことじゃない。余計なことに足を突っ込むと手痛いしっぺ返しが待ってるよ」

「それでもだ」

「このバカ」

 ため息混じりの罵倒なんぞ、気にならない。自分も決意がバカげてるなんて既に判っている。自分がするべきでないという事も理解している。

 犯人を捕まえる必要がある。現状として考察を纏める。

「犯人は、これだけの人間を殺して噂にすら上がらない。普通に生活しているやつを殺すのなら、目撃される割合は多いはずだ。つまり、犯人は綿密な下調べをしてから標的を絞っている」

 狙う対象は独りになることが多い人間か、居なくなっても誰一人気にされないような人間か。

 つまり、目の前に居る藤代真緋も標的として立派に成立しているということだ。従兄である俺ですら、気づかなかったし知らなかったわけだ。あの森の深部に住んでいる少女の存在が誰かに知られているとは思えない。知られていないということは、そいつが消えたって誰も気づかないし気にも留めない。

「ああ、なるほど」

「だとしたら、連れてくるための場所があるはずだ」

 目的や方法は別として、犯人は既に五人を殺している。つまり連続殺人だ。しかも、殺人のスパンが短い以上、殺害してから保管している場所が必要なはずだ。

「ごもっとも。それじゃあ見に行こうか」

「何をだよ?」

「そんなの、決まってるだろ。被害者の遺恨を見に行くのさ。この家には人形を配置してまで守りたいものがあるんだ。その宝物を見ないと、ここまで来た意味がないじゃないか」

 それだけ言うと、ゆっくりフラフラ廊下に向かって歩いていく。未だにふらつく脚に活を入れて真緋の後をついて歩いていく。

「どこに行くつもりだ?」

「二階だよ。一階はさっき、あらかた探して回ったから残されてるのは、そこしかない」

 階段は、すぐに見つかった。家に忍び込んだ時から気になっていたが。何だ、この匂い。甘いようでいて何か酷く不快な気分にさせる。

 見上げれば、二階に続く階段は薄暗く、相変わらず広がっている甘い匂いは強いめまいを生む。意識がどこかに持って行かれそうだ。

「それじゃ、行こうか。待っていても何も始まらない」

 確かな足取りで階段を登っていく真緋を目で追いながら、いつまでもびくびくしていても始まらない。だから、息を深く吸い込んで階段に足をかける。

「準備はいいか、文隆。これから先は何があっても、あたしは知らない。死んだり怪我とかは自己責任だから、そこの所に気をつけて」

 ありがたい話だ。自己責任ついでに何か武器があれば心強いのだが、そこまでは望めそうに無い。明かりは真緋の持っているカンテラだけだから視界の悪さは最悪もいい所だったりする。

 階段を踏みしめると軋んだ音を立てる。階段を進めば進むほどに匂いが強くなっていく辺り、真緋の言っていたことも本当のようだ。ここには、殺人鬼の守っておきたい何かがある。

 階段を登った。

 二階の廊下には、あいも変わらず死体で造られた人形が転がっていた。ざっと見ただけで数は六体。相変わらず頭と右腕が欠けている。防衛力を強化したかったのか、その人形たちは往々にして武器が持たされている。斧だとか電動ノコギリだとか殺傷能力の高い武器を持たされている。どうでもいいけど、この電動ノコギリは片腕じゃあ機動さえ出来ないだろうに。

「文隆、足元に気をつけろよ。転んで抱きつかれたら悲鳴をあげそう」

 真緋は、並ぶ死体に高揚しているのかヒヒヒと哂い、多分にテンション高め。昼間の真緋では絶対に見れない貌だ。

「ああ、そのときは一生、離さないさ。死ぬまで悲鳴でも上げてろ」

 その時は、こいつの悲鳴を聞き続けることになるのか。それだけで発狂するかもしれない。

 そうして廊下を突き進む。構造的に二階は一部屋しかないらしく、廊下を突き当たれば、すぐに部屋の入り口にたどり着いた。

 何か、嫌な予感がする。

 いつかの冷蔵庫の中身みたいに不愉快な気分が腹の底に溜まっていく。

 ドアノブを握る。

 深く深呼吸してからノブを回し、ドアを開く。

 ドアを開ける寸前、今の奇妙な状況に怯えている自分と楽しんでいる自分。そして、そんな自分を遠くから冷静に観察している自分が居ることに気づく。

その遠くから冷静にしている自分が言っている。バカなやつだ。こんなところで、こうしているやつは、自分が何をしているのかが分かっていない。気づいていないのは自分だけ。自分の間抜け加減に気づくのは、もう後戻りができないって時だと冷静な俺が言っている。

しかし、そんな冷静な自分の決定権は持ち合わせていない。ここまで来て、その声に耳を傾けるつもりはないし義務だって持ち合わせていない。だから俺は、このノブを開けようと思う。

自分自身を割り切ることは大切だ。

 そうして、ドアを開ける。その部屋には理解なんて言葉は及ばない。

 その部屋に何があるかは、ある程度は予感していた。しかし、侵入(はい)った部屋は理解の及ぶ範囲で言葉にできない代物だった。辺り一面には、頭部と右腕の無い死体。それも一や二ではない。その部屋には、文字通り、山積みの死体が大量に、しかも無造作に放置されていた。中には、成人だけでなく、子供のものとも思える死体が並んでいる。まるで、死体を製造する工場だ。

 そうして、この民家に侵入した時から気になっていた、この甘い匂いの意味を理解する。これは、生き物が腐敗するときの腐臭だ。吐き気で何も考えることができない。

 死体の山を前に、それはもう嬉しそうに真緋が声をあげて嗤う。

「これは、これは。大層な仕事ぶりじゃないか。あたしの鼻先で随分と遊んでくれる」

 声をあげて嗤う真緋とは対照的に、俺はというと耐え切れずに胃の内容物をぶちまける。我慢はおろか、思考することすらできない。

「あぁ、情けないやつ」

「おまえこそ、よく笑っていられるな。そんなに楽しいか?」

「ああ、楽しいね。文隆、わかるかい。この場所は、ようは工場権倉庫なんだ。死体人形(オモチャ)を造って保存するためのね」

 真緋が跳ねるように部屋を廻り、喜びとも苛立ちとも取れる笑顔を浮かべる。その所作、その表情は昼間の無表情で人形めいた真緋とは真逆で感情を剥き出しにする。

 まるで血の通っていなかった人形が夜半を越えて、脈打つ血流を持つ生き物として生まれ変わったような変貌ぶり。それは昼間の真緋とは正反対の貌を見せる。

 まるで、これでは、まるで別人だ。

「―――おまえ、本当に藤代真緋か?」

 真緋がさも楽しそうに笑みを深め、その度合いに応じて真緋への不信感も深まっていく。

 疑問を投げかけられた真緋の表情が一瞬、凍りつき、やがて昼間に見せる、いつもの無表情な真緋へと帰っていた。

「どうして、そういうことを聞く?」

 その真摯な瞳には今まで見たことがないくらいに熱が篭もっている。薄暗闇の中でも光沢を放った自己主張する宝石のようでいて肉食獣のようにギラギラと輝いている。その瞳に見つめられ、思わず言葉を窮してしまった。

 真緋が肩を竦める。

「まあ、いいや。あたしが誰かなんて、それこそ野草に名前を求めるようなものさ。意味なんて無いよ。あたしが誰かなんてことより、自分の心配をしたほうがいいなじゃない?」

「自分の心配だって?」

「ああ、そうだよ。文隆は、この家に脚を踏み入れた時点で当事者なんだ。そして、当事者となった人物は、殺人鬼の新たな標的になることは相場で決まってる。この手の異常者は基本、目撃者を残さないから文隆だって立派に命を狙われる立ち位置に立ったのさ」

 そうして最後に、真緋が凄惨に笑う。失われていくものを偲ぶように厳かに、尊ばれていく邪悪に対して、真緋が凄惨に嗤う。それは、俺自身に当てられた鎮魂でもあるようだった。


 翌日のワイドニュースは、その話題で持ちきりだった。何でも、のどかな住宅の一軒家で大量の死体が発見されたらしい。件の民家では何者かに放火された事で事件の様相が明るみに出る。ただでさえ閑静な住宅街である。火事というだけでも大事件だが、その中から黒こげの家屋とは別に大量の黒こげた死体が出てきたものだから話題はより手広く、電波に乗る形で衆知の事実となったのである。

そして、とある民家で大量の死体を見つけた日の夜、俺は人生で二つ目の犯罪に手を染めた。ただでさえ無念を残した死体たち。弔う意味でも、火葬が適していると思った。放火は殺人と同等に罪が重い。悪くて死刑、無期懲役。良くても五年以上の有期懲役が課せられる。まあ、どう転んでも重罪であることには変わりが無い。

 それでも俺は、あの家に火をつけたことに後悔はしていない。かつて生きて、そして死んでいった生き物たちが平穏を手に入れることができる。それは酷く無慈悲だが、酷く大切なことだと思う。

 真緋の形をした別人は、そんな俺を鼻で笑った。曰く、死なんてものは、いつだって無意味だと。それを弔うことは残されたものの自己満足でしかないと。それでも俺は、俺のできることをするだけだ。

 もともと自分は手抜きな性格だ。手抜きだからこそ、大切だと思ったことは手を抜きながらも、じっくり実行しておきたい。


 そして、その日の夜に真緋は姿を眩ました。あの民家に踏み込んだ時点で当事者だ、と真緋は言った。その言質で考えるなら、真緋も立派な当事者である。殺人鬼に拉致されて、いつかの死体人形の仲間入りを遂げていても不思議はない。

 生きているのか、死んでいるのか。

 判然としない真緋も心配と言えば、心配だ。まあ、どちらにしても、俺のすることは変わらない。犯人は捕まえる。どこの誰かは知らないが、野放しにしてはいられないし、許してもおけない。そうして今日も館への帰路につく。


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