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「あそこや! 水鏡の浮見堂! プレイヤーの一番幸せだった記憶が、見える鏡や。センセは……センセ自身やったら、何が見えると思う? これまでの人生で、一番、いつが幸せやった?」


 空中で鶴を止めた沙羅が、前方を指さした。


 呼吸が、一瞬止まる。



 ――雲間に浮かぶ、巨大な真っ白な砂の島。そこに垂直に立つ、淡く光る瑠璃色の湖。


 湖面は、水鏡となって、空を映していた。



「いつかなぁ……。友達と遊んでいた、他愛ない瞬間かも」


「やっぱり彼女、おらんのや」


 どこか嬉しそうに、沙羅がからかう。


「やっぱりって何だよ」


 軽口を叩きながら、島へ近づく。



 俺たちの鶴が、島の真っ白な砂浜へと、羽音もなく舞い降りる。遠くに小さく、水鏡が見えた。


 二羽の鶴は、みるみるうちに、もとの和紙に戻った。


 踏みしめた砂は、雪のようにきめ細かい。


「水鏡まで、静かに移動するで。鏡の守り神と鉢合わせたら、面倒や」


「――すでにして、遅いが?」


 鈴を転がすように愛らしい少女の声。


 水鏡へと続く道の途中に、一人の少女が、静かに現れていた。歳は十にも満たないだろう。切り揃えられた黒髪がおかっぱ頭で揺れ、あどけない顔立ちは、日本人形めいて整っている。身にまとっているのは、神社の巫女が着るような、白衣と、紅の袴。


 その小さな両手には、不釣り合いなほどに物々しい、大きな古びた鍵が握られていた。


「帰れ、迷い人。この先は、安寧の聖域。汝らのように、生に執着する者が立ち入る場所では、ないが」


 少女は、紅く澄んだ瞳で、俺たちをじっと見つめていた。少女が鍵を振ると、少女の足元から、陽炎のようなオーラが立ち上る。


「……鍵の神」


 沙羅が、腰に差した太刀の柄に手をかけ、低い声で囁いた。


「この浮見堂への道を閉ざす、門番や」


「子どもの姿……嫌だな」


 俺は思わず、口に出していた。目の前にいるのは、か弱く、守るべき対象であるはずの、幼い少女に見える。妹がいた身としては、少女との戦闘は避けたかった。とはいえ。


「俺、戦うべきだよな? でも、そういえば武器がない」


「『子供』やない。『神』や。うちらの命を弄ぶ、ただのシステムや。センセは、まだ業の使い方、分からんやろ。まずは見とったらええ。うちが――狩る」


 鍵の神の小さな唇が、わずかに動いた。


「威勢が、良いが」


「問答無用!」


 沙羅の体が、弾かれたように駆け出した。白い砂を蹴り上げ、一直線に鍵の神へと肉薄する。抜き放たれた刀身が、鮮やかな軌跡を描いた。


「剣業執行――桜花・一閃!」


 神速の斬撃。刀身の周辺に一瞬、桜の花びらが輝き、舞った。


 キィン!


 甲高い金属音。沙羅の刃は、少女の目前で、見えない壁に阻まれて停止していた。


「この領域は、我が『施錠』したが?」


「厄介な、結界や」


 沙羅は一度後方へ大きく跳躍し、距離を取る。そして、懐から数枚の手裏剣を抜き放った。宙を舞う手裏剣は、複雑な軌道を描きながら、神の死角、背後や側面から同時に襲いかかる。


 だが、それらもまた、神の体に触れる寸前で、ことごとく虚空に縫い止められてしまった。


「無礼者、が」


 少女が、右手に持つ鍵を、静かに掲げた。


 すると、沙羅の全身に、淡い琥珀色の無数の枷が、巻き付いた。


「ぐっ……! なんや、これ……!」


 沙羅の体が、ぎしり、と軋む。動きが、明らかに鈍くなっていた。


「沙羅!」


「大丈夫や、まだ……!」


 強がる沙羅だったが、その額には脂汗が滲んでいる。神の拘束は、単に動きを封じるだけではない。精神力か、あるいは生命力そのものを、直接削り取っているようだった。



 目の前で、沙羅が一人で戦い、そして、追い詰められていく。


 その光景を、武器のない俺は、ただ見ていることしかできない。


 この無力感。息が詰まるような焦燥感。



 ――知っている。俺は、この感覚を。


『……お兄ちゃん』


 脳裏に、妹の最後の声が、幻聴となって蘇る。あの時も――



「やめろ!」


 俺は走り出した。沙羅と神の間に、割って入った。両腕を広げ、か弱い少女の姿をした神の前に、仁王立ちになる。


「……邪魔、だが」


 鍵の神の瞳が、初めて俺をはっきりと捉えた。鍵の神が、鍵を天に掲げた。


 攻撃が放たれる気配に、俺は、身構え、必死に自問する。


(俺の『業』……医者の『業』とは、何だ?)


 患者の身体所見を観察し、分析し、診断し、治療する。それが、医者だ。



 ならば――


(この神を……俺が『診断』してやる!)



「医業執行――神脈・透視しんみゃく・とうし


 脳裏に浮かんだ言葉を、そのまま呟いた。


 次の瞬間、脳に直接、膨大な情報が濁流のように流れ込んで来た。


 意味をなさない文字列、明滅する光の点、理解不能な設計図。


 情報量が多すぎる。これが神の体の構造? でたらめだ。


 こんなもの、読み解けるはずが――


(……落ち着け。複雑な症状を呈する、急患と同じだ。膨大な検査データの中から、意味のある情報を拾い出すんだ。一番大切なのは……データではなく、患者自身を診ること、観ること)


 もう一度、神の姿に目を凝らす。鍵の神の輪郭が、陽炎のようにぼやけ、その体は半透明の磨りガラスのように見えた。そして。



「……血、脈……?」


 無数の光の線が、神の体内を網の目のように駆け巡っていた。人であれば、血管網。だが、そこを流れているのは赤い血ではない。


(ああ、だから、神脈、か)


 神の力の源である、山吹色のエネルギーが、鍵の神の体内で脈打っている。


(この脈の、流れの中心……全ての脈が始まり、そして還る場所……『急所』は、どこだ?!)


 黄金色の流れを注意深く追う。手足の末端から、太い管へ。それらが全て、一点へと収束していく、もっとも輝いている部位があった。



「見つけた……!」


 ズキン、と後頭部が痛んだ。さらに、鍵の神から放たれた山吹色の鎖が、俺の体を戒めだす。


「沙羅ちゃん! 鍵の神の弱点は首だ! 頭蓋骨を支える、一番上の首の骨! 環椎だ!」


「かんつい……?」


「そうだ! あの骨はリング状になっていて、下の骨の突起が、まるで鍵穴に差し込まれた鍵のようにはまっている! そこに、エネルギーが集結している!」


「了解や!」


 俺の背後で、沙羅が動く気配がした。


 沙羅が神に向かって手裏剣を投げた。正確に首を狙って。


 だが、鍵の神は嘲笑うかのように、ひらりと身をかわした。


「くっ、すばしっこい……!」


 沙羅は重そうな体を何とか動かし、神に迫った。何度も斬りかかるが、鍵の神は残像を残して翻弄するばかり。


 駄目だ、俺も攻撃に参加しなければ。だが、武器がない。


(武器……俺の、武器……)


 ふと脳裏に、幾度となく手にしてきた医療器具が浮かんだ。



「二つ目の『業』……! 形を成せ!」


 俺の右手に、白銀しろがねに輝く、大きな注射器が現れた。先端に付けられた鋭い針が、煌めいている。


「医業執行――」


 誰に教わるでもなく知っていた言葉を、俺は叫んだ。その叫びに呼応するように、注射器の先端、その針の先に、瑠璃色の硝子細工のような涙型の雫が一つ、生まれた。


「――飛滴・穿刺 (ひてき・せんし)!」


 俺が注射器の内筒を押すと、雫が、神の首筋へと放たれた。神が、僅かに目を見開く。遠くへ飛び去ろうとする神の退路を、沙羅が回り込んで、絶った。


「無駄だが」


 神が指を鳴らすと、その首筋を守るように、空間から無数の黄金の鍵が生まれ、荘厳な障壁を形成した。甲高い金属音。雫は、その山吹色の壁に阻まれた――かに見えた。


「そうかな?」


 瑠璃の雫は砕けることなく、鍵と鍵が組み合わさった、隙間に滑り込んだ。


 そして、神の白い首筋へたどり着き、その皮膚に吸い込まれた。



「が……ぁ……っ!毒、か……っ」


 鍵の神は、無数の鍵と共に、音を立てて崩れ落ちた。


「……始祖様は、我ほど、甘くないぞ……まずは、鏡に辿り着くが良い。無礼者、が」


 鍵の神の、最後の言葉。鍵の神の姿は、数回、ホログラムのように瞬き、消えた。


「死ん、だ?」


 神とはいえ、アバターとはいえ、少女の姿をした存在を攻撃し、消した。その事実に、人として、医者としての良心と倫理観がキリキリと傷つく。


「『狩られた』だけや。ここの『神』は、理不尽な病や余命のメタファー。人間が神を狩るのは、理不尽な生死を与えられて人間が怒っとるメタファーや。……病も死も、一度退けても、いずれ力をつけてまた、うちらをどこまでも追いかけてくる……。まぁ、今はそんなことはええ! センセ、やったやん! 医業、かっこええな!」


「沙羅ちゃんの、おかげだ」


 俺は沙羅を、振り返った。


 ――次の瞬間、俺の頭を、耐えがたいほどの激痛が貫いた。


「痛……」


 視界がブラックアウトし、俺は頭を抱えて、その場に崩れ落ちた。


「センセ! 頭、痛むんか? その頭痛、もしかしたら……」


少しでも続きが気になると思って頂いた方は、ブックマーク頂ければ幸いです。

本日より4日間、1日複数話、定期的に投稿します。

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