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沙羅が、太刀を逆手に持ち替えた。
そして、足元の流氷を、渾身の力で――思い切り、踏み抜いた。
ドォォォォォォン!
華奢な体のどこに、そんな力があるのか。
沙羅の右足が氷を貫通し、穿たれた孔を中心に、巨大な流氷の大地が轟音を上げてヒビ割れた。氷塊が大きく傾き、激しい振動が四方八方へ伝播する。
「な……なんだっ?!」
霧の向こうで、トゥカラの声が裏返った。
高速滑走していた白い影が、ピタリと、止まった。
「今だ、沙羅ちゃん!」
「了解やっ! 剣業執行――氷華・乱れ咲き(ひょうか・みだれざき)!」
刹那、沙羅の周囲の空気が凍てついた。
大気中の水分が、一瞬にして精緻で鋭い六花の結晶となって顕現する。氷の花が、吹雪の中に百も二百も咲き乱れた。
沙羅が、傾いた氷の斜面を駆け上がる。
寒風を蹴り、傾斜を利用して跳躍した沙羅の姿は、氷上を舞う一羽の鳥のようだった。儚くも鋭い雪の華たちが、沙羅の進む道を彩る。
トゥカラは方向を見失い、首を左右に振って戸惑っている。
その、隙だらけの懐へ。
沙羅が、飛び込んだ。
「もらったでぇッ!」
沙羅の刃が、閃いた。
同時に、沙羅の刀身から放たれた冷気が六花となって舞い散り、トゥカラの両前ヒレを瞬時に凍結させる。
煌めく白氷が、ヒレを覆い尽くした。
「つ、冷たっ……?! く、苦し……めっ、目が回る……!」
沙羅の刃を受け、トゥカラが、氷の上に大の字に伸びた。
*
俺は、ふらつく足で、倒れたトゥカラと沙羅の元へ歩み寄った。
「トゥカラ、と言ったか……安静にしろ」
そう言いながら、実は俺自身も限界だった。激しい頭痛と耳鳴りが、止まない。
ぬるり、と鼻の奥からまた、温かいものが垂れた。
白い氷の上に、紅の雫が、一粒。
俺は咄嗟につま先で上から細かい氷を蹴り寄せて、隠した。
沙羅には、鼻血なんて、見せたくない。
「センセ……」
沙羅が、振り返る。
ドキリ、と心臓が嫌な音を立てた。
だが、沙羅の目は俺の足元ではなく、俺の顔を真っ直ぐに見ていた。
「すごいやん。 動物の身体まで、分かるんか!」
「そ、そう……だな」
俺は、曖昧に頷いた。
*
数分後。
「……まったく、ひでぇ目に遭わされた」
目を覚ましたトゥカラは、氷の上にぺたんと座り込み、しょんぼりと首を垂れていた。
凍結していた両前ヒレは、体温で自然に溶けたらしく、自由を取り戻している。だが、先ほどまでの威勢はどこへやら。今は叱られた子犬のような空気を纏っていた。
「武士の情けで、峰打ちにしたったからな。感謝しぃや」
沙羅が、太刀を鞘に納めながら言った。
トゥカラが、むっとした顔でヒゲを震わせる。
「俺様の自慢のヒゲが弱点にもなるなんて、見抜きやがって……人間にしては、賢い奴だ。……で? 俺様を煮るなり焼くなりしなかった、ってことは。何か頼みがあるんだろ?」
「話が早いな」
俺は沙羅と顔を見合わせ、そして、切り出した。
「人を探しているんだ。タミさんという、女性のプレイヤーを。六十代くらいの、品のいい、短い白髪の女性で……」
俺は、タミさんの特徴をできる限り詳しく伝えた。穏やかな笑顔、知的な口調、どこか達観したような佇まい。
トゥカラは、ヒレで顎を撫でる仕草をした。
白いヒゲが、ぴくり、と揺れた。
「その人間なら、知ってるよ」
「本当か?!」
俺は、思わずトゥカラの前に身を乗り出した。
「ぐ、近い近い! 顔がでけぇ!」
トゥカラが、前ヒレで俺の顔を押し返す。フカフカした毛皮の感触が顔に当たった。
「す、すまん。……それで、タミさんはどこに?」
「ああ。一週間ほど前か。この海を、ドーム型の観光船で渡って行ったよ。『礼言島』へ行く、ってうちの手下に言っていた」
「礼言島!」
沙羅が、はっと息を呑んだ。
「別名『花の浮島』! この世界の三大絶景の一つやんか! 綺麗な花が島中を覆い尽くしとって、季節ごとに色が変わるって聞いたことある! 行ってみたかったんや! ……あー、こほん。つまり、有力な情報やなぁ」
「しかしな」
トゥカラの声が、急に真剣な色を帯びた。
「この先は、『北限の氷海』の最深部だ。海流は複雑怪奇、渦潮だらけの難所だよ。巨大な流氷が衝突し合い、航路はころころ変わる。今は、観光船も出払ってるし……素人の航海じゃ、一瞬で藻屑だ」
トゥカラは、陣笠の下で目を光らせた。
口元の小さな牙が、ニヤリと光る。
「俺様が、案内してやってもいいぞ?」
「本当?! ええの、アザラシちゃん!」
沙羅が、目を輝かせた。キラキラと、星でも浮かんでいそうなほどの全開の笑顔。
「……トゥカラ様だ!」
トゥカラの目が釣り上がった。
「勘違いするな。俺様は、強い奴が好きなだけだ。それに、最近の海は平和すぎて、退屈してた所だ。お前らとなら……面白い景色が見られそうだからな」
ツンと顔を背けながらも、丸い尾びれがパタパタと嬉しそうに氷を叩いている。
俺と沙羅は、ひそひそと囁き合った。
「倒したら仲間になる、とかのゲームイベントなのかな? 仲間ってことは、経験値を分け合ったり、武器を買ってあげたりとか、できるようになるのかな……」
「センセ以外、仲間増やした経験ないから、分からへんけど……そうなんちゃう? 経験値とか、レベルって概念は、このゲーム、ほぼ無いけどな」
「……じゃ、トゥカラを仲間にする、でいいか?」
「ええに決まっとるやん」
トゥカラはパン! とヒレを叩いた。
小気味の良い音が、氷海に響く。
「嬉しく思えよ、このトゥカラ・カムイ様がじきじきに案内してやるんだからな!」
トゥカラが、胸を張った。
「さあ、俺様の背中に乗れ! 北海クルーズとしゃれこもうぜ! ――神霊拡張!」
その言葉と同時に、トゥカラの小さな体が、瑠璃色の光に包まれた。
光が膨らむ。
まばゆい輝きの中で、白い体が見る見るうちに膨張していく。
光が収まった時――
そこに立っていたのは、小型の漁船ほどもある、巨大なアザラシだった。
白い毛皮は相変わらず柔らかそうだが、その面積は先ほどの数十倍。堂々たる巨体の背中には、趣のある革張りの立派な鞍が据え付けられている。
「でっか……!」
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