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翌日。


 ログインした俺たちは、深海から持ち帰った木箱を開けた。


 濡れた黄金が、太陽の光を浴びてギラギラと輝く。


 その一番上に、俺がこっそりと乗せておいた、あの簪があった。


 黒檀の軸に、七色の螺鈿細工。先端には、涙の雫のような真珠が揺れている。


 俺はそれを手に取った。


 ずしりと、重い。


 ただのデータのはずなのに、そこには確かな質量が感じられた。


沙羅は、楽しげに宝箱を見つめている。


 その無防備な背中を見ていると、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。


 昨日は、守れた。


 けれど、紙一重だった。


(沙羅ちゃんがもし、美奈みたいなことになったら……。やっぱり、この先は、俺一人で……)

 

 けれど、沙羅が承知しないであろうことも、容易に想像できた。


 俺は、沙羅の背後に立った。


 震える指先で、沙羅の後ろでまとめた髪の根本あたりに、突き刺してみる。


(こ、こうやって使うのか?)


 女性の装身具のことなど、全くわからない。洋装でもわからないのに、和装ならなおさらだ。


 不器用に挿された簪は、それでも沙羅の髪に、夜光虫のような光を添えた。


「あ……センセ、あの簪? ええの?」


 髪に触れられた感触に気づき、沙羅が振り返る。


 きょとんとして、俺を見る。その瞳に、俺の困ったような顔が映っている。


「……鑑定に出せば、意外と高値がつくかもしれない。資産は分散して持つのが、リスク管理の基本」


 俺は、努めて事務的に言ってみた。


 嘘ではない。ただ、売るつもりなど毛頭ないだけだ。


 この簪は、彼女が昨日、生きて深海から戻った証だ。


 沙羅が、俺の顔をじっと見て、ふわりと花が綻ぶように笑った。


「……ふふ、せやな。おおきに、センセ」


 沙羅が、簪の揺れる髪を、嬉しそうに撫でた。




路地裏の道具屋の店主は、巨大なヤドカリの姿をしたNPCだった。


 背負った貝殻には無数のフジツボが張り付き、まるで老人のシミのように見える。


 俺は、昨日のサルベージで手に入れた大金をカウンターに積み上げた。


「『水天回廊図』をください。一番、精度のいいやつ」


「へいへい。金払いのいい客は大好きだ」


 ヤドカリ店主は、ハサミを器用に使い、棚の奥から一枚の巻物を取り出した。


 埃を払い、カウンターの上に広げる。


 墨絵のような紙面に、生きた墨が、うねるように動いている。


 描かれているのは、雲海と、その上を流れる風の道。


 そして、遥か天空に浮かぶ、巨大な城のシルエット。そして、波のうごく海。


水天回廊図すいてんかいろうず


「動いてる……これ、リアルタイムの気象データか!」


 俺は、墨絵の地図を凝視する。


 風の流れ、気圧配置、雷雲の発生源。それらが、水墨画の濃淡として表現され、刻一刻と変化している。


「……あと、空を飛べる手段を知りませんか? すごく速く移動できるなら、なお良い」


 俺が尋ねると、ヤドカリはハサミをカチカチと鳴らし、首を横に振った。


「へえ。うちではそんな希少道具、扱いないですよって。空を飛ぶなんざ、天狗か神様の領分だ」


 短い商談を終え、俺たちは店を出た。



 路地裏は、朝だというのに、どこか薄暗い。


 石畳を歩く下駄の音が、乾いた音を立てる。


 ふと、甘い香りが漂った。


 花の蜜のような、それでいてどこか腐敗臭を隠したような、濃厚な香り。


「……空を飛びたいと、おっしゃっていましたね」


 背中から、鈴を転がすような声がした。


 俺たちは足を止めた。


 振り返ると、路地の陰に、一人の女性が佇んでいた。


 背中に、アサギマダラのような、透き通る浅葱色の蝶の羽を生やしている。


 顔立ちは整っているが、どこか能面のように表情が乏しい――NPCであろう。


「『天翔ける羽衣』。これを纏えば、鳥のように自由に空を飛べる」


 女性の手には、羽虫の羽のように薄く、虹色に輝く布が握られていた。


「へえ! すごいやん! いくらなん? まだお金、少し余ってるで!」


 沙羅が身を乗り出す。


 だが、女性は、沙羅ではなく、俺をじっと見据えていた。


 値踏みするような、視線。

 

「……代金は、『余命』」


「……なに?」


 俺の眉間が、自然と狭まる。


「あなたは余命半年と、うかがいました。そのうち、たった三日分。三日いただければ、この羽衣を差し上げます」


 ドクン。


 心臓が、嫌な音を立てた。


 背筋に、氷水を流し込まれたような悪寒が走る。


 指先が、冷たくなる。


「なんで、俺の余命を、知っている……?」

 

 俺の声が、低く掠れた。



「余命半年」というのは、現実世界の、俺の肉体の診断結果だ。


 カルテの中と、俺の記憶の中にしか……いや。


(……沙羅ちゃんに、伝えた。余命半年だと。それを、ゲームのシステムが記録してたんだ……。そして、こいつは、今、ゲームのアイテムと、「現実」を天秤にかけた)


 作り物の知能が。


 俺の、一分一秒と、落ちてゆく、砂時計の砂のような命を。


 まるで、通貨のように扱った。


 不快だ。


 猛烈に、不快だ。


 胃の底から、酸っぱい液がせり上がってくるような、生理的嫌悪感。


「俺の時間は、俺のものだ。一秒たりとも、プログラムに切り売りするつもりはない」


 俺は吐き捨てるように言い、沙羅の手首を掴んだ。


「行くぞ、沙羅ちゃん」


「え、ちょ、センセ! 痛い、痛いって!」


 俺は足早に、光の届く表通りへと歩く。


 心臓の動悸が収まらない。


(なんだ、今の奴は……)


 ただのNPCのセリフとは思えない。


 まるで、幻想から、現実の世界を覗き見ているような。


 あるいは、この『極楽』というシステムそのものが、俺たちの「命」を、単なるゲームの資源として管理しているような――。


 冷たい汗が、背中を伝った。


 美しいはずの街並みが、急に舞台セットの絵のように、薄っぺらく、不気味に見えてくる。


「センセ、顔、怖いで……」


 沙羅の怯えた声で、俺は我に返った。


 掴んでいた彼女の手首を、慌てて離す。白く細い手首に、俺の指の跡が赤く残っていた。


「……ごめん」


「ううん……。あんな気色悪いこと言うNPC、初めて見たわ」


 沙羅が、自分の手首をさすりながら、気丈に笑う。


「空飛ぶ手段なら、きっと他にもあるで! 楽して飛んでも、つまらんやん!」


「うん……」


 俺は、振り返らなかった。


 路地裏の闇の中で、あの蝶の羽を持つ女がまだ、俺の背中を見て、音もなく嗤っているような気がした


少しでも続きが気になると思って頂いた方は、ブックマーク頂ければ幸いです。

3/30まで、1日複数話、定期的に投稿します。(全体で20話程度で、一段落となります)


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